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高校二年生の夏休みが幕を開けて一週間。友人たちが部活に旅行に青春を謳歌している最中,私は家から一歩も出ない引きこもりな日々を過ごしていた。それもそのはず,私は身長十六センチの小人だから,そうそう外出なんて出来やしないのだ。体が縮む不思議な病気,人形病。私もその患者の一人。症状の進行は既に止まったけど,小さくなった私の体が元の大きさに戻ることはない。 布団の海でゴロゴロするだけの日々。友達とショッピングに行きたいし,恋もしたいし,部活にも顔を出したい。でも,余計な外出はリスキーな上,外出の責任をとることになる人(親とか友達とか……)に余計な負担を強いることになる。だから私の願いは我が侭だ。気をつかって,毎日スマホで部活動の様子やショッピングの写真を送ってくれる友人たちには感謝もするけど,憎らしい嫉妬と羨望の気持ちも当然,ある。私だって楽しい夏休みを送りたかった。そもそも,二学期からも高校に行くかどうかさえ定かではないのに。一学期の後半,退院した私の面倒を学校で見てくれたのは,幼馴染みのシュウくんだ。家が隣同士だったので,昔から仲が良かった。高校への行き帰りもシュウくんが運んでくれていた。イヤな顔一つせずに私の介護を引き受けてくれたことには感謝してもしきれない。なればこそ,残り一年半の高校生活,私の介護でシュウくんの自由を潰してしまうのが心底申し訳なかった。 布団の上でぬいぐるみと戯れていると,お母さんが部屋にやってきた。 「里奈ー。修介くん来たわよ」 「わかったー」 一分もしないうちに,シュウくんも部屋にやってきた。 「よっ,元気?」 「まーね」 シュウくんは今や私の十倍の背丈を持つ大巨人だ。屈んで顔の高さをベッドに近づけてくれたけど,怪獣並みに大きな顔はかなりの迫力と威圧感がある。怖くないかと言われれば嘘だけど,甲斐甲斐しく世話をしてくれたから,生理的恐怖もかなり軽減されている。それでも,毛穴や鼻毛,肌の染みなんかが8Kテレビより鮮明に見えちゃうのは,サイズとはまた別種の気持ち悪さがある。もう慣れたけど。 「ウチこねえ? バーサスドール買ったんだ」 「何それ?」 「いーからいーから」 シュウくんは了承を待たずに,いつもの虫かごの蓋を開けて,布団の上に置いた。「入れ」ってことだ。虫かごの中はカーペットとクッションが四方に敷かれている。普段の登下校はコレで運んでもらっている。一週間ぶりだ。 「……まあ,いーけど。暇だし」 私は大人しく虫かごの中に入った。内心,結構嬉しかった。この一週間,メッセのやりとりだけだったから。そして,シュウくんが来るならもうちょっと可愛い服着とけば良かったな,とちょっぴり後悔した。今私はペラペラな人形用のノースリーブワンピースを着ている。生地はごわごわで,動きづらい。服の問題は,人形病患者の悩みの一つ。普段はちゃんとした作りの制服を着ていた分,夏休みになってからの不快感はひとしおだった。何故制服はあるのかと言うと,世間に良い格好をしたがった校長先生が,私用の制服を無償で用意してくれたからだ。当時は美談としてメディアに取り上げられたけど,もう誰もそんなニュースは覚えていないだろうな。 フカフカの床と壁に囲まれた狭い檻の中で,私は静かに体育座りして待機した。初期は虫扱いされてるみたいで抵抗感もあったけど,今はそんなものは残ってない。それより蒸し暑さが気になる。ユラユラ揺れながら私はシュウくんちに着くのを待った。 ドサッと籠全体が設置する振動を最後に,虫かごが静止した。 「いいぞー」 蓋が開き,私は虫かごから出た。シュウくんの部屋の机の上に降り立つと,懐かしい光景に安心感を覚えた。床は相変わらずの散らかりようだ。私が元の大きさなら,掃除してあげられたのにな……。今の私には何一つ恩返しする術がない。それがたまらなく悲しくって,辛いことでもあった。 「ほら! これこれ!」 シュウくんは全身が刺々しい鱗に覆われた,太い尻尾を持つ二足歩行の怪獣フィギュアを私の横にドンと置いた。かなり重いらしく,机の振動で私は少しバランスを崩しかけた。 「ふーん」 背丈は私の二倍ぐらいある。三十センチかな? かなり作りが細かく,まるで生きているかのような艶めかしい光沢を放つ鱗。顔からは太い一本角が伸びる。 「シュウくん,こういうの好きだっけ?」 怪獣の玩具とか,そういうの全然興味なかったはずだけど……。この一週間で何か見て,ハマったのだろうか。 「ああ,これは吸血怪獣ギマイ……」 その時だった。怪獣フィギュアがのけぞり,両腕を上げて咆哮したのだ。私は「ぎゃあああっ!?」と叫びながら後ろへ飛び退き,そのまま転んだ。 「いたっ」 「ちょ,大丈夫か!?」 「ひい……」 私は前に立つ黒々とした怪獣が怖くて,立てなかった。その動きは人形のものとは思えない。関節が回っているなんて単純なものじゃない。重厚で繊細な筋肉の存在が嫌でも伝わってくる。生きた動物のように無骨で力強く,かつ滑らかで繊細な動き……。一歩,歩いた。さらにもう一歩。こっちに近づいてくる。生きてる。人形じゃない。また吠えた。何,何なのコイツ……。 「こらー!」 その時,私の後ろから甘ったるく舌っ足らずな少女の声が響いた。アニメみたいな高い声。花をモチーフとした白とピンクのドレスに身を包んだ魔法少女が私の目の前に降り立った。大ボリュームの金髪を大きなリボンでポニーテールに束ね,ピンク色のブーツと肘まで覆う白い手袋。背中からは透き通った蝶の羽根が広がる。 「私,桃子! よろしくね!」 振り返って私に向かってウィンクした。大きな瞳にペールオレンジ一色の肌。デフォルメされたアニメキャラのような顔だ。私は何が何だかわからず,目の前で起こっていることが信じられなかった。これは現実なの!? 一体何がどうなって……。 「ギーマくん,おどかしすぎ!」 桃子と名乗った魔法少女がビシッと右手で怪獣フィギュアを真っ直ぐ指さした。すると怪獣フィギュアは右手でポリポリと頭を掻いた。その動きはさっきまでとは打って変わってコミカルだった。 「あーっははははは!」 シュウくんが大声で笑い出し,私はようやく自分がドッキリにかけられたのだと悟った。そういえば何とかドールを買ったって言ってったっけ。この子たちがそうなのだろう。腹が立って,私は立ち上がって叫んだ。 「もう! ビックリしたじゃない!」 「いや,ゴメンゴメン」 シュウくんは特に反省している様子を見せない。転んだときに心配してくれたのは嬉しかったけど,それで帳消しにはならないよ。絶対。 「改めまして,あたし,バーサスドールの桃子! こっちはギーマくん!」 怪獣……ギーマくんはグオーと低いうなり声を出しながら,ペコリと頭を下げた。見かけによらず,結構優しい……のかな……。 シュウくんによると,この二人はバーサスドールという高度なAIを搭載したスーパーフィギュアで,戦わせて遊ぶものらしい。何だか悪趣味だなあ。まあ,男の子はそういうのが好きなのかな。いくつか動画を見せてもらった。ヒーロー風の人形同士がリング内でバトルしてる動画,広い立体的なフィールドで縦横無尽に飛び回りながら戦っている動画などなど。正直言うと,動画そのものはかなり格好良かった。映画を見ているみたい。シュウくんは,バーサスドールには「ヒットポイント」が設定されていて,「ダメージ判定」の蓄積で勝負を決めているから,本当にぶっ壊し合うようなことはしない,と自慢げに語った。まあぶつかり合うからどうしても多少の危険性はつきまとうけど……とゴニョゴニョ言いながら。 バーサスドールを育成して対戦するのが,今高校生から大学生ぐらいの間で流行っているらしい。私が二人の方を見ると,桃子ちゃんはフフンと得意げに鼻を鳴らし,ギーマくんは首をかしげた。 「怪獣はわかるけど,シュウくんってこういうの……好きなんだ?」 私が桃子ちゃんを指してそう言うと,シュウくんは慌てた。 「いや,別にそういうんじゃねーよ。ただ,二体で割引キャンペーンだったから,その,余ってたやつをだな……」 この反応はビンゴか。あーあ,ガッカリ。シュウくんは硬派だと思ってたのに……。再度桃子ちゃんの顔を見ると,両手の人差し指を口角に当てて笑った。よくよく見ると,スタイルは決して幼い方ではない。むしろ,私より身長高いかも……。胸も結構出ている。私より……。人形に負けたことにショックを受けている自分に驚かされた。作り物なんだから理想的な容姿をしているのは当たり前でしょ……。顔はアニメキャラっぽくデフォルメが効いているけど,動いても不自然じゃない程度にはリアルにも寄っている。スタイルに反して顔は幼い感じだけど,小顔で愛嬌があり,とっても可愛らしかった。白とピンクを織り交ぜた正統派な魔法少女っぽい格好もよく似合っている。 「もっと近くで見てみる?」 桃子ちゃんはふわっと浮き上がり,私の方に飛んできた。 「ひゃっ」 「ふふふ,すごいでしょー」 彼女は空中で自慢げに回転してみせた。背中から生えている蝶の羽根が飛行機能を有しているらしい。いいなあ。私も飛べたら,一人でもっと……。親やシュウくんにも迷惑かけずに……。 目の前に降り立った彼女からは,まるでアイドルのようなオーラが溢れていた。まごう事なき美少女……。負けた。って,何に負けたの!? 「うーん,これサイズ合ってないよー」 私のワンピースをつつきながら,彼女はこともなげに呟いた。私はムッとして,つい怒り口調で答えた。 「わかってるから,そんなの」 着せ替え人形の服なんだから,仕方ないでしょ。人間に着せることは想定しないから,着心地は最悪だし,可動性もゼロ,汗も吸わない。……私は目の前の魔法少女を魔法少女たらしめているものに,いつの間にか視線を吸い寄せられていた。あの服,かなり……良い出来だ。体にピッタリフィットしているばかりか,耐久性もありそう。肌の露出がほとんどないのに,手足の動きをまったく邪魔していない。柔軟だ。まあ,戦わせて遊ぶ人形だから当たり前と言えば当たり前か。 「その服,ちょっと触ってみてもいい?」 興味が湧いた私は,許可を取って彼女の服のスカートに手を伸ばした。花びらを想起させる白とピンクの二段スカート。触ってみると,とても柔らかく,しっとりとしていて,滑らかな手触りが返ってきた。すっごーい……。私の着ている服なんかより,遥かに……比べものにならない,いい服だ。 「あー,いいなあ」 私がそう呟くと,シュウくんが勘違いしてからかってきた。 「え,何,お前,こういう服好きなの?」 「ち,ちがうよ!」 私は真っ赤になって否定した。自分が桃子ちゃんと同じ格好をしてポージングしているところを一瞬想像してしまった。痛々しいコスプレイヤーにしかならない。というかそれ以前にこのデザインは恥ずかしすぎるよ……。桃子ちゃんは人形だから似合うんであって。 その日からまたしばらくの間,私は家に閉じこもる日々が続いた。友人たちは写真を送ってくれるけど,決して遊びに誘ってはくれない。かといってこっちから誘うことも出来なかった。迷惑をかけるだけだし……。だけど一番腹が立ったのは,シュウくんが送りつけてくる写真とメッセージだった。すっかりバーサスドールにハマったらしく,桃子ちゃんの写真ばかり私に贈ってくるのだ。練習風景,試合,着せ替え……。桃子ちゃんはいつもニコニコと笑っていて,とっても可愛らしかった。デフォルトの衣装は勿論,追加で買ったらしいチア衣装やメイド服も質の良い素材を使っているのが一目でわかる。魔法少女コスチュームの手触りを思い出す。とっても着心地が良いんだろうな。いいな。羨ましいな……。シュウくんにいい服一杯買ってもらえて。試合中の写真は格好良くて凜々しい。たまに混じるギーマくんの写真も癒やしだった。私だけが何もない夏休みを過ごしてる。クラスの大人しい男子だって,きっとゲームやアニメに……好きなことに熱中しているんだろうに。私にはそれすら許されない。私は桃子ちゃんに嫉妬していた。シュウくんはいかに彼女が可愛いか,勇敢に戦ったか,どんな話をしたか……そんなことを毎日送信してくるのだから,たまったもんじゃない。私と遊んでくれたっていいのに……。でも仕方ないか。桃子ちゃん可愛いもんね。寝っ転がって自分の手のひらを見ると,手入れされていない産毛が伸びているのがわかった。手のひらには数え切れない皺が走っている。血管が透けて見えるし,小指には黒子が。どれも彼女にはないものだ。人形のあの子は,均整の取れた優れたスタイルと,かわいい作りの顔,きらめく長い金髪を持っている。私には絶対着られないようなコテコテの魔法少女コスチュームですら,彼女は可愛く着こなしてしまう。チア衣装の写真を拡大すると,彼女の肌がよく見えた。毛は存在しない。毛穴も皺も。その綺麗な皮膚は,見渡す限り肌色一色。私とは全然違う。そりゃ可愛がるよね。それに,彼女は少々乱暴に扱ったって怪我しないし,生理現象に気をつける必要もない……。私はご飯食べないといけないし,ウンチもおしっこもするし,小さくなっても生理はやってくる。お風呂に入らなければ臭くなる。面倒くさいよね。関わりたくなんかないよね……。気がつくと泣いていた。やだ。誰も悪くないのに……。もう,やだ……。 気を紛らわそうと,バーサスドールの動画を漁った。人形に嫉妬するなんて本当に情けない話だ。心もちっちゃくなっちゃったのかな。関連動画から,気がつくと戦闘用じゃないスーパーフィギュアの動画を再生していた。私と同じ人形病の人が映っている。ボーッと眺めていると,信じられないことをやり出した。肌色のクリームを溶かしたお湯に浸かり,その粘っこい液体を全身に塗り始めたのだ。人を溶かし込んだかのような肌色のクリームは不気味だし,まるでそのクリームに取り込まれているかのようで恐ろしかった。ボーッと見ていたので詳しい説明を聞き逃していた私はバーを戻し,冒頭の説明を確認した。これはフィギュアクリームといって,本来は人形の汚れをとったり,傷を直したりするために使うらしい。だけど,汚れをとる機能が優秀なため,人形病の人に塗ると,お風呂に入る必要もなくなれば,トイレにさえ行かなくてよくなる,生理もスルー……本当だろうか。トイレの問題はこの病気に罹った人にとって,最も大きな問題と言ってもいい。学校では職員トイレにままごと用のオマルを設置してもらったので,誰かに運んでもらって,そこで致す……という流れだけど,当然水洗ではないから,誰か先生に自分が出した排泄物を処理してもらうことになる。心底恥ずかしいし,みっともないし,申し訳なかった。家でもお母さんにやってもらわないと,自力で下の処理は到底できない。私の自尊心をジワジワといたぶる,あのトイレ問題が無くなる……それは甘美な響きだった。いいなあ。本当なら。バーを進めると,クリームを塗り終わった小人の全身が映った。光を反射して光沢を放つツルツルの肌。肌色一色で,乳首がない。胸が少し大きくなっている。股間も起伏のない,のっぺりとした構造になっていて,本来あるべきもの全てがクリームに埋没しているらしかった。動画内で説明が書かれていたのと読んでみると,フィギュアクリームはナノマシンで制御されていて,人形の形状に沿って修復する機能があるとか何とか。乳首がなくなったのは,本来人形にない突起だかららしい。胸の形を自然に保ちつつ,乳首が埋まるまでクリームが覆おうとしたことで,結果胸が大きくなったのだ。 「ほへー……」 思わず声が出た。動画でポージングするクリーム塗れのお姉さんは,とても輝いて見えた。まるで本物の人形のように滑らかで,一点の曇りもない肌。桃子ちゃんとおんなじ……。髪も質感がフィギュアみたいになってる。どう見ても人間の髪には思えない。一つの塊を髪っぽく見えるよう造形したかのような,シリコンだか樹脂だかの塊に見える。フィギュアの髪そのまんまだ。だけど,手で触れると本物の髪のようにサラッと分かれた。髪型変えられるんだ。不思議だな……。動画を見終えた私は,深く息を吐いた。サムネイルの動かないお姉さんは,とても人間とは思えない。こうして静止していると,最初からこの形で作られたポーズ固定フィギュアのようだった。顔も何だかアニメキャラっぽくデフォルメされているような……。それは気のせいかな……。いや違うな。顔の肌が全て同じ色に染まって,皺とか染みとかが全部無くなったから,特徴が大分スポイルされたんだ。これは事実上のデフォルメだよ。 興味が湧いたのでもっと調べてみた。フィギュアクリームは健康に悪影響もなく,人形病患者の間で最近ジワジワと広まっているらしい。知らなかったなあ。こんな便利なものが……。いや,でもあの見た目はちょっと気持ち悪いよね。まるっきりフィギュアみたいだったし。フィギュアになった自分の姿を想像すると,気恥ずかしさが募った。クラスですごい変な目で見られるだろうなあ。いやでも,トイレ手伝わなくてよくなったら,先生たちはきっと喜ぶよね……。シュウくんも……。そうだ,シュウくん。私は桃子ちゃんのことを思った。綺麗な肌と理想的なスタイルを持った可愛い人形の彼女。シュウくんがとっても大事にしている彼女。もし……このクリームを私が塗ったらどうなるだろう。桃子ちゃんに負けない肌を持った私。面倒で生々しいお世話を必要としなくなった私。そしたらシュウくん,桃子ちゃんみたいに可愛がってくれるかな……。 って,イヤイヤ,何考えてんの私。人形相手にそんな,本気でヤキモチなんて……。大体,本当に健康に問題ないかわかんないし……。第一,私が親に「ねーねー,フィギュアに塗る塗料買ってー。え? 何に使うかって? 自分に塗るの!」なんて言ったらどんな反応をされることやら。土台無理な話だよ。第一,人形になりたいなんて考えるのがおかしい。私は病気で縮んだだけで,れっきとした人間なんだもん。 その時,スマホが振動した。新しいメッセが届いた。シュウくんからだ。写真が送られてきている。笑顔でVサインを決める桃子ちゃんと,同じく笑顔でそれを慈しみ,称えるような視線を向けたシュウくんの大きな顔。どこかのお店でやった非公式大会で準優勝したらしい。おめでとうとだけ返信して,私は枕にダイブした。何で……桃子ちゃんばっかり。たまには私と遊んでくれたって……。縮むまではよく一緒に出かけたり,ゲームしたりして遊んだのに。最近はサッパリだ。たまに呼んでくれても,何か見せてきたりするだけだし……。私がアンタッチャブルな存在だから? そりゃまあ,うっかり潰しちゃったり,傷つけちゃったりするのが嫌なの,わかるよ。遊んでる最中に私が「トイレに行きたいから用意して運んで,その後で私のウンチ処理してね」なんて言い出すのが怖いことも痛いほどよくわかる。断りづらいだろうし。桃子ちゃんが羨ましい。そういうことを一切気にせず,遠慮無くシュウくんとふれあって,バタバタ遊べて,可愛い可愛いと言ってもらえて。私もまた昔みたいに気の置けない間柄に戻りたい。互いに気をつけながら,おっかなびっくり接するのはもうやだ。でも,この体ではそれは叶えられない夢物語。桃子ちゃんみたいに……。綺麗で,頑丈で,生理現象から解き放たれた存在になれたら……いいのにな。 翌日,またシュウくんの家にお邪魔した。というか連れて行かれた。準優勝景品,スーパーフィギュア用のカスタムセット。サイズの合う服があったら,持っていっていい,と言ってくれた。それは嬉しかったけど,服はどれも装飾過剰なキラキラしたものばかり。自分が着ても似合わないだろうな,と思うと悲しくなった。今の私はろくに肌の手入れも,化粧も出来ない状態だから,尚更だ。チラッと桃子ちゃんの方を見た。彼女が着たら,これ以上無く可愛く輝いて見えるんだろうな,と思うとますます惨めになった。 その矢先,早速彼女が魔法少女衣装を脱ぎ始めた。一切躊躇することなく,肌色一色の裸体を露わにした。下着すらつけてない。私は呆気にとられた。すぐ傍でシュウくんが見てるのに,よくそんなことができるなあ。私には恥ずかしくて無理……いや,そっか。桃子ちゃん人形だもんね。羞恥心とかないよね……。光を反射する滑らかな裸体は,不思議といやらしさを感じさせない。単純に作り物の人形だからなのか,それとも彼女の天真爛漫な立ち居振る舞いがそうさせているのか。シュウくんはニコニコしながら,服を漁る桃子ちゃんを眺めていた。愛情を感じる,優しい目だった。胸がチクッとする。私にはそんな目,向けてくれたことなかったのに。そうこうしているうちに,桃子ちゃんは金髪ツインテールのメイドに姿を変えた。スカートはフリル付き,縞模様のニーソックスを履いて,甲にリボンがついた可愛らしい手袋もスッポリ綺麗にはまっている。髪を縛る大きな白いリボンも,人間ならば痛々しくて苦笑いしてしまいそうなパーツなのに,彼女のかわいらしさをこれ以上無いくらいに引き出しているように思えた。あざとくターンすると,腰についた大きなリボンがたなびいた。悔しいけど,可愛い。それは認めざるを得なかった。 「おーっ,いいなあ!」 「えへへっ」 私は立ち上がって,さりげなく距離を取った。といっても,机の上で動けるスペースなんて限られてるけど……。手持ち無沙汰にしているギーマくんに近づき,小声で愚痴ってしまった。 「私もあんな風だったらよかったな」 ギーマくんは軽く首を横に傾けた。頭上にハテナマークが見えそうな仕草だ。言ってもわかんないか。また桃子ちゃんの方へ出向いて,カスタムセットの箱を漁った。服以外にも何かあるかもしれない。椅子とか……。家具はなかったけど,化粧品のような容器を見つけた。ラベルは……フィギュアクリーム!? あの!? 心臓が高鳴った。どうしよう。いや,どうもしないけど。これはシュウくんの物だし,塗りたくなんか……ないし。「塗って」なんて言ったら変態扱いされるだろう。目に見えてる。 「はーっ……」 私は腰を下ろして,ため息をついた。つまんないな。私に似合う地味目な服はなかったし,一緒にゲームもできないし,シュウくんは桃子ちゃんのことばっかり……。私はともかく,ギーマくんにも構ってあげなよ。人型じゃないから弄りにくいのは素人でも想像がつくけどさ。またギーマくんと目が合った。ギーマくんは今度は何か合点がいったかのような表情……を浮かべたような気がした。「ぐおう」と鳴いて頷き,尻尾を上下している。犬みたい。その時シュウくんのスマホが鳴った。電話だ。 「あ,悪い,ちょっと」 シュウくんが部屋から姿を消すと,ギーマくんがズシンズシンと机を振動させながらこっちへ進撃してきた。あ,やっぱ怖い。人形とはいえ見た目は怪獣だし,自分の二倍の大きさだもんね。私は脇によって進路を空けた。ギーマくんが目の前に立つと,私は身震いした。刺々しい黒い鱗が,やっぱり怖く感じる。近くにいると怪我しそう。でも二倍のサイズを持つギーマくんが太い両脚と尻尾とのセットで通路を塞いでいるので,私は動けないでいた。 彼はうなり声を上げながらクリームの容器を取りだした。そして,勢いよく床にドシン,と落とした。近くなので大分振動が激しく,私は一瞬宙に浮いてしまった。もう少しそっと置けないのかな……。今度は蓋に太い両腕をガッチリと密着させ,グルグル回して開け始めた。そんなもの取りだして何をするつもりなんだろう。怪獣型の人形にも使えるのかな。ていうか人形が自分で自分を改造するのってアリ? 成り行きを見守っていると,急に辺りが暗くなった。私は大きな影の中に入ったらしい。ギーマくんが私の横に回り込んだせいだ。一体何をして……。ふと見上げると,クリームの容器が自分の真上にあることに気づき,潰されたら大変と腰を上げた瞬間だった。ギーマくんがクルッと上下をひっくり返し,クリームの滝が私を襲った。 「えっ,ちょんんんっ!?」 あっという間に大量のクリームが降り注ぎ,ややもするとグロテスクな肌色の塊が形成され,私はその中に完全に埋もれてしまった。クリームは粘度が高くて,ほんの数秒やそこらで脱出できるものではなかった。私は泥の中で必死にもがいた。真っ暗で何も見えない。それにクリームの重量で押し潰されてしまいそう。手足をいっぱいに伸ばしても,クリーム山の外まで届かない。どうしよう。窒息したら……こんな死に方やだよ。というかなんでこんなことになってんの私? ギーマくんがいきなり……何で? 「シュウく……」 助けを呼ぼうと思って口を開いた。これは失敗だった。クリームが口の中に遠慮無くなだれ込み,歯に舌に,口内を侵し始めたのだ。いけない,閉じなきゃ死んじゃう……。でも,流れ込むクリームの圧力が強くて,私の顎は動かせなかった。喉の奥に……体内まで入ってくる。やめて……シュウくん……助け……て……。 何かが私の足を掴んだ。勢いよく引きずり出され,私は肌色の塊から脱出できた。ゴホゴホと咳が連続で出たけど,喉や口からは何も出てこなかった。飲んじゃった……。大丈夫これ? 「ん? ……うわっ,おい,それ……え!?」 部屋に戻ってきたシュウくんが素っ頓狂な叫びを上げた。私は自分の両手を見た。ツルツルで光沢を放つ皺も毛もない人形のような手。まるで桃子ちゃんのような……。え,嘘。これが私の……手!? ショックとさっきのダメージが重なり,私は気を失って倒れた。 病院から帰宅した私は,自室のベッドに放してもらった。はあ……。超疲れたし,超恥ずかしかった……。先生に寄れば,健康に悪影響はないらしい。にわかにはどうにも信じがたいけど,本当らしい。人形用の塗料を全身に塗りたくっても飲んでも平気だなんて,変な話。体から除去するには,特殊な溶剤が必要なので,数日はこのまま我慢しなければならない。私は親が部屋から出るのを待って,スマホのカメラを使い自分の全身を確認した。そこに映っているのは,名前の通りフィギュアのような小人。滑らかで一点の曇りもない,均質な肌。継ぎ目のないこの姿は,ポーズ固定のフィギュアのように見える。ジッとしていると尚更だ。これが自分だなんて,未だに受け入れづらい。顔も大分印象が変わった。あの動画の人とおんなじだ。生きた人間にある細かな特徴がスポイルされて,デフォルメされたアニメキャラの顔みたいになっちゃってる。髪も,もはや髪の毛の集合体だとは到底思えないものと化している。それっぽく造形された一塊のパーツのようだ。だけど,手で触れると普通の髪の毛のようにサラリと分かれた。適当に手で縛ってみる。できる。画面が映す私の髪は,最初からこの形で成形された樹脂のように見えた。 「すご……」 自然と声がもれた。桃子ちゃんみたい……。これが自分ではなく,買ってきた人形だったら,「可愛い」「よくできてる」という感想を抱いたと思う。 (って,馬鹿なの私。可愛いって……自分に……) 次に私は服を全て脱いで,カメラで自分の裸体を眺めた。動画の人と同じく,胸は一回り大きくなり,乳首が埋もれて消えていた。人形の胸のようにツルツルで滑らかな曲線。乳首なんて最初から存在しなかったのようだ。股間も人形のそれと同様,何もないツルツルのスペースになっちゃっている。大丈夫かなこれ。本当にトイレとか……全部吸収分解してくれるんだろうか。最後に,口をアーンと開いた。口内もクリームがしっかりと四方八方を覆ってしまって,まるで人形の口の中みたいに,肌色一色の簡素な空間になっている。ただ,歯は白いし,舌はピンクだった。不思議だな。髪も黒いし。このクリーム,一体どういう仕組みなんだろう。うー,けど,こんな格好じゃ人前に出られないなぁ。……出る予定ないけどさ。 「入るぞー」 突然シュウくんの声が響いたので,私は慌てて服を着た。 「ホントにゴメンな。コイツが……。なんか勘違いしたらしくて」 右手にギーマくんを無造作に掴んだまま,シュウくんが頭を下げた。 「いいよ,いいよ。お医者さんも大丈夫って言ってたし……」 シュウくんがお詫びとして,今度好きなとこにつれてく,或いは何でも欲しいものを買う,と言って何度も謝罪した。ギーマくんにも頭を下げさせた。といっても,首の可動域が狭いためか,余り「謝っている」という印象は受けなかった。 それからの三日間で,クリームに対する恐怖感と不安は綺麗さっぱり消え去った。体を動かすときに突っ張ったりすることはなく,塗る前とまったく同じ感覚で体を動かせたのがまず一つ。次に,物に触れても,感触がクリームで遮られることも,鈍くなることもなく,これまで通りに伝わってくること。ご飯を食べても味がする。舌が簡素な作り物みたいになっちゃってるのにも関わらず。最も,何よりも大きいのは,生理現象から解放されたこと。本当にトイレに行かなくてもよくなったのだ。尿意便意を催さない。三日間一切出してないのに,健康に問題は起きなかった。全て順次分解されているのだ。そして,匂いもしない。汗や垢も処理してくれているらしく,お風呂すら軽く流すだけで……いや,それすら必要ないかも。ハッキリと言葉にはしなかったけど,お父さんもお母さんも,喜んでいるのがミエミエだった。そりゃそうだ。いくら娘とはいえ,下の世話なんてしない方が気分良いに決まってる。最後に,見た目。気持ち悪いな,嫌だなって最初は感じた人形ボディ。シュウくんが送ってくる桃子ちゃんの写真を見ても,ヤキモチや劣等感を抱かなくなった。今の私は,まるで二次元から抜け出てきたかのような姿だ。正直言うと……今なら,桃子ちゃんにだって張り合える,そんな自意識がムクムクと育ってきたのだ。まあ,スタイルは負けちゃうけど……。それでも,桃子ちゃんの着ている魔法少女衣装,今の私なら似合う……とは言わないけど,きっと違和感がない。フィギュアみたいに可愛く着られるはず。……いやでも,高校二年生にもなってあんな服を着たいって思っちゃうのはどうだろう。ダメかな。痛いかな……。 シュウくんは罪悪感からか,私を家に呼ぼうとはしなかった。けれど,私はまたシュウくんの家に行きたいと強く願うようになってきていた。自分でもどうかと思うけど……。今の私なら,あのキラキラしたスーパーフィギュア用の服を,きっと着こなせる。そしたら……可愛いって,シュウくんも思ってくれるはず。そしたらそしたら,私を桃子ちゃんみたいに可愛がって……って何変なこと考えてるの! 四日目。溶剤が届いた。これでフィギュアクリームを落とせる。……のだけど,気が進まなかった。人形病で失った人間の尊厳。皮肉なことに,私はそれをフィギュアになることによって取り戻せたのだ。他人に下の世話を手伝ってもらわなくて言い。化粧はおろか無駄毛処理さえできない,惨めな私はもういない。どんなキラッキラでフワッフワな衣装でも違和感ないくらい,綺麗で艶のある体。手放したくなかった。少なくとも,シュウくんに撫でてもらうまでは。ってなにその基準!? もー,私なんか変だよ,ここ最近。 「えっと……じゃあ,準備しよっか」 「ええ,……そうね」 両親も何だか歯切れが悪い。下の世話をしなくてもよかったこの三日間が,私と同様に忘れられないに違いない。立場上言い出せないだけで,きっと心の奥では,私にフィギュアでいて欲しいと思っているはず。……それなら,いいよね,うん。別に私がシュウくんに桃子ちゃんより可愛がってもらいたいとかではなくって,親に楽をさせてあげたいっていう,そういう理由なんだから。うん。 「あの……えっとね,その……」 私から提案して,フィギュアクリームを落とさないことに決めた。もうしばらく様子をみてもいいんじゃないか……って。両親も表面上食い下がる素振りを見せたけど,内心喜んでいるのがアリアリとわかる。けど,私は気にならなかった。いいよ,うん。これで。別に,いつでも落とせるんだし……ね。 さらに二日経っても誘いがなかったので,思い切ってこっちから言った。シュウくんの家に遊びに行きたいと。特に断られることもなく,一週間ぶりにシュウくんの部屋の机の上にお邪魔した。桃子ちゃんが「久しぶり~」と言って話しかけてきた。もう,彼女に対してそれほど引け目は感じない……とばかり思っていたのも束の間,私のちっぽけで倒錯した自信は見る間に萎んでいった。確かに,私は人形の容姿を手に入れて,桃子ちゃんと同じ土俵に立てられてはいる。けど,そのせいでスタイルの差が明確に比較,強調されてしまう結果になっていた。私は悪くはない方だと思う。けど,大人の色気と少女の幼さを理想的なバランスで両立させている彼女とは比べるべくもない。 「おお~……えっと」 それでも,シュウくんは私に良い意味で驚いてくれた。やった! ……ただ,褒めていいのかどうか迷っていた。 「どうどう? 可愛い?」 私が助け船を出すと,すぐに答えてくれた。 「うん,可愛いな」 ……えへへ。良かった。クリーム落とさなくって。嬉しい。いつぶりだろう。人形病に罹ってから,一度も言ってもらったことない気がする。 「マスターマスター。私はー?」 「うんうん,お前も可愛いよ」 「えっへー」 直後,シュウくんが桃子ちゃんを褒めた。……まあ,それはいい……けど,私はシュウくんが彼女の頭を優しく撫でたのにショックを受けた。私にはしてくれないのに。シュウくんになでなでされている桃子ちゃんは,まるで喉を撫でられている猫のようだった。幸せそうな表情を浮かべて,大きな指に身を任せていた。ううっ,いいなあ。私も……。って,だからそんな,張り合う必要ないでしょ,もう。……でも,何でだろう。やっぱり,私が人間だからかな。下手に触って怪我させたりしたら大変だから……。それはそうかもしれないけど,寂しいよ。昔みたいに気兼ねなく遊べる仲に戻りたいのに。 その時,黙っていたギーマくんが唸った。頭を下げて,角で何かを指し示している。あれはカスタムセットの箱……? あ,そうか,服だ! 桃子ちゃんにあって私にないものが,まだ残っていた。桃子ちゃんは優れた素材で作られ,体に完璧にフィットした魔法少女衣装を身につけている。比べて私は,粗雑な着せ替え人形用のワンピース。固くゴワゴワで着心地も悪い。私の等身と合ってないから,体のラインが外からほとんどわからない。だから余計に体のスタイルが強調・比較される形になって,私は敗北感を味わうことになったんだ。私はスーパーフィギュア用の衣装を漁った。女児向けアイドルアニメの装飾過剰積載のものや,メイド服やチア衣装などのコスプレ感の強いものばっかり。でも,今の私ならきっと,それなりの見た目になってくれるはず……。 「ねえ,これ……ちょっと着てみていい?」 「ああ,いいけど。……やっぱそういうの,興味あんじゃん?」 「うっ……い,いや別にそんなわけ……いいよもう,それでもっ」 私は顔が赤く染まるのを感じた。クリームを塗っても,顔の紅潮は表出するみたい。私が手に取ったのは,ピンク主体のアイドル衣装。魔法少女衣装と被るからか,未使用だ。タグを見る限り,女児向けアイドルアニメの衣装っぽい。あー,やっぱり恥ずかしい。高校二年生が好き好んで着る服じゃないもんね……流石に。でも負けてられない。……いや,何と勝負してるのさ私。 シュウくんの目の前で着替えるわけにもいかないので,辞書で壁を作ってもらい,その裏で着替えた。ピンクと白の二段重ねのフリルで出来たスカートは紡錘型に横に広がる。ピンクのドレスは胸に大きなリボンがくっついていて,幼い子が着る服のような印象を醸し出している。袖もスカート同様,ピンクと白のティアードスリーブ。長い白手袋と,可愛らしいピンクの靴を履き,最後に大きなピンク色のリボンカチューシャを装着。これで全てのパーツを装着した。あー……。ついに着ちゃった。ドキドキする。大丈夫かな。痛々しく見えないかな。体を動かすと,感じの良い絹のような感触が全身を柔らかく包み込んだ。体に沿って綺麗にフィットして,着心地は抜群だ。これだけでも着て良かったって思える。桃子ちゃんはずっとこんな良い物着てたのかと思うと,無性に腹が立った。人間には大した服がないのに,人形には良い服があるなんて。普通逆じゃないの。理不尽だよ。 「おーい,まだかー?」 「あっ,うん,もういいよ……」 シュウくんに呼ばれた私は,意を決して辞書の影から姿を現した。ゴクリとつばを飲んだ。どうかな? 変じゃない? やっぱり高校生だとキツイ……? 「おっ! すげー,似合ってんじゃん! くぁわいい!」 「っ!」 私は思わず顔を背けてしまった。嬉しいよ。顔が服に負けじとピンクに染まっちゃう。 「か,鏡とかある……?」 「スマホのインカメラなら……」 目の前に置かれた画面に映ったのは,とっても可愛らしいアイドルのフィギュアだった。ああ,やっぱり。顔が,肌がフィギュア状になったおかげで,こういうコテコテな少女趣味の服でも違和感がない。これが私だなんて信じられない。自分の姿を見てこんな気分になったのはいつ以来かな。やっぱり,人形病になってからは初めてのはず。人間だったら小学生でもキツイ大きなリボンカチューシャも,バッチリはまってくれている。見違えたな私。これなら桃子ちゃんにも……。ポニーテールの美しい金色の髪を揺らしながら飛んでいる彼女の姿を見ると,それでもまだ負けているような気がした。 「いや,本当に人形みたいだな」 シュウくんが私に向かってそっと指を伸ばした。……けど,途中でハッと何かに気づいたかのような顔をして,引っ込めてしまった。私は笑って何事もなかったかのような素振りを見せたけど,結構傷ついた。キスを直前で止められたかのような気持ちだった。 シュウくんは誤魔化したいのか,スマホを取って性急にキャラの画像を検索した。私と同じ服を着た,ピンクの髪を持つ女児向けアイドルアニメの主人公。見せてもらうと,等身以外は今の私とよく似てる。唯一の違いは……髪の色か。 「里奈ちゃん素敵ー!」 桃子ちゃんが隣に着地して,私に抱きついた。 「ちょxと,んんっ!?」 「えへー,妹が出来たみたーい」 い,妹!? 私は人間で,当然あなたより年上なんだけど!? 抱擁が緩み,顔が自由になると,私は離すよう言うため,顔を上げた。その時,桃子ちゃんの顔が視界の全てを占めた。こんな間近で見るのは初めて……。パッチリとした大きな瞳とまつげ,ほんのりとピンクがかった頬,小さくて丸い顔……。悔しいけど,綺麗だった。そして何より,流れるようなその金髪……。安っぽいコスプレ用ウィッグなんかとは違う。私と同様,髪っぽく造形された一塊のパーツのようだけど,艶があり,キラキラと輝いていた。私は何も言えなくなってしまって,黙って彼女が満足するまで抱かれていた。 解放された後,桃子ちゃんが言った。 「これで髪がピンクだったら,完璧だね~」 「はあ……」 流石に髪をピンクに染めるのは……憚られる。いくら今の私がフィギュアっぽいと言っても……。私はさっきスマホに映った自分の姿を思い出した。もしアレの髪がピンク色だったら……いや,結構イケる……かも……? 「お,じゃあ試してみる?」 乗り気になってきたシュウくんが軽そうに提案した。カスタムセットの箱から取りだした,スーパーフィギュア用の染毛剤。 「え,でもそれ……人間に使えるの? 大丈夫?」 「染まるのはクリームだろ?」 ああ,そうか……確かに。え,でもちょっと不安。やっぱり確認した方が……。って,なんでピンクに染めるのは問題ないみたいになってるの! ますそっちを心配しなきゃでしょ私! 「さ……流石に髪をピンクには」 私がモジモジしながら小声で呟いた瞬間,シュウくんが被せてきた。 「お,問題ないってさ。子供が誤飲しても平気だって」 「え,あ,そう,なんだ」 「今の里奈なら,ピンクにしたら合うだろうな」 「……え?」 「うんうん! 可愛くなると思うよ!」 「ヌガー」 シュウくんと人形たちに押され,私は異議を唱えられなくなってしまった。シュウくんが私に注目してる。見たいって思ってくれてる……。ピンクにしたら,もっと可愛いって言ってくれるのかな。また触れあえるようになるのかな。まあ……黒の染毛剤もあるから,すぐ戻せるしね。いいよね,別に。誰に見られるわけでもなし。……シュウくんを除いて。 「おー,やっぱ似合うじゃん! そっくりだな!」 「……それだけ?」 「?」 「……」 私は不満だった。鮮やかなピンクに染まった私の髪を,確かにシュウくんは褒めてくれた。けど,同じ服のアニメキャラに近づいたって意味であって,私,里奈が可愛くなったとはいってくれなかったからだ。 代わりに,桃子ちゃんが「かわいいー!」と言ってくれたけど,所詮AIの言うことだし,誰にでも言うのかもしれない,と思うとあまり素直に喜べなかった。 そうこうしてるうちに時間が経ち,夕食時になったので,私は家に帰してもらうことにした。トイレに行く必要はなくなっても,移動は誰か人の力を借りなければならない。何だか持ち運ばれてる人形みたいで嫌だなぁ。桃子ちゃんみたいに飛べたらいいな。あの羽根っていくらするんだろ。……いや,多分AIじゃなきゃ使えないんだろうけど。 髪がピンクのままであることに気づいたのは,お母さんが私を食卓に運ぼうと部屋に入ってきたとき。一頻り驚かれた後,寝るまでからかわれた。 お風呂で洗っても,髪のピンクは一切落ちる気配を見せなかった。まるで最初から私の地毛はピンク色だったかのように思えてくる。私は部屋に戻ってから,自分のスマホで再度自分をよく見てみた。人間では絶対に有り得ない,ピンクの髪が艶々と輝いている。作り物感が半端ない。誰が見ても,「縮んだ人間」だとは絶対思わないはずだ。余すところなく均質に塗られたツルツルの肌。樹脂のような質感を放つピンクの髪。これはフィギュアだ。ピンクの髪という非現実的な要素が加味されたことで,私は完全に生き物っぽさを失っていた。といっても,戻そうと思えばいつでも戻せるし……というのもまた事実。そんなに気にすることもないかな。 今日帰りがけに,服を数着譲ってもらった。派手なフリルがついたワンピースをパジャマ代わりに着てみると,これもまたすこぶる着心地がいい。滑らかな肌触り。よく寝れそう。明日シュウくんにお礼言わなくちゃ……。

Comments

sengen

主人公の女の子は冒頭から既に小人でしたが皆で主人公を支えようと行動していたのが素敵でした。これまでは主人公以外の登場人物は追い詰める立ち位置の事が比較的多かったですが、今回はドール達も味方となってくれていて新鮮だった覚えがあります。 気遣われていても疎外感を感じてしまったり、生理現象など女の子が抱える悩みをあえて掘り下げたり、修介に対する好意や桃子へのやきもちなど、人形相手に対抗心や憧れがどんどん芽生えてしまう過程が分かりやすかったです。一方で人形たちは里奈を純粋に好意的に接したりフォローしてるのも対照的で、しかもそれがきっかけで里奈もドール化していくのが面白かったです。

opq

優しい感じの人形化をあまり書いていなかったので書いたのがこの話だったと記憶しています。案外人気があるようで嬉しく思います。