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娘の宿題を手伝ってほしい。私は姉からそう言われて呼び出された。無論、最初は渋った。夏休みは長いのにちゃんとやっていなかったのが悪い。何より、今の私が駆け付けたところで何か役に立てるとも思えない。鉛筆で数字を書くことも大変なのだから。 タクシーの後部座席に沈みながら、外から見たらこのタクシーはお客を乗せていないように見えるんだろうな、とぼんやり考えた。女性の体が縮む不思議な病気が現れてからしばらく。私もその病気にかかり、身長30センチにまで縮んでしまった。当然、仕事は解雇。日常生活も四苦八苦するありさま。つつがなく普通の人生を謳歌している姉一家によくない感情を抱かないと言えばウソになる。とくに、まだ小さい姪っ子は私を人形扱い、ペット扱いで玩具にしてくるので苦手だった。なんで私があの子の宿題を手伝ってあげなくちゃいけないんだろう。大体、向こうから迎えに来るのが筋なんじゃないの。私はあの子より小さくって、外を出歩くのもリスクが大きいのに。 姉の家にたどり着くと、挨拶もそこそこに、姉は急いで風呂場に来るよう伝えた。姪の情けない声は二階の子供部屋から聞こえてくるようだけど。 「上じゃないの?」 「あっちはドリル。香に手伝ってほしいのはね、自由研究の方。あ、工作だっけ?」 「え?」 私はますます驚いた。この体で工作させる気? 一体何を作らせようっていうの? 大体、まだはいとも言っていないのに。 風呂場の古い洗面器には、灰色の液体……いや、粘土? ドロドロした灰色の物体が張られていた。 「さ、ここ入って」 「え?」 「早く早く」 姉は逃げる間も与えず私の体をつかみ、そのまま洗面器に広がる灰色の池に私を突っ込んだ。 「ちょっ!?」 すぐに半身が灰色のヌルヌルした液体につかり、身に着けていた白いワンピースもぐちゃぐちゃに汚れてしまった。病院で支給された服だけど、唯一まともな作りの服なので重宝していた。それを得体のしれない灰色の物体で汚された私は存外にショックを受けた。 「何すんの! この服大事なやつなのに!」 私は怒ったが、姉がまともに取り合うことはなかった。小さくなってからずっとそうだ。かわいい~とかなんとか言って、全部無効化されてしまう。スケール差というのは本能的に抗いがたい上下関係を発生させてしまうらしい。私自身、巨人と化した周囲の人々に、以前より従順になってしまっている自覚があった。今もこうして洗面器の中で姉を睨みつけているだけで、私の体はここから出ていこうとしてくれない。べちゃっとした灰色の物体は、まるで私を飲み込もうとしているかのように、体にまとわりつく。心なしか、浸かっている下半身が何かに覆われつつあるような感覚すらある。 「でも香だってー、裸は嫌でしょー?」 「? なに、どういうこと?ちゃんと説明してよ! これ何? 何の宿題!?」 腰を上げて立ち上がると、浸かっていた両手が灰色に染まった状態で姿を現した。それは粘土がくっついているとか、絵具で塗られたとかそういう感じではなく、手そのものがツルツルとした石材のようなものでコーティングされているように見えた。 「……?」 ゆっくり動かすと、手は動く。が、少し突っ張る。私の手に沿って、隙間なく灰色の液体が覆っている。 「えっと、だからー、娘の宿題になってほしいんだってば。言わなかった?」 「宿題に……なる? え? 手伝うって……」 話があちこちに飛ぶ姉の説明は非常にわかりにくいものだったが、彼女によると、夏休み明けに何か工作を一つ提出しなければならない。が、他の宿題も残っている中一晩で何かでっちあげるのは無理。だから、私をこの液体で固めて、粘土細工として提出しようというのだ! 「ふざけないで! そんなに絶対に嫌!」 「だーいじょうぶ。これ、化石剤って言ってね。生きたまま新鮮なまま食べ物を保存できるんだって」 「私は食べ物じゃないよ!」 「ペットもいけるらしいから、今の香もいけるでしょ。ダメだったら言ってくれればいいから」 「だから、なんで私が粘土細工にならなくちゃいけないわけ!? 私は宿題を手伝いに来たの! なりにきたんじゃないよ! 大体、提出されたら何日も帰れないじゃない! その間……」 「いいじゃない、ちょっとぐらい。どうせ暇なんだし」 私はカチンときた。縮んで以来、確かに私はろくに働いていないし、誰かとどこかへ出かけたこともない。でもだからといって、何日も子供の工作のフリをして小学校にいろだなんて酷すぎる。 「とにかくっ、私は絶対やんないからね! こんな……こんな……」 洗面器から出ようとしたが、両足が上がらない。 「あれ? 足……が……?」 私はワンピースの裾をつかみ、たくし上げた。膝より少し下までが、すでに灰色に染まり切っている。灰色の液体にずっと浸かっていた両足は、すでに芯までコーティングされてしまっているらしく、ピクリとも動かせなかった。 「あ、ああ」 しかも、すでに化石剤を浴びていた両手までもが、このタイミングで固まってしまった。私の指はワンピースの裾をつかんだまま、本当に石になったかのように動かない。裾をもったまま両腕を上下させることしかできなかった。 「わがまま言わないのっ」 姉はまるで子供を注意するかのような口調でそう言うと、私の体をつかみ、灰色の液体に全身を突っ込ませた。 「……っ!」 彼女は仰向けに、うつ伏せに、角度を変えながら念入りに私の体から灰色以外の色がなくなるまで何度も浸けた。洗面器から出され、床に置かれた時にはすでに全身がほとんど動かせず、彫刻のように全身を灰色にそめた姿が鏡に映るばかりだった。両手は裾をつかんでたくし上げたまま固まってしまい、表情も困惑を浮かべた情けない顔で時間を止められ、口答えもできなかった。 (うあ……あ……) 磨き上げられた石材のように光を反射する灰色の姿は、まさしく石像のようだった。 「うんうん、いい感じね。どう? 香、苦しくない?」 「……」 答えられるわけない。全身、魔法で石にされてしまったかのようだ。体を動かすという選択肢そのものが次第に封じられていく。神経がいうことを聞かなくなっていく。ただ、裾をたくし上げて直立した姿のままでいることだけを強要され続ける。 「よかった」 姉はなぜか沈黙を肯定ととらえたらしく、そそくさと片付けを始める。私は心の中で声を荒げながら、あんまりな姉の仕打ちに憤った。 「じゃーん」 「えー、これ、ほんとにおばさん? きれー」 「じゃ、あとは粘土を塗るのよ」 「はーい」 (ちょっと、やめて! 元に戻して! 私、あなたの宿題なんかじゃない!) 声も出ない、指一本動かせない。無力な彫刻と化した私は、石化した体のさらに上から油臭い粘土がべちゃべちゃと引っ付けられていくのを黙って受け入れているしかなかった。お姉ちゃんは私がこれを受け入れた、苦しくないと本気で思っているんだろうか。ひょっとすると、動こうと思えば動けるはずだと思ってる? 無理だよ。もう全身コチンコチンで、骨も筋肉も存在を感じ取れない。全身が均質な石の塊になってしまったかのよう。これ、本当に大丈夫なんだろうか。私はこの粘土とコーティングの牢獄の中で餓死してしまうんじゃ? だが、不思議といつまでたっても窒息の気配はなく、尿意も催さない。本当に体の時間が止まっているんだろうか。でも、意識と感覚はバッチリあるんだけど。 体に塗りつけられた粘土の塊は、姪が丁寧に薄く広げていく。以外にも手先が器用というか、割と凝り性なのかもしれない。しかしやはり低学年の子供、生きた彫刻と化していた私はすぐに粗雑な粘土細工に変わっていく。二重にコーティングを施され、私本来の特徴が消えていき、子供の工作に落ちていく。それがたまらなく屈辱的だった。 (ちょ……ちょっと! もう少し綺麗に……!) それどころではないはずだけど、仮に見世物になるのなら、できるだけ綺麗な姿がいい……という気持ちが姪の粘土弄りにアドバイスを送ってしまいそうになる。そしてそんな自分の心の機微が、まるでこの子の工作になることを受け入れてしまっているかのようで嫌悪感を抱く。 「お母さーん、できたよー」 「まあ。よかったわね~」 (こ……これが私なの?) 姉が見せてくれた私の写真。綺麗な粘土人形と化した私の姿がそこにあった。表情は笑顔っぽく造形されており、アニメのように大きな目が描かれている。顔の全面が粘土に覆われているのに前が見えるのが不思議だった。 ところどころに粘土の切れ目があるが、おおむね綺麗に伸ばされており、私のフォルムがよく再現されている。それだけに恥ずかしかった。両手でワンピースの裾をたくし上げた粘土の工作。私は明日、この姿で……学校に、小学校に提出されてしまう。この子の自由研究として。 (い、いや……そんな……) だが、体はピクリとも動かない。ただ黙って勝手な運命を受け入れることしか許されなかった。 「わあ、すごーい」「きれー」「うまーい」 (や、やだー、み、見ないで……) 翌日、私は姪の手でいよいよ教室にこの惨めな姿をさらされ、夏休みの宿題として提出されてしまった。当然のように注目を集め、姪は鼻高々だった。 (ひ、人を……粘土で固めただけのくせに……) 教室の後ろにあるロッカー。そこに子供たちの工作や研究誌が並べられていく。私は木製の貯金箱と段ボールのロボットの間に挟まれた。自分がこれらと同列の存在になってしまっているということが受け入れがたく、現実とは思えなかった。 (わ、私……こんな工作なんかじゃない……っ) ただ一人先生だけは「やれやれ」といった空気を醸しているが、「大人に作ってもらった」ぐらいにしか思っていないに違いない。まさか、生きた人間を石化して粘土で覆ったものだなんて発想すらしないだろう。 (た、助けてください……気づいて) 頭の中から念を送る。だが、先生は私の正体に気づくことはなく、つつがなく二学期の始業式は終わりを告げた。 懐かしい帰りの会が終わると、子供たちの一部は私に近づき、遠慮なく至近距離から観察してきた。男子の一部にはスカートの中を覗く子も。でも、私は裾をたくし上げたまま指一本震えることすらできず、なされるがままだった。 (こ、こら! やめなさい、ちょっと!) こんな小さな子供たちに何の抵抗もできず玩具にされる屈辱、さらには貯金箱や意味不明な置物と一緒に並べられて、同列に論評されるのが惨めだった。「自分の工作の方がすごい」と主張する男子がでるたび、私の心に奇妙な対抗心が湧き、それがまた私を痛めつける。 (わ、私よりすごいわけないでしょ!?) 生きた人間を固めた彫刻より、前衛芸術みたいな置物の方が優れてるなんてありえない。そしたら、そうしたら……私の立場が……。いや、そんな立場なんかどうでもいいじゃない! 昼過ぎには教室から誰もいなくなったが、すると今度は別種の辛苦が私を襲う。誰もいない教室に一人きり、動くこともしゃべることもできぬまま、子供の工作として陳列されているしかないのだ。肉体的な苦痛はないが、頭がおかしくなってしまいそう。 「あ、あれですよ」「へぇー」 たまに先生方がやってきては、私を見ていく。職員室でも評判をとってしまったようだ……。 「あはは、可愛いじゃないですか」「こりゃ、親にやってもらいましたね」「ま、それも風物詩ですよ」 (親に「やられた」のよ!) 心の中で助けを求めたり、必死に反論したりするも、誰一人私の存在に気づくことなく、「よくできた粘土細工」として評していくばかりだった。 (くうぅ……) いつまでこんな醜態をさらしていなければならないんだろう。早く元に戻りたい。お家に帰りたいよぉ……。 と思っていたが、翌日には私はたいして注目を集めなくなった。すっかりほかの工作や絵などと共に、教室の風景に溶け込んだのだ。すると昨日とは反対に、「私が無視されるのはおかしい」というフラストレーションがたまりだす。わざわざ生きた人間を使った工作なんだから、その分の扱いがあってしかるべき、他の工作と同列に背景化するなんて酷い。でも、子供の工作として提出されたこの哀れな姿をできれば見られたくない、注目を集めたくないという気持ちも変わらずある。 二つの相反するストレスに悩まされながら、私は黙って貯金箱の隣に立ち続けなければならなかった。 数日後。不幸なことに金賞に輝いた私は、「同期」たちが片付けられていく中、一人学校に残されることになった。玄関付近の廊下のガラスケースに、他の学年の優秀な自由研究と並んで飾られることになったのだ。 (や、やだー! やめて、帰して! 私は工作じゃないの! 人間なのーっ!) より気合の入った研究たちと同じ場所に収められた私は、以前とはくらべものにならないくらい多くの子供たちに醜態をさらすことになった。ケースの中なのでスカートを覗かれたりつつかれたりすることはないが、もっともっと大きな高学年の子供や、たまに保護者などにじっくり見られると、より一層羞恥心がたかぶる。逃げ出したい。でもできない。私はよくできた粘土細工としてケースの中で裾をたくし上げ続けることしか。 どれほどの日数が経ったかも曖昧になるころ、ようやく私は姪の手に返された。これで自由になれる。そう思い、帰り道でどれだけ揺らされようとも私は耐えた。 「ただいまー」「おかえりー」 だが、姪は姉に私が返ってきたことを特に報告することもなく、私の入った紙袋を学習机の脇に置き、それっきり触れなかった。 (ちょ、ちょっと! 言ってよ! 私が返ってきたって!) しかし、どれだけ待ってもその報告が行く様子は聞こえない。おやつの話題、友達との遊ぶ約束、見たい配信の話題……。一向に私のことはでない。金賞の話すらも。いや、それは金賞が決定した日にすでに報告済みだったのだろう。姪の中で、私はとっくに「終わった話題」なのだ。小学校低学年の姪にとっては、とうに懐かしき夏休みの思い出でしかないのだ。 とうとう、そのまま一日が終わった。私は紙袋の中から姪が寝静まる気配を悟り、忸怩たる思いで自らも寝付かなければならなかった。 (お姉ちゃん……お姉ちゃん。私よ。返ってきたの。気づいて) 姉が部屋に入ってくるたびに私は心の中で念じた。しかし、姉は学習机脇の紙袋に気づかないらしい。絶対、上から中が見えるでしょ!? と思うけど、ひょっとしてあいつにとってももう過ぎ去ったことでしかないのか、或いは本気で気づいていないのか……。しかし私からはどうにもできない以上、姉に気づいてもらうしか、私が人間に戻る手段はない。 じわじわと日が過ぎ去り、次第に私は焦燥感を募らせていった。まさか、まさかずっとこのまま……なんてことないよね? 私のこと完全に忘れるなんて……。嘘でしょ? このままいつまで部屋の隅で埃をかぶっていなければならないのだろうか。もうこれ以上、あの子の粘土細工でいるなんていやだ。元に戻りたい。 しかし、事態はますます悪化した。姉から部屋の片づけを命ぜられた姪は、あろうことか私もその対象に選んだのだ。 紙袋から取り出された私は、姪の胸に抱きかかえられ、工作の時間で作ったであろう作品たちが入っている引き出しが開くのを見た。 (え!? ちょ、ちょっとまって、嘘でしょ!?) 抵抗はおろか、抗議の意志を示す権利すら与えられず、私は彼女の工作の一つとして引き出しに収められ、そのまま引き出しは閉じられた。 (そっ……んなっ!) 「片付けたよー」 暗闇の外から姪の声が聞こえる。姉の声は聞きとれない……。だ、ダメだ。まずい。このままじゃ、本当に忘れられちゃう。変な薬剤で石化したまま、ずーっとこの引き出しの奥で……姪の懐かしい工作として生き続けなければならなくなるかもしれない。動くことも、喋ることも、何かの風景を見ていることすらできぬまま……。 (いやーっ! 助けて! ここから出して! 元に戻して! お姉ちゃーん!) 笑顔でスカートをたくし上げる粘土細工の声が、引き出しの外に届くことはなかった。

Comments

21ke13

Make a 粘土化 story will be funny !

opq

コメントありがとうございます。読んでいただけて嬉しいです。