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「花咲さんは引き取り先決まってるの?」 病院で同じベッドになった「同期」の子。彼女は退院後、両親に面倒を見てもらうらしい。しかし私の場合はそういうわけにもいかない。既に家族は鬼籍入りで、頼れる親戚もない。 「うん……。まだ決まってないんだ」 「えーっ、じゃあ施設に行くんですか?」 「ど、どうかな……」 既に私の体の縮小はおさまりかけている。もうすぐ退院ということになるだろう。その時、私はどこに行けばいいのか。真剣に考えなければならない時期にきていた。 縮小病。女性だけが罹り、体が縮んでいく原因不明の奇病だ。どこまで縮むかは人によりけりだけど、私は運悪く、一番ひどいパターン……十分の一まで縮んでしまった。最終身長は15センチの見込み。当然、これまでのように一人暮らしなどできない。誰かに介護してもらう必要がある。しかし食事やお風呂はまだしも、問題は下の世話……。このサイズじゃ普通のトイレは安全には使えない。小さな容器に出してそれを同居人に始末してもらう……赤ちゃんかペットのような生活を覚悟しなければならない。でも、身内でもない人間のそんな世話など、誰も好き好んでやるはずもない。しかも働くことはおろか、家事すら不可能。お荷物だ。行き場のない縮小病患者の引き取り手を探してくれるマッチング施設やら、治療方法を研究しているNPOだとか、そういうのはあるにはあるのだが、嫌な評判、黒い噂も絶えない。実験動物みたいな扱いを受けるとか、ペットみたいに売買され、人形に加工されるだとか……。 私は友人や元いた職場の同僚に頼んで、相手を探してもらうことにした。できれば施設には行きたくない。いい人が見つかりますように……。 先生が言った通り、私の身長は15センチで下げ止まった。15センチ。それは小学生のころ使っていた定規より短い。そう思うと無性に胸が痛んだ。病院の先生や看護師さんたちはマンションかビルディングかといった感じで、同じ空間で同じ言葉を交わしているにも関わらず、まるで違う世界の住人のように思われてならなかった。 退院の目途が立ったころ、引き取り先も見つかった。といっても、名乗り出てくれたのは一人で、選択肢はなかった。その相手は仕事で何回か一緒した取引先の人。名前は伊藤さん。二十後半の整った顔立ちの人で、これといった印象は残っていないので、なんで引き取ってくれたのかはわからない。でもありがたい話だ。優しそうな人だったと思うし、人の紹介だから、そんな酷い扱いは受けないと思う、多分。 ただし、条件が一つ。フィギュアクリームという、肌色のクリームを全身に塗ってくること。それが引き取り条件だった。 (あー……やっぱり) その存在は、入院中も散々聞いていたし、同じ病気の人たちが自身にそれを塗ってもらう場面も目にした。フィギュアクリームとは元々その名の通り、フィギュアに塗るためのものだ。ナノマシンが配合された肌色のクリームは、フィギュアの形にピタリ沿って、綺麗な艶を出してくれる。それだけでなく、折れた箇所や欠けた箇所の修復も行ってくれる機能もある。それを何故人間に塗るのかというと、最後の機能である汚れの分解が目当てだ。クリームを構成しているナノマシンは、人がフィギュアに触れた際についてしまう汚れを自動的に分解してくれるのだ。なのでお気に入りのフィギュアにこれを塗りたくっておけば、いくら触れても汚れないし、傷は自動で修復されるし、いつまでも綺麗……というフィギュア好きの人のための製品。普通の人に塗っても特に意味はないけど、私たちみたいな小人なら話は別。十分の一サイズまで縮んだ私たちならば、汗や油汚れといった人間の体の汚れを全て分解してくれるナノマシンの働きが、十分に間に合ってしまうのだ。つまり、これを全身に塗っておけば、私たちはお風呂に入らなくとも、ずっと清潔でいられるってこと。それどころか、股間に厚く塗っておけば、排泄まで勝手に分解してくれる。もうトイレには行かなくてよくなる。そういうわけで、重度の縮小病患者の間では、最近これを活用する人が増えている。そりゃ、他人に下の世話なんて頼みたくないし、家族もできればやりたくないだろう。フィギュアクリームを塗ればずっと生活が楽になる。 問題点があるとすれば、見た目。その名が示す通り、全身がツルッツルの肌色一色に、光沢さえ生まれるような、フィギュアみたいな質感になってしまうということ。相当に恥ずかしい。人前に出るのは憚られる。私は出来れば使いたくなかったんだけど、引き取りの条件になってしまった今、拒否はできない。私は看護師さんにお願いして、クリームを塗ってもらうことに決めた。 お湯に溶かした肌色のクリームは、液体とも固体とも呼びづらい、粘り気のある物体になった。ここに浸かればいいらしい。そうすれば、後はクリームのナノマシンが勝手に私の体に沿って綺麗に覆いつくしてくれるそうだ。なんか怖いなぁ。健康に悪影響はないって言ってたけど、髪まで含めて全身に余すところなくコーティングするってなると、やっぱり心配。 「準備できたんで、服脱いで下さーい」 看護士さんに従い、私は服を脱いだ。服と言っても、簡素な白いワンピースを着ているだけだ。本当に簡素な作りで、着ているというよりは被っていると言った方が適切かもしれない。でも贅沢は言えない。身長15センチの人間用の服なんて、ないんだ。 60センチを割った辺りから碌にケアもできていない私の体は、何ともみすぼらしくてだらしなく思えた。毛は伸びっぱなしで、肌の手入れもできていない。 看護士さんの巨大な手が私をそっとつまみ、ゆっくりと持ち上げた。私の足先がふわりとタオルから浮き上がる。大した力もこもっていない手。逆に、私を傷つけないようにという注意が強く出ているのが伝わってくる。そんな小さな力で、今の私は軽く持ち上げられてしまう。それが悲しかった。 暖かい肌色の沼に、私の足先が触れた。ドロッとした感触が私の踝を飲み込み、足全体にまとわりつく。それが徐々に私の脚全体に及んでいく。腰まで浸かったところで、足が底を踏んだ。看護師さんは手を放し、頭まで全部浸けるよう言った。 私はゆっくりと腰を下ろし、首まで全てお湯に浸した。全身にまとわりつく粘り気のあるお湯は、まるで意思を持っているかのように感じる。私の脚に、腕に、胴に、隙間なく何かが張り付いてきている。私は息を吸い込み、目を閉じて、顔も浸けた。上から大きな板が……いや指だ。看護師さんの指が私の頭のてっぺんを軽く押したことで、私は髪まで全てがフィギュアクリームの沼に沈んだ。 (そろそろいいかな?) 顔を上げると、視界が肌色一色で、何にも見えなかった。確認の声と共に、看護師さんの指が私を優しくつまみ、私は肌色の糸を引きながらお湯から引きずり出され、再びタオルの上に置かれた。全身がベチャベチャしたクリームに覆われている。気持ち悪い。このまましばらく待機。後はクリームが私の体に合わせて勝手にやってくれるらしいけど……。このまま乾いたりしたらやだな。肌色のクリーチャーになった自分を一瞬想像してしまい、ウェっとなる。 数分すると、徐々に視界が戻ってきた。クリームが落ちた……わけではないらしい。なのに見えるんだ。不思議。 ボコボコとしていた余分なクリームが剥がれ落ちていき、私の姿も戻ってきた。案の定、手足はフィギュアみたいにツルツルしてきた。まるで樹脂みたいな質感。肌色一色で、一切の汚れや染みがない。産毛も、血管もない。皴もない。まるで作り物みたいな手足。これからずっとこんな見た目なのかな……。 クリームは私の体型に沿って、驚くほど正確無比に、一切の隙間なくピッチリと覆いつくしている。でも、手足を動かしてみても一切の違和感がない。つっぱりもしない。ツンツン触ってみてみても、感触は普通だ。鈍くなったりしてない。まるで私の肌そのものがこういう色に変化してしまったかのようだった。 とはいえ、肌の質感が変わっただけではない。大きな変化もあった。まずは胸。ひと回り大きくなっている。テカテカと光沢を放つ、凹凸のない曲面。そこには乳首がなかった。クリームの中に埋没したのだ。乳首を自然に覆い隠せる分だけ、胸が増量されている。それでも、別に巨乳ってほどのサイズでもない。 そして、股間だ。何にもない。本物の人形かマネキンのような、平坦な曲面。数分前まで私の股間にあった穴は、全て消え失せていた。クリームが埋め、上からしっかりとコーティングし、痕跡すら見当たらない。 (うぅ……) わかっていたこととはいえ、ちょっと悲しくなってしまった。乳首もあそこも存在しない、全年齢ボディ。樹脂のような質感を持った綺麗すぎる肌。まるで作り物のような肉体。いや、肉なのかもわからない。 看護士さんが持ってきてくれた鏡を見ると、私はうっすらと目を滲ませた。 (だ、だから嫌だったのにい……) まるで中学生……いや、ともすれば小学生にも見える幼い顔が、今にも泣きだしそうな情けない表情を浮かべている。もともと150センチという低身長な上童顔で、ただでさえ幼く見られがちだったのに。クリームのおかげでデフォルメチックになった私の顔は、どこかのアニメキャラ、それも「ロリ系キャラ」そのものだった。均一な肌色が染みも毛も皴も一切合切覆い隠したせいで、実際の歳より遥かに幼く見えてしまう。多分こうなるってわかってたから、クリームは嫌だったのに。 その上、髪の毛もまるでフィギュアの髪みたい。一本一本の毛が独立しているようには全く見えず、一塊のパーツのよう。でも触ってみると、サラサラとわかれる。鏡に映っている髪は、最初からこの形で作られた樹脂の塊にしか見えないのに、手の感触は普通に髪の毛……。現実と鏡の像が、まるで違う。この奇妙な感覚に慣れるには時間がかかりそう。 (伊藤さんは……大丈夫かな。ひかないかな……) まるっきり樹脂製のフィギュアのようになってしまった今の自分を、引き取り先の彼は気持ち悪がらずに受け入れてくれるだろうか。向こうからの要請なんだから、平気だろうとは思うけど……。それに受け入れ態勢はどうなってるんだろう。お風呂やトイレの世話はしたくないってことは、そんなに便宜は図ってくれないってことかな。いやその辺の世話は誰でも御免か、普通。机の隅っこにタオルでも敷いて、ずっとそこに座らされたり……。なんか箱の中に入れられたり? ペット用のゲージ……。 不安を胸に抱えながら、私は退院の日を待った。 「わあ……」 「どうかな? 気に入ってもらえたら嬉しいんだけど」 期待はしない。最悪の予想をして心を備えておく。そんな私の努力は必要なかった。伊藤さんが趣味で作っていたという大きなドールハウス。それに私を住まわせてくれるというのだ。見た目はファンシーなお菓子の家デザイン。屋根を外すと中に入れる。その中は現代風の子供部屋……女児部屋って感じの作りだった。全てがパステルカラーで彩られた可愛らしい部屋。ピンクの壁紙にふわふわのベッド、ランドセルがくっついた学習机。全てが十分の一サイズ。つまり、今の私にピッタリ。 「えっ、あの……本当にいいんですか? 私が……使っても」 「いいよいいよ。どうせ飾っとくだけだったんだし」 「あ……ありがとうございます……!」 私は深々とお辞儀して、心からの礼を言った。嬉しい。まさか、普通に部屋を……それも、自分に合ったサイズの家具までもらえるなんて、夢にも思わなかった。永遠に失われたはずだった人並みの生活がまたできるようになるなんて。……もっとも、成人女性の部屋にしてはアレだけど。ランドセルとかあるし、学習机だし、何もかもファンシーだし。可愛いけど。まあこれ以上を望むなんて贅沢だし、全く失礼なことだ。今はありがたくこのドールハウスを受け入れるべき。 それから互いに生活上の注意を交わした。危ないから、ドールハウスの外に出ない。うん、言われずともそうすべき。踏まれて死ぬのだけは御免だ。食事の時間、伊藤さんの帰宅時間等……。 「じゃ、またあとで」 天井が部屋に被さる。私はそれを眺めていたが、それは全く奇妙な光景だった。自分の十倍以上ある巨人が、屋根を手に取り、家に被せてくる。これが映画じゃなくて現実だっていうんだからすごいよ。でも向こうからしたらドールハウスに本物の小人を迎えたところか。それも映画だなぁ。 天井には、無骨な照明がくっつけられていた。それだけが周囲と馴染まず、無骨な作り。ぶっといコードが外に伸びている。元々、閉じたドールハウスに照明なんて必要ないから、これだけ後からつけたんだろうな。私のために。伊藤さんへの感謝の照れと申し訳なさで、私はちょっと居心地が悪かった。 私は夕食までの間、部屋の中を探索した。家具は全て私と同じスケール。本当にありがたい。椅子は本当に座れるし、ベッドも寝転がれる。机もあるけど、謎の時間割が貼ってあったり、ランドセルが下げてあったり、やっぱり小学生の部屋としてデザインされたのだということを強調している。なんだか恥ずかしいな。まあしょうがないけど。 部屋はこの一室だけで、廊下も何もない。窓もない。ドアはあるけど、開かない。というか、ただの壁だった。ドアの写真を印刷して、ドアノブをくっつけただけ。開きっこないね。じゃあ、出入りは天井を開け外しして取り出すしかないか。伊藤さんはさっき外に出ないようにって言ったけど、これ私一人じゃ出れないよね。 クローゼットを開けると、これがまた驚き。服がある。私サイズの。 (やだー、うそっ……) 私は感動してしばらくフリーズしてしまった。これから一生、お洒落なんて縁なきものと覚悟していたのに。一生、適当な布を巻いて生きていくんだって……。わざわざ私のために? ……いや、違う。これ人形の服だ。だいぶゴワゴワしてるし、撫でるとチクチクザラザラする。 (……) ひょっとしたら、この部屋には他に主がいたんだろうか。伊藤さんはドール趣味? そうじゃなきゃ、こんな部屋作らないよね。 (部屋とっちゃって、ゴメンねー) 実在したかもわからない、伊藤さんのドールに対し、私は心の中で謝った。 夕食はドールハウスから連れ出され、リビングのテーブルに座って食べた。パンのようなご飯粒を食べながら、私は改めて伊藤さんにお礼を述べて、雑談も交わした。案外早く打ち解けられそう。よかった。……しかし、自分に合ったスケールの部屋にいた分、ギャップがすごい。突如巨人の世界にやってきたかのように感じる。部屋みたいに広いテーブル。ビルのディスプレイみたいに大きなテレビ。床はめっちゃ遠い。柵のないビルの天井にいるみたいで、ちょっと落ち着かない。 食後、私はシリコンで型をとられた。何のためかは教えてくれなかった。当然、病院からもらった白ワンピを脱がなければならない。クリームを塗っているから本物の私の裸じゃないとはいえ、実質裸みたいなものだ。それを男性である伊藤さんに見られるのは相当恥ずかしかったが、ここまで色々と準備して引き取ってもらった手前、嫌とも言えず。 私は真っ赤になりながら、シリコンの気持ち悪い感触に耐えた。伊藤さんは謝ってはくれたものの、その実大して私の裸を意識していないことがハッキリわかって、それが辛かった。……そりゃ、こんなフィギュアみたいな質感の小人、人形にしか見えないかもだけど。ちょっとぐらい普通の反応してくれたって……。 私はもう、「人間の女性」ではないんだろうか。時空を共有していても、違う世界に生きる違う種族になってしまったんだろうか。ただ体が小さくなっただけなのに。 「おやすみ」 「おやすみなさい」 ドールハウスの明かりが落ち、新天地の初日は静かに終わりを迎えた。可愛い小物とパステルカラーで囲まれたキラキラの女児部屋。天井の無骨な照明。家具は私サイズでも、質感や作りの粗から、本当はとても小さいってことはすぐわかる。このベッドも。 (私、一生このままなのかな) 小さなフィギュアのような体で、ずっと外界と隔離されて生きるのだろうか。お洒落をすることも、遊びに行くことも、働くことも、結婚することも、トイレに行くことも、お風呂に入ることもなく……。 急に心細くなって、私は布団という名の布に顔を埋めた。泣きたい気分だけど、泣いたらきっと伊藤さんが気を悪くしてしまう。彼は本当にすごくよくしてくれた。多分、私は同じサイズまで縮んだ人たちの中では相当に恵まれているはずだ。泣く権利はない。みんなもっと苦労してるんだ……。 数日経つと、次第に新生活にも慣れてきた。伊藤さんとも不通に話せるようになってきたし、天井がガバッと外されて巨大な顔が現れても恐怖の表情を浮かべず済むようにになった。緊張がほぐれてくると、今まで気がつかなかったことにも気づくようになってくる。 退屈だ。やることがない。ドールハウスの中は何もない。机に置いてあるノートや小学校っぽい教科書は、板に表紙をプリントしただけの物体だし、スマホもテレビもパソコンもないし……。一日中、ピンクの部屋の中でゴロゴロするだけの時間が過ぎていく。楽っちゃ楽だけど、このままじゃ腐っちゃう。運動できるスペースもそうないし。何回か伊藤さんに相談しようとも思ったものの、切り出しづらかった。すでにここまでしてくれているのに、これ以上アレが欲しいそれが要ると要求するのは面の皮が厚すぎないだろうか……。そもそも、今の私に扱える状態で電子機器やら本やらを用意するのも大変だろうし……。 今日もパステルカラーの部屋の中で、私はベッドに寝転んでゴロゴロしていた。玩具もなー、キーホルダーから外したっぽいぬいぐるみぐらいしかないし……。いい歳してぬいぐるみで一人おままごとというわけにも……。 最初の改革はその日の夜起きた。夕食を終えても何故かドールハウスに戻されず、テーブルで待たされた。その後伊藤さんは「プレゼントがあるんです」と照れくさそうに笑いながら、ドールハウスのクローゼットを私の横に置いた。 開けてみると、そこには「服」があった。ドール用のゴワゴワした服じゃない。作りのしっかりした、滑らかな手触りのする、ちゃんとした服だった。 「えっ……えっ、これ……!?」 伊藤さんは視線を逸らし、頬を染めながら説明してくれた。人形にナノ繊維を吹き付けジャストフィットする服を作る装置がある。この前とった型を使って、私のために服をいくつか用意してくれたのだと。 「あ……ありがとうございます……。私その、なんて礼を言ったらいいか……」 彼は大きな人差し指で、優しく私の頬を撫でた。その固い指には身を預けたくなるような安心感があった。 それから夜までは、ちょっとしたファッションショーの時間だった。次々と私は彼のくれた服に着替えては、その姿を披露。「被った布」ではない、本物の服。普通サイズだったころの普通の服より、遥かに肌ざわりが心地よい。まるで皮膚みたいに馴染む。それでいて伸縮性があり、つっぱることなく動く。 「ど……どうですか?」 「うん、似合ってる。可愛いよ」 「そっ……そうですか」 久しく忘れていた種類の嬉しさと照れくささが、私の全身を火照らせた。楽しい。伊藤さんに可愛いと言ってもらえるたびに、孤独と疎外感が癒されていく。私は人間で、決して別の種族なんかではなかった。終いにはスマホで撮影会が始まり、私は言われるがままに色々ポーズをとってみせた。恥ずかしいけど、それ以上に楽しかった。最後にお洒落したのはいつだっただろう。発症前かな。最後に「着替えた」のは? 服と呼べるものを最後に着たのは? 当たり前でずっとそこにあると思っていたものが奪われてから数か月。こんな早くに、それが帰ってきてくれるだなんて、想像もしなかった。 翌日が休日ということも手伝い、気づけば撮影会は夜遅くまで続けられた。 私のために、ドールハウスに小さな鏡が設置された。小さいといっても、今の私にとっては姿見だ。一晩たって落ち着いてくると、昨日ノリノリでファッションショーを気取っていた自分が恥ずかしくって、中々伊藤さんの顔を直視できなかった。 (可愛いよ……可愛いけどさ……!) 鏡に映っている自分の姿。フリフリヒラヒラのアイドル衣装を身にまとっている。相当恥ずかしい。クローゼットの服は全部そういうのばかり。可愛い服なのは認めるけど、正直私の歳でこれは……こういうのは……キツイんじゃ……。薄目で鏡を凝視。でも、まだまだこういう服もいけるじゃんと思っちゃってる自分も確かにいる……。元々低身長に童顔だったのに加えて、クリームのおかげで均質に肌色一色に染め上げられた肌は、見た目の印象を極端に若返らせている。中学生設定のアニメキャラのフィギュア……そう説明されれば違和感ないよ。 (客観的に見ても……悪くはないんじゃ、ない? 大分幼……若く見えるし……こういう可愛い系の服も…… 可愛いって言ってくれたし……) (……っていやいやいや! 実際の歳考えて! こんな服着て得意気になってちゃダメでしょ! ましてや伊藤さん……仕事でも何度か一緒した人で、実年齢も知ってる相手なのに!) 相反する二つの気持ちに揺れながら、私は色々と服を着替え、鏡の前で色々試して過ごした。 その日の夕食は、できる限り地味に見える服を選んだつもりだったけど、世間一般に照らせば相当派手な服。それこそアニメの世界でしか見られないような「衣装」だった。恥ずかしさといたたまれなさに縮こまりながら、私は黙々と夕食を口に運んだ。 その後の雑談で案の定、私の服は全てアニメキャラのものだと判明。それも女児向けアイドルアニメの……。通りでキラッキラなわけだよ。しかし感激してノリノリで着てしまった手前、何も言えない……。フィギュア用の服を作る機械、服のデザインは出来合いのデータを使ったらしい。そりゃそうか。イチから自作なんてやってらんないよね。 「どれも花咲さんに似合うと思って」 (えっ) うっそー。私の歳知ってるはずなのに。というか普通サイズだった時に何度か会ってるのに。私、こういう服が好きそうとか思われてた? ちょっとショック……。まあどこいっても小動物ポジ押し付けられる容姿ではあったけど。 私はスカートから覗く自分の太腿を見つめた。樹脂みたいな質感の肌が、テカテカと光を反射している。今の私はフィギュアの見た目……。確かに、これじゃあ、いつもよりずっと子供っぽく見られてもしょうがないかも。自分でも思わず似合ってると思っちゃうくらいだ。 (まあいいか……誰に見せるわけでもなし。伊藤さん以外は) しかし女児向けアイドルアニメのコスプレをしているのかと思うと、そんな格好で伊藤さんと同じテーブルに座っているのが、何とも気恥ずかしく、申し訳なく思えた。 「いやー、気に入ってもらえてよかったです」 「あ……はは……ありがとうございます……」 (病院の白ワンピに戻ったら……ショックうけちゃうかな) 一切強制されたわけではないけど、その日から私はアイドル衣装を部屋着にすることを余儀なくされた。恥ずかしいし、痛々しいけど仕方ない。 (へーきへーき、見た目は似合って……ってもー! 染まっちゃダメ!) フィギュアみたいな肌のおかげで、アニメの世界から抜け出てきたみたいですっごい可愛いから無問題……なんて別に思ってないし! 伊藤さんの気を悪くしないようにしてるだけ! どこを向いてもピンクな女児部屋の中で、女児向けアイドルアニメのコスプレをして遊ぶ成人女性として生きる日々。ドールハウスの外に出るのは朝夕の食事時だけ。昼はハウスの中で一人飯。伊藤さんはほとんど毎日、私を可愛い可愛いと褒めて、優しく撫でまわす。私は自分でも驚くほどの早さで、彼に心を預けてしまうようになった。あの人に可愛いと言ってもらいたいし、クリクリと撫でてもらいたい。日中はずっとそんなことばっかり考えて、鏡の前で可愛く見える振舞いを研究してみちゃったり。我ながら呆れるほど単純な……。すっかりペット気分だ。 私が嫌がっていないどころか、嬉しがっているのが態度にも出てしまっているのか、スキンシップも次第に大胆になってきた。複数の巨大な指に全身をスリスリしてもらうわ、優しく握りしめてもらうわ、手のひらに乗って修介さんの巨大な顔にこっちからスリスリするわで、互いにやりたい放題だった。服装のこともあって死ぬほど恥ずかしいし照れてしまうのだけど、やめらんない。 修介さんが出張で数日帰らないってだけで、私は寂しくて泣いてしまいそうだった。 「じゃ、必要な食事は入れておいたはずだから、上から順に取り出して食べてね。何かあったら連絡して」 巨大な使い古しスマホと食料の容器で、ドールハウスは一気に手狭になった。僅かな空きスペースにも、机みたいにデカいアロマディフューザーがセットされ、いよいよベッドから降りることはほとんど不可能となった。kawaiiアロマ。プラシーボ効果で可愛くなれるという触れ込みで売っているらしいけど、その辺はどうでもいい。いい香りがドールハウス中に広がっていく。ほんのりと甘くいい気分。寂しくて心細かったのが嘘みたいに落ち着いてくる。 天井が閉じられ、私はドールハウスの中に閉じ込められた。修介さんが帰ってくるまで、私はずっとここから出られない。やっぱり寂しい。でもアロマのおかげか、それほど滅入ることはなかった。 (あっ、そうだ) せっかくスマホがあるんだから、久々に何か遊んでみよう。ニュースとか全然見てないし。今は何が流行ってるんだろう。期待に胸膨らませ、私は箪笥みたいに大きいスマホを叩いた。 「おかえりなさーい!」 外された天井と入れ替わりに現れた巨大な顔を、私はピョンピョン跳ねながら迎え入れた。 「ただいま。大丈夫でした?」 「うんっ!」 差し出された手のエレベーターに乗り、私は彼のほっぺたに全身を寄せた。安心する。 「……それでねっ、あのスマホ、できたらずっと置いといて欲しいのっ」 「……ふふっ」 「どうしたの?」 「いや、なんでも」 修介さんの笑みが持っている意味が、その時はよくわからなかった。まるで子猫でも見て癒されているかのような。そりゃー私は小さいしアイドル衣装なんか着ちゃってるけど、これまでと態度がどこか違う気がする。 「なーにー? 教えてよー」 「いや、可愛いなって」 「もー!」 自覚できたのは数日後だった。何気なくスマホで自分の動画を撮ってみた時、全身に怖気が走った。 (えっ……うそっ、誰これ……私!?) キンキンうるさいアニメボイスで、常にオーバーリアクションで振舞うぶりっ子が映りこんでいた。見間違い……スマホの故障……動画の取り違え……。なんでもない。私の今の姿だった。 (えっ、えっ、何で? 私そんな……) その時天井が外され、修介さんが顔を覗かせた。 「おやつ食べる?」 「食べるー!」 (!?) 私はあの動画と同じような甲高い声で意気揚々と返事して、大袈裟に両手を掲げてしまったのだ。 (いやっ、これは……その……) 羞恥で真っ赤になってプルプルと震えている間に、私は修介さんにテーブルまで運ばれた。 「いただきまぁーすっ」 (やめて!) 「うんっ、おいしーっ!」 私は普通な振舞いを心掛け、そうしようと努めた。が、何故か実際にはものすごくあざとい振舞いをしてしまう。まるで子供か、さもなければアニメのキャラのような。声もコントロールできない。何で今まで気づかなかったんだろう。いつの間にか自分がこんなわざとらしいアニメボイスで喋ってるだなんて。低く抑えようとしても、どうしても鼻にかかった声になってしまう。 修介さんは微笑ましそうに私を眺めている。や、やだ……。修介さんにぶりっ子だと思われるのはヤダ……。 「も、もうっ、違うのにっ」 否定しようにも、その否定すら子供っぽくなる。身振り手振りをつけてしまうし、一挙一動が芝居がかっていく。 「しゅ、修介さん、私、何か、体が変なの……」 やっとの思いでそういうと、突然彼が血相を変えて慌てた。どこか具合が悪いのか、病気なのか、救急車を……! と。 「あっちっ違くて! 私っ、そのぉっ……」 両腕をブンブン振り回しながら、私は彼を宥めた。いやだぁー、説明するの恥ずかしいよぉ……。体が勝手に……可愛く振舞っちゃう、なんて……。 原因は割と早くわかった。ドールハウスに設置していたkawaiiアロマが原因だろう、と修介さんは推測した。 「ごめん、薄めるべきだったね」 「いっ、いやっ、私のせいだよっ、私がずっと置いてほしいって言っちゃったんだもんっ」 (もんって何よ、もんって!) プラシーボで可愛くなれるというこのアロマ。普通ならそんなことはないのだけど、小さい私にとっては異常な高濃度だったに違いない。ましてやドールハウスという閉鎖空間では。想定を超えた高濃度のkawaiiガスを連日吸い続けた結果、私はいつの間にかあざといぶりっ子キャラにさせられてしまっていたのだ。 「わ、私、ずっとこのままなんですかぁ~?」 (もう、だからこの変な抑揚つけるのをやめて!) 「いや、しばらくしたら自然におさまるんじゃないかな……多分。しばらく様子見て、なおらなかったら病院行こう」 「ふえぇ~」 およそリアルじゃ聞いたことのないセリフが口から勝手に出た。涙腺も緩み、勝手に涙が出てくる。修介さんが慌ててフォローに入り、 「ま、まあ、こんなクルミちゃんもいいと思うよ、可愛くて」 と言いながら私の頭を撫でた。 (やだー、こんな子供っぽいの!) 知ってるんだから。ここ数日、修介さんの私を見る目が変わったことに。小さい子供、それどころか、子猫かハムスターみたいな接し方をするようになってきたことに! 「もうっ、こんな服着るんじゃなかったっ」 目が痛くなるようなパステルカラーで構成された女児服。キャラ物シャツ。フリルとリボン満載の少女趣味な衣装。最近彼が追加してくれた服だけど、そういう目で私を見ているってことでしょ? アロマが消えてだいぶ広くなったドールハウス。修介さんが外の部屋からも出ていく気配を確認してから、私は一人吠えた。 「修介さん鈍いんだもんっ、私もープンプンなんだからっ」 (プンプンて) 自分の言動を自分で恥じらいながら、私は少しでも大人っぽくなるよう、アイドル衣装に着替えた。 私は、私がなりたいのはペットなんかじゃない。もっと対等な目で見て欲しい。私がなりたいのは……恋人なのに。 早くアロマの洗脳が抜けて、成人女性っぽく振舞えるように戻りたいと願いつつ。ここ数日の可愛がりへの未練もムクムクと膨らんできた。すっごい可愛がってくれたな~、可愛い服を追加でこんなに用意してくれるくらい……。私を見て癒された顔してくれるのも悪くない……嬉しい……し……。 (ってダメダメ! 私はペットじゃないの! 人間なの!) 人間としてみて欲しいという願望、人形みたいに可愛がって欲しいという欲望の衝突に苛まれながら、私はドールハウスの中でのたうち回った。 でも、アロマがなくても同じ流れだったかもしれない……。ピンクの壁紙で囲まれた出口のない部屋。部屋の主はどうみても小学生を想定して作られている。日がな一日、食事以外はずーっとここに引きこもり、彼以外の誰とも接点を持たず、着られる服は全部可愛いものばかり。そして自分の容姿はロリっぽフィギュア。こんな環境で暮らしていたら、自然と精神が幼くなってしまったかもしれない……。 (修介さんも修介さんだよ、ひたすら私を猫かわいがりするだけなんだもん……) こんな生活じゃ、どんな凛々しい女性だってそのうち自然とぶりっ子化して……。 (……?) 脳裏に浮かんだ疑念。ひょっとして……ひょっとしたら修介さんがそういう風に誘導して……引き取った親族でもない成人女性を可愛らしいペットに洗脳するために……。いや、ないか。 (考えすぎだよねー) あの優しくて初心な修介さんが、そんなことを考えられるわけがない。私は自分を恥じつつも、夕食の時どんな風に甘えようかを考えた。

Comments

Anonymous

少しサスペンスな感じがしますが、素敵な物語です。エンディングもちょうどいい :)

opq

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