百合石化③ (Pixiv Fanbox)
Published:
2018-09-11 10:19:31
Edited:
2019-12-26 12:28:25
Imported:
2023-05
Content
1月
年が明け、学校が始まり、彫谷さんとまた会話できるようになった。
「あの事」には、リアルではお互い一言も触れず、なかったことにしていた。
三年生がすっかり校舎から姿を消したころ、白崎さんにデッサンモデルを依頼された。
私は快く承諾し、放課後美術室へ足を運んだ。
埃をかぶった胸像たち。以前なら、手足の欠損した彫刻を見ると、無意識に自分を重ね合わせて、怖がっていたっけ。
生理的嫌悪感は完全には消えないけど、昔ほど酷くはない。
何でかな。やっぱり、彫谷さんのおかげかな。
彼女の作品であり、石化した私の分身である「目ざめ」外部から客観的に眺められたことによって、「彫像化した私」を、彫刻にのせて分離できたのかもしれない。私は人間で、彫刻じゃないって、ハッキリと境界線を引けるようになったのかな。
美術室の中央には、既に等身大の石膏像が設置されていた。稚拙な出来。……あれ、感覚麻痺ってるかも。
白崎さんは、キスする男女をスケッチしたいのだと申し出た。
漫画の決めゴマらしい。白崎さん、ノマカプ描くんだ?
毎日のように下着姿で石化していたことを思えば、なんてことない。キスだって腐るほどやったし。……相手は一人だけど。
台座に上り、石膏像の背中に手をまわし、顔を接近させた。
うーん、顔のつくりが甘々だあ。目すらない。幸い口っぽい膨らみはある。
しかし、石膏像とキスだ。常人はまずやらない行為。いざやろうとすると、大分気恥ずかしいものがあった。
白崎さん的には、相手役の男を人間ではなくしたことで、よく配慮できたと思っているだろうけど。
「……ほ」
「え? 何か言った?」
「い、いや、何でもない!」
彫谷さんが良かったなあ。……って、無意識に口をついて出てしまうところだった。危ない危ない。何考えてんの私。
その時、彫谷さんが美術室に入ってきた。石膏像に抱き着く私を見て、ポカンと呆けた顔を見せた。
白崎さんは悪びれずに事情を説明した。
「へえ、そうなんだ」
彫谷さんの声が少し震えていた。怒ってる? それとも、ちょっとして、悲しんでる?
「あー気にしないで。とっととやっちゃいなよ」
彫谷さんは口ではそう言うものの、表情に陰りがあった。
「早くー」
「うん……」
白崎さんに促され、私は石膏像とキスした。唇が触れ合う瞬間、チクリと胸が痛んだ。
(ごめんね、彫谷さん……)
どうして謝るの?
別に、彫谷さんとしかキスしないって約束したわけでもないのに。
二分ほどすると、白崎さんがさらなる注文を出した。
「ごめーん、ちょっとゴーグル外してもらえるー?」
「え?」
「ほんのちょっと! パパっと頭周り描くから! ……それなら、見ても石になんないでしょ?」
「うーん」
石膏像と目線が合っても、石化はしない。そうなんだけど……。
私は横目で彫谷さんを見た。便乗してデッサンしているけど、辛そうな表情をしていた。
「おねがーい」
白崎さんとは、年末コミケに同行してくれた恩もあるし……。私はゴーグルを外して、石膏像とキスするポーズをとった。
「サンキュー! 石田さんナイース!」
一瞬でも、誰かと目を合わせるわけにはいかない。だから、彫谷さんの様子はうかがい知れない。
胸がズキズキと痛む。どうして? 私が彫谷さんを裏切ったから? 悲しませちゃったから?
……何に対して裏切ったのよ。
……彫谷さんは、どうして、悲しんだの?
魂を持たない石膏像からは、こうして体を繋げていても、心の声は聞こえなかった。
その日、デッサンが終わるとすぐ、彫谷さんは私を引っ張って帰宅した。
明らかに機嫌が悪い。やっぱ怒ってる?
帰路の途中、彫谷さんは無言だった。私も罪悪感から、沈黙を打ち破る言葉をもてなかった。
私が、他の人とキスしたから……。って、人じゃないよ。
第一、何でこんなに後ろめたいの。別に私は……恋人、ってわけでもないんだから、誰とキスしようが自由じゃないの……。
でも、「誰か」の具体例は出てこない。やっぱり、私は彫谷さんと……。
彫谷さんの家にお邪魔して、部屋に二人きりになると、ようやく私は口を開けた。
「怒ってる?」
「うん」
「ご、ごめ」
「あっ、やめて。いーよ、謝んなくても。だって、アタシら、その……」
彫谷さんはうな垂れながら、弱弱しく言った。
こんな彫谷さん、初めてだ……。
言いたいことは痛いほどよくわかる。私も同じことを考えていたから。
私たちって何? 友達?
単なる友達じゃ絶対にない。白崎さんも進藤くんも彫谷さんとは友達だ。でも、私は……違うと思う。もっと違う何か。
特別な、何か。
親友? 他人とキスしたら起こる親友って何?
彫谷さんが続けて重たい口を開いた。
「ねえ、もしアタシが……。逆だったら、石田はどう思う? それだけ聞かせて」
もしも逆だったら?
彫谷さんが私じゃない石像とキスしているところを頭に思い描いた。
ヤダ。
そんなの見たくない。
彫谷さんがキスする石像は私だけがいいよ。
ううん、そもそも絶対ないもん。彫谷さんを魅了できる石像は、世界に私一人なんだから。
「……ヤダよ」
その答えを聞くと、彫谷さんはやっと笑ってくれた。
二人で両手を重ね、指を閉じ、顔を近づけた。
――邪魔だな。
右手を握り合ったまま、ゆっくりゴーグルに近づけた。私が目を閉じると、手の平は合わせたまま、彫谷さんが指だけ開いて、ゴーグルをグイっと取り上げた。
私と彫谷さんは、キスをした。人間同士では初めてのキスを。
舌が触れた。
刹那、私は目を開いた。
(あ……)
彫谷さんも、私と同じ。
パキン、と優しく乾いた音が木霊した。
私と彫谷さんは、キスしたまま一つながりの石塊と化した。
体がまったく動かない。互いに薄く目を開いたまま、互いの瞳を捉えあう。永遠に外れることはない。
――もっと、もっと奥に。
願い空しく、石化した舌はそれ以上0.1ミリたりとも動かなかった。
(んっ……はぁっ……)
彫谷さんが興奮してる。私と一つになったことで。
彼女を焦がす熱が、思考と一緒に、私にも届けられた。
(!? ……ッ!!)
激しい快感が、次第に波のように私の全身に広がっていく。こんなこと、今までなかった。
もしかして、いつもより深く繋がっているから?
私の両手は彫谷さんの手を握りしめたまま、ピクリともしない。唇も重ねあったまま離れることはできない。
もはや今の私に、この快楽に抗う手段は残されていなかった。
(んっ……んんっ……あっ、動けな……)
(えっへへへ……)
彫谷さんはちょっぴり得意気だ。ごめんね、変態だとか思っちゃって。天にも昇る心地だよ。
体をよじることも、声を出すこともできない石の身体には、この甘美な陶酔を逃がす場所がない。
身悶えしたい。声を張り上げたい。もっと深くつながりたい。
叶えられることのない強烈な欲求が、ますます私たちを揺さぶる。
――もっと、ずーっと、永遠に、彫谷さんと石像になっていたい。
彫谷さんのお母さんに発見されるまで、私と彼女はずっと石化していた。
解除直後は、人生で最大に気まずい場面だった。おばさんの顔ときたらもう……。
まあ自分の娘が友達の女の子とキスして石化してたら、大仰天だろうけど。
石化している間、体力が消耗することはない。はずなのに、なぜか私と彫谷さんははぁはぁと息を切らして、しばらく腰に力が入らなかった。
心地よい気だるさと充足感がしばし続き、私は彫谷さんが決死の言い逃れに打って出る間、ベッドに転がり夢心地だった。
最終的にはおばさんの理解というか、諦念というか、呆れによって、私と彫谷さんは、たまーにキスしながら石化するようになった。
最もそのことについては、お互い一切口にはしない。学校やラインで改まって話題に出ることはないし、事前に今日やる? これからやる? みたいな会話もない。
彫谷家にお邪魔した時、三回に一回ぐらい、何となく雰囲気でそういう流れになる。
こうして、適切な表現が思いつかないけど、私と彫谷さんは誰より特別な関係になった。
2月
初めて、私は彫谷さんを自宅に招いた。彼女の家と比べると、狭くて散らかってて、何ともお粗末だ。
彫谷さんは一切馬鹿にしたりするような素振りは見せず、私の両親ともすぐに打ち解けていた。
私のアルバムを見せると、彫谷さんは
「きゃー、かわいい~!」
と甲高く騒ぎつつ、大いに喜んでくれた。
小学校低学年の時の写真を見せていると、パソコンを覗き込んでいた彫谷さんが尋ねてきた。
「……石田って、静岡いたの?」
「うん、ちっちゃい時は。どうしたの?」
彫谷さんは私の顔を見て、何か考え込むように真剣な面持ちで目をつぶった。
「静岡県立美術館って、行ったことある? 小さい時に」
「へ? あーうん、どうだろ」
どうしてイキナリそんなことを?
その美術館はどうかはわからないけど、私には小さいころ、この障害でえらい恐怖体験をしたことがある。
ちょうど、まだ静岡にいたころだ。確かどこかの美術館だったかなあ。
屋外に彫刻を展示しているとこだったはず。
私はそこでウッカリ迷子になったあげく、石化してしまい、長時間、助けが来なかったのだ。
来観客は全員、私を彫刻だと思って無視するか、興味深げに眺めるか……。
その徹底した物扱いが、幼い私にとってどれだけ怖かったことか。一生このままなんじゃないか、永遠にこの美術館から出られないんじゃないか。
ここで彫刻として生きていくことになっちゃうんだ……って。
思い出すだけでお腹が痛くなってくる。
彫谷さんが質問を変えた。
「えーとじゃあさ、昔美術館で石化しちゃったことってある?」
「あー、そうだね、あるよ」
「マジ!?」
彫谷さんが大声を出したので、ビックリしてしまった。
え、え、何? 何でそんな興奮してんの?
とりあえず私は、迷子石化の思い出話を聞かせた。すると彫谷さんがドンドン熱くなり、
「どこ!? やっぱり静岡県立!?」
とすごい剣幕で問いただしてきた。
「あ、あー、どどどうだろ。名前は覚えてないけど……。ていうか、なんでそんな熱くなってんの!?」
「あっ、ゴメン。……ありゃ、話したことなかったっけ。アタシが彫刻始めた理由」
「……いや。聞いたことないと思う」
「そっかー」
彫谷さんの彫刻談義は色々アトリエで一方的に垂れ流されてたけど、それはなかった……いやあったかな? 覚えてない。
「アタシね、小さいころ……。小学校の二年の時だったかな。静岡にね、家族で旅行いったことあって」
「へー」
初耳。もしかして、小さいころどこかですれ違ったりしていたのかも。そう思うと、ちょっと嬉しくなった。
「アタシ、絵描くの大好きだったから、パパが美術館に連れて行ってくれて。そこ、外に展示してるのがあったんだけど、その中に信じられないぐらいリアルな彫刻があったの」
私の脳裏で、久しく失われていた記憶がフラッシュバックした。
「子供の彫刻……怯えた顔の。まるで生きてるみたいに精巧で、これまでに見たどんな絵よりも綺麗で……美しくってさ。アタシ、見惚れちゃったの。何だこれ、こりゃすごい、マジやべえ! って」
「彫刻」になった私をジックリと観察した人たち……。大人、大人、大人……子供。
「あの作品、プレートもなかったし、パンフレットにも載ってなかったの。だからパパに頼んで、受付まで行って、あれは誰の何て言う作品ですかって聞いたんだけど、そんなもの収蔵品にないって……」
あの日、私を鑑賞した人たちの中に、誰か子供がいたのを思い出した。同い年ぐらいの……女の子。
「戻ってみたら、もうその作品はなくなってたの。結局それっきりで、検索しても出てこないし、どの美術の本にも載ってないし……」
私だ。女の子が去った直後。両親が見つけてくれたんだっけ。
「あの幻の彫刻を、どうしてももう一度見たくって、見たくって……」
「自分で彫ろう、ってなったの?」
「そう」
彫谷さんが私の手を握りしめた。顔が輝いている。
「心当たり、ない?」
「多分、私、かな……」
彫谷さんが少しウルっと目をにじませた。
「見つけたよおぉ~!!」
「ちょっ、痛い痛い痛い!」
彼女は私の手を掴んだまま、激しく上下に腕を振った。
知らなかったし、気がつかなかった。まさか、彫谷さんが彫刻を始めた切欠が、私だったなんて……!
見たことないぐらいのハイテンションで、飛び上がらんばかりに喜ぶ彫谷さんを見ていると、私も目頭が熱くなった。
私が、彫谷さんと、そんな昔から会えていたなんて。
どうして、お互いもっと早くこのことに気がつけなかったんだろう。
そしたら、もっと、もっともっと早く、彫谷さんと友達になれたのに。
お母さんに確認したら、私が迷子になって石化したのは、間違いなく静岡県立美術館だった。
彫谷さんは大変な喜びようだった。
「何これすごくない? アレじゃん! 運命じゃん!」
「ふふっ、そうだね」
「アタシね、ずっとね、あの彫刻に――石田に会いたくってね!」
「うんっ」
「ソウルメイトだね、アタシたち!」
心が踊る。私と彫谷さんが、小さいころに一度会っていたという、ただそれだけの事実が嬉しい。
私が、彫谷さんの人生に大きく関われていた、ってことが幸せ。
「会いますか~?」
私がゴーグルに手をかけると、彫谷さんが上からつかんだ。
「彫刻もいいけどー、今は……人間の石田にも会っていたいなー」
彫谷さんは素早くゴーグルを上にずらし、目を閉じて軽い口づけを行った。そして即、唇を離すとゴーグルを戻した。
一、二秒の早業だった。
私の顔は灰色ではなく、真っ赤に染まった。
「もー!」
3月
終業式を終え、私は帰る前に美術室に寄ってみた。
準備室の扉が半開きになっている。覗くと彫谷さんを見つけた。
「何してるの?」
「ん。これ見てて」
薄暗い美術準備室の奥に、先輩方の卒業制作が並べられていた。
そういえば……来年で私たちも高校卒業しちゃうのか。
急に、胸が締め付けられるような思いがした。
大嫌いだった学校が、こんなにも愛おしくなるなんて、一年前は思ってもみなかったなあ。
それも全部、彫谷さんと出会えたからだ。いいや、再開できたから、だね。
「そういえば彫谷さんって、卒業したらどこ行くの?」
「アタシ? 美大いくつもり。受かればだけど」
ああそっかぁ。そうだよね。じゃあ、卒業したらお別れなんだ……。
「石田は普通の大学いくんでしょ」
「うん……」
彫谷さんが私に近づいた。
「そんな悲しそうな声出さんでよ~。大学違っても、別に友達じゃなくなるわけじゃないんだから」
「そ……そうだよね」
「ていうか、まだ一年残ってっし」
「あはは、だよね」
彫谷さんと同じでいられる最後の一年。悔いを残さないようにしたいな。
いっぱい話して、遊んで、そんでもって……。
「これ作る?」
彫谷さんは先輩美術部員たちが残した卒業制作を指さした。
「進級制作」
「えぇっ、でも、ここで……? ここ学校だよ……?」
「いーじゃん、誰も来ないよ」
「いや、来なかったら困るよ……ずっと……」
言い終わる前に、彫谷さんが私の手をつかんだ。
絶対ダメだって頭でわかっていても、体は拒まなかった。目を閉じてゴーグルを脱ぎ捨て、手のひらを合わせ、指を閉じ、そっとキスをして、舌を絡ませた。
目をパチリと開けると、すぐに目と目がつながった。
他に誰もいない美術準備室の中で、私と彫谷さんは石像になった。
(あはー、やっちゃったね)
(もう……あはーじゃないでしょ)
誰かに見つけてもらえないと、ずーっとこのまま二人で石像になっているしかない。
でも誰かに見つかったら……私と彫谷さんは「そういう仲」なのだとバレてしまう。
(どっちかな?)
(んもう……すぐ誰か来るよ)
と言いつつ、心の奥底で、「誰も来なければいいな」という邪な願望が芽生えた。
そしたらずーっと、卒業することなく、私と彫谷さんは、一つでいられるのに。
体内から沸き起こる恍惚と、半開きの扉から流れ込む心地よい春の陽気が、私たちを祝福した。