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「説明は以上ですが、こちらにサインしていただいた段階で、今お話ししたこと全てについて了承し、ご納得していただけたということになります、よろしいですか?」 「……はい」 屈辱に唇をかみしめながら、私は答えた。震える手でペンをとり、ミミズの這った跡のようなクニャクニャの字を書き綴った。これで私は恐ろしい実験のモルモットになることを法的に同意したことになる。この会社が手掛けているペット用の遺伝子染色、それの人間版に。 何故こんなことになったのかというと、ある行方不明者の捜索依頼を引き受けたことが発端だった。最近若い子の失踪がこの辺で増えていたのだが、そのうち一人の親が、私立探偵をやっていた私に捜索依頼を出したのだ。私は調べていくうちにこの会社が犯人だったことを突き止め、裏もとりかけた……のだが、やつらに捕まり、人質――さらわれた子たちの解放と引き換えに、慢性的な人員不足に陥っている遺伝子染色の人体実験を受けることにさせられたのだ。 (くそっ……) 心中で毒づいたが、もう引き返せない。私が遺伝子を一つ書き換えられる度に、人質が一人解放されていく。それが終われば絶対に――目にもの見せてやる。 遺伝子染色というのは、少し前から流行りだした、ペットの遺伝子を改造する薬だ。少なくとも表向きにはそういうことになっている。ハムスターや小型の鳥、そういう小動物にしか使えないと。人間のような大型の動物には理論上できない。まあそういうことにしないと売り出せなかったのだろう。私も誘拐事件に際してこの会社を調べるまで知らなかった。本来はペットの毛の色を変えたり、本来食べられない物を食べられるようにしたり、体型を変えたり……。そんな風に使う。倫理上の批判も多く聞かれるが、非常に便利なので、徐々に浸透してきている。手術しなくても避妊させられるし、モノによってはウンチしない体に改造してしまい、世話の手間を大きく省いたりすることさえ可能だ。 もっとも、遺伝子が不安定になるため、一歩間違えると悲惨なことになる。治しようのない病気になったり、無節操に使いまくるとドロドロに溶けて死んだりする。私はこれから、そういうものを自分に打たれるのだ。ゾッとするが、人質たちの命には代えられない。未来ある若い子ばかりで、そうそう見捨てることもできなかった。集めた証拠は連中に奪われたので、他を頼るのも難しい。 一応は法に則った実験なんだから、まさか死ぬような薬は打たれないだろうと思うけど……思いたい。 経過観察が必要なため、私は当面、施設内で過ごすことになる。私には真っ白な無機質の部屋が与えられた。窓はなく、外と繋がるのはドアだけ。室内に備え付けてある家具はベッドとワゴンだけ。どちらもオフィス用って感じで、非常に無機質なデザイン。あとはまあ……一応クローゼットと呼ぶべきものがある。最も、ここでは「制服」があるから、あまり用はない。私は白い病衣に着替え、静かに呼び出しを待った。段々怖くなってくる。一体どんな遺伝子染色を受けるんだろう。私の口封じも兼ねているなら、酷い薬を……。今からでも逃げようか。いやでも、そしたら人質の子たちが……。脳裏に依頼人である、人質の両親の顔が浮かんだ。やっぱり助けたい……。なら覚悟を決めるしかないか……。 初日は私の健康状態を調べるだけで終わったが、翌日には早速本番が始まった。一体どんな目に遭わされるのか不安で寝付けないほどだったが、その内容は意外にも意外で少し毒気を抜かれた。 「脱毛、ですか?」 「はい。正確には、体毛が生えない体に変異します。……あ、髪の毛とかは別ですよ!」 目の前の先生は、私が普通の被験者じゃないことを知っているのか知らないのか……。そのヘラヘラとした微笑みはどっちとも解釈できそうで、判断に迷う。しかし、良かった。あまり変なものじゃなくって。……いや、変かな? 遺伝子を操作して脱毛するって、一線超えてる感があって怖いかもしれない。いずれにせよ、もう私の体は普通の、天然の人間ではなくなってしまうのだ。……多分永久に。 別室で飲まされた桃色の遺伝子染色剤は、まるで砂糖水のような味がした。手術とか注射とかはいらないらしい。ペット用と同じ形式だ。無論、ペット用よりもはるかに量は多いけど。だが、まるで自分がペットの身分に落ちたようであまりいい気はしない。 「明後日あたりから徐々に効果が現れてくると思いますので、それまで安静に過ごしていてください」 予想とはまるで違う、安閑とした二日間。やることが何もないので退屈だ。やったことと言えば、人質がちゃんと解放されたかどうかの確認ぐらい。親に電話したところ、確かに解放されたらしかった。まず一人……。とりあえずは一安心か。奴らも一応約束は守るつもりらしい。 それと前後して、ベッドに異変が生じた。いや体にだ。抜け毛がすごい勢いで増し、三十分もベッドに転がっていると、ちょっとした黒点がぽつぽつと出来てしまう。これが思ったよりも恥ずかしくって、回収される度に赤面して俯かずにはいられなかった。看護師の人は慰めてくれたが、まるで私が毛深かったみたいにしかみえない……。これもあいつらに報告がいくんだろうか。ニヤつく奴らの姿を想像すると、ますます屈辱が募った。人質が全員解放されたら絶対に仕返ししてやる。 三日経つと、私の全身はツルッツルになってしまった。髪や眉毛を残し、それ以外の体毛は死滅。産毛すらない。遺伝子そのものが書き換わったのだから、二度と生えてはこない。ただで脱毛できたと思えば儲けもの。と思い込もうと努力したが、不思議と心細くてならない。原因は……アソコかな。私の股間は、まるで子供みたいにツルツルになってしまい、もう一本の毛も残っていなかった。 (うう……ここもだなんて……) 説明受けてないよ。髪と眉毛は残るって聞いてたけどさ。もう温泉とかなかなか行けなくなっちゃった。いや心配するところはそこじゃない。遺伝子というデリケートなところに手を加えて、私の体は大丈夫なんだろうか。変な病気に罹ったりしないだろうか。 その後の検査で、遺伝子は綺麗に塗り替えられて、正常に機能していることを告げられた。……が、この先生方も奴らの手先なのかと思えば、どこまで信じていいものか。 そして間を開けず、次の染色実験が行われることとなった。こんな次々と操作されて平気なんだろうか。不安だ……。しかし受けなければ、次の人質は解放されない。 「肌……ですか?」 「はい。美容業界に革命が起こりますよ」 先生は楽しそうに次の遺伝子染色を説明した。専門的な話はよくわからなかったが、とにかく肌をとても綺麗にしてくれるらしい。 (なんか……割と得してるような) 人体実験という言葉からイメージされるものとは違うものが二つ続いたので、私は大分緊張がほぐれてきた。なんだ、大したことないじゃん。それともあとからもっと酷い内容のやつが来るのかな? いやそもそも、そんな遺伝子染色は研究してもお金にならないか。人間が対象なら、良いものでなくちゃね。でもだとしたら、何故それだけで人質を解放してくれるんだろう? そんなに人手に困窮しているんだろうか? 肌を綺麗にする染色剤は、金色の液体で、ちょっと飲むのに抵抗があった。味は人参ジュースっぽい。 (ま、いいか……楽なら楽でこしたことないし) 私は幾分気楽な気持ちでそれを飲み干した。 が、甘かった。私は泣きたくなる気持ちを必死に堪えながら、懇願した。 「あ、あの……これ、元に戻らないんですか?」 「あ、はい。それは事前に説明しましたよね?」 ぶっきらぼうな、業務的な対応。先生たちは私の腕を掴み、マジマジと観察しながら「ちょっと強すぎましたね」「だから××の量を」と好き勝手に議論を始めている。私は絶望しながら、フィギュアのように「綺麗」になってしまった自分の腕を眺めていた。 三日間で、私の見た目は様変わりした。私の肌はまるで単一の色で塗りつぶしたかのように肌色一色に染まり切り、生気が感じられなくなっている。血管も見えないし、染みも皴もない。作り物……そう、ガッツリ修正をかけたような、人工的な肌。いやそれで済めばマシだった。まるでアニメキャラかそのフィギュアかってぐらい、単色でピチッと張り詰められたよう。腕だけじゃない。足も、腰も、胸も、そして顔も。樹脂かなんかじゃないかってぐらい、生き物っぽさを感じさせてくれない。鏡を見る度に、気持ち悪くて全身が粟立つ。今の私はリアルな等身大フィギュアにしか見えないのだ。それが生きて動いているんだから、不自然極まりない。 (これが……これが私なの!? そんな……) 不気味の谷ってやつだろうか。私の顔はまるで作り物のようで、ずっとは眺めていられない雰囲気だった。肌が均一で綺麗に染め上げられ、皴やたるみも視認できなくなったせいで、悪い意味で若返ったように……幼く見えてしまう。 (うそっ、やだっ、これじゃ……表を歩けないじゃない……) 肌を掻いても、いくら洗っても、私の全身を包むフィギュア肌はとれなかった。絵の具か何かで全身塗ったように見えるが、実際はそうではない。遺伝子そのものが書き換えられた結果できた、私の本物の、生きた肌なのだ。コレが。 (ううっ……ううぅ……) 私はあまりの惨めさに、毎夜泣かずにはいられなかった。私のこの姿を見て笑っているであろう、重役どもへの恨みを募らせた。仮にこの後奴らの悪行を上手く告発できたとしても、自分は永遠にこんな気持ち悪い見た目で生きなければならないという現実は変わりない……。その絶望が私を苛ませる。 唯一の救いは、二人目の人質も無事に解放されたことか……。いや、逆に枷かもしれない。これで私は、次の施術も受けないわけにはいかなくなった……。 何日経っても、私の肌は戻らない。その状態のまま、三つ目の遺伝子染色が始まった。今度は体型の矯正を試すらしい。私は驚いて、思わず拒否してしまった。 「い、いやです! 私、このままでいいです!」 「大丈夫ですよ。健康には問題ありません。保証します」 「いやその、私、いまのままで十分」 「身長をですね、低くできるんですよ」 「嫌です」 馬鹿馬鹿しい。なんで身長を下げないといけないわけ!? チビになんてなりたくない。 「他のはないんですか?」 「ありませんよ。一挙に五つもやるんですよ。こちらとしましても慎重に検討しましてですね、相互に遺伝子上の悪影響を出さない組み合わせを……他の染色を行うと遺伝子が壊れて……」 突然飛び出した恐ろしいワードの衝撃で、私は我に返った。そ、そんな……。じゃあ、身長下げるしかないの……。 「あの……それ、どれぐらい下がるんですか?」 「そうですね、見立てでは10センチ程度になる予定です」 「じゅ、じゅ、10センチ!?」 じょ、冗談じゃない。下がり過ぎよ、そんなの。私は今165だから、155……。一気に低身長になってしまう。そんな……。 「まあ、いいじゃないですか。女の人は小さい方がモテますよ」 お前が10センチ下がってみろ。そう言いたかったが、人質の子のことを思い出すと、受けないわけにはいかなくなった。 水色の液体を飲むときは、悔しくて悔しくて涙が溢れるほどだった。 徐々に下がっていく私の目線。計測するごとに下がっていく。その度にショックで胸が苦しくなった。救いがあったとすれば、スタイルはそのままだったこと……。てっきり体型も身長に合わせて変わるのかと思っていたけど、実際には等身はそのままで、全体的に縮小されているような変化だった。密かに自信のあったスタイルが失われないのは嬉しい誤算だった。ただ問題点があるとすれば、ちょっと見た目に違和感があること。いやフィギュア肌の時点で違和感マックスなんだけど。全体がそのまま縮小されるような形で身長が下がっていくため、なんだか印象が不自然なのだ。ツルツルの肌と合わさって、まるで人形、マネキンみたいにも思えてしまう。 異変が生じたのは三日目。変化そのものは初日から起きていたけど。当初の予定だった155センチを割っても下げ止まらず、日に日に体が急速に縮んでいくのだ。当初は「誤差もありますから」と呑気していた先生も、段々表情が固くなり、それがますます私を震え上がらせた。 (私、まさか、このまま消えちゃうんじゃないよね!?) 140センチを割ると、途方もない焦燥感が募った。どうしよう。子供みたいになっちゃった。これじゃホントに、堂々と表なんかあるけない。何しろスタイルはそのままで相似の縮小だから、低身長で誤魔化せる違和感ではない。大きな人形にしか見えない。 (お願い。止まって。止まって) 毎日毎晩毎時間、ひたすらに祈り続けた。 丈が合わなくなり、ブカブカになっていく病衣。一メートルを下回ると、とうとう私にとって「服」とは言えないものになってしまった。布団みたいなもんだ。もうサイズの合う服なんかない。子供服でさえ合わない。スタイルは大人のままだからだ。 このまま無限に小さくなって、跡形もなく消えてしまうのではないかという恐慌と戦いながら、たっぷり二週間かけてようやく下げ止まってくれた。だが、私の体は取返しのつかない状態に陥っていた。現在の身長、なんと30センチ。私は本当にお人形サイズまで縮んでしまったのだ。 「いやー、すみませんねえ。まさかここまで縮むとは」 「ふ、ふざけないでください。元に戻してください!」 「だから言ってるじゃないですか。気の毒ですけど、もう戻せませんよ」 「う、訴えますよ!?」 「それはしないって、サインしましたよね?」 「……ッ」 目に涙が滲んだ。ひ、酷い。いくらなんでもあんまりよ。私、これからどうして生きていけばいいの。こんな小人になっちゃって。フィギュアみたいな質感の肌のせいで、もうまるっきり人形にしか見えなくなってしまった。自分で自分の姿を見ても、違和感を抱くのは「人形っぽいこと」にではなく、「生きて動いていること」になのだ。ジッとしていると、それこそフィギュアにしか見えない。 「うっ……う……」 三人目の子が解放されたことで、親から感謝の電話がかかってきた。私がこんな惨めな姿になってしまったことに、少しでも意味があったのなら納得は……できないよぉ。なんで私がこんな目に遭わなくちゃいけないの。30センチなんて、自力じゃ日常生活もおぼつかない。この年で誰かの介護を受けなくちゃいけなくなるなんて……。最悪。というか、マジでどうしよう。頼める人なんかいないよ……。 私が小人になっても、四回目の遺伝子染色が行わることになった。こいつら……クソっ。 (で、でもあと二回……あと二回で終わりよ) 「いや、今回は本当にすみませんでしたね。ですので、ちょっと予定を変更して、花咲さんの生活をサポートできるような内容に……」 先生の言葉を聞いた瞬間、張り詰めていた全身の力が抜けた。よ、よかった……。そうだよね。 「ですので、今回からはペット用の遺伝子染色を行っていきたいと思います」 「へっ!?」 先生の説明によると、私が規格外に縮んでしまったせいで、もう人間用の遺伝子染色はできない。けど、縮んで「小動物」になったことでペット用のが使えるようになったと思うから、試させてほしい、そうすれば今後の暮らしに役立つ遺伝子を提供できる……。信じがたい話をポンポンと。 「嫌ですっ……。私、ペットじゃありません……」 冗談じゃない。どうして私が……人間の私が、ハムスターとかに使う薬を頂戴しなくちゃならないの。 「でも、トイレとか大変でしょう」 「それは……」 今の私は、看護師の人に体を持ってもらいながらトイレで用を足すという、尊厳もへったくれもない方法で用を足していた。死にたくなるほど恥ずかしい。体そのものは健康で、何の問題もなく全身動かせるのに、私は一人でトイレに行けない……。その奇妙なギャップが私を苦しめていた。 ペット用で今人気の遺伝子染色。ウンチやおしっこをしなくなる改造。私もその存在は知っている。ペットを飼う手間の多くが省けるので需要が増しつつある人気商品。でもまさか……まさか、それを自分に使う日が来るなんて……。 「で、でも……」 トイレに行かなくてもよくなる……有難いけど、自分が本当に人間でなくなってしまうような気がする。ウンチもおしっこもしない30センチの小人……それこそお人形みたいじゃない。 「まあ、試すだけ試してみたら?」 ここ数日、ずっと私の介護をしてくれている看護師さんがそう言った。今や見上げなければならなくなった頭上の巨大な顔は、無言のプレッシャーを投げかけている。そりゃそうですよね。見ず知らずの女の下の世話なんてしたくないに決まっている。私がずっと迷惑をかけてしまっているんだ。 (って、いやいや、そもそもこいつらのせいじゃないの! なんで私が……) なんでって、あっ、そうだ、人質……。そうだ、私よりもっとひどい実験を受けるはずだった子たち……を助けるためだ。まだ二人残ってる。受けないわけにもいかない……か。 (ま、まあ……今回は純粋にメリットだけだし……) 私は自分を無理やり納得させて、ペット用の市販品である遺伝子染色剤を服用した。 「あらっ、あらあらあら……」 「うっ……ひぐっ……」 三日後、私は部屋みたい広いベッドの上で、幼児みたいに泣き叫んだ。ペット用の遺伝子染色剤は、縮んだ私に確かに効いた。が、副作用が発生したのだ。私の股間にあった穴が全て埋まり、消失。排泄に使うところが消えるのは織り込み済みだったのだけど……。何故か乳首と女性器も一緒に消えてしまったのだ。私の股間はまるで人形みたいに滑らかで、ツルッツルだった。乳首も跡形もなく消失してしまい、私はまるで子供向けの着せ替え人形みたいなボディになってしまったのだ。 看護師さんは一生懸命慰めてくれたが、右から左へ通過して、何を言っているのかまるで頭に留まらない。一人になると、私はまるで自慰でもするように必死に胸と股間をまさぐった。が、何度確かめてみても、そこになんの凹凸もない。滑らかな曲線があるだけだ。 それ以降、私は尿意も便意も一切感じなくなった。だが、トイレに行かなくてよくなった代償は想像以上に大きかった。私は永遠に全年齢ボディのまま生きる宿命を余儀なくされたのだ。 本来なら最後となる五回目の遺伝子染色。本来の予定では一体なにをするつもりだったのだろう。聞く気も起きない。何でもいいから早くこの地獄が終わってほしいと、頭の中はそればかり。 「では、今回は栄養補給について……」 「ふぁい……」 私はこれが現実とは思えなかった。だってありえないでしょ。30センチになって、ツルツルの体にされて、体の生々しいとこは全て綺麗さっぱり消えちゃって……。先生の言っていることもほとんど耳に入ってこず、ボーっとしたまま、適当に頷き続けることしかできなかった。 終わった時には、私は食事しなくてもいい体にされていた。食事の楽しみすら奪われてしまうなんて……。こんな惨めな生活があるだろうか。……でもまあ、30センチの体で食事を一人で用意するのは無理かな。だとしたら助かった……かも……。 「調子はどうですか? お腹すきません?」 絶食開始から三日目。何も飲み食いしていないとは思えないほど、体はいつも通りだった。 (大丈夫です) 返事をしたつもりが、何故か声が出てこなかった。 (あれ?) 何度言い直しても、口が静かにパクパク開閉するだけで、声が出てこない。 (やだっ、何これ、風邪!?) いや違う。喉は一切痛くない。熱も感じない。体調は良好だ。30センチに縮んでフィギュアみたいな見た目にされてトイレも食事も不要にされたことを除けば良好だ。でも声が出ない。喉が枯れているとかじゃない。根本的に、出てこない。発声そのものが……あ……。 検査の結果、食事改善の遺伝子染色の副作用で、私は声を出せなくなっていることが判明。半ば投げやりになっていた私も、こればっかりは激怒した。罵りながら猛抗議を行った。でも、声が出ない表情とジェスチャーだけの抗議、それも30センチのフィギュア肌では、迫力など出ようはずもない。まるで小さい子供をあやすかのような対応で、軽い謝罪を受けるだけだった。 (そんなぁ……酷い、酷いよぉ……) 小さくされただけじゃなく、声も出せなくなるなんて……。私、もう二度と人と喋れないの? そんなの、そんなの……あんまりだよ。ただでさえ縮んだせいで、人とコミュニケーションがとりづらくなったのに。この小さな体じゃおちおち筆記もできないし、いちいち幼児みたいに大袈裟な身振り手振りで意思疎通しなくちゃいけないんだろうか。ヘラヘラしている巨人たちが心底憎くてたまらない。大声で罵ってやりたい。訴えてやりたい。でも、今の私にはそのどちらも叶わぬ夢だ。 最終日、諸悪の根源である重役が私をあざ笑いに来た。若い子をさらい、違法な人体実験を指揮していた張本人。私はコイツの悪事の尻尾を掴んだが、人質戦法のせいでここに送り込まれ、こんな惨めな姿になってしまった。 「ふふっ、随分と可愛らしくなったじゃないか」 「……ッ!」 「まるでフィギュアみたいだねえ。よかったら私のデスクに来ないかい? がはは」 「そうそう。約束通り、あの五人の子は全員返してやったよ。私は約束は守るたちでねえ」 ふくよかに太った男は自慢げにそう言って私を見下した。その後腸が煮えくり返るような煽りと勝利宣言を数限りなく私にぶつけた上、五人は解放したが、新たに攫った子たちで違法な人体実験は結局継続していることを暗に仄めかした上で、私を軽く指で突いてから姿を消した。私は怒りで頭がどうにかなりそうだった。 懐かしの我が家に看護師さんが送り届けてくれた後、彼女が言った。 「ホント、酷い話ですよねえ……」 今まで「あっち側」の人間だと思っていた彼女が突然そんなことを言うもんだから、私はビックリしてしまった。看護師さんは私を床にそっと下ろし、荷物を部屋に運び込んでくれた後、にこやかに手を振りながら 「それじゃ、お元気で。また」 と言い残し、去っていった。 (また……?) 半月ほど、何もすることのない日々が過ぎた。いや、できないというべきか。探偵業は休業。続けられるわけがない。かといって、転職ってわけにもいかない。30センチじゃ……。こんな姿、ちょっと表を歩いただけで騒ぎになっちゃう。見世物になる。惨めすぎてとても人前にでる勇気も湧いてこない。これからどうやって暮らしていけばいいのか、見当もつかない。 (ていうか……私って、もう働く必要ないんじゃ……?) 豪邸のように広くなった自分の部屋でゴロゴロしているうちに、そんな風に思えてきた。ご飯食べなくっても死なないんだもん。トイレ行く必要もないし……。お風呂も入らなくていいようになっていることにも気づいた。多分肌を「綺麗」にした時の副作用かな……。私は全身、いまだに艶々テカテカとしたフィギュアっぽい肌のままだ。 でも、そんなの生きてるって言えるだろうか。今の自分は人間と呼べるだろうか。こんなに滅茶苦茶、遺伝子を弄られてしまって……。 鬱屈としたやり場のない気持ちに悶々としている最中、看護師さんが私を訪ねてきた。 挨拶や前置きもそこそこに、彼女はグイっと身を乗り出し、小声で囁いた。 「あの……もしよかったらなんですけど……。あいつらに仕返ししてやりませんか……?」 曰く、自分もあいつには苦渋を味わったことがあるし、私のことが可哀想なので、悪事を暴く潜入作戦に協力したい、という申し出だった。私だって、できることならリベンジしてやりたいと思う。けど、この人はあいつの会社の人間だし、信用してもいいものだろうか……? でも施設にいる間は割と甲斐甲斐しく面倒見てもらったっけ。うーん……。 だが、次にでた情報が決め手となり、私は彼女を信用してみることにした。私が身代わりになって助けた子の一人が、彼女の甥っ子だったのだ。

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