鎖の向こう (Pixiv Fanbox)
Published:
2021-02-18 13:07:13
Imported:
2023-05
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私は自分がわからない。なんで私は高校から帰ると、鉄格子の中に入り込み、鎖で自分を繋いでしまうのだろう。ここは家の近くにある林の中。昔におじいちゃんが建てたらしい小屋があり、私はここを小さい頃から遊び場にしてきた。昔はもう少し可愛らしく散らかっていたと思うけど、今この小屋の半分は檻になっている。鉄格子で遮られた奥のスペースには、重くて無骨な鎖が壁から伸びている。いつからだろう。私が自分の首に首輪をかけて、それを鎖で壁に繋いだのは。小学生の頃はとりあえず鎖付きの首輪をしただけで、壁には繋いでいなかったと思う。それでも変か。
物心がついた時から、私は少しおかしかった。アニメで主人公や仲間が敵に捕まるシーンを見ては、不思議な憧れを感じていた。周りの人、普通の人はそんなことを感じていないと気づいても、あの胸の高鳴りは決して勘違いではなかった。
捨てられるはずだった古いマットを敷いただけの床に、私は転がった。全身重くて、寝返りすらそうそう連発はできない。当然だ。5本の鎖で繋がれているんだから。でも止める気はない。こうしていると気持ちいいから。気持ちいいというのは決しておかしな意味ではなく、心が安らぐ、落ち着くという意味で……。心地いいってやつ。私の友達には、小さい頃から使っているタオルケットにくるまると安心するって子がいるけど、私にとってのそれがこの鎖と鉄格子なのだと思う。別に鎖に育てられた覚えはないけど。
腕を持ち上げると、床を這っていた鎖がジャラジャラと鋭い音を立てる。重くて腕を下ろす。この無意味な動作が私の心を和ませる。理由はわからない。私は誰にもこの趣味を言ったことはない。絶対に理解してもらえないし、ドン引きされるだろう。
私自身、なんで自分がこんな変な趣味をしているのか、いまだにわからない。ただ一つわかっているのは、こうしていると心から落ち着き、リラックスできるってことだけ。両手両足に首の全てを鎖でつなぎ、鉄格子の檻に入る。そうしていると、いつもより楽しい想像やアイディアが湧くし、今日の授業でよくわからなかったところが突然、「あ、あーそういうことだったんだ」と理解できたりもする。鎖で繋がれるのは脳にいい。
でも、同じ趣味の人に会ったことはない。私はおかしい。私は変態なんだろうか。いいや違う。別に私はマゾってわけでもないから。だって痛いのは嫌だ。人に殴られたり蹴られたりだなんて耐えられない。精神的に詰められたいかっていうと、それもノーだ。誰かに酷く言われたら泣いちゃう。そんなもので興奮するなんて、全く考えられない。
でも、じゃあなんで私は鎖で繋がれているのが好きなんだろう。高校生になった今でも、結局その答えは知れない。ネットで探すと、同じようなことが好きな人を見つけたりもする。でも、結局、違うんだ。一見すると同好の士に見えることがあっても、ポイントがずれている。私はマゾじゃないから、人に捕まって拘束されるのは嫌だ。ネットで見かける鎖好きの人は大体そんな感じだから、やっぱり私とは合わない。行為が同じでも、理由が違う。だから話が合わない。結局私は一人なんだ。
マゾだから拘束されたいって、わかりやすい形になっている人を羨ましく思うこともある。私はなんで自分を鎖で繋ぎたがるのか、考えてもよくわからない。痛いのは嫌。責められるのも嫌。誰かに拘束されるのも嫌だ。ただ、こうして静かに檻の中でたくさんの鎖に繋がれているのが好き。
ビリっと音がした、鎖に挟まった服の裾が破けたらしい。また垂れ下がっちゃうな。別にいいけど。
制服やお気に入りの私服でここに入ることはない。それだとすぐに駄目にしちゃう。親に言い訳するのがどれほど大変だったか……。この小屋を見られたら色々とアウトだけど。我ながらアホみたいに危ない橋を渡っている。普段はカーテンで覆っているから、今のところバレてはいない……。いや、わかっていて知らないフリをされているだけかもしれないけど。
鎖に繋がれる時の服は、中古の安い真っ白なパジャマを買ったやつ。鎖と冷たい床に擦れ、今は錆や汚れでぼろっぼろ。穴も空いているし、裂けたところがだらしなく垂れ下がっている。でも、不思議と嫌な気はしない。この服が惨めな見た目であればあるほど、ここでのリフレッシュタイムが一層心地よくなっていく気さえする。
やっぱり変態? 私はマゾ?
いやでも、じゃあ例えば、奴隷として売られるお話に興奮するのかというと、特にしない。わかりやすい答えを避けていく自分の心がわからない。この趣味の根源が何なのか。
よくわからないけど、年月と共にちょっとずつ過激になっていく。鎖は首輪だけじゃなく、手足にもあった方がいい。鉄格子があればもっといい。汚れた白い服ならもっと落ち着く。
私は立ち上がって意味もなくウロウロと徘徊した。狭い檻の中にスペースはほとんどない。でも、鎖は十分長いから、重いのと、絡み合って手足が動かせなくなることがあるのを除けば、行動を制限されることはない。だから結局、私は別に自由を奪われたいとか、そういうわけでもないらしい。
スマホを見ると、結構な時間だったので、私は鍵を手に取り、手足の拘束を解いた。最後は首輪。別にルールを制定した覚えはないし、そんなつもりではないんだけど、首を最後にするのがお決まり。そうじゃないと何となく気持ちが悪い。
できれば一日中こうしていたいけど、そういうわけにもいかない。親が来たらえらいことになるし。だからそれより前にこっちから引き上げて帰宅する必要がある。宿題もあるし。
ある休日に、私の密やかな願いは叶えられることになった。お父さんとお母さんが両方とも、夜まで家に帰ってこない。私はそれを知った時、すぐに頭に浮かんだ。二人が帰るまでずっと、何時間も自分を鎖で拘束できるという事実が。そして、迷うことなく私はそれを実行することに決めていた。
昼に二人とも見送りおえた後、しばらく待ってから私は行動を開始した。家を出て、戸締り確認、それから林の中へ。別に悪いことをしているわけではないけど、妙に後ろめたくてドキドキする。
小屋に入った私は、早速服を脱ぎ、惨めな古いパジャマに着替えた。格子の中に入り、まず首輪をつける。鍵をかけ、次に手足。セットアップはすぐに完了。私は5本の鎖に繋がれ、鉄格子の檻の中に自らを放り込めたのだ。
気持ちよく背伸びして、私は硬くなったマットに転がった。誰もいない小屋の中で、床とぶつかった鎖がジャリンと金属音を立てる。爽やかな気分だった。こうして静かに鎖で繋がれたまま、何時間も檻の中にいられるなんて。これまでも何度かやってきたけど、5本に増やしてからは初めてのはず。
重い鎖が手足と首を床に押し付ける。目の前には鉄格子が静かに並び、私と世界を隔ててくれている。しんと静まり返った小屋の中で、私は体を横に向けた。また鎖が音を立て、私を引っ張りながら引っ張られる。心地いい。信じられないぐらいリラックスできる。楽しい想像がいくらでも湧いてくるし、全身からストレスが流れ出していくみたいだ。
体中に鎖をまとわりつかせ、しばらくボーっと天井を眺めていると、不意に嫌な汗が流れ出た。心臓がバクバクと派手に脈動する。人の気配――。
首を横に向けると、そこに足があった。嫌な汗は今や全身から迸る。頭を上げると、そこには見覚えのある顔が――同クラの男子が神妙な面持ちで突っ立ち、私を見下ろしていた。
「……あ!? いや!? えっと……!?」
私は見る間に顔を真っ赤に染め、さっきまでとはうって変わって、頭がクラクラして眩暈すら覚えた。
(えっ何で!? 何でここに!? 見られた? 見られた! あっ……ぶ!)
「えっ……えっと……?」
動揺しているのは向こうも同じらしい。狼狽えながら周囲を見回し、スマホを片手に、自信なさげに呟く。
「……警察?」
「やめてーっ!」
鉄格子に飛びつき、両手を隙間から突き出しながら私は絶叫した。じょじょじょ冗談じゃない。そんなことになったら大惨事になる。死ぬまで表を歩けないような恥をかくことになっちゃう!
「――いやっ、違うの! これ自分! 自分でやって!」
「えっ? あ!? お!?」
日本語がわからない外人のような顔をしながら混乱している放生くんに、私は生まれてから最速の早口でまくし立てた。
「趣味! 趣味なの鎖! 繋ぐの! 自分で!」
「」
「アッこれ! この格子自分で建てて! ほら見て穴! そこのドリル! ドリルで!」
「」
数分後、私は肩で息をしながら床の上で頭を抱えていた。とりあえず通報は止められた。危うく不登校になるところだった。いや結果は同じかもしれない。何を……何言って……言っちゃったんだ私。やった。やらかした。お終いだぁ……。よりにもよってクラスの……男子に……。
「えっと……本当に、その、うん……田鎖さんは趣味で……これやってたってことで……?」
私は返事もできず、沈黙をもって肯定とするしかなかった。
「なんか……ごめん……」
死ぬほど気まずい空気。お互いにそこから一歩も動けず数分の沈黙が流れた。あああーあー。まさか鍵をかけ忘れるなんて……。久々の長時間拘束のチャンスで気が緩みすぎてた……。
彼は林に向かって駆けていく私を見て、なんとなく気になってついてきたのだそう。私は普通に歩いているつもりだったんだけど、そんなわかりやすくウキウキだったのか私は……。
しかも小屋の窓のカーテンがいつの間にか開いていて、鎖で繋がれた私を見てしまったので、思わず入ってしまったとか。そりゃまあ、自分で自分を拘束してるなんて普通思うわけないよね。ああ……でも最悪。顔を上げらんない。絶対に変態だと思われてる。違うのに。そういうんじゃないのに……。
「あ……あのさ。俺、誰にも言わないから……」
「……ぉ願いします……」
それだけ喉の奥から搾り出して、私はおずおずと鎖の鍵を開けた。まずは手足、そして首。鉄格子の鍵もあけ、病み上がりようにふらふらと立ちあがり、外へ出た。彼は大いに戸惑っている。本当にセルフ拘束であったことに。死ぬほど恥ずかしい。まともに顔を見れない。
彼は心底申し訳なさそうに再度謝り、小屋から去っていった。それを私は気の抜けた顔で見送り、カーテンを閉め、扉に鍵をかけたあと、声にならない叫びを上げながら悶絶した。
ああああ、最悪、あーだめ、もうダメ、死にたい。どうしよう。広まったら……いや。そこは放生くんを信じ……ていうかほとんど話したこともないよお、どんな感じの人だったっけ……?
ひとしきり床をのたうち回った後、自分が惨めなボロパジャマだったことに気づき、私は再度小屋の中を転げまわった。
休日明けの学校は、登校にありったけの勇気を必要とした。人生でこれほどまでに挙動不審の朝を迎えたことは多分ない。すでに知れ渡っているんじゃないか、どうしよう……とそればかり考えてしまう。
放生くんが教室に入ってくると、すぐに私と目が合った。そして、一瞬固まってから目を逸らされた。私もゆっくりと顔を逸らした。他はいつも通りの朝。大丈夫? 話してない?
ビクビクオドオドしていたのが丸わかりだったのか、クラスメイトたちから余計な注目を買い、心配される始末。私は懸命に誤魔化した。特に私に対しての反応が変わったようには見えない。さっきの放生くんの反応も、気まずくて目を逸らしたって訳なら、裏で男子たちで馬鹿にして盛り上がったってこともなかったのかな? 信じていい? あーダメだ、人間不信だ。
少なくとも噂話やクラスのグループコミュには私の痴態は上がっていない。その日の放課後、私は気持ちを落ち着かせるため、性懲りもなく小屋に直行した。ボロボロのパジャマに着替え、鉄格子の内に入り、手足と首を鎖で留めたその時、扉を誰かが叩いた。
「あの……田鎖さん? 俺。放生だけど」
「えっ!? あ……ちょっと待って!」
私は慌てて鎖を解き、扉を開けた。この小屋の前に彼が立っているところを誰にも見られたくなかった。扉を開けると同時に彼の腕を掴み、中に引きずり込んで即閉める。その直後、着替えればよかったと後悔し、顔が紅潮するのを抑えられなかった。
「あっ、ご、ごめん。邪魔しちゃった?」
「い、いや……うん……」
「あの……俺、マジで誰にも言ってないから、って……伝えたくて……今日、だいぶアレだったから。様子が」
えっ、そこまで!? 私ってそんなわかりやすく表に出るタイプなの!?
「あ……うん、ありがとう、わかった」
いたたまれない。最悪。しばらく控えた方がいいかな……でもそしたらゆっくりできないし……。
一週間もすると、流石に私も平静を取り戻すことができた。本当に黙っていてくれているらしい。ありがとう……ありがとう……。
放生くんとは学校で会話することはない。これまで特に接点なかったし、お互い気まずいだけだし。
でも、改めてお礼を言ったほうがいいかも。口止めも兼ねて。
三度目にしてようやく、私は制服……つまりまともな格好のまま、彼を小屋に招き入れることに成功した。
以前よりはだいぶ空気がほぐれ、私たちは「会話」をすることができた。もう全部バレちゃったからっていうヤケクソもあるけど。
「まあ、でも、ほら、俺もエロい動画とか見るし……」
「いや、そーいうんじゃないから! ただ気持ち……心地いいの! 落ち着くっていうか……」
「ん? あ、はい……」
この趣味の微妙な、そして最も重要なポイントは、どうしても伝わらないものらしい。……いや伝わったら伝わったで怖いな。始末に困る。
それからちょくちょく、彼は小屋を訪ねてくるようになった。私ももうすっかり開き直ってしまい、ボロパジャマのまま彼を出迎え、そして彼の目の前で檻に入り、鎖で自身を繋ぐようになった。我ながら図太くなったものよ。
「田鎖さんって、その……Mの人?」
「いや、違うから」
「ん、でもじゃあなんでそういう……」
「いやなんていうか……ただ、こうしてるとリラックスできるってだけ……」
幾度となく脳内で繰り返してきたはずのやり取り。私はそういうマゾの変態ではない。はず。痛いのは嫌だし、精神的に苦痛を味わうのもゴメンだ。でも、私は次第に自分が嘘をついていると感じるようになってきた。この格好で、鎖に繋がれて、檻に入り、見知った男子に外から眺められているこの状況に、私は少しゾクゾクしている。
「ふーん……。よくわかんねえけど、うん、人それぞれだよな?」
私は思っているより表に気持ちが出てしまうタイプらしい。自分が不思議な高揚感を味わっていることが顔に出ていないかが心配で、そしてそれが知られていたら、と思うと更に謎の嬉しさ……というか、興奮というか……今まで味わったことのない、いや知ってる。ずっと小さい頃、アニメで主人公が敵に捕まっているシーンを見た時の決まりの悪い高揚……アレと同じものがこみ上げてくるようになった。
(いや……別に違うし。私は……マゾとかそういうんでは……)
でも、いつの間にか、私は拘束時に放生くんが訪ねてきてくれるのを楽しみにしている。それは否定しようのないほどに強く膨らみ、また私を悩ませている。やっぱり私は変態だったんだろうか?
いや、でも、想像してみると、やっぱりこう、そうじゃない。例えば放生くんに捕まり監禁されている想像とかをすると……「違う」んだ。そうじゃないんだよ。自分でこうして鎖で縛って檻にいるのを彼が静かに外から見つめているのがいい……。ってなんで!? 何でそうなっちゃったの!?
結局、私はただのマゾだったんだろうか。いや、それとも……別の選択肢もないではない。私はその、放生くんに……好きになってしまっただけで、だからこそ二人っきりの時間が愛しく……。って、あー! 何! 変なこと考えちゃった!
こうして鎖で繋がれていると、どうしても頭がよく回っちゃう。妄想逞しく……。あー、ヤダ。
大体、別に私、放生くんと学校で話したことはいまだにほとんどゼロだし、正直彼のこともそれほど詳しく……隠しフォルダに画像を保存してるのは知ってるか。いやなんでそんなこと覚えてんのさ私は。いやでもしょーがないじゃない、向こうが話すんだから……。いや。
何でそんな話に? 私が放生くんを……じゃない。変態かどうか……ええと。
スマホが鳴った。来たらしい。嫌なタイミング。でも気づけば私は全身の拘束を解いて、彼を迎え入れていた。
再び檻に戻り、鎖で自分を縛る。ドキドキする。鉄格子に鍵をかける時、ふっと頭によぎること。この鍵をぽーんと投げてしまったらどうなるんだろう? 彼に私の鍵を……預けてしまったら?
そしてすぐにそのアイディアを頭の中から消し去る。最近変だよ私。
私は別に……そういうんじゃない。苦痛は嫌なんだから変態じゃない。じゃあなんで放生くんが来ると嬉しいんだろう。こんなにドキドキするんだろう。それはこの拘束状態を見られ……それだと変態だ。じゃあ好きだから……いやそれもないない!
鎖で繋がれ、鉄格子を隔てて繰り広げる他愛もない会話が、何よりも楽しくて気分が昂る。でもこの高揚感が結局なんなのか、私の趣味の正体がなんなのか、答えに限りなく迫っているようなスカしているような、モヤモヤした状態がずっと続いて、如何ともしがたい。私は自分がわからない。私はマゾの変態? それとも放生くんが好きなだけ? それとも或いはひょっとして、その両方――。