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「おはよーヨーコちゃん」 「おはよー」 私は挨拶を返しながら自分の机に向かってふわふわと飛んだ。椅子より広い机の上に着地し、すり寄ってくるクラスメイトたちをぼーっと見上げる。皆私の周りに集まると即、指先で頭を撫でてきたり、お菓子を押し付けてきたり、「かわいい~」を連呼しながらほっぺたに指をスリスリさせてくる。どうしようもないので私も頭を預け、それに応えてしまう。すっかりペットみたいな扱いだ。しかし無理もない。私だって、違う人が犠牲者だったらきっと同じ反応をしたんじゃないかと思う。 「おっはよー。……ふふっ」 冗談みたいに大きな黒い三角帽子を被った女が教室に姿を現した。彼女の名は羽竜レベッカ。私を身長30センチほどの妖精に変えてしまった張本人。彼女は好きになんでも世界を改変してしまえる不思議な力を持っていて、私は彼女によって高校入学以来散々な目に遭わされまくっている。 「ヨーコちゃんてば、もーすっかり妖精が気に入っちゃったみたい」 「そ、そんなわけないでしょ。早くヨーコを元に戻してよ」 高校生にもなって一人称が自分の下の名前なのは痛すぎるけど、断じて自分の意志ではない。これもレベッカの力で強制されているのだ。 「そーお? ずいぶん嬉しそうにほっぺスリスリしてたけど」 えっ、そ、そんな顔に出てた? ……じゃなくて! 別にそれはその……違くて。 反論しようと立ち上がった矢先、全身にあの感覚が走った。体の芯から徐々に体が硬化していく。 「あ……」 私は顔を赤く染め、レベッカを上目遣いで見上げたまま、全身がカチコチに固まり、お人形に変身してしまった。これもレベッカが私に与えた変化の一つ。トイレ等の生理現象がなくなる代わりに、不意に全身が固まり、フィギュアのようになってしまう体質にされているのだ。こうなると数分経たないと動けない。当然、声も出せない。 レベッカはまるで小さい子供を相手しているかのように、ニヤニヤと笑いながら私を小突いた。私は何の反応も示せないまま、カタカタと前後に揺れるだけ。 (うー!) 周囲のクラスメイトも、生暖かい空気で私を見下ろしている。突然動かなくなった私に対し、誰一人違和感を生じさせる者はいない。これはレベッカの力の性質。彼女によってもたらされた変化は、誰にも認識できないのだ。最初からそうであったかのように、ごくごく当たり前のことであるかのように扱われる。だから高校のクラスメイトが妖精、それも腰まで伸びるアニメみたいなピンクの地毛の持ち主であったとしても、誰も騒いだりしない……。が、なぜか私だけはレベッカによる変化を認識することができてしまう。だからリアクション役として、こうして玩具にされているわけだ。はぁ……。 硬化が解けるころにはレベッカは自分の席に戻り、みんなの会話も次の話題に移っていたので、私は彼女に反論する機会を失った。別に妖精生活気に入ってなんか……ないし……。そりゃ、一方的に可愛がられりゃ悪い気分ではな……いやダメダメ! 流されちゃ! 私は人間なんだから! 一生妖精なんて無理! ……の、はず。 もうすぐ夏がくる。水泳の授業が始まる。学校指定の水着を用意しなくてはならないのだが、私には困った問題があった。購買に私が着られる水着はない。当然だ。妖精なんてこの世に存在しないんだから。私以外。 今私が着ている制服、家にある数々のコスプレ衣装、全部レベッカが魔法で生成したものだ。私は高校生になったのに、自分で自分の服を買いに行くこともできてない。水着を手に入れるには彼女にお願いするしかない。しかしそれは私にとっては大変な屈辱を伴うミッションだった。 (あぁー。やだなぁー) 裁縫とか始めよっかな。いや、この体じゃ無理かな。私は昼休みにレベッカの席に飛んでいき、小さな声で頼んだ。水着を出してくれるように、と。 「ん? あらー、へー」 レベッカはまた意地悪そうに微笑む。まるで小さい子供のわがままを聞いてあげていますよ、みたいな空気を醸し出してくる。それが私には心底苛立たしかった。 「元に戻してくれる、でもいいんだけど?」 「なーに言ってるのヨーコちゃん。もう全部戻してあげたじゃない」 「どこが?」 蝶のような形をした透明な羽をもって目の前に浮かんでいる妖精が私本来の姿だとでも言いたいわけ? その時ポワン、と軽い発砲音が響き、私の視界は白い煙に包まれた。霧が晴れると、ずいぶんと体が心もとなく感じた。軽い。そして肌に張り付くこの感覚は……。 「ああっ!?」 私はいつの間にかスクール水着姿にされていた。冗談じゃない。男子もいる教室の真ん中で! 「ちょ、ちょっと、何してんの、元に戻して!」 「えー? もー、わがままなんだからー」 当然と認識されるからか、教室は私の水着姿に何ら反応を示さない。しかし私にはとんでもなく恥ずかしい状況。どこをどう隠せばいいかもわからないまま両腕を上下させ、腰を曲げながら私はレベッカに懇願した。 「水着出してっていったのはヨーコでしょー。さーお弁当お弁当」 「今着せてなんて言ってないでしょー!」 真っ赤になりながら叫ぶと、そのせいで周囲の注目をひいてしまった。女子も男子も近くにやってきて、私に声をかけてくる。 「どしたのどしたのー?」「かわいいー」「羽鳥さん何ー?」 「あ……いや、えっと……」 私はへなへなと机上に着地し、その場にうずくまってしまった。 「んもーヨーコちゃん、そんなんで水泳の授業出られるのー?」 プールで水着になっているのと、水泳の授業でもないのに教室で水着になっているのは全然違うでしょ! レベッカの言に私は反論したかったが、私を見下ろす巨人たちの顔の視線に、なかなか彼女と話す勇気が湧いてこず、その日の午後はずっと水着で過ごす羽目となった。 高校で初めての水泳。私は池のように大きなプールを見ながら不安を膨らませた。休むのは選択肢になかった。口実も思いつかないし、レベッカに屈するみたいで気分よくないから。しかし思ったより怖い。決してカナヅチではないんだけど、今の私に人間用のプールはスケールが大きすぎる。 「あれ? 羽鳥さんもしかしてお水怖いの~?」 不安が態度に出ていたのか、クラスメイトたちが弄り始めた。 「ふぇっ!? いや、別に……!?」 しかし、一度そう認定されてしまうと覆せない。何しろ私は社会的にも、物理的にも小動物ポジだから、レベッカに限らず玩具にされる以外ない。次々と 「へーきへーき」「お手手繋いであげる~」「かわいい~」 などと声が飛ぶ。うう……妖精にされてなければ普通に泳げるのに。 恐る恐るプールにつかると、やっぱり恐怖を感じずにはいられなかった。足がつかない。当たり前といえば当たり前だけど、底まで自分の数倍ある水深は初めて。しかも、周囲の波が強い。そう、「波」だ。普通ならなんてことない水の流れが、今の私には全身を持っていかれそうな波に感じる。 「ほーら、羽鳥さん」 「?」 おびえてる私の周囲に人だかりができていて、いつの間にか幼児の水泳指導みたいな空気になっている。レベッカ以外からもナチュラルにそういう扱いを受けるのが悔しい。 「よ、ヨーコちゃんと泳げるからっ」 私は前を開けさせ、久々に水に潜った。クロールで25メートル泳ぐぐらい余裕だし。そう思って腕を振るい、水を掻いたその時。 (いたっ) 羽に腕がぶつかり、私はそれ以上クロールを続行できなかった。 (えっ、ちょっ、邪魔……) やむなく水泳を中止し顔を上げると、みんなのニヤニヤした顔が並んでいた。「やっぱり泳げないんじゃん」といった空気だ。 私は背を向け、もう一度チャレンジすることにした。私は皆と同じだもん。妖精でもペットでも下級生でもない。 肩甲骨に力を込め、なるべく羽を垂直に立てながら、再び水を蹴った。だが間の悪いことに、例の「生理現象」がやってきた。 (えっ、うそっ、ちょっと待って、やめ……) 遅かった。全身が見る間に硬直し、水着姿の妖精フィギュアと化した私は、音もなく水の中に沈んでいく。自分の背丈の何倍もある深い深い水の底に。 (ーっ!) このまま溺れるかとおもった瞬間、巨大な手が私を救い上げた。水上に出た私は手の中で転がり、手の主の顔を見た。レベッカだった。 (ああ~っ!) よりによって彼女に助けられるなんて……。しかしいまだ硬直が解けない私は、溺れかけた無様な格好のままプールサイドに置かれた。 「もー、見栄張りねー」「泳げないのに無理しちゃだめだよー」 (そ、そんな……) この一件をもって、私は泳げない子ということになってしまった。指一本も動かせない中、皆に投げかけられる慰めの言葉に私は心の中で身悶えした。 その後はレベッカの指先を両手でつかみながらバタ足を練習させられ、まったく惨めな時間を過ごす羽目になった。 「はいはーい、あんよは上手ー」 「元に戻してよー。この体じゃなかったら泳げたんだからー!」 「はいはい」 「いや、ほんとに……強がりじゃなくって……」 「がんばれー」「羽鳥さんファイトー」 すれ違いにそんな声が飛ぶと、私はもう反論する気力もなくなり、小学生みたいな水泳授業を一人でレベッカの心行くまで味わわされるだけだった。 散々だった。もう次から休んだほうがいいかな。でも泳げないから拗ねたなんて思われた日には……。 「どえー!」 シャワーを通過しようとした瞬間、勢いよく大きな水の塊たちが私の全身を攻撃。地面にたたきつけられるかと思うほどにバランスを崩した。それを見てまたみんなが笑う。 (もー、やだー!) 高校生に……妖精になってからもう三か月以上。一学期終わるまでずっとこのままなんだろうか。また人間として登校できる日は来るんだろうか。すっかり習慣になってしまったコスプレ自撮りを自室で行いながら、私はぼんやりと先のことを考えていた。レベッカに自撮りを送ったあとベッドに転がり、衣装が皺くちゃになるのもお構いなしに、私はゴロゴロ転がった。でも最近は以前ほどパニクらなくなってきた気がする。慣れちゃったのかな。だったらヤな慣れだなぁ。最初のころはレベッカに次何をされるのかと恐怖と不安でいつもいっぱいいっぱいだったっけ。ここしばらくはそういうこと考えてない気がする。水着どうしようとか、割と現実的なというか、地に足の着いた悩みが多いような。 そして私は、ここ最近は大きな変化をレベッカにかけられていないことに気づいた。からかいは今も続いているけど、それ以上はよく考えたらない気がする。もう私で遊ぶ気はない? でも妖精のままだしな。 翌日、それとなくレベッカに訊いてみた。すると案の定 「なぁに~? もっと色々変化させてほしいの~?」 と返ってきたので、私は即座に否定した。レベッカはこれ見よがしに黄昏たムードを出しながら言った。 「んーねえ。今まで色々遊んできたじゃないー? なんかもうやり切ったっていうか、面白いの思いつかないなーって……ちょっとお休み欲しいかもー。充電期間」 な、なにそれ……。さんざん人のこと玩具にしておいていきなり。 「飽きたんならもういいでしょ? ヨーコを元に戻してよ」 「だぁめ。ヨーコちゃんはそっちの方がかわいいもん」 彼女は悪戯っぽく笑った。そこは譲る気がないらしい。 「いいよ別に新しいネタとか考えなくても。ヨーコこれ以上玩具にされるの嫌なんだってば」 「じゃ、妖精さんはいいんだ~?」 「そうじゃなくて~」 あーダメだ。話が通じない。当面は妖精のまま元に戻す気はないっぽい。でも、これ以上変化させる気が今はないってのはよかった。ホッとする。でも後が怖い気もする。このまま飽きてくれればいいんだけど。私のほかに彼女の玩具役やれる人が現れないかなぁ。って、そんな考えを持ってしまう自分が嫌だ。 その日の放課後、私は公園のベンチで固まっていた。突発的に起こる硬化現象が下校中に発生したのだ。自宅や学校ならまだしも、完全な外部で人形化してしまうといつもとは違う恥ずかしさと恐怖がある。誰かに誘拐されたりしないだろうか。写真はもう数枚撮られた。 突然ベンチが揺れ、私は前に倒れてしまった。 (痛い!) 受け身をとることはおろか、筋肉が衝撃に備えることすらしてくれないため、痛みがダイレクトに全部くる。顔面からベンチにぶつかったのもあり、すごく痛かった。 「あっ、ごめん、大丈夫?」 爽やかな男の声が頭上から響き、硬い手が私をつかみ、再びベンチに立たせた。 (ん、あ、誰?) 私は目の前の公園を眺めていることしかできず、隣に座った人の姿を見ることができない。声と雰囲気からしてなんとなく同世代っぽい。みっともないところ見られちゃった。やだなぁ。 しばらくして体が自由になったので、私はようやく声の主の方に体を向けた。彼は高校生だった。高校でもうちとは違う。確かこの制服は……北高? 彼は私が自分を見ていることに気づき、食べていたアイスと私に相互に視線を動かしたあと言った。 「食べる?」 「いや、結構です……」 彼は名を鳥飼くんと言って、やはり北高の生徒だった。私の自己紹介にも彼は一切不審がらない。やはり、レベッカの変化は世界すべてに作用しているみたい。妖精の高校生に驚きもしないなんて。わかってはいたけど、改めて逃げ場のなさに落胆する。 「じゃ、またねー」 アイスを食べ終わった彼は立ち上がり、この場を去った。またねとは言っても、もう特に会うこともないだろう。と思っていたのに、翌日も下校中に彼を見かけた。向こうも私に気づき、軽く会釈した。 毎日ではないものの、その後も下校中にたびたび遭遇。どうやら帰るタイミングがここで重なるらしい。急にそんなことある? と思ったけど、今までもずっとすれ違っていたのかもしれない。お互い存在を意識していなかっただけで。 再び下校中に硬化してしまった時、彼が通りかかった。彼は私を撮っていた小学生のグループを解散させ、私が動き出すまで傍に立っていた。 「ど、どうも……」 なんとも気まずくて居心地が悪い。知り合い……といってよいのか微妙な男子、会話に困る。ましてや自分の醜態を見られた後だと。 「羽鳥さん、それって毎日?」 「え?」 ”それ”が硬化だと気づくのに数秒を要した。 「あ、うん……毎日っていうか、時々? 日に数回」 「ふーん、大変だね」 「え?」 びっくり。そんなの初めて言われた。皆私の硬化は無視するかからかうのが常なのに。 「大変だけど、うん、しょうがないかな……って」 私はふわりと浮かび上がりながら答えた。 「それって、なんでそうなるの?」 「?」 これまたびっくり。皆普通のこととして受け入れてきたのに。 「それは、えー……と」 しかし困った。レベッカのことを言うわけにもいかないし。いや別に言ってもいいか。でも信じてはもらえないだろうなあ。けど、どうしてココ突っ込んでくるんだろう。ひょっとして私と同じように耐性持ち? 「逆に訊いていい? なんでそれ気になるの?」 私は期待に胸膨らませて回答を待った。ひょっとしたら仲間かもしれない。 「ん? あーまあ、鳥とか好きでさ、それで」 「……鳥?」 彼はスマホに収めた野生の鳥たちの写真を見せながら、いつもよりちょっと熱のこもった調子で説明してくれた。その説明が右耳から左耳に通過するに従い、私の落胆は大きくなった。なんだ……レベッカに耐性あるわけじゃなかったんだ。単なる鳥好き……。って、私は鳥なの!? その場では言わなかったけど、私はムカムカして仕方なかった。妖精であっても、一応同じ高校生として、人としては皆接してくれてたのに。動物扱いなんて失礼すぎるよ。私は鳥じゃない。 しかし、その日から私と鳥飼くんは会えば軽く会話を交わすようになった。やっぱり私は目立つのか、向こうから見つけて声をかけてくることが多い。会う時間帯と場所はなんとなく大体決まっているので、下校中そこに差し掛かると、私は彼を探すようになっていた。会わない日も結構あるし、そういう日はなんとなく残念な気分で、夜のコスプレ自撮りにも身が入らなかった。レベッカに叱られた時、ふっと私の頭の中に「鳥飼くんに送るんだったら気合入れるのに」という考えが浮かび、私は慌ててそれを否定しなければならなかった。何考えてんの私は。そんなのありえない。死んじゃう。恥ずかしすぎて死ぬ。 次の日鳥飼くんと会うと、昨日思ったよからぬ思いが頭をもたげて、一人でいたたまれない気持ちと闘わなければならず、非常に気まずかった。それに彼と話をする際、一番きついのは一人称。高校生にもなって自分を「ヨーコは~」といっちゃうのはあまりに痛い。でも勝手にそうなるし、そうとしか書けない喋れないから仕方ない。でも私には耐えがたい苦痛だった。鳥飼くんと話す時だけでも一人称戻してくれないかな。そんな風に思う日々だった。 一学期も終わりに近づいたある日の放課後。教室から出ようとした私にレベッカが声をかけてきた。 「一緒にかーえろ」 「えっ? いや、でも……」 またいつもの場所で鳥飼くんと会えるかなー、と思っていた私は面食らった。ここ最近わりかし放置気味だったのに、どうしていきなり? 「新しいアイディアができたのよー。すっごく面白いことになるから」 嫌だ。絶対に碌なもんじゃない。それに、レベッカと一緒だと鳥飼くんと二人になれ……いや、彼が危ない。悪戯の標的にされたらどうしよう。取り返しのつかないことになるかも。 「い、いいよ。一人で帰るから」 「んも~、そんな拗ねないのっ」 別に拗ねてなんかない。しかしどうせ逃げられないんだし、むしろ彼女の機嫌を損ねるのはよくないかも。どうか今日は鳥飼くんと会いませんように。 下校中、私は違うルートから帰ろうと別の道へ飛んで行ったが、そのたびにレベッカに引き戻された。体が勝手にレベッカの方へ引き寄せられるのだ。 (うう……そ、そんな……) レベッカはニコニコと私を見つめるだけ。まるで犬の散歩につきあってやっている、かのような態度。私は心底腹立たしかった。どうか彼女の力が彼に及びませんように。 が、願いむなしく私は通りの向こうに彼を見つけてしまった。思わず目を伏せ、顔も背ける。無視。そうだ無視しよう。ごめん鳥飼くん、今日だけは……。 と思ったのつかの間、振り返った彼が私に気づいた。近づいてくる。やばいよ。どうしよう。私は身振り手振りで「こっちへ来るな」と伝えようとしたけど、それがかえってレベッカの興味を引いてしまう結果となった。 「なぁにい? ダンス?」 彼女は私の視線の先に、向かってくる男の子の存在を見てしまった。彼は夏だというのに暑苦しい魔女の格好をしたレベッカに無警戒なまま近づいてくる。 「羽鳥さん、帰り? 友達?」 「あっえっと、この子は……同じクラスの、うん……羽竜、さん」 私はたどたどしく応対しながら、内心混乱状態だった。あああやばいやばいよ。レベッカが彼に変なことするまえに終わらせないと。 「ごごめん、私、今日は用事が」 「あんた誰?」 「俺鳥飼。北高一年。よろしく」 私は飛び去ろうとしたが、謎の力で体が勝手に戻ってしまう。離れられない。ううう……。 「知り合い?」 レベッカは私と鳥飼くんを交互に見ながら怪訝そうに尋ねた。認めないわけにもいかない流れだ……。 「う、うん」 ちょっと胸が痛んだ。ただの知り合い……なのかな私たち。友達……いや連絡先も知らないし、別の高校だし、単なる知り合いなのかもしれない……。たまたまこの辺でよく会うだけの……。 レベッカは急にニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべ、私に耳打ちした。 「え、何~? 最近妙に早く帰ると思ってたらぁ、そういう~?」 「えっ、いや、違うよ。別に。関係ないし」 「でもダメよ。ヨーコちゃんは私のものなんだから」 「待ってやめてレベッカ、違うの! 誤解!」 「女の子にな~れ!」 レベッカがどこからともなく取り出した木の枝をくるくる回し、彼に向けて叫んだ。私は絶望して両手で顔を覆った。ああああ、終わった。違う、違うし、私は別に、鳥飼くんとそういうんじゃ……私のせいで……。 沈痛な静寂ののち、私は恐る恐る指の隙間から様子を覗いた。困惑した表情で前を見つめるレベッカ。視線をスライドさせると、これまた困ったような表情の鳥飼くん。 「ん? あれ?」 レベッカは何度も首をひねり、枝を捨てた。 「えい! ……えい! ほりゃ!」 レベッカは懸命に鳥飼くんを睨みつけながら何度も奇声を上げた。彼は助けが欲しそうに私の方を見た。 「えーと、なんなの、これ?」 目の前で繰り広げられている奇行が理解できない……って感じ。鳥飼くんはさっきまで同じで、特に変化は見られない。変だな。レベッカが魔法をかけた……現在進行形でかけようとしているはずなのに。そういえば、いつもの煙と音も出なかったような。 「えーと、ちょっと変な子なの」 「ああ……」 私がそういうとレベッカは珍しく顔を赤くしてこっちを向いた。 「んなー!」 彼女の絶叫と共に、ボワンという発砲音が響き、私の視界は白い煙に包まれた。 (ふわっ!? ちょっ、なんでこっちに!?) 一瞬体の感覚がなくなり、次の瞬間、芯まで硬く冷たい全身の感覚が与えられた。人形化した時のように動けない。でも何か違う。全身が重くて冷たくて……一体何をしたの!? 煙が晴れると、私は猛烈な違和感に襲われた。小さい。世界が狭い。巨人がいない。私と同じ目線で、懐かしい普通のサイズで二人が立っている。 (えっ……何!? 元に戻った!?) 間違いない。もう妖精じゃない。普通の大きさに、人間サイズに戻ってる。 しかし、私はどれだけ頑張っても、その場から動き出すことはおろか、うめき声一つ漏らすことができなかった。全身が固まっていて動かせない。いや、動かすための骨も筋肉も存在していないような気がする。手足が芯まで同じ素材で詰まっているかのような……。 「ねー、この石像見える?」 「えっ? あ、うん……これがどうかしたの?」 レベッカが鳥飼くんにそう言った瞬間、ようやく何が起きたのか理解した。私は石像にされてしまったのだ。 (そっ……そんなぁ! 元に戻してよぉ!) ひ、酷い。これじゃ何にも……。まさか一生このまま!? (た、助けて……) 私は心の中で、目の前の鳥飼くんに呼びかけた。が、彼は取り乱す様子もなく、「変な女の子」レベッカに一歩引きながら受け答えしている。やっぱり、私のことは……忘れてしまったみたい。前からここにあった石像、もともと石像だった子。そういう風に彼女の力で改変されてしまったのだ。 (そ……んな) 人間だったら、あるいは妖精のままでも、涙がこぼれていたかもしれない。けど、単一の石の塊となってしまった今の私には、それすらできない。 レベッカは私と鳥飼くんを交互に見ながら、再度奇声を上げだした。 「消えろー! 虫になれー! 縮めー!」 「あのさ、俺、帰っていい?」 初めて見る、平静を崩したレベッカの姿。その様子を見ていると、世界から消され石にされてしまったショックが和らぎ、次第に冷静になってきた。彼女は明らかに取り乱している。次第に表情がこわばり、恐怖とショックの色すら浮かんで見えた。次第に状況がわかってきた。彼女は鳥飼くんを変化させようとしているが、何故かできずにいる。それで不安になって私を変化させたってわけ。無事に石化してしまった身からすると、彼女の力が失われたようには思えない。 (……ひょっとして、あるの!? 耐性が!?) 私が彼女による改変を認識できるように、彼も……いやおかしいな。私は妖精にも石像にも好き放題変えられてしまうのに。鳥飼くんは変化はしていないけど、私が石像になったことに驚いていない。改変を認識できていない……。とぼけてる様にも見えないし……。 「ああーん! あああー!」 「えっ……ちょっ、おい……?」 レベッカは道路に倒れこみ、ゴロゴロと体を転がしながら泣き叫んだ。 「なんでー! なんで変化しないのー! なんでー! なんなのあんたー! うわーん!」 赤ん坊のように愚図りながら泣きわめく高校生の姿はひどく痛々しい。同時に、なんとも哀れに思えた。レベッカがいつからこの力を使えたのかは知らないけど、なんでも思い通りになってしまうがゆえに、普通の成長ができなかったんだろう。赤ちゃん時代に得られる学びを、今になってようやく知る機会が訪れたのかもしれない。世の中なんでも自分の思い通りにはならないってことを。 (ひょっとして) 鳥飼くんは私の逆パターンなのかもしれない。私は精神に耐性があり、彼は肉体に……。その発想が浮かんだ瞬間、スッと腑に落ちた。レベッカはそこまで頭が回らないらしく、みっともなくのたうち回った挙句、 「バカぁー! きらい! スカポンターン!」 と泣き叫びながら走り去った。後にはずいぶんと精神を消耗したらしい鳥飼くんと、芯まで灰色に染まった私が……。 (って、待って! 私は!? このまま!? ねえ!?) 嘘でしょ。放置? まっまさか、本当に死ぬまで道端の石像として、指一本も動かせないまま生きていかなくちゃいけないの!? 手足に力を込めようとしても、力を込めるという試み自体が行えなかった。今の私の体には、筋肉も神経もありはしないのだ。 (う、ああ……だ、誰か助けて……) 立ち去ろうと視界の端へ消えていく彼に、私は脳内で叫んだ。 (助けて! と……鳥飼くん……っ!) が、すぐに視界から彼は消え、その気配も遠のいていく。 (行かない……でぇ……) その時だった。突如人が折り重なって倒れこんできたのだ。一瞬の間に、誰かが私に顔から突っ込んできた。顔と顔がぶつかり、肌が重なる。唇全体に衝撃と共に何かが覆いかぶさった瞬間、パリンと何かが割れるような音が響き、周囲が真っ白に染まった。全身の感覚が消える。 (!?) 僅かな間ののち、視界がクリアになった。巨大な顔が私を覗き込んでいる。鳥飼くんだった。 「ごめん、大丈夫?」 「うん……平気」 答えたあとに、声が出ることに気づいた。羽を上下させ、ふわりと宙に舞う。体が動く。私の石化は解け、妖精に戻っていた。 「あ……」 両手を見つめ、背中の羽をのぞき、スカートの裾をつまむ。やわらかい布の感触。 「よ……よかったぁ~」 緊張の糸が切れた私は、彼の手のひらに座り込み、みっともなく泣いてしまった。 鳥飼くんの指が私をやさしくなでる。落ち着いた私は心配をかけたことを謝り、急いで彼の手から舞い上がった。あー恥ずかしい。高校生にもなって人端で……。これじゃレベッカのことを笑えないよ。見渡すと2メートルほど先で看板が倒れていた。幸い怪我人は出なかったみたいだ。 鳥飼くんと別れ、私は夢見心地で帰路に就いた。疲れた……。今日はいろんなことが起こりすぎたよ。レベッカがついてきて、鳥飼くんと会っちゃって、なんか魔法が効かなくて、私が石にされ……。 (そういえば、なんで戻れたんだろう?) 家についたあと、私は自撮りも忘れてぼーっと記憶を再生した。人が倒れてきて、それで確か……誰かがぶつかってきたんだ。あれはそう……鳥飼くんだった。彼が私にぶつかったから? そしたらなんで妖精に戻るの? もっと詳細に思い出そうと、私は衝突の一瞬をイメージした。確か鳥飼くんと私の顔がぶつかって、それで……。 その時だった。石の凹凸と化していた私の唇に触れた感触。人の唇だった。鳥飼くんの……。 (キス……) 顔が静かに紅潮し、私はベッドの上で頭を抱えた。いや、それはちが……ただ事故でぶつかっただけ……大体キスしたからって……え? 解けるの? レベッカの魔法? キスで? (い……いやいや、ナシでしょ、それは……映画じゃあるまいし……) 大きな枕に顔をうずめ、羽をパタパタさせる。私の頭はどんどん血の巡りが活発になった。 (でもそういえば……鳥飼くんは魔法効かなかったんだっけ……?) 認識は変えられちゃうらしいけど、本人は全くケロッとしていた。私とは違うタイプの耐性があるらしい。私の石像化が解けたのは、それが何か関係しているの? (繋がった……から……?) 私と鳥飼くんの体が繋がった……まさかそれで、一瞬だけ彼の肉体の耐性が私にも適用された? 移った? (いや、でも、う~ん) 彼との接触にそんな力があるなんて、そんな都合のいいことある? ていうかそれだったらもっと早く私の体は元に戻って……いや、お互い触れたことってなかったっけ? ていうか、妖精に戻るのおかしくない? 人間には戻ってくれないの? (もう一回キスしたら……人間に戻れたり?) いや……レベッカが思い出して、たまたま解除のタイミングが衝突と重なっただけ……って方が自然かも……? (う~) いくら考えたって仕方ない。明日レベッカにそれとなく訊いてみよう。そして……もしもまた会えたら、その時は鳥飼くんと……。え、頼むの? 「キスして」って。いやいや、まさか……。 髪に負けないくらいピンク色に顔が染まる。別にまだ、友達でも……友達かな……連絡先も知らないのに……。 あーもう。何突っ走ってんの私は。別に体を繋げるだけなら、他にもあるじゃない……例えば……えっと……。手、手を繋ぐ、とか? 私は自分の小さな手のひらを見た。人形のようにきれいな透き通った妖精の肌。彼の大きな硬い手……血管が走り、日に焼けた人差し指を両手で抱え込む私を想像して、無性に気恥ずかしくなった。 (うん、手……まずは、手から……) これは検証だから……別に変な意味はないんだから。大丈夫、自然な形で、流れでお願いすれば……。鳥飼くんと手を繋ぎたい、って。 あっでももうすぐ夏休みか。そしたら会えなくなっちゃうな。やっぱり手を繋ぐより先に連絡先を……? 高校生活、そして妖精生活最初の一学期が終わる頃。私は鳥飼くんと一緒に夏を過ごす夢を見ながら、いつしか眠りに落ちていた。

Comments

いちだ

まさかの続編。意外な展開に驚かされました。 続きも気になってきます。

opq

コメントありがとうございます。続きは需要がありそうでしたら書くかもしれません。

Anonymous

本当に可愛いですね~特にスクールの水着の姿は、恥と可愛らしさを併せ持つ。展開もとてもすばらしい。呪われた姫が運命の人に出会うようなものです:)

opq

感想ありがとうございます。話の展開が気に入っていただけたならよかったです。