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(調子はどう?)

部長の声が頭の中に直接響く。当初は自らの精神という不可侵の地を破られたことへの本能的恐怖を超克できず悩まされたが、最近はあまり気にならなくなってきた。人間とは慣れの生き物なのだな、と改めて思い知る。

(大丈夫です)

自分の思考をハッキリと文章……いや、声にする。当たり前のようなことが、人間できていないのだということも、この実験で明らかになった。私が脳内で返事したつもりでも、相手方には意味不明な雑音が届いているだけだった。人の思考というのは実に曖昧なものらしい。電脳化からこっち、円滑な意思疎通を成立させるまでには多少の訓練を必要とした。

最も大きく変化したはずの体は、概ね違和感なく動き、それほどリハビリの必要はなかった。克服しなければならなかったのは、やはり本能的な恐怖の方だ。いまや巨人となった仲間たちに見下ろされると、どうしても恐怖が体を支配してしまう。数倍の背丈を持つ大きな生物が何体も自分の近くにいれば、大抵の動物は縮みあがってしまうことだろう。人間も同じだ。私は自分で言うのもなんだが、優秀なスパイという自負があったため、尚更ショックだった。

スパイドール計画の打診を受けた時は悩んだ。元に戻れるとは聞いたものの、万一失敗したら、一生小人のままなんじゃないか、あるいはグチャグチャになって死ぬんじゃないか、と。それでも、私が選ばれたのはこれまでの実績を買われてのことだし、国家への忠誠を誓った身として、むげに断るわけにもいかなかった。仲間の技術者たちを信じ、私はこうして新たな諜報方法の開拓者になることを選んだのだ。

今の私は身長26センチ。まさに人形みたいなサイズになっている。体を縮小する装置は正確に稼働した。正直、死ぬほど怖かった。肉体的なリハビリは当初の見込みほど必要なく、どっちかというと精神修養に時間を割く羽目になった。潜入中に通信を行うための電脳化、脳内での連絡。巨人や高所に対する恐怖の克服。

実験はいよいよ最終段階に入る。私の見た目を人形そっくりにして、人形に化けるための機能を私の体に盛り込む。これも怖くないと言えば嘘になるが、今更引き返せないし、やり手の若手スパイとして評判を高めている身として、あまり格好の悪いところもみせたくない。ただでさえ、小さくなったという一点だけで、周囲の応対が変わっているのに。

「さ~あクルミちゃん、大丈夫? 痛かったから痛いって――」

「大丈夫です、お構いなく」

毅然とした態度をとったつもりでも、周囲はまるで幼児が注射を頑張って耐えているみたいなムードを崩さない。誰もかれも、私を幼児、あるいはペットと看做す言動が増えてきた。ちょっと前まではこうじゃなかったのに。悔しい。でも怒ったらますます幼児っぽく見えてしまうから何も言えない。私が同僚たちを巨人として恐れてしまうのと同様、彼らは私を可愛らしい小動物であると、本能的に看做してしまうのだろう。生物界においてスケールの差というのはここまで絶対的なものなのか、ということが気づきの一つ。

「じゃあ、行きますねー。くすぐったかったらくすぐ――」

「平気です」

全裸の私に、ニチャッとした粘っこい液体が触れる。体を樹脂っぽく見せるコーティング液。中々に気持ち悪い感触だ。大きく毛先は異様に細かい刷毛が私の全身をくすぐる。ブルブルと震えながら耐える。スパイの訓練に比べればどうってことない……はずなのだが、複数の巨人たちに見下ろされながら体にモノを塗りつけられると、すっかり本能が屈服を認めてしまう。筋肉が強ばり、慈悲を乞うかのような情けない表情を浮かべてしまいそうになる。表情の制御はあんなに訓練したのに。まあ、巨人と相対した時に恐怖を抑える訓練なんて流石にやってないけどさ。

自分では真顔を保っていたつもりだったが、ちょっと出てしまったらしい。技術者たちがクスクスと笑いながら囁く。

「ごめんねぇ、怖いもんねぇ」

「……いえっ」

今は女性技術者だけでよかった。こんな情けないところは男の同僚たちに見せたくない。まあ、いずれもっとみっともない姿を晒すことは決定しているのだが……。

全身をねっとりと嘗め回すように這う毛先が私の敏感なところに触れると、どうしても声を出しそうになってしまうし、体がビクッビクッとしてしまうのは防ぎようがない。心底よりも深い本能的な根源から見下されている屈辱と、わざとやっているのかと問いたくなるようなくすぐったさに耐えながら、私は樹脂が肌に浸透していくのを感じ取った。


事前にどうなるかは教えてもらっていたし、映像もみていた。しかし、いままさに自分自身がそうなっている姿を目にすると、驚愕と不安で頭が回らなくなる。大丈夫? これホントに戻せる? このままだったら……いやこの技術はすごい。これならきっと成功する。バレないだろう、絶対に。

フィギュアのような冷たく硬そうな質感を持った肢体。染みも皴も、血管も見通せないほどに肌色一色に染め上げられた肌。乳首の無くなった胸。これは物理的に消失したわけではなく、樹脂が乳首を覆い、かつ胸の形が不自然にならないように覆い隠したものだ。なのでちょっとバストアップしている。そしてマネキンのように滑らかな、ツルツルの股間。全ての穴が埋まり、最初から何もなかったかのように証明の光を反射し、テカテカとした光沢が輝いている。

小さくなった私の体は、樹脂に含まれるナノマシンの効果で、汚れを全部分解してくれる。普通の人間なら無理だが、26センチの今の私なら分解が間に合うのだ。私は潜入中、お風呂に入らなくとも、常に清潔でいられるし、トイレに行く必要もない。穴を埋めている樹脂が分解してくれるからだ。まあ、実際に働くかどうかはこれからのテストを経ないと断言はできないが。まあ大丈夫だろう。実験データは私も見せてもらってるし。

樹脂の効果は目を見張るものだが、中でも特筆すべきは顔と髪だろう。私の顔は、もうどう見ても人間のそれではなかった。可愛らしくデフォルメされた、アニメのような顔。大きな目にピンクの瞳。艶々とした均質な肌。そして髪の毛はフィギュアの髪のように、一つの塊に切れ込みや凹凸をつけて髪を表現した状態になっている。こうジッとしていれば、誰もが私をポーズ固定のフィギュア、単なる樹脂の塊であると信じて疑わないはず。だが、実際にはこの髪の毛は固まっているわけではない。

私は髪に手を通した。抵抗もなくスッと別れる毛先。見た目は樹脂の塊だが、実際はこのように髪の性質を保っている。縛って髪型を変えることも可能。うちの技術の結晶だ。

「どう? クルミちゃん。気に入った?」

「ええ。問題ありません」

からかうようなクスクス笑いにイラっとするが、私は努めて凛とした態度を保った。真っ白なワンピースを身にまとい、男性陣の入室を許可する。

入ってきた連中は、案の定可愛いなどと私をからかい、妙な反応を引き出そうとする。気鋭のスパイとして、こんなものに突き崩されるわけにはいかない。いつもなら普通に流せる。だが圧倒的に小さい、即ち生物として完全に別種であるという判定が本能的に下されてしまうこの状況下では、平静を装って見せるのは容易なことではなかった。

それに、私は極めて単純な構造の布を一枚羽織っただけで、下着を身につけていない。普通、人形はそうだろう。しかし樹脂の施術を受ける前までは身につけていたのだ。もう乳首も秘所も肛門も、その他一切ないのだから、つける必要がないというのは理解できる。でもだからといってたぎる羞恥心は抑え込めるものではない。ましてや見知った同僚たち、それも数倍の背丈のある巨人たちの視線を一身に受けるこの身では。

「あ~、赤くなった~」

「花咲さーん、こっち向いてー」

「……っ!」

私は顔を上げ、強気な表情で睨みつけてやった。つもりだったのだが、周囲の反応は変わらない。「可愛い~」の連呼。サイズ差ゆえ私は彼らには絶対に敵わない。絶対的安全圏にいると本能が判断している限り、彼らに対してはいかなる示威行動も通じないのだ。私の行動は全て「人形のように可愛らしい小人」の仕草として処理される。酷く悔しかったし、悲しくもあった。懸命に仕事を頑張り、そして……自分でいうのもなんだが、私は冷静なキャリアウーマン的なイメージで通っていたのだ。もはや、跡形も残っちゃいない。

ただまあ、そんなに悲観することでもない。こうなるのはわかっていたことだし、これこそがまさに、この計画が成功しつつある証なのだから。


「それ、なんのキャラですか?」

「これか? これはな……」

私は私の「オーナー」とその同僚の会話を注意深く聞いていた。今、私は金髪メイドのフィギュアと化して、この男のデスクに飾られている。

(首尾はどう?)

部長の声が頭に響く。

(順調です。バレる気配はありません)

(じゃ、引き続き任務を頼むわよ)

(はい)

脳内で静かに行われる部長との会話は、絶対に漏れることはない。私はターゲット・オーナーの家に届けられ、そしてこの社内デスクに持ってこられる間、一ミリも人前で動いてはいないのだから。

樹脂に信号が流れると、瞬時に硬度を増す。今、私の体は髪先からつま先に至るまで、全てがカチンコチンに固まり、正真正銘のフィギュアとなっているのだ。躍動する長い髪、足元から風を受けたかのように膨れるスカート。それらも全て樹脂の力によって固められ、最初からこの姿で造形されたフィギュアのように一体化し、その時を止めている。

信号が流れるのは人の気配を感知した時。自力でパントマイムをしなくとも、私はずっと人形のフリをし続けることができる。しかも、私は自力では動けないから、不意の驚きや生理現象で動くところを目撃される恐れもない。まあ、笑顔で媚びたポーズをとったまま、見知らぬ巨人の世界に一人放っておかれるのはあまり気分のよいものではないし、ずっと全身が固まったまま動けないのも苦しい。でも、私はスパイだ。この程度はなんともない。もっとすごい修羅場だって潜り抜けてきた……。

「よく出来てるっスね~」

とはいえ、人形に化けるのは初めてだ。しかも、小さくなってまで。私は結構プライドが高い。実績もある。だからこの計画にも抜擢された。自分が完璧にフィギュアとして扱われているこの状況に軽い苛立ちも感じる。潜入作戦が上手くいっているのだから喜ぶべきなのだけど。今までいろんな立場の人種に化けてきたが、人ではないもの、ホントに物として扱われるのは初めてだ。それも、メイド服を着て可愛らしく媚びを売った姿で。

(ふん!)

予想を上回る屈辱にイライラしながら、私はターゲット周辺の人間関係、仕事の内容を詳らかにするべく、懸命に耳を傾けた。


夜になれば私の時間だ。誰もいないオフィスで、私は自由を得る。スパイとしてのターゲットは、オーナーとは別だ。私は昼間に盗み見たパスワードからオーナーのパソコンを立ち上げ、中身をゆっくりと物色させてもらう。ターゲットの情報もある。

残業している社員に気をつければ、社内の移動も行える。ターゲットの部署へ赴き、情報を集め、脳内で部長に連絡。

朝になる前に自分の本来いるべき場所、つまり白い円形の台座に戻り、私はオーナーの従順なフィギュアに戻る。ポーズはあらかじめ樹脂に記憶させてあるので、固まる瞬間、自動的に体が同じポーズを再現してくれる。髪も服もだ。

ゾロゾロと姿を現すオーナーとその同僚たちは、デスクのフィギュアが夜な夜なスパイ活動を行っているなどとは夢にも思わないだろう。昨日と全く同じ場所で、全く同じ姿勢で、こうして静かに佇んでいるのだから。

これがスパイドール計画。生きた人形のスパイを送り込み、安全に、静かに情報収集を行うことができるのだ。今回はテストを兼ねているのでそれほど重要な案件ではないのだが、私の働き如何によっては、もっと重要な任務に駆り出されることにもなっていくだろう。そうすればまた私の実績と評価が上がる。ターゲットと接触して信頼構築する手間が省けるので、苦しくて恥ずかしいとはいえ、トータルではかなり楽だ。手際よく出世できるかも……。

ただ問題があるとすれば、あまりハッキリと思考すると、

(うふふ、出世できるといいわねえ、クルミちゃん?)

(あっ……いえっ、その……)

部長に筒抜けになってしまうこと。始まったばかりなので、部長のチェック頻度も高い……。思考を明文化するトレーニングに加え、意識的にぼんやりさせるよう切り替える訓練も必要かもしれない……。


スパイドールとしての初任務が終了したため、私は脳内通信で回収地点と日時を知らされた。当日の夜、人気のないオフィスで私は台座を叩いた。ある特定の順番で特定の個所を叩いてゆくと、隠された機能が発動する。風船のような、それでいて濡れたティッシュのような物体が台座から昇っていく。次第に人の形をとると、私そっくりに造形されていく。金髪のメイドフィギュア。飛び切りの笑顔でアイドルでもしないポーズをとっている。

(うっ……)

これが私のずっとしていた姿なのかと思うとキツい……。二十半ばを過ぎたこの歳で、これを、私が……。優秀な若手スパイとして頭角を現していた私が……。わかってた。理解はしていた。けど、第三者的な存在にこうして目の前につきつけられると流石に辛いものがある。

偽フィギュアは次第に色づき、私そっくり……よくみると結構粗いな。いや、流石に本物の人間である私に比べるのは酷か。でもまあ、誤魔化せるだろう。ちなみにこれは中身スカスカだから、割と簡単に壊せる。高いフィギュア、それも実は生きていたフィギュアが一晩の間に泡でできた偽物にすり替わるのは、ちょっと可哀想かも。オーナーさんはターゲットでもなかったしね。ま、でも仕方がない。

(じゃあね)

心の中で別れをつげて、私は会社を脱出し、回収地点へ向かった。


「よくやった。テストは成功だな」

「……はい」

淡々と報告を終えたかった。周囲にからかわれるのが嫌だったからだ。金髪メイドフィギュアのまま、真面目な話をするのは思ったより恥ずかしい。周りが明らかにこの状況を楽しんでいるのが一番の原因。プフッ、と笑いがもれたり、女性の職員が「かわいい~」と嘲るように呟いたりするたび、怒りのボルテージが上がる。しかし26センチの身で、しかもこんな格好をしていたのでは、どれだけ凄んだところであいつらを威圧することはできない。それはこの実験を通し、嫌というほど学ばせてもらった。

研究室のドールハウス……いや、ドールルームに戻されてから、私は担当の職員に言った。

「あの……着替えたいんですけど」

この服と長い髪は、完全に体と一体化していて脱ぐことができない。今回はポーズ固定フィギュアに化けての潜入だったからだ。

「ん? ああ、まだ次の任務がわかってないからね。俺のとこにはまだ知らされてなくて」

ん? どゆこと? テストは終わり。私は元に戻れるんじゃないの?

「じゃ、ゆっくり休んでよ」

そういうと彼は部屋を出ていった。

「あっ、ちょっ……」

一人取り残された私は、無機質な白い壁で囲まれた空間に転がった。

(あ~、もうヤダ……)

いつまでこんな恥ずかしいコスプレをしていなければならないのか。スカートをグイっと引っ張っても、上半身を覆うメイド服は一分の隙間もなくピタリと密着していて、全く剥がせる気配がない。白いカチューシャも髪とくっついているし、手袋やブーツも脱げない。

(花咲。花咲聞こえるか?)

「えっ!? あっ、はい」

突然部長の声がしたので、思わず声に出して返事をしてしまった。が、それが脳内通信だと気づき、私は一人で顔を紅潮させつつ、改めて脳内で答えた。

(今回は本当にご苦労だったな。当初の計画通り、これでテストは終了する予定だ。が、もしお前がよければ、引き続き頼みたい仕事がある)

えっ……。それって、十中八九スパイドールとしてのやつだよね。まーた年甲斐もなくはじけたコスプレをして媚びた姿で固められないといけないのか……。本音を言うと断りたい。元の大きさに戻って、通常業務に復帰したい。そのつもりでいたからかなりショックだ。でも、私は……国家に忠誠を誓い、厳しい訓練を受けてきた女。命令には従わなければ……断っていいものであってもだ。それに重要任務なら、私のキャリアがまた一段と光り輝くことになる。

(わかりました)

(ありがたい。三日前に入った情報なんだが……)

さる重要ターゲットの息子が、大きなサイズ……つまり、今の私くらいのサイズのフィギュアを注文した。それに成り代われば、ターゲット宅へ容易に侵入することができる。なるほど、今の私にしかできない任務だ。仕事モードに戻った私は、部長の脳内通信に意識を傾け、任務の内容をすべて頭に叩き込んだ。


(まぁたこの子は、こんな気持ち悪いモノ買ってきて……)

とでも言いたげな諦めの表情。視線が私に突き刺さる。母親はあまり息子の趣味をよく思っていないようだ。いや、私もそう思いますけどね。猫耳水着フィギュアなんてさあ!

今回、私の「オーナー」になったのはターゲットの息子。高校生男子の所有物になるということで、ちょっと不安だったけど、このムードだと大丈夫そうだ。飾られるだけ。変なことはされないだろう。多分。

むしろ、私の方が変な気持ちになってくる。目の前で私を満足そうに見つめている、活力に満ちた若い男の子。その前で私は三十路前にして水着、猫耳と尻尾をつけて全力の媚びポーズ。申し訳なさすら湧いてくる。テスト任務の時より人は少ないのに、一層恥ずかしく感じられ、逃げ出したくてたまらなかった。

(あ~!)

体は樹脂の効果で芯まで固まり、ピクリとも動かせない。視線も固定され、目も逸らせない。

(見ないでよそんなに~!)

(あら花咲さん、年下好き?)

(やめてください!)

部長に思考が筒抜けなので、ますますいたたまれなくなってくる。他人に話したりしないでしょうね……。マジでヤダ。


夜になると行動開始。前回とは違い自宅、それも男子高校生というだけあってかなりの夜更かし。自由な時間は思ったより限られている。それでもオフィスよりは狭いから、探索は少し楽か。

ターゲットの書斎をこっそりと尋ね、中を物色。パソコンにはパスワードがかかっている。数日待ってからこっそりこっちに移動して覗き見るのがいいかな。息子か母親が移動させたとしか考えられないだろうし、まさかフィギュアが生きているなんて、想像すらできないだろう。

数日かけて本や置物を少しずつ動かし、隠れ場所を作る。私はそこに潜み、パソコンのパスワードを盗み見る。幸いターゲットには見つからずにやり過ごせた。部屋に戻る際、息子と遭遇した瞬間は肝が冷えたものの、瞬時に元の表情とポーズを独りでにとらされ硬直し、床に転がされた私は、何とかフィギュアの体裁を保つことができた。息子は苦々しそうな顔で私を拾い上げ、自分の部屋に元通り飾り付けた。母親が掃除か何かの折で勝手に動かしたと思ったのだろう。

パスワードを覚えたあとはやりたい放題だったため、私はそれ以上の冒険を行うことなく、安全に情報収集と監視に徹することができた。……男子高校生の「アレ」を見せられるのはキツかったけど。目線固定だから、ガッツリ見させられてしまう。匂いもくるし、気まずくてたまらない……。嫌な仕事だ。しかも相手未成年でこっちが不法侵入だから、私の方が悪いことを……覗き見しているのだから、大変申し訳なかった。部長も煽ってくるし。

(あっ花咲さん、そういう趣味が……)

(しょうがないじゃないですかっ、動けないんですからっ!)

そして何となく、私が対象? っぽい日にはなんともはや……。怒りたい気持ちと謝りたい気持ちがない交ぜになって頭がパニック、部長とまともに交信できなかった。


テストから間を置かずに行われた「実戦」は一応成功に終わった。作りの粗い泡製ダミーフィギュアを置き、私はターゲットの家から脱出。肉体的にも精神的にもかなり疲れた。元に戻ったら休暇をとりたい。そう思っていたのだが……。

本部に帰還した私には、既に新しい任務が用意されていた。猫耳水着姿のままそのことを聞かされた私は、流石に抗議を試みた。が、頼りない半裸のうえ、大勢の巨人たちに見下ろされながらの訴えは、声に張りが出ず、私は任務を退けることができなかった。せめてもうちょっと体裁のいい姿に戻してもらえれば強気でいけたのに。完全にメンタルで屈服してしまった。

部長たちはスパイドール計画の成功に気をよくしたらしく、私にはその後も続々、ひっきりなしに任務が与えられ、私はあちらこちらに派遣された。可愛らしい萌えフィギュアとして。毎回恥ずかしい服装で媚びたぶりっ子ポーズをとらされて固められてしまうサイクルは、否応なしに私のプライドと評判を砕いていく。いやスパイとしては続々と実績を上げているはずなんだけど。それでも、周囲からの扱いは反比例するように下がっていく気がした。子ども扱い人形扱いだし、私をライバル視していた同僚たちは明らかに私を見下した態度を隠さない。書類上は私の方が結果を出しているはず……なのに……。それが心底腹立たしかったが、私自身、胸を張って彼ら彼女らよりスパイとして結果を出しているのかと問われると、答えられないだろう。方法が方法過ぎて、スパイとして頑張っているという実感が得られない。

女性研究員たちは毎回「可愛い格好できていいね~」「いいなあ~」「なんだかんだ言って気に入ってるんじゃないのお?」などとからかってくるので、ホントに叫びまわりたくなってくる。でもそんな反応をすれば、それこそ幼児だ。……今、幼稚園の制服……水色のスモックと黄色い帽子を体と一体化させられて展示させられているけど……。最悪。

(評判いいわよ。みんな可愛いって!)

(それは……よかった、ですっ……!)

部長のパソコンと脳内が繋がっているので、開き直ってコスプレ三昧アイドル気取りとすらいかない。ひたすらに羞恥心が刺激され続ける毎日だった。

(これも……これも仕事……任務! 私はスパイ……)

数々の厳しい訓練よりはマシ。自分にそう言い聞かせながら、私は見世物として玩具フェスタのガラスケースを彩り続けた。大人の幼稚園生フィギュアの見本として。


ほとんど途切れることもなく、次々と任務が入ってくる。休暇は一応ところどころに挟んでもらえたものの、体を縮めて元に戻すという工程を短期間に繰り返すと細胞が崩れて死ぬかもしれない、という理由で、私は休暇の間も26センチのままだった。樹脂も、いちいち除去してまた塗って、は面倒だからと、技術者たちは応じてくれなかった。そんなわけで、私は計画の実験台に応じたあの日から、一度も元に戻れることなく、ずーっと生きたフィギュアの身体のままだった。こうしている間にも同期たちはキャリアを積み重ねているのに……。焦燥感が募るばかりだ。周囲の反応からして、スパイドールとして私が上げた実績は、恐らく「花咲クルミ」ではなく、「スパイドール」の実績に数えられるだろうから……。

いつの間にか一年以上が経過。私はずっとフィギュアとしてあっちで売られ、こっちで飾られ、家にも碌に帰らせてもらえない。帰ったところでどうしようもないけど。スパイドールの実験台としての務めがようやく終わる時、それは5人の「妹」たちを紹介された時だった。

子供向けの番組を思い出す、カラフルな髪色をした5体のフィギュア。私と同じスケールで、同じ質感の肢体、アニメっぽい顔、フィギュア式の髪。それらは一年間に渡る私の活動データを元に作られた、真の「スパイドール」たちだった。生きた細胞を用いる生体ロボットである彼女たちは、ほとんど私と体のつくりが同じなのだとか。違いは人間ではないこと。私のデータを元に作られたAIが、彼女たちに与えられた人格だ。

ともかく、これでようやく役目が終わる。私は久々に暇を与えられ、研究室の一角に設けられたドールルームのベッドに転がり、羽を休めた。

(……)

真向いの机上に鎮座する、5体のスパイドールたち。髪色と同色のワンピースを羽織っている。可愛らしい顔立ちで、微笑んだ表情で立ち尽くしている。まるで時間が止まったかのように動かない。フィギュアなのだから当たり前だ。でも、私にはそれが酷く不気味なものに思えて、意識を向けずにはいられなかった。だって、あれは……私だ。自分もずっとあんな風に固まっていたのかと思うと妙に気恥ずかしい。それに、彼女らを見ていると、次第に不安になってくる。私は人間だ。でも、その自信が不思議とグラつく。人間である私と正真正銘の人形であるあの子たちの間に、ぱっと見ほとんどなんの差異もない。サイズも同じだし体も……。リアルすぎるロボットやCGを見ているかのようだ。他の職員たちはそんな風に思わないんだろうか? 思わないからああいう風に作り、自慢げに私に紹介したのだろう。そりゃそうだ。普通の人間は26センチじゃないし、樹脂みたいな肌をしていないし、顔はデフォルメされていない……。彼女たちに不気味の谷を見出してしまうのは、世界で私ただ一人なんだ。

まるで私が人間よりあっちの方に近い存在であると神様から告げられたような気がして、胸がギュッとしまる。

そして、それが決して被害妄想ではなかったことを知らされる事件が発生した。5体のうち1体が壊れ、上手く動かなくなったのだ。奇しくもそれは、完成したスパイドールズたちを上層部にお披露目しなければならない日であった。


「お願いします! プレゼンの間だけ、五号の代わりをしてもらえませんか!」

「嫌ですよ、そんな……。4体あれば十分でしょう」

「五体ってもう言ってあるんですよ! しかもいきなり壊れたってなったら……」

彼らは必死に懇願した。このままでは計画が頓挫する。そうなったら、私の一年間の努力も水泡に帰すのだと。それを言われると弱い。私がこんな体になって、長期間恥ずかしい姿で見世物にされてきたのはこの計画を成功させるためだ。それがパーとなれば、私のキャリアに傷がつき、空白が生じてしまう……。

ちらりとスパイドールたちを見た。仲間が一人欠けても、何事もなかったかのように一律同じ表情と基本姿勢のまま固まっている。どうしても自分を見出してしまい、何とも哀れに思えてきてしまう。

「わかりました。今回だけなら」

「あ……ありがとうございますっ!」

そこからは早かった。大急ぎで私は髪の毛を鮮やかなピンク色に染め上げられ、同じ色のワンピースを着せられた。腰より長く、横に広がる大ボリュームの髪型も、フィギュア人間ならではだろう。直近の任務でロングのキャラクターをやっていたので、髪型は変える必要がなかったことが幸いした。幸いか?

最後に、AIを弄られることになった。私はただ演じればいいと思っていたので驚き、最初は拒否した。冗談じゃない。私は生きた人間なんだ。ロボットのAIなんか入れられたくはない。

「そんなこと言っても、もう時間がないし、今からスパイドールの立ち振る舞いを身につけるなんて無理でしょう」

そりゃそうだが……。でも私だってスパイだ。そのくらいの演技、即席で……。

返事するより早く、私の頭に機材が被せられた。電脳化した後、脳内通信の設定を整える際に使った機械。私が手を伸ばすと、

「外さないで!」

と大声が飛んだ。切羽詰まった迫真の声に、私はまるで小さい女の子のように縮こまり、それ以上抗う気力が失われてしまう。怖い。巨人の咆哮が恐ろしい。この一年でだいぶ小人にも慣れてきたつもりだったけど、やはり本能は容易に抑え込めるものではなかった。

「はい、オーケー」

研究員は部屋の時計と自分のスマホを見てからフーッと大きく息を吐き、さっきとはうって変わって穏やかな口調に戻った。誤魔化しが間に合ったからだろう。でも私はさっきの怒号がまだ耳と心に残っていて、内気な少女のような声で、聞こえているかどうかもわからない返事をするのが精一杯だった。


久しぶりに入る会議室。その中央に鎮座する大きな机の上に、私たちは5体揃って並べられた。ロボットとしてのスパイドール用に作られたAIが私の体を半分支配しているため、私は意識してパントマイムをせずとも、時が止まったかのように静止していることができた。一ミリも微動だにすることはない。いつもの任務と違うのは、完全に固まっているわけではない点。AIは静止しようとしていて、実際に体にもそう指示しているから固まっているのだけど、私は私だ。これは私の体で、その気になれば自分で動かすこともできる。でも、今は動いてはいけないのだ。

「スパイドール一号、リリーです」「スパイドール二号、マールです」

一体ずつ、一歩前に進み出ては、スカートの裾をつまんでお辞儀する。そのモーションの滑らかなこと。セリフも自然に感じられ、ロボットだとは思えない出来栄えだった。

(すご……)

っと感心した瞬間、突然体が独りでに動き出した。勢いよく一歩前に進み出て、4体の「姉」たちと全く同じようにスカートの裾を持ち、

「スパイドール五号、イチゴです」

と声が出た。自分で喋ろうとして喋った言葉ではない。今の動きも。私が訓練を積んだスパイでなければ、反射的にこの動きを止めようとして不自然な動きになってしまったことだろう。だが、私はギリギリで本能的な反射を抑え込み、AIに体を預ける選択ができた。プレゼン中の皆が、少し顔の険を和らげている。でも私は逆。猛烈な嫌悪感と恐怖が芯から体を揺らしていた。自分の体が自分ではない意志によって操作されている。今まで経験したことのないような戦慄。どんな強烈な拘束を行っても、私の意志は私のものだし、最終的に体を動かす権利を持っているのが私であることは揺るがない。その不可侵の領域が侵されたのだ。カチコチに固まって見世物になっているより、自分そっくりの人形が5体作られるより、遥かに差し迫った悍ましい感覚だった。

AIの動きを邪魔しないよう注意しながら、私は内なる敵を熾烈な戦いを演じた。鳥肌と急速に下がる体感温度、動かなくなっていく胃腸と吐き気。その間も私は、笑顔でニコニコと朗らかにいつもとは全く違う、甲高いアニメボイスで上層部と応対している。表面と内心が大きく違っているのはスパイの常だが、今日のそれは次元が違っていた。ギャップからくる脳の混乱も重なり、私はプレゼンの様子などまるで記憶に残すことができなかった。


全部終わる頃には、私は心身ともに疲れ切っていた。どんな話をしていたのか、結果がどうなったのかも覚えちゃいない。無意識に気を張っていたらしく、全身が気だるい。

「いや本当にありがとう! 上手くいったよ! これなら……」

「そ、それは良かったです……」

私はすぐにドールルームに運んでほしいと伝え、ベッドに寝かせてもらった。そしてそのまま、私は眠りについた。服すら着替えずに。


それから二日ほどは実質休日みたいなものだった。スパイドール計画は認められた、君の「妹」たちは近く実戦(まずはバレてもよい身内のところにだそうだ)投入される、と報告されたり、今やおなじみになった健康診断を受けたり。部長から脳内に直接労いの言葉もいただいた。

とにかく、これでやっと終わる。そう思っていたのも束の間。

「花咲さん、お願いがあります。スパイドールのテストに、五号として参加していただけませんか?」

「はいっ、わかりました……え!? あっ、ちょ」

突然の申し出に、私の体は自動的に受け答えした。今のは絶対、私の意志じゃない。あ……やばっ、まだスパイドールのAI抜いてなかった。

すぐに否定しなおそうとするも、それを見越していたかのように、

「ポーズ」

と告げられた瞬間、私は姿勢を正し、両手の斜め下に真っ直ぐ伸ばし、微笑んで正面を見据えた。スパイドールの基本姿勢をとらされた。

(あっ……んんっ)

ず、ずるい。わかっててやってる。私は何とか体を動かそうと奮闘したが、AIが元に戻そうと抗う。かなり力を込めないと手足が動かせない。動かしても、ちょっと力を抜けばまた基本姿勢に戻されちゃう。

「待っ……てっ……」

口を動かすのもかなり体力を使う。私がまごまごしている間に、彼は事情を説明した。五号の修理はテスト本番に間に合わない。が、この前の会議に私を五号として出してしまった……つまり、五号は壊れていない扱いにしてしまっているので、今更4体テストにするとも言いだしづらい。だから引き続き私に、五号として体を貸してはもらえないか……そういう内容だった。

「嫌……です、や……」

「でも、さっきはいって言いましたよね?」

「……それ、はっ……!」

追い打ちをかけるように、部長の通信が届いた。

(付き合ってやれ。命令だ)

(そんなぁ……)

部長にそう言われては……従うほかない。私は抵抗を諦めた。その瞬間、ピシッと基本姿勢に戻され、私は買ったばかりの着せ替え人形のように固まった笑顔で虚空を捉えた。

「ああ、よかった。よろしくお願いします」

「はいっ」

ああ……また勝手に返事を。さっさと抜いてもらえばよかったよ。私、一体いつになったら元に戻れるんだろう?


「えー何これ?」「黒田さんのフィギュアなんだって」「可愛いー」「うわ存在感やば」

(やだぁ~もう!)

同じ建物に入っている違う部署に、私はフィギュアとして贈られた。セキュリティチェックも兼ねて、ここの人間関係や情報を抜くのが私の……いや、イチゴの仕事になる。私は彼女に体を貸しているだけ。私に気を遣って近くに配置してくれたんだろうけど、半端に見知った相手だからこそ、尚更に気恥ずかしい。逃げ出したくてたまらない。しかも今回、私は元気一杯の正統派アイドルというイメージで作られた派手なアイドル衣装とそれっぽいポーズをとらされている。知り合いもいるから過度な性的アピールを抑えてくれたのだというのはわかる。でも、この歳でアイドル気取りは、また……生々しい痛々しさを晒してしまっているようで、かえって気まずい。

(わ、私……好きでこんな格好してるんじゃないんですよ……!)

心の中で謎の抗弁を弄しながら、私は誰も私が私だと気づかないよう願った。全員が私を「花咲クルミ」だとはわかっていない。ただのフィギュアだと思っているし、事情を知らされている人にしても、「スパイドール五号」としてしか。

でも……それもそれとして、悔しいものがある。私は人間だ。ロボットなんかじゃない。ホントに区別つかないわけ?

夜になると、ますます憤りが増す。何しろこのポンコツAI、碌にスパイ業務を行えないのだ。話は録音できても、最も緩そうなパソコンを見抜けないし、持ち出すべき情報の重みづけもおかしい。そりゃただのAIなんだから、本物のスパイである私からしたら遥かに劣るのは当然だ。むしろ、ここまで動けているだけでもすごいことなんだろう。でも、私が一年かけて生み出したものがこの程度なのか、私はこんなポンコツ共と違いがわからないぐらい同列扱いなのかと思うと、腹が立ってしょうがなかった。自分で体を動かして手助けしようか、何度もそういう誘惑に駆られるが、これはあくまでAIの実勢テスト。私はイライラしながら、出来の悪すぎる「妹」の仕事ぶりを内側から眺め続けた。


実戦テストはその後も何度も行われたが、中々本当に実践できそうな域には到達しなかった。早く完成してくれないと、私も解放されない。いつまでも「いい歳してアイドルになる夢を捨てきれなかったおばさん」みたいに思わされる苦渋を味わわされるのはもう嫌だ。本物の五号は修復不可能で廃棄され、私は延々と五号の代理を務め続けさせられている。こうしている間にも、私のキャリアに空白ができていく。同期たちがスパイとして結果を出しているらしいことを、私は部長や実践テストを通じて知らされる。焦燥感ばかりが募る。こんな計画、引き受けるんじゃなかった。


ある日、とうとうスパイドール計画は終了した。いや、みんなは発展的なんとか、って言ってるけど、私には中止されたとしか思えなかった。まずは中のAIをもっと強化する必要がある。そこで、また別にAI開発を行っているチームと合流し、そこでまずは人間らしいAIの開発を行い、それから改めてスパイドールを……という話だが、ようするに吸収されたってことでしょ?

一年半もの時間を費やし、こんな体になってまで尽くした計画が中止するのは悲鳴を上げたくなるほどに無念だ。でも、やっと解放される、元に戻れるという安心感の方が大きい。

早く元に戻してほしい。そう訴えたが、研究員たちは首を横に振った。どうして? 終わったんじゃないの?

「うーん、スパイドールは五体ってことになってて、向こうにもそういう風に言ってあるから……それに、君の存在はより高度なAIの開発にきっと役立つと思って」

冗談じゃない。もう一年半も、私は小さいまま、樹脂みたいな体にデフォルメ顔のままなのに。みんな私をなんだと思っているんだ。

「ポーズ」

「あっ……」

スパイドールたちは一斉に動きを止めた。私も彼女たちと同時に基本姿勢をとらされ、容易には逃げられなくなった。

「待っ……て……」

懸命に体を動かし、抗議を続行しようとしたが、体は常に基本姿勢に戻ろうと反発する。私が自分の体と格闘している間に、4体のドールたちは箱に仕舞われ、私も巨大な手に捕まった。

「んんー!」

こうなってはもうどうにもならない。スパイドールたちと一緒に箱に収納された私は、にこやかな笑顔で上を見つめることしかできなかった。箱が閉じられる。新たな部署に……AI開発チームに引き渡される。フィギュアの身体のまま。


箱から取り出された私は、ポーズ命令を解除してくれるのを待った。このままじゃまともに話せない。

「へー、これが」「よーできてるじゃん」「じゃあ、早速やりますか」

初めて見る人もいれば、見知った人たちも……。私たちを見て最初に称賛はすれど、それっきり特別な感情は見せない。私は戸惑った。フィギュアに化けている間は、良くも悪くも注目の的で、可愛い、生きているみたい、と熱心に見てくれたからだ。この人たちは私たちを人形とすら思っていない。使い慣れた業務機器の新品が来た、みたいなムードだった。

「あっ、の……」

我慢できなくなった私は声を上げ、手足を折り曲げた。行き交う研究者たちは私にチラリと顔を向け、挨拶や会釈を返した。が、それ以上は特段なにもない。

「う~っ」

そのうち頭にヘルメットのような機械を被せられた。私を含め、5人全員。

(な、何するの……? 元に戻してよ)

数分すると、ヘルメットが外された。体が動く。やっとAIを抜いてくれたんだろうか。

「やったー! ありがとうございまーす!」

その場でピョンピョン跳ねながら、私はぶりっぶりのアニメ声で叫んだ。その瞬間、私は真っ赤になって静止した。今……何を!? い、いや、私はその、普通に……お礼を……言おうと……。

周囲の視線が突き刺さる。ヤバい。今のは痛すぎる。ノリノリで今までの任務をこなしてたなんて思われたどうしよう。いや問題はそこじゃなくてあの……。

「おー、そんな風になるんだ」「今のは?」「本人のが……修正加わった感じ?」

「?」

狼狽える私に、一人が声をかけた。そして、今何が起こったのかを説明してくれた。ここでスパイドールとは別件で開発していた人間らしいAIのテスト。私には「甘えん坊の可愛らしい子」というイメージで性格を設定したらしい。何故なら五号機、つまり「末っ子」だから……。

「え~っ、い、イチゴ、お姉ちゃんたちの妹じゃないですよぉ~……ぉ」

私は努めて冷静な口調で、五号機なんかじゃないって主張したつもりだった。が、実際に口から出た言葉はコレだ。どうやら、体は私が全面的に動かせるらしいけど、性格に合わせて言動を矯正されてしまうらしい。口を開けば開くほど、私はとんでもない恥をかく羽目になった。キンキンのアニメ声で、いちいち芝居がかった仕草をさせられてしまう。まるでアニメのキャラクターになったみたいだ。

みんなは貴重なデータがとれたと喜んでいるが、たまったものではない。私は部長に連絡をとろうと試みた。……が、中々でない。なんで?

「あのっ、部長は……」

「ん? ああ、スパイドールのAIは全部アンインストールしたから」

えっ、嘘。じゃあもう部長と脳内通信できないの? あんなに疎ましかった強制テレパシーが、今は欲しくてたまらない。助けを求めようと思っていたのに。

「い、イチゴを元に戻してください」

「ああ、実験が終わったらね」

そ、そんな……。

「それでその実験なんだけど、花咲くんはどんなバックボーンがいい?」

「はい?」

話を聞くと、より人間らしいAIを育てるために、これから私たちには人格の根幹をなす設定、バックボーンを付与する予定らしい。「姉」たちは既に決まっているらしいのだが、私は人間だから、本人に意見を聞こうというのだ。

「イチゴは、いらないです。普通でぇ、いいですー」

いや、それより計画から外してほしい。元に戻りたい。

「うーん、どうする?」「じゃあ、いいんじゃないですか、そのままで」「ああ、そのままね」

研究員は、私に確認をとった。「元人間のフィギュア」でいいか、と。どうあがいてもバックボーンのテストはやるらしい。

仕方がない。変な設定をつけられて痛い演技をさせられるよりかは、事実そのままの方がマシ。それに延々と抗議して長引かせたって、結局解放されるのが遅れるだけだ。

ぶりっ子矯正のせいで少し手間取ったが、私はちゃんと自分が人間であるという事実を主張させてもらえるのならそれでいい、と同意した。


「チアドール一号、リリーです! 人形の国からやってきました! みんなを元気にするために頑張りますっ」

「チアドール二号、マールだよっ。妖精の国から飛んできたんだっ。みんなの笑顔があたしの栄養っ」

順番に行われる自己紹介。心臓が鼓動を早める。やってしまった。間違えた。失敗した……。

「チアドール五号、イチゴですっ。皆さんと同じ人間でしたけど、みんなを笑顔にしたくてフィギュアになりましたっ!」

「可愛い~」「すっげー、人間みたい」「設定凝ってんじゃん」「受け答えどこまでできるの?」

チアドールというのは、私達に与えられた新たな役目。配属されたAI開発と関係ない部署のムードを良くして、メンタルケアに貢献し、生産性を向上させる……つまりペットだ。私たちは可愛い小人として皆に可愛がられながら、AIを学習させていくのが仕事。私たちは与えられたバックボーンに基づき自己紹介し、興味津々の職員たちから質問攻めにあった。

「イチゴはねっ、元々スパイだったんだよっ」

私は胸の前で両手を軽く握りながら、溌剌とした笑顔で答えた。甲高いアニメボイスで。

「ふふっ。でも、イチゴちゃんにスパイなんてできたの?」

「もーっ、ホントなんですからねっ」

私はハムスターみたいにほっぺを膨らませ、両手を腰に当てて、わかりやすい「怒ってますよ」というアピールを行った。体が勝手に大袈裟にしてしまう。どう考えたって三十路の女が職場でやっていい言動ではない。死ぬほど恥ずかしい。いや、問題はそこじゃない……。

「そうだねー、妖精の国では……」

私に与えられたバックボーンは元人間・スパイのフィギュア。事実そのもの。それで何の問題もないと思っていた。が、それは誤りだった。今、私の真実の訴えは「妖精」だの「人形の国」だとかいう姉たちのバックボーンと同列のものにされてしまったのだ。つまりは、ただの「設定」に……。どれだけ懸命に訴えても、誰一人本気にしてくれない。表面上は同意してくれてるけど一生懸命設定をアピールしているとしか思われていないのがハッキリわかる。

(そんな……こんなことになるなんて)

バックボーンは別に用意してもらって、それとは別に人間だって言えばよかった。これで私は実験期間中、正真正銘のAIフィギュアとして暮らすしかない。

「も~っ、お姉ちゃんたちが変なこというからぁ~」

これが私に言える最大の嫌味。すると即、「みんなが姉にばっかりかまけるのでいじけた」と受け止められ、私はみんなから頭を撫でられ、4人の「姉」たちにも慰められた。

「よしよし、イチゴちゃん」

自分を元に作られた人形たちに格下扱いで慰められるほどの恥辱があるだろうか。抵抗したくとも、末っ子に設定された私は、その設定から外れた言動をとることができない。可愛らしく姉たちに甘えさせられてしまう。

(や、やだぁ、やめてよぉ……)

大体、なんで私が末っ子なの? 立場的には長女……いや母親でもいいはず。よりにもよって一番下、五号機なんて……。

チアドールのデビューはおおむね好意的に受け止められ、私たちは職場のデスク、あるいは棚をウロチョロし、可愛い言動で職場の雰囲気を和ませることが仕事となった。

部長と連絡がとれないので、とれるコミュニケーションは全部甘えん坊の末っ子ムーブになってしまう。死ぬほど惨めだった。スパイ時代の同僚たちが今の私を見たらなんていうだろう……。


ある日は姉妹揃ってメイド服に着替えさせられ、別の日は水着、そして今日はアイドル衣装で……ライブの真似事。アニメ好きの職員がいて、私達に女児向けアニメのダンスを仕込むのだ。誰かに注意してほしかったが、私たちはノリノリでその練習をしてしまう。ペットに芸を仕込むのと同じなのだ。AIの学習にもいいため、メンテの際に訴えても止めてくれない。

同年代の人たちが人間として和やかな職場でバリバリ働いているのを直視させられながら、私ときたらお人形たちと一緒にへたくそな歌とライブをノリノリで披露させられ、ただ一方的に褒め頃される。あまりの落差に泣き出しそうだった。でも、私にはもうそれすら許されない。

(いい加減に元に戻してください)

その言葉が口から出せなくなったことに気づいたのはいつだろう。AIはバックボーンから外れた言動を許されない。妖精の国からきたマールお姉ちゃんが突然アメリカ出身の人間だとは絶対言い出さない。学習が高まり、徐々にAIが進化していく中で、よりバックボーンと性格設定の連携がこなれてきたのだ。「みんなを笑顔にするためフィギュアになった」私には、それに反するような言動……つまり、「元に戻りたい」とか「実験を早く終わらしてほしい」みたいなことが言えなくなってしまったのだ。そしてそのことを報告することさえできない。バックボーンの縛りが強く、私たちは「メタ発言」をすることができないらしいのだ。

一ヶ月、二か月、三か月と時間が過ぎていく。子猫のように可愛がられるだけの日々の中、尋常ならざる焦りが募る。このままじゃ、ひょっとしたら大変なことになるかもしれない。

「やあイチゴちゃん。調子はどう?」

「はいっ、イチゴ、絶好調ですっ」

私の正体を知っているはずの研究員たちも、私をイチゴと呼ぶようになってから大分経つ。最初はふざけて言っていたからかいだったのだが、いつの間にか定着してしまった。

「イチゴ、ずぅーっとこのままがいいなっ」(お願いです、元に戻してください)

「あはは、すっかりハマっちゃったねー」

「イチゴ、いつまで皆を元気づけてあげられるのかなぁ?」(テストはいつ終わるんですか?)

「そうだねえ、前にも相談したんだけど……。テストが終わっても、君がその気なら、そのままいてもいいよ、って話もでてるんだけど」

「えーっ!? ほんとですか!?」(う、嘘!? これはAIが……本音を言えなくなっちゃってるの! わからないの!?)

「ふふ、その気みたいだね。わかった、みんなに伝えとくよ」

「やったーっ!」(そんなーっ!?)

メンテの終わった私は、配属先の部署の棚に戻された。

「おかえりイチゴちゃーん」

「ただいまですーっ」

満面の笑みで、可愛らしく応対する体。心は真逆で、荒れ狂っている。やばい。想定していた最悪のケースに。違うのよぉ。なんでわからないの。AIの矯正だって……。どうして本気にしちゃうの!? ありえない、ありえない……。このままじゃ、本当に取返しのつかないことに。

一縷の望みをかけて、私は近くの人に話しかけた。

「ねー黒田さんっ」

「ん? 何だい?」

「イチゴはね、人間だったんだよっ」

「知ってる知ってる。どんな子だったんだろうねー。会ってみたかったねぇ」

大きい無骨な手が、私のピンク色の頭を優しく撫でる。

「……えへへっ」

本当です、違うんです、「設定」なんかじゃないんですよぉ……。

直後、姉たちに呼ばれた私たちは、小さな「ステージ」の上に立った。玩具のマイクを両手に握り、今日もまた恥辱のライブが始められる。

(助け……誰か……)

「「それでは聞いてください! ドール・メモリアル!」」

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