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4月 新しいクラスに、見知った顔はほとんどいない。徐々にグループの原型が形作られていく中、私は目線を落として俯いていた。 どうしよう。このままだとボッチになる。でも、声をかける勇気が出ない。人と目を合わせるのが苦手だから。ゴーグル越しなら大丈夫だとわかっていても、体が石になっていくあのおぞましい感覚を忘れることはできない。 「何あれ?」「障害なんだって」 ひそひそ話が心を突く。私のことだ。常に私の両目を覆う大きなプラスチック製のゴーグル。これが人目を惹かなかった試しはない。 誰かが話しかけてきてくれればいいな。そんな都合のいいことばかり考えて、ジッと受け身でいる自分が嫌になる。でも、それぐらい夢見てもいいよね。実際には、誰一人私に近寄ろうとはしないもん。 「ねえねえ、そのゴーグル何?」 私の机に、彫谷さんが腰掛けた。組まれた長い脚はスラっと綺麗で、浮かべた屈託のない笑みは私に上下関係を瞬時に叩き込んできた。 「あ、アタシ彫谷。よろしくね石田~」 いきなり呼び捨て……。誰かに話しかけてほしい、と思っていたのに、私は予想外の来客にテンパった。向こうは私を知らないけれど、私は彼女を知っている。去年違うクラスだったけど、廊下などでイケメンや美人の子たちと一緒に、よく大声でキャピキャピ話していたのを覚えている。 私なんかとは別世界の住人だとばかり思っていたのに、どうしていきなり話しかけてきたんだろう。 いや、カースト上位の人ってみんなこんなノリなのかな……。 「あ……これですか」 すっかり気圧されて萎縮した私は、スマートに返すことができず、そっと自分のゴーグルを触りながら、オウム返ししてしまった。 「『ですか』って! ウケる~!」 何がどう琴線に触れたのか、私には全くわからない。そこ笑うとこ? 初対面の人に敬語使うのって、そんなにおかしい? 出鼻をくじかれながらも、私は自分の目について説明を始めた。机に座って私を見下ろす彫谷さんの顔が、私を緊張させた。整った睫毛、大きな瞳、鋭い目つき、一点の曇りもない肌、美しくウェーブのかかった茶髪。その全てが私と違う。ああ、声が小さくなっちゃう。別に、同じクラスメイトなのに……。 「よするにー、何なの?」 話の途中で飛び出たその一言で、私は完全に心を折られてしまった。喉がカラッカラだ。うまく喋れない。 「えっ……と、だから、目を見たら石に……」 しどろもどろになった私を見かねて、去年同じクラスだった神原さんが助け舟を出してくれた。 「石田さんね、誰かと直接目を合わせたら石になっちゃうんだって」 「何それ、こわっ!」 彫谷さんと取り巻きが声を上げて笑った。ああぁ、違う、違うよ、石になるのは相手じゃなくて……。 「いやいや、石になるのはこっち」 神原さんが私の頭をつかんで言った。一瞬彫谷さんたちがキョトンとすると、また爆笑が起こった。 「うっそマジ~!?」「アホじゃ~ん!」 私はいたたまれなくって、この場から逃げ出したかった。クラス中の視線が、今私に集まっている。見ないで。私に目を向けないで。 「んじゃさ、石になるとこ見せてよ」 ギャルの一人が許可もとらずに私のゴーグルに手を伸ばした。 「だ、ダメッ!」 私は反射的にその手を払いのけてしまった。何考えてんの!? 「えー、ケチー」「ちょっとぐらいいーじゃーん」 ギャルたちからのブーイングに、私は戸惑った。え、なんで私が責められてんの? 悪いのそっちでしょ!? 石になるのがどれだけ苦しくって大変なのか、何にも知らないくせに。 「それぐらいにしといてやれよ」 イケメン男子の一言で、その場は収束した。それからギャルグループは二度と私に話しかけなかった。 「あんま気にしないで」 「うん……」 神原さんはその後、中堅女子グループに事情を説明してくれた。私が自分でやらないといけないことなのに。情けない。……私が人と目を合わせられなくなってから、どれだけたっただろう。 魔力系を司る神経系に障害が生じたのは、小学校に入ってしばらくのことだった。交通事故で強く首を打ち、私の体は自身の魔力を制御できなくなってしまった。ある特定のトリガーで、防御魔法が暴発してしまうのだ。トリガーは人と直接目を合わせること。防御魔法は、石化魔法。着ている服や、身に着けているアクセサリー、手に持つ鞄まで、全てが一瞬で石と化す。 魔法の才能を持つ人は、そう多くない。本来は、魔力系の障害なんて、障害には数えられないことが多い。でも不運中の不運で、私には魔法の才能が「あった」。完全な防御魔法を発動させるだけの魔力を有していたのだ。最も、それも今となっては私の足を引っ張る鉄球と鎖でしかない。全身が石化した私は、動くことも喋ることもできないし、当然自力で解除することはできない。誰かに助けてもらうまで、私は完全な石像と化してしまうのだ。ひどく恐ろしい。それに周囲の嘲笑や悪戯が加われば、まさに地獄の責め苦となる。 ただ一点、救いがあるとするならば、ラップ一枚でも暴発は防げる点だろう。しかし眼鏡等ではカバー範囲が狭く、目線が合ってしまう恐れがある。確実に日常生活を安泰にするためには、隙間なく覆うゴーグルが必要不可欠だった。だけど、常日頃から道端でゴーグルをつけている人なんて、現実では滅多にお目にかかれない。であるから、私は事情を知らない人たちに、おかしなファッションの痛いやつだと思われてしまうことが多かった。 そんなわけで、私はすっかり内気な人見知りに育ってしまった。高校二年生になる今年、自分を変えたいと思った。だけど結局、何も変わらない。こんな障害がなければ、今頃きっと、カースト上位のイケてる女子になれていた……とは思わないけど、今より多くの友達が作れていたに違いない。直接目を合わせて話せる友達が。 5月 朝。私は洗面台で顔を洗い、鏡に映る自分の顔を眺めた。毛先から顔を伝って水滴が滴り落ちる中、うっすらと滲む赤い線が、私の両目を取り囲んでいた。ゴーグルの跡だ。 (ひどい顔……) 三百六十五日、四六時中ゴーグルをつけていれば、そりゃあこんな顔になるよ。お洒落なんて、したことない。眉毛の手入れすらろくにやってない。ゴーグルで潰れるか、見えなくなるかの二択だから。 第一、私のキャラじゃない。私みたいな、地味で垢抜けない、暗くてドモりがちな女じゃね。もっと明るい、美人な子じゃなきゃ、お洒落なんてしたって無駄だ。例えば、彫谷さんみたいな美人じゃないと。流行に明るく、友達が多くて、ファッションに詳しい、裸眼で人と話せる子じゃなきゃ。 その日は雨が降っていた。私は雨が嫌いじゃない。雨合羽の中のゴーグルは、いささか自然に見えるから。 昼前には止んで、太陽がじりじりと学校中を照らした。午後の体育は、生乾きで泥まみれのグラウンドで行われた。 そこで、事件は起こった。サッカーボールが撥ねた泥水が、私の顔にかかってしまった。 「うわっ」 最悪。ゴーグルの中まで入ってきたし。外して顔を洗わないといけない。やだなあ……。 「わりぃー!」「大丈夫?」 蹴った張本人たちがやってきて、軽いノリで謝罪した。別にこんなことで怒ったりしないけど、もうちょっとこう……。いいや、別に。 左目を閉じながら、私は手洗い場に向かった。 「大丈夫? 一緒に……」 「あ、平気平気。だいじょぶだから」 ゴーグルを外さないといけないんだ。近くに人がいると、うっかり目を合わせちゃうかもしれないでしょ。それに、リア充グループのサッカータイムを邪魔したくないし。 あたりを見回し、近くに人がいないことを確認。私はゴーグルを外した。雨上がりの空気が心地いい。学校でゴーグル外すなんて久しぶりかも。 木陰の新鮮な空気を目の周りで味わいながら、適当に顔を洗った。鏡がないから、泥が落ちたかどうかを確かめるには、手で触ってみるしかない。その時だった。 「ほい」 「……っ!?」 私は驚いて飛びのいた。うっかりゴーグルを落としてしまい、両目をつむらなければならなかった。 「だだだ誰!?」 「ごめーん。驚かせちゃった? でもさー、そんな反応されるとちょっとショックなんだけどー」 聞き覚えのある声だ。彫谷さん? でも何で? 暗闇の中、何をどう話せばいいのかわからず、私は一人まごついていた。 「さっきはゴメンねー、シュウくんドジだから」 なんだ、そんなことで……。それよりゴーグル返してほしい。このままじゃ目を開けられないよ。 「あ、あの、ゴーグル……」 「ほい」 とても硬い、密度の高そうな指先が私の手を掴んだ。だだだ誰!? 彫谷さんじゃないの!? 「えっ!? あっ……」 私はパニックになって、思わず目を開いてしまった。ギャル代表の彫谷さんのイメージとは到底結びつかない、力強くてガッシリとした指。他の誰かかと思った。でも違った。私の瞳に映ったのは、間違いなく彫谷さんだった。近……。真正面から目と目があった。整った眉、長い睫毛、澄んだ瞳、きめ細やかな肌……。美人って、まさにこういう人のことを言うんだろうな。 バキッ! 乾いた音が私の体から響いた。一瞬だった。私の毛先から運動靴の先っぽまでが、灰色の冷たい石に変わり、一ミリも動かすことができなくなってしまった。右手を彫谷さんの指とからめたまま。感触からすると、垂れさがったゴーグルもおそらく石になってしまっているだろう。 (あっ……あああ……) やっちゃった。今年は外で一度もやらかさずにいたのに。クラスメイトの前でただの石ころになっちゃうなんて。 (ご、ごめんなさいっ!) 反射的に、脳内で謝罪した。でも、中身が均質な石材と化した今の私には、喋ることはできない。 怖がらせちゃったかな。どうしよう。 彫谷さんは、ポカンと口を開けたまま、ジッと私を見ていた。ああ、やっぱり。驚かせちゃった。ごめんなさい……。 いたたまれなくて、私はこれ以上彼女と顔を合わせたくなかった。でも、視線も固定されて一切動かせない以上、どうしようもない。 (……あ、あれ……?) 一分。二分。彫谷さんはただ黙って、ずーっと私の顔を見つめ続けていた。何、どうしたの? ボッチ女子が石ころになったのがそんなに滑稽? 早く離れてくれればいいのに。これ以上私を惨めにしないで。……と思っていたけど、指先の感覚から、理由がわかった。石化の瞬間、思わず彼女の腕を握ってしまっていたらしい。これじゃあ、彼女は石化が解けるまで、私から離れることができない。 (ううっ、最悪……。迷惑までかけてた……) ただ、彫谷さんはどうにもおかしな様子だった。助けを呼ぼうともせず、だんだん真面目な顔になって、穴が開くかと思うほど、私に強い視線を浴びせかけてきた。顔だけじゃなく、石になった私の指、髪、腰、足……。気がつけば彼女は、屈んで私の脚を熱心に観察し始めた。 (なっ、ななな、何!?) そんなに物珍しいんだろうか。私が空を眺めていると、脚にまた硬い指の感触が……。 (ひゃんっ!?) ちょ、どこ触って……。撫でないで、ちょっと! 彫谷さんは私の脚を残された右手で触り、握り、摩り、撫でた。私に意識や感触がないと思っているんだろうか。……全部残っているのに! むしろ、動けない分いつもより過敏に……ヒャッ! 落ち着いたと思ったら、今度は立ち上がり、顔を近づけてきた。 (待って待って! ごめんなさいごめんなさい! よくわかんないけどごめんなさい! もういいです!) ようやっと、クラスメイトたちがゾロゾロト集まってきた。彫谷さんの……何というかその……「観察」から解放されるのはいいけど、クラスの全員に、一片の細胞も持たない石ころと化した惨めな姿を見られるのは、死にたくなるほど恥ずかしいことだった。単純に石化したのが屈辱だし、加えて外で石になってしまったというのは、即ち私がドジを踏んだということの証明でもあるのだ。 「うわっ、すげー」「俺初ー」「俺もー」「マジで石化するんだ」「これどーすりゃいいの?」「先生呼んだ方がよくなーい?」 ああもうヤダ。やめて。見ないで。見ないでよう……。 生きた人間であれたなら、涙がこぼれていたに違いない。でも、今の私にはそれすら夢物語なのだ。 彫谷さんは私を「観察」するのをやめ、いつもの調子に戻った。 「ていうか、アタシも動けないしぃー」 彼女は、石像に掴まれた自らの左腕を強調しながら、嫌みを飛ばした。 「うわほんとだ」「それ痛くなーい?」「巻き込み事故ぉー」 (すいません……。うぅ……) 先生の指示で委員が保健室へ向かった後、彫谷さんが呟いた。 「ていうかー、解除魔法しかないわけー? もっと簡単にパパっと戻せないのぉー?」 神原さんが答えた。 「誰かがキスしても元に戻るって聞いたけど」 そう。解除魔法以外にも、そういう方法もあるっちゃある。でも、みんなが見てる前で私なんかにキスしたい人、できる人なんて誰もいないに違いない。第一、私自身絶対嫌だ。好きでも無い人にそんな……。 「えー! なんだー、そんなことで戻るんだー。はやく言ってよもー」 彫谷さんがケラケラ笑い、即座に顔を私に近づけ……あ、ちょ、うそでしょ、マジで……!? 冷たい石の唇に、生きた柔らかい唇が触れた。石像へのキスは、すぐに生きた女子同士の接吻に変わった。重なった唇を発端に、私の全身に色と生命の脈動が蘇っていく。顔全体が人間に戻り、首から肩へ、お腹へ、そしてやがては足先まで。石化していた指が赤みを帯びて、ピクリと動かせた。それを合図に、私は全身を再び動かせるようになった。 「……ッ!!」 私は顔中を真っ赤に染め、すぐに唇を離した。そして、猛烈に後退りして転んだ。 「おおーっ」 冷やかしと感心の混じった歓声が上がる。ギャルグループが「ヒュー!」と口笛を吹いているのが聞こえる。私は予期せぬ突然の事態に、頭がついていかなかった。 ななな何で? 彫谷さん私にキス……別にする必要なかったのにいやいますぐ私なんぞと離れたかったのって今の家族除いたらファースト……!! 「あはっ、ごめんねー。ビックリした? でもこの方が早いよね」 彫谷さんは、「別にこのぐらい大したことじゃないでしょ?」と言わんばかりに、友人グループを連れてサッサとグラウンドに戻っていった。 私は生乾きの土の上にペタンと座り込んで、顔を赤くそめたまま、何の言葉も発することができなかった。もう石像じゃないのに。人間にもどったのに……。 「ほら、ちょっと」 神原さんが上を向きながら、私の前に立ちはだかって、視界を覆った。 (あ……) 私は慌てて、右手に掴んでいたゴーグルを装着した。 キスで復活した場合は、ほんのちょびっとだけ、目を合わせても石にならない。 ……キスしちゃった。彫谷さんと……。 心臓がドキドキと大きく唸り始めた。遅いよ……。 そっと唇に手を触れた。まだちょっと余韻が残っている気がする。柔らかかったな……。いい匂いしたし……。 ……って、何考えてんの私は! 変態か! あー。しばらく彫谷さんとまともに話せないかも……。いや、話す機会ないけど……。 私にとっては大事件でも、グラウンドでサッカーに興じる彫谷さんには、もう私のことなど頭の片隅にも残っていなさそうだった。 6月 昔から、彫刻を見るのが苦手だった。美術の本に載っているミロのヴィーナス。あれが視界に入るたびに、私は鳥肌がたつ。すぐに本を閉じて、自分の両腕が健在であることを、触って確かめなければならなかった。普通の人には、きっとわからない感覚なんだろうな。人を模った彫刻を見るたび、石になった自分の姿を重ね合わせて感情移入してしまう。石になった後、手足が折れてしまった自分。酸性雨で溶けてしまった自分。砕かれて胸から上だけになってしまった自分。そういうものを想像してしまう。小さい頃は胸像を見るたびに吐きかけていたっけ。 流石に今はそれほどではなくなった。皮肉なことに、石化経験が増えるたびに、私は石になった自分の強度に自信を深めさせられたからだ。一言で「石になる」といっても、単純に石に置換されるわけじゃない。あくまでこれは防御魔法。細い指先、細い細い毛先も、ちょっとやそっとの衝撃では折れたりしない。身をもってそれを理解させられたことが、これまでの人生で一度や二度ではなかった。 でも、頭で理解するのと、感覚で理解するのは別だ。今でも、石化中に倒れたりすればこの世の終わりってくらいヒヤッとするし、手足の欠けた彫刻を見るとドキッとする。 だから、この美術室というのはどうにも居心地の悪い空間だった。後ろにズラッと並んだ胸像群。あれは何度見てもダメ。というか見れない。 美術の時間。二人組を作って、互いの顔を描くことになった。やだなあ。あぶれちゃうやつだ……。 神原さんみたいに私とも話してくれるような人は、友達がたくさんいて、こういう時には私と組んでくれない。 それでも頑張って、近くの女子に声をかけた。彼女は親友が休んでいて、今日は一人。狙い目だと思った。 しかし、私は拒否された。「ゴーグルが描きづらい」という思ってもみなかった理由で。 気がつきもしなかった。そりゃ、そうかもしれないけれど……。しょうがないじゃん。どうしろっていうの。 続々と二人組が生まれていく中、やはり私は取り残された。偶数だから余らない筈なんだけど。 大体先生も先生だよ。「隣同士」みたいに決めてくれれば、こんな惨めな思いしなくて済むのに。 「石田ひとり~? アタシいい?」 突然だった。彫谷さんが私に声をかけてきたのだ。私は石になったわけでもないのに、その場で固まり、 「ぁ、ぅん……」 と息だか声だかわからない返答を漏らしながら、首を小さく縦に振ることしかできなかった。 恐る恐る彫谷さんの顔を見て、ちょっと描いて、消して、顔を覗いて……。私は正面切って彼女の顔を直視できなかった。先月のキスが頭をよぎるし、何で態々私を選んだのか意味わからな過ぎて怖い。 「あの……何で私と?」 「え~、今聞くソレ~?」 彫谷さんがケラケラ笑った。確かに、描き始めて十分経ってから聞くべきことではなかったかもしれない。 「五月にさぁ~、石田っち石になったじゃーん? そん時綺麗だな、って思ったからぁ、描きたかったの。それだけ」 えっ……!? 私の手が止まった。キレイ? 私が? この地味ブス喪女が? マジですか!? 「いや、そんなことないでしょ絶対。彫谷さんの方が百倍綺麗だよ」 「あはは。でも、ホント綺麗だったよ~。石になってる石田。あこれダジャレだ、あはは」 また想定外の返し。えっ、何。石になった私が綺麗? そんなの、本当に人生で一度も言われたことないんですけど。からかうのはやめてほしい。 「ぃや、怖いでしょ……。目の前で人がいきなり石になったら……」 「じゃなくて~、石になった後のあんた。参考になったしぃー」 えええっ……。石になった自分なんて、写真でみたこと何回もあるけど、ものすごくおぞましい物体にしか思えなかったけどな。見てたら呪われそうで。そんな力ないけど。 ていうか、今「参考」って言った? 参考って何? 先月の記憶をまさぐると、石化した後、彫谷さんに下半身をあちこち触られたことを思い出した。あれのこと!? キスの衝撃で霞んでたけど、よくよく考えたらおかしいよね。セクハラじゃん。気持ちわる……くも……? 彫谷さんと目線が合った。彼女がニヤっと微笑むと、その笑顔の眩しさにノックアウトされてしまった。卑怯だ。美人は。 絵は得意じゃないけど、ド下手ってほどでもない。少々漫画っぽいけど、彫谷さんの顔っぽくはなった絵をイーゼルから外した時。彫谷さんが顔をパアッと輝かせて、こっちへやってきた。 「見せて見せて~。おー、いいじゃん。ありがとね」 私の返答など挟む余地もないままにまくし立て、彼女はさっさと自分の絵を提出して、美術室から出ていった。 (あ……ええと……) 褒め返しそこなった。はぁ……。なんでこう、口下手なんだろう。……ていうかそっちは見せてくれないのね。 教卓へ提出に行くと、さっき彼女が出した絵が見えた。 うまい。 私はビックリしてしまった。ギャルのイメージしかなかった、あの彫谷さんが、こんな……ものすごくプロっぽい、しっかりとしたデッサンができるなんて、想像したこともなかった。 (え、すごっ、うまっ、ウソ……!?) 思わず見惚れてしまった。私のボサッとした顔が、とても力強い線で描かれている。一番驚いたのは、ゴーグルがないこと。それでも、私の素面を破綻なく完璧に再現できている。ゴーグル抜きの私の顔なんて、先月のあの時しか見せたことないのに。記憶力いいのかな。意外……。 「おーぅ、よかったな、綺麗に描いてもらえて」 美術の先生にからかわれたので、私はすぐに自分の稚拙な落書きを置いて、その場を後にした。 彫谷さんって、何なんだろう。ただの頭空っぽ……失礼、ギャル系女子の一人だと思っていたのに。指先だけガチガチで、絵がとっても上手くって、美人で……。いや最後の関係なくない? それから、何となく彼女を目で追うようになった。あーヤダ。何でこんなに気になるんだろう。 気づかれたら「気持ち悪っ」って思われるよね。ボッチ女子がカースト上位に憧れてるとかやっかんでるとか思われたらヤダなあ。そんなんじゃないのに……。 じゃあ何なんだって言われたら、自分でもよくわかんないけど。 とはいえ、それ以上何かが起こることもなく、何も変わらない日々が過ぎていった。 ただ美術の時間で一回二人組になったってだけで、友達でも何でもないし。グループも違うし。話しかけるなんて死んでも無理だし、やりたくもない。 彫谷さんは、別に私のことなんてこれっぽっちも気にかけてはいないだろう。だから、向こうから話しかけてくることもない。 なのに、何で私は彫谷さんのことを気にしているんだろう。ただイケてる女子に声をかけてもらって舞い上がっちゃったんだろうか。自分がそんな軽薄なタイプだなんて、あんまり考えたくないんだけどな……。 7月 一学期最後の美術の授業が終わった。美術室に行かなくていい、というのは晴れ晴れとした解放感をもたらした。美術の本もさっさとしまっちゃおう。目に入らないところに。 もうすぐ夏休みが来る。とはいえ、ボッチの私には何も予定がない。去年みたいな無味乾燥な夏になるのかな。 十七歳の夏。何かしら思い出を作ってみたい。でも、どうすればいいのかわからないや。 一学期最後の土日休みに、私は行動を起こした。といっても、夏休みの宿題を始まる前に片付けようってだけだけど……。 美術の先生が出した宿題。絵画のレポート。中学の時から続いてる恒例のやつ。私は美術館がトラウマで、大嫌いだから、いつも最後まで残していた。 だけど、そのせいで毎年「美術の宿題が残っている」という事実が常に私の頭の中に残り、圧迫してきた。 だから今年は、始まる前に終わらせる。そうすれば、きっと心から楽しめる夏休みになる……とは言えないけど、近づけるはず。 美術館では、誰かの特集をやっているらしく、絵だけのコーナーが設けられていた。これは助かった。生の彫刻なんて見たくないし。 企画展示室。人はまばらで、空いていた。日常生活ではまず見ない、大きな絵がいくつも展示されている。その手前には、題名と簡単な解説を添えたプレートがある。パクれそう。一行分にはなるだろうか。 今日初めて名前を聞いた画家の作品群のうち、感想が書きやすそうな作品を探すため、まずは一周して全部見て回ることにした。 順路通りに歩いていると、色づかいが印象的な睡蓮の絵が目に飛び込んできた。私はその絵に何となく惹かれた。 もっと近くで見よう。 そう思って歩き出した時、先客の存在に気がついた。睡蓮の絵をジッと眺めている、スラっとした脚に、ウェーブのかかった艶のある茶髪。 ドキッ、と心臓が大きく鼓動した。 彫谷さん。――どうしてここに!? 動揺して足取りがフラつき、踵を返すのが遅れた。 彫谷さんが振り返り、私と目が合った。バレた……。 始めて目にする、私服姿の彫谷さんは、驚くほどに美人だった。彼女の長身と端正な顔に、流行りのファッションが最高にマッチしている。 それに引き換え私はどうだ。芋臭いボサボサ地味ファッション……いや到底ファッションとは呼べない代物だ。彫谷さんと比べると。 彼女はにこやかに微笑みながら手を振り、こっちへやってきた。流石に、ここから無視して逃げることはできない。 「石田じゃ~ん。意外ー、どしたのー?」 悩んだことなどありません、って感じのキラキラした笑顔と軽妙なノリが、私には眩しかった。どうしても萎縮しちゃう。 「ぇ、っと……。美術の宿題、ほらその……レポート……」 「あ~~! ってあんた、もう夏休みの宿題始めてんのー? さっすがー、えら~い」 彼女はケラケラと笑いながら、私の肩をバンバン叩いた。 彫谷さんはどうなの。なんで美術館なんかにいるの? 正直、まったくイメージ結びつかないんですけど。 「彫谷さんは……」 「ん? あ~アタシ? アタシはねー、勉強ってゆーかー、参考に? みたいな?」 べ、勉強? 彫谷さんが? いやそれ、レポートじゃなくて? 宿題関係なく美術の勉強? え、そんな感じの人……だっけ!? 「ほらアタシ美術部じゃ~ん? モネの絵とか、一度くらいは見とかないとかな~って。期末終わったら行こうって思っててー」 私は絶句した。うそ。彫谷さんって美術部だったの!? ……全然知らなかった。いや接点ないから当然……でもないか。クラスの女子はみんな知ってたり……? 「あれ言ったことなかったっけー? あはは、そんな驚かなくてもいいじゃーん」 やば。顔に出てた!? 挽回しないと……話題、話題……。 「えっと……じゃあ、絵とか描くの?」 何聞いてんだ私。当たり前じゃん……。 「うん。絵も描くよー」 も? 彫谷さんが次の絵に移動したので、私も追従した。 いや、なんで私がついてかなくちゃならないんだろう。いいけど別に。 田舎のおうちみたいな絵。積みわら? というらしい。私は、チラッと隣を盗み見た。絵を眺める彫谷さんの横顔。私には、何とか言う画家の絵よりも、はるかに美しくって、眩いものに感じた。 鼻から顎にかけてのラインが、彫刻のように綺麗だった。耳のピアスもキマッている。もはやここまで来ると、劣等感すら感じない。私なんぞがお隣で、クラスメイトですいません。 ぼーっと彼女に見惚れていると、急に顔を横に向け、また目が合った。 カアッと頬が紅潮して、私は反射的に顔を背けてしまった。絵じゃなくて彫谷さん見てたのバレちゃった。ヤバ気まずい……。 「なに~? そんなにアタシ綺麗だった~?」 彼女は得意気な表情を浮かべて、前かがみになった。うわ顔ちか……。なんかいい匂いするし。これが女子力……。 なんて感心してる場合じゃない。 「は、はい。綺麗だなあって……」 「なに、『はい』って~。ふふっ、ありがとね」 彫谷さんが私に微笑みかけた。また私の顔が赤くなる。なんだろう、この……。 「アタシは石田も美人だと思うんだけどな~、眉整えてぇー、髪切ったら……」 自然すぎる流れで私の顔を触ってきたので、ドギマギして目を見開き硬直してしまった。距離感が違う……。どう反応すりゃいいの。ていうか指ゴツイですね……。 「いや、私なんか違うって。美人とかじゃないし……」 「えー、石になってた時、チョー綺麗だったよ」 は、はぁ!? 石化した私が綺麗? んん? 前にも言ってたっけ? もうほんとやめてほしい。嫌味ですか。 「石化してるのが綺麗なわけ、ないでしょ……」 ボソッと声に出てしまった。 「いやホントだってもー。ここのどの彫刻よりもヤバかったもん」 え、あ、そういう話。なんだ、めちゃリアルってことね。そりゃ、リアルさなら作り物よりすごいでしょうよ……。 ――そっか。私が綺麗ってわけじゃないんだ。 胸がチクッと痛んだ。理由はわからない。 「アタシもさー、結構彫ってきたけどー、あんなん無理だしさー」 えっ!? 「彫る? って?」 「あれ言わなかったー? アタシ彫刻が本業なんだー。彫刻わかるー? 石ほって作るやつ」 わかりますよそんなことは。しかし意外に意外すぎる。全っ然そんなイメージじゃなかったのに。私の中でギャル日本代表みたいなイメージだった彫谷さん像がガラガラと崩れ去っていく。 その時、彫谷さんのスマホが振動した。あ、マナーモードにしてるんだ。 「あ、じゃあアタシ、そろそろ行くから」 「えっ? あ、はい」 「だから『はい』って何さー。じゃあまたねー」 彫谷さんは後ろ向きに手を振りながら去っていった。夏服の短い袖から伸びる腕。いかにも女子、って感じの細腕だと、今まで何となくそう思ってた。でも違った。きっと先入観。薄暗い照明が腕の陰影を鮮明に浮かび上がらせた。筋肉質。 (本当に、石、彫ってるんだ……) 私はねじり鉢巻きで一心不乱に彫刻に励む彼女の姿を想像した。普段のイメージとのギャップ、そのミスマッチさが何だか可笑しかったけど、とても尊い光景に思えた。 彫谷さんのことを頭空っぽのギャルだとばかり思っていた自分が、ますます馬鹿で矮小な存在に思えてきて、後ろめたい気持ちで一杯になった。 8月 駅前は浴衣姿の同世代で溢れ返っていた。その全員が私と逆方向に歩いている。 心の中に嫉妬と羨望の念が渦巻いていく。去年までは、自分に嘘をついていた。そういう感情ではないんだと思い込もうとしていた。 けど、今はもうできない。 同じ高校の知り合いが視界に入るたび、見つからないよう下を向きながら、人混みを強引にかき分け避難した。 ゴーグルが目立つから、思いっきり地面を向かなくちゃならないのが辛い。 何で私がこんな惨めな思いをしなきゃならないんだろう。公式が悪い。発売日を一日ズラしてくれればよかったのに。 道の反対側に浴衣姿の神原さんを見つけ、私の心はどんよりと黒く濁った。 こういう時には誘ってくれないんだよね。わかってるけど。別に彼女が悪いなんて思ってない。 彫谷さんはどうしているんだろう。たくさんの友達を引き連れて、花火大会に向かっているところなんだろうか。 見たかったな。浴衣姿。きっと綺麗なんだろうな……。 ……いやいや、どうでもいいでしょ。私には関係ないし。 駅のバス停をパスして、次のバス停にたどり着いたものの、案の定、こっちも人でごった返していた。 あの人混みには、知り合いもいるかもしれない……。そう考えた瞬間、私は横道にそれてしまった。 同級生と鉢合わせしたくないし、紙袋の中身を見られるともっとまずい。 私はバスを使うのをあきらめた。 歩いて帰ろう。帰れない距離じゃない。 人の流れから脱して、商店街の入り口を素通りし、やや寂れた空気が入り交じり始める大通りの終点。 制服姿の高校生が、一つの建物に次々入っていくのを見つけた。 花火大会の日だっていうのに、一体何をしているんだろう。 あの建物、何だっけ。なんか特徴的な外見してるけど。入ったことない。ていうか、今まで存在を知らなかった。 「あれ~? 石田じゃーん! 何してんのー?」 まるで予想していなかった不意打ちに、私はみっともなく狼狽えた。 何せ、声の主は、制服姿の彫谷さんだったのだから。 「あ……っと、こんばんは……?」 お友達グループと花火行ってるもんだと思ってた。何してんのこんなところで。ていうか……え? 制服ってことは、この建物に……用事? 問題の建物と彼女を見比べた私を見て、彫谷さんは心底嬉しそうな笑みを浮かべた。 「あー! もしかして見に来てくれたーん?」 え、え、何を? 「今日最終日でさー、もうちょいしたら講評だからー、はよせんと終わっちゃうよ」 彫谷さんは返事もきかず、私の左腕をひっつかみ、建物へ向かって歩き出した。 (あっ、あの……ちょっと……) 抗議は声にならなかった。彫谷さんの握力は、男子並みとはいかないんだろうけど、かなり力強かった。 建物の正体はギャラリースペースだった。立て看板によると、今はこの辺の高校が美術展をやっているみたいだ。 彫谷さん美術部だったっけ。てことは作品だしてるの? 見てみたい。彫谷さんって、どんな絵描くんだろう。 あ、いや、彫刻? 中に入ると、違う制服の高校生二人が受付をやっていた。彫谷さんは軽く挨拶しながらパンフレットを一部もらい、私に渡した。 「ほら」 「あ、どうも……」 愛想笑いしたつもりだけど、うまくできただろうか。苦笑いになってませんように。 何かを期待する眼差しで、彫谷さんが私を見ていた。 パンフレットを開いて、尋ねた。これであってますように。 「えーっと、彫谷さんの作品って、どこにあるの?」 「ふふーん」 彫谷さんはご機嫌な様子で私を引っ張った。良かった、合ってた。 「あそこ。立体のとこ」 ホール中央に、いくつかの台が立ち並び、そこに色々な物体が展示されていた。 粘土で作ったオブジェ、彫刻、その他よくわからない何か。 要するに、絵じゃない作品が並んでいた。 「あ、来た来た。彫谷さーん」 同高の美術部員たちがやってきて、私は大層居心地の悪い時間を過ごす羽目になった。 「その子は?」「同クラの石田。見に来てくれたんだってー」「あー、マジー? 嬉しー、よろしくねー」 「ぁ、は、はい」 何だか騙しているかのようで、申し訳なかった。彫谷さんとは友達でもないし、交流もないし、さりとて美術に興味があるわけでもない。 はい、とかそうですね、みたいなアホな返答を小声で言うだけの拷問みたいな時間を過ごしたあと、 「あ、集まってる集まってる」 「行こ行こ。じゃあ、ゆっくり見てってね」 彫谷さん含む美術部員は私を置いて離れていった。 (どうしろっての……) 一人アウェーに取り残されたまま、私は茫然と立ち尽くした。美術とかハッキリ言ってよくわかんないし。 ていうか、帰っていいのこれ? ねえ? わかんないんですけど。 絵のコーナーに、次第に高校生たちが集っている。奥に大人が数人。白髪交じりのおじいさんも。あの中に入っていって 「ごめん、帰っていい?」 なんて言う勇気は出ない。かといって、このまま黙って帰っても印象悪いよね……。メールもラインもわかんないから、「一言断る」のがとてつもなく難しい。 仕方がないから、あの集まりが一区切りつくまで待ってようか。急ぎの用事もないし……。 やることもないので、私は彫谷さんの作品を探した。プレートに題名、高校名、作者の名前が載っている。この中に……。 あ、あった。 「『脚』彫谷 杏」 これだ。その隣に「優良賞」と書かれた型紙も貼ってある。へー、すごい。 作品は、人間の下半身の彫刻だった。全長は三十センチほど。 中々リアルに彫ってある。これを石の塊から作り上げたのかと思うと、感嘆する。あの彫谷さんが。 これ、写真って撮っていいのかな。美術館はダメだったっけ。 そうこうしていると、ゾロゾロと集団が近づいてきた。 私は別のコーナーを見に行くかのような風を保ちながら、そっと退避した。 集団と入れ替わる形で絵の一角へ身を隠し、絵を眺めているフリをしつつ、集団の話し声に耳を傾けた。 「これは南高の作品ですね、すぐわかりました。自由な~」 先生たちが、出展作品一つ一つになんか色々と感想を言って回っているらしい。 褒めることもあれば、けなすこともあった。時には高校全体、若者全体に対し批判めいた言葉も飛び出し、他人事ながらむかっ腹が立った。 (そこまで言う? あんた何様なのよ) いやまあ、多分実績ある偉い人ではあるんだろうけどさ。 「……これは『脚』ですね。見た通りですが」 その一言で、急に集中力が高まり、私の脳内が真剣になった。彫谷さんの彫刻のことを言っている。間違いない。 おじいちゃん先生は褒め調子だったので、私はホッとした。よく彫れている、卓抜した技術、上手い……。 いや、何で私がホッとするのさ。別にいいでしょ、けなされたって私には関係ないし……。 そう思った瞬間、論調が一変した。 「しかし……」 から続く言葉は、第三者であるはずの私でさえ、心が辛くなってくるものだった。 この作品には表現がない、見たものをそのまま彫っているだけ、技術が高いだけではダメ、それをどう表現するかに使うことこそが云々かんぬん……。 はぁー? 上手けりゃよくない? 意地の悪いお爺さんだねー。 陰からそっと身を乗り出してみたけど、ここからじゃ彫谷さんの姿は見えない。集団の最前列にいる(自分の作品だから?)ので、一番遠くだ。 きっと頑張って彫ったんだろうに。何様だよジジイ。 最終的に、技術は認めて優良賞を与えた、教わったことをこなすだけではなく、自己の表現を獲得すれば見違える、彫谷さんには期待している、と言って締めくくった。 (うぜえ……) 私は結局、「講評」とやらが全部終わるまで待ってしまった。集団解散後の彫谷さんは、心なしか、元気がないように見えた。 顔は笑っているけど、あの眩いオーラを感じない。 「あれ、まだいたんだ~」 え、何それ。帰ってよかったの? 「あはは、もしかして講評聞いてたん?」 「うん、まあ……聞こえてたよ」 「どーもダメだねー、アタシ」 相変わらず笑顔は崩さなかったけど、明らかに落ち込み気味なのがわかる。心が痛い。そんな彫谷さん、見たくないよ……。いつも明るくて、クラスの中心って感じだったのに。 「あの!」 思わず、普段より大きな声が出てしまった。 「?」 彫谷さんが「なーに?」という感じに、優し気に首を傾けた。もう引き下がれないから、言っちゃうしかない。 「私はその、彫谷さんの……『脚』、良かったと思うよ」 「ありがとー」 違う。もっとこう……言い方ないの? 言葉に詰まって、立体のコーナーをチラ見した。胸像にオエッ、と生理的嫌悪感を催した瞬間、気がついた。 何で私、下半身の彫刻を見ても気持ち悪くないんだろう。 「んじゃ、アタシら片付けあるから」 「あ、うん……」 もっと言いたいことがあるはずなのに、うまく言語化できない。 それでも、彫谷さんはもう私の方を向いていない。どんどん距離が離れていく。 そもそも私美術部員じゃないし。場違いだ。帰ろう……。 「ねえねえ、石田さんって『ダンシュー』好きなの?」 「えっ!? あ、はい、でも、何で……」 突然、同学年の美術部員が話しかけてきた。白崎さん……だっけ。同じクラスになったことはないから、今日が事実上初対面だ。何でバレ……あ。 私は右手に携えた紙袋を思い出した。戦利品が顔を覗かせている。 「私も私も~! 推し誰? ねえねえ、カプはカプは? 私土田推しなんだけど~」 周囲の視線が痛い。早くこの場から消えてしまいたい。 「あの、そろそろ帰らないと……」 「ライン教えて~。あとで話そっ」 断るのもおかしいかな……。白崎さんとライン交換した直後、「何サボってんだ」と男子の声が飛び、白崎さんは片付けに戻っていった。 今度こそ帰ろう。その時、入れ替わりに彫谷さんが来た。 「ちょっとちょっとー。アタシにも教えてよー」 えっ。マジで。彫谷さんが……私と!? 「ダメ?」 「あっ、いっ、いえいえ、どうぞはいっ」 帰り道、私はずっとニヤついていたと思う。まずは彫谷さんとライン交換したこと。 無性に嬉しかった。私みたいなやつが、彫谷さんとライン交換できる日が来ようとは。 次に、同じ趣味の友達……かはわからないけど、話せる子ができたこと。推しは違うけど、ハマってるカプは同じだったから、仲良くなれそう。 ちょうどいいタイミングでバスが停まったので、乗り込んだ。 車内は花火帰りの人でパンパンで、中には見知った顔もいた。だけどその日は不思議と気にならなかった。

Comments

sengen

目を合わせると自分の方が石化する、普通とは逆の今までにない一風変わった設定でした。でも体が変わってしまうリスクを常時抱え、しかも下手をすれば永遠にそのままという不安にさらされながら過ごすシチュエーションはとても良いですね。彫刻や美術室に怯える様子も可愛いです。 石化した時も視覚も触覚もあるのに、何もできない焦燥や困惑が良く伝わってきました。