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「嫌でーす。廃部なんかしませーん」 「あのね……」 私は呆れた。目の前にいるチンチクリンの子は黒魔術部の部長。まあ、部員は彼女一人。私は生徒会長として、この部の廃部が決まったことを伝えに来たのだが、彼女はそれを拒んだ。部は最低三人って決まっているし、第一高校生にもなって黒魔術がどうのこうの話し合うなんてちゃんちゃらおかしい。 「黒魔術なんて存在しないんだから、そんな部あっても無意味でしょう。第一、部員が最低三人というのが規則です。黒魔術部は今学期限りで廃部、それだけです」 「あー酷い。黒魔術馬鹿にしたわね」 「当然でしょ。高二にもなって」 彼女はいかにもって感じの黒いローブを制服の上から羽織り、三角帽子を頭にのっけている。漫研にいくか、コスプレ部でも立ち上げたほうがいいんじゃないの。一人でありもしないものの探求……いや妄想なんかして何が面白いのやら。 「じゃ、こうしましょう。黒魔術があるって証明できれば廃部はなし。いい?」 「なんでそうなるの……」 私は部室を整理しておくように告げて立ち去ろうとしたが、彼女は私の脚にしがみつき行く手を阻んだ。 「ちょっと、放しなさい。私は忙しいんだから」 「いーやーだー」 埒が明かない。仕方がなく、私は譲歩することにした。ま、実際何も譲ってはいない提案だけど。 「わかりました。じゃあ、黒魔術とやらが存在するって証明できたら、廃部は考え直してあげてもいいです」 「ほんと? やったー」 彼女が脚から離れたので、私はこのまま立ち去ってやろうかとも思ったが、白黒ハッキリさせた方がこの子も諦めがつくだろう、と思い直し、その場に留まった。 いそいそと準備を始める彼女を見ながら、私は憐憫と軽蔑の念を感じずにはいられなかった。可哀想に。黒魔術なんて存在しないんだから、どうあがいても廃部なのに。私だったら手品で誤魔化すだろうか……。と思ったものの、どうやらトリックを見破るなんて手間すら必要なさそうだ。それっぽく描いた魔法陣の中心に来るよう促され、彼女は宣言した。 「はいはーい。今から会長を人形に変えまーす」 「ぷっ」 思わず吹き出してしまう。高二になって本気? 「楽しみね」 定まっていた勝利を改めて確信した私は、彼女の誘導に従って目を閉じた。ややつたない発声で呪文っぽいものを懸命に唱えているのが聞こえる。やれやれ。 「はい、い~ですよー」 そう言われて目を開いた瞬間。信じられない光景が広がっていた。見たこともないほど大きな靴……! 「えっ!? えっ、あっ……」 慌てて周囲を見ると、全てがさっきまでとは一変していた。せせこましい倉庫のような部室と、それを更に息苦しくしていた棚はどこへ? こんな広い部屋じゃなかったはず……。いや。棚はある。よく見たら。ものすごく大きな棚が。一段が一階ぐらいの……。大きな靴が少し動き、私は本能的な恐怖でビクッと体を震わせた。 「成功でーす。どう? あたしの黒魔術」 頭上遥か、大きな間延びした声が聞こえる。何が起こっているのか私はもう察しているけど、理解は拒んでいる。恐る恐る顔を上げると、そこには大きな顔が……巨人と化した部長の姿があった。得意気にニヤニヤと笑いながら、私の様子を伺っている。 「あ……あ……あ……」 う……嘘だ。こんなのありえない……。まさか本当に……トリック……いや、この圧倒的な迫力、全身を取り巻く冷たい空気、映像とかじゃありえない。この部室、確かにさっきまでいた……黒魔術部……黒魔術なんて……ありえ……な……。 「ぃ、いやーっ!」 私は絶叫してしまった。彼女の黒魔術とやらで、私は人形みたいに小さくされてしまったのだ! 「ふっふーん」 巨大な手が私を掴み、すごい勢いで宙に舞いあげる。まるで屋上から吊るされているかのような感覚だった。やっぱり映像とかじゃない……全身が、紛れもなく現実だと告げている。体をつまむ巨大な指の感触は、決して作り物ではない。生きている、本物の指。巨大な指。私にかかる重力は、間違いなくここが数メートル級の高度であると言っている。幻覚じゃない。 まるで鬱憤を晴らすかの如くブラブラと揺られ、私は生きた心地がしなかった。声も出ない。手足も動かす気が起きない。 汚らしい机の上に置かれ、改めて私はここがセットではないことを認識させられる。大きな木目と汚れ。これは間違いなく本物だ。木目ペイントを施したドッキリセットじゃない。一目見て、いや接する足とお尻が伝えてくる。紛れもなく木材だと。 腰を抜かして、両目をまん丸にして、私はとんでもなく大きな顔を見つめた。毛穴や鼻の中までハッキリ見えて、気持ち悪いぐらいだ。鼻息で周囲の空気が流れる。映像でこんな迫力出せっこない……。私、本当に……でも、そんなまさか……。 「ちょっとー」 自分の十倍はありそうな巨人の発した不満気な声は、私の心臓を縮みあがらせるには十分過ぎた。 「なんか言うことあるんじゃなーいの?」 「……」 私はじりっと後ろにお尻を下げながら、声を震わせて答えた。 「えっとこれは……あなたが……」 「そう!」 「……ご、ごめ……なさ……」 「えーちょっとー、何そんな怖がんないでー」 そんなこと言われたって……無理よ……。 「わ、わかった。私小さくなった、うん。黒魔術で。疑って……ごめ」 ぶつぶつ途切れさせながら返答を続けると、彼女は背筋を伸ばし、人差し指を立てて左右に振った。 「ちっちっち……。あたしの話、聞いてなかったでしょ」 「? ……あ、あぁ。廃部のことね。わかった、私が……なんとかする、から……元に戻」 「ちがーう!」 私は全身が震えあがり、涙さえ滲んでしまった。至近距離に立つ巨人の叫びは、生存本能をかつてないほどに刺激してやまない。 「あたしはー、小さくする魔術をかけたんじゃないのー」 「?」 「人形にするって、言ったでしょー」 私は反射的に自分の手の甲を見た。艶々とした均質な肌。血管も毛穴も、関節の皴すらない、恐ろしく綺麗すぎる肌だった。まるで樹脂製のフィギュアのような。 (え?) 続けて手のひらを。同じだった。フィギュアのように滑らかな肌。何にもない。 (え……え、嘘……?) 隣にドンと鏡が置かれた。そこには、樹脂みたいな質感を放つ制服を着た、女子高生のフィギュアが映っていた。 「な、な、何よコレー!?」 アニメみたいな大きな瞳。肌色一色で樹脂みたいに硬そうな肌。私の顔は、アニメキャラのようにデフォルメされていた。両脚も手や顔と同じように艶々で、光沢すらある。到底動きそうにない体だけど、いつも通りに動かせる。ありえない。何もかもが……。 「も、元に戻して! 今すぐ!」 「廃部はー?」 「何とかするから! わかったから!」 私は必死に訴えた。だが、彼女は首を縦に振らない。 「実際に撤回させてきたら戻したげる」 「そ、そんな……」 意地悪そうな笑みを浮かべて私を見下ろす姿は、まるで悪魔みたいだった。 「む、無理よこのままじゃ……」 人形になったまま生徒会室に戻ったら、いや廊下で誰かとすれ違えば大騒ぎになる。廃部の取り止めどころじゃないし、私を人形にしたことでますますこの部、彼女の立場だって悪くなるはずだ。そんなこともわからないんだろうか? 廊下に連れ出された私は、何度も後ろを振り返りつつ、足早に部室から離れた。見慣れた廊下がいつもの廊下だとはまるで思えないほど違って見える。高速道路のように広く、線路のように長い。しかもここは巨人の通り道なのだ。振動と重厚な声の響きが否応なしに私を恐怖させるが、立ち向かわない選択肢はない。 角を曲がるとちょうど人が多くいた。皆はすぐに小人の登場に気づき、大きな顔を続々と私に向ける。なんてことない同い年の真顔が、いまは野性の熊より恐ろしくてならない。 「あっ……あの、えっと」 なんて声をかけたらいいんだろう。助けて? いや、それより先に説明しないといけないことが……。 「会長だー」「可愛いー」「こんばんはー」 彼らはそれだけ言って、またすぐ自分たちの会話に戻った。もう誰も私を見ていない。 (……えっ!?) 驚いたのは私。だって、いきなり知り合いが定規ほどに縮んで目の前に現れたら、普通もっとびっくりしたり、パニックになったり……するはずじゃない? いや、もしかしたら人形を使ったドッキリか何かだと思っているのかも……。 「い、いや、私、本物なの。人形とかじゃなくて。助けて欲しいの」 ああやだ。気が焦るばかりで、順序だてて説明できない。いつもならもっと冷静に……。 「は?」「え?」 望んだ反応……ではなかった。彼らの虚を突かれたかのような表情は、明らかに「喋る人形」や「縮んだ人間」に対するソレではない。皆が眉を顰めて口々に続けた。 「え……会長どうしちゃったの?」「うわー、動く会長初めて見た」「動くじゃん……」 虚を突かれたのは私だった。おかしい、なにか様子が……反応が変だ。そうじゃないでしょ、動く……えっと。 「み、みんな、落ち着いて聞いて。にわかには信じてもらえないかもしれないけど……。私、さっき黒魔術で小さく……人形にされちゃったの」 「?」「え、何、ギャグ?」 空気がおかしい。想定と違う。突拍子もない話を信じてもらえない、という反応ではなかった。戸惑っていると、女子一人が屈んで信じられないことを言った。 「会長は最初からお人形でしょ」 「……へっ?」 「動くのは会長に合ってないよ」「だよなー、会長のキャラじゃないよな、動くのは」「相談あったらのりますよ」 相談、いやだから今相談を……いや、おかしい。根本的に何か食い違っている。 その時、背後に巨人が現れた。黒魔術部の部長……。 「ねっ」 「……ねえ、ちょっと、どうなってるの」 天井を仰ぎ、か細い声で私は尋ねた。返ってきた答えはとんでもない内容であった。彼女曰く、今私という存在は誰からも「人形」だと認識されているから、いくら人形にされたと訴えても絶対通じない、という。加えて驚いたのは、私が人形らしくない行動をとるということは、反社会的言動として解釈されるのだということ。 「あとで元に戻った時大変ですよ~? さっきのやり取りはぁ、会長が会長らしくない振舞いをした……ま、つまりヤンキーですね、グレたような言動をとった記憶にすり替わると思いますから……。会長、推薦だめになっちゃいますね~」 「うそ……そんな……ことは……」 いきなりそんなことをまくし立てられたって、信じられるわけがない。突拍子がなさすぎる。でも……でも、彼女の黒魔術で私が人形に変えられてしまったことは事実。じゃあ、今言ったことも本当に……? 私は縋るような目で皆の方を見た。無言の非難、圧が私を襲う。さっきのかみ合わないやり取りも、部長の話したことと合わせれば筋が通ってしまう。皆にとっては、私がいきなり素行不良になったように見えていたんだ……。 「やっぱりぃ、生徒会長は模範的な振舞いをしないとね~」 部長が屈み、小声で私にそう言った。 「何……どうすればいいの……?」 「やだぁ、わかってるくせに~」 でも……そんな。それじゃあ、どうしようも……。助けを求めることが……。しかし、巨人たちの放つ圧に、私は抗うことができなかった。背筋を伸ばして、両手も斜め下に伸ばし、ジッと口をつぐむ。 周囲の雰囲気が和らいだ。 「うん、やっぱ会長は普段通りがいいっすよ」「良かったぁ、いつもの会長に戻って」「会長は動かないのが一番ですよ」 皆は安心した表情で、廊下を去っていく。私はそれを黙って見送った。 (う、嘘ぉ……。そんなぁ……) 私はあくまでも「人形」として振舞わなければならないらしい。人形らしくない言動、すなわち動いたり喋ったりすると、世間から「不良になった」と思われてしまう……。こんな滅茶苦茶な話ある!? 「ふっふーん」 巨大な手が私を掴み上げる。部長は鼻歌を歌いながら私を持って歩き出した。高所を高速で運搬されることへの恐怖もあるけど、それ以上に憤りの方が強かった。元はと言えばあなたがごねるから……。なんで私がこんな目に。 (ていうか、そうよ。私が話しちゃいけないんなら、廃部の撤回は無理じゃない) 生徒会室。会長の机上に置かれた私は、我慢できなくなって口を開いた。 「ねえ、あなたの力は十分わかったわ。いい加減に元に戻して」 「だーめ。廃部を撤回させたらね」 「ふざけないで。動いたらダメなのに撤回させられるわけないじゃない」 部長はこの問いに答えず、ニヤニヤと笑いながら、机から離れていく。 「あ、もしも人前で動いたり喋ったりしたら、あとで元に戻った時『生徒会室で暴れた』ことになっちゃうと思いますから、気をつけてくださいね~」 「なっ……ま、待ちなさい!」 彼女はそのまま部屋から出ていき、あとには人形になった私一人が残された。 (ちょっと、冗談でしょ……) ほっぺをつね……れない。硬くて変形しない。表情は動かせるのに。本当に魔法としかいいようのない状態だ。ああ、黒魔術を証明できれば廃部撤回なんて言うんじゃなかった。システマチックに、部員数を根拠に……あ。 ひょっとしてこれは、不可能な条件を突き付けて廃部させようとしたことへの意趣返しなんだろうか……。 帰ることはおろか、生徒会室から出ることもできず悶々としていると、副会長が姿を現した。チャンスだ。彼一人なら、まあ動いてもあとで何とかなるかも。 「会長、お疲れでーす」 「ねえ、ちょっと!」 私が声を張り上げると、彼は目を見開いて固まった。人形が動いたことへの恐怖とか、知り合いが小人になっていることへの驚きではない。純粋な戸惑いが感じられた。「人形」である私が動いて話すというのは、突如生徒会長が窓ガラスを割り始めたみたいに映るのかもしれない。でも、今はそんなことはいっていられない。 「ちょ、会長、なんでそんなことするんですか……」 ただ話しかけただけなのに、バットで棚を壊し始めたかのような対応。余りの理不尽に苛立ちを隠しきれない。私は一気にまくし立てた。黒魔術部の部長に人形にされてしまったこと、私は人間なのだということ、元に戻るために廃部を撤回したことにしてほしいこと……。 「はぁ……はぁ」 肩で息をする私に、副会長は首をひねりながら答えた。 「ま……まあ、わかりますよ、俺も。疲れてるんですよね、会長」 私はその場に音もなく崩れ落ちた。ああ、通じない。なんでぇ。 「俺もまあ、何もかも嫌になって暴れたくなること、あります。いつも80、90点とってるのに、たまに70点台とると、うちの親露骨にガッカリしますからね。90点とっても誉めちゃくれないのにさ」 「いや……そういう話じゃ」 「期待にこたえ続けるのって大変ですよね」 「だからぁ……」 「あ、そうだ。俺、いいもの知ってます。ちょっと取ってきますね」 「あ、待って!」 副会長は部屋から出ていった。私は机上をゴロゴロと転がりながら部長を呪った。 戻ってきた彼は、霧吹きのような器具を携えていた。 「ただいま」 「何それ?」 「だから落ち着いてくださいよ」 一瞬、何を言われているのかわからなかったけど、黙れと言っているのだと理解すると、怒りが沸々と沸き起こった。私は人形なんかじゃないんだから動いてもいいでしょ。馬鹿馬鹿しい。 「ま、これで落ち着きますよ」 私の返答を待たずして、彼は濃い霧のようなものを私の顔面に噴射した。 「んっ!」 突然のことでせき込み、彼から何も聞きだすことができないまま、私の意識は朧気になっていった。 パンっと手を叩く音で私は目覚めた。机上に女の子座りして、ぼうっと前を見つめている。巨人の首元が見える。 「どうですか?」 「……」 副会長に答えようとしたが、何故か口から言葉が出てこなかった。 「大丈夫そうですね。良かったぁ、いつもの会長に戻ってくれて」 (いつもの? どこがよ) さっきまで人間だったでしょうが。部長の勝手な作り話ではなく、本当に私は最初から人形だったことになっているらしい。人形が高校に通って、しかも生徒会長になっているなんておかしいとは思わないんだろうか。しかも動いちゃいけない喋っちゃいけないなんて縛りで……。 (ん? あれ?) 体の感覚もハッキリして、完全に目が覚めたのに、体が全く動かせなかった。私はボーっと前を見つめ、ピクリとも動かず座り込んだままだ。 (待って。どうして……) 寝ぼけてる? いや違う。視界も感覚もクリアだ。でも動けない。声も出せない。 (わ、私、本当に人形になっちゃったの?) 指一本も動かせない。動かす指示を脳が出せない感じだ。ずっと同じ姿勢を取り続けていることしかできない。 (あっ、そういえば) 寝る前に……というか、なんで生徒会室で寝ちゃったのか。副会長が何か私に吹き付けたんだ。あれが……。 (わ、私に何をしたの?) 心の中の言葉が届いたはずもない……けど、彼は作業をしながらひとり言のように説明を始めた。科学部から借りてきた、小動物訓練用の催眠液。それを私に吹き付けたのだ。私がトランス状態になっている間に、「人形としての振舞い」を改めて守るよう言いつけてあげました、と……。 (ちょ、ちょっと冗談でしょ。そんな……ああ!) あの液は私も知ってる。去年の文化祭、科学部の展示にあった。迷路をスルスルと通り抜けるハムスター。ハムスター用の調教が私に通じたという事実に激しく混乱するし、まるでペットか何かに成り下がったように思えて動揺した。 (ふざけないで。私は実験動物じゃないの) しかし、私の抗議が言葉になって口から出てくることはない。いくら力を入れようとしても、手足が言うことをきいてくれない。静かに佇んでいることしかできない。 「会長には俺もよく勉強教えてもらいましたし、これぐらいは」 彼は真剣に恩返しをしたつもりのようだ。動いてはいけない人形にどうやって勉強を教わったっていうの。もうちょっと踏み込んで考えて。皆魔術に騙されてるのよ。 (も、元に戻して。困るわ) 人前では動く事も喋ることもできない……。それじゃ、正真正銘の人形じゃない。さっきまでは周囲の雰囲気で強要されていただけだったから、その気になれば動けたのに。これじゃあ助けを求めることはおろか、黒魔術部の廃部撤回さえできない。 (ねえお願い。あの部の廃部のことなんだけど) 「じゃ、黒魔術部の廃部の件、先生に出してきますから」 (ダメ! そしたら私、人間に戻れない!) 願い空しく、副会長は書類を持って部屋から出ていってしまった。私はそれを黙って見守ることしかできず、彼が出ていった瞬間にようやく体が自由になった。 「待って……!」 ドアにかけよるも、ドアノブに手が届かないし、人前に出たら勝手に動けなくされる催眠をかけられたこの状態じゃ、追っても無駄だ……。私は机上に戻り、どう言い訳するかを考え出した。私は一生懸命頑張った、そもそも人形に変えた部長が悪いわ、こんな体でどうやって撤回させるつもりだったの。 しばらくして副会長と部長が言い争う声が聞こえてきた。あーあ……。 二人が一緒に部屋に入ってきた瞬間、私の全身が硬直し、喉が凍った。 (あっ、また……) いつまで続くのこれ。弱ったな……。 「会長さん、どういうことー? 黒魔術証明したら廃部なしって言ったでしょー?」 (私はそのつもりだったわ。あなたが会話できない体にしたんでしょう!) 「……聞いてる?」 彼女が私を小突く。私はそれにすら一切の反応を返すことができず、ポーズを維持してカタカタと前後に揺れるだけだった。 「え、律儀すぎない?」 部長の言葉が一瞬飲み込めなかった。が、すぐに事態が悪化している訳に気づく。この子はただ人形にしただけ。動けなくしたのは副会長。彼女はこのことを知らない。私が自分の意思で無視してる、動かないでみせている、そう思ってるんだ。 (待って、動けないの。動かないんじゃなくて。副会長が) 「なに? 当てつけ?」 再び指先で小突かれる。懸命に説明しようとしたけど、声が出ない。 (だからっ……もう、ちょっと! 出て声! ねえってば!) 「それとも、人形になるの気に入っちゃった感じ?」 (そんなわけないでしょう!) 全力で否定したかったものの、私は真顔で突っ立っていることしか許されなかった。 「ふーん。じゃいいわ」 部長は見るからにご立腹で、それこそ当てつけのように大袈裟に体を動かしながら出ていく。ヤバい。 (待ってちょっと! 違う! 動けないの! 催眠で! 調教されちゃったの! そこの彼に! 待って、話を……あ) 無情にも彼女の姿は生徒会室から消え去った。もしも人間だったら、嫌な汗が全身を滝のように流れていただろう。 (え……ちょ、ちょっと待って。うっそまさか……) 私、元に戻してもらえないの? ずっと人形のまま? (い、イヤ! ふざけないで! 部は何とか! 私が何とかするからぁ!) しかし同じ部屋に副会長がいる限り、私には一切の動作が許可されない。 (そもそも、あんたが……なんでこんな……) 「じゃ、お疲れ様です」 彼が部屋から出ていく。心の中で罵倒しながら、私は静かに見送ることしかできなかった。 (ああ……どうしよう) こんな体じゃ家にも帰れない。たとえ体が動いても、人形のままじゃ距離が遠すぎるし、危険だ。今夜は生徒会室に泊まるしかなさそう。 (はぁ……最悪) どうしよう。私を元に戻せるのも、人間だって理解してるのも彼女だけだし。まずは誤解を解かなくちゃ……。でも動けないんじゃどうやって……。 (あ、そうだ) 文章で説明すればよかった。どうして気づかなかったんだろう。 私はパソコンを起動し、まずは生徒会の皆に向けた説明を残そうと試みた。が……。 (あ、あれ……?) メッセージを打とうとすると、急に指先が動かなくなった。手首で打とうとすると、今度は腕全体が動かない。一旦止めようと思うと急に元に戻った。 (これはまさか……) 悪い察しはすぐにつく。検証の結果、どうやら「私からのメッセージ」を残そうとすると、人前に出た時のように動けなくなってしまうことが判明した。そうじゃない行動、意味をなさないお絵描き、ネットサーフィン等は行える。でも、暗号とかも含め、メッセージを残す行動をちょっとでも意識してしまうと、もうそれは禁じられてしまうのだ。 (なんで……嘘、どうして……?) 酷すぎる。これじゃ、本当に助けを求められない。部長の誤解を解いて元に戻してもらうことさえ……。原因は何? 黒魔術? それとも副会長の催眠? どっちでもいい。問題は、これで全ての希望が潰されたってこと……。 「あ……あ、あああぁぁぁー!」 私は絶望のあまり絶叫した。小人の叫びは校舎中に響き渡ることもなく、生徒会室の壁に吸収され消えた。 悪夢のような生活が幕を開けた。私はあの日以来、人間に戻ることはおろか、誰かとコミュニケーションをとることさえできず、生徒会室のお人形として扱われ続けた。 「会長こんばんはー」「お疲れ様でーす」 生徒会が始まると皆は私を会長だと認識して挨拶はするが、それ以上は何もない。私は誰かが部屋に入った瞬間に全身が硬直し、動くことも喋ることもできなくなってしまう。 (う、うぅ……) 皆の雑談や作業を黙って見つめていることしかできない日々に、焦燥感ばかりが募る。このままじゃ……。私どうなるの? この生徒会が終わったら私は……ただの人形になるの? 会長でもないただのお人形として生徒会室の備品になってしまうんだろうか? それとも教室に飾られる? 状況が滅茶苦茶過ぎて予想できない。 足場を作り、部屋から抜け出たこともあった。でも、廊下で誰かとすれ違うだけで私はあっけなく無力なお人形に戻されてしまう。その場に転がり、皆が通り過ぎるのを待つしかないのだ。 「こんにちはー」「会長おはーっす」 皆私を認識はするが、あくまで人形の会長としてだ。私がピクリとも動かず廊下に転がっていることに、誰一人疑問を持たない。そのうち誰かが私を拾い、生徒会室に届ける。それで私の小さな逃亡劇は幕を閉じるのだ。 稀に部長とすれ違う機会があっても、約束を守らなかったことに怒っているのか、はたまた人形として生きていくことを決めたと勘違いされているのか、ほとんど反応されない。ひょっとしたら、もう彼女すらも私が人間だったことを忘れて……いや、そんな……。そしたら私は永久に……。それだけは考えたくない。 人形として無力感に苛まれる日々を過ごしていると、ある日生徒会メンバーの一人が言った。 「最近、会長やる気ないっすねー」 (しょうがないでしょ、動けないんだから!) 動くことも喋ることもできないのに、やる気も何もないもんだ。私にどうしろっての。筆記すらできないのに。 「そうだなあ、確かに」 副会長の言葉が私をイライラさせる。あんたが変な催眠をかけたからこんな訳の分からない事態になっちゃったんでしょうが! 「前はもっと、ちゃんと模範的な人形として振舞っていたのに」 な、何……? 模範的な人形って……。 身動きせず静かに立っている……それ以上に人形としての振舞いなんてある!? その日の夜、私の頭の中は怒りと疑問でいっぱいだった。ただでさえ皆が私を人形扱いして助けてくれない現実、状況を打破しようがない自分に苛立って仕方ないのに。模範的な人形……なにさそれ。黙って立ってるだけじゃ不満!? (でも……動けないのに何しろっていうの?) ただボーっと突っ立っている私は、皆からすると仕事もせずボーっとしている怠惰な生徒会長みたいに映っているのかも。彼らのいう模範的な人形っていうのは、人間でいうと多分真面目に仕事するやる気ある会長に相当するんだろう。でもこの体でどうやって……。 (人形……人形のやることって何?) 人形……着せ替え人形。操り人形。マネキン人形。フィギュア……。人形の役割ってなんだろう。 (って、何で私はそんなこと真面目に考えてるの) 人形になんかなりたくない。元に戻りたいのに。でもこのままだと、怠惰な会長として皆から軽蔑されて……。私は一年後が怖い。会長じゃなくなった自分。かつ、まだ人形のままの自分。どういう扱いになっちゃうんだろう。 やる気がないと看做されて早く解任……はないにしろ、無視されるようになれば、ますます元に戻るのは難しくなるだろうな……。 (う~ん) 「おっ、会長、今日はやる気ですね」「よかった、いつもの会長に戻ってくれて」 (あ……はは) 翌日、私はちょっとした実験を試みた。人形というのは遊ぶ対象でないなら飾るもの……だと思う。飾りに求められるもの、それはまあ……。 私は笑顔を作り、ちょっと顔に手を添えてみたりして、生徒会の皆を出迎えて固まった。つまり、ポーズをとってみたわけだ。 正直、すごい恥ずかしい。生徒会が終わるまでポージングも表情も変えられないのだから。自虐ぶりっ子ギャグを延々とツッコみなしでやらされているようなものだ。 でも、久しぶりにみんなから挨拶以上の話を振られ、内心嬉しくないと言えば嘘になる。まあ、返事はできないんだけど……。 翌日。続けるつもりはなかったけど、皆が入ってくる瞬間、私は思わず笑ってポーズをとってしまった。しかも昨日よりちょっと派手に。 (あっ、待ってダメ!) もっと大人しいポーズにしようとしたが間に合わず、副会長の入室で私は固定された。 (あう……) こんなあざといポーズ、私のキャラじゃない……。人間の体だったら、顔が真っ赤になっていただろう。が、副会長は嬉しそうに私を褒めた。続いて入ってきた皆も。 やっぱり、生徒会室を可愛く彩ることが、人形として私に課せられた模範的な振舞いであるらしい。 (そ、そんな~。ヤダぁ~) 恥ずかしい。私、ぶりっ子じゃないのに。これから毎日こんなことやらなくちゃいけないの? いや、やらなくてもいいんだけど。 でも、私はやめられなかった。人形に変えられ、世界から隔離されてしまった自分に、会話できないとはいえ皆が声をかけてくれる、私の存在を意志あるものとして認識してくれるという事実。今の私には麻薬のようなものだった。だってこれ以外にコミュニケーションがとれない。恥ずかしいはずなのに、私のポージングは次第にエスカレートしていき、アイドルでも気取っているのか、というような媚び媚びのポージングをこなすようになるまで、そう日数もかからなかった。 (ああ……私、何やってんだろ) 冷静になることもある。というか、基本的にはそうなんだけど、挨拶以外の会話が私に向けられる度に、抵抗感は薄まっていく。 (しょ、しょうがないじゃない。これが求められてる振舞いなんだから……) 体も存在も人形のままだけど、生徒会の一員に復帰できたようで、とても嬉しく感じてしまう。動く事も喋ることもできていないのに。 (で、でも……こうしてよく働けば、いつか誰かが魔術の縛りを破って、私が人間だってこと思い出してくれるかも……) すっかり人形として働くことに染まり切った私は、自分でも驚く行動に出た。夜、私は生徒会室から抜け出し、職員室で鍵を盗み、漫研の部室に忍び込んだのだ。 (確かここに……) 漫研が部費で購入したフィギュアたち……確か新発売の着せ替えタイプとか何とか……。前会長と一緒に抗議した覚えがある。 (あった!) ちょうど私と同じ等身のフィギュアたち。肌の質感もそっくりだった。あれだけ無駄だと思っていたこの玩具たちが、まさかこんな形で助けになるとは……。 (い、いや、助け……でもないけど……) 樹脂みたいな質感のメイド服やバニースーツが折りたたんで収納してある。ぱっと見カチコチの樹脂にしか見えないのに、服みたいに扱える。今の私の制服と同じだ。 (これなら……) 「今日の会長マジやる気ですねー」「可愛いじゃないですかー」 (え……へへっ) ないはずの心臓が滅茶苦茶ドキドキしたけど、私の冒険は歓迎された。漫研から盗んだメイド服を着て皆を出迎えてみたのだ。 制服じゃなくても、可愛ければ模範的な振舞いということになるらしい。とことん、私は「人形」だと世界から認知されている。悔しくて死ぬほど恥ずかしいけど、皆に褒め称えられるのは嬉しくて楽しい。会議に参加できたみたい。できてないけど。メイド服を着て可愛く佇んでいるだけなのに、まるで私もみんなの作業に参加できているような錯覚をしてしまう。そしてこの錯覚は私を疎外感と恥辱から救い上げてくれるものだった。 それ以来、私はコスプレに励んだ。可愛い服を着こなし、笑ってポーズをとる。それが生徒会長として私に求められている役割なんだから。 といっても盗品だし、あまりバリエーションはないしで、私はマンネリを感じるようになるまで時間もかからなかった。 (う~ん、どうしよう。もっといろんな服が欲しいなあ) 髪型とかも変えてみたいけど、こっちから話はできないし……。お金もないし……。ダメ元で、私は「もっといろんな服が欲しい」という内容の書置きを残してみることにした。 狙いは的中。生徒会の皆は、誰より熱心に働くようになり、やる気をたぎらせる私に感動し、服を用意してくれる運びになった。 (やった! これでもっと可愛い人形になれ……んん?) 盛り上がる皆をよそに、私は笑顔のまま考えた。そういえば、私書置きはできなくされていたんじゃなかったっけ? 催眠が解けた? でも体は動かないし……? 元に戻れるかも? 久しぶりにそう考えた私は、メッセージを残すことに挑戦した。が、助けを求める内容を書こうとすると、やはり手が止まる。 (あれれ?) わからない。なんで昨日はできたんだろう。……内容? 内容が関係しているの? 更なる検証を重ねた結果、「人形としてのメッセージ」は許されているらしいことを見つけた。 (こ……こんな裏技があったなんて……) もっと早く気づけばよかった。そしたらとっくに助か……らないなあ。人間だって主張は盛り込めないし……。 私は皆が用意してくれた色々を使い、髪を金髪に染め、髪型も変えて、可愛い服装に身を包んで皆の会議を見守った。お洒落の幅が広がったことで、ますます私は生徒会長として評価され、尊敬を集めるようになった。ただ毎日コスプレして固まっているだけなのにね。世界でただ一人、私だけが知っているギャップの可笑しさに、私は内心笑っている。 人形としてメッセージを残すのがオーケーなら、人形を名乗る限り動いてもいいんじゃないかって気がするけど、それは許されないのかなぁ……。どっちみち、催眠のせいで動きたくても動けないんだけどね。 文化祭。私は生徒会の展示品の一つとして、久しぶりに教室に行くことができた。お姫様のようなドレスを着て、可愛らしく固まっていること。それが生徒会長としての仕事だった。 「ほぉ~」「偉いねぇ」「ここの会長さん可愛い~」 外部の人たちも、生徒会長が人形であることに何も疑問を抱かない。可愛く固まっていることを偉いと褒める始末。 (私、やっぱり、このまんまなのかなぁ) 元に戻りたいって気持ちはずっとある。それは間違いない。一生人形のままなんてまっぴらごめんだ。でも、可愛くコスプレしてジッとしているだけで為すべきことを成し遂げているように扱われるこの生活に、私はすっかり染まりつつあった。それじゃいけない、メッセージの穴を見つけて元に戻らないといけないんだって頭ではわかっているし、そのつもりでいるはずなのに、最近はもうちょっとこのままでもいいかなと思ってしまう自分が恐ろしい。 (ダメダメ。私は人間なんだから。永久に人形のままだなんて絶対嫌なはずでしょ) 自分にそう言い聞かせながら、私は模範的な生徒会長として、ドレス姿のお人形となって展示される務めを果たし続けた。

Comments

いちだ

みんなの認識が変わっちゃうというのは良いですね。

opq

コメントありがとうございます。こういうのもいいですよね。