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「許してくだせぇ、もう悪いことはいたしませんからぁ……だも」 顔を腫らしてみっともなく泣き叫ぶ狸。決着は早かった。私と春香はごく基本的な術だけでこの化け狸をやっつけることができた。手先は器用なようだけど、ドつき合いは苦手だったようだ。山奥に作られたこのみすぼらしい小屋の中は、中々立派な土製の窯と、焼き物を並べた棚によって占められている。この焼き物が問題だった。猫や犬の置物がほとんどだが、これらは生きている。この狸が町から攫ってきた犬猫を、独自の製法で置物に変化させたのだ。私と春香は退魔師として、このペット攫いの狸を退治する仕事を請け負ったのだ。 完全に無力化した後、私たちは棚の犠牲者……いや犠牲猫と犬たちを眺めて歩いた。 「これ戻せる?」 「う~ん、いや、無理じゃない?」 春香は大きな招き猫を抱きかかえて言った。これが生きていたなんて言われないとわからない。どこからどうみても陶器製の置物だ。持ってみるとズシリと重く、固く冷たい感触からは生気を感じ取ることができない。私たちは退魔師なので、材料になった猫の魂がまだこの中に健在なのがわかるが、どうしようもなさそう。この子の飼い主は悲しむだろうな。デフォルメされたデザインは可愛らしいが、同時に恐ろしくもある。一瞬、剥製かと見紛うリアル調なやつはまだ救いがあるかもしれない。見た目まんまだから自分の飼い犬だってわかるし。でもこんな風に好き勝手作り変えられキャラ物のオブジェみたいにされてしまっては、自分の飼い猫だなんて中々納得できないだろう。それに、この猫の存在が全く否定されてしまっているようで、言葉にしにくい悲哀も感じる。 「ほらっ、この子たち元に戻してあげなさい」 私はしばらく化け狸をいじめてそう要求したが、どうやら一度置物にしてしまったものは本当に戻せないらしく、この事件はちょっと後味の悪い幕切れとなった。 そんな事件があったこともすっかり忘れた頃、私と春香はふとした違和感に気づいた。服のサイズがおかしいのだ。いつも着ていたコートの袖が長い。手が隠れる。下着もブカブカになってきた。最初は気のせいだと思ったし、春香も同じことだったせいで、私たちは異常に気付くのが遅かった。二人ともそうなんだからまあ、大したことでもないのだろう、洗濯やクリーニングの質が悪くなったのか、或いは服の寿命かもしれない……。 事務所で棚の上の物をとるのに背伸びしなければならなかった時、年のいったお客にナチュラルに子ども扱いされた時、いよいよ私たちは現実を受け入れざるを得なくなった。服が伸びたのではない。私たちが縮んでいる。正直言うと、私も春香も本当は薄々わかっていたのだけど、それを認めたくなかったのだ。縮小病。女性だけが発症する、体が縮む謎の奇病。現在有効な治療法はなく、止まるのを待つほかない。そして縮んだ分が元に戻ったことはない……。 二人仲良く半年ほどの入院生活を送った。軽い人はちょっと身長が低くなる程度で終わるらしいが、私たちは最悪だった。寛解までに縮んだ身長はなんと100センチ以上。私たちは慎重30センチ程度の小人になってしまったのだった。子供よりも、赤ちゃんよりも小さい。もはや人形と言った方がしっくりきてしまうサイズ。周り全てが巨人と化して、すれ違うだけで冷や汗モノだ。ドアを開けることも、トイレを利用することも難しく、満足に日常生活を送ることもままならない。そんな惨めな現実が私たちを襲った。 退院後、私たちはずっと二人でやってきた退魔師の看板を下ろすことに決めた。霊力は変わらず健在だけど、流石に30センチじゃ仕事を続けることは不可能だ。しかし、じゃあこれからどうすればいいのか。こんな体じゃ他の仕事もできない。気軽に外出もできず、何もかも宅配で済ませる日々。おちおち手入れもできないので、見る間に容姿が乱れていく。同時に心も荒んできた。トイレにいくにも、お風呂に入るにも、一苦労の大仕事。日常生活の全てがストレスだった。体が小さくなるだけで、ここまで無力な存在になり、社会から隔絶されてしまうのか。 通帳の数字が目減りしていく日々。私たちは相談して、同居することに決めた。その方が節約になるし、二人で力を合わせられれば、少しは生活も楽になるだろう。 しかし収入がないのでは、いずれ破綻の日が来てしまう。どうしよう。何かできる仕事はないだろうか。でも30センチじゃなあ。子供にも一方的に潰されてしまう身体じゃ、妖怪や悪霊相手にするのはキツイ……。そもそも現地に行くだけで大変だし、除霊の道具も大きすぎて使えないし……。やっぱ駄目か。 そんな鬱屈とした日々を過ごしていた最中、ある依頼が届いた。悪霊退治。文面を見る限りでは、楽に片付けられそうな相手だった。場所も近い。今の私たちでも歩いていける距離。いつもなら既に廃業した旨を伝え、別の退魔師を紹介していたところだったのだが……。 「ねえ、里奈……」 春香が私の方を向いた。考えることは同じだった。正直もう台所事情が厳しいし、長引く引きこもりと荒れていく容姿に、私たちは限界だった。 外に出たい。仕事がしたい。お金を稼ぎたい。 私たちは思い切って、この依頼を引き受けてみることにした。ごく近くだし、無理そうなら帰ればいい。 久々に体を整え、私たちは家の外に出た。身にまとうものは病院で支給された白いワンピース一枚。二十代も折り返したこの年で、こんな格好かつノーメイクで外出するのは中々気が引けるけど、今の私たちにはこれ以外ないのだ。30センチの成人女性用の衣類なんて売ってないし、かといって着せ替え人形の服も着られない。一度試したことはあるけど、ゴワゴワで着心地最悪な上、動きにくくて作りも粗い。派手なのばっかだし……。 出来るだけ人目につかないよう、私たちは夜に出発した。推定通り低級な悪霊だったとしても、30センチの体じゃ単純に体力面が大きく不安だし、碌な道具も使えないから、苦戦しそうだ。ブランクもある。でもやるしかない。 薄暗い町は不思議な解放感に満ちていた。細々と狭い住宅街も、今の私たちにはまるで巨大なビルと広い道路が行き交う大都会のように感じる。道が広く、長い。やっぱ家に閉じこもってちゃだめだね。久々の外の空気に、私と春香はテンションが上がった。散歩ぐらいしてもよかったかも。 が、次第にそうも言っていられなくなってきた。歩いても歩いても角が遠いし、出会いがしらに蹴飛ばされないよう、常に気をつけなければならない。やはりこの世界はもう私たちの存在を想定していないのだということを、ありとあらゆる場面から思い知らされてしまう。家の中のインフラは30センチの小人にも使えるような配慮はされていないが、それは外の世界も同じこと。いやもっとひどい。 「はー、疲れたー」 「まだ始まってもないでしょ」 「そうね……」 二人で励まし合いながら、私たちは目的地に急いだ。 悪霊が出るらしい公園。時間も時間なので、人はいない。街頭だけが薄暗い光を放っている。 「……?」 なんか変。私たちは怪訝に思いながら園の中央まで進んだ。確かに邪な気配を感じる。でもこれは霊気ではない、妖気だ。悪霊というのは依頼主の勘違いで、実際は妖怪だったのだろうか。まあ一般人にその辺の区別がつかないのは、今に始まったことじゃない。 「どうする? 帰る?」 私は春香に訊いた。あまりよくない流れだ。物理的な実体を持たない霊ならともかく、30センチの体で妖怪を相手取るのは厳しい。漂う残り香からすると、それほど強力な妖気の持ち主ではなさそうではるけど……。 「うーん、ちょっと様子みない? それから……」 その時だった。突然、プシューっと大きな音が鳴り、あちこちの地面から白い煙が噴き出したと思うと、四方から出た突風が煙を私たちに襲わせたのだ。 「えっ、なっ、何!?」 「うっ、ゴホッ」 小さい私たちはあっという間に煙に巻かれ、息が出来なくなった。 (う、これ……は……?) (罠……?) 薄れゆく意識の中、私たちは覚えのある妖気を感じ取った。 (う……?) 目が覚めた時、全身から強烈な違和感が伝わってきた。全身が何か固い膜……いやもっと厚い何かで塗り固められている。 (えっ……うっ、なに……?) 徐々に意識が鮮明になってくると、自分が直立していること、体がほとんど動かせないこと、そして……何故か両手でハートマークを作らされていることに気づく。 (ふぇっ!? な……どうなってんの!?) 私は……私は確か……そうだ、公園に除霊に行って……煙で意識を……。 (あっ、里奈、起きたの? 大丈夫?) (春香!? どこにいるの? 体が……動かないの) (隣にいるわ。多分だけどね……) 春香が念話で話しかけてきた。私たちは寝ている間に、何者かによって塗り固められてしまったらしい。 (な、なんなの……? どういうことなの? これは一体なんなの!?) わけがわからない。薄暗く埃っぽい小屋が見える。首が重くて動かないし、何故か視線も変えられない。なんでハートマーク作ってるのかも謎。恥ずかしいのでさっさと腕を下ろしたいけど、上手く力が入らず、コントロールできない。 「いよっ、ご両人ともお目覚めみたいだも」 謎の声が響き、妖気が辺りを漂った。私の視界にぬっと姿を現した大きな影の正体は……狸だった。 (えっ……はっ!?) 私も春香も、予想外の光景に混乱した。狸……狸? なんで? 「ようやく恨みを晴らせる時がきたし」 (……あっ、あっ! あんたまさか、あの時の……!?) 思い出した。縮小病に罹る前、普通に退魔師やってた時に、ペットをさらって置物にして売りさばいてた化け狸……! 「覚えていてもらって光栄だも」 狸は広い鏡を取り出し、私達の前に掲げた。そこに映っていたのは、灰色の……未塗装フィギュアみたいな出で立ちをした、粘土の彫刻だった。それが私たちだということを理解するのに、一、二分を要した。 (えっ……えっ、まっまさか、コレ……が、私たち……なの!?) 「ふっふっふ……」 胸元と腰に見える大きなリボン。派手なミニスカのドレス。腰より長くのびる長い大ボリュームのポニーテール。肘までおおう長手袋。何より目を引くのは、アニメキャラのように大きく描かれた瞳。デフォルメの効いた顔。どこからどうみても、どこぞの魔法少女キャラのフィギュアにしか見えなかった。 そんな恥ずかしい格好の上、私らしきフィギュアは、可愛らしく微笑みながら、両手でハートマークを作りながら静かに佇んでいる。私がしているのと同じポーズ。信じられない。そして隣にいる春香は、現実ではありえないくらい大きなリボンで結ったツインテールをなびかせ、両手で作ったピースサインをほっぺたに当てている。私も春香も、ありえないような媚び媚びの姿をとらされている。 (な……なんなのよコレ! ふざけないでよ!) 冗談じゃない。何でこんな粘土の中に閉じ込められないといけないのか。しかも、私たちの面影なんて微塵もないフィギュアの中に。顔はアニメキャラまんまのデフォルメだし、スタイルもまるで中学生って感じで、私たちとはまるで違う。 「仕返しだも」 (はぁ!?) 狸は得意げな調子で、私たちに語った。以前痛めつけられ商売を潰された恨みを晴らしてやるのだと。 (はぁ!? そんなの逆恨みよ! あんたが悪いんじゃない!) 何とかして粘土から抜け出そうとしたが、不思議と体に力を込められない。笑顔でハートを作ったまま、魔法少女のコスプレをしていることしかできなかった。 (ね、ねえ、狸さん、あの時はごめんね。私たちが悪かったから……) (え!? ちょ、ちょっと、何急に) 突然下手に出た春香の態度に私は驚いた。 (だ、だって思い出してよ! この狸の事件) (えっ……? あっ……!) 思い出した。こいつが陶器にして売りさばいたペットたちは確か……そうだ。元に戻せずに終わっちゃって……。 全身に悪寒が走った。ま……まずい。まさか……嘘でしょ!? 「ふっふっふ……。ようやく気付いたみたいだも。お前らは永遠にフィギュアになるんだも」 (ばっ……馬鹿、やめなさい、そんな……!) 必死に粘土の鎧から脱出しようともがいたが、ほとんど身動きがとれない。それどころか、次第に体の感覚がぼやけてきた。 「もー手遅れだも」 (ど、どういうこと) 狸は恐ろしいことを次から次へと説明しだした。私たちの体は既に、この粘土と融合し始めていて、「取り出す」ことはできないのだと。アニメキャラのような大きな瞳を持つ顔は、本当に私たちの顔となり、この魔法少女の格好も、私たちの体そのものと化す。「こういう形状の体」であって服ではない。二度と脱ぐことはできない。そして窯の中で焼き固めることによって、私たちは完全なフィギュアとして生まれ変わり、あの時の犬猫たち同様、二度と元には戻せない……。 (そんなっ……やめてっ、お願いっ!) まるで悪夢だ。これが現実だなんて信じられない。私たちは永遠に、こんな媚び媚びの姿で永久にカチンコチンになったままだっていうの!? 何度も体を動かそうとしたものの、やはりだめだ。焦りが生じる。このままじゃ、本当に取返しのつかないことに……。霊力で何か対抗できないかと思ったものの、手足も動かないし声も出せない。これじゃどうしようもない。次第に粘土に覆われている感覚が消え始めた。ヤバい。この粘土が私の体になり始めている。本当に……魔法少女のフィギュアに変えられて……しまう。 (こんな格好いやー! 違うのにしてよー!) (そういう問題じゃないでしょ!?) 春香がおかしなことを叫びだしたので、私は辟易。……いや気持ちはわかるけど。いい年して魔法少女のコスプレを永久に固定されるってだけでもキツイのに、春香はツインテールに両手ピースサインなんてぶりっ子の極みみたいなカッコだし……って私もヤバいよ。永遠に笑顔でハートマーク作らされるなんてイヤー! 「そろそろだも」 狸が私たちを掴み、持ち上げた。 (ひゃっ!?)(ひぃっ) 自分たちが机の上に立たされていたことを知り、ますます苛立ちが募った。私たちはフィギュアの材料なんかじゃない! 必死に動こうとしても、やはり体が言うことをきかない。それどころか、今までの私たちの体はもう溶けて消えてしまったんじゃないかと思うくらいだった。「粘土に包まれている」感覚がほとんどなくなってきた。粘土でそう造形されているだけのものでしかなかった長いポニーテールや、ヒラヒラのスカートから感覚が生じ始めている。ヤバい。この粘土と本当に一体化してしまう……。 だが問題はもうそんなところではなかった。私達の目前に、熱く燃える土の窯が迫っていたのだ。 (ちょ、ちょっと嘘でしょー!) (いやー! 死にたくない!) 「死にはしないだも。フィギュアとして生まれ変わるんだも」 (いやー! やめて! お願い! ほんとにゴメン! 謝るから! もう何もしないから! 許してーっ!) 決死の懇願も空しく、私たちは狸の手から離れてふわりと宙を浮き、燃え盛る窯の中へ吸い込まれていった。 (ひっ……あっ、熱いぃっ、やめてぇ! ……?) 炎が私たちの全身を飲み込んだ。このまま焼け死ぬ……かと思いきや、意外にもそれほどの熱さを感じなかった。高温の風呂ぐらいの感覚。 (あっ……よ、よかったぁ~、助かったぁ~) (た、助かってないよ! 私たち、焼き固められちゃうんだよ!?) 窯の奥に安置された私たちの体は、炎によって瞬く間に硬度を増していく。すっかり粘土と融合してしまった体が、カチカチに固まっていく。私達の体が媚び媚びの魔法少女フィギュアに作り変えられていく。熱い炎が私たちを飲み込み、二度と元に戻れなくなるよう入念に焼き固めていく。 (やめてー、お願いーっ、ポーズ変えてーっ!) (それどころじゃないでしょー! 出してー! お願い! フィギュアになるなんていやあぁ!) 真っ赤な視界の奥の奥に、憎らしい狸の影がチラリ横切った。ああ……。まさかあんな低級の妖怪に……私たちがこんな……。一縷の望みをかけて脱出を図ろうにも、手足はもうピクリとも動かせない。表情すら奪われていく。キラキラしたアホほどデカい瞳と、可愛らしい笑顔が炎によって固定されていく。このまま成す術もなくフィギュアにされてしまうの!? (ううっ……お願い……誰か……) 全身が石のように硬度を増していく。私は永久に両手でハートマークを作り続けなければならないのだということが嫌でもわかる。わからされてしまう。 (か……体が、体が縮んでさえいなければ……!) 絶望の中、私は狸と共に忌々しい縮小病を呪った。 窯から出されてどれだけの時間が経っただろう。時計もない薄暗い小屋の中で、私たちはずっと固まっていた。 (う……あぁ) (そんな……) 結局、誰かが助けに来てくれることも、狸が心変わりすることも、奇跡的に脱出することもできなかった。一切の身動きも抵抗もできぬまま、私達の体は冷えて固まり、完全にフィギュア化してしまったのだ。それも、アニメ顔の媚び媚びな魔法少女フィギュアに……。屈辱だった。私たちがそのまま人形にされたのならまだしも、わざわざ原型をとどめないような姿に作り変えられてしまったことが。私たちという存在を何もかも否定され、永遠に奪われてしまったかのようだった。 全身は石像のように固く、指一本、一ミリも動かせない。それもそのはず。もう私たちの体に筋肉も神経も存在してはいないのだ。焼かれる前のコーティング感も、もう残っていない。私たちは何にも縛られてはいない。ただ、私達の体は人の形をした焼き物でしかないだけなのだ。 五感はいつも通りなのに、動けないことがこんなに苦しいとは思わなかった。それもわざわざ、年甲斐もなくヒラヒラなコスプレをさせられた状態で、それを永遠に固定されたのだからたまったものじゃない。大して力も持たない妖怪に敗れたという苦い事実も、一層私たちのプライドを貶める。 笑顔で可愛くポーズしたまま泣き叫ぶ私たちの前に、狸が戻ってきた。私たちが立たされている机の上に、筆や絵の具を広げている。 (えっ……) (ちょ、ちょっと何? 私達を塗るの?) そのまさかだった。全身茶色に染まった私たちの体に、細く尖った毛先が触れた。 (ひゃんっ!) くすぐったい。繊細な毛先がカチカチに固まった私の表面を優しく撫でる。声を上げたい、身悶えしたい。でもできない。私は変わらず、笑顔でハートマークを作ったまま、そこから外れることは許されなかった。 (あ、ははは、ひぃ、や、やめてぇ) それでも、毛先がまさぐるこそばゆさと、塗りつけられ広がっていく絵の具の浸食は止まらない。声を上げて体を捻りたいという強烈な衝動が収まらない。なのに、体が動かない。動けないせいで一層全身が敏感になり、ますますくすぐったさが増してゆく。行き場のない焦燥が全身を支配し、狸の声も頭に入らなかった。 「この絵の具は霊力を封印する力があるんだなも。君たちは永久に力を封じられるんだなも。聞いてる?」 (ひっ、ふいひっ、ちょ、待って、筆、止めて、動けないの、止めて、ひん) 着色が終わった頃、私は自分の力がほとんど失われてしまったことに気づいた。もう望みはない。近くにいる春香と念話するのが限界。これじゃあ、霊感のある誰かが私たちに気づいてくれる、という偶然すら起こりそうにない。もうダメだ……。 狸が再び鏡をかざした。そこには、見事な出来栄えの魔法少女フィギュアが二体映っている。これが自分たちでさえなければ、称賛を送ったかもしれない。ピンクと白で構成されたリボンとフリル満載のドレス。真っ白な手袋。可愛く彩られたブーツ。目を引くのは、長いピンク色のポニーテール。漫画みたいに描かれた、キラキラな大きいピンクの目。 (ちょっ……なっ、何よコレ!) まさか髪をピンク色に染められてしまうなんて……。色のついた魔法少女コスの破壊力も凄まじい。自分がこんな格好をして、得意気に笑顔でハートなんか作っているのかと思うと、恥ずかしさのあまり憤死しそうだ。隣の春香ほどじゃないけど……。 (やめてーっ、お願い、やり直してーっ!) 春香は白と黄色で構成された、かなりあざとい印象のキャラにされてしまっている。この年で金髪ツインテ、それも全力のぶりっ子ポーズは辛いよね……。しかも、私たちは永遠にこの格好から逃れられないという事実。 (も、元に戻して。こんなのイヤ) 「だから、もう無理なんだも」 狸はさらに、この絵の具に秘められた力を得意気に明かした。 「一日もすれば、この色は君たちの体に浸透して、完璧に一体化するも。だから色落ちや剥げることは心配する必要はないも」 (そ……そんな) それって一生、私達の霊力は封じられるってこと!? ひ、ひどい。あんまりだ。しかもこの派手なフリフリの服も一生モノってこと……。ピンクの髪も……。私たちは永遠にこんな恥ずかしい姿のまま、身動きもとれない地獄の日々を過ごさなければならないの? 最後に汚れを防ぐとかいうコーティング液を吹き付けられ、私たちの改造は終わった。テカテカとした光沢を持つようになった私達の姿は、まさしく樹脂製のフィギュアのような質感に仕上がっていた。これじゃあ誰も、生きた人間をフィギュアに作り変えたものだなんて、気がつきっこない。せめて顔や等身がアニメチックにデフォルメされず、私たちまんまなら……。 狸は私たちを掴み上げ、フィギュアの多く並んだ棚の中に並べた。これがまた悔しさ倍増だった。同じスケールのフィギュアたちと一緒に並べられることで、ますます自分たちが人間ではなくなってしまったこと、隣のお人形と同列の存在にされてしまったことを強調されているように感じる。 (ちょ、ちょっと、こんなところに並べないでよ! これじゃ私たちフィギュアみたいじゃない!) 「だからフィギュアになったんだも」 (こ、この……) (ね、ねえ里奈、このフィギュアって……) 春香が震える声で念を送ってきた。今の私たちとまったく同じスケール、同じ質感のフィギュアたち。ひょっとして……! (あんた、まさか、また……!) 「あ、違うも。それ全部ただのフィギュアだも」 (は……?) 確かに、生気を感じないけど。でもじゃあ、この棚のフィギュアの中で、私たちだけが人間ってこと? (うぅ……) それはそれで……悔しいというか、ことさら惨めに感じられた。ただのフィギュアの中に加えられてしまった私たち。そして本当に、いまやただのフィギュアでしかないのだ。 (こ、ここから出しなさい) 「心配しなくても、すぐに出したげるも。商売替えしてから中々よく売れてるんだも」 (は? 商売……) (ま、まさか、私たちを……) 「なかなかよく出来たから、きっといい値がつくだも」 (い、いやっ! そんな! 売られるなんて) ま、不味い。このままただのフィギュアとして何もしらない人間の手に渡ってしまえば……絶望だ。もう元に戻れる可能性はほとんどなくなってしまう。例え元に戻れないにしても、人間だと気づいてもらえればまだ、希望はあったのに。私達がここにいる間に、誰かほかの退魔師がこの狸をやっつけてくれれば。その前にただのフィギュアとして売られたら、それすら叶わない。私たちは社会的にも完璧にフィギュアとして位置づけられ、二度と抜け出すことができなくなってしまう。 (お、お願い、売らないで。ここに置いて) (一生動けないなんてイヤ! お願いー!) 「ああ……それなら心配しなくていいだも」 そう言った狸の目が怪しく光った。 コトッ、と硬い音が響き、私達の足と接着した台座が机と接触した。私たちを購入したらしい「持ち主」は同年代ぐらいの男性で、意外と整った目立ち。そのおかげで、同年代なのに非常識な格好をして、媚び媚びに固められた自分たちが一層恥ずかしくて、顔を背けたくなる。でも、もう私たちの首は動かない。笑顔で直視し続けるしかない。 持ち主は私たちの出来に感嘆するような表情を浮かべ、手に取って上下左右から私たちを観察した。スカートの中を覗かれた時は腹が立ったものの、この人は何も知らないんだから仕方ない。 (あ、あの……! 私たち、フィギュアじゃないんです、人間なんです!) 無駄だとしりつつ、念話を送る。が、霊力のほとんどを封じられた私には、隣の春香と交信するのが限界。彼と意思疎通を図るのは無理そうだった。 (この人、気づいてくれないかな? 私たちがただのフィギュアじゃないって) (無理じゃない……? この格好じゃね……) 春香の言う通り。あの狸に見せつけられた自分の姿は今も強烈に脳裏に焼き付いている。あれは本当に、アニメキャラのフィギュアって感じだった。デザインも色合いも質感も。これで人間だと気づけって方が無理な話だ。 だとすれば、自力でやるしかない。 持ち主が部屋から出ていってしばらく。カチカチだった体が柔らかみを帯び、動かせるようになった。 (あ……) 恐る恐る、台座から降りてみた。両手を何度も開閉し、感触を確かめる。動く。動ける。自由だ。 (や……やったー!) 私たちは手を握り合い、ピョンピョン跳ねて喜んだ。残念ながら声はでないみたいだけど、十分だ。 (でも、何でわざわざ動けるようにしてくれたのかなあ?) (どうでもいいわ。私たちを舐めてるんでしょ) 部屋の外から足音がした瞬間、全身がビクッと震えて、勝手に動き出した。元いた自分の台座の上に戻り、元通りの笑顔とハートマークを作ったかと思うと、瞬時に全身が硬化し、私たちは物言わぬフィギュアに戻されてしまった。 持ち主が部屋に戻ってきた。まさかこの一分の間に、新品のフィギュアが動いていただなんて思わないだろうな。 その後、彼がいる間、私たちは一切身動きがとれなかった。 (ほ……ホントみたいね) あの狸が出荷前に言ったルール。それは何故か、人が近くにいない間は動けるようにしてくれる、というものだった。 (夜になったら逃げるわよ) (で、でも大丈夫かな。誰かとすれ違ったら動けなくなっちゃうんでしょ。この人に説明したほうが……) (そ……そんなの、どんな扱いされるかわからないじゃない。大体信じてもらえるかどうかだし) たとえメッセージを残すことができても、実際に目にする姿はいつも通りのポーズで動かない、じゃあ何かの悪戯、フェイクだと思われる可能性が高い。さっさとここを出て家に帰り、他の退魔師に助けを求めるのが確実だ。 (それに、だって、恥ずかしいし……) ところが、夜になっても脱出の機会は訪れなかった。どうやら寝ていても、近くにいたらダメらしい。 (アテが外れちゃった) (ま、まあ、チャンスはまたくるわ。別に急がなくても……) 確かにそうだ。時間はいくらでもある。急いで脱出する必要もない。……それも悲しい話だけど。 持ち主が仕事に出かけると、私たちは自由に動けるようになった。 (よし、行くわよ) (えっ、でも日中じゃまともに動けないんじゃない? きっと人が多いよ) (それは……そうかもしれないけど、夜はずっと固められちゃうんだから、しょうがないじゃない) とりあえずここがどこか確認するだけでも、と春香を説得し、私たちは玄関に向かった。が、ここで不思議な現象が起こった。 (ん……?)(あ……) 玄関の端に辿り着いた瞬間。急に意識がぼうっとして、体が動かせなくなったのだ。 そして気がつけば、回れ右して反対方向を向いていた。 (あ、あれ……?) (どうして?) もう一度外へ出ようと体の向きを変えても、同じ結末だった。玄関から外へ出ようとすると、体が独りでに回れ右してしまう。 (なっなによコレ……ひどい) あの狸の仕業に違いない。どうやら逃げることはできないらしい。 (ま、まあ、簡単に逃がしてはくれないよね……) その後、窓から出られないか試してみたものの、やはり同じように体が動かせなくなり、家の中を向いてしまう。これがあるから自由に動けるようにしたのだろうか。 (ふ、ふん……でも、動けるならなんとだってなるんだから) 持ち主のパソコンを立ち上げ、知り合いに救援を求めようと思ったが、パスワードがわからずそれは無理だった。家の中を物色し、唯一ロックのかかっていないタブレット機器を見つけた私たちは、それでメールを送ろうと試みた。だが……。 (あ、あれ……) (どうしたの、早くして) (て、手が……) 相手のアドレスを打ち込もうとすると、それまで普通に動かせていたはずの手が動かなくなってしまう。プルプルと力なく震えるばかりで、入力ができない。春香も察したらしく、慌てて私と交代した。が、やはり同じ。アドレスやメッセージを入力しようとすると意識がぼうっとして、手が動かなくなる。タブレットから離れたり、メースソフトを閉じたりすると元に戻った。 (こ……このっ……!) 家から出られない。メッセージも送れない。これじゃあどうして助けを呼べっていうの……。あの狸は私たちをいたぶるために、わざわざ条件付きで動けるようにしたのか。 その後も手を変え品を変え、色々試してみたものの、私たちは誰かにメッセージを送ろうとする行為自体が封じられているらしく、持ち主に書置きを残すことすらできなかった。 時間が経つにつれ焦燥感が募る。ここまで自由に……。人間だったころと同じように動けるというのに、打開が一切できないこの状況。苛立ちと無力感が増していく。そのうち日が落ちて、持ち主が帰宅した。玄関のドアから音がした瞬間、私たちはビクリと震え、体の支配権を失った。元いた机に向かって走り、駆け上って台座の上に戻った。 (ま、待って、私たちまだ何も……) (あっ、あぁ……) 私は笑顔でハートマークを作り、春香もピースサインを頬にあて、何事もなかったかのように固められた。部屋に持ち主が入ってきたが、何一つ特別な態度は見せない。そりゃそうだ。今朝家を出た時と何も変わっていないんだから。 (ど、どうする里奈?) (どうするっていったって……) 家から出れない、筆談も不可。じゃあ……私たち、結局ずっとフィギュアのままってこと? ただのフィギュアなんかじゃなく、人間なんだってことすら伝えられないの? ううん、まさか。あれだけ自由に動ける時間がまとまってあるんだもの。いくらでもしようがあるはずだ。 打開策を考えながら、私たちは持ち主に向かって、静かに可愛らしく媚び続けた。 翌日も結果は同じだった。風呂の窓も駄目だったし、筆記具を変えても駄目。タブレットにメッセージを残すのも駄目。お絵かきソフトもNG判定。物を並べて文字を作れないか試そうとすると、また意識がぼうっとして両腕から力が抜けていく。意図的にメッセージを残すという行為自体が封印されてしまっているらしい。 午後には体力を使い切って、カーペットの上に寝転がっていた。 (他にアイディアある?) (う……うーん、今はない、かも……) (そろそろ帰ってきちゃうよ、「持ち主」さん) (う……でも……) 体は自由。六時間以上の猶予もある。なのに、どうにもできない。私たちはあまりの情けなさに、自分たちが恥ずかしかった。ここまでフリーなら、きっと何とかできるはずだ、という思いだけは変わらずあるものの、それなのに一日費やして何もできなかったという事実が私たちに重くのしかかる。 (あっ、そうだ、場所変えよう) (場所?) (違うところで固まってれば、見てないところで動いてるって思うかも……) (いやいやそんな……。子供じゃあるまいし……) 帰宅の気配と同時に、また私たちの時間は終わった。体が立ち上がり、大急ぎで元の場所へ駆けていく。 (ま……待って! ちょっと待って、違う……場所……に……) 抵抗しようにも、体は一切私の指示を聞かない。元通り、机上の台座に戻り、寸分たがわぬ位置で、寸分たがわぬポーズをとらされ、そのまま再びカチンコチンに固められてしまった。 (そんなぁ) 表情やポーズも元の、焼き固められたあの姿のまま。私の意志が干渉できそうな気配は全くない。 持ち主が部屋に入ってきた。当然、私たちが日中家の中を動き回っていただなんて、気づけるはずもない。場所もポーズも一切変わっていないのだから。 夜の間、必死に彼に向かって脳内で叫んでみたが、どうにもならなかった。私たちはただのフィギュアとして、微動だにせず、彼の机を彩ることしかできなかった。 そんな生活が一日、また一日と過ぎていく。動けるならそのうち何とかなるだろう。当初の楽観的な見通しは打ち砕かれ、フィギュアとして生きた実績だけが淡々と積み重ねられてゆく。 何をしても無駄なので、私たちは次第に家から出ようとすることも、メッセージを残そうとすることもほとんどしなくなっていった。そしてそんな自分たちが心底嫌いになってゆく。これじゃあ、まるで脱出を諦めて、フィギュアとして生きることを受け入れてしまったみたい……。 (そ、そんなことない。そういうわけじゃないの。ただ、方法が思い浮かばないってだけ……) 四、五日に一回ぐらいの頻度で、言い訳のためだけのような気のない脱出を試みる。だが、初日に無駄だとわかっている行動で、案の定ダメなのだ。ただ玄関に向かうだけ。回れ右させられて、終わり。私たちは終始無言のまま、とぼとぼと部屋に帰る。これでノルマを達成したんだからいいでしょ、とでも言わんばかりの投げやりで無意味な行動。お互いそうとわかっているけど、指摘はできない。 次第に狸の狙いもわかってきてしまった。私達を永く苦しめるため、束の間の自由を与えたのだ。ずっと動けないんなら、割と早い段階で諦めてしまい、フィギュアとして生きることを受け入れるか、発狂してしまうか……。何とかなりそうで実際はどうにもならない、仮初の自由がほぼ毎日与えられることで、私たちは日々自分たちの無力さを痛感させられるし、こうして脱出の努力をしなくなっていく自分たちに絶望していくのだ。 苦しいのは羞恥心も同じだ。ずっと動けないなら早く割り切れたかもしれないけど、毎日毎回「固められる」せいで、この魔法少女のコスと媚びポーズを何度も再認識させられるし、体が勝手に動いてポージングするせいで、そのうち自分の意志でこのコスプレをやっているかのような錯覚まで起こしてしまう。 着替えようにも、コスチュームは私たちの体そのものだから、脱ぐことはできない。平日は六時間以上自由なのに、着替えられないし、ポーズも変えられないのだ。そのせいでますます、まるで自分たちがこの格好を気に入っているかのように思わされてしまう。 (も、もう、やだぁ、何とかならないの!?) (お願いですぅ、気づいてくださぁい) いつの間にか数か月が経過し、私達の焦燥はますます昂った。早くなんとかしないと、本当に、ずっとこの人のフィギュアのままだ。しかし数か月あってもどうにもならなかったという事実は、この先の数か月もそうなるということを何よりも雄弁に物語る。 その間に持ち主は新しいフィギュアを購入し、私たちは場所を移された。机上から棚の中へ。そこには私たち以外のフィギュアが数体収められていた。その隙間に私たちは加えられたのだ。 (ちょ、ちょっとー、やだー、ここに入れないでよー) (そんなのより、私たちの方がいいでしょっ、私たちはただのフィギュアじゃないのよっ、生きてるんだからっ) ただの樹脂の塊においやられ、その樹脂の塊の中でも古い奴の仲間ということにされてしまったことが、とにかく腹に据えかねた。 平日の昼が来るとすぐ、私たちは机上に登り、「新入り」をいびった。 青をイメージカラーにした、精巧な出来のフィギュア。私たちと同じスケール。確かによく出来てる。でも……生きてはいない。 私はツンツンとその子を突きながら愚痴った。 (酷くない? 絶対私たちの方がいいよね!?) (そうよ。この子なんてほんとにただのフィギュアなのにね) 生きている自分たちよりも、生きていないフィギュアの方がいいところに飾られる。そんなの理不尽だ。 (しっかも、隣はアレだしさ) 私の隣にいる「先輩」はどこかのゲーセンか何かでとったろう安っぽい粗雑なフィギュアなのだ。私がそんなフィギュアと一緒に並べられるのは極めて屈辱的だった。 (だよねー。私の隣だって……) だが、持ち主さんの決めた位置は絶対で、私達に勝手に変える権利はない。彼が帰宅する頃には、私たちは嫌々ながらも、棚の中に戻り、大人しく粗雑な中古フィギュアたちと同化しなければならないのだ。 (むーっ、ここから出してよーっ) (もっといいところに飾ってよーっ) ああもう、もどかしい。メッセージを残すことができれば、私達がただのフィギュアじゃないこと、こんな扱いを受けるべきフィギュアじゃないことを伝えられるのに。 忸怩たる思いを抱えながら、私たちはいつもと変わらぬ笑顔とポーズで、彼の部屋を華やかに彩り続けた。

Comments

Anonymous

陶器の感じはやはり違っています、体が異質になった絶望感が圧倒的に強いです,心理的な変化もとても胸を締めつけられます。なんて悲しい物語だろう。

opq

コメントありがとうございます。読み込んでいただけると嬉しいですね。

いちだ

ただ変化するだけでなく、粘土にされて焼き固められるというシチュエーションに萌えました。

opq

感想ありがとうございます。受け入れていただけたなら嬉しいです。