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「もーそれしかないですよ花咲さん! このままじゃ凍結になっちゃいますって!」 「いや、だからって、そんな危険なこと、なんで私が……」 「危険だから説得力が出るんじゃないですかー!」 落葉さんは私に力説した。自らが実験台になれば、このプロジェクトが中止されてしまうことはない、と。私が指揮を執っているこの研究は、生物を生きたまま圧縮する……要は縮めるということだ。厳密にはもっと色々あるけど。装置はすでに完成し、理論も間違いない。しかし私たちはなかなか満足のいく結果を出せずにいた。現実はなかなか理論通りとはいかない。薬品のわずかな誤差が破滅的な結果をもたらす。失敗した野菜やモルモットは見るも無残な姿で装置から出てくる。ぐじゅぐじゅと蠢く真っ赤な肉片か、煤のような灰のような砂に崩れて出てくることも。とはいえ失敗ばかりではない。うまく「圧縮」された生物は樹脂のような質感をもった小さな生命体と化して装置から出てくる。まるでミニチュアのオブジェのようだが、生きているのだ。圧縮後はほとんど食事も運動もせずに長期間活動できるようになる。完成すれば様々な用途が考えられるのだが、圧縮成功率は60%で頭打ち。いよいよこのプロジェクトは中止寸前に追い込まれている。急ぎ結果を出さなければならない。できる限り精度は上げた。しかしこれ以上はもっと時間と予算が必要になりそうだ。しかし、もう私たちにそれを訴える力は残されていない。 私にとってこの研究は初めての大仕事で、なんとしても成功させたかった。日に日に焦りが増し、部下とも関係がギクシャクしている。このまま失敗すれば、社内の立場は間違いなく悪くなる。かといってここ並の他所へ転職できる自信もない。 終業後に酒をあおった私は、部下の落葉さんに愚痴った。その中で私が半ばやけくそ気味に 「いっそ、私が実験台になっちゃおうかな~ぁ」 とこぼしたところ、落葉さんが食いつき、話が長引いている。 安全性と熱意のアピール、そしてなにより圧縮した私をそのままにして中止するわけにもいかないから引き延ばせるだろう……という打算。圧縮に成功した場合は、もう一度装置に入れて解凍処置を行えば元通り復活できる。こっちはほぼ100%だから心配はいらないだろう。問題は圧縮の方。もしも失敗したら私は死ぬ。死体すら残らないかもしれない。もしもそんなことになったとしたら。考えただけでも恐ろしい。私の死もそうだし、部下たちもとんでもないことになる……。 「やるわけがないでしょう! ただの冗談だってば!」 「じゃあ、やっぱり花咲さんはあの装置が安全じゃないって思ってるってことですよね。主任がそれじゃあ、やっぱ打ち切りもやむなしですねー」 「いやっ、だから現時点ではの話で……」 いや、現時点で結果を出さないといけないのだ。将来的には安全に使えるといくら吠えたところで、その将来はこのままじゃ訪れない……。一体どうすれば……。 (私、が……) 責任者が自らモルモットになる。確かにアピールとしては有効か……も? それに、私が元に戻るまでは中止はなくなるだろうし。いや、すぐ戻れって言われるか。いや、そこでサッと元に戻ってみせればアピールに……。 いやいやいや、何を考えてるんだ私は。酒の席の冗談を、それも死ぬかもしれないアホな賭けをこんな真剣に考えるだなんてどうかしてる。やっぱり焦りでおかしくなってる。 落葉さんが酔いつぶれたことでこの話はこれ以上続かなかった。翌日の「吉報」がなければ、酒の席の冗談としてこのアイディアが復活することはなかったろう。 「えっ、量が安定したの? どうして?」 ノズルから噴射される薬品の量がさらに高精度で安定させられるようになったという報告。私は説明を受けるとすぐ実験した。野菜一つ、成功。二つ目、成功。モルモット一匹目、成功……。今日の実験結果は100%。これまでからは考えられない成果だ。 これで研究は続けられる。と思ったが、私は上司からプロジェクト凍結がほぼ決まっていると聞き、驚いた。急ぎ今日の結果をまとめて報告したが、まともに取り合ってもらえない。苦し紛れの方便だと思われているのだ。確かに、昨日までずっとうまくいかなかったものが急に一夜で大幅改善したと聞いても胡散臭いかもしれない。けどちゃんと報告書を読んでもらえればわかるはず。だけど、真剣に読んではもらえない。鼻から疑って読まれるものに説得力は出ない……。 (見てもらえば……見てさえもらえば、わかるのに) それもダメか。元々60%は成功してた。目の前で数回連続うまくいこうと、偶然で片付けられたらそこまでだ。それが百発百中にまで改善された装置。ここで中止したら、これまでの努力が水泡に。頑張って原因を究明してくれた部下にも申し訳が立たない。何か方法はないだろうか。真剣に報告を読んでもらう方法、信じさせる方法、一目でわかる改善の決定的証拠……。 (……やるしかない) 私の脳裏には、昨日の飲み会で口からふっとこぼれた冗談が再び蘇っていた。 その日の夜、私は落葉さんと社内に残り、自ら被験者になることを決めた。そうすれば、装置の安全性が高まったことがどんな馬鹿でもわかるだろう。……とはいえやはり、怖い。今まで散々失敗した動植物の末路を見ているのだから尚更。でも私が恐怖にすくむということは、この装置を信じていないこと、心の奥底で中止に賛同していることになってしまう。落葉さんにそう言われ、私は意を決したのだ。 全裸になり、大きな容器の中に入り、寝そべる。ちょうど人一人が横になれるぐらい。でも成人男性だとギリギリ無理な感じか。低身長の私で何とか。部下は全員私より身長あるから、もし人体実験を募っても、結局私ということになったろう。 ひんやりとした台の上に寝そべり、私は目を閉じた。あとは……運を天に任せるだけ。どうかうまくいきますように。 蓋が閉じ、光がなくなる。瞼越しにもわかる暗黒。心細い。不安が大きくなる。 (大丈夫……だいじょうぶ) しばらく待つと、四方八方から霧のような薬品の噴射が始まった。ここの調整にずっと苦労したんだ。どうか成功して……。 全身が雨に打たれるような感覚の中、徐々に全身に違和感が生じていく。妙なつっぱりを感じる。お腹もぐるぐると不快な感覚が駆け巡り、吐き気を催すようなそうでないような……あまり何度も味わいたくない気分だった。吐き気の幻覚とでもいうべきだろうか。そして股間に妙なくすぐったさ。 (……あ) 閉じる。はっきりわかる……。「圧縮」した生物はいろんなところが簡略化されて出てくる。人間に試したことはまだなかったけど……。どうやら色々となくなってしまうらしい。自分の体が異常な変身を遂げることに今更ながら本能的な悍ましさを覚える。でも途中で止めることはできない。もう始めちゃったんだ。それに、簡略化は解凍処置で元通りになる。圧縮が順調な証拠だ、むしろ安堵すべき……。と頭で考えつつも、徐々に全身が簡単に作り替えられていくことへの恐怖に心から打ち勝つことはできなかった。次からは麻酔でもした方がいいかもしれない……。改善点だ。生きていたらだけど……。 光が瞼越しに強まった。蓋の開く音とともに空気が流れ、閉塞感が消えた。 「花咲さん? 花咲さん? 終わりましたよー」 恐る恐る目を開ける。落葉さんの顔が私を覗き込んでいる。大きい。 「動けますか?」 ゆっくりと起き上がり、私は両手を何度も握り、ひらき、異常ないか確かめた。体は問題なく動く。違和感なし。目も見えるし音も聞こえる。寒さも……。 ぶるっと震えた瞬間、落葉さんの顔が引っ込んだ。しかし台がでかい。ギリギリだった棺は今や部屋ぐらいある。私は何センチになったんだろう? 落葉さんが持ってきたタオルにくるまれ、私は装置から取り出された。机の上に移動し、いつものチェックを行う。手慣れた手つきで工程をこなしていく落葉さんを見上げながら、私は少し怖くなった。圧縮は成功。死ななかった。でも、いつも見下ろしながら行っていた検査を、受ける側になっていることが妙に恐ろしく感じる。自分がモルモット側になったからか。それとも縮んだことで生物としての序列が下がったように本能が感じているのだろうか。今や巨人と化した落葉さんを見上げていると、私はなんとなく逆らう気力が湧いてこなかった。 「異常なし! 成功です! きゃー、おめでとうございます! これできっと研究続けられますね!」 「異常なし……ね」 私の身長は30センチほど。赤ちゃんより小さい。まるで人形だ。そして簡略化された肌は異常なまでに綺麗で、肌色一色に染まっている。血管も見えず、体毛もない。皺もシミもない。まるでCGモデルみたいな見た目だった。しかも、股間がなくなっている。マネキンみたいに平坦でのっぺりとしていて、なんの穴も残されていない。乳首も消滅し、私の胸は単なる肌色の曲面と化している。 鏡を見せてもらうとますます驚く。ぱっと見、私は私が私だとわからなかった。ゲーセンにでもあるような、女の子のフィギュアにしか見えなかったのだ。肌の簡略化は顔にも及んでいる。特徴をスポイルされた私の顔は、まるで漫画か何かのキャラクターのような風貌になっている。とても幼く見える。アラサーとは思えない。元々の低身長と相まって、すっかり子供っぽくなってしまった。髪も一つのパーツのようになっていて、塊に切れ込みを作って髪に見せているような作りに見える。つま先から髪先まで、全身がフィギュア状態だ。 「よかったですねー、かわいく圧縮できて」 「……どうも」 うわー、恥ずかしい。明日はこれでみんなの前に……上司の前に立つのか。いい年こいて痛い格好しているおばさんみたいな雰囲気にならないだろうか。いや心配すべきはそこじゃないし、それどころじゃないか、うん……。 翌日、研究室内は大騒ぎ。私と落葉さんをきつく叱るもの、急ぎ人形用の服を買いに走り、私を着せ替え人形にしようとするもの、冷静に身体検査の結果を検討するもの、午前中は針の筵だった。小さいから逃げることも抗うこともできないし。何しろ全員が巨人なせいで、私は皆に屈服するしかなかったのだ。精神が屈服を認めてしまい、頭でどう理屈をこねろうとも、プロジェクトリーダーとしていつものように振る舞うことはできなかった。自分が「指示」を出すことができず、「お願い」をしていることに気づいたのは午前が終わってからだ。 午後、私はどう考えてもアラサーが社内で着るべきではない可愛らしい人形の服を着せられ、上にお披露目された。相当のインパクトを与えられたらしく、研究中止は撤回させられたが、厳重注意と各処分を受けてしまった。まあしょうがない。ひとまずプロジェクトの危機は脱した。 あとは元に戻れば終わりなのだが、せっかくの機会だからと、みんなが人間を圧縮した時のデータをとりたいと言うので、私が解凍処置を受ける日は先延ばしとなった。まあ、それは当然だ。仕方ないよね。うん。私も同じことを主張したろう。 数日の経過観察の結果、モルモットたちと同じく、私はトイレに行くことも食事をとることもないまま、健康体であり続けることができることがわかった。股間が何にもなくなった状態で催せば最悪だったが、とりあえずそれは回避されたとみていいだろう。肌もずっと綺麗で匂いもせず、お風呂に毎日入る必要もなさそうだ。気持ち悪いから入れてもらっているけれど。 ここ数日で私が直面した最大の問題は健康面ではない。周囲の……みんなからの扱いだ。なにせ30センチのフィギュア人間と化してしまった私は、もはやみんなの上司とは本能的に目されなくなってしまったらしく、相当下に見ているとしか思えない応対が数多かった。人形用のやたらとかわいいデザインの服ばっかり着せられるわ、それで写真撮られるわ、コスプレさせられるわで精神がすり減る。この年齢でフリッフリな衣装を職場で着ている、部下にそれを見られているってだけできついのに、可愛い可愛いとおだてられるとますます顔が赤く染まる。皆本当にそう思ってる? マジで? まあ鏡や写真に映った私の姿は確かにまあ、似合ってるように見え……いや、認めちゃだめだ自分で。でも……でもまあ、客観的に見て想像よりマシには違いなかった。CGモデルのような肌、それに伴い非常に幼く、若返ったように見える顔。そして持ち前の低身長……。中学生設定の美少女フィギュアでも通りそうだ。しかしもとに戻った時、ちゃんと元通り皆と接することができるかが不安になってくる。あんな写真皆に撮られたんじゃあ、威厳もクソもない。それに年相応の見た目に戻れば、あれらはすべて痛々しいコスプレ写真ということになってしまうわけで……。 元に戻るのが怖い。しかし同時に楽でもある。家には帰れず、ずっと会社に寝泊まりしているが、身の回りのことは全部皆がやってくれるし、トイレ行かなくていいし、食事もお風呂も必要ない。一度この快適さに慣れてしまえば、人として生活するのが億劫になってしまいそうだ。 でも、会議やプレゼンにこの姿で出るのはやっぱりいたたまれない。元に戻って堂々と参加したい。しかし圧縮された私の存在のおかげで、各方面に大変な説得力を持って話を進めることができている。色々な理由が絡み、私はズルズルと元に戻る日を先延ばしにしていた。いやされているのか……。両方だ。 プロジェクトの成果がはっきりと認められたころ、もういいだろうということで、私が解凍されることがようやく決まった。気づけば二か月ぐらい家に帰ってない。部下たちが定期的に様子を見に行ってくれているけど、どうなっていることやら。 (またトイレ行かないといけない体になるのかなぁ) と思っては、それじゃだめだと自分に言い聞かせる。それが当たり前、それが生きてるってことなんだから。 しかし上司を弄れる残り日数が少ないとわかると、最近冷めていた玩具扱いが急速に熱を帯び、瞬く間に再ブームとなった。女児向け魔法少女のコスプレをさせてポーズ強要したり、アイドルみたいな格好をさせて歌わせようとしてきたり……。流石にそこまでは付き合えないため断っているけど、いつまでもつかもわからない。 そしてある日、部下の一人が大きな機械を持ち込んだ。 「それ何?」 明らかに私がらみの空気だ。嫌な予感がする。 「これはですねえ……」 容器内に入れたフィギュアにナノ繊維を噴射し、サイズぴったりの衣装を作る装置らしい。これでクオリティの高いコスプレを私にさせるつもりだ。 「な、なんで私がそんなことを……ってちょっと!?」 巨大な手が私をつかみ、有無を言わさず容器に詰め込まれる。小さいってだけで、明らかに扱いも軽くなっている。 「ちょっとー!」 中から容器を叩いても、30センチに圧縮されている私にはどうすることもできなかった。すぐ蓋が閉じ、無数のノズルから色とりどりのシャワーが降り注ぐ。圧縮装置と似ているが、違いは貼りついてくること。繊維が私の全身を包み込み、カラフルな染みが私の肌のそこかしこで生まれる。じわじわと広がり、繋がり、私の体を包み込んでいく。真っ白に染まっていく腕で必死に顔を覆いながら、私は体に張り付き同化していくカラフルな雨に耐えなければならなかった。 「かわいいー!」「似合ってるー!」 容器から取り出された私は、相当に恥ずかしい姿に変身してしまっていた。肘まで覆う長手袋、髪を彩るアニメみたいに大きな白いリボン、ピンク色のドレス、白とピンクのチェック模様の長い靴下。可愛らしいピンク色のぺったんこな靴。小学生でもしないだろうという恥ずかしい格好。こんな姿を社内で、巨大な部下たちに上から観察されるんだからたまったものじゃない。しかも今までの人形用の服とは違う。ゴワゴワチクチクしてペラペラだった着せ替え人形用の服とは異なり、私の体に一ミリの隙間なく張り付くようなジャストフィット、質感は樹脂のよう。私は最初からこの姿で造形されたフィギュアのようになっていた。完成度が高すぎて、恥ずかしさは段違い。 「こっち向いてー」「ポーズポーズ」 「ちょっ……待って、撮らないで……」 私は顔を真っ赤に染めて、小声でそう言いながら顔をそむけることしかできなかった。解凍されたとして、明日からちゃんとみんなの上司に戻れるだろうか。ここまで舐められるようになっちゃったらもう無理かも……。 撮影大会が終わった後、私は 「も、もういいでしょ? ほかの服出して!」 と叫び、手袋を脱ごうと手をかけた。その時、脱ぐとっかかりがつかめないことに気づく。あまりにもピッタリすぎて、引っ張れない。皮膚に張り付き、そのまま溶け込んでしまったかのよう。手袋と指先に隙間がない。生まれない。印刷されたかのように肌にフィットし続けている。 「ちょ、ちょっと、これ、脱げな……んっ……?」 ピンク色のぺったんこな靴が脱げない。足に張り付き、張り……いや違う。変な感覚。ない。隙間が。いや、そんなことありえる? 靴の中に隙間がないなんて。 「んっ……」 ダメだ。まるで私の足が靴の形に拡張されてしまったかのような感覚。この靴こそが私の足にとってかわったかのように、脱げない。指先は動く。動くけど、柔らかい素材の中で伸縮している感じ。隙間が生まれない。 最初は笑っていた皆も、次第に私の異変に気付きだした。ナノ繊維で形成された樹脂みたいな衣装は私の体と融合しているかのように離れず、どうしても脱げないのだ。 「あれー、変ですね。確かにジャストフィットするから着脱はしづらいんですけど、でもこんな風に張り付きは……」 「フィギュア用のなんでしょ? 人間にやっても大丈夫か確認したの?」 「いや、大丈夫なはずなんですけど……」 その後貴重な時間をつぶして検証が行われた。その結果、圧縮状態の生物にナノ繊維を噴射すると、繊維が半ば溶け出し、肌と融合してしまう可能性があることが判明。私は憤慨した。機器を持ち込んだ部下はこってりと目の前で絞られたが、それでは何の解決にもならない。このどピンクなコスプレ衣装が脱げない……? 嘘でしょ!? 「ど、ど、どうしてくれるの!? いやよ! ずっとこんな格好のままだなんて!」 よりにもよって、こんな……彼の言によると、女児向けアイドルアニメの衣装らしいけど、アラサーの成人女性が職場で着るようなものでは到底ない。いや職場とか関係なくアウト。小学生でもちょっと……って感じだろう。私はこれから解決策が見つかるまでずっとそんな非常識な姿でいなければならないのだ。耐えられない。 「明日の解凍は中止ですねー……」 私はさらにビックリ。そうだ。この変な繊維が肌にしみ込んだ状態では解凍処置ができない。どんな不具合がでるかわかったものじゃない。うう……ようやく明日、元に戻れるはずだったのに。そんなぁ……。私は自分の真っ白に染まった両腕を眺めた。艶々とした白い腕は、何度見てもフィギュアの腕だ。頭上に乗っかったデカい白リボンも、髪と融合してしまっている。せめてこれだけでも外せたらいいのに。 (さ、最悪……) 翌日。私は社外の人も交えた会議に出るはずだったのだが、急遽予定は変更。研究室内で待機。会議には出してもらえないことになった。当然だ。流石にこんな格好で人前にでることはできない。人形の服はまだ「サイズ的にそれしかないから仕方ない」感を出せたものの、このフィギュアのパーツみたいな質感の服はクオリティが高すぎる。私の趣味で、本気で着ている感が半端ないし、こんなみっともなさすぎる不祥事も知られたくない。そうすればまたプロジェクトの危機だ。 私の代理で会議に出向く落葉さんを、私は複雑な気持ちで見送った。 それ以後、プロジェクト責任者としては大体落葉さんが出ていくことが多くなった。なんだか手柄をとられたようでいい気はしない。でも私の代わりに頑張ってくれていることも事実。 (あーもう、せめてもうちょっとまともな服……だったら……) 当初は真剣に私を心配し、気を遣ってくれていた皆も、次第に元通り私をからかうようになり、沈痛な空気は一週間ももたなかった。何もかもこの衣装が悪い。女児向けアニメのアイドル衣装、それも全身どピンクじゃあ、深刻な空気なんていつまでも望めない。それどころか前にもまして愛玩動物か何かのように接してくることが多くなった。一応注意はするし、はっきりと不快感も示しているのだけど、通じない。そりゃそうだ。30センチの小人がこんな格好しているんだから当然だ。自分でもそう思ってしまうもの。衣装は樹脂のような艶々、テカテカした質感で、私の圧縮されたCG肌とマッチし過ぎている。最初からこの姿で生まれてきたのではないかと錯覚してしまうほど。当人ですらそうなんだから、上から見下ろす皆からすれば尚更だろう。 さらに日数が経つと、徐々に私の髪がピンク色に染まり始めた。根本から段々と黒かった髪がアニメのような鮮やかなピンク色に変わっていく。ペット用の遺伝子染色剤をいつの間にか飲まされていた私は、地毛そのものをピンク色に変えられてしまったのだ。あんまりな仕打ちに抗議しても、誰も真剣に取り合ってくれない。そっちの方が似合うから、可愛いから、そんな理由であっさりと人の、それも上司の遺伝子を改造するなんて信じられない。いつでも戻せるからと聞いても、心中穏やかではいられない。本当に大丈夫? 副作用はないの? 長らく切っていなかった髪は背中まで伸び、そのすべてがピンク色に染め上げられた。写真に映る自分の姿は、どこからどうみても既成の美少女フィギュアだった。これじゃあ、何を言っても可愛らしい幼児の反応ぐらいに受け止められてしまうのも無理はない。とはいえ受け入れるなんてわけにもいかず、私は抗議を続けた。 だが、私の懸命な抗議は逆効果だった。人の圧縮データは取り終わったし、この体ではろくに研究に携われない。そして表にも出られない。気づかないうちに、私は社内ニート……いやペットと化していた。無論、頭ではみんな私が上司でプロジェクト責任者であることは理解しているはずだけど、感情が、本能がそれを認めていないのだ。 ある日、小動物調教用のスプレーを浴びせられた私は、声を出すことができなくされてしまった。表面上はその方がメンタルケアにいいから……という理由だった。だが恐らくは仕事が何もできないお荷物のくせに、一丁前に文句だけはご立派な小人に発言権などない……深層心理下にそういうものがあったのだろう。 こうなってしまうと、外部に助けを求めることも難しい。口頭で細かい説明ができなければ、痛々しいコスプレ小人おばさんと看做されて終いだ。コミュニケーションをとるには表情と身振り手振りに頼るほかない。それも小さいので大げさに動きを大きくしなければ伝わりづらい。結果、自分でも情けなくて涙が出るほどに、私の振る舞いは幼児っぽくなった。 (ねー、ねー、ちょっと! ねえってば!) その場でぴょんぴょん跳ねてアピール。大きく手を振る。それがますます私の立場をペットとして固めていく。もはや私を上司どころか、対等な人間だと思って接してくれる人はない。微笑んで頭を撫でてきたり、幼児をあやすような風に「どぉしたの~?」と柔らかく訊いてきたり……。そして喋れない私は大まかな感情表現しかできず、結局何も伝えられない。大げさに悲しむ表情、落ち込む仕草、喜ぶフリ……。そんなものばかりが上達し、そして体に染みついていく。いい歳してこんなぶりっ子……いやぶりっ子どころじゃない媚び仕草に身をやつさなければならないとは、何たる屈辱。 (いつになったらこの服脱げるの? 誰か調べてくれてるの?) 二度と出せなくなった問いに答えてくれる人は誰もいない。 なんの仕事もこなせず、研究室の一角でただ可愛がられるだけの日々。徐々に順応してしまっている自分が嫌になる。撫でられると嬉しそうな仕草を返してしまうし、可愛いと言われると照れてしまう。こんな反応してちゃダメ、歳を、立場を考えて……。頭ではそう思っていても、体がついていかない。このままじゃ本当にペットになってしまう。すっかり事実上のプロジェクトリーダーとしての立場を固めた落葉さんを見ていると、焦燥感が増すばかり。彼女は私の部下だったのに、今や立場は逆転……。いや逆転で片付けていい問題じゃない。私は事実上人間ですらなくなってしまっている。私のキャリアと立場が永遠に失われてしまう。でも今の私には順調に経験を積んでいく彼女を上目遣いで眺めていることしかできない。 (誰か……あぁ……助けてぇ……) 落葉さんの指に頭をこすりつけ、惨めに媚びを売りながら、私は天に助けを求める。

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