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9月 「お願い! 放課後美術室来てモデルになって!」 二学期が始まってすぐ。彫谷さんに呼び出された私は、とんでもないお願いをされた。 彫刻のモデルをやってほしい、と頼まれたのだ。 「い、いや、何で私なんか、他にもっと」 「石田じゃないとダメなの!」 私は動転した。あの彫谷さんが……クラストップの女子彫谷さんが、私なんかに頭を下げている。目の前で起きていることが、どうにも信じられなかった。 「十一月の芸術祭、今度は最優秀賞獲りたいの! ね? お願い!」 あの嫌な講評を下したおじいさんが脳裏によぎり、心が揺らいだ。 ――あのおじいさんをアッと言わせてギャフンとさせる、それはさぞ胸のすく光景だろうと思った。 「で、でも、なんで私みたいなその……地味な……」 「だからぁー、石田は……あっ、そうだ!」 彫谷さんが目を輝かせた。 「お返しに、お洒落教えたげるよ! いいでしょ? 決まり!」 「えっ……ええええ!?」 いやいやいや無理無理無理。何言ってんのこの人。私は、自分が彫谷さんみたいに髪を染めてギャル風にしている姿を想像した。絶対似合わない。ひどい絵面になりそう。 「じゃ、放課後よろしくー」 「え、ちょっ……」 彫谷さんは言うだけ言って教室へ走り去った。その足取りは軽く、鼻歌まで口ずさんでいた。どうしよう……引き受けるだなんて一言も……。 ハッキリ断らなかった私も悪いのかな……? とにかく、無視して帰る、ってわけにもいかない、よね……。たとえ断るにしても、一旦は美術室に顔ださなきゃか……。 ヤダなあ。あの部屋、怖いんだもん……。 美術室の扉。その前でふかーく息を吸って、吐く。よよよよし。入るぞ。 静かに扉を開き、中へお邪魔した。美術部員たちがすでに数人集まっていた。夏の展示会で一応は顔合わせをしているから、アウェー感は軽減されている。白崎さんもいるし……。 だけど、すぐに全身に鳥肌が立ち始めた。悪寒も走る。一瞬、体のあちこちに痛みの錯覚も感じた。教室の後ろにズラリと並んだ胸像。あれは何度見てもダメだ。 大丈夫大丈夫。私の胸から下はちゃんとある。平気……。 「いらっしゃーい!」 白崎さんに招かれて、私は部屋の中心に近づいた。 「あ、あの……私、彫谷さんに……」 「聞いてる聞いてる。モデルやってくれるんでしょ?」 部員たちはイーグルを準備していた。あれ……彫刻のモデルって言ってたような。これってあれじゃない、デッサンのモデル? ああ、別に私を見ながら彫るわけじゃないのか。一旦絵に描いてから、それを参考にして彫るのかな……? 「お待たせー」 彫谷さんが入ってきた。頼んどいて後から来る? 「ごめん待ったー? ちょっと待っててー」 彫谷さんは鞄を置いて即、美術準備室へ姿を消した。ああダメだ。断るタイミングを完全に逸した。 もうこうなったら、とにかく早く終わらせて帰ろう。胸像イヤ。 「ええええっ!?」 「あれ、アタシ言ってなかったっけ?」 「聞いてないよ! ヤダ! 絶対ヤダ!」 彫谷さんは私にトンデモないことをやらせようと企んでいた。あろうことか、私にこの場で石になってもらい、それをスケッチしたり、観察して参考にしたりして、そして最後は見ながら彫りたいと言い出したのだ。 しかも、すでにある程度彫り始めてある彫刻と、スケッチブックに描かれた彫刻の完成図を私に見せてきた。すなわち、既にポーズまで決まっているのだ。 私に、同じ学校のみんなが見ている前で、ポージングして石化しろと言い出したのだ! さらに悪いことは、彫谷さん以外の美術部員が、これ幸いとデッサン練習をやるということ。どれだけ私を馬鹿にすれば気が済むの!? 「帰る! 私帰る!」 「ああー待って! マジ待って! マジお願い!」 彫谷さんが扉の前に立ち塞がり、何度も頭を下げてきた。やめてよそれ! ……卑怯じゃない。美人ってホントにズルい。 「イヤなものはイヤなの!」 「石田さん、何が嫌なわけー?」 白崎さんが参戦してきた。関係ないでしょもう! 「いやだって……石になるの辛いし……。美術室怖いし……」 「あれって痛いの?」 「美術室怖いってなんで?」 「いや、痛くはないけど……。怖いのはええと……」 「じゃ別に良くない? 簡単に戻れるんでしょ?」 「か、簡単じゃないよ!」 「えー、簡単じゃん。キスするだけでしょ?」 彫谷さんは何でもないことのように答えた。モテる人とは違うんだってば。 「それにアレじゃん。見られたくないし。恥ずかしいしっ」 「そーお?」 白崎さんはじめ、どうも誰もピンとこないようだった。石になったことないからわかんないんだ。 歯がゆかった。みんな一度石になれば、あの辛さ苦しさ惨めさが嫌というほど理解できるだろうに。 「恥ずかしいってどれぐらい? 教室で水着になるくらい?」 「あ、えっと、うーんと……」 その後、白崎さんは淡々と詰めてきたので、私のイライラは募る一方だった。なんで誰もわかってくれないの! そんな論理的に解説できるよーなものじゃないの! それでも、恥ずかしいから男子含む関係のない美術部員たちのデッサンモデルになるのは嫌だと思っている、ということは何とか伝わった。 珍しく悩んでいる風の彫谷さんだったが、いーこと思いついちゃった! とばかりに、 「だったらウチ来なよ! ウチでアタシと二人だけでやろ!」 と得意気に提案した。 私は渋ったが、彼女ときたら両手を合わせて片目をつむりながら 「ね、お願い」 などというものだから、その可愛さにクラっときて、うっかり了承……したわけではなかったけど、ハッキリと断り切れず、押し切られてしまった。 彫谷さんの家はかなり大きな戸建てであり、私は萎縮し尻込みした。やっぱり住む世界が違うなぁ……。 でも人の家にお呼ばれするのなんて、いつぶりだろう。小学校の低学年が最後だった気がする。 中に入ると、しっかりと掃除が行き届いた清潔な邸宅で、また私は文化レベルの違いを感じ取った。 「とりあえずアタシの部屋行こっか」 私はコクコクと無言で頷き、ヒヨコみたいに後をついて行った。家の人は留守みたいだ。共働きなのかな? 彫谷さんの部屋は、想像通りの雰囲気だった。かわいらしい小物やファッション誌が目に付く。それでいて埃もなく整理整頓されていて、私の部屋なぞとはえらい違いだった。表紙の破れた雑誌が床に落ちていたりはしていない。 今日私を招いたのはあの場での思い付きだから、準備なんてしていないはず。普段からマメに掃除や整理をしているってことだ。 ダメじゃん私。何一つ勝ってるところがないじゃん……。 「あー、荷物適当に置いといていいから。行こ行こ」 「ど、どこ行くの?」 「あー、外にアタシのアトリエあるから。そこでやろ」 「えええっ!?」 おそらく、元は車庫だったと思われるシャッター付きの小屋。家の中とは打って変わって、絵の具や木の切れ端、真っ白な砂などが床や壁、机を好き放題に汚していた。 床や棚には、これまでに彫谷さんが彫ったであろう彫刻が無造作に置かれている。途中でやめたのか、ただの練習だったのか、明らかに最後まで彫っていないものも多数見受けられる。 年月を感じさせる武骨な木の机には、乾いた絵の具の跡、半端な穴や無数の傷がある。 彫谷さんが照明を点けたが、それでも家の中ほど明るくはならない。薄暗い倉庫の中で、私は次第に後悔に押しつぶされそうになっていた。 (これから、ここで、石になるんだ……) ブルっと全身が震えた。石になるのは怖い。けどそれ以上に、ここで石になるということは、自分が彫刻の仲間入りをすることであるかのように思えて、いつも以上に恐ろしく感じられた。 準備に夢中になっていた彫谷さんは、生まれたての小鹿のように震えている私に気づき、静かに尋ねた。 「やっぱ、怖かったり?」 「うん、まあ……」 「へーきだって、覚えてる? アタシ一回キスして戻したことあったっしょ?」 うっ……。ようやく忘れかけていたのに。 「あの時さー、興奮してて気がつかなかったんだけど、もしかしてセクハラだった?」 えっ、今更……。あんだけ人の下半身を撫でまわしておいて。女子同士とはいえ。ていうか興奮って何。興奮するとこあった? 変態なの? 「う、うん、そうだね」 「あはは、ごめんねー。アタシ鈍くってさー」 会話が途切れた。彫谷さんが準備を終え、簡素な丸い木製の椅子に腰かけた時。 「そういやさー、石田って何が怖いの?」 「えっと、だから……」 「石になるのが怖いっていうのはぁー、まあわかんなくもないんだけど? 美術室怖いって言ってなかった?」 あ、ちゃんと聞いてたんだ。今日の会話。 「うん……」 「何で? よくわかんなくてさ」 「それは……」 自分と重ね合わせてしまうから。 彫谷さんは両手で自分の顔を支えながら、興味深そうに私を見ていた。人に理解してもらえたことあんまりないんだけど……。それでも、彼女が本心から知りたそうに見えたので、私は一生懸命に説明した。自分にできる範囲で。 「あ~そっかぁ! バラバラ死体見ちゃったよーな感じなんだぁー!」 伝わった。彫谷さんは合点がいった、という感じに、ウンウン頷いた。それから、両手をパン! と合わせて 「ごめん! あれ嫌だったでしょ!?」 と突然謝罪した。私は戸惑った。 「え? ちょちょっと? 『あれ』って何!?」 美術室の胸像? いやあれは彫谷さん正直関係ないっていうか、学校側の話だし。心当たりがないよ。 「夏の美術展! アタシの彫ったやつ!」 ああ! 思い出した。あの女性の下半身だけ彫ったやつ。 「いやいや、謝んなくていいよ。あれは別に……」 気持ち悪くなかったよ。……あれ。そうだ、そうだよ。思い出した。嫌じゃなかった。普通に……客観的に見れた気がする。なんでだろう。近くの胸像はダメだったのに。 「あれは……大丈夫だったから」 「えマジ!? なぁ~んだ、よかったぁ」 彫谷さんが体から力を抜いた。自分でも不思議。普通に綺麗だな、よく彫れてるなぁって思っただけだった気がする。 ……「綺麗」だったからだろうか。私はここにきて府に落ちた。嫌悪感よりも先に、綺麗だと思わせてくれたから。きっとそうだ。 「あれは、何というかその、よく彫れてて……気持ち悪い、って思うよりも前に、『綺麗だな』って思えたから……かも……?」 彫谷さんはそれを聞くと、頬を染め、はにかみながら言った。 「ありがと。嬉しい」 私は服を脱いで下着姿になった。恥ずかしいけど、ここまで来ちゃ今更断れない。それにまあ、女同士だし、彫谷さんしか見てないし。 しっかし人の家、それも車庫で服を脱ぐって変な感じ……。妙な背徳感がある。 アトリエの中央に立つと、彫谷さんがポーズを指定した。 「足は広げて。そうこれくらい」 彫谷さんは事細かに注意して、私の脚をつかんでグイグイ動かした。 「ちょっ……大丈夫だから……」 「いやほら、ちゃんとしとかないと」 「……」 両足を肩幅ほど開いてしっかりと床を踏みしめる。それから彫谷さんは立ち上がり、上半身の指導に移った。 密着して私の腕をつかみ、 「こうやって後ろ回して……えーとほら、鏡見ながら髪を結ってる感じで……」 「わ、わ、わかったから!」 近い近い。彫谷さんの顔が目の前まで接近している。薄暗い照明が彼女の綺麗な顔を照らし出す。ふわっといい匂いがするし、大きな胸も私の小さい胸にあたってくるし、中々平常心というわけにはいかなかった。 背筋をピンとして、両腕を後ろに回す。ポニテを結おうとするような感じで、両手で後ろの髪をつかんで束ねる。顔はやや下向き、目線は上目遣い。 これが彫谷さんの指定だった。こういう彫刻に仕上げる予定らしい。 (恥ずかしい……) 「動かないで動かないでー。……うん、いい」 ジッとポージングしたまま、周りをウロウロする彫谷さんの視線に耐えるのは結構な羞恥プレイだった。 「えっとじゃあ……いいかな?」 彼女が目の前に立った。いよいよ石化する段階かー……。いやこうなるってわかってたんだけど、やっぱり不安が膨れ上がってくるよ。 「……いいよ」 だけど、私はそんなことはおくびにも出さず、オーケーした。 彫谷さんがそっと私の顔に両手を伸ばし、ゴーグルをつかんだ。 胸がドキドキしてくる。今更だけど、友達の家でポージングして石化するなんて、相当の変態行為だね……。 彫谷さんが私の頭からゴーグルを取り外した。私はいつもの癖で両目を強く閉じた。その間に彼女が私の髪をパパっと整え、言った。 「いーよ、開けて」 (あー……ついにか……) 心臓がドクンドクンとさらに強く鼓動する。私はゆっくりと目を開けた。優しく微笑んだ彫谷さんが、少し前かがみになって立っている。 目と目が合った。 バキッ! と音をたてて、私の全身が一瞬で石に変わった。着ている下着も含めて。 全身がガチガチに固まり、指一本、髪一本動かない、冷たい石の塊になったことが、全身の感覚から嫌というほど伝わってくる。 ああ……とうとうやっちゃった。 彫谷さんは両目を大きく見開き、まだ目の前に突っ立っていた。やっぱり、目の前で人が石化するのはショッキングな光景だよね……。 と思っていたのだけれど、段々様子がおかしくなってきた。顔は次第に汗まみれになり、全体的に紅潮してきた。 熱でもあるのかな? 静かに両手を伸ばし、私の顔にピタッとあてた。 (な、何?) それから、顔中を指先で、手のひらで、まさぐられた。鼻、口、目、耳、側頭部、髪、後頭部、束ねた先の髪……。 私はもう恥ずかしくって、今すぐこの場から逃げ出したいくらいだった。しかし、石のままではどうすることもできない。 ただ黙って前を見つめ続けることしか許されない。まったくなされるがままだった。 (ま、まあ……彫刻の参考にする、っていうんだから、しかたない、よね……) 彫谷さんの髪が私の顔にかかった。荒い息遣いが聞こえる。 (ひゃっ) 耳に彼女の息がかかった。動けない分、どうしても敏感になっちゃうから、気をつけてほしいよ……。 失われたはずの心臓が、バクバクと音を鳴らしているような気がした。 頭が終われば首、そして首元、肩、胸……。 胸をつかんで揉まれ……いや、カチカチに固まってるから、一切形を変えないけれど、鼻息の荒い人に両手で乳房を掴まれると、どうしても変な事をされてる気分になってしまう。 (彫谷さん……もうちょっと、その……ええと何ていうか……) 落ち着いた雰囲気で、クールにやってほしかった。 次に、彫谷さんは脇を調べ始めた。モミモミしたり、摩ってみたり……。 (ちょ、彫谷さん、そこダメだって、 くすぐった……あはっ、はは、やめ、ひゃんっ!) ああっ、んんっ、だだだダメ、無理無理無理! 今すぐ跳ね上がりたい、体をねじりたい、大笑いしたい……全身に何度も指令が下る。だけど、石像と化している私の体は、ピクリともしないし、動かせない。 身悶えしたい、笑いたい、その欲求が全身を駆け巡るのに、一ミリも体を動かせないのは、耐えがたい焦燥だった。 (ダメダメダメ、そこ弱いの無理っ! 動いてお願い! あふっ!) 脇周辺が終わっても、行き場のない衝動が燃え尽きるまでしばらく時間を要した。 その間に、彫谷さんは胴体、腰回り、そして股間……。 (ちょちょちょっと、どこ触ってんの!?) 女子同士とはいえ、そんなところをジックリ触られたんじゃ、流石に怒るよ! ……とはいえ、石のままではどうすることもできない。拒否することも、抗議の意を示すことすらできない。まるで人形のように、私は彼女に自分のすべてをゆだね続けなければならなかった。 下半身も、太腿あたりを撫でられている間、またこそばゆくなって、私は苦痛に耐えなければならなかった。いい加減にしてー! 彫谷さんは、足首から下を念入りにチェックした。前回は靴を履いていてお預けだったからだろうか。妙に手つきがいやらしく感じられた。気のせい……だよね? 特に指の間に何度も指先を這わせて、その様子を観察していた。 重心より下を触られると、本能的な恐怖が湧いてくる。 (倒さないでよ~) 地面にひっくり返されても、そうそう折れたりヒビが入ったりはしない。頭ではわかっているけど、やっぱり怖い。 一番怖いのは、受け身がとれないこと。人間っていうのは、体がバランスを崩した時、なんだかんだ言っても筋肉が瞬時に身構えてくれるものだ。 ただ、石化している今は、私はあらゆるレベルにおいて、「受け身」をとることが不可能な状況にある。 要するに、痛みが一切緩和されることなく、ダイレクトに伝わってくるのだ。 (気をつけてよ~) 事前に注意しとけばよかったかな? そんなことを思いながら、私は薄暗いアトリエの中で、じーっと壁を見つめ続けていた。 どれぐらいの時間がたったかわからない。彫谷さんが私の「観察」をやめてしばらく。 今度はいろんな距離・角度から写真を撮りまくられた。石化しているところを撮られるのって、もんのすごく恥ずかしい。 その後はスケッチに移った。今は私の視界にいないし、体を触ってもいない。 こうなってしまうと、彼女が今どこにいるのか、さっぱりわからない。 石化したまま一人でいると、どうしても思考がマイナスに傾いてくる。 このままずーっと放置されたらどうしよう? 石像として売られてしまったら? 誰にも人間だって気がついてもらえず、一生石のままだったら? 誰かに加工されてしまったら? 彫谷さんは? どこにいったの? 早く戻ってきてよ。音はするけど、近くにいてくれないと不安になっちゃう。 彫谷さんがようやく、私の視界に入ってきた。間を置かず私の顔に手を添えて、急接近してきた。 え、あれ、ちょっと……。 唇同士が重なり合った。 彫谷さんの体温が、私の冷たい口に熱を伝えてくる。 まずは口が人の温もりを取り戻した。そこから解凍の波が全身に広がっていく。 頭全体が元に戻っても、彫谷さんはまだキスしたまま離れようとしない。目をつぶっているからかもしれない。 「も、もういい! もういいから!」 人間同士のキスになっちゃってるよ! 「あ、そうなの?」 彫谷さんがキスを止め、顔を離してくれた。解除が始まったら、もうキスしていなくてもいいんだよ。……これも言っとけばよかった。 両腕が動かせるようになると、私は自分の唇を指先で撫でた。うー……。女子同士とはいえ……いや女子同士だからこそ、かえって妙な背徳感が……。 「あっ、今の色っぽくない!?」 うるさい! 無事全身元通りになったらすぐ、私はゴーグルを装着し服を着た。あー、死にたくなるほど恥ずかしい……。気まずい。まともに顔見れないし。いたたまれない……。 「やー、時間経つの早くなーい? 続きは明日ね」 「え?」 今日で終わりじゃないの? というか、今何時!? スマホを見ると、既にとんでもない時間になっていた。 (ぎゃー!) こんな長い時間、石になっていただなんて……。小学校以来では新記録かもしれない。 ていうか、こんなに長い間、クラスメイトに体を弄り回されていたのかと思うと、自分が汚されたかのように思えてきてならなかった。 「ほらほら! 見る見る?」 彫谷さんは描きかけのスケッチと、一眼レフの写真を私に見せてきた。うわ……。スケッチはまだいいとしても、写真はキツかった。 元来、私は自分が好きじゃない。こんな得意気にポーズとって石化してるなんて、私じゃないよー! ブスが勘違いして調子こいてる感が半端ない。すいませんすいません許してください。 「綺麗だよねー……」 え? 彫谷さんは私の写真を眺めながら、どこか恍惚とした表情を浮かべながら呟いた。 ウソでしょ……。どこが? お世辞ならやめてほしい。私、容姿褒められたことほとんどないんだよ。免疫ないんだよ……。 顔がすーぐ赤くなってくる。もうヤダ。 帰り際、彫谷さんは何度も何度も頭を下げて、お礼を述べた。 あーうん、まあ……いい彫刻できるといいね……。 気まずくってサッサとこの場を離れたかったので、私は適当に生返事して、彫谷邸を後にした。 まだ顔が赤みを帯びている。中々おさまらない。 (なんというかもう……疲れた……) すっかり日の落ちた夜道を歩きながら、私は今日の体験を反芻していた。 石化して喜ばれたのなんて……初めてかも。 成り行きというか、半強制だったとはいえ、曲がりなりにも自分で石になったのも……初めてかもしれない。 自分の障害が、こんな風に人の役に立つ日が来るなんて、思ってもみなかった。 ゴーグル越しの一番星は、いつもよりちょっぴり明るく輝いて見えた。 翌日。私は放課後早速、彫谷さんに捕まった。 「んじゃ、行こっか」 「うん……」 こうなることは、昨日ラインで予告されていた。とはいえ、「お礼」だから、断るのも忍びない。 私はまた彫谷さんの家にお邪魔した。昨日とは違い、アトリエではなく、人の住む家に。 「ほらジッとして!」 「……はい」 私は眉毛の手入れを教わった。人生で初めて、私は軽い化粧もやった。 鏡を見た時、驚いた。地味で垢抜けない喪女の私はそこに映っていなかった。 もちろん、彫谷さんたちほどではない。けど……割と整った顔した、最低限見れる顔がそこにはあった。 「ほら~。石田は素材はいいんだよー。いったっしょー? 美容院いって髪直せば完全体なるよー!」 「あ……う、うん」 言葉もなかった。ちょっと頑張るだけで、こんなに変わるんだ。 今まで、彫谷さんのような人たちのことを心の底で妬んでた。美人に生まれて良かったですねー、ハイハイと。 でも違ったのかもしれない。こうやって、色々工夫して、努力して、みんな美人になったのかな……? 「……ありがとう、彫谷さん」 「いやいや~、昨日滅茶苦茶やらしてもらっちゃったし~。こんくらいは当然っしょ」 彫谷さんは事も無げにそう言って、 「んじゃ、きれーになったところで、昨日の続きやっちゃお!」 とのたまった。 「えっ、でも、もう……」 お礼してもらったし、これで清算なんでは……。 彫谷さんは私の腕をつかんで、キラキラと瞳を輝かせながら、 「ほら早く! 行こ行こっ!」 と急かした。ちょっ、ズルいってそれ。彫谷さんみたいな美人にそんな可愛くおねだりされたら、スパッと断りづらいじゃーん! のぼせ上ってた自分がアホでした。彫谷さんの美しさには全然かないませぬ。 結局、昨日と同じように、アトリエに入り、下着姿で、髪を結う途中のポーズをとって、私は石になった。 それからはズルズルと、放課後彼女の彫刻に付き合う感じになってしまった。勿論毎日休みなしではない。 けど、かなりの高頻度で呼び出されては、彼女のアトリエで石になるのがお決まりみたいになっていった。 「お礼」も増えた。彫谷さんのおススメの美容院に連れていかれたり、休日には一緒に服選びにいったり……。 半ば強制的に、彫谷さんの家族や友人たちとも交流せざるを得なくなり、私の高校生活は様変わりしていった。 10月 「はよーっす」 「あ、おはよう」 進藤くんに挨拶されるようになってから一週間ぐらいかな。彼は彫谷さんのグループとよく話しているイケメンで、これまではずっと違う世界の人間のように感じていた。 私が彼と挨拶をかわすような仲になるだなんて、想像したこともなかった。 彼だけじゃない。気がつけば、私は彫谷さんの交友関係を起点にして、色んな人と軽く会話できるぐらいの立ち位置に浮上していた。 といっても毎回緊張するし、舌は乾くし、視線は逸らしがちだけど。 それでもやっぱり、一学期からは想像もできないぐらい、毎日誰かと話をしている。 去年は誰とも話さない日もあったっけ……。 「おはよ!」 「おはよう……」 彫谷さんに挨拶すると、彼女がニヤリとした。 「なんか明るくなったね~」 毛先の色を変えたことに、彼女はすぐ気づいてくれた。 嬉しいな。 自分の変化に、誰かが気づいてくれる。ちゃんと私を見てくれているんだって、気にかけてくれているんだなって、実感させてくれる。 自分という存在が認められた証のように思えて、心の底から喜びが溢れてくる。 特に、相手が彫谷さんだったなら、尚更だ。 ……あいや、別に変に意味はないんだけど……。 アトリエ。今日もまた私は下着姿になって、いつものポーズをとった。 鏡の前で髪を結ってるイメージ。前は言われるがまま、言うとおりに従っていただけだけど、今なら実感を込めたポージングができる。 最近は毎日、何度も鏡を見てる。ちょっとした工夫で、自分が綺麗になったり、可愛くなったりするのが楽しい。 これも全部、彫谷さんのおかげだ。彼女が切欠をくれなかったら、今もぼっちのまま、劣等感にまみれて世の中を呪う毎日を暮らしていたに違いない。 恩返しがしたい。 といっても、彫谷さんはとっくに美人で、明るくて、友達もたくさんいて、お金持ちで……。 私から与えられる物なんて、何一つない。 だからこそ、私にできる唯一の方法で彼女を喜ばせてあげたい。 彼女のモデルにふさわしい、美しい石像になることで。 ……自分が「美しい」だなんて言うのは思い上がりが過ぎるけど。でも、最近はちょっぴり自信もついてきたよ。少しずつだけど。 「いいよ」 「ほーい」 彫谷さんが私の前に立ち、ゴーグルを外した。髪を簡単に整える間、私は目をつむる。 「オーケー。……開けて」 瞼を上げると、互いの瞳が直線状に並んだ。 パキン。 という乾いた音をたて、私は石化した。 コーン、コツーン、バキッ、という彫刻の音も、ずいぶん耳になじむようになった。 彫谷さんが私を見ながら石を彫っている。もう大分それっぽい形になってきている。 不思議な感覚だった。石化した私の分身とも呼べる存在が、彼女の手によって少しずつ形作られているのをこの目で見るのは。 石化中、私は動くことも喋ることもできない。だから、彫谷さんが一方的に何か話している時以外は、アトリエは静寂に包まれるのが常だった。 「石田さー、すっごい可愛くなったよね」 「……」 「だからずーっと言ってたじゃん? 石田はモトはいいんだって」 「……」 ただの突起と化した石の唇は、絶対に開くことはない。彫谷さんの言葉に相槌すら打てないのがもどかしい。 会話がしたい、そう考えるようになるだなんて、ホント自分にビックリだ。 「今朝もねー、見た瞬間ときめいちゃったもん。かわいっ! って」 うわわ、やば。動けたら顔がだらしなくニヤケまくってたかも……。 「あ、でもこれじゃわかんないね。ぜーんぶ同じ灰色だし」 彫谷さんが立ち上がり、私の石化した毛先をチョン、とつついた。それから、人差し指と中指で挟み、そっと撫でた。 「……」 「見た目は同じでもさ、なんとなく違って感じるよね」 また座り込んで彫りはじめながら、彫谷さんが「ひとり言」を続けた。 「こう石になっててもさ、初めとは全然違うのよ。ポーズも体型も同じでも……なんかこう、力強いっていうか、自信を感じるっていうか……」 「……」 「夏にさ、土田先生が、アタシの彫刻は表現がないって言ってたけど……。最近、自分でも何となくわかるような気がして」 「……」 「なんだろうね。アタシもさ、そういうの……これで表現できたらな、って思うんだ」 「……」 「……あーごめん。こんなこと聞かされても困るよね。何言ってんのかなアタシ」 「……」 「まーよーするにさ、石田のおかげで、アタシの最高傑作になりそうな気がするから……。ホント、付き合ってくれてありがとね。」 (……どういたしまして) 少しは私も彫谷さんに何かを与えられたのかな。 そう思うと、心が軽くなる。私は初めて、彫谷さんと対等な関係になれた気がした。 全身が生気を取り戻し、私と彫谷さんはそっと唇同士を離した。寝起きの心臓が一際力強く鼓動している。 彫谷さんとのキスは何度やっても慣れることがない。私は毎回顔中、耳まで赤くしてしまう。 当初はケロリとしていた彫谷さんも、何だか次第に様子が怪しくなってきた。最近じゃ、私ほどではないにせよ、頬を染めて、無言で静かに、しおらしく私を見つめてくるのだからたまらない。 「あのっ……また石になっちゃうから……」 「あっ、そうだね、ゴメン!」 彫谷さんは慌てて、私の背中に回していた両腕を離し、アトリエの隅っこへ移動した。 (抱き着く必要……ある……?) ゴーグルを装着し、服を着ながら、互いに気まずい時間を過ごした。 回を重ねるごとに、妙な雰囲気になってきてる気がする……。 彫谷さんも、もっと最初みたいに毅然とした態度でいてくれればいいのに。 まさか、私がお洒落に目覚めて見違えるほど可愛くなったから……なーんてことはないよね。ない。 考えすぎ考えすぎ。 そもそも、恋人同士でもないクラスメイト同士でほぼ毎日キスするなんてのが異常だし、気にするなって方が無理なんだ、うん。 っていやいやいや! 前提おかしいって前提! 女の子同士なんだから恋人とか……ないし……。絶対……。 11月 彫谷さんの彫刻は、素人目にはほとんど完成しているかのように見えた。 私は、まず「すごい」と思った。とてもリアルだ。まるで私が魔法で縮んだみたい。 次に、迸るエネルギーを感じた。あまり動きのないポージングなのに、全体に力が感じられ、溌剌として見える。 最後に、恥ずかしくなった。彫刻の私は、下着をつけておらず、全裸だったからだ。 あと、本物の私よりもスタイルが引き締まっているように見えるのは気のせい? 正面から見た顔も、なんか美人に補正されてるような……。 もしかして、私は彫谷さんにはこう見えてるとか? いやいやいや! ないないない! 「どう?」 「すごいよ! すっごい綺麗!」 小学生みたいな感想しか言えない自分が情けなかったけど、実際そう感じたんだからいいよね? 「こんな美人に彫ってもらって、すっごい嬉しい。ありがとう」 彫谷さんは少し顔を曇らせた。あれ? 「ご、ごめん、何か気にさわ……」 「ああいや、そうじゃないの」 「?」 彫谷さんは屈んで、自分の最新作を静かに観察した。次に私の方を見ると、悔しそうに顔をしかめた。 「ほ、彫谷さん……?」 「あのさ、石化してくれる?」 「え、あ……いいけど」 彫刻の拡大版と相成った私と、本物の彫刻を並べて、彫谷さんは唸りながら二者を見比べていた。 私の視界からは見えないけど、あの彫刻と隣同士になって並べられている……と考えると、妙にこそばゆく、奇妙な感覚に襲われた。 彫谷さんは頭を抱え、うなり、掻きむしった。彫谷さんが取り乱すのは珍しい。 (もしかして、私に負けてる、から……?) 彼女の苦痛の原因が自分にあるのかもしれない。そう思うと、いてもたってもいられなくなり、心の中で叫んだ。 (彫谷さん! 私は彫刻じゃないよ! だからいいんだよ!) 私は本物の人間が石化したものなんだから、そりゃーリアルさで勝負するなら、彫刻側が負けるに決まってる。そんなの、競争するようなところじゃないはずだよ。 彫谷さんはあっちこっちウロウロしたり、私に顔を近づけて、熱心に観察したりを繰り返した。そして、自身の作品を見て、ため息をついた。 (も、元に戻して! そんな彫谷さん見たくないよ!) 私が石になったのは、それが彼女を喜ばせてあげられるからなのに……。彫谷さんが苦しむんなら、石になんてなりたくない! それから十数分後、彫谷さんのキスで私は復活した。心なしか、いつもより浅くて、心のこもっていないキスであるように感じた。 ……いや、別に普段も心がこもってなんかないけど! 私はゴーグルだけ装着し、服を着るのも忘れて彫谷さんに声をかけた。 「ねえ……。私は……」 「ごめん。石田悪くないから。アタシがまだ……下手っぴだからさ」 彫谷さんは悲し気な目で彫刻を見た。よく彫れてると思うんだけどなぁ。 「リアルさは勝負してないの。初めから」 彫谷さんが続けた。 「アタシはこれでさ……自分なりに表現がしたくって、石田にモデル頼んだの」 五月に見た、石化した私に、彫刻作品として見惚れてしまったのだと、彫谷さんは吐露した。息をのむ精緻な造形はもちろん、それ以上に「生きている」ことに感動した。彫谷さんはあの日私を見てから、ずっと忘れられなくなったのだという。その衝撃を「脚」にぶつけた。リアルには彫れた。でも、生きさせることはできなかった。完璧に、理想通りとはいかなくても、今回はその入り口には立ちたかった。でもまだそこに到達できていない気がする……。 「ごめんね。アタシの勝手な自己満足につき合わせちゃって」 彫谷さんは赤裸々に自らの心情苦悩を私に打ち明けた。 私も衝撃だった。五月の時から、そんな風に見てもらえていたなんて……。いや、彫刻扱いは怒るべきところだ。でもそんなことはどうでもよかった。私は、あの頃は、自分は彫谷さんにとっては空気みたいな存在なんだって、ずっとそう思っていた。 「彫谷さん!」 自分でもビックリするぐらい、大きな声が出た。彫谷さんもちょっとビクッとした。私は両手で彼女の肩をつかんで、言った。 「私も……ずっと前、そのころから、彫谷さんのこと、美人だな、友達多くていいなって思ってて……憧れてて……。だから、彫谷さんと仲良くなれて、すっごく嬉しかったし……。それに、今までずっと、自分の障害、大っ嫌いだったけど……。彫谷さんの役に立てて、前よりもっと、嫌い度薄れてきて、ありがとうっていうか……。あ、あとあと、お洒落とかファッションとか教えてくれて、友達増やしてくれて、ホントに、すっごい嬉しかった! だからええと……彫谷さんはすごいよ! 自信持っていいし、彫谷さんの勝手な自己満足じゃなくって、私も楽しかったから!」 彫谷さんはポカーンとしていたが、次第に笑顔になり、一人で大笑いした。 私は急に冷静になり、死にたくなるほど恥ずかしくなってきた。何言ってんの私。一人で勝手に熱くなって、めちゃくちゃ喋り倒して……。 ヤバい。穴が合ったら埋まりたいぐらい恥ずかしい。やっちゃった。やらかした……。ドン引きされるやつ……。 彫谷さんは笑いながら、私の手を優しく払いのけ、お返しとばかりに私の背中をバシバシ叩いた。 「あはは! あっはは! ありがと! 元気出た!」 痛っ。加減してよ彫谷さん……。 「うし! やりますか!」 でもまあ、よかった。立ち直ったみたい。 「じゃ、石になってー」 えっ、また? さっき石化したばかりなのに。 あーけど、あの可愛らしいワクワク顔には逆らえない。 私はそれから期限ギリギリまで、彼女の仕上げに付き合い続けた。 彫谷さんの新作「目ざめ」は完成……かはわからないけど、見違えるほどすごい作品になった。 (そうそう、こんな気持ちだったな、私) 二か月ほど前の私が、そこにいた。お洒落に、自分の可能性に気づき始めて、ワクワクとドキドキ、そしてちょっぴりの照れと不安が入り交じった、あの頃の自分。 ほんのちょっと前なのに、無性に遠い日のことのように感じる。 彫谷さんが魂を込めて彫り上げた彫刻からは、「この子」の感情がアリアリと読み取れた。 これが展示されちゃうのかー……。 やっぱり、恥ずかしいな。自分が石化して展示されるみたいで。 今までは彫刻を見ると、「最悪の末路を辿った自分」に思えて吐いていた。でもこれは違う。真逆の彫刻だ。 丁寧に梱包する彫谷さんを眺めながら、私は感傷に浸った。薄暗い車庫のアトリエ。私と彫谷さん二人だけの空間。もうここに来るのも終わり……なんだよね。 寂しいな。もっと二人で色々話したかったな。遊びに行きたかったな。 いや、この作品ができたからと言って、別に私と彫谷さんは友達ではなくなるわけでは……。友達……。友達なのかな。なれたのかな。 「賞、とれるといいね」 「うん。とるよ。ずーっとつきあわせちゃったもんね。本当にありがとう」 彫谷さんは少し照れくさそうに笑った。それから、 「お礼しないとだね。どこ行く? 何食べたい?」 と尋ねてきた。私は嬉しくって、内心小躍りしていた。 彫刻が完成したからって、私と彫谷さんの仲は終わらない。これからも続いていくんだ。 12月 彫谷さんの「目ざめ」は無事、最優秀賞に選ばれた。 私は彫谷さんと一緒に会場に行き、手を取り合って喜んだ。私も誇らしく感じたのを覚えている。 まあ、裸で石化した私が展示されてるようなもんだから、恥ずかしくって一度しか見に行かなかったけど。 だから講評は聞いていないし、彫谷さんにも尋ねなかった。自分の分身ともいえる彫刻の評なんて、すごく気になるけど、やっぱり恥ずかしすぎて無理。 彫谷さんは来年の夏、県代表としてこの作品を総文祭へ出品することになった。 総文祭というのは、彼女によると、文化部のインターハイみたいなものらしい。そんなものがあるだなんて、私はちっとも知らなかった。 彫谷さんは、高校生活の間に一回出たかった、と熱っぽく語り、その嬉しそうな顔を見ていると、私まで心が弾んでくる。 「石田のおかげだねー。ありがと」 「いや、私は別に……。彫ったのは彫谷さんだし、彫谷さんの実力だよ」 とはいえ、私の裸体が全国の舞台で晒されるのか……と思うと、ちょっぴり複雑な気分になる。 ある日、私は彫谷さんの家に招かれ、二人で話をしたり、ゲームしたり、一緒に本を読んだりして楽しく遊んでいた。 私はおふざけでゴーグルを外し、石化してみせた。着ている服も一緒に石になり、私の体と一体化した。 今、私の体と服は一つだ。同じ石から彫りだしたような状態になっている。 彫谷さんはテンションを上げ、興奮しながら裾や皴を観察し、指でなぞり、鼻息荒くセクハラを繰り返した。 流石に私も焦った。というかビビった。なんでそこまで熱狂するの……。 あ、でも、服を着て石化するのって、五月以来かも。アトリエではずっと下着姿で固まっていたっけ。 キスして復帰した後、彫谷さんが尋ねた。 「ねえ、石田ってさ、服とかアクセとか一緒に石になってたけどさ、どこまで石になんの?」 あれ、言ったことなかったっけ? 「それはほら……自分の身に着けている物……まで、かな」 これは身を守る「防御魔法」が暴発している症状だから、「自分」のテリトリーに入るものはまとめて石化する。病院の先生はそう説明していた。 だから、接着していたとしても、床とか壁とかは石化しない。 ……椅子は場合によりけりかな。学校含む、「外」にいるときは腰掛けてる物が石になることはないけど、自分の部屋の椅子は石化したような気がする。 彫谷さんは終始、興味深そうに聞いていた。それから、私の手を握って言った。 「こうしてたらさ、アタシも石になるの?」 ドキッとした。あんまり聞かれたくなかったやつだ。彼女はグイっと顔を近づけ、私の顔を澄まして見つめた。やっぱり綺麗だな。いや今それはどうでもいいって。 「んーと、えっと……病院の先生曰く、『仲間』なら一緒に石化する、って……」 防御魔法の範囲は「仲間」にも有効だ。誰かと体のどこかを密着していた場合、その人物が一緒に石になるかどうか。それは私との関係性によって決まる。 過去、家族は何回か巻き込んでしまったことがある。あと、小学校低学年の時。友達も……。 嫌な汗が背中を流れた。 私と一緒に石化した子は、次の日から私を無視し、ハブるようになる。当たり前だよ。あんな怖い、辛い目に巻き込んじゃったら。 私がうまく友達を作れなくなった原因の一つだ。 「へーマジ!? すごいじゃん!」 「えっ!?」 意外な返答が帰ってきた。私は改めて彫谷さんの能天気さに救われつつ呆れた。 「いやいやいや! 怖いでしょ普通!? 一緒に石になっちゃうんだよ!?」 「え~でも面白そう!」 彫谷さんは両手で私の右手をギュッと握りしめた。 「やろうよ! アタシ、石なってみたい!」 「えええええっ!?」 いやでも、二人とも石になっちゃったらどうするの?誰が戻すの? 「あ、そっか。二人とも石になっちゃったら戻れないよね」 気がついたらしい。助かっ……。 「ママ~」 彫谷さんはそう呼びかけながら、部屋の外へ出ていった。 結局、やってみる流れになってしまった。彫谷さんに手を掴まれて「お願いっ」されたら、断るのは難しい。 ベッドに腰掛けながら、胸に不安が渦巻いた。 (もし、彫谷さんが石にならなかったらどうしよう?) あれは五月だっけ。手をつないでいた彼女は石にならなかった。私が「仲間」だと思っていなかった証だ。 もし、今これから実験して、前と同じようになってしまったら? 私は彫谷さんと仲良くなれた、って思ってる。友達になれたんだ、って……。でも、もしも、心の奥底で……。 万一、私だけが石化したら? 彫谷さんは怒るかな。ショック……だよね。嫌われるかも。 怖い。 やりたくない。 悪寒が押し寄せてくる。 彫谷さんが隣に座った。ゼロ距離で、太腿をピッタリと密着させてくる。 「あーもしかして、一学期石にならなかったじゃん、とか思ってる?」 「えっ……」 覚えてたんだ。どうしよう。私は彫谷さん友達だと思ってるのに。私は彫谷さんを好きなのに。 「あの時は全然話したこともなかったもんね~! あはは、懐かし~」 彫谷さんはケラケラ笑い、私の両手を強く握った。 「大丈夫! 今はアタシら友達でしょ!」 「……うん」 「まあ別にアタシが石にならなくっても、別に友達じゃないんだとか思わないからさ。そんなビビんないでよ~」 「ご、ごめんね。だよね」 手の震えがおさまった。彫谷さんが離してくれたので、そのまま顔のゴーグルをつかみ、そっと外した。 ゴーグルをベッドに捨て、両手を胸の前に持ってきた。目をつむっているので、彫谷さんが見えない。密着した太腿の感触、柔和な匂いと存在感だけ。 彫谷さんの手が私の手をつかんだ。手のひら同士を張り付け、そっと指をからめる。 両手が彼女と繋がった。固いけど、柔らかい。 「い……いい?」 「いつでもいーよ」 「ホントに?」 「ホントに」 心臓が高鳴る。ゆっくりと目を開いた。優しく微笑んだ彫谷さんの顔を、私はゴーグルなしで直視した。 私の視線が澄んだ瞳を捉えた瞬間。 バキバキッ! という岩が二重に砕けるような音とともに、私と彼女は一つになった。 彫谷さんには何もかもが衝撃だろうけど、私も驚く経験をすることになった。目の前で人が石化するのを、初めて目にしたのだ。 自分が石になる様子を、自分でみることはできない。映像では見たことある。だけど、いざ実際に目の前で彫谷さんが一瞬で冷たい石の塊になってしまったことは、頭を鈍器で強くぶん殴られたかのような衝撃だった。 (ああ……そんな……ウソ……) 彫谷さんの美しい茶髪も、きめ細やかな肌も、ピンク色の唇も、澄んだ瞳も、その全てが灰色一色に染まり、一ミリも動こうとしなかった。 私も、アレと同じ状態になっている。視線は彫谷さんの目に釘付けされて、動かせない。 辛かった。命の輝きを失った彫谷さんの顔を見るのが。 後悔の念がおしよせる。私はとんでもないことをしてしまったのではないか。 あの彫谷さんを、石ころに変えてしまうなんて……。 (ちょっとちょっと。石ころはないでしょー) (ふぇっ!? 彫谷さん!? ……い、いつから起きてたの?) (んー、最初から……ていうか、意識ずっと続いてんだけど、こんなもん?) 一緒に石化した時、意識の有無は人によって違った。魔力や魔法の耐性が低い人は意識がなくなり、石化中は完全な石像になってしまう。 どうやら彫谷さんは、意識も感覚も完全に据え置きみたい。 ホッと、安心できた。まずは一緒に石になれたこと。私と彫谷さんは、本当に友達同士だった。 次に、彫谷さんの意識があったこと。簡単に戻れるといっても、ほんの僅かな間であっても、私が彫谷さんという存在を消し去ってしまうだなんて、耐えられない。 (大丈夫? 気持ち悪くない?) (ん、平気。……いやー、だけどマジヤバいわ。ほんとに、まっったく動けないじゃん、これー) そう。そうなんだよ。動けないの。 私と彫谷さんは、一つながりの大きな石だ。私の手と、彫谷さんの手は、中身が切れ目なく繋がっているはずだ。 接着した太腿も。境界線は、どこにもない。 (そっかー。アタシと石田、同じ石から彫った、おんなじ彫刻なんだね) 静寂が部屋を支配した。壁に掛けられた時計の音だけが小さく響いている。 私も、彫谷さんも、体は微動だにしない。視線すら動かせない。私は彼女を、彼女は私を、ひたすらに見つめ続ける。 (あはは、にらめっこしてるみたい) (だったら、永遠に決着しないよ) 罪悪感が薄れていく。私はニュートラルな気持ちで、石化した彫谷さんの顔を観察し、目に焼き付けることができた。 ただひたすらに、美しかった。 五月に彫谷さんが、石化した私に見惚れた理由が、今ならハッキリ理解できる。対象が自分だったから、客観的にとらえることができなかったんだ。 全てが同じ材質、色で表現されることによって、形……造形だけが純粋に浮き彫りになっている。鼻から顎にかけてのライン、唇、素敵な睫毛、瞳、眉……。 特に、髪のウェーブは本当に美々しかった。世界中どこを探しても、これほどの彫刻は絶対に見つけられないに違いない。 ずっとお互いに目を合わせていても、恥ずかしくなかった。 もう、私と彫谷さんは人間じゃないからだ。 ジッと私を見つめ、私が眺める彫谷さんは、神々しい芸術品だった。 (アタシ……アタシ、ほんと……アレになってんだね……) やり取りできるのは表層的な思考だけ。それでも、彫谷さんが私と似たようなことを考えている、感じてくれているのがわかる。 (彫刻……あの超リアルな……すっごい……石田の……同じ……んっ……) 思考が一つに溶けあっ……あれ? (んっ……アタシがっ……ちょうこ……すご……ヤバッ……!) あれれ? (あっ、んんっ、アタシ……ダメッ……! 動けな……んんんっ) 彫谷さんの様子がおかしい。 (ちょうこッ! ……アタシ彫刻ッ……!!) 脳内(今、脳はないけど……)に響く彼女の声が、けたたましく、荒れ、色っぽくなってきた。 (ごごご、ゴメンっ! 見ないでっ、あっ……) いや、見るなって言われても……動けないし……。 (~~~ッ!!) (ええ……?) 石化から十五分後、彫谷さんのお母さんがほっぺにチュッっとして、私たちは人間に戻った。 彫谷さんは動けるようになるや否や、耳まで熟したトマトのように真っ赤に染めて、猛烈な勢いで部屋から飛び出していった。 その後しばらく、彫谷さんは私を見るなり顔を真っ赤にして露骨に顔を逸らすようになった。 彫谷さんに避けられるのはショックだったけど、何が起こっていたのかおおよそ察してしまった私は、彼女を責めることも、グイグイいくこともできなかった。 告白してもらえたのは、冬休みの最中、年末。 ラインのやり取りで彼女が言うところによると、信じられないことに、彫谷さんはこの時……興奮した、というか、エクスタシーを感じていて……。 そんで、イってしまった、らしい。

Comments

sengen

お化粧やお洒落など、ちょっと気にかけるだけでも美しくなれちゃうことに気付くところ好きです。ある意味これも変身みたいなものかもしれません。 石田が彫谷との交流を通じて自信が持てるようになったり交友関係が広がったり、彫谷が石田に対し最初は軽いノリだったのが執心したりしおらしくなるのが良い感じでした。 動けない故に余計に敏感になっていたり、石化に興奮して動けないままイってしまったりするのも面白いです。