ハイスクールフェアリー2 (Pixiv Fanbox)
Published:
2020-08-15 12:09:36
Imported:
2023-05
Content
「お母さーん、ドア開けてー」
「はいはい」
「いってきまーす」
「いってらっしゃーい」
私は背中から生える羽をパタパタと動かし、静かに前へ進んだ。透き通るような色の蝶型の羽。私はこれをちょっと動かすだけで前後左右に自在に飛べる。物理的にありえないけど、そういうことになってしまっている。人と同じ目線に立つためには、私はこれで飛んでいなければならない。何故なら、今の私は慎重30センチぐらいしかない小人……いや、妖精にされてしまっているからだ。
(はぁ……)
私はため息をついた。ドアも自分で開けられないなんて、まったく情けない。高校生にもなって……。道行く人たちは、誰一人として道路を羽ばたく妖精に特別な反応を示さない。ありがたくもあり、困ってもいる。誰も私を助けてくれない。この世界で私以外、彼女の力を認識できる人はいないのだ。
高校につくと、レベッカが目を輝かせながら駆け寄ってきた。
「おはよー、陽子ちゃん!」
「おはよう……」
「昨日のこれー、チョー可愛かったよー!」
「……」
私は真っ赤になって突き付けられたスマホから目を逸らし、会話を打ち切って席に着いた。いや、机に降りた。椅子と机は普通のサイズだから、私は机の上で足を伸ばして座っているしかない。これも結構な辛さで、日々の活力を削いでいる。
「もー照れちゃってぇ」
巨大な顔が迫ってきた。て、照れてるわけじゃないし。そんな格好した自分の自撮りなんて人に見せられて、恥ずかしくない人なんかいないでしょ!
昨日の夜私が彼女に送った自撮り写真。日曜朝にやっている女児向けアニメのコスプレ衣装を着た私が変身ポーズを決めウィンクしている姿が映し出されている。死にたい。高校生にもなってプリガーごっこってだけでもキツイのに、それを他人に送らないといけないなんて。勿論、やりたくてやっているわけない。私はあんなアニメ幼稚園で卒業したし、コスプレ趣味もない。でも、毎晩レベッカに可愛い自撮りを送らなければ、私は元の人間に戻してもらえないから、仕方なくやっているだけ。別に気に入った衣装なんかあるわけないし、可愛く撮れて嬉しく思ったりなんかしてないし!
「ねえほらみんなコレ見てコレ~ぇ」
しかもレベッカときたら、私のコスプレ自撮りをクラス中に見せて回るんだから、たまったものじゃない。私は顔から火が出そうだった。妖精でいるだけでも恥ずかしいのに、そんな……。
「わー、かわいいー」「うわ懐かし、昔見てたわー」「羽鳥さん可愛いーっ」
あ、あんまり可愛い可愛い褒めないでよ。癖になったらどうするの。
まるで自分のペットか何かのような口ぶりで私を自慢するレベッカ。本当に元に戻してくれるんだろうか。もうそんな約束忘れてそう……。
教室をひとしきり回った後、レベッカが私の席に戻ってきた。芝居がかった悩み仕草をとりながら、眉を八の字にして私を見つめてきた。
「……なに?」
「うーん、ほらさあ、これでも十分可愛いんだけど、ちょっと頭が残念かなって」
頭が残念!? どういう……ああ。彼女がまた私の前にデデンと立てたスマホには、プリガー衣装でウィンクしている私の写真。よくもクラスでこんなものをみんなに……。うぅっ。とにかく、頭が残念の意味は、見ればすぐにわかった。このキャラは髪がピンク色で、長い長いポニーテールらしいのだけど、私の髪はいつも通り、黒のセミロングのままだ。衣装を着ただけのコスプレ。そりゃそうだ。小人用のウィッグなんて存在していないし、そんなものあってもつけたくない。大体、この衣装だってレベッカが魔法みたいな力で用意しただけで、断じて私の自前ではない。
「せいっ」
ポワンと乾いた発砲音が響き、私の視界が真っ白に染まった。
(うひゃっ)
あ、あいつ……また何かやったのね!? これはレベッカが自身の力で対象を変化させた時おこるやつ。煙が晴れると、目線はいつも通りだった。つまり、私は机上にペタンと座り込んだ30センチの妖精のままだった。期待はしていなかったけど、元に戻してはくれなかったらしい。感じるのは……頭が異常に重いということ。
「……な、何したの?」
恐る恐る尋ねると、レベッカがどこからともなく鏡を取り出し、私の前に置いた。
「……っ」
そこには、鮮やかなピンク色の髪をした妖精が映りこんでいた。背中まで伸び、肩より広がる大ボリューム。まるでアニメのキャラみたいだった。
「今日はこれで取り直してねっ」
「……ふ、ふざけないでよ、元に戻して」
冗談じゃない。こんな現実じゃありえない髪でずっと暮らせっていうの!? 恥ずかしくて表を飛べないよ。いや歩けないだ。……もう長いこと歩いてないけどさ。ただでさえ小さい妖精にされたことで軽くみられるというか、幼く見られがちなのに、これじゃあますますペット扱いが加速しそう。
「やなの? すっごい可愛いのにー」
「いやだって、普通じゃないでしょ、地毛がピンクなんて」
「大丈夫。『普通』だから、みんなには」
う、そうだった。レベッカと私以外には、そういうものとして認識されるんだった。
「じゃ、楽しみにしてるからねー」
ああダメだ。これじゃあ高校生活、ずっとピンクのままだ。下手すれば一生。とにかく食い下がらないと。
「いや、ほら、これ……ええと、ほら、首痛いの。重くて。これだと私……」
再びポンっと音がして、私は一瞬白い煙に包まれた。
「はい。どう?」
くそ。ホントに何でもありだこの子。さっきまでの重さはすっかり感じなくなっている。でも、大ボリュームの髪の感覚だけは今もバッチリ。手探ってみると、普通にある。ピンク色のドデカい髪が。必死に搾り出した理由が速攻で潰され、私は慌てた。次、次の理由を。
「いや、軽くてもホントに駄目なんだってば、これは」
「どうして?」
「ほ、ほら! 髪の手入れって大変でしょ!? ただでさえ小さくてそういうの難しいのに、こんな長……」
三度白い煙に包まれた。……あーもう無理。私、これからずっと、こんなアニメみたいな髪のままなんだ……。がっくり。
「ゴメンねー、私ったらついうっかり。でもこれで大丈夫ね!」
「……何が?」
「ほら、あなたがお人形になる時、体が綺麗になるようにしといたから。お風呂も入らなくっても大丈夫だし、お肌も髪も人形になればすーぐ艶々よ」
(……うえぇっ!?)
よりにもよって条件がそれ。とんでもないことになった。なお食い下がろうと立ち上がった時、手足の芯が硬化し始めた。
(あー!)
どうすることもできず、全身がすぐにカチンコチンに固まっていく。彼女が私に課した「生理現象」。私は不定期に体が人形と化し、動くことも喋ることもできなくなってしまう……。
「……」
あっという間に、私は指一本動かせなくなってしまった。うめき声一つ漏らせない。全身が石像のように固く、最初からこのポーズで成型されたフィギュアか何かのようだ。……このピンクの長大ロングじゃ、ますますフィギュアっぽく見えちゃうだろうな。
私が話せなくなってしまったので、レベッカは自分の席に戻っていった。ああもう。これで私の髪はピンク固定だ……。
すぐにチャイムが鳴り、ホームルームが始まった。その間も、私は机上で固まったまま動けず、死ぬほど居心地が悪かった。誰一人として、私が人形になったことに違和感を持ったり、心配したりしない。そういうもの、普通のこと、ありふれたことだと思われているのだ。
ようやく体が解凍されると、隣近所から「ふふっ、今日は長かったねー」と声を掛けられ、また私は真っ赤になって俯いてしまった。私が人形になってしまうことそのものは皆わかっているのに、異常だと誰も思わない。クラスメイトが妖精になっている時点で異常なんだけど。しかも恥ずかしいのは、レベッカが言うにはこれはトイレの代わりだという。今はお風呂もか。つまり私は、ホームルーム中に教室でおしっこしながらお風呂に……あーいやいやいや! 考えたくない。私は人形になっただけ! ……だけで片付けていい問題じゃないけど。
自分の家なのに、インターホンを押して帰ったことを告げなければならないのも物悲しい。いくら飛べても、30センチじゃ人に頼らなければ生きていけない。ノートもとれないし、勉強も碌にできやしない。本は重いしデカいし。
私は自室に入ってすぐ、サッサとアレを終わらせてしまおうと思い立った。制服を脱ぎ、クローゼットから昨日着たプリガーの衣装一式を取り出す。昨日は着けなかった頭のリボン。アホみたいに大きい白いリボン。現実じゃ幼児すらまずしないサイズ。これで髪を束ねてあげないといけない。はぁ……。
全身着込んで鏡の前に立つと、結構それっぽくて驚いた。私の体にジャストフィットするドレスとブーツ、手袋。フリルとリボン満載でピンク中心なので、ものすごく子供っぽくて恥ずかしい。それに加え、今は……。大きな白いリボンで束ねられた長い長いピンクのポニーテールがたなびく。本当にこのキャラクターそっくりに仕上げられちゃってる。ただ着ただけなのに。これじゃ本気でコスプレやってる人みたいじゃん……。真っ赤になってしばらくのたうち回ったあと、自撮りのためのポージングと構図を模索。昨日やったばかりなので、ポーズ覚えちゃってるのが悔しい。昨日と同じように変身完了時の決めポーズでウィンクすることにした。プリガーに詳しいとは絶対思われたくない。
写真の仕上がりを確認。髪がピンクの長いポニテになっただけで、印象がまるっきり違った。本当にこのキャラのフィギュアみたいにも思えちゃう。このままカチンコチンに固まったら本当にそうだろうな。……お母さんが来る前に終わらせよう。
レベッカに送信すると、すぐに返事が来た。お決まりの可愛い連呼に加え、昨日と違うのも撮って、という要求。
(くそー)
ただでさえ記録に残したくない恥ずい格好なのに、それをもっとやらないといけないなんて。誰かがコスプレ自撮りで埋まる私のスマホを覗いたら、ノリノリにしか見えないはずだ。それが何より悔しい。嫌々やってるのに。……まあ、皆に可愛い可愛いって言ってもらえるのは恥ずかしいばかりでもないけど……いやいや、レベッカのせいでおかしくなってるだけで、十分恥ずかしいことだよ! 恥ずかしさしかないよ! コスプレ自撮りがクラス中に出回ってるなんて本当なら引きこもりモノなんだから!
その後もプリガーのまま色々なポーズや構図で撮影し、特に可愛く撮れたと思えたものをレベッカに送信。彼女が満足してくれたら、ようやくくだらない日課から解放される。
「はぁ~っ」
大きく息を吐き、小さなベッドに横たわろうとした時。……また来た。アレが。
体が芯から固まっていき、私は正真正銘のフィギュアになってしまった。早く脱ぎたいのにぃ。タイミング悪く、部屋に足音が近づいてきた。
(わーっ、は、早く! 早く元に戻って!)
願い空しく、髪先からつま先まで、全てをばっちりプリガーに決めた姿を、私はお母さんに目撃されてしまった。……家族に見られるのも別種の死にたさがある……。
翌日。支度を終えた私は、いつになくお母さんにジロジロと見られているのに気づいた。
「ん? 何? なんか変?」
「陽子、あなた……その格好で学校行くの?」
「えっ?」
耳を疑った。今まで娘が縮もうが妖精になろうがピンク髪になろうが一切反応しなかったお母さんが。ひょっとしてレベッカの改変から抜け出してくれたの!?
「ちゃんと制服着なさい」
「……?」
降ってわいた希望は困惑に取って代わられた。自分の格好を見直してみても、いつもの制服をちゃんと着ている。まあ、背中の羽と長いピンクの髪はおかしいけど。しかし、お母さんは羽と髪には一切言及せず、服のことばかり。
「ちゃんと着てるけど、制服だよ」
「あーもう。来なさい!」
お母さんに凄まれ、思わず目をつぶって縮こまってしまった。小人にされて以来、本能的に他人に逆らいづらくなっているのを感じる。スケール差っていうのはどうにも覆しがたい絶対的なファクターなんだということを日々痛感させられてしまう。
(はぁ……早く元に戻りたいな)
ふよふよと浮かびながら、私はお母さんの後をついて自分の部屋に戻った。一体なんなの? 昨日今日で制服が変わる訳じゃなし。……いやひょっとして、レベッカがまた何かした?
お母さんは私のコスプレ衣装がみっちり詰まったクローゼットを指して言った。
「あなたの制服はあれでしょ。しっかりしてよ、もう高校生でしょ」
私は茫然と立ち尽くし……いや、浮かび尽くした。わからない。今お母さんが何を言ったのか。
「……は?」
閉じられないクローゼットからは、昨日着た後強引に押し込んだプリガー衣装が露出している。その前に着たチア衣装も。お母さんの顔は真剣そのもの……というか、心底呆れたといった風で、ふざけている雰囲気は微塵もない。マジだ。大真面目に、あのコスプレ衣装群が私の制服だと……そう言った、の!?
「いやっ、それは、レベッカの……コスプレ衣装だよ? 制服じゃないよ? 制服は、コレ」
私は自分を指してそう言った。返ってきた答えは悲惨だった。
「馬鹿おっしゃい。それは他の人の制服でしょ」
いや、みんな同じだから制服なんでしょ。でももう、反論する気は起きなかった。どうせレベッカの仕業に決まってる。お母さんに文句言ったってしょうがない。悲しいけど……。
「いーよもう。私学校行くから」
「こら! そんな格好で行ったらみんなに笑われるわよ! ちゃんと可愛いコスプレ着ていきなさい!」
ギャグマンガか何かのようなセリフがお母さんの口から飛び出したことに私は衝撃を受けた。崩壊していく常識に絶望しながら、必死こいて窓を開け、文字通り家から飛び出した。付き合ってらんないよ。馬鹿馬鹿しい……。そのおかしな格好とやらでつい昨日まで普通に学校行ってたってのにさ。
とにかくレベッカだ。やり過ぎだよ。今度という今度は……。
だが、彼女に会って文句を言う。そのささやかな願いは終ぞ敵わなかった。高校に近づき、他の生徒たちが道に増えるにつれて、空気がおかしくなっていく。誰もが私を見て、ギョッとしたり、ひそひそ話したり、まるでおかしな人間を見てしまったかのような態度を取り始めたのだ。
(な……なんなの、一体!?)
昨日まで誰も私の変化に取り合わなかったくせに! 私のどこがおかしいっていうの!? いやまあ全部おかしいけどさ、それでも……。
非難と困惑の視線が、徐々に私を刺し始める。なんだか、本当に悪いことを……まるで派手な私服で高校に来ているかのような気分にさせられてきて、足取り……いや羽どりが重くなっていく。気がつけば高度が下がり、みんなの腰ぐらいの辺りを飛んでいた。
間の悪いことに校門で抜き打ち検査が実施されており、私はそれに捕まった。
「なんだ羽鳥、その服は!」
「……制服、です……」
怖い。巨人に怒鳴られると、本当に怖くて震えちゃう。
「馬鹿言うな! 家に帰って着替えてこい!」
そ、そんな……。嘘でしょ……。
「着替えるって、何に……」
「ああ? 制服に決まってるだろ!」
本当に、本気で、みんなが、学校中の……いや、世界全てが、そう思ってるの? 私の制服は……可愛いコスプレ衣装、だって……。
追い出されてしまった私は、すごすごと家に引き返した。強引に突破する気力もなかった。通り過ぎていく生徒全員が「え、なに? 羽鳥さんマジ?」「反抗期!」「やるぅ~」「意外~」などと囃し立てたり、驚きの眼差しを向けて来たりするからだ。私はすっかり、新しい世界の常識に屈服させられてしまった。極めつけは、ピンクの束ねていない特大ロングの髪に一切突っ込まれない横で、束ねていない黒髪の子、染めてきた男子がとっ捕まっているのを見たせいだ。論理も常識もあったもんじゃない。
いいようのない無力感と敗北感に打ちひしがれながら、私は家でメイド服に着替えた。せめて大人しいロングのやつならまだしも、フリルとリボンが多いミニスカのやつだから、ますます恥ずかしい。いかにもコスプレって感じがしてしまう。お母さんが「それ見なさい」とか言ってくるのも辛かった。
半ばヤケクソ、当てつけで、私は大きな白いリボンでツインテールにしてやった。高校生にもなんてツインテで学校行くことになるとはね……。
生徒が巨大なリボンでピンクの髪をツインテにしたうえ、白のニーハイソックスと長手袋を嵌めたミニスカメイドで登校してきたら、普通は……そういう時にこそ、さっきのようなやり取りになるべきだ。でも……。
「よしよし、着替えてきたな。もうホームルーム始まってるぞ、急げ。ああ話は通してやったから、別に心配せんでいいぞ」
「はい……」
コレだよ。このイカれた格好で頭髪検査も服装検査もパスだなんて、世の中狂ってる。本当に狂わされてるんだけどね……。
教室では、やはりレベッカの歓待が待っていた。私が席に着くなり駆け寄って撮りまくり、指であちこち撫でまわす。
「おはよー! やーん、チョー可愛い!」
「あの……。何で、私の制服、変えちゃったの?」
「だってー、陽子ちゃんの自撮り、本当に可愛いんだもん。実物見たくなっちゃった」
は、はぁ? それだけ? そんな理由で、私に……こんなとんでもない羞恥プレイを強要させたの!? 私がどんな惨めな思いで着替えに帰ったか、その後どんだけ恥ずかしい思いで道を飛ばないといけなかったか、わからないの!?
「ふざけ……」
私が口を開いた瞬間、他の子たちも割って入ってきた。
「ねえねえ、さっきすごかったじゃん」「羽鳥さんがねー、ちょっと意外だったかもー」
あああ。私はただ、本当の制服を着てきただけなのに、マスコット枠の子がちょっとグレてみせたみたいな扱いになってる。
「やっぱ羽鳥さんはいつもの方がいいよ」「うんうん、可愛いよねー」
みんな私がツインテメイドであること自体は認識できているのに、それが普通だと、「制服」だと思っている。その歪な認識が私の常識を揺らしつつ羞恥心を煽ってくる。今すぐこの場から消えてしまいたい。私は何も話すことができず、耳まで真っ赤に染めて俯いてしまった。
「ほらー、みんなもこっちの方がいいって」
レベッカが呑気にそんなことを言うので、耐えきれなくなった私は思わず顔を上げた。だが、やっぱり、文句を言うことは叶わなかった。
「あ……! ぅ……」
一限目開始のチャイムと同時に、全身が硬化していく。皆席に帰っていく。私は一人、ピンク色の髪をしたツインテミニスカメイドフィギュアに身を落としてしまった。いつもの通り、指一本動かせない。
(や、やだぁ……)
授業が始まっている中、こんな格好で机上に突っ立っている私は、まるで晒し者だった。しかし誰も気にする素振りを見せず、昨日と変わらない時間が過ぎていく。
やっと動けるようになっても、力なくその場に座り込むだけ。レベッカの方を見ると、「よかったわね!」とでも言いたげなニッコニコの笑みを浮かべている。
(い、いつまでこんな……あの子の滅茶苦茶な遊びに付き合わされなきゃいけないの!?)
妖精にされてしまっただけでなく、今日からは可愛いコスプレで学校に来ないといけないことになってしまった。そしてそれをおかしいと思っているのは、世界に私一人だけ。こんな異常な生活が一体いつまで続くんだろう? 卒業までずっとコスプレ妖精のまま?
昼休みも放課後も、レベッカに詰め寄っても話が成立しなかった。私を自分のペットだか妹みたいに扱ってくる。
「いいから元に戻してよ! もう十分でしょ!?」
「んもう、満更じゃないくせにぃ」
スマホで私の自撮りを見せつけながら頭を撫でてくる。駄目。この写真見せられちゃうとひるんじゃう……。突然突き付けられると、思わず客観的に見てしまう。ノリノリでコスしてるようにしか見えない自分を。
「それはっ……あなたが、そうしたら元に戻してくれるからって……」
「とか何とか言っちゃってぇ。ホントは嬉しいんでしょ?」
「嬉しくない!」
冗談じゃない。妖精にされて自撮り強要された上、これからコスプレして学校来ないといけないなんて。本当に末代までの伝説的な恥だよ。ていうかこのままじゃ私で末代じゃん。こんな体じゃ彼氏も作れない。私だって、高校生になったら色々そういうの……憧れてもいたのに。
説得ができなければどうする? こうなったら実力行使しかない。でも今の私は突然人形になっちゃう非力な妖精だし、第一何でもありのレベッカに対抗できるものなんて……。
「あ、そうだ。自撮りもちゃんと続けて送ってよね~。生で可愛いの見れるようになったけど、それはそれ、別腹だからぁ」
(はああぁぁ!?)
ま、まだ可愛くして自撮りしないといけないの!? その格好で高校来てやったら十分でしょ。私はあなたの着せ替え人形じゃない。
その日、私は初めて自撮りを送らなかった。代わりに、元に戻してくれなければもう送らない、というメッセージを送信。もう知るもんか。どうにでもなっちゃえ。
「そんな意地悪言わないでよー」「ねーお願いー」みたいな返信が何通も届いたが、私は全て既読無視して、返事をしなかった。
翌日の土曜日。目が覚めたらレベッカの鳥籠ではないか……と怯えていたものの、私の部屋のベッドだった。良かった……。と思ったのも束の間、すぐに新着が届いた。……ひょっとして私の暮らし覗いてたりするの? あいつ。
今日、遊びに来るらしい。うぇ。怖いな。何されるかわかったもんじゃない。私をペットだったことに改変してしまうか、或いは私の意志に反して自撮りする体に改造してしまうか……。想像するだけで胃が痛くなってきた。ホント、なんでこんなおっそろしい奴に捕まっちゃったんだろ。耐性なんてなければよかった。
レベッカは相変わらずの魔女スタイルでウチにやってきた。正直招き入れたくないけど、どうしようもない。彼女は遠慮など微塵も見せず、ズカズカと私の部屋に上がり込み、言った。
「ゲームしよ! ゲーム!」
「何で?」
「友達でしょー。遊ぼうよー」
あなたと友達になった覚えないんだけど。そんな風に思った私の感情が顔に出たらしい。彼女は
「んもー、機嫌直してよー」
とこぼした。やっぱり、本気で嫌がってるって伝わってない。それともわかっててわかってないフリしてるのか。どっちだろう。このおちゃらけた様子じゃ判断つかない。
「そもそも、何のゲームやるの? 私、このままじゃ何にもできな」
「トランプ! ババ抜きしよ!」
「……ババ抜き? 二人で?」
「うん!」
トランプ、今の私には大きすぎて手に持てないんだけど。大体、なんで恥をかかずに済む貴重な休日をレベッカと過ごさないといけないの。まだやるなんて言ってないのに。彼女は心底楽しそうに微笑みながら、いそいそと準備を始めた。やらないって言っても無駄なんだろうな。
「ただやるだけじゃつまんないからー、賭けをしよっか!」
「何を?」
仕方なく、私は彼女の対面に降りた。早く満足させて帰ってもらおう。
「んー、そうねえー」
いつものわざとらしい口調と大袈裟に悩むふり。その後、彼女は得意げに提案した。
「陽子ちゃんが勝ったら、元に戻したげる!」
「えっ!?」
私は仰天した。こんなハッキリと元に戻すと彼女が明言したのは多分……初めてだ。コス自撮りの時はかなり曖昧な言い方だったのに。
「でもー、私が勝ったらなにか追加ね」
何かってなにさ。……いや訊くまでもないか。妙な変化をまたかけるってことだよね。……今度はどうされるの? コスプレ自撮り送らないと人形化するとか?
私の返事を待たずして、彼女はトランプを配り始めた。えっと……ど、どうしよう。やるべきか……な。元に戻れるチャンスだ。でも……「やっぱやーめた」とかもありそうだし……。負けたら確実に変な魔法かけられるだろうし。
「ね、ねえ」
「?」
「私が勝ったら、本当に元に戻してくれるの?」
「うん。一勝につき一つね」
全部じゃないのか……。でも髪とか制服の件とかが戻るだけでも随分楽になる。でも勝った時の話で……。負けたら……。そもそもレベッカがインチキするかもしれないし……。
「ほらほら早くー」
が、悩む私をよそに、既にカードは配られていた。やらないと言ってもきかないんだろうな。観念して大きなトランプに触れると、瞬時に縮み、私の手に馴染むサイズに変化した。
「ひゃっ!?」
「あはっ、驚いた驚いたー」
やっぱり、レベッカは私の反応を見て楽しんでいる。私はあなたの玩具じゃないんだからね。とはいえ、ピンク髪の妖精じゃどんな文句を言おうと迫力が出ない。それも毎晩可愛いコスプレして自撮りを送り続けてきた相手となれば尚更だ……。
なし崩し的に、私とレベッカの勝負が始まった。もーこうなったら勝つしかない。勝って、元に戻ってやる。
「あちゃー、負けちゃったー」
私は震えた。意外にもレベッカはまともにババ抜きをやり、そして……私が勝ったのだ。
(勝った……? ほんとに? 元に戻れる?)
夢じゃないだろうか。私は言葉も出ず、無言のままレベッカを見つめた。すると
「はい、じゃあ陽子ちゃん」
ポン、と乾いた発砲音が響き、視界が煙に包まれた。晴れた時には……目線は元通り。以前、私はレベッカを見上げなければならなかった。
「……えと」
「髪」
私が自分の髪に手を伸ばすと、なかった。短い。あのアニメ世界みたいな特大ロングではなくなっている。これはまさか……!?
本当に元に戻っていた。私は元の常識的な、黒い髪の持ち主に戻っていた。
「やったーっ!」
嬉しさのあまり、私は両手を挙げて跳ねまわり、レベッカの周りをブンブン飛び回り、
「ありがとー!」
と叫んだ。その後、一瞬冷静な自分が(いや、そもそもコイツのせいじゃん、なんでお礼言わなくちゃいけないのさ)と囁いたが……それでも、髪だけであっても、元に戻してもらえたという喜びが大きく、その囁きは露と消えた。
「もー、そんな喜ぶことないでしょー。可愛くしてあげてたのにー」
「あはは、ごめんごめん」
なんで私が謝っているんだろう……いやとにかく、ここで機嫌を損ねたら元の木阿弥だから、それでいいんだ。
「じゃー次は神経衰弱ね!」
「えっ、まだやるの?」
「当たり前でしょー、まだお昼にもなってないのにぃ」
あら、まだそんな時間か。
「今度は負けないからねー」
手でシャッフルを始めた彼女に、私は気になっていたことを尋ねた。
「……それで私が勝ったら? また元に戻してくれるの?」
「だからそう言ってるでしょー。やらないの?」
「やる! やるから!」
千載一遇の大チャンス。やらない手はない。本当に元に戻してくれると分かった以上。
(……よーし!)
私は気合を入れて、散らばっていくトランプを睨みつけた。
「やりぃ~、私の勝ちぃ~」
「……」
あう……そんな。レベッカは案外記憶力が良いらしい。……ホントに? インチキしてないよね?
「はいじゃあ、ポンっと」
再び彼女の力をかけられ、私の髪は特大ロングのピンク色になってしまった。
「あぅ……」
ああ……短い春だった。振出しだ。せっかく元に戻れたのに……。その時、お母さんが部屋に入ってきた。お昼の時間だ。
「レベッカちゃんも食べてくでしょ?」
「はいーっ」
図々しいな。お母さんもお母さんだよ、娘をコスプレ妖精に変えちゃった張本人なのに。もう……。
午後も勝負は続いた。七並べで勝った私は再び黒髪に戻り、続けて大富豪も勝った私は、コスプレ登校の呪いも解かれた。そんなこんなで、私は色々なゲームをレベッカと二人でやりまくった。結果……。振出しに戻ってしまった。一進一退の勝敗が続き、結局ピンク髪、コスプレ呪いも復活。既に午後六時をまわり、今やっている双六が最後のゲームとなった。ここで勝って、何とかコスプレ呪いだけでも解いた状態で終わらせたい。
「ゴーォル!」
「そんなぁ……」
が、奮戦空しく勝者はレベッカだった。うう……最悪。結局、全然元に戻れなかった……。
「いやー、今日は楽しかったねー、ね、陽子ちゃん」
「最悪だよ……」
「もー、そんなこと言わないのー。せいっ」
再び私は真っ白な煙に覆われた。
「へっ?」
私は驚いた。もう呪い全部かかってる状態なのに、これ以上何を……あ。私は最初の説明を思い出した。追加された。何か変なものをまた!
「ちょ、ちょっと! ヨーコに何したの! ……っ」
一瞬の沈黙の後、レベッカは大笑いし、私は真っ赤になって俯いた。う、嘘でしょそんな。今、私は確かに……私のことを、私って、そう発音したはずなのに。
「ね、ね、もっかい言ってみて」
「ふ、ふざけないで! 元に戻してよ!」
「何を~?」
「だからっ……これ!」
「んも~、ちゃんと言ってくれないとわかんないでしょ~」
「……ヨーコが、ヨーコのこと、ヨーコって言っちゃうの……」
「キャー、可愛いー!」
レベッカが身をよじって悶える中、私はあまりの惨めさに拳をギュッと握りしめて涙した。まさか高校生にもなって、一人称を下の名前にされるなんて……。これじゃあ恥ずかしくてまともに人と話せないよ……。
ゲームに負けたという負い目から、私はそれ以上食い下がることができず、黙って玄関まで彼女を見送ることしかできなかった。
「うーん、今日はホント楽しかったわ! また遊ぼうね、陽子ちゃんっ」
私は無言で顔を背けた。
「やだもー、拗ねちゃって」
レベッカは最後までにこやかに笑いながら、我が家を後にした。
(はぁ……)
ホント最悪。貴重な休日を潰して、結局収支マイナス。大敗北だよ。まさかこれから一生、私、自分のことヨーコって言わされるわけ?
「よ……ヨーコ」
何度も「私」と発音しようとしても、喉が勝手に「ヨーコ」に変換してしまう。どうにもならない。無理。恥ずかしすぎて死んじゃう。ただでさえ妖精になってる分、幼い印象を与えているのに、一人称が自分の名前じゃ、ますます幼児みたいになっちゃうじゃん……。
その後、レベッカから自撮りの催促が来たので、私はこう返信した。
「私の一人称元に戻してくれるまでヤダ」
が、実際には
「ヨーコの一人称元に戻してくれるまでヤダ」
という文章が現れた。送ってから気づいた私は慌てた。
(あれっ? うそ、私はちゃんと私って……)
まさか。まさかまさか。筆記でも!? 文章でも私、自分のことヨーコって書かされちゃうの!?
その後十数分、大きなスマホと格闘したが、私はあらゆる局面で、一人称を下の名前にされてしまうらしかった。レベッカからの返事はなく、既読がついただけだった。今頃画面の向こうでまた「可愛いー」とか言いながら笑っているのだろうか。ありありと想像できる。
(はぁ……)
一体、いつになったら私は元の、普通の女子高生に戻れるんだろう。ハッキリしているのは、レベッカが私を元に戻してくれるまではずっとこのままだってこと……。妖精としての高校生活はまだまだ続いてしまうらしい……。