うつけなメイドロボ (Pixiv Fanbox)
Published:
2021-04-07 11:15:43
Imported:
2023-05
Content
家事が苦手だ。めんどくさい。ついつい後回しにしてしまうが、そうすると後でますます困難になる。私は昔からコツコツやること、細かい作業が苦手だった。たまに思い立ったように家事をキチンとやってみる数日が訪れることもあるが、ただ定義上片付けたってだけの、拙い出来栄えになってしまう。
メイドロボがいればいいのに。ネットでテレビで彼女らの広告や体験談を見聞きするたび、私は喉から手が出そうになる。しかし彼女らは高い。私には到底買えない。それに買ったところで、結局は家事が便利になるだけだ。やるだけなら一応私でもできなくはない家事が。それは勿体ないんじゃないか、その金で車でも買った方がいいんじゃない? という疑問が浮かぶ。
まあ結局、お金がなければ無意味な議論だ。空しい想像に囚われながら、私は今日もぞんざいに掃除機をかける。猛烈に欲しくなる時期とそうでない時期が交互に訪れる。一人暮らしを始めてからはずっとそんな感じだった。
そしてまたいつものように家事が嫌になるターンが訪れ、私はたまった家事のツケから逃げるように、メイドロボについて調べていた。アイデアが閃いたのはレンタルサービスを知った時。私は以前大きな事故に遭った際、ナノマシンを使った神経処理を行う処置を受けている。つまり電脳化しているのだ。主流なメイドロボは生体ロボットであり、理論的には似たような仕組みで動いている。私はとんでもないことを考えた。自分の技術なら、メイドロボの家事機能を、私の電脳部分に移すことができるのではないか? と。
ちょうど仕事で似たような作業をやったばかりだったし、その日はたまたま泡銭を手にしていたのもあって、私はメイドロボのレンタルに申し込んだ。申し込んだ後で後悔したけど……。あーもったいない。
私の部屋を訪れたメイドロボは、私と同じぐらいの背丈だった。これなら簡単そうかも。とはいえ彼女が訪れるころにはすっかり冷めきっていた私は、馬鹿げたアイデアを実行に移す気はすっかり衰えていた。が、彼女が手際よくたまっていた家事を消化していく様を見ているうちに、再び私の心に火がついた。欲しい。あの要領の良さ、手際の良さが欲しい。
仕事の仕上がりも見事なものだった。当然と言えば当然だけど、私のテキトウな家事とは比べ物にならない。毎日これだったらいいのに。メイドロボを買おうか。でも高い。うん……やっぱり、ちょっと試してみよう。あのアイデアを。駄目だったら駄目でいいし。
私は彼女をパソコンの近くに待機させ、スカートをめくりあげるよう指示した。彼女は一瞬も躊躇することなく、素直にスカートをたくし上げ、テカテカとした光沢を放つ太腿を露わにした。そこには緑色に光る製造番号が刻印されている。メイドロボへのアクセスはここを通すのだ。私は機器を接続し、メイドロボのシステムに侵入した。本当は禁止行為なんだけど、まあいいでしょ。バレないバレない。
ガードをかいくぐり、私はメイドロボのAIと彼女の学習結果をコピーすることに成功。これで彼女は用済みだ。ちょうど時間だし。接続を終了すると、レンタルを終えた彼女は自分からそのことを告げ、一礼してから玄関へ向かった。
「ありがとねー」
今日からしばらく清潔なトイレとお風呂を堪能できる。私は心から彼女に感謝し、見送った。いいなあ。やっぱ買おうかなあ。でも実験が成功したら買わなくていいから節約だ。
今度は私の番。首筋に特殊な首輪を装着。医療用ナノマシンへのアクセスは違法だけど、まあ私ならバレずに弄れるし。その後私は数時間かけて、自分にメイドロボのシステムを導入することに成功した。
スマホでオンオフを切り替える仕様。多分問題ないけど、早速テストしないと。私は自分のスマホで、メイドロボのシステムをオンにした。特に違和感なし。大丈夫そう。
「立ちなさい」
声に出してみると、瞬時に体が反応した。
「ひゃっ!?」
今までにない奇妙な感覚に私は本能的な恐怖を感じ、慌てた。体が私ではない意志によって制御され、椅子から独りでに立ち上がったのだから。
「……」
実験成功に一安心すべきかもしれないけど、それ以上に恐怖が強く、私は黙ったまましばらく動けなかった。うーん、やっぱやめとくべきかな。違法行為だし……。でもせっかくだから、一通りは試してみたい。
歩き出そうとすると、少し体がつっぱる。いつもより力を要した。力を抜くと、スッと椅子の脇に戻ってしまう。さっきの起立命令がまだ有効らしい。自分ではない意志に体を乗っ取られるのは芯から震えそうなほどの恐怖と違和感を醸し出す。例えどんな拘束をされようとも、逆らえない命令を出されようとも、あくまで自分の体は自分のものだ。侵される筈のなかった境界線、自分と他人の壁が音を立てて崩れ落ちている。自分が自分であること、それはとっても大事なことだったのだと、私は思い知らされた。本能が怖気づいてやまない。が、私は深呼吸して次の命令を自分自身に下した。
「えっと……夕飯準備して」
「はい」
命令するやいなや、背筋がピンと伸ばされ、私の口は出すつもりのなかった返事を出した。一息つくまもなく冷蔵庫に向かって歩き出し、私は思わず足を止めた。止めようと力をこめた。
(あ、あ、あ)
全ては数秒の出来事。その場に留まることには成功したが、私の両足は頑固に歩みの意思を止めない。力を抜けばすぐ冷蔵庫へ向かうだろう。別に止める必要もないんだけど、本能的にストップをかけようとしてしまう。意図しない体の動作に、バランスを取ろうとしてしまう。が、その私の意志こそが今や最も邪魔な指令なのだ。メイドロボAIの邪魔をする方が体のバランスを崩してしまうだろう。そうは頭でわかっていても、意図しない動作を許すのは相当難しい。もっと簡単な命令から脳を慣らした方がよさそうだ。いや、こんなバカげた試みは中止すべきだろうか……。
とか考えている間に体力が切れ、私の体は再び動き出した。
(あっ、ちょ、あー)
すぐに屈んで冷蔵庫を物色したかと思うと、私の体はすぐに準備に取り掛かった。もう何を作るか決めたらしい。
(ひぇ……)
中を確認する際、視線も完全に支配されていた。私の目はAIが命ずるがまま、冷蔵庫の中に何があるかを確認するために使われたのだ。ますます怖い。自分という存在の中に他者が入り込んでいる。
実験を中止しよう。そう思った時にはすでに遅く、私の体は火を扱い、包丁を手に取っていた。
(……!)
私の両手はまるで料理人みたいに、素早く刃物を扱った。私の人生の中で最も恐ろしい時間だったかもしれない。ちょっとズレれば指が飛びそうだ。なのでメイドロボのAIを邪魔するわけにもいかず、私は懸命に反射的行動を抑えなければならなかった。自分ではない者が私の指先で扱う刃物、それから逃れようとする本能的な拒否行動をとらないよう、必死に全身から力を抜き、ニュートラルでいるよう努める。後から思えば中止命令を出せばよかったかもしれないけど、この時はそこまで考えが及ばなかった。
料理を終え、私としては珍しくしっかり皿に盛り付け、テーブルの上に並べた時、ようやく体が自由になった。全身の緊張がぬけ、私はその場に崩れ落ちた。
(も……もう止めよう……)
自分の体にメイドロボのAIをインストールし、それに権限を委ねてしまうなんてありえない。全く、何でこんなアホな真似したんだか……。
ご飯は美味しかった。私が作ったとは思えない。いや実際作ったのは私の中のメイドロボ。私は体を貸していただけだ。
食べ終えるころには、さっきまでの恐怖と後悔は消え失せていた。久しぶりのまともな手作り料理。毎日これが食べられるなら、いいかもしれない……?
しかし、面倒なのは片付けだ。私も一人暮らし初期は結構頑張って料理にこってた時期もあったな……。
「片付けて」
「はい」
再び私の体が勝手に動き出した。自分の命令に自分で返事するのは間抜けで情けない。それに声まで操られるのはやっぱりいただけない。けど、さきほどまでの恐怖は覚えない。
手際よく片付けていく自分の動きを見ながら、男は胃袋をつかめと言っていたおばさんを思い出す。相変わらず本能は動きを止めようと反射的なストップをかけたがる。でも私はさっきの料理よりは落ち着いて身を任せることができた。美味しいご飯というのは偉大だ。これもまた本能に訴えかける大事な存在に違いない。
鬱陶しかった片付けが、見ているだけで終わっていく。いや実際私が手を動かしているから疲れるし汚れるけど、自分で考え、自分で動く必要がないというのはかなり楽だ。独りでに動く体を邪魔しないコツを私は掴みつつあった。実家の居間で映画でも見ているかのように少し意識をボーっとさせるのだ。リラックス……。落ち着いて……大丈夫、転ばない……。
綺麗になったキッチンから離れ、私はベッドに転がった。命令は全て終了、体は無事私の元に戻った。
(あー……どうしよ)
メイドロボAI,続けてみるべきか、やっぱり止めるべきか……。私のお腹と口先は、まださっきのご飯のことを覚えている。視界をぼやあっとさせているだけで終わった後片付けも。いや働いたから身体的な疲労はあるけど、ただ任せるだけで終わった分、精神的な疲労はほとんどない。
(……もうちょっとだけ、続けてみても、いいかな?)
それが初日に得た私の結論だった。
それから数日間、私は違法な実験を続けてみた。寝る前にゴミ出し指示をしておけば「私」が寝ててもやってくれるし(着替え指示をしとくべきだったけど)、あり合わせの材料からまともな料理を作ってくれるし、掃除も自動的に体が動き続けてくれるし、信じられないほど暮らしが楽に、豊かになった。己の体の支配権という安楽を侵されることに対する根源的恐怖もゼロにはできないものの、慣れてくるとスムーズに「明け渡す」ことができるようになってきた。自分で気を張らなくてもコケて転倒したりはしないのだ、ということを深層心理に理解させるまで、思ったほど遠くないかもしれない。
初日に感じたあの悍ましい恐怖も、のど元過ぎればどこへやらだ。元手なしに生活がラクチンになる。このあまりの便利さ楽さに私は到底抗えなかった。多少の調整を加えながら、私はメイドロボの家事機能を自分に搭載することに決めた。いや、アンインストールする気が起きなかった。実際に動いているのは私の体だから身体的な疲労は私のものだ。それが少し理不尽に感じられもするけど、脳内で歌っている間にやるべきことが全部終わっているのはどんな家電もかなわない快適を私に提供してくれる。
問題点があるとすれば、メイドロボAIをオンにしたまま誰か他人に接触し、何か言われてもしまうと従ってしまうこと……。宅配の人から荷物を受け取る際、私の体は彼の指示に従わされていた。何でもない指示だったからその場で問題は起きなかったけど、私は一人で大いに驚き、久々に恐怖した。
所有者登録できればいいけど、メイドロボじゃない生きた人間に無理やり搭載しているので、どうもその辺は無理らしい。オンオフしっかり気をつけないと。指示を終えたらスマホでメイドロボモードをオフにすること。それだけが私が私の意志でしっかりと行わなければならない作業となった。
怠惰な私でも、完璧な家事がもたらす恩恵を享受できる。そんな生活を始めてしばらく。仕事の中で、私はメイドロボの衣装一式を手にする機会に恵まれた。メイドロボの服は通常脱げない構造で、体を清潔に保つ機能と、ある程度の自己修復機能が備わっている。私が業務の最中手にしたのは廃棄する品で、本来捨てなければならないのだが、魔が差した。私はそれを処分したことにして、こっそりと家に持ち帰ってしまったのだ。
(どうしよう……)
自分でもなんでこんなことをやったのかわからない。横領だ。バレれば不味い。でもまあ平気かな……多分。元々捨てるはずのものだったんだし。ていうか、今の私の体それ自体が違法な状態だし、今更かもしれない。
私はメイドロボの下着替わりに使われる真っ白なレオタードを見下ろしながら、着てみたいという強い衝動に襲われた。何でメイドロボの服なんか……。変なコスプレ願望が生まれてしまったんだろうか。まあ、可愛らしい服ではあるけど。或いはメイドロボAIを使って体を動かし、完璧な家事を体験しその益に溺れているうちに、メイドロボへの憧れのような感情が育まれていたのかもしれない。……わかんないけど!
私は悩んだ。いまさら職場にも持って帰れないし、このまま死蔵や処分するのも勿体ないかな。どうしよう。
(まあ、一回ぐらいなら)
私は一度袖を通してみることに決めた。よりにもよってフリルとリボンの多いミニスカ衣装。私の歳でこれを着るのはちょっとキツイか。まあ、人に見せるわけでもないし……。
下着まで全て脱ぎ捨て、私は純白のレオタードを手に取った。布のような、ゴムのような、不思議な触り心地。引っ張るとよく伸び、離すと元に戻る。伸縮性に優れているというのは本当らしい。ちょっと小さいかなぁと思ったけど、これなら着れるかも。
元々少し小さめだからか、そういう機能があるのか、レオタードは驚くほどピッタリと私の胴体に貼りついた。まるで胴体を直接白く染め上げたかのよう。ラインがくっきり。まるで皮膚みたい。しかし、それでも苦しさは微塵も感じない。それどころか、どんな服や下着も敵わないような、例えようもない心地よさがあった。真っ白なキツキツレオタードは私の胴体を優しく包み込み、少し動くだけで気持ち良い快感すら感じさせる。
(えっ、うそ……ヤダ、すごっ……)
こんな素晴らしい着心地の服がこの世に存在したなんて。私は急いで残りの衣装に飛びついた。少しでも多く、この素材で自分の肌を包みたかった。真っ白なニーハイソックスで両脚を、肘まで覆うこれまた純白の長手袋を装着、私の全身はほぼ真っ白になった。首から上を除くと肌が出ているのは上腕と太腿だけだ。私は全身を隙間なくピッチリと這うメイドロボ衣装のあまりの肌ざわりの良さに興奮していた。知らなかった。こんなにも着心地いいだなんて。こんな素材あるなら、人間用の服に使えばいいのに。なんでよりにもよってロボットに使ってるんだろう。宝の持ち腐れ過ぎる。
レオタードと長手袋とニーハイソックスという何とも恥ずかしい格好のまま、私はその場で体を無意味に曲げたりくねらせたりして、存分にその気持ちよい感触を堪能。しばらくしてからメイド服本体を纏った。こっちもこっちで何故かジャストフィットし、キュッと体を締め付けてくる。同じ素材らしく中々の着心地だったけど、素肌を直接覆ってはいない分、いくらか心地よさは低かった。それに大きなリボンとフリルで彩られたミニスカ衣装なので、着ているだけでも恥ずかしかったし、背徳感すらあった。私なんかがこんな格好してていいのかな。
ヘッドドレスも一応頭に乗っけてみたが、こっちはなんてこともない。馬鹿馬鹿しいやら恥ずかしいやらで、すぐに外してしまった。
鏡に映る自分は流石に痛々しく、写真を撮ろうという気にはなれなかったが、ちゃんとメイクすればそれなりに整うんでないの、という思いも脳裏をよぎる。私もまだまだいけるかも……。いやいやまさか。こんな格好職場の誰かに見られたら破滅だよ。
私はその日、その格好のまま家事を行った。当然、メイドロボAIを起動して。まるで自分がメイドロボになったかのようでドキドキしてくる。自分にそんな変態的なところがあったとは知らなかった。奇妙な背徳感が生む高揚が私を上機嫌にさせる。私はお風呂に入った後も、一度脱ぎ捨てたそれらを再度着装してしまった。
(あーもー汚い。せっかくお風呂入ったのに)
と頭では思っても、到底止めることはできなかった。何しろ着心地が良すぎる。全身をこの素材で覆いつくしてしまいたいほどにだ。それにまあ、この服には清潔に保つ機能があったはずだし……。と自分に言い訳しながら、私は再びメイドに化けて、それをそのまま寝間着にしてしまった。
翌日、出社の際、私はとんでもない行動に出た。いや、出れなかったというべきか。私は白いレオタードを脱がず、その上に服を着て外に出た。脱いだのはメイド服と手袋、ニーソだけ。あまりの気持ちよさに、脱げなかった。家を出てからずっと、私は背徳感で心臓がドキドキしっぱなしだった。自分が下にメイドロボ用の下着をつけていることがバレたらどうしよう。横領と変態のダブルパンチ……。二度と表に出られなくなりそう。
私はあまり演技ができる方ではないらしく、業務中はいつもより挙動不審になった。動作が小さくまとまる。声をかけられるとちょっと身構えてしまう。レオタードそのものより、態度の方が問題だった。適当に誤魔化しつつも、職場で下着をつけず真っ白なレオタードを身につけている自分が、酷く滑稽で恥ずべきもののように思えて、いたたまれない。なんで私はこんなアホな真似を……。頭を抱えたくなるような愚かさに嘆きつつも、胴体にピチッと這うように張り付いたロボット用布地の感触は常に私を安心させてくれる。体の動きにつっぱることもなく、常に皮膚に張り付いたまま伸縮するレオタードは、ツルツルとした滑らかな感触とサラサラしたきめ細やかな肌ざわりを欠かすことなく、全ての皮膚に提供してくれる。自分の変態行動に呆れつつも、私は自分一人だけが、こんなすごい下着があるのだと知っていることへの密やかな優越感も抱きつつあった。もう脱げない。このレオタード、最高すぎる。
家に帰るとすぐに服を脱ぎ捨て、私は長手袋とニーソを装着。スマホで自分のメイドロボモードをオンにして、服の片づけを指示した。勝手に動き出す体。それに伴い擦れる心地よい布の感触。顔もマスクか何かで覆ってしまいたいほどだ。
その日から私はメイドロボの服装をし続けることになった。一着を着続けるのはどうにも気持ち悪くて仕方なかったけど、常に体と服を清潔に保つ機能はどうやら失われていないようで、洗濯せずともレオタードはずっと綺麗だった。手袋もニーソも。外に出る時は流石にレオタードだけにするけど、家にいる間は手袋とニーソもほとんど常に着続けた。寝る時、外出予定のない休日はメイド服まで着ちゃうことも。
(これじゃ、私、ほんとにメイドロボだね)
と自虐しながら、私は体の内で外で、メイドロボの力を借り続けた。
「なんか藤原さん、最近綺麗になりましたよねー」
「?」
自分の変化というのは中々気づきにくいものらしい。異変を教えてくれたのは職場の同僚たちだった。化粧品は何を使っているのか、エステは、マッサージは……。世間話を通じて、皆が私の美の秘訣を聞き出そうとしてくることに気づいたのはその日から。家に帰るとすぐ、服を脱いで風呂場の鏡の前に立った。そこには、曇りなき肌を持った若い女性が映っていた。いや、若いというか……綺麗すぎて、もはや作り物みたい。マネキンかロボット……そう、これはメイドロボの肌だ。皴も染みも、一本の体毛も、毛穴すら存在しない。手のひらがツルッツルの肌色一色に染まっていることに、私はようやく気がついた。血管も見えない。まるで人形の肌。
(え? え? え?)
私は慌てて全身を隈なく調べた。どこもそうだ。私の肌は異常なまでに綺麗に、どこも均質な色と質感に統一されてしまっている。しかも、場所によっては光沢すら放っている。
(なんで……?)
血の気がひいた。答えはもうわかってる。心当たりある。というかコレしかない。私は純白のレオタードを脱いだ。私の胸に乳首はなかった。最初からなにもなかったかのように、違和感なく肌色の曲面が光を反射している。
(え、う、嘘……そんな)
触ってみても、確かにそこはただの滑らかな曲面に過ぎず、突き出た箇所はない。痕さえない。そっと視線を落とすと、股間も綺麗に肌色一色に染まっている。いつの間にか完全に脱毛され、全ての穴が消え失せていた。マネキンの股間のように、そこには何もなく、滑らかな肌のみが存在している。
(いや……嘘でしょ、ありえない、第一、これまでどうしてトイレに……)
ハッと思い出す。最後にトイレに行ったの、いつだっけ? 自分の顔が異常に綺麗になっていることに気づかなかったのも、鏡を見る機会が減っていたからと考えると……。
私は慌ててメイドロボの衣装について調べた。自己修復機能……。知ってた。知ってたけど、まさか人間にも効果ありだなんて知らなかった。そんなの、想像できるわけないじゃない。酷い……。どうすればいいの、コレ……。
部屋の照明を反射する私の全身。私の肌は、いつの間にかメイドロボ仕様に「修復」されてしまっていたのだ。あの異様な着心地の良さも、もしかしたら修復が関係してたのかもしれない。
もう着るのはやめよう。手遅れかもしれないけど。しかし問題は、どうやって治すか。ほっとけば治る……ようには見えない。人のものとは思えないテカテカの肌は、どこまでも不安を煽る。既に全裸なのに、まだ服を脱いでいないかのような錯覚を起こすほどだ。
病院に行っても、そうしたら事情を説明しなければならなくなる。廃棄するはずだったメイドロボ衣装を横領したこと、それだけじゃない、体内にメイドロボAIを違法にインストールしていることもバレてしまうだろう……。
(あ~、もう!)
私は頭を抱えてうずくまった。八方塞がりだ。誰に、どこに相談すれば……。職場は駄目。病院も捕まる。自分で……自分で何とかするしか……。
追い詰められた私はとんでもない行動に打って出た。あえて全身メイドロボ武装して、工場へ乗り込んでやろうという作戦だ。私はレオタードに加えて手袋とニーソもつけ、メイド服本体を身につけ、カチューシャまで装着。そして……髪はピンクに染めた。人間だとバレないように。知り合いに会っても藤原芽衣だとは気づかれないように。この髪色ならだいぶ印象が変わるはず。大丈夫……バレないバレないバレないで。
一歩外に出ると、もう後悔の波が押し寄せる。何やってんの私。こんなコスプレをして近所をこれから……工場まで歩いていくなんて。正気の沙汰じゃない。でも、もう私にはこれしかない。メンテに来るメイドロボに混じって工場内に入り、夜までどっかに隠れる。それから肌を元に戻す方法を探る……。不法侵入に始まり違法行為のオンパレードだけど、それ以外ない。……多分。
しかし、よりにもよってコスプレっぽいミニスカ衣装のせいで、ますます羞恥心がうずく。道行く人々全員が私を見てはドン引きしているのではないかと気が気じゃない。
(大丈夫……メイドロボだって……思っている……はず……)
と何度も何度も自分に言い聞かせながら、最寄りの工場へ向かって歩く。だってこの格好にこの肌なんだ、コスプレした人間だとは思わないはず……。思わないで……。メイドロボです、私はメイドロボなんですっ……。
(ああ……馬鹿みたい)
なんで私はこんな世紀の恥晒し行為をしてまで……それは、真面目に相談すると大恥をかくからで……そのためにこんな恥の上塗りを……。本末転倒な気がする……。焦りで頭がどうかしたのかもしれない。もっとマシな方法が……。でも言ったら捕まるし……。
真っ赤に顔を染めつつ、染めちゃいけない、人間だってバレる……と自分に注意するが、こればっかりはコントロールできなかった。顔を上げて、胸を張って歩かないと不自然だ……。でもダメ。普段使う道をこんな格好で歩いてて、恥じるなって無理だよ……。ああどうか、不具合が起きてるメイドロボあたりで皆納得してくれますように!
工場に近づくと、自分以外にもちらほらとメンテに訪れるメイドロボが道に増え始め、私は少し気が楽になった。これで……絶対にメイドロボだと思ってもらえてるはず……。でも、私ほど派手な髪色をしてる子はいない。普通に黒髪……じゃ流石にバレる。こうするしかなかったんだと何度も自分に言い聞かせながら、私は工場の敷地内に足を踏み入れた。幸い、他にも多くのメイドロボたちが同じように入ってきているから、バレてはない感じ。
どっか人目のつかないところで終業まで待ちたい。けど一体だけ行く所が違うと目立つ。しばらくは同じ行動をとって、隙を見て群れから逃げ出そう。私は前方を歩くメイドロボに従い、メンテ会場らしい建物へ入っていった。
薄暗い通路には、作業着を着た若い男性が一人立っていた。訪れたメイドロボたちを通路の端に並ぶよう指示している。うーん、ここは従った風にして、あとで隙を見て奥のトイレに隠れようかな。
男性が私の肩に手をかけ、メイドロボの隣を指さした。
「ここで待機」
「はい」
勝手に声が出た。不自然な応対にならないよう、念のためにメイドロボAIをオンにしてきたのだ。私の体は私が指示するまでもなく独りでに動き、先に着ていたメイドロボの隣に並んだ。スカートの前で両手を重ね、待機姿勢をとる。上手くいった。バレてないはず。……しかし恥ずかしい。こうして間近で若い男に、こんな格好をしてメイドロボのフリをしているところをマジマジとみられるのは想像以上に心が……。
「番号」
(へ?)
ヤバい。しまった。彼は私の製造番号を確認しようとしている。ないよそんなもの。バレちゃう……。
答えない私に対し、男はとくにこれといった反応も示さず、さもよくあることであるかのように身を屈め、私の太腿を覗いた。
(あっ、ちょっ)
見ないでよ、スカートの中なんか! でもどうしよう。番号ないのバレちゃった。
「奥の修理室」
「はい」(えっ?)
が、彼は狼狽えることもなく、淡々と告げた。私の体は通路の奥へ向かって歩き出す。番号抜けって、よくあるミスなんだろうか?
でもよかった。途中にトイレがある。あそこに……あそこに……あれ?
私の体はトイレの前を通り抜け、奥の修理室へ向かって歩みを止めない。
(待って待って。そこ。そこなの)
私は足を止めようと力を込めた。いや込めようとした。が、それはできなかった。私は体を操ることが一切できなくなっている!
(!? うそっ!)
おかしい。メイドロボAIはオンだけど、これまでは自分で動かそうと思えば動かせたはず……ああダメ。体が動かせない。どうしよう。止まらない……。ひょっとしたら、「修復」は肌だけではなかったかもしれない。
修理室の扉を開ける時、私の焦りは最高潮に達した。まずい。それって、人の命令に逆らえなくなっちゃってるってこと!? ここから逃げないと。
「おう」
修理室の少し奥にいる男性がぶっきらぼうな口調でそう言うと、私の体はそっちへ向かって進みだした。いけない。命令が途切れない。
私は円形の台座に乗るよう促され、そこに立った。私も知ってる。生体ロボットの破損個所を調べる機械。バレる……人間だってバレる。逃げ出そうにも体はAIに奪われたままだし、声も出せない。いつの間にかとんでもないピンチに……それも泣いちゃうぐらいアホらしい、自分で招いたピンチに陥っている。
無数のコードが繋がれたリングが私の周囲を上下したあと、ディスプレイを見ている男が言った。
「癒着漏れ、番号漏れ」
「はー! どこの馬鹿だ?」
(……ん?)
私は台座から降ろされ、作業着の男性の前に立たされた。てっきり人間だとバレたと思ったんだけど、そうじゃないらしい。良かった、一安心……と思った瞬間、男の持ったノズルから猛烈な勢いで粘っこいシャワーが放たれた。私の全身を襲い、あっという間に私は全身ベチョベチョになっていく。
(あっ、ちょ、うそ!?)
間違いない。修理作業が始まったのだ。あまりの唐突な始まりに虚を突かれ、私は事態を理解するのが遅れた。……いや、メイドロボ相手にいちいち手順の説明なんかするはずがなかった。
(待ってください、私は人間なんです! 癒着しないで!)
私は心の中で叫んだ。知ってる。これはメイドロボの服を本体と接着させる液に違いない。このままじゃ、永遠にメイド服を脱げなくされてしまう。そんなことになったら一巻の終わりだ。本当にメイドロボになっちゃう。
(んーっ! んー!)
必死に体を動かそうと懸命に手足に指示を出す。しかし、頑として言うことを聞いてくれない。そうこうしている間に、元々隙間なく張り付いていたレオタードが、手袋が、ニーソが、次第に肌に一分の隙間なく貼りつき融合していく感覚がハッキリと感じ取れた。
(いやーっ!)
メイドロボ化してしまった肌を元に戻すために来たのに、これじゃあ正反対だ。一生この服が脱げなくなるなんて嫌だ。よりにもよって、コスプレ感の強いミニスカメイド服なんて……!
私がどれだけ焦ろうと、心の中で叫ぼうとも、レオタードの上からさらにメイド服が体と一体化していく。私はフリルとリボン満載のミニスカメイドとして生まれ変わろうとしていた。
(やめてーっお願い! 動いてぇー!)
だが願い空しく、私は真顔で前を向いたまま一歩もそこから踏み出せず、呪いのメイド服が体と融合していくのをジワジワと理解させられるほかなかった。
(あ……あぁ……そんな)
「スカート持って足開け」
「はい」
しかも液が乾くとすぐに、私は太腿を大胆に公開させられた。何が起こるのかはわかっている。だからこそ、私は心中絶叫した。ジュウジュウと音をたて、煙を上げる焼き鏝が迫ってくる。私は抜けていた製造番号を刻印されようとしていた。
(まっ待って! お願いそれだけは!)
熱された機械が私の太腿に当てられる。私は逃げることはおろか、抗議することも、嫌がっている素振りを見せることすらできず、ただスカートをめくりあげて運命を受け入れることしか許されなかった。
(ああああっっつういいい! やめてえぇ!)
太腿に激痛が走る。鋭い刃物で切り裂かれているような感覚と焼けるような痛みで私は心の中で泣き叫ぶ。でも私の体は石像のように動かず、痛みにのたうち回ることができず、それがますます痛覚を刺激する。
(あっあがっ、やめ、あああっ!)
メイドロボの製造番号はナノマシンを神経系と接続する特殊な刺青で、一度入れてしまえば除去や変更は絶対に不可能だということを知っている。だからこそ痛みも絶望も二倍だった。
太腿から機械が外されても、私の腿からはまだ仄かに蒸気が上がり、焼けるような痛みがずっと続いていた。
(あ……ああ、嘘。こんな……こんなことって)
その後のことはよく覚えていない。脳が理解を拒んでいた。メンテを終えた私は工場内に潜むことはできず、帰宅を余儀なくされた。命令に逆らえないからだ。行きは卑屈に顔を下に向けていたのが、帰りは堂々とまっすぐ前を見て歩かされる。完全なメイドロボに改造されてしまった自分を見せつけるかのように。私は顔を隠すことも、歩みを遅めることすらできず、常に一定のペースで家に向かい続けた。ミニスカなせいで、製造番号がチラチラと周囲には見えてしまっていることだろう。行きはあれほどメイドロボだと思ってもらいたがっていたのに、今の私はまるで逆。
(たっ助けて……誰か……私人間なんですっ……メイドロボじゃないんです……)
家に帰ると、ようやく命令が全て終わり自由になった。私は風呂場にかけこみ、勢いよくスカートをたくし上げた。緑色に光る5489の数字……。私は泣き崩れ、太腿を掻き、さすった。この数字はもう二度と消せない。たとえすべてを告白して私が人間だったということを理解させてもだ。私は永遠に、メイドロボであることを示す刻印と共に生きていかなければならないのだ。
「うっ……あ、ああ……」
こんなことになるなら、最初から全部……。病院に行けばよかった。変に誤魔化そうとしたから……。馬鹿バカ。私のアホ。メイドロボに化けて工場になんか行かなければ……。
茫然自失となりながらも、私は自身に夕飯の支度を命じ、それを淡々とこなす自分を内側から見つめていた。この期に及んでメイドロボの力に頼る自分に呆れながら、私は真っ黒に塗りつぶされた今後のことを考えた。いったい……いったい、これからどうすればいいんだろう。この番号がある限り、もうまともな仕事は……いや、人間だと思ってもらえないかも。職場の同僚にさえ。この製造番号というのは人間とメイドロボを明瞭にわける唯一の印にして証。藤原さんとよく似たメイドロボってことになるだろう。
その後お風呂に入ろうとした時、服が脱げなくなっていることを思い知らされた。番号の衝撃で頭から抜け落ちていた。……正直こっちの方がヤバいかもしれない。日常生活を送るうえで。よりにもよって腰と胸元に大きなリボンのついた派手なミニスカ衣装のせいで、そう簡単に上着で誤魔化せそうにない。いくら引っ張っても脱げない。ズレもしない。すっかり体と一体化していて、まるで皮膚みたいだ。長い白手袋も、ニーハイソックスも、カチューシャさえもピンク色の髪と融合していて外せない。会社にはもういけない。どんな仕事も……。
(どうし……どうし……どうしよう。私、これから一生この格好で生きていかないといけないの? 周りからメイドロボだって思われて……そんな)
それから数日間、私は身の振り方を考えた。まともに人間として生きていくのは……無理そうだ。死ぬほど辛い、泣きたい事実。でも認めるしかない。この製造番号がある限り、私はメイドロボとして見られてしまう。この服も脱げないんじゃ、やれることも限られる。
いっそ……いっそのことだよ。メイドロボとして生きてやろうじゃん。それが私の結論だった。少なくとも、打開策が見つかるまでは……。だって名乗り出て事情を説明したところで、世紀の馬鹿女として世間の笑い者になりながら、メイドロボ化した体はそのままで刑務所に入るだけだろうから。
とはいえ、見知らぬ人間の所有物になるのも耐えられないし、自分の生殺与奪を他人に託すのはリスクが大きすぎる。じゃあどうするの?
私は自分の持てる技術全てを使い、メイドロボAIオンオフ機構の改良に費やした。スマホは勿論、動作や口頭での操作だと駄目だ。だって私は物を所有することが許されない身分になるんだし、動きは所有者に支配されてしまうから。
試行錯誤を繰り返し、脳内でオンオフ切り替えられる仕組みを実現させた時には身辺整理も一段落し、私が人間をやめる手筈が整った。死ぬほど悔しくて惨めで……でもしょうがない。
私は自分を売った。メイドロボとして。相手はメイドロボのレンタルサービス。奇しくも、私が初めてメイドロボを利用したあの店だった。
清潔に掃除が行き届いたショップの一角に私は搬入された。ネットで申し込んだから店舗に来るのは初めてだ。可愛らしい子、美人な子、色んなメイドロボが台座の上で待機姿勢のまま固まっている。まるでマネキンのようだ。自分もこれからこの仲間入りをするのかと思うと、自分で決めたこととはいえゾッとする。惨めな境遇に泣いてしまいそうだった。
スタッフルームに通らされた私は、所有者登録と設定、そして家事データのインストールを受けた。若い男性スタッフが、私のスカートの中を覗き番号を確認しても、そこに邪な気持ちはまるで感じられない。部屋の誰もが私を掃除機か何かのように見ているのがハッキリとわかってしまう。
(わ……私、人間……なんですよ)
「5番ね」
「はい」
指定された場所に向かい、私は台座の上に立ち、スカートの前で両手を重ね、にこりと微笑み、そのまま時を止められた。私はいよいよ、店舗に飾られるレンタルメイドロボの一体となってしまったのだ。
(……はぁ)
最悪だ。世界でこれより惨めな境遇にいる人いる?
店を訪れた客が視界を横切っていく。誰も私が人間だなんて、露ほども思わないらしい。品定めするようにジロジロみられると気持ち悪いけど、棚か何かのように無視されるのも辛かった。願わくは知り合いが店に来なければ、レンタルを頼まなければいいけど。髪はピンクのままだし、製造番号があるからきっと「私」だとは気づかないだろうけど。でも「藤原さんそっくりのメイドロボ」にはなるのかな。写真撮られてシェアとかされたら……。想像するだけで涙が出そうだ。
幸い、その日は私がレンタルに行くことなく店は閉じた。誰もいなくなってから私は脳内で訓練したオフワードを思い浮かべ、メイドロボAIを停止。しばらくぶりに自分の体を取り戻した。
「はぁ……」
これからずっと、ここでモノ扱いされる日々が続くのかと思うとげんなりする。スカートをめくり、私は恨みを込めて自身の製造番号を見た。これさえなければな……。
店の中をウロウロと物色し、新たな同僚たちに心の中で皮肉交じりに挨拶した。私もこのロボットたちの仲間になっちゃったのか……。
何となくスカートをめくり、彼女たちの番号を確認していると、見覚えのある番号があった。顔も……服装もそうだ、間違いない。私がレンタルした子だ。
「ああ……お久しぶり……です」
あの時はまさか、自分が正真正銘のメイドロボになるだなんて思ってもみなかった。しかも、自分がレンタルしたロボと同じ店に並ぶなんて。
スタッフルームに回り、私は店舗の中を調べた。ここに自分を売ったのは、元に戻る方法を探す、待つためでもある。番号を消す方法とか服を脱がす方法とかできれば、こういうとこにも情報がくるはず。工場とかだとなんか改造とかされそうで怖いし。壊されるかもしれないし。
店の様子をあらかた把握したので、私は自らの台座に戻り、メイドロボモードをオンにした。再び待機姿勢に戻され、身動きできない。
明日からはきっとどこかへ派遣されるだろう。家事のできない人、購入に迷ってる人の家に……。私は「先輩」の背中を見ながら、もしあの時私の家に来た子が人間だったらどんな気持ちだったんだろうなぁ……と想像しながら、粛々と無人のディスプレイをこの身で飾り続けた。