幼稚園の赤ちゃん先生 (Pixiv Fanbox)
Published:
2019-02-06 12:55:50
Edited:
2020-01-08 10:01:34
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2023-05
Content
椅子に座ると、床に全然足が届かない。座る時にも、落葉先生に持ち上げてもらわなければならず、内心結構恥ずかしかった。体が縮む奇病、人形病を患った私の体は、今や身長六十センチほど。幸い無事に寛解したので、今日職場に顔を出してみたのだけど、みんな復帰に難色を示した。何しろ幼稚園というのは幼い子供たちを相手にする体力勝負の場だ。分別や遠慮のできていない子もいる。今の私は園児たちよりもさらにちっちゃい、非力な存在。力加減もわからない子供たちを抑えるのは到底無理だ。でもここに復帰できなかった場合、新しい仕事を探さなければならない。六十センチの私に出来る仕事があるだろうか……。
「しかしまあ、子供たちも園部先生のことを心配していましたし、顔だけでも見せていかれては」
土田先生の一言で、とりあえず子供たちに会ってみることになった。
子供たちは興奮し、私に駆け寄ってきた。
「きゃっ」
私は思わず悲鳴を上げた。自分の二倍弱もある巨大な子供達が、全速力でこっちに向かってくるのだから。
落葉先生が間に入ってくれたので、幸いもみくちゃにされることは免れたが、親の後ろに隠れる子供みたいで、余りいい気分ではなかった。子供たちを怖がってしまったことも情けなかったし、申し訳なかった。
「かわいー」「ちっちゃーい」
子供たちは何一つ遠慮することなく、縮んだことがさも良かったかのようにはしゃぎ、落葉先生のガードをかいくぐり、私にベタベタと触ってきた。特に女児たちが目を輝かせ、まるで赤ちゃんにやるみたいに、頭をナデナデしてきた。恥ずかしいやらこそばゆいやらで、私は「あはは……」と力なく笑うほかなかった。
「こらー、乱暴しちゃだめよー」
大丈夫っぽいと踏んだのか、落葉先生は口頭で注意するだけで、もう私を守ろうとはしなかった。子供たちはすぐ調子に乗って、私をぬいぐるみか何かのようヒョイッと抱き上げた。
「ひゃっ!?」
園児に軽く持ち上げられてしまったことへの衝撃、突然巨人に捕まってしまった本能的恐怖が私を襲った。
「あっ……こら、放しなさい!」
私の注意は一切聞いてくれなかった。病気に罹る前はみんな言うことそれなりに聞いてくれたのに……。やっぱり、縮んだからかな。生物としての序列が下がったのだ。まだまだ本能で生きている園児たちには、自分より小さい生き物の言うことに従う道理などないのだろう。
教室の奥に拉致された私は、ままごとに付き合わされたり、人形用のリボンを髪に取り付けられたり、落葉先生が連れだしてくれるまでなされるがままだった。
「何でもっと早く助けてくれなかったんです」
「えー、だってえ、子供たちみんな楽しそうでしたしぃ……」
無責任な。私にもしものことがあったらどうするの。怪我させた子供だって辛い思いをすることになるのに。
「でもー、この分なら大丈夫なんじゃないですかぁ」
「何がですか?」
「園部先生の復帰ですよぉ」
落葉先生は楽観的だったが、土田先生は心配していた。やはり、子供たちが私に怪我させる可能性は低くないと。議論の末、落葉先生が言った。
「つまりぃ、園部先生が怪我しないようにすればいいんでしょ~。私、良いアイディア思いついちゃいましたぁ」
彼女はパソコンでユーチューバーの動画をいくつか見せて、スーパーフィギュアクリームなる商品を紹介した。本来は人形に塗ることで艶を出したり、折れた箇所を修復してくれたりする、ナノマシン入りのクリームらしい。最近発売されたスーパー版は、衝撃の吸収と分散で人形を破損から守る……というお触書。これを私に塗ろうと言い出したのだ。
「い、いいいやですよ! 第一、それ人形用なんでしょう? 人に塗って大丈夫なんですか」
「平気平気。ほら、いっぱいいますから~」
どうやら、私と同じ人形病患者の間で流行っているらしく、全身に塗って生きたフィギュアみたいな見た目になった女性たちの動画がいくつか上がっていた。私は心を動かされた。特に魅力的だったのは、トイレに行かなくて済むという点。私たち人形病患者にとって、トイレは切実な問題だった。クリームには人形の汚れを適時分解する効果があるらしい。半分以上縮んだ人間なら、股間に厚塗りすれば、分解が間に合ってしまうとか何とか……。でも、見た目がちょっとなあ……。全身にフィギュアクリームを塗ったユーチューバーたちは、文字通りフィギュアみたいな肌色一色、光沢のある肌を晒していた。産毛も血管もシミも皴も黒子もない。おまけに顔もデフォルメされたアニメキャラかのような印象を受ける。肌が全て均質になり、顔の個性がクリームで埋没してしまうからだろうか。そして髪。髪の毛……いや、およそ生き物の体毛には見えなかった。一本一本が独立しておらず、一つのパーツみたいに同化している。フィギュアの髪みたいな表現……じゃない、質感だ。なのに、手を触れると普通の髪の毛みたいにサラリと分かれるのだ。ゴムで縛ることもできるらしい。不思議だなぁ……。
「どうですかぁ?」
「う、うーん……」
私は落葉先生の提案に乗り、クリームを試してみることに決めた。不安はあるけど、トイレ不要にお風呂無用はあまりにも甘美な誘いだった。それにまあ、ダメだったらクリーム落とせばいんだしね……。
自宅に彼女を招き、風呂場でスーパーフィギュアクリームを全身に塗ってもらった。塗ったというよりは浸けたと言った方が適切かもしれない。ともあれ、私の体は動画で見た人たちのように、生きたフィギュアみたい……に……?
「ちょ……ちょっと、厚すぎません?」
私の手足は一回りも二回りも太くなり、体が動かしづらかった。胸もやや膨らみ、乳首が埋没してしまい、まるっきり人形の胸みたいだった。股間もツルツルになり、もうアレコレは見えない。
「ちょっと試してみたいことがありまして~。乾いたらやってみますね~」
「そ、そんな……勝手に、困ります……」
事前に説明しなさいよ。ていうか、本当に動き辛いんだけど……。股関節の可動域が極端に狭まり、ヨタヨタと全身で重心をうまくとりながら歩かなければならない。
「このクリームはですねー、データを入力したらぁ、形を変えてくれるんですよぉ」
ど、どういうこと……。と尋ねようとしたが、もう口が重くて開けない。やっぱりクリームの量が多すぎだ。乾くにつれて、体が動かせなくなっていき、私は人形みたいにその場に突っ立ったまま固まってしまった。
(ちょっと! どうするんですかコレ!)
落葉先生が私を軽く叩いた。コン、コンと乾いた音が風呂場に反響する。固いプラスチックを叩いたような音が、私から鳴ったというのが驚きだった。乾いたことを確認すると、彼女はスマホで何か操作を行った。すると、乾いてカチコチになったはずのクリームが脈動し、ヌルヌルと動き始めたのだ。
(ひゃっ、な、何!?)
肌色のクリームが私の表面を波打ちながら蠢く。次第に手足が細くなり、圧迫感が消えていく。さっきまで手足にまとわりついていたクリームは半分が腰に集結したのち、三百六十度、円心状に飛びだした。次第にドレスのスカートのように形成しながら広がっていく。残り半分は体を上り、髪の毛の先へ向かう。そこからさらに、どんどん垂れ下がりながら広がっていく。固体とも液体ともつかない、肌色の物体が全身を嘗め回すように移動するのは気持ちのいいものではなかった。やがてクリームは数段重ねのフリルを持った、モコモコでフワフワなエプロンドレスを形成した。髪は腰より長いロングヘアーとなり、ともすれば床につきそうだった。
ようやく何が起きたのかわかった。服になるんだ。
「どう? 驚きましたぁ?」
「あの、事前に一言」
「ほらほら~」
彼女は返事を待たずに私を鏡に向かい合わせた。そこには、不思議の国のアリスの格好をした、可愛らしいフィギュアが映っていた。フリフリのエプロンドレス、腕全てを覆う長い手袋、脚全てを覆う長い靴下、可愛らしい靴、そして頭の上にチョコンとのっかったリボンカチューシャ。全てが肌色一色で、塗装前のフィギュアのようだった。
「あの……」
「あっほら、色出ますよ!」
「えっ!?」
全身に色が浮き出てきた。エプロンドレスは水色と白で構成され、腕は指先まで真っ白に染まった。脚は白と黒のボーダー柄のニーハイソックス。とってもシンプルな茶色い靴。そして髪は……金髪になってしまった。私の自前の髪はもう影も形もない。腰より長く、ふんわりと広がるロングヘアー。リボンカチューシャはドレスと同じ、水色。そして、色がついた時初めて、後ろの腰に大きな白いリボンがくっついていることに気がついた。
「きゃー! 可愛いー!」
落葉先生が写真を撮りだしたので、私は真っ赤になって抗議した。
「ちょ、ちょっと、何でこんな格好なんですか! 私もう二十七ですよ!?」
「いいじゃないですかぁ、とってもお似合いですよぉ」
私には罵倒に聞こえて仕方がない。よりにもよって、こんなフリッフリで少女趣味な格好にされるなんて……。鏡に映る私は、どこからどうみても完璧な「不思議の国のアリス」だった。顔がクリームでフィギュアっぽくなっているので、何とかまあ、見られる……いや、可愛い……かも。私もまだまだイケ……ない! ない! 元の私が同じ服を着て得意気になっている姿を想像したら、痛々しくて耐えられなかった。
「もう! ダメ! これはダメです! 違う服にしてください!」
しかし、どれだけ抗議しても落葉先生はアリスのコスプレのまま、私を放置した。片付けが終わると、
「じゃあ、来週……明後日からよろしくお願いしますね~。きっと子供たち大喜びしますよ~」
と言って帰ってしまった。私は絶望しながら玄関に佇んだ。
(えっ……ちょ、ちょっと、嘘でしょ……? こんな格好で、子供たちと……?)
脱ごうとしても、無理だった。見た目は服でも、実際はフィギュアクリームが変形したものにすぎない。体と完全に同化していて、引っ張っても皴一つできない。ニーソと手袋に関しては、もはや皮膚と化していた。
クリームのことをネットで調べて、他の服に変えようとしたが、落葉先生のアカウントで登録されているらしく、私には手出しできなかった。
「そ……そんなー……」
明後日、この格好で幼稚園へ行かなければならないのか……。周囲の目がヤバそうだ。胃が……胃が痛い……。幼稚園に行くまでの間、道行く人たちは私に注目するだろう。小人の痛いコスプレおばさんがいる、などと思うだろうし、ネットに写真とか上げられたら……。
癪だったが、落葉先生に送ってもらうことにした。責任とってもらう。
「もう~、仕方がないですね~」
あんたのせいでしょ。というか、服装変えてってば……。
送迎は了承されたものの、服装の変更は許してもらえなかった。惨めだった。自分の服を変えるのに他人の了承がいるなんて。私は落葉先生の人形じゃないのに!
職員室は笑いの渦につつまれた。私は耳先まで赤く染めて、スカートの裾を握りしめ、ジッと俯いているほかなかった。好きでこんな格好したんじゃないのに……。全部落葉先生が勝手に強要したのに、なんで私が大恥かいて嘲笑されなきゃいけないの。当の落葉先生も笑ってるし。
「ま、ま……いいんじゃないですか。子供たちには受け入れてもらえるんじゃないかと……」
大人には受け入れてもらえないってこと? そりゃいい年してこんな格好で出勤してきたらそうだろうけど……けど、納得いかない。
「落葉先生、普通の服に……」
「あ、時間ですよ時間」
落葉先生は軽ーく私を持ち上げた。突然だったので驚いてしまった。
「ひゃっ」
「やーん、可愛いー」
「お、下ろしてください!」
大きな腕にしっかりと抱きかかえられ、上半身は動かせなかった。両足をパタパタさせるのが精一杯。
「こらこらー、暴れないの」
な、何その口調……。まるで小さい子供に言い聞かせてるみたいに……。彼女は私を解放することなく、赤ちゃんみたいに胸に抱きかかえた状態で運ばれた。
「じ、自分で歩けますっ!」
「ほらほら、着きましたよ~」
そうこうしているうちに教室につき、ようやく床に下ろしてもらえた。
案の定、子供たちは大喜びで私にくいつき、あっという間に教室の奥に引っ張られ、ままごとの相手にさせられた。
「せんせー、かわいいー」
などと言って頭を撫でてくるのが、どうにもこっぱずしかった。無論羞恥心はあるんだけども、子供たちから可愛いと言ってもらえるのはその好意事態は嬉しかったし、受け入れてもらえたという安心感もあった。しかし落葉先生がニヤニヤしながら見つめてくるので、すぐに羞恥心が支配的になった。四歳五歳の園児たちの前で、アリスのコスプレをしていること自体が相当に痛々しくっていたたまれないのに、それを同僚にマジマジと観察されているのが死ぬほど恥ずかしかった。しかし、心底嬉しそうに私で……いや、私と遊んでくれる子供たちの前でブチ切れるわけにもいかず、ニコニコして子供たちの相手をしながら、必死に自分を抑えた。
お昼の時間になると、女の子たちがおかずを持って私のところにやってきた。
「はい、あーん」
「え? いや、気持ちは嬉しいけど、私はもうお腹いっぱいだから……」
「あー、ずるーい!」
「え? え?」
次々と女児がやってきて、私にご飯を食べさせようとしてきたのだ。自分の二倍弱ある子供たちが、フォークやスプーンを向けて迫ってくる光景は空恐ろしく、腰に力が入らなかった。落葉先生にアイコンタクトで助けを求めたが、
「もー、いいじゃないですか一口くらい」
そ、そんな……。周囲を囲まれて逃げ場が無くなった私は、仕方がなく、子供たちが差し出したものを一口ずつ頂いた。
「せんせー、あーんしてー」
目をキラキラさせて、楽しそうに迫ってくる大きな顔。そこには微塵の悪意もなく、好意でやっているのがわかる。だからこそ辛かった。無碍にもできない。泣かれたら困るし……。
「あ……あーん……」
私は大きく口を開けた。中にハンバーグの欠片が突っ込まれる。縮んだ私には結構な量だ……。それでも子供たちの手前、全部飲み込まなければならなかった。
全員分食べ終わると、もうお腹いっぱいだった。本当はこれから職員室で昼食をとる予定だったんだけど、もう無理だ。入らない。
「全部食べたの? えらいえらーい」
落葉先生はもう敬語も使わず、園児みたいに私に話しかけるようになった。ムカつく……。しかしもう文句を言う気力もない。しばらく横にならないと……。
おやつの時間。またしても私に「わけてあげるー」と嬉々として寄ってきた子がいたが、今度ばかりは丁重にお断りした。しかしその子はぷうっと頬を膨らませ、見るからに不機嫌になってしまった。
「もー、ダメじゃないですか園部せんせー。子供泣かせちゃ」
こんな時だけ普通に大人扱いするんだから腹が立つ。けど本当に入らないんだからしょうがないでしょ。
「あ、飲み物なら入りますぅ?」
「はぁ。そういえば喉乾いたかもしれませ……」
「ちょっと子供たち見といてくださーい」
落葉先生は意気揚々と教室を後にした。また何かろくでもないこと考えてそう。嫌な予感がする……。
彼女が得意満面で教室に持ってきたのは哺乳瓶。中身もある。それが目に入った瞬間、背筋に悪寒が走り、そっと逃げようとしたが、子供たちがスカートの裾を掴んで離してくれない。
落葉先生はさっきの子に近づき、言った。
「ほーら、これ園部せんせーに飲ましてあげて~」
女の子は一気に明るくなり、哺乳瓶を持ってこっちへ走ってきた。やっぱり……!
「ちょ、離して、ねえ」
「あー、いーなー」「ずるーい」
女の子たちはみんなして、私にミルクを飲ませたがった。じょ、冗談じゃない。この年になって哺乳瓶なんて……。しかし六十センチしかない私の力では、五歳の園児にさえ敵わなかった。ぬいぐるみみたいに抱っこされ、逃げ場を封じられてしまった。
「離して、ちょっと、先生、お腹いっぱいだから、ちょっと」
哺乳瓶が近づいてくる。いや……お願い止めて。暴れるとガッチリと強く抱きしめられ、身動きできなくなってしまった。次第に近づいてくる。あっ、あぁ……!
顔面にキャップの先が当たった。顔を横に向け必死に抵抗したが、落葉先生が割り込み私の頭をつかんで固定した。
「んっ……むぐっ……」
結局、口の中につっこまれてしまい、私は生暖かいミルクを無理やり飲まされる羽目になった。ゴクンと喉を通過していく度に、顔の赤みが増し、体が縮こまった。二十七にもなって、哺乳瓶……。しかも、アリスのコスプレをして、五歳の女の子に飲まされるだなんて……。その上、この様子を同僚に間近で見られているのだ!
(んっ……見ないで……あっち行って……)
涙が滲んできた。落葉先生は顔をほころばせつつ、私から視線を外さない。子供たちも……。
(もう、イヤーッ!)
「うぇ……」
解放された後、人生最大の恥辱とお腹が苦しいのとで、私はすっかり落ち込み、子供たち相手に作り笑いする気力も残されていなかった。しかし子供たちは大はしゃぎで、落葉先生も
「よくできましたー」
などと、飲ませた子を褒める始末。やってらんない。最悪……。
私の機嫌などお構いなしに、その後もままごとに引っ張り出された。
「ポンポンいたいの?」
私の体調が悪いのを逆手に取り、今度はお医者さんごっこが始まったらしい。私は適当にあわせることにして、横になった。
「うん、そう……。お腹痛いの……」
子供たちは私の服を脱がそうとしたが、どうしてもできないので、落葉先生に相談しにいった。しばしの休息。戻ってきた子供が、他の子どもに言った。
「せんせーは、このお洋服がとっても気に入ってるから、脱がないんだって!」
「えっ、ちょ、違う……」
ヨロヨロと上半身を起こし、落葉先生を睨みつけた。大声は他の子たちがビックリしちゃうから出せない。かといって、もうあそこまで歩く気力もない。キッと睨むのが精一杯。
ところが何を勘違いしたのか、彼女は片手でOKのサインを作ってみせた。
「えっ、えっ……」
「えへへー、せんせー、かわいいー」
子供たちはもうすっかり、私が好きでアリスの格好をしていると思い込んでしまったようだ。けどムキになって否定するわけにもいかないし……。うぅっ、悔しい……。
その日の晩、落葉先生に抗議した。しかし、「いやー、子供たち大喜びでしたねー」「あのくらいの女の子って、お世話するのが好きですからねー」と繰り返すばかりで、まったく手ごたえがなかった。会話が成立しない。職員室へ出向いて他の先生に報告しても、笑いながら頭を撫でてくるばかりだった。余りにも惨めだった。小さいっていうだけで、こんなにも対等に扱ってもらえなくなるものなんだろうか。私は子供じゃないし、ペットの犬でもないのに。
だが、まだまだ今日の困難は続いた。私はこのアリス姿のまま、自宅まで歩いて帰らなければならない。もう落葉先生に借りは作りたくないし、他の先生方にも子ども扱いされたくなかった。
「あら~」「可愛い~」
道行く人々は、私を小さい子供だと思うのだろう。なごんだ表情でそういう言葉を投げかけてくるので、恥ずかしくって死にそうだった。二十七歳だって知ったらどんな反応をするだろう……。
「君君。一人? 親御さんどこ? お家わかるかな?」
不運は重なり、私はお巡りさんに捕まってしまった。ど、どうしよう……。どうやら幼児だと思われているらしい。そりゃそうだ。この背丈、この服。免許証は財布にあるから、大人だと証明するのはたやすい……けど……。それをやったら、私はいい年してアリスのコスプレで徘徊する痛い女ということになる……。
決断が下せずモジモジしていると、お巡りさんが屈んで優しく微笑みかけてきた。
「だいじょうぶ。こわくないよ」
羞恥に加え、騙しているという罪悪感も加わり、ますます言い出しづらくなっていく。もう限界。無理。
結局、私は落葉先生を呼び出してしまった。あうう……。借り作っちゃったし、あのお巡りさんには幼児だってことになっちゃったし、もう表を歩ける気がしないよ……。
家まで送り届けてもらうと、彼女は意地悪そうに笑った。
「っふふ……。園部ちゃん、お家着きましたよ~。よかったでちゅね~」
「……」
私は何も言い返せず、小声でお礼を言って、逃げるように家に駆けこんだ。
翌日。出退勤を落葉先生に任せることになったので、迎えに来るまで、玄関で待っていた。一人で外出もできないなんて……。ホントに幼児じゃないんだから……。
幼稚園では昨日と同じように、子供たちから子ども扱いされ、撫でまわされ、玩具にされ、そして……再びミルク飲み人形を演じる羽目になった。何しろ落葉先生に送迎を頼んでいる手前、強く断れなくなってしまったのだ。ほかの先生方も面白がってけしかけるばかりだし、私は仕事ではなく恥をかきにきているようなものだった。
「園部せんせー、もっと楽しそうに遊んであげないと子供たちが可哀想ですよぉ」
「う……でも……これでも精一杯……」
「大人なんですから、ね?」
「……」
都合のいい時だけこうだ。そしてこれは、子供たちは私に「お世話しなければならない存在」でいて欲しいので、もっと立ち振る舞いを幼くした方が喜ぶ……というアドバイス。そんなの、恥ずかしすぎてできっこないよ……。ほかの先生方だっているのに……。
「じゃあ、形から入ってみるのはどうですぅ?」
「か、形……?」
見た目に関してはいまだに脱げないアリス服のままだし、もう十分貶められてると思うけど……。落葉先生がスマホをパパっと叩いてから、言った。
「ほら先生。自己紹介」
「え?」
「いーですから」
「な、なんでアリスが……え?」
今、私は確かに「私」と言ったつもりだった。なのに、出てきた声は……そんな……。
「あははは、ホントに変わっちゃった」
落葉先生が愉快そうに笑った。私は頭に血が上り、叫んだ。
「あ、アリスに何をしたんですか!」
その怒りは瞬時に冷え込み、私は真っ赤になって黙りこくった。落葉先生は、フィギュアクリームでアリス服を設定した時のアカウントで、私の一人称を変えたらしい。信じられなかった。私は人形じゃないのに。ただクリームを塗っただけなのに。口調を「設定」でポンと変えられてしまうなんて。
「も、元に戻してください……嫌です……こんな……」
百歩譲って、勤務中だけならまだしも、この分だとプライベートでも一人称「アリス」を強要されてしまうのは明らかだ。そんなの死んでもイヤ。どこにもいけなくなっちゃう。誰とも話せなくなる……。
「真面目にお仕事できたら、元に戻してあげますよぉ~」
「え、それって……」
「せんせー、ミルクー」
女の子が哺乳瓶を持ってやってきた。落葉先生が見ている。やる……しかないの。
「や……やったー! アリス嬉しい! 早く早くー!」
私は両手を掲げて、ピョンピョン跳ねながら言った。すぐに死にたくなってしまうほど恥ずかしかった。落葉先生は、私に子供たちの前では幼児的な振舞いをすること、という条件を出して、それがうまくいったら一人称を元に戻す……という条件を出した。私は当然、激昂して猛抗議したが、誰一人私の味方をしてくれる人はいなかった。私がいくら怒ってみせても、先生方はほほえましい猫の動画でも見ているかのように柔和に微笑むのだ。アリスの姿をした六十センチのフィギュアにいくら凄まれたところで、まったく迫力を感じないらしい……。
ミルクを飲むときも、精一杯の作り笑いを浮かべ、嬉しそうに飲んであげた。すると子供が喜ぶのだ。そしてその様子をみた落葉先生が喜ぶ。……はぁ。私も喜びたい。職場復帰してから、頭の血管によくないことばっかりだ。
その日一日中、いちいち大袈裟に喜んで見せたり、何が合っても笑って見せたり、大ぶりなリアクションで幼く見えるよう振舞った。にも関わらず、落葉先生は一人称を元に戻してくれなかった。
「な、何でですか?」
「えー、だってぇ、一日だけじゃぁ、ほらぁ。明日からも頑張ってね、ア・リ・スちゃん」
そ、そんな……酷い。そんなわけで、その日からは地獄だった。子供が私の頭を撫でた時、「えへへっ」と言いながら笑い、ままごとに全力でお付き合いして、おやつの時間には自分からミルクをおねだり……。こぼさず飲めたことを子供が褒めてくれたら、「えへん」などと言ってみたり……。
一人称がアリスになったことで、思わぬ弊害もあった。子供たちが、私のことを「アリスちゃん」と呼ぶようになったのだ。先生方ものっかって「アリス先生」と言い始めるし、散々だった。
(我慢、我慢……)
落葉先生が満足……いや、飽きて一人称を元に戻してくれるまでの辛抱だ。そう思って、私は頑張った。
とうとう、ある日、落葉先生が応じてくれた。
「あは、そういえばそんな約束してましたねー」
殴りたい。でも我慢だ。彼女がスマホを操作したあと、
「み、見せてっ」
と言うと、画面を確認させてくれた。……あー、語尾を上げるのが癖になっちゃってる……。うぅ。でもとにかく、一人称の設定がニュートラルに戻ったのを確認して、私は久々に安心した。
「よかったぁ。これでアリスも……あ、あれ?」
私はハッと口を覆った。今、私……なんて? 確かに「私」って……。落葉先生が笑った。
「あはは、アリス先生、なんだかんだ言ってすっかり気に入ってるんじゃないですかぁ」
「ち、違います! 落葉先生がまたアリスの一人称変えたんでしょ!」
「えー、さっき見せたじゃないですかぁ」
「嘘! また変えたんでしょう!」
落葉先生はめんどくさそうに、またスマホを見せてくれた。私は驚いた。一人称欄は、間違いなくニュートラルのままだった。
「う、嘘! じゃあなんでアリスは……ぁ」
「素直じゃないんですからぁ、いいんですよぉ、わかりますわかります」
落葉先生はニヤニヤしながら私の頭を撫でた。私が自分の意志でアリスという一人称を使い始めたと思っているらしい。とんでもない勘違いだ。
「だからっ、違います! 何かの間違いですよ!」
しかし、もう設定で強要されているわけではないことは明らかだった。原因は私にも落葉先生にもわからない。ただ一つわかっているのは、私の口から出てくる一人称は変わらず「アリス」に変換されてしまうということ……。
「アリスちゃーん、いい子にしてたー?」
「うんっ!」
翌日、教室にやってきた子供に対し、つい幼児っぽく返事してしまった。語尾を跳ね、両手をパタパタさせ、爪先立ちして……。言った直後、もうそんなことする必要がないんだと思い出し、気まずくてしょうがなかった。落葉先生ときたら、「やっぱりアリス先生もノリノリなんじゃないですかぁ」とでも言いたげに微笑んで見下してくるし……。
「えらいえらい」
その子が頭を撫でてきた。昨日までは「えへへ……」などと言ってぶりっ子していたが、今日からはもう……。と思った瞬間、私の顔が独りでに笑顔になり、口から「えへへっ」と声が出た。
(えっ、えっ、何、今の!?)
私は内心驚愕した。今、誓って私はそんな動作しなかった。しようと思っていなかった。むしろ逆……。なのに、体が私の意志とは別に動いた……ような……?
(き、気のせい、だよね)
だけど、そんなことありえない。きっと癖になってしまって、ついやっちゃったんだよ。だが、二人目がまたよしよししてきた時、私の体はハッキリと自動的に動いた。
「えへ~」
(う、うそ!? 体が、体が勝手に……!?)
異変は朝の挨拶だけでは終わらなかった。その後も、私はいちいち幼児っぽく大袈裟な身振り手振りで、言葉遣いも媚び媚びのままで、どうしても直せなかった。昨日までと同じような立ち居振る舞いをしてしまう。癖になった……そんな言葉では絶対に片付けられない。私の意志とは違う何かが、私に幼児ムーブを強制しているのは明らかだった。
「せ、せんせー、アリスね、体がね、変なのっ」
私は落葉先生に助けを求めたが、うまく喋ることができなかった。園児たち相手の幼児っぽい喋り方に、勝手に直されてしまうのだ。
「はいはい、わかってるわかってる。むふふー」
「ち、違うのっ、勝手にねっ、動くの!」
落葉先生は私の頭をポンポンと叩き、追い返した。本当に私が自分の意志でこんな言動を続けていると思ってるの!? またあんたが何かしたんじゃないの!?
子供たちにままごとに誘われると、体が独りでに駆け出した。
「やるやるーっ」
(や、やらないって! まだ話が……)
体が言うことをきかない。信じられないことに、ままごとも自動的に開始してしまったのだ。私は落葉先生を詰問しようとしているのにも関わらず。
(ちょっと……んっ……どうなってるの本当に)
手足に力を入れても、一時的に体の向きを変えるのが精一杯。次の瞬間、すぐ元通りままごとを再開させられてしまう。
(や、やだ……誰か止めて……)
何が何だかわからない。私はおかしくなっちゃったんだろうか。
おやつの時間になると、さらに酷いことが起こった。私の体が勝手にぴょこんと立ち上がったかと思うと、ピョンピョン跳ねながら
「ミールークー」
とおねだりし始めたのだ!
(なぁっ……何言ってんの私!?)
たちまちのうちに顔が真っ赤っかに火照り、今すぐこの場から逃げ出したくてたまらなくなったが、体が動いてくれない。
「はいはい、今用意しますからね~」
落葉先生がそういって教室から出ていった。ちょっと! 絶対、あんた何かしたでしょ!? いい加減にして!
また子供に抱っこされ、哺乳瓶を向けられた。
(も、もう飲まないからね!)
と固く心に誓ったのにも関わらず、哺乳瓶を向けられると、私はニッコリ笑って、両手を前に突き出し催促を始めてしまった。
(ちょ、ちょっと!?)
そして顔にキャップがあたる距離になると、私は大きく口を開いて、一切抵抗することなくそれを受け入れたのだ!
(いやっ、飲みたくない! 私赤ちゃんじゃないよっ!)
しかし、体は独りでに動き、ごくごくとミルクを飲んでしまった。飲み終えた後、園児が
「おいしかったー?」
と聞くと、私の口から自動的に
「うんっ」
と声が出た。
(あああああぁぁ!)
私は消えてしまいたかった。これじゃあ本当にミルク飲み人形じゃない!
その日の晩、改めて落葉先生に訊ねた。しかし、どうにも口調がおかしなままだ。
「せんせー、元に戻してよぉっ」
昨日までは、先生方とは普通に話せたのに……。一体何がどうなっているの。
「んもー、そんなに私のせいにしたいのぉ? じゃあ、今日は一人でお家に帰ってもらおうかなーぁ」
「あ……そんな」
「じゃあ、もういい加減その質問はぁ、なしってことでぇ」
「ぅ……」
家に帰ってから、フィギュアクリームについて調べてみた。すると、そのナノマシンにはなんと、学習装置という機能が搭載されていることがわかったのだ。これでわかった。一人称と、赤ちゃんムーブをクリームが学習してしまったから、体がおかしかったんだ!
(で、でも……どうすれば消せるの……)
アカウントは落葉先生のだから……彼女に頼まないと多分無理だろう。彼女は知っていて幼児ムーブを私にやらせたのだろうか。こうなるとわかっていて……。それとも、知らなかったか……。
次の日、車の中で私は先生に「学習結果を消してください」と言った。いや、言おうとした。ところが、口から出てくるのは
「せんせー、あの、あのねっ」
「ん? なあに? アリスちゃん」
「えと……あの……」
何故だか、うまく口が回らなかった。ど、どうして……。まごまごしているうちに幼稚園につき、抱っこされて教室へ運ばれた。
「ふふー、アリスちゃんも一人で教室いけるようにならないとねー」
「だ、だからっ、アリスの体が……あぅ」
どうしても、学習機能の件を言い出せない。理由……原因は何!? 絶対、クリームのなんかだ。でも、学習機能を知ったのは昨日のことだし、「それについて喋らない」なんて学習、しているはずが……。そういえば昨日、落葉先生に質問はなしって言われた気がする。……ま、まさかそのせい!?
(ででで、でも……なんで落葉先生に言われたからって、そんな……)
最悪の可能性が頭に浮かんだ。私が学習したのは、赤ちゃんムーブと一人称だけではないのかもしれない。
開園後、私は落葉先生に何か「命令」をしてみて欲しい、とお願いしてみた。
「えー? なぁに急に。んーと、じゃあ……ウサギさんの物真似!」
体がビクッと震え、私は最悪の予想が的中してしまったことを悟った。両手が勝手に動き出し、頭の上に乗っけて、ウサギの耳を真似たのだ。勿論、私の意志じゃない。それどころか、私は抵抗しようとさえした。しかし、腕に力を込めることさえできなかった。ウサギの物真似が優先されたのだ。
(あぁっ……やっぱり……私……私、「落葉先生の言うことを聞く」ことも学習しちゃってる!)
恐ろしい事実だった。落葉先生がわかっていてやったのならば、私は以後永遠に彼女の操り人形になってしまうのだ。学習機能のことを知らないのであれば……そのうち変な命令を出して、取り返しのつかない事態を招くかもしれない。どっちにしろ、洒落にならない事態だ。
「きゃー、かわいいーっ」
落葉先生は、ウサギの真似をしている私を撮りまくった。うぅ……。こんな姿を写真に残されるなんて……。
物真似終了後、私は改めて学習機能について注意しようと試みた……が、
「あのねせんせー、アリスの……アリスの……あれ」
やっぱり、ダメだ。昨日の「質問はなし」がずっと効いているらしい。どうしても、言葉にできなかった。まずい。非常にまずい。
地獄の赤ちゃん扱いを耐え、夜職員室に駆け込み、他の先生に注意しようとしたが、結果は同じだった。「落葉先生にいっちゃダメ」じゃなくて「いっちゃダメ」だったからだ……。
「あ、あうぅ……」
私は小動物に向ける生暖かい視線を一身に浴びながら、静かにしょげかえるしかなかった。
さらに次の日になると、ますます状況が悪化した。落葉先生は、「なんか知らないけど素直になった(言うことをきくようになった)」ということだけは認識しやがったらしく、私にあれこれ指図するようになった。そして私の体は、それに従ってしまうのだ。
「ほらアリスちゃん。着いたわよ~。今日からは一人で教室に行くの。わかった?」
「うんっ」
(やめなさい!)
私は天真爛漫な表情で元気よく答え、駐車場から一人教室へ向かった。ダメだ。日を追うごとに、クリームが体を支配する力が強くなっている。歩みを遅くすることすら至難の業だった。そしてこの命令は最悪もいいところだ。もう、私は「先生」として、朝、職員室に入ることができなくなってしまった……。
夜になると、落葉先生は「今日からは一人で帰ってね」と私に告げて、先に帰ってしまった。私は抗議することもできず、ハキハキと返事して、それに従わされた。
帰り道、いつぞやのお巡りさんと遭遇。私は恥も外聞もかなぐり捨てて、助けを求めた。
「あっ、あのね、お巡りさん! アリスね、大変なの!」
「ん? また迷子かい?」
「ちっ違うの! ……えっと……」
ダメだ。学習機能について、クリームについて、誰にも喋れなくなっちゃってる……!
「お家どこ……あ、近いね。じゃあ一緒にいこっか」
最後の切り札、免許証を切った。しかし、それはもはや意味をなさなかった。ごく自然に親のモノだと解釈され、私はおんぶされて自宅まで運ばれてしまったのだ。
「お、おろしてー! アリス、子供じゃないもん! 大人だもーん!」
次の日。私は一人で「登園」した。もはやお世辞にも出勤とはいえない。決して脱げない不思議の国のアリスの衣装に身を包み、幼児っぽい歩き方で往来を歩き、幼稚園についたら、職員室へは顔を出せず、自動的に教室へ向かってしまう。もはや、完全に園児の一人と化していた。しかも私はこの状況について、誰にも相談することができないのだ。
「おはよー、アリスちゃーん」
「えへっ、おはよー!」
(も、もう! 私は大人なの! 先生なの! こんな……こんな扱い……)
「良い子にしてたー?」
「うんっ。ナデナデしてーっ」
(ちょっと! やめて、お願いだからやめて!)
こうして私は、いつの間にやら「卒園しない園児、アリスちゃん」と化して、いつまでもこの幼稚園で子供たちの被お世話係を務めることになってしまったのだった。