フィギュア遺伝子② (Pixiv Fanbox)
Published:
2020-08-04 11:24:44
Imported:
2023-05
Content
あの重役はもうじき誕生日らしい。彼女の立てた潜入計画は、そのプレゼントの中に私を混ぜ込むというもの。それもなんと、フィギュアとしてだ。
(ええーっ!?)
私は驚き、全力で首を横に振った。冗談じゃない。あいつのフィギュアになるだなんて! あいつのせいで私はこんな惨めな体にされたっていうのに、あいつの玩具になれっていうの!? 絶対に嫌だ。
だが喋れない私は、細かい理由を述べることなどできず、大袈裟なジェスチャーで拒否の意思を示すことしかできない。それがまるで幼児の癇癪みたいで、我ながら嫌になる。
彼女も、30センチの小人がプンスカしている様子なんて真剣に受け止められないらしく、説明を続けた。あいつはああ見えてフィギュア好きで、特に今あるアイドルアニメにハマっているから、そのキャラに扮してフィギュアのフリをすれば、多分仕事場に飾ってもらえる。隙を見て証拠を集めて逃げれば上手くいく……と。こんな体にされてしまったことを逆に武器にしてやるのだ、とも。
(い、いや……無理でしょ。パントマイマーじゃあるまいし、ずっとフィギュアのフリなんて……。第一、私はもうあいつに今の姿を見られてて……)
私がフィギュアの紛争をしてあいつの手元に行った時、バレたら一体どんな目に遭うか……。軽く想像しただけでも恥ずかしいのと情けないのとで死にたくなってくる。
「不安なのはわかりますけど、大丈夫。この半月で完璧なプランを考えてきたんですから」
彼女は自信満々。というかさっきから私の返答聞いてないけど、私の意志はプランに入っていないんだろうか。
「じゃあまずはお試しってことで……これ飲んでみてください」
彼女が鞄から取り出したのは、ペット用の遺伝子染色剤。体毛をピンク色に変えるやつ。私は激怒した。
(ふざけないでください! これ以上私を滅茶苦茶にする気ですか!)
しかしやはり、30センチで声が出ないのでは今一つ真剣さが伝わらない。子供の察してアピールみたいにせざるを得ないし、そのせいで本気じゃないような空気が出てしまう……。
「ペット用の市販品は、二週間以内なら遺伝子洗浄剤で戻せますから」
(へっ!?)
何それ!? 初めて聞いたよそんな話。治せるの? 元に戻せるんだ。へー……。って、ちょっと待ってよ、だったら私のこれ……声が出ないのも乳首消えたのも治せたんじゃないのぉ!? なんでもっと早く言ってくれなかったのよ!
しかしあれらの施術から既に二週間以上経過している。もう治せない……。私の遺伝子は既に安定してしまっている。取返しがつくかもしれなかったのに、その時間を無為にボーっと過ごしていた自分の間抜けさに腹が立つやら、情けないやらで、私は泣いてしまった。
半ばやけくそで、私は体毛染色剤を飲んだ。これはただの髪染めとは違う。遺伝子を書き換えるんだから。地毛そのものの色が変わるのだ。
「じゃ、三日後にまた来ますから」
(私、何も言ってないんだけどなあ)
染色剤を飲んだことで、作戦全てを引き受けてもらえた勘違いしたのか、彼女は満足げな笑みを浮かべていた。
三日後、私は鏡に映る自分の姿に驚いた。アニメキャラのように鮮やかなピンク色に染まった髪。フィギュアみたいな質感の肌を相まって、本当にフィギュアに見えてしまうし、顔の印象も大きく異なっている。現実には中々見ない色だからこそ、強く影響するのかもしれない。
(確かに……これなら……)
ノーメイクでここまで印象が変わるなら、本格的にやれば確かにバレないかもしれない。ただのフィギュアだと思ってもらえるかも。と思ったところで、ちょっと胸が痛んだ。
(私……フィギュアじゃないのに)
というか、仮に見た目がフィギュアになれても、フィギュアが動いたら変だよね。ずっと同じポーズや表情を保ち続けるなんて早々できっこない。あの人、その辺はどうするつもりなんだろう。
約束通り訪ねてきた看護師さんは、私を可愛いー、似合ってますよー、とまるでペットか幼児みたいに撫でまわしてから、詳細な潜入計画について話し始めた。
パントマイムに関しては、これもある遺伝子染色で対応する。天敵対策に体を硬化させる動物から作った試作があり、それを服用すれば天敵……自分より大きな動物、つまり私にとっては普通の人間の前で体を固くする能力を得られるから、ポーズを維持するのが楽になるだろう、という提案。
(へー、そんなのがあるんだ)
でもそれ大丈夫? ずっと固まったままだったりしない?
「固まるっていっても、別に石になる訳じゃありませんから大丈夫ですよ。動けますって」
また、フィギュアに変装するための手順。増毛遺伝子、瞳の色を変える遺伝子、そして対象のフィギュアにジャストフィットするサイズで衣装を作ってくれる装置……。
(ま、まだ遺伝子を弄られるの!?)
そんなもの体にいれまくって本当に大丈夫なの? 洗浄で元に戻るの?
どうにも不安だった私は、先だって遺伝子洗浄剤を飲ませてもらった。三日もすると、私の髪は元通りの黒色に変化した。ただ、声は出るようにならなかった。やっぱり二週間の壁か……。
元に戻せる。それが本当だとわかると、大分心理的な抵抗が薄れた。でも逆に言うと、二週間したら戻せなくなるわけで……。一生ピンクの髪だったらどうしよう。
「まあ、髪は遺伝子定着しても、後からいくらでも変えられますから。黒色にする染色剤もありますし……」
それなら安心かな。でも、硬化の方はどうだろう。体を動かしづらくなるのは困るけど。
「まあ、二週間もかかりませんよ。これ見てください」
円形の白い台座。フィギュアに扮した私が乗る台。やな感じ……。自分が人間じゃないことを認めるみたいで。その中には端子が仕込んであって、特殊な操作でニョキっと出てくる。これを重役たちのパソコンにつないで、証拠を集めるのが任務。検知されないように対策もバッチリ、らしい。
こうして目の前に色々だされてくると、次第に計画が現実味を帯びてくるように思われた。上手くいくかもしれない。二週間もあれば余裕をもって証拠を集めたうえで逃げ出せるだろう。
それにやっぱり、このまま引っ込んだんじゃ負け犬のままだ。一生、飲み食いもお喋りもできない小人として生きていくのか。だったらそれを逆に利用してやり、奴らに目にもの見せてやれれば……。奴らへの憎悪が再び燃え上がった私は計画に乗った。
ターゲットの誕生日も近いので、私たちはすぐに準備に取り掛かった。増毛遺伝子とピンク髪の遺伝子を取り込んだ私の髪は、腰まで広がる鮮やかなピンクの髪に変身。アニメキャラそのものだ。続けて受けるのは衣装の生成。事前にキャラの絵を見せてもらったが、自分がこれのコスプレをしてあいつの前に出ないといけないのかと思うと、恥辱で震える。が、仕方がない。
円柱状の容器の中に入り、看護師さんが機械のスイッチを入れる。私は目を閉じた。四方八方から霧が噴射され、私の全身を覆っていく。ナノ繊維が私の全身に貼りつき、次第に衣装を形作る。噴射が終わり、容器から出た私は、白と淡いピンクを中心にしたヒラヒラのミニスカドレス姿となっていた。ナノ繊維で作られたフィギュア用の衣装は、布ではなく樹脂の質感を持っている。おかげで最初からこの形で造形されたようにしか見えない。体と完璧にフィットしくっついていて、脱がせない。慰み者にされることもなさそうだ。
(うわー……)
頭にはリボンカチューシャものっかり、あのアニメキャラと瓜二つ。しかもナノ繊維のおかげで、肌や髪にテカテカとした光沢も生まれて、まごうことなきフィギュアの質感になっていた。最後に瞳をピンクにする遺伝子を入れ、私は完全にアイドルアニメのキャラクターを再現したフィギュアと化した。
「キャー可愛い! すごーい!」
看護師さんはたっぷり私を撮影した後、台座とくっつくようセッティングした。一見何もないようにみえるが、マジックテープ程度の粘着力でくっつくように仕込まれている。普通に外れることは恐らくないし、捜査の際には自分で外せる程度。ピッタリだ。
最終日。誕生日に届かせるには今日私を「梱包」して送り出さなければならない。天敵の気配を察して全身を硬化させる遺伝子染色剤を飲んだ後、看護師さんが言った。
「あのね、私、これもいれたらいいと思うの」
(え? まだ何かあるの? このタイミングで?)
今更引き返せないし、もめる時間もないので、私は説明を聞く前に大人しく飲んだ。
「それはね、あざと遺伝子っていうの」
(は!?)
これもペット用の遺伝子染色剤で、人に見られている間の行動を可愛くするものらしい。
(な、なんでそんなもの飲ませるの? 動いちゃいけないのに)
「昨日、ハムスターで上手くいったから、きっと花咲ちゃんでも上手くいくわ。いちいちポーズとるのも大変でしょう? それがあれば自動的に可愛くポージングしてくれるようになるはずよ」
(じ、事前に言ってくださいよ……)
趣旨はわかったけど、すごいモヤモヤする。私は人間なんですよ、あなたと同じ……。ペットでも実験動物でもないのに。
「あなたことは、全自動ポージングフィギュアって設定で送るから。よろしくね」
事前に用意した箱。私と同じ顔、服のキャラクターが印刷されている。中のフィギュアをとりだし、代わりに私が入る。いよいよだ。フィギュアと同じポーズをとって、それをピッタリ覆いつくす透明な容器で蓋される。硬化とか関係なく動けない。
(こ、これは辛いかも……)
「私にできるのはここまでだから……。頑張ってね」
箱が梱包され、視界が真っ暗になった。ガタガタと揺れる音、宙に浮く浮遊感。急に心細くなってきた。身動きのとれない状態で、物として郵送される。私が……。
数時間して周りがすっかり静かになってしまうと、後悔の波が押し寄せてきた。本当に上手くいくんだろうか。バレたら……物笑いの種ってレベルじゃないよね……。業界中の恥になりそう……。
上手くいきますように。ただそれだけを願い、真っ暗で身動きのとれる余地もない容器の中で、私は時が来るのを待った。
周囲から話し声が聞こえる。次第に箱全体にのしかかっていた重量が軽くなっていき、遂には視界が開けた。箱の梱包が破られた。いよいよだ。
「おお~」
あの憎々しい声が感嘆をもらし、私を隙間なく拘束していた透明な容器が開かれた。ここからがパントマイムの本番。私が30センチになったことは知られているんだから、しっかりとフィギュアを演じ切らないといけない。体を動かしては……いけ……ない……?
(えっ……? ちょっ、ええっ!?)
巨大な固い手が私を掴み、デスクの上に置いた。私は笑顔で可愛らしくポーズを決めたまま、動かなかった。いや、動けなかった。
(「動けない」よこれ! 固くなり過ぎだよぉ!)
パントマイムを助けるはずの硬化遺伝子……。想像を遥かに超える働きぶりに、私はパニックになった。看護師さんの口ぶりだと、ポーズを維持しやすくなる程度のはずだったのに、今私の体は時間が止まっているかのように動かなかった。指一本、一ミリ動かすことさえできない。髪の毛もだ。一本たりとも風や振動で揺れることなく、一塊となって石のように固まっている。髪の先から足のつま先まで、全身がカチンコチンに固まり、自分の意志では全くどうすることもできない。視線さえ変えられない。
(ちょっとぉ……そんなぁ)
だ、大丈夫なのコレ!? まさか固まったままってことはないよね!? 確かに、これなら絶対バレっこない。でも……。
私の困惑をよそに、重役は私を絶賛した。素晴らしいフィギュアだ、まるで生きているかのよう……。
(ええ、ええ、生きてるのよ、あなたのおかげでねっ!)
目の前の男を心の中で罵倒し、私は自分の間抜けな状況を誤魔化した。憎い敵の前で笑顔でコスプレしてフィギュアになって飾られる……。正直、死ぬほど屈辱的だった。
だが、まあ、作戦は上手くいったということだ。私はデスクの上に設置され、どこかにしまい込まれることにはならなかった。
(ほんとにこのキャラ好きなのねえ)
自分が憎い敵の好みに合わせてコスプレしているという事実が重くのしかかり、今すぐにでも消えてしまいたくなってきたが、体は頑として動かない。私は正真正銘のフィギュアのままだ。
やがて重役が部屋を出ていくと、それから一分ほどして体が動くようになった。遺伝子染色は上手くいったみたい。私はホッと一息ついた。捜査に支障はでない。
(でもちょっと、固くなり過ぎよ……)
あれじゃあ、万一バレた時、絶対逃げられないじゃない。抵抗すらできやしない。とにかく、絶対にバレてはいけない。フィギュアであり続けなければ。
私は少しデスク上の位置を調節し、パソコンの画面が見えるようにした。このぐらいならバレやしない。まずはパスワードを見なくっちゃ。
ガチャっと扉から音が鳴った瞬間。
(あっ!?)
全身が急に意に反して動き、あっという間に可愛らしい媚び媚びのポージングをとらされた。顔は独りでに笑い、そのまま固定されてしまった。
戻ってきた重役は、ポーズを変えた私を見て再び感心し、ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべた。
(う……うー)
あざと遺伝子……。こういうことね。人の気配を感じる度に、私の体は私を無視して、可愛いポーズをとって固まる。確かにこれならバレっこないよ。でも異常に悔しい。私がこいつに何もかも支配され、所有物にされてしまったみたいだ。
(い……今にみてなさいよ!)
笑顔であざとく媚びを売りながら、私は奴のデスクを彩る新たな調度品としての地位を急速に固めていった。
夜。ようやく重役が会社から姿を消した。私は再び自由になった。しかしきつかった……。遺伝子そのものを塗り替えたおかげか、固まっていることそのものは不思議と苦痛を感じない。だがよりにもよってコイツの前でアニメキャラに扮して、あまつさえこいつが所有するフィギュアになっているという状況そのものが辛かった。さっさと終わらせて逃げ出したい。
台座から足を剥がし、端子を出して、パソコンに繋いだ。パスワードは昼間見させてもらった。ふふっ……。まさかデスク上のフィギュアに裏切られるだなんて、思ってもいないだろう。
いくつか証拠になりそうなデータを抜き出したが、本丸は別にありそうだ。それのありかも調べなくっちゃ。
こうして、奇妙なスパイ活動が始まった。昼間はアイドルアニメのキャラフィギュアとして敵の机を可愛く飾り、夜は会社を練り歩いて証拠集め。万一警備員に見つかっても、瞬間的に可愛くポーズして固まってくれるので、生きているとはまずバレない。元の位置に戻されるだけだ。まあ、流石に何度も廊下で転がっているのを発見されると不味いだろうけど。
一週間。憎い敵の前で可愛いフィギュアにされて飾られるという屈辱に耐えながら、以前押収された証拠に匹敵、いやそれ以上に悪事の証拠を取り切った私はそろそろ脱出することにした。
(よし……もう十分ね)
ただ、もうすぐ朝になる。今から逃げるんでは人目に付きすぎる。人に見られたら動けなくなっちゃうんだから、それは得策じゃない。明日、いや今日の夜が逃げ時だ。
私は静まり返った社内を悠々と闊歩し、あるべき場所……重役の部屋に戻った。机に上り、元の位置に台座を置いて、上に乗って張り付き、突っ立ったまま寝る。上手くパソコンに背を預ける形にすれば倒れないで済む。私が寝ていても、私の体は人の気配を察知すると勝手に可愛くポーズして固まってくれるので、平気なのだ。
何しろ夜中歩き回っているので、午前中はすっかり寝過ごしてしまう。何ならお昼過ぎに目を覚ますことも多かった。目を覚ましても動けないまま、カチコチに固まっていることに変わりはないので、むしろずっと寝ていたい気分だった。
私は夜の到来を待ちわびた。夜な夜な悪事を暴かれていることに気づきもせず、私の目の前で呑気に仕事をしている敵を見ていると、内心笑ってしまう。
(ふふっ、とうとう気づかなかったわね)
フィギュアに悪事を暴かれるってどういう気分? あなたが私をこういう体にしたから負けたのよ、と勝利宣言をしてやりたかった。しかし体は動かないし、動けても喋れないから無理なんだけど。
だが、事態は思わぬ急転を見せた。奴はなんと、帰りがけに私を自分の鞄に入れたのだ。
(えっ、ちょ、なんで!? バレた!?)
周囲の目に見えない鞄の中にいても、すぐ近くに人がいる以上、私は硬化したまま動けない。鞄から脱出することは絶望的だ。
(ど、どうしよう)
一体どうして、急に私を持ち出したんだろう。やっぱりバレたのかな。だとしたら最悪だ。カチコチに硬化したままじゃ逃げられない。私は暗い鞄の中で、必死に動こうとしたが、体はちっとも動いてくれない。筋肉の筋一本も動かせない。
(お願いっ……バレないでっ……)
必死の祈りが通じたのか、バレたわけではないようだった。
「わーい! やったー!」
(うわっ、ちょっ、あんまり揺らさないでっ)
私は重役の自宅に持ち帰られ、その娘にプレゼントされたのだ。どうやら子供向けのアイドルアニメだったらしい……。でも逆にありがたい。大きな社内を抜けるより簡単に出られるはず。
だが、社員たちが帰れば自由な会社と違い、自宅からは帰らない。なかなか私の時間はこなかった。それどころか、私は娘の人形遊びやままごとに参加させられ、これまでとはまるで違うタイプの羞恥プレイに辟易させられた。
(や、やだー、やめてよー)
いい年してアイドルアニメのコスプレをさせられ、子供のままごとに人形として使われるなんて……こんなことになるとは思ってもみなかった。
子供がお風呂に入っても、中々体は自由にならない。家の中は常に人の気配で満ち満ちている。全員が寝付くまで動けなさそうだ。
(あう……)
何よりも屈辱的だったのは、他の同じスケールの人形たちの中に混ぜられていること。デスクで一人だったこれまでとは違い、本格的に自分が人形という地位、存在に貶められていることを痛感させられてしまう。敵のフィギュアになるのも相当に悔しい体験だったが、子供のお人形になるのも違う屈辱だった。
(も、もう! 私は人形じゃないんだから!)
自分の周囲を取り巻く、物言わぬ人形たち。自分がその仲間入りをさせられたようで、いたたまれない。何しろ、動くことも喋ることもできないのは周囲の人形たちと同じだというのがまた……。
娘が寝る時間になった。やっと自由になれるかな。そう思った矢先、他の人形たちが次々と彼女に捕まれ、視界から姿を消し始めた。そして私も。
(何? 何?)
ちょっと焦ったが、何のことはない、玩具箱に片付けているようだ。躾がしっかりしている。
(う、でも……私が玩具?)
まさか自分が玩具箱に片付けられる日が来るなんて、想像したこともなかった。私は他の人形たちと一緒に箱の中に収められ、蓋をされた。
(えっ!? あっ、ちょっと!?)
不味いかもしれない。嫌な汗が流れる感覚がした。
家中が寝静まったころ、ようやく体が自由を取り戻した。早速玩具箱から、この家から出ようと私は蓋を押した。
(……あれっ)
いくら押しても、蓋がとれない。開かない。ガッチリ固定されている。何度押しても、跳ねても駄目だ。次第に焦りが増し、私は取り乱さざるを得なかった。
(ちょっと! 開いて! 開けてよ! 出られないじゃない!)
しかし、30センチの小人にされた私の力では、いくら押しても蓋は開けられなかった。
(ハアッ……ハァッ……)
息切れした私は玩具箱の中に座り込み、一旦落ち着いて状況を整理しようと努めた。既に証拠固めは終わっている。この台座の中に全部。後は逃げるだけ。でも、蓋が開かない。今の私の力では開けられそうにない。じゃあ……どうする? どうなるの? 逃げられない? そしたら……。こ、困る。二週間で遺伝子染色は定着し、元に戻せなくなる。硬化遺伝子とあざと遺伝子を入れてからもう一週間と一日。それまでに脱出できなかったら私は……私は……。
狭い玩具箱の中で、私は声にならない悲鳴を上げた。
翌朝。相変わらず私は玩具箱の中だ。娘は……いない。幼稚園か何かか。どうしよう。とにかく、誰かが外から出してくれないと。脱出チャンスは二つ。娘が私を片付けずに寝る。もしくは、朝から晩の間、偶発的なチャンスを待つ……。
(こ、これって……無理……というか……だいぶ……)
可能性が低い。段々心臓の鼓動が早くなってきた。え? え? 嘘でしょ? まさか私、このまま、本当にお人形になってしまうの?
(嘘……嘘よ。そんな馬鹿なこと、ありえない)
昼過ぎに娘が部屋に帰ってきた。同時に、私は笑顔で可愛くポーズし動けなくなった。
(んん……)
娘にだけならこっそり、私が人間だとばらすのもありだろうか、と考えていたが、それは不可能だと改めて思い知らされた。動けない。本当に動かせない。必死で体を動かそうにも、髪の毛まで石のように固まり、動くという選択肢そのものがもはや存在していない。
声も出ないので、助けを求めることもできない。やっぱり、チャンスを待ち、それを逃がさないしか手がない。
「えへへっ」
娘は私と他の人形を玩具箱から取り出し、またままごとを開始した。幼い子供に玩具にされる恥辱に耐えながら、私は必死に訴えた。
(きょ、今日は片付けないでね! 私は片付けなくてもいいからね!)
しかし願い空しく、私は夜になると再び玩具箱にしまわれ、蓋をされてしまった。
(駄目! 蓋をしちゃダメ!)
体は自由になっても、玩具箱から自由になることはできない。何度押しても駄目だ。
(そんな。どうしよう……)
何しろ時間がない。数日でタイムリミットが来る。そうしたら……そうしたら……。駄目だ。考えただけでゾッとする。二度と人前で動けなくなってしまうなんて……!
硬化の条件が視線なら、きっとチャンスはあっただろう。しかし、私は起きている人の気配で動けなくなってしまう。玩具箱から出されていても、日中はずっと人形化したままだった。それも笑顔で可愛くポーズさせられるんだから、たまったものじゃない。内心はこんなに焦っているのに。
娘がちょっとトイレにいったり、晩御飯やお風呂に行っても、私は動けない。家の中では、常に人の気配がする。動けるのは寝静まった夜だけ。しかし、夜は玩具箱にしまわれてしまう……。
(ま、まさか、これ……)
詰んでる? うそ。い、イヤ。まさかそんなこと……。四日目。私の数え間違いがなければ、ピンク髪と増毛、瞳の遺伝子は今日が期限……。
(あ、ああ……)
娘は毎晩しっかり片づけする出来た子で、私は未だに逃げ出すことができずにいた。玩具の食器の前に鎮座しながら、私は最初のリミットが通過するのを笑顔で迎えなければならなかった。
(動いてー。動いてよー。定着しちゃうよ。しちゃうの……)
成す術もなく、私の髪と瞳は永遠にピンク色に固定された。目の前で私を見下ろすこの子は、そんなことは露知らず、私を人形遊びの主役に抜擢し続けていた。
玩具箱の中で、私は暴れた。起きて私を出してくれないか。私が生きているってことに気づかないだろうか。いやでも、そしたら敵である重役にも……。うう。いずれにせよ、仮にこの子を騒音で起こせたとして、その瞬間に私は可愛くポーズして静まり返ってしまう。またすぐ寝てしまうだろう……。どうにもならない。
(せめて……せめて声さえ出せれば)
娘にだけはひっそりと私が生きた人間であることを伝え、こっそり逃がしてもらう方法があったかもしれない。
(そっそうだ……。逃げなくってもいいのよ。この家のどこかに、手の届くところに遺伝子洗浄剤があれば……)
……いや、それも駄目か。玩具箱から出られないんだから……。
動かない体に焦燥感が募る日々。不味い。本当に不味い。今日が、今日が二週間目。今日中に洗浄できなかったら、私は……!
(お願い、気づいて。私は生きているの。人間なの。お人形じゃないんだよっ)
私を持って振る娘に、必死に目で訴えた。ピンク髪も瞳も、なんならあざと遺伝子も許しちゃう。でも、硬化は……硬化遺伝子だけは……駄目。定着しちゃったら終わりだ。二度と人前で動けなくなっちゃう。私は小人として生きることさえできなくなってしまう。本物のフィギュアになっちゃう。
(だ、大体あいつが……彼女が……)
ちょっと体が硬くなるだけ、そう言っていたのに。あの看護師。ここまでカチコチに、完全に固まっちゃうなんて聞いてないよ!
「あっ」
ぬいぐるみに勢いよくぶつけられた時、私の両足から台座がとれてしまった。
娘は私を片手に持ったまま、もう片方の手で台座を拾った。しばらくじーっと見つめた後……。
(ああっ! 馬鹿! 何するのよ!)
それをゴミ箱に放り込んでしまったのだ。
(で、データが……集めた証拠が……!)
すぐ拾いに行かなくっちゃ。でもダメだ。体が動かない。笑顔であざといポージングをしたまま、一ミリだって動かせない。
「ご飯よー」「はーい」
娘が部屋から出ていった。今のうちに、なんとかして台座を回収しないと。あれが捨てられたら、全てが無駄になっちゃう。私がこんな目に遭っているのも、そもそもあれを回収するためだったのに。
だが、近くから家族の談笑が聞こえてくる限り、私の体は自由にはなってくれない。どんなに力を込めても、笑顔さえ崩せない。ゴミ箱に向かって微笑みかけることしかできなかった。
台座を回収することも、逃げるチャンスを掴むこともできず、夜を迎えて、私は玩具箱に封印された。
(出して、出してー! 今日が最後なの! 遺伝子が……動けなくなっちゃうの! 本当に人形になっちゃうのよーっ!)
いくら心の中で叫んでも、それが誰かの耳に届くことはなかった。夜通し全力で蓋と格闘を続けたものの、とうとう、蓋を開けることはできなかった。
一睡もできず、全体力を使い果たし、絶望の朝を迎えた。二週間と一日……。終わった。私は生きたフィギュアになってしまった。二度と人前で動くことはできない。人の気配を感じる度に、笑顔で可愛く固まって見せる、全自動ポージングフィギュアと化してしまった……。
(い、いや……まだ、まだよ……厳密に二週間きっかり、ってことでもない、でしょう……? だよね……?)
受け入れたくない現実を必死に否定する最中、体が瞬時にぶりっ子ポーズをとって固まった。
(!?)
誰か部屋に来た。母親だ。大きなビニール袋……。ゴミの日らしい。
(ああっ!)
台座が。私が全てをかけて……。フィギュアになってまで集めた悪事の証拠がゴミ袋に吸い込まれていく。
(駄目! 返して! お願い! あ! ああ……ぁ……)
私は笑顔で、全てが失われるのを見送ることしかできなかった。そんな……そんな。これじゃあ、私は……一体、なんのために……。奴らの悪事を暴くこともできず、それどころか、その娘のお人形になってしまうなんて……。馬鹿みたいだ。世界一の大馬鹿だ。これじゃあ、私はただこの娘の人形になりにきただけじゃない!
そのうち娘も目を覚まし、私が動ける可能性はゼロになった。時間が過ぎていく。もうゴミ出しされてしまっただろうか。回収……されちゃったかな……。あぁ……。
目から涙がこぼれた。でも、誰もそれに気づいてくれることもなく、私は玩具箱の中で可愛く微笑み続けた。
それから二日。いまだに私はこの家のお人形のままだった。帰ってきた娘は荒れていた。母親との問答を聞いた限りでは、誰かと喧嘩したらしい。その日初めて、私は片付けられなかった。
(……あっ)
感動のあまり、両手で口を覆い、私は天に感謝した。初めて、玩具箱の外で得た自由。逃げられる……!
(いや、でも……)
いざその時がきても、足が重く、どこかへ行く気になれなかった。どうすればいい? この家がどこかもわからない。会社から自宅までの経路は事前に調べていたけど、ここからは……。どうすればいいのか……。30センチの体で無事に帰りつけるだろうか。人目に触れたら……いや、気配だけで動けなくなってしまうのに。誰か変な人に拾われてしまったら?
(と……とにかく外に……)
子供部屋から出ると、ふとあいつのことを思い出した。全ての現況であるあの親父……! 一言文句を言ってやらないと気が済まない。言えないけど。
部屋に入ると、大きないびきをかいて寝ている。くそっ……。元はと言えば全部、全部あんたのせいで……!
ガンをつけて立ち去ろうとした時、キャビネットの中に見つけた。遺伝子……洗浄剤!?
私は思わず飛びつき、必死によじ登った。幸い、こっちは何事もなく開いた。玩具箱もそうだったらなあ……。
私は急いで封を開け、洗浄剤を一回分飲み干した。間に合うかな。間に合ってほしい。これが本当に最後の希望。二週間は過ぎているけど、それでもまだ二日だけだし……ひょっとしたら……もしかしたら……!
元通り何事もなかったかのように片付け、床に降りた後、私は迷った。洗浄剤を飲んだ以上、今すぐ帰らなくてもよくなった。むしろ、硬化遺伝子がなくなるまではこの家にいた方が安全かもしれない。私が私だとバレる気配は嫌というほどなかったし。道端でフィギュア化して踏まれたり、変な人に拾われたりする方がかえって危険かもしれない。
(よし……!)
私は決心した。今すぐ逃げる必要はなくなったんだし、三日……。洗浄の効果がでるか確認するまではこの家にいよう。それからでも逃げるのは遅くない。
玩具箱の蓋のロックを右側だけ壊して、私は元いた位置に戻った。確かこの辺に転がされていたはず。ここに来て私が私だと親父にバレたら、本当に目も当てられない。
翌日。目が覚めた時には、私は可愛くポーズして固まっていた。
(まあ……数時間しか経ってないし……)
二日目の朝。相変わらず、私は人気を感じると同時に可愛く固まってしまった。洗浄が間に合ったなら、ちょっとは緩んでいるはず……だけど、どれだけ力をいれてもびくともしない。嫌な予感がする。
(明日……明日!)
三日目。あの時、ピンク髪は三日で黒に戻った。洗浄できていたなら、今日から動けるはず。だが待っていたのは絶望的な現実だけだった。
母親が娘を起こしに来たと同時に、私は玩具箱の中で可愛く固まってしまった。
(……っ!)
動けない。全く緩んでいない。
(そ……そんな……)
終わった。遺伝子は定着してしまった。私は二度と、人前で動くことはできない。それどころか、常に笑顔で可愛くポージングさせられたうえで固められてしまう。そういう身体、そういう生物になってしまった。
(あぁ……)
その上、憎い敵の親子の人形にされてしまうなんて……。あまりに哀れな自らの運命に、私は再び笑顔で泣き腫らした。
その日の夜、私は玩具箱の中で今後を考えた。これからどうしよう。一応、いつでも逃げられる。でも逃げた所でどうなるのか……。もう元には戻れない。30センチの生きたフィギュアとしての人生からはどこに行こうと逃れられない。かといって、このままこの家で人形になっているのも辛いし……。
ふらふらと、再度父親の部屋を訪ねた。一時の夢を見せてくれたキャビネット……。改めて探索すると、色々遺伝子染色剤の試作品が置いてあった。結構新しいのもあるようだ。
(ひょっとしたら……)
ずっとこの家に張り込んでいれば、硬化を解く、或いは上書きしてくれるような新しい遺伝子染色剤が見つかる可能性があるんじゃない? そんな発想が浮かんだ。そうしたら……。少なくとも、小人にはなれる。フィギュアではなくなる……。
(……うん)
決めた。どうせ家に帰ったって、やることもないし、生きたフィギュアであることも変わらない。それならいっそ、ここに居残って情報収集したほうがきっといい。少なくとも私は粗末には扱われず、大事にされているし、バレる気配もないし。有効そうな遺伝子染色剤の情報が得られるまで、ここにいよう。そう決心した私は自ら玩具箱に戻った。
朝になると、いつものように体が可愛くキメて固まった。恥ずかしいし惨めだけど、このままこの家でお人形になっていよう。きっとそれが元に戻る近道だ。そう信じたい。永遠にフィギュアのままだなんて嫌だ。それなら、僅かでも希望のある道に賭けたい。
私は他の人形たちと共に、玩具箱の中でおままごとの出番を待った。唯一の懸念は捨てられたり物置の奥深くに仕舞われたりすること。それを避けるには、娘のお気に入りのお人形でい続けなければならない。
(今日からはしっかりあなたのお人形にならせてもらうからね!)
私は園児服に着替える娘に向かって、新たな決意を露わにした。