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母校に教師として帰ってきたときに真っ先にやること。それは美術室を覗きに行くことだった。いや、そうしたかったが中々そうもいかず。社会人一年目の新米にはその辺をほっつき歩く暇も権利もなかった。一週間ほどしてようやく、美術室を訪れる機会に恵まれた。内心期待を膨らませながら、僕は先輩の先生のあとをついて教室に足を踏み入れた。だが、目的の像はそこになかった。ツンとしたテレピン油の懐かしい匂いが過去の記憶を鮮明に蘇らせる。記憶は匂いと密接に関わっているという与太話は、あながち嘘でもないらしい……。 「先生? どうしました?」 「えっ、ああ……。すみません。ちょっと懐かしくて」 僕が卒業するまでは、ずっとこの美術室に置いてあったはずだが……。ここにないとすると元に戻ったのか、余所に移されたのか、廃棄されたか……。それはあまり考えたくない。 部屋の隅の扉。そうだ。美術準備室。そこにあるかもしれない。が、表向き用事もないのに準備室を見せてくださいと言い出すとっかかりが掴めず、僕はその日すぐ美術室を去らなければならなかった。 大学で鈍り切った心身は社会人としての生活に耐えきれず、貫通したダメージが毎日心の奥底へ浸透してくる。それでも辞めたいなどとは思わなかった。少なくとも、あの像の今を確かめるまでは。 ようやく準備室に入る機会を得た日、僕は約十三年ぶりに彼女たちと再会した。派手なドレス、大きなリボン、アニメみたいに長い髪。およそ小学校にはふさわしくない、魔法少女みたいな格好をした石像。台座の上で可愛らしくポーズをとったまま、何もかもがあの日のままの状態だった。僕は彼女たちが「生きていた」ことに安堵すると同時に、いまだ囚われていることへの罪悪感で、数秒以上直視することができなかった。ポーズも服装も思い出のままだが、あの時はまるで印象が違って見える。こんなに小さかっただろうか? 彼女たちが石になった時、僕は三年生だった。彼女たちはとても大人なお姉さんに映った。でも今は台座分を入れてやっと僕と同じ目線。体は細く、どうみても子供に分類すべき体型。高校生にすら見えない。中学生ぐらいだろうか。そんな年齢の女の子たちの未来を奪い続けてきてしまったことに、改めて胸が締まる気分だった。いや奪ったのは僕ではないのだが……。 あれは十三年前。放課後の美術室でふざけて遊んでいた時、うっかり石膏像を倒して粉々に割ってしまったのだ。友達はみんな要領よく逃げ出し、気づけば僕だけが残されていた。割った石膏像は等身大の少女二人組のもので、当時の僕にはとんでもなく大きな、高そうなものに見えていた。叱られると思って泣いていると、見たことのないお姉さん二人組が立っていた。 「どうしたの?」 優しい声で僕にそう声をかけてくれた彼女たちは、とんでもなく派手な格好をしていて、僕はギョッとした。ヒラヒラのスカート、派手なピンク色のドレス、馬鹿みたいに大きなリボン、そして腰まで伸びる長い金髪のポニーテール。相方のお姉さんはその水色バージョンといったところ。まるでアニメの世界から飛び出てきたかのような格好。日曜にやっている魔法少女もののキャラクターみたいな姿だった。当時僕はコスプレという概念を知らなかったので「変な格好のお姉さん」以上の感想は持てなかった。が、何だかとても暖かい空気を醸し出す二人で、僕は壊した石膏像のことを涙ながらに話したのだ。 「ふーん、なるほどねぇ……」 ピンクのお姉さんは腕を組んで考えに耽るようなポーズをとり、青いお姉さんは僕と相方を交互にチラチラ見ていた。今から思えば、時間がないのだからさっさと立ち去りたかったのだろう。そしてピンクの子は名案を思い付いたとばかりに、 「わかった! じゃあ、お姉ちゃんたちが代わりの石像になってあげる!」 と言い放ったのだ。 「ちょっと!?」 青い子は狼狽して、ピンクの子に文句を言った。そこのやり取りはよく覚えていない。お姉さんの言ったことが理解できず、僕の頭の中は疑問だらけだったからだ。でも、冗談ではないことだけは何となく感じられ、叱られずに済むかも……と僕は淡い期待をお姉さんたちに寄せた。 「だって、どうせ石になるんなら、最後まで人の役に立ちたいじゃない?」 「全くもう……あなたはいつも……」 青い子は呆れつつも、最後にはピンクの言うことに同意し、ここで石になることに決めた。お姉さんたちは大きな台座をヒョイと持ち上げ、もとあった場所に戻した。当時はすげーとしか思わなかったが、今思うと明らかに中学生の体力ではなかったな。やはり本当だったのだろう。彼女たちは台座の上に立ち、簡単な身の上話をしてくれた。彼女たちはずっとこの姿に変身して、地球の平和のために戦ってきたのだという。そして今日さっき、悪い奴の親玉をやっつけてきたのだが、敵の最後の悪あがきで、石になる呪いをかけられてしまったのだとか。当時の僕はその話をまともに聞いていなかった。小学三年生とはいえ、流石にそんな話を信じる年でもなかった。僕はただ、彼女たちが本当に石になってくれるか、自分が叱られずに済むのか、それだけが気がかりだった。今から思うと、彼女たちの話を信じないのであれば石になる話も信じるのはおかしいが、まあ子供だった。最大の後悔は、身の上話をもっと真剣に聞いておくべきだったということ。本名を聞いておくべきだった。 「あっ、ポーズどうする? ポーズ」 「はぁ?」 「だって、せっかく石になるんなら、可愛く……」 「あんたねえ……」 お姉さんたちは台座の上でコントのようなやり取りを繰り広げながら、最終的に今のポーズ……。決めポーズか何かだったんだろうか? 可愛らしくもカッコよく決まったポージングをとって、笑顔で動かなくなった。少しすると腹のあたりがバキバキと何かが割れるような硬い音と共に、灰色の染みが広がっていった。瞬く間に全身を侵食し、彼女たちはブーツの先から髪の先まで、全てが灰色に染まった。さっきまで生きて動いていたお姉さん二人は、まるで死んだように動かない。灰色の笑顔で空を見つめている。 「お姉ちゃん?」 僕は二人に近づき、手を触れてみた。さっきまで生きて動いていたとは到底思えない、硬く冷たい石の感触。二人は本当に石になってしまったのだ。 「わー! やった! ありがとう、お姉ちゃん!」 僕は歓喜した。これで叱られずに済むと。当時の僕はそれ以外頭に浮かんでこなかった。石膏像の破片を中庭の池に捨て、僕は心から安堵し帰路についた。生きた彼女たちを見たのは後にも先にもそれっきり。それから三年、卒業するまでずーっと、彼女たちは美術室にい続けた。しばらくは見知らぬお姉さんたちの行動に感謝するだけで、図画工作の授業のたびに、ひっそりと彼女たちにお礼の笑顔を向けていた。 段々それでは済まされなくなっていったのは半年ほど経ってからだったか……。学期が変わっても、彼女たちはポーズをとったまま、一歩も動く事なく美術室に飾られ続けている。僕は次第に怖くなった。もういいのに。なんでまだあそこにいるんだろう? 適当に切り上げればもうバレっこない……。答えはハッキリしていた。彼女たちは自力で元に戻ることはできないのだ。とすると、彼女たちはずっとあそこにいるんだろうか? これから先も? 自分が五年生、六年生になっても? 卒業してからも? 自分がとんでもないことをやったのではないかという疑念が次第に大きく膨らみ、僕は美術室に行くのが怖くなっていった。彼女たちの笑顔が僕を責めているような気がしたのだ。石になってしまう運命は避けられないにせよ、それなら絶対に家族や友人の前で、事情を説明した上で石になりたかったはずだ。そうしたらもっと大事に、人間として遇されていたはず。それがこんなところで、見も知らぬ子供の悪戯を隠蔽するためにその身を捧げてしまったことで、彼女たちは正真正銘ただの石像になり果てた。 実際に六年生になっても、彼女たちは三年前のままの姿で美術室に鎮座している。僕が六年生になるほどの時間が経過したのに、彼女たちはあのままだ。何とかしないといけない気がした。でもどうやって? 石になった人の戻し方なんてわかりっこない。 結局、卒業するまで彼女たちはそのままだった。卒業式の日、気になって美術室へ足を向けたものの、鍵がかかっていて中には入れず、それで僕の小学生時代は終わった。中学に入ってからは彼女たちと接することがなくなったのもあり、次第に忘れていった。いや、忘れようとしていたのだ。もう卒業しちゃったんだからしょうがないじゃないか。そう自分に言い聞かせて。 そして今、僕は大人になってここに戻ってきた。でも彼女たちはあの日のままだ。彼女たちが当時中学生だったのだとすれば、彼女たちは高校生活を、大学生活を、そしてこれからの人生の全てを失っている。辛い。申し訳なさでいっぱいだった。当時は想像もしなかった疑問が次々と浮かんでくる。彼女たちは世間的にはどういう扱いになっているんだろうか? 行方不明か? だとすると、彼女の親や友人たちは、この十三年間、彼女の行方を捜し続けているのだろうか? まさか在学もしていない(多分)小学校で石になっているだなんて思いつきもしないだろう……。そして彼女たちはこの学校でどういう扱いになっているんだろう。昔からあった石像? いや……冷静に考えたら当時からしておかしい。一夜にして石膏像が変身していたらもっと追及があってよさそうなものだ。ましてや、こんなアニメみたいな格好の石像。でも、先生はもちろん、同級生たちからも特に何か言われた記憶はない。噂にすらならなかった気がする。 僕は身を屈め、彼女たちの足元を見た。すると驚くべき発見があった。ブーツと台座が一体化している。というのはつまり、同じ石から彫りだしたかのような状態になっている。切れ目がない。繋がっている。おかしい。僕の記憶では、もともと石膏像があった台座の上に立ち、そこで石化したはず。であれば当然、台座と石像は違う石になっているはず。それがまあ、まったく同じ石材で、切れ目なく繋がり融合してしまっているではないか。僕の記憶違いか? それとも、十三年という長い月日の間に一体化してしまったとか? しかしそんなことがありうるか? でも、それを言い出したらそもそも人が石になることも、魔法少女の実在もありえない……。 後日、僕は先生方にあの石像について尋ね、調べてみた。 「あー、昔からありますねえ」「でも珍しいですよね、ああいうの」 大体はこんな感じで、特に誰も積極的な疑念は持っていないようだった。僕の時代からいた先生に訊いても、 「あぁ、そういえば君のいた時だったかな、あれ入ってきたの」 「あれって誰が作ったんですか?」 「ん? さぁ……誰だったかな? すまん、覚えてないな」 要領を得ない。誰も当てにできないので、僕は一人で学校の資料を調べてみた。驚くべきことに、あの魔法少女の石像は、しっかり学校の備品として記載されているではないか。そんな馬鹿な。テキトーな先生が勝手に数えたんだろうか。しかしどこから学校に来たのかは不明。どこから何のために買ったのか、誰が作ったのか、そういう情報は得られなかった。まあ、なくて当然なのだが。何故なら彼女たちは生きた人間だったのだから……。 本当に、そうか? 僕は暇な時間を見つけては彼女たちの元へ通った。ずっと変わらない姿で、美術準備室でひっそりと固まり続けている。何度見ても台座とブーツの切れ目が見えない。接着したのか……いや、加工の跡はない。大体、誰がどうしてそんなことをする? 社会人として体が慣れつつあるころ、いよいよ心も大人の常識というやつに侵されようとしていた。つまり僕は……彼女たちは、本当にただの石像だったのではないか? と思い始めていた。だってそうじゃないか、人が石になるなんてありえない。人知れずこの世を守っていた魔法少女? それもノーだ。第一、これぐらいの年齢の少女が二人もそろって行方不明になれば騒ぎになったはずだ。でもそんなニュースは聞いてない。調べても出てこない。何より、彼女たちは購入元が不明ながらも、しっかりと学校の品として数えられているという事実。本当に僕の記憶通りのことが起こったなら、消えた石膏像と突如現れたアニメな石像に当時から先生方が反応したはず。でも僕の記憶では、彼女たちは本当に生きていたのだ。僕に話しかけ、僕を救うためにここで石になった……。それはおかしい。だったら台座と石像は分かれているはず。どう見ても、触っても、一体化している。これは同じ石から彫ったか、或いは台座込みで石膏か何かで成型したことの証。いやでも、長期間石化していたことで融合してしまったのかも……。苦しい。苦しい解釈だ。 このアニメみたいな石像のインパクトに、当時の僕がしていた妄想をいつの間にかさも事実だったかのように勘違いしてしまった……。それが最も妥当な解釈ではないか。でも、だとすると当時の僕の苦悩は? 中学高校でも、時折ふっと思い出したことを覚えているぞ。全部妄想だったのか? だとしたら僕はとんでもない狂人だ。 いや、いいのか、それで片付けて。もしも記憶通りだったら、彼女たちが人間だったことを知っているのは世界で僕一人のはず。その僕が真実を捨ててしまったら、その時こそ彼女たちは本当に死んでしまう。単なる石像と化して、永遠に戻されることはない。いや、僕がいつまで覚えていたところで助けることはできないのだが……。 夏休み。子供は休みでも僕らは休みにならない。でも、最後の確認を実行するにはうってつけだ。校内に子供たちはほとんどいない。夜なら。 あの思い出は妄想か真実か。僕はハッキリさせたかった。日が沈み、先生方が全員帰ったことを確認してから、僕は中庭に向かった。緑色に濁った池の中には鯉が数匹泳いでいる。もしも僕の記憶が真実であれば、この中にあるはずなのだ。石膏像の欠片が。 ズボンを脱いで、池に両足を入れる。思ったより深く、膝まである。危ないな全く。子供が落ちたらどうするんだ。 腰を曲げ、汚く濁った池の中に、僕は両腕も突っ込んだ。夜なのもあり、池の底は全く見えない。慎重に探すと、そこかしこに石の破片のようなものが手に触れる。期待して手に取っても、ドロドロに汚れていて判別がつかない。ため息をつきながら池の外にそれを投げ捨て、再び別の石っころを探す。我ながら馬鹿馬鹿しい。何をやっているんだ僕は。第一、十三年もあれば池の清掃ぐらいやるだろう。真実であろうがなかろうが、もう残ってはいないんじゃないのか……。 「あの~……。何をなさっているんですか?」 驚きのあまり、僕はバランスを崩しかけた。いつの間にか池の淵に石田先生が立っている。彼女は僕の前年度に赴任してきた先生で、あまり話したことはない。さっき駐車場へ行ったはずだが……。何か忘れ物でもあったのだろうか。いや今はそんなことはどうでもいい。見られてしまった。この馬鹿げた行動を。 「何か落としちゃいました?」 「え? ええ、まあ……そうですね」 「あ~。それは大変ですね。じゃ、私も手伝います」 「え? いや……」 答えるより先に、彼女は池に入り込んだ。ズボンすら脱がずに。僕は驚きのあまり、何も声が出なかった。何やってんだこの人……。正気か。いや僕がいえることではないか……。 「で、何を落としたんですか?」 入ってから聞くのか、それを。もしどうでもいい、しょーもないものだったらどうするつもりだったんだ。 「えっと、その……スマホをですね……」 「ああーもー、大変じゃないですか。じゃ私こっちの方探しますね」 思わずついた嘘を疑うこともなく鵜呑みにして、彼女は存在しないスマホをせっせと探し出した。胸が痛い。ああ……何をしているんだ僕は。石田先生まで巻き込んで妄想のゴミ拾いとは。 しかし、だからといって破片探しを止める気も起きなかった。どうしても決着をつけたい。石田先生は適当なところでスマホを見つけたことにして切り上げてもらえばいいのだ……。 軽石か石膏の欠片か、全く見分けのつかない汚れた欠片を池の外に投げ出しながら、僕は彼女と世間話を交わした。昔からずっと人助けが癖になっていて、損だとわかっていてもやってしまうのだという。ますます良心が痛い。しかし僕はスマホを池に落とすことができずにいた。彼女の声をもっと聴きたいという気持ちが強烈に湧き上がってきたのだ。心が安らぐような優しい声で、何故彼女と話す機会を今まで持とうとしていなかったのか後悔するぐらいに。でも、それは決してやましい気持ちから湧き上がる衝動ではなかった。心臓が高鳴る。僕はこの声を聞いたことがある。昔どこかで、あの時に。 大きな石に手が触れた時、僕はあの石像の話を切り出した。あれがいつからあるか知っていますか、と。彼女はわかりやすいぐらいに動揺し、目を泳がせながら 「さ、さぁ……私、二年目ですし……」 と声を細めながら答えた。 「あんまり見ないですよね、ああいう像って。特に学校では」 「……っあー、そうですね、っかもしれませんねぇー……」 「魔法少女っていうんですかね、ああいうの。石田先生は子供の時、ああいうの好きでした?」 「ん? いや、ん? 私はっまあ……っすね……」 石は大きくて片手では危険そうだった。僕は両手で石を掴みながら踏み込んだ。 「そういえば石田先生、おいくつでしたっけ?」 「えー、何ですかいきなり」 「いえ、随分とその……お若く見えるので」 僕は石の汚れを落とした。ゴシゴシこすると白い断面が見える。割れた跡が削られて滑らかになった感じだ。 「社会人二年目ですよ」 僕はスマホを池に落とし、彼女の方へ向けて蹴った。 「はは、なるほど」 「あっ、ありました、ありましたよ!」 スマホを受け取り礼を述べ、僕は彼女を食事に誘った。話したいことが山ほどある。確証はないが確信はある。長年の胸のつかえがとれるはず。きっと。

Comments

Anonymous

ちょっと感動しました。绝体绝命しても、子供のために何かをしようとする魔法少女は、石像になっても英雄ですTAT 彼女たちの最後の姿を覚えた子供も彼女たちより大きくなりましたが、それでもあの子は彼女たちの存在を忘れていません。本当によかった >.<

opq

感想ありがとうございます。楽しく読んでいただけたのなら嬉しいです。