永遠の張り込み (Pixiv Fanbox)
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2020-06-03 11:03:42
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2023-05
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一見すると、その依頼はとても簡単そうな内容だった。地元の有力一家の娘が、悪霊に悩まされているという相談。二人組の退魔師を営んでいた私と里奈は、二つ返事で引き受けた。簡単そうだったし、恩を売るには最高の相手だったからだ。
庶民のリビングぐらい広い子供部屋は、可愛くピンクに彩られ、フカフカの大きな大きなベッドでは、小学校低学年ぐらいの女の子が唸っていた。あたりの妖気を探ってみると、なるほど悪霊の残り香がある。娘本人を診察すると、呪いもかけられているようだった。幸いこれは大した呪いではなかったので、手持ちの道具ですぐ解呪できた。晩には嘘のように元気になって、私達は中々の歓待を受けた。食事も美味しいし、まるで英雄みたいな扱いだし、いい気分。流石は有力者の家だ。
とはいえ、悪霊本体をやっつけなければ、解決したとは言えない。気配から察するに、常に憑りついているわけではなく、ちょこちょことチョッカイをかけにきているようだ。
「ではどうでしょう。今晩はお泊りになっては」
「よろしいんですか?」
「いいえいいえ。犯人を捕らえなければ娘もまた熱を出すのでしょう?」
私たちは奥様の意向もあり、その夜、子供部屋に張り込むことに決めた。あの手合いは大体深夜に訪れるものだ。
庭と子供部屋の四方に、侵入者を知らせる簡単な術を仕掛け、私たちは子供部屋に座り込んで待った。娘さんが寝付くまで人形コレクションの自慢話に付き合わなければならなかったが。
「これがねー、前のプリガーで、こっちが……」
棚の中にズラリと並んだフィギュアたち。女児向けアニメのものが多数だが、そうじゃないキャラクターのものも多い。彼女の解説を聞く限り、どういう作品のどんなキャラクターなのかは把握しておらず、好き勝手に名前をつけて可愛がっているようだ。どうやらこの子はぱっと見可愛い人形を集めて飾るのが趣味らしい。いくつか小学生にはあまりよろしくない作品のフィギュアもあったが……。まあ可愛ければいいのだろう。多分親もよくわかってなさそうだし。
娘さんが寝た後、私たちはジッと待った。霊感を研ぎ澄まし……。呪いの感触からして、それほど大した相手ではなさそうだが、油断は禁物。
待った。草木も眠る丑三つ時。里奈が何回か寝落ちしかけたので、小突かなければならなかった。そして気づけば私の意識が五分ほど飛んだり。次第に眠気が大きくなってくる。くそっ、昼寝でもしてくればよかった。てっきり憑りついているのだとばかり……。はぁ。徹夜きっつ。学生時代は割と余裕だったけど、もう今は……。
「いたっ!?」
里奈がニヤニヤしながら私の髪を握っていた。くっそ。
結局夜明けまで待ったが、悪霊はとうとう姿を見せなかった。今にもぶっ倒れそうな千鳥足で、私は早朝の庭を回った。微かに妖気がする。どうやら対策されたらしいことを察して逃げたらしい。要領のいいやつだ。
私たちは悪霊が現れず逃げたことを伝え、自宅まで送り届けてもらった。家に着くなり突っ伏すようにベッドに倒れ込み、私たちは伸ばしに伸ばした眠りについた。まあ何はともあれこれで事件解決、お終い。割のいい仕事だった……。
ところが、この依頼はこれで解決しなかった。一週間後、再び娘さんが熱を出した。風邪ではない。悪霊の仕業だ。無論、このまま引き下がっては私達コンビの名折れだし、お金も返さなければならない。呪いはまた簡単に解けたが、肝心の犯人が姿を見せない。事前にたっぷり昼寝してから再び張り込んだものの、悪霊は中々姿を見せない。二日、三日と頑張れど、結果は同じだった。そしてちょっと休憩するために空けた一日の間に、悪霊はまた依頼主の家に忍び込んで悪事を働いた。何といやらしい奴だろう。私たちは極力気配と霊気を消して張り込んだ。別室や箪笥に隠れたり、家から離れて待機してみたり……。しかし今回の悪霊は随分と悪賢く、かつ鋭い奴らしく、私達がいる時には絶対姿を現さず、いない時を的確に狙って入り込んでくるのだ。
うーん、困ったぞ。長持ちする結界でも張ろうか。でも準備が大変だし、追加料金をとらなければ駄目だ。しかし悪霊自体は低級っぽいし、それは大袈裟だし、私達の退魔師としてのプライドにも悖るし、奥様方もいい気分はしないだろう。私達の悪い評判が立っても困る。かといってずっとこの家に泊まり込み続けるのも相当、迷惑だ。
「どうやら、人の気配にものすごく敏感みたいね」
それでも進展はあった。力自体は弱いが、どうやら気配察知が異様に得意な悪霊らしいことが調査でわかってきた。じゃあ対策を……。って、どうすればいいの? どこかに隠れたり、距離をとって別の家に潜んだりしても駄目なのは、既に証明済み。かなり広範囲にわたって、的確に識別できるようだ。でもこれ以上遠くに待機だと、恐らく逃げられるだろう……。
奥様も苛立ちを隠さなくなってきたし、私たちは焦った。別の退魔師に頼む、みたいなことになれば評判が著しく下がってしまう。ましてや相手はこの辺の有力者だ。うーん……。
突破口を思いついたのは里奈だった。
「ねえ春香。私、いい術見つけてきたわ」
「なに?」
「これよ!」
それは人間と物体を融合させる術式だった。倫理的な問題で、普通やらない類の術。しかも本人の心からの許諾がなければ発動しないから、そうそう悪事にも使えない、全く使いどころのないマイナーな術だ。
「いや……それでどうするの?」
「相手は人の気配を察知するでしょ? あの子の部屋、お人形でいっぱいでしょ? だから、これでねぇ……」
里奈はとんでもない計画を打ち出した。人の気配を消すために、人形と融合し、あの子のコレクションの中に潜む、というのだ。
「ええぇえ!? いやよ、フィギュアになるなんて!」
私は拒否した。フィギュアと融合なんて、絶対嫌だ。第一、融合したあとどうなるかもわからないってのに。もしも死んだりしたらどうするの!?
「まあいいじゃない、試すだけ。私やるから」
「えー……」
里奈に押され、私は渋々、実験に付き合うことにした。適当な安いフィギュアを買ってきて、それと里奈を融合する。大がかりな陣を用意せねばならず、事前準備だけでも一苦労。
「じゃ、そこに立って」
「はいはーい」
呑気だなぁ、里奈は。フィギュアと融合するなんて怖くないんだろうか。小さくなる程度に考えているのかもしれない。
片方の陣に里奈、もう片方にフィギュア。私は術を発動した。これが思ったよりも霊力を使う大きな術で、私は彼女のアホな提案に乗ったことを後悔した。
十分に術が進むと、両者は真っ白な光に包まれて消えた。同時に、陣の中心に霧が爆発し、部屋中が白いモヤで包まれた。
「ごほっ」
急いで窓を開け、換気。ようやく中心が見えるようになると、そこにはフィギュアが一体、ポツンと置かれてあった。里奈の姿はどこにもない。
「……里奈?」
屈んで声をかけた。質感、服装、髪型、サイズは融合前のフィギュアそのままだ。だが、顔つきとスタイルは間違いなく里奈のものだった。アニメチックにデフォルメされてはいるけど。
その樹脂製の顔がニヤっと笑うと、私はビックリして尻餅をついた。
「きゃっ」
「ん~? 春香ってば、驚きすぎじゃない?」
里奈はゆっくりと両腕を上げ、何度もグッパして体の感触を確かめていた。どうやらフィギュアと融合しても動けるらしい。とりあえず、里奈が無事でよかった。
その後の実験で、霊力も据え置き、術も使えることが判明。そして、全身樹脂の塊にしか見えない彼女に、人としての気配はまるで感じられない。ちょっと動きを止めれば、まるっきり本物のフィギュアにしか見えない。大成功を収めた里奈は勝ち誇って笑った。
「よっし、じゃあ春香も!」
「えっ、いやよ、一人いれば十分でしょ!」
「でも、結構頭の回る霊みたいだし、二人の方が確実でしょ」
「う~ん……」
「あっ、さては自信ないの?」
「あーもう! わかった! やればいいんでしょ、やれば!」
里奈のニヤケ面はいつ見ても腹が立つ。
里奈の融合を解除して、私たちは早速奥様に作戦を説明した。奥様はすんなりと話に乗ってくれて、協力してくれることとなった。
「ちょうどいいわ。あの子の新しいお人形が届いたところなの。快気祝いに買ってあげたのだけど……ねぇ?」
(うっ)
最後の言葉にはトゲがあった。贅沢は言っていられないな。これでケリつけなくっちゃ。
届いたフィギュアはあつらえ向きに二体。どっちもチアガールのフィギュアだった。調べたところ、どの作品のキャラクターというわけでもなく、作った人のオリジナルらしい。高いんだろうな。融合で傷つけないといいけど。
片方は上下に分かれたチア衣装で、へそ出しルック。足先から髪先まで全てがほぼピンクに統一されている。溌剌としたサイドテールもピンク色だ。両手にポンポンを持ち、ピンクのサンバイザーを被り、元気いっぱいの笑顔で両手を掲げている。もう片方はお腹が出ない、ワンピース型。色は黄色。髪も金髪のツインテール。可憐な笑顔を振りまき、両手に携えたポンポンで自らを可愛く飾り立てている。
「じゃ、春香はこっちね」
里奈はピンクの方を指さして言った。
「えー、なんでよ?」
「だって、『春』香でしょ。ピンクの方が似合うんじゃない?」
悪戯っぽい笑みがまた腹立つ。……まあどっちでもいいけどさ。ていうか里奈は金髪の方でいいの? この年でツインテはきつくない? まあいいか。全身ドピンクになる私が言えた義理じゃない。お互い触れないようにしようね。
奥様と一緒にわが家へ戻り、そっと箱から出したチアガールのフィギュアと、私たちは融合することになった。まずは里奈から。金髪のあざとそうな黄色いチアと一緒になる。
充満する煙を必死に外へかきだすと、陣の中央にさっきと寸分たがわぬポーズと格好で佇むフィギュアが鎮座していた。顔とスタイルだけは里奈だ。顔はデフォルメされているけど、面影はハッキリある。チアフィギュア・里奈はゆっくりと動き出し、体の感触を確かめていた。
「どう?」
「うん。バッチリ。違和感なし。さすが高級品ね~」
悔しいが、上目遣いで微笑む里奈フィギュアは、なかなかの可愛らしさだった。お家飾りたい。って、いやいや、何考えてんの。
「じゃー、次は春香の番ね」
「うっ……」
やだなあ。でもやるしかない。大人しく片側の陣の上に立ち、反対側に残ったピンクのフィギュアを設置し、私は里奈の術を待った。里奈は30センチ足らずで、それがヨチヨチと歩いて小さな声で術を唱えている姿は何とも和む光景だった。
(……ふふっ)
と言っているのも束の間、いよいよ融合術が発動し、私の全身に左へ引っ張るような力が働き始めた。
(来るっ……!)
思わず目をつぶった瞬間、一瞬で体が左へ飛ばされ、世界が真っ白にフラッシュし、全身の感覚がなくなった。
(……!)
しばらく、私は無をさまよっているかのようだった。次第に顔から感覚が戻り始め、私は自分が目を開けていることに気づいた。
(……あ、あら……)
笑ってる……? 私はどうやら笑顔で、前を見ているらしい。真っ白だけど。そして腕を……掲げている。何か掴んでいる。ポンポンだ。と言ってもフィギュアのパーツなので、固い塊のようだけど。腰の感覚も戻った。足も。私は胸を張って真っ直ぐに立っているらしい。えーとこれはつまり……。あのフィギュアのポーズだ。
「あはーっ、春香、かわいいーっ」
霧が晴れると、目の前に里奈が立っていた。さっきまでの小人ではなく、私と同じ等身大……というのは変か。同じサイズの仲間になっていた。
貼りついた笑顔が動かせるようになり、私は頬を染めながら静かに両腕を下ろした。なるほど、人間の頃と相違ない。ただ、血管の鼓動や筋肉の感覚がない。樹脂だからかな。不思議な体の感覚。骨も筋肉もない、中まで均質な塊。それが今の私であることが、なんとなく全身で感じられた。動けるのが不思議だ。
「あらぁ~、可愛いじゃない」
奥様が私たちを見下ろしている。うわっ、すごい。巨人にしか見えない。ハッキリと見上げないと顔が見えない。彼女が一歩動くたびに、床の振動が手に取るようにわかる。ちょっと恐怖だった。自身の五、六倍はある生物というのは、如何ともしがたい本能的な警告を呼び起こすらしい。さっきまでは私達もそうだったのに。
奥様は「可愛い生きたお人形」がなかなかお気に召したらしく、写真を撮って見せてくれた。
「わぁ……」
思ったより……悪くない、かも? そこに映っていたのは間違いなくフィギュア。うん、非常に精緻に、こだわりをもって作られたフィギュアにしか見えない。いい年してこんな格好をしている自分の想像図よりもずっとマシ、いや可愛いと言っちゃっていい。何しろ顔がアニメチックにデフォルメされているおかげで、実際の年齢なんて全くわからない。高校生ぐらいに見える。肌も肌色一色でツルツルだし。こりゃすごいや。写真の中で時の止まった私たちは、生きた人間のようには全く見えない。お互い、人の気配もしないし。これなら悪霊も騙せそうだ。
「じゃあ、今晩は娘さんの部屋に置いていただいて……」
「ええ。……あっ、でも、大丈夫かしら?」
「?」
奥様は不安を口にした。その内容とは、私達が自由に動けてしまうこと。並んだフィギュアたちの中で二体だけモゾモゾと動いていたら、すぐにバレてしまうのではないか、という指摘。言われてみれば確かに。何時間もずっと同じ姿勢と表情を維持するのはとても難しいことだ。
(や、やる前に言ってほしかったな……。気づかなかった私たちもアレだけど)
「あっ、そうだわ、私、いいこと思いついちゃった」
奥様は両手を合わせて、楽しそうにそう言った。
舞い戻ったお屋敷で私たちを出迎えたのは、厳ついスプレー缶だった。
「主人は工作が趣味で……」
奥様の長い話の必要な部分だけまとめると、このスプレーは形状記憶コーティングという代物で、これを吹きかければ、その時の形状を記憶させることができ、多少折り曲げたりしても元の形状に戻ろうとする性質を付与することが可能だという。私達にこれを使えば、特定のポーズを正しい形状として体が記憶するはずだから、つつがなくフィギュアのフリをしながら張り込んでいられるだろう……という提案だ。
「でもこれ、人に使って大丈夫なんですか?」
「いいんじゃない? 私たち、今フィギュアになってるんだし。とりあえず試してみて、駄目だったら止めれば」
うーん、それはそうだけど。大丈夫かな。健康に悪影響とか……。缶には思いっきり業務用って書いてあるし。人に向けて使わないよう注意書きも……。奥様は中和スプレーがあって、それで簡単に元に戻せると豪語しているが、どこまで本当やら。
里奈が実験台に名乗り出た。私は一旦は止めたものの、他に代案もなかったのでそれ以上は物申せなかった。
「じゃあ、ポーズをとってくださる?」
「えーっと、どうだっけ? こう?」
新聞紙の上に立った里奈は、あざといぶりっ子みたいなポーズをとった。恥ずかしくないのかな。まあ可愛いのは間違いないけどさ。間違ってるし。私達の半身が入っていた箱に、本来のポーズのイラストが印刷されている。それをみながらポージングを修正。里奈は笑顔で元のフィギュアと同じポーズをとって動きを止める。こうしてみると、本当に元のフィギュアと見分けがつかない。服装も髪型もポーズもフィギュアのもの。ただ顔とスタイルだけが里奈。けどそれは指摘されないと、きっとわからないはずだ。
「じゃあ、いくわよ」
奥様がスプレー缶を傾け、里奈に向かって噴射した。シューっという音とともに、里奈がうっすらと濡れていく。丹念に前面、背中、頭上と回り込みながら、奥様は里奈を全ての角度からコーティングした。
「はい、おしまい。それじゃあ、乾くまでそのままにしてね」
ずっとあの姿勢を維持するのか。二重に辛そう。
「はい、じゃあ次はあなたね」
「えっ? いや、でも、まだ効果が……」
「いいからいいから。もうあまり時間もないのだし、急がないといけないわ」
巨大な指が私を軽く小突き、私はヨロヨロと二、三歩後退した。ないはずの心臓がドキドキする錯覚を感じる。怖っ……。数倍ある巨人の凄まれるのは生まれて初めての経験だったけど、これほどまでに圧倒的な重圧を生むものなんだ……。蛇に睨まれた蛙のように、私は反論する術を持たなかった。
(へーきへーき、大丈夫よ多分)
(んっ? 里奈?)
(特に違和感ないし。うん!)
里奈が霊力を使って語りかけてきた。乾くまでは口を動かしちゃいけないから。
(ほ、ホントに平気?)
(うん、なんか軽ーく……強ばってくる感じ? 薄い膜が全身に張られるっていうか……)
「ほらほら、早くなさいな」
奥様の大きな手が私を強引に新聞紙の上に押し出した。逃げられそうもない。覚悟を決めるか。
両手を掲げてポーズをとって、元気溌剌な笑顔で真っ直ぐ前を見る……。融合直後に私がしていたポーズを再現する。自分の意志でそうしないといけないのは中々恥ずかしかった。人前で全身ドピンクのチアガールのコスプレなんて……。それもフィギュアの箱に印刷されたイラストを見ながらそれを再現させられるってのが、心底むず痒かった。
「笑って笑って」
じゅ、十分笑ってるつもりなんですけど。それでもまだ固いらしく、私は脇をくすぐられたりして手間取った。
「はいそのまま。じゃあいきますよー」
遂に私にもスプレーが噴射された。意外にも、特に不快な感覚はなかった。霧状の雨の中にいるみたいだ。目をコーティングされるのが内心怖かったのだけど、特に痛みや異物感もないまま、奥様は丹念に私を四方からコーティングしていった。まあフィギュアと融合してるからかな。
「はいっ、終わりましたよ。しばらくお待ちになってね」
(ああ……)
この表情と姿勢を維持するのがまた大変。今動いたら変な格好で記憶されちゃう。でもいい年して依頼主の前で恥ずかしいコスプレしたままポージングし続けるのは、単純な体の辛さに加えて、精神面でも私を揺さぶった。
(……べ、別にもっと楽な……普通のポーズでもよかったんじゃないの……?)
(いいじゃない、可愛くって)
(普通でも十分……)
(確かにー。今の春香、突っ立ってるだけでも絵になるもんねー)
(いやっ、そういう意味じゃ……)
五分ほどすると、姿勢を維持するのが嘘のように楽になった。恐る恐るちょっと手足の力を抜いてみたりしても、しっかりと元の位置をキープし続ける。
「もういいかしら?」
奥様が私たちの頭を軽く叩いた。コンコンと硬く冷たい音がする。これが私たちの頭から鳴っているのかと思うと驚きだ。
「よさそうね。もういいわよ」
私たちはポーズを解いて、手足を下ろした。ちょっと突っ張るような感覚があり、顔や手足がヒリヒリと常に僅かな振動をしている。
「どうかしら?」
「ええ……まあ……」
体から力を抜いて楽にしてみると、一瞬で体が元のポーズに戻された。まるで伸ばしたゴムやバネが元に戻ろうとするかのように、弾けるような動きで笑顔を作らされ、フィギュアのポーズをとらされる。その勢いで体がカタカタと揺れるほどだ。
「お……おぉ……」
私は再びポーズを解いた。動こうとすれば特に問題なく動ける。特に動こうと意識しなければ、私達の体は形状記憶された格好に自動で修正されるようになったのだ。確かにこれなら、自力でパントマイムするより遥かに楽だ。ただボーっとしているだけで、勝手にフィギュアのフリをし続けてくれるのだから。里奈も私同様、記憶された表情とポーズが、新たな「あるべき姿」になっている。何度も体を動かしては元に戻ることを繰り返して遊んでいる。やれやれ。
「すごいじゃん、これなら上手くいくね」
「ええ」
ここまでやって失敗したら、本当に笑い者だよ。
全ての準備を終えた私たちは、フィギュアが入っていた箱に戻されることになった。「元のポーズ」をとった私たちは、フィギュアの形に沿った透明なブリスターにピッタリハマった。私たちはそのまま透明な檻の中に封じ込められ、元の箱に収納された。当然、これじゃあ手足は動かせない。すごい圧迫感だった。箱に入ると少し暗くなり、ますます閉塞感が高まる。
(うわ……)
箱の前面は中身のフィギュアが見えるようになっているから、私達も外が見える。頭上から振動と音が伝わってくる。箱の封がされ、いよいよ私たちは、新品のフィギュアに戻されたのだ。すぐに娘さんに開封されるのがわかっていても、身動きのとれない状態、しかも玩具として梱包されることが全く怖くないといえば嘘になる。もしも、私たちがこのままフィギュアとして売り飛ばされてしまったら。開封されず物置にしまわれてしまったら……。私たちは永遠にこの狭い箱の中で、チアガールのフィギュアでい続けなければならない。恐ろしい……。自力ではどうにもならない状態というのは、嫌な想像を加速させる。幸い、近くの里奈とは喋るのと同じ感覚でやり取りできるからあまり悲観的にならずにすんだ。彼女はこの状況を割と楽しんでいるらしく、(いやー、こんな可愛いフィギュアあったら速攻買うよねー)などと呑気なことを考えている。
一家の夕食が終わるまで放置された後、私たちは快気祝いとして娘にプレゼントされた。巨大な子供の笑顔は奥様よりも怖かった。目の前まで迫っているからだろうか。それとも、真相を知らない相手だから酷い扱いを受けるかもしれないという予感か……。両方かな?
彼女は早速開封した。実は既に開封済みなのだが、丁寧に開け閉めしたので彼女は気づかなかった。箱から出され、私達をピッチリと包み圧迫していた透明なブリスターがようやく取り外される。
(ひゃーっ……)
癖になりそうな解放感。おもわず手足を伸ばしたくなるが、元のポーズのまま頑張らないといけない。うん、こっちから動こうとしなければ大丈夫だ。ポーズ固定のフィギュアなのはこの子もわかっているはずだから、あまり変なことはしないはず。
娘はニコニコと笑いながら私達を手に取り、穴のあくほど眺めた。くるっと世界の向きが変わる。私を側面から観察している。……しょ、正直、そんな熱心に見られるとすごい恥ずかしいんだけど……。何しろいい年した大人二人が、子供の前で片方はドピンクのチア、もう片方は金髪ツインテときている。その上、フィギュアのフリをしてポージングだ。彼女の嬉しそうな笑顔を見ていると、騙していることも申し訳なくなってくる。
(ごめんねーっ、大切な人形に勝手に混ざりこんじゃって……)
また視界が切り替わった。私の背中を見ている。
突然、天地が逆転した。私は逆さまに宙づりされている。幸い、フィギュア体になっているので頭に血がのぼったりはしないが……。
(えっ、ちょっとまさか……)
この子、スカートの中見てる? じっくりと?
(こ、こら! そんなとこみるんじゃありません!)
私が着ているのはピンクのアンダースコート。いや着ているっていうか、今は私の体の一部だ。着せ替え人形ではなく、フィギュアだから、私のチア衣装は全て体と同一素材でくっついている。しかし実質下着であることに変わりはない。同性、子供とはいえ中々に恥ずかしい。
ようやく嘗め回すような鑑賞会が終わり、机の上に置かれた。彼女は私の頭を撫でてから、今度は里奈を掴んだ。よし、バレずに済んだ。とりあえず一息。
(わーっ、ちょっと、ちょっと待ってー)
里奈は娘の至近距離からの観察に大分照れているようだ。流石に恥ずかしいか、子供の前でこの格好は……。
愛撫を終えた娘は、私達をフィギュアが並ぶ棚の中に加えた。この子はどうやらコレクター気質らしい。ニヤニヤと満足げに私たちを眺めている。
(むう……)
私たちの近くには、同じ背丈の可愛いフィギュアたちがズラリと並んでいる。この部屋には何度もお邪魔したし、本人から直々の説明も受けたから、この棚の外観はありありと思い起こせる。あのコレクションの中に自分たちが加わった、と思うと心がざわついた。あまりいい気分じゃない。
とにかく、さっさと終わらせてしまいたい。今夜、悪霊がやってくることを願うばかりだ。
寝静まった寝室の棚の中で、私たちはもう数時間も同じ格好で待機していた。悪霊がくるまでは大人しくフィギュアのフリをしていなければならない。このポーズと表情が体のデフォルトになったから肉体的には苦しくないけど、一言も喋らずジッとしているのは気がもたない。
(早くこないかなぁ)
(バレちゃったのかな? う~ん)
揃って寝落ちしかけた時だった。来た! にっくき悪霊が遂に子供部屋に侵入してきた。なるほど、見立て通り低級だ。気配察知だけは得意らしいが、後はたいしたことない。
(よっし、行くよ!)
悪霊がベッドに近づくのを待ち、私たちは一斉に棚から飛び出した。そのまま不意をついて一気に除霊して終了……のはずだったのだが、
(んっ!?)
(体がっ……!?)
私たちはつんのめって床に落下した。悪霊は驚いてこっちを見たが、またすぐ娘に向き直った。棚からフィギュアが落っこちた。ただそれだけのことに見えたのだろう。
その隙に私たちは全身を小刻みに震わせながら、ヨロヨロと静かに立ち上がった。体がおかしい。動き辛い。晩の時は普通に動けたのに。少々突っ張りはしたけど。今はかなり意識して強く動かさないと駄目だった。力を抜くとすぐ、瞬時に元のポーズへ戻されちゃう。笑顔のチアガールフィギュアに。
(あ、あれー?)
(どうなってるのこれ……)
何が起こっているのか。それはまあ、普通に考えて一つ。晩に普通に動けたのはスプレーしてすぐだったからで、元々結構強度が高いコーティングだったのに違いない。くっ……。これは計算外だった。ただでさえ小さくなっていて機動力が大幅に落ちているのに、ものすごく体力を消費してギクシャクとしか動けない。それでもやるしかない。ここで逃がしたら大損だ。こんな恥ずかしいコスプレまでして張り込んだ努力が水の泡になっちゃう。
(いくよほらっ!)
あらんかぎりの力を振り絞り、私たちは悪霊との戦闘を開始した。更なる誤算は、ポンポンの存在だった。私達の両手がしっかりと握りしめたそれは、手放せない。それもそのはず、チア衣装と一緒で、私達の体と一体化しているんだから。これじゃ印を結べない。
想定を超える圧倒的不利な状況下で、私達は大変な苦戦を強いられることとなった。
(はぁっ……! はあ……っ!)
激闘を制した私たちは、仰向けになって床に転がっていた。息も絶え絶え、肩で息をしている状態。肩動かないけど。私たちは笑顔でフィギュアのポーズをとって転がっている。締まらないなぁ。でも何とか除霊できた。あー、アホだ我ながら。ポンポンが放せずに印が結べないなんて想定できて然るべきだった。ふぅっ……。でもまあ、終わった。これでこの依頼は完全にお終い。フィギュアごっこも一晩限り。疲れ切った体と睡眠不足が、私たちをあっという間に夢の世界に誘った。
(……ん? ここは……)
目を覚ました時、強烈な違和感で私は混乱した。ここは……立ってる? 体が……。動かな……。私はカタカタと体を揺らした。完全に目が覚めると、状況がわかった。ここは棚だ。あの子のフィギュアコレクションの中に、再び加えられている。つっ立ってポージングしたまま寝て、そのまま起きるなんて中々ない話だ。変な違和感はそれが原因か。昨日は確か……そうだ、除霊して、後は……。天井を眺めながら寝た気がするけど。誰かが床に転がっている私たちを見て棚に戻したのか。
今、何時だろう? 視線が固定されていて時計が見えず、今が朝の何時なのかわからない。除霊の報告をしないと。
(あ、あれ……?)
棚から降りようとしたが、体がうまく動かせない。私はポージングを維持したままコトコトと左右に振動するだけ。お、おかしいな。確かに思ったよりコーティング強かったのは覚えてるけど、昨日はこれぐらい力を入れれば、動けたはずなのに……。
そのうち里奈が起きたので、私達は状況を確認しあった。里奈も同じくフィギュアの中に飾られ、動けないようだ。
(~っ!)
私たちは脳内で叫びながら全身全霊の力をもってして手足を動かした。ガチガチの肢体は少しずつ、ゆっくりとだが、動かすことができた。何分もかけてようやく、高く掲げていた両腕を下げることに成功。だがものすごい抵抗が常に続き、私達の手足は元のポーズに戻ろうと暴れている。常に全力の力を込め続けないとその反抗を抑えこむことはできなかった。
(んん~っ! なにこれ!)
こりゃ……はぁはぁ、ひど……んぐぐ。形状記憶コーティング、ものすごく強くなってる。昨日のあれが普通というか、終わりだと思っていたのに、まだ強くなるのか……。サッサと解除してほしい。部屋には誰もいない。奥様はどこだろう?
この現状では、歩くことは夢のまた夢だった。足を上げて下ろし、前進する……。ここまで体が硬くなっちゃ不可能だ。私たちはポーズを崩すだけで青息吐息なのだから。
(だめ!)
私が根負けしたと同時に、手足がピンと元の位置に戻った。わずか一瞬の間に、ものすごい体力をつぎ込んで得た手足の移動が水泡に帰し、あっけなく笑顔のチアフィギュアに戻されてしまった。
(あ~、もう……)
奥様が来るのを待つほかなさそうだ。自力じゃ棚から降りて子供部屋から出ることは不可能っぽい。
(や、やだぁ……これじゃ、私達本当にフィギュアじゃない……)
いくつものフィギュアが並べられた棚の一角に飾られたチアガールのフィギュア。私たちはその立場から脱することができない。とても惨めな時間だった。
奥様がようやく視界に入ると、私達はあらんかぎりの力を振り絞り、手足を動かした。
「あら、起きたの?」
「……っ!」
近づいてくる奥様に対し返事をしようとしたが、私たちは慄いた。声が出ない!?
「悪霊は? 除霊できたの?」
私たちは手足を下げ続けるのに精いっぱいで、それ以上は動けない。その中で、顔も何とか制御しようと努めた。が、無理だった。手足でさえこの有様なんだから、表情筋が動かせようはずもない。翻って口も動かせないのだ。私は元気溌剌な笑顔、里奈はちょっとあざとい媚びの入った笑顔のまま凍り付き、一言も発せない。
「どうなの?」
「……ん!」
それでも、私たちはうめき声のような言葉にならない声を絞り出し、頷いて見えるよう、前後に体を揺らした。これが今の私たちにできる全力の返事だった。それでも先方には通じたようで、彼女は顔を輝かせ、「まあ!」と両手を合わせて喜んだ。ふう。あとはここから出してコーティングを中和してもらうだけだ。
(あのっ、コーティングが強くてっ、体が動かいんですっ!)
と叫ぼうにも、流石にそれは無理だった。まあこちらから何も言わずとも、奥様がやってくれるはずだ。
が、彼女は思いもよらぬ言葉を口にした。
「本当、よかったわ~。ありがとうね。それでね~、お二方にお願いがあるのだけど……」
奥様曰く、今朝方に私たちを持っていこうとしたら娘が大騒ぎした、どうやら二人のことをとても気に入っているらしいから、もうちょっとだけあの子に付き合ってフィギュアごっこをやってくれないか……という内容だった。
(はぁ!? い、嫌ですよそんなの! もう除霊は終わったんです! 帰してください!)
運悪く、ここで私も里奈も体力の限界を迎えてしまい、
(……あぁっ!)
瞬間的に元のチアらしい、可愛いポーズに戻ってしまった。
(はぁ……はぁ……)
駄目だ、しばらく動けない……。奥様は目を輝かせた。
「あら……。本当、ありがとうね~。きっとあの子も喜ぶわ」
(……えっ?)
奥様は私達に背を向け、離れていく。
(え、え、ちょっと!? 待って!)
(わ、私達フィギュアになるなんて言ってませんよ! コーティング何とかしてください! ねえってば!)
心の中で叫びつつ、霊力を使って呼びかけた。が、当然一般人には通じない。彼女は部屋から出ていってしまった。
(……う、うそ……そんな)
どうやら、あのタイミングでフィギュアのポージングに戻ったことが、肯定と受け取られてしまったらしい。……そうだった、奥様はコーティングがすごく強くなっていることを知らないんだ。
(ちょ、ちょっと……どうなるの私たち?)
(何とかして……誤解を解かないと)
私たちはもがいた。必死で棚から脱出し、フィギュアの列から外れようとしたが、もう残り体力はゼロ。指一本動かせない。私たちは誰もいない部屋の中で、静かに揺れることしかできなかった。
その後もずっと、私たちは本当にほっておかれてしまった。大して身動きもとれず、声も出せない。私たちは棚のフィギュアコレクションの一つとなったまま、どうすることもできずにいた。
やがて娘が帰ってくると、私達を見てニコニコと笑った。
(ねえ、助けて! 私たち、お母さんの勘違いでここに置かれてるの!)
(ゴメンね! 私達、ほんとはフィギュアじゃないんだ!)
だが、いくら脳内で語りかけてもその声が届くことはなく、彼女は私達から離れ、ベッドに転がった。
(よし、いくよ)
ここ。ここだ。娘の目の前で動けば、きっと彼女は驚くだろう。何しろ、フィギュアと融合した人間だと彼女は知らされていないはずだから。私達がフィギュアじゃないって知れば、わかってくれるはず。だから日中、体力を温存してきた。たとえ声は出なくとも、ここで手足を動かしてやれば――。
(あ、あれ……?)
(ん……ん……っ)
朝と同様、手足に全力で力を込めて動かそうとしたが、うまくできない。固い。がちんがちんだ。ポージングを保ったままカタ、カタと僅かに揺れるのが精一杯。
(ちょっと……嘘でしょぉ!?)
甘かった。朝のあれで形状記憶の強度は打ち止めだとばかり。まだ固くなるだなんて!
(え……ぇ、うそ、ちょっとヤダ……)
流石の里奈も泣きそうな調子で焦っている。私もだ。このままじゃ、私達は意思表示できなくなっちゃう。この家の人たちが納得するまで、ずっとフィギュアでいなくちゃならなくなる……。
私たちは頑張った。体力の全てをつぎ込んで動き出そうとした。だが無理だった。この姿勢をしっかりと記憶した私たちの体は、決してそこから外れようとしなかった。
ベッドから起きて学習机で宿題を始めた娘が、棚に並んだ多くのフィギュアのうちに、時たま音もなく揺れるフィギュアがあることに気づく事はなかった。
フィギュアと融合してから二回目の夜。私達は朝から一歩も動くことなく、ずっと同じ場所にいたことになる。これじゃあ正真正銘、たんなるフィギュア、あの子のお人形だ。
(ど……どうするの、春香?)
(どうにもなんないわよ、んっ……動け……ないし……)
(じゃ、じゃあ、私達ずっと、ここでフィギュアのままなの!?)
(……)
(や、やだよー。誰かー! 助けてー!)
(あーもううっさい! 元はと言えばあんたが言い出した作戦でしょ!)
(だ、だってこんなことになるなんて思わなくってぇ……ぐす)
私は里奈と怒鳴り合いながら、フィギュアとしての初めての夜を過ごした。
翌日。コーティングはさらに強度を増した。30センチ足らずの小人の細腕では、もはやカタコト揺れることさえできなくなってしまい、私達は時間を止められたかのように静止していることしかできなかった。
(ん、んん……)
(や、やだ、動けない……ほんとに動けないよぉ……)
絶望的だった。私達はついに、自分の運命をあの母子に託すしかなくなってしまったのだ。奥様は飽きて解放してくれるのを待つ。私達にできることはただ、それだけ。後は娘のフィギュアコレクションとして、ドピンクのチアガールのコスプレをして棚を彩り続けるのが唯一の、逃れられない使命だった。
その日、友達を招いてきた娘が、私達を自慢した。
「見て。風邪治ったから買ってもらったんだー」「あー、いいなー。可愛いー」
(……あ、あんまり見ないでよぉ……)
第三者にこの惨めすぎる姿を晒してしまったことで、羞恥心が膨れ上がった。いい年してこんな恥ずかしいコスプレして、笑顔でポーズなんかとっちゃって、それを子供の前で固定されるなんて、これほど恥ずかしい拷問があるだろうか。しかも見た目だけじゃない、この状況そのものが恥だ。悪霊の張り込みをするためにフィギュアに化けたら、そのままフィギュアになってしまったなんて、余りにも間抜けすぎる……。
しかも、これでどうやら、娘の方は私達を本当にフィギュアだと思っているらしいことが改めて判明した。奥様は事情を説明していない。娘から私たちを手放そうという発想は出てこなさそうだ。……融合を解けば、元のフィギュアはちゃんと残るんだけどな……。だからあなたのコレクションはちゃんと残るの、だから私たちを何とかして……と言いたいが、私は笑顔のままカチンコチンで、もううめき声も出せない。
たっぷり観察された後、元通り棚に戻される時。他のフィギュアたちが見えた。可愛らしくジッと黙って動かない、同じ等身の人形たち。私も今やこのコレクションの中の一つなのかと思うと、いてもたってもいられなくなった。逃げたい。ここから出たい。ここに混ぜられていたら、どんどん人間の世界に戻れなくなっていくような気がしてくる。
「いーなー、私もフィギュア欲しいなー」
(……違うっ! 私たちは人間よ! フィギュアなんかじゃないの!)
だが、現実は彼女たちの認識通りだった。私達はポンポンを持って可愛く静止しているだけの、樹脂の塊でしかないのだ。動くことも喋ることもないチアガールのフィギュア。周囲に並ぶ本物のフィギュアたちに対して、私は叫びたかった。私は違う、あなたたちとは違うの、ただのフィギュアじゃないのよ、と。でも、フィギュアたちは無言の圧力で私に反論してくる。一体どこが違うんだ? 人間なら動いて見せろ、と。
(やだぁ、このままずっとフィギュアのままなんて、やだよぉ……)
日数が重なるにつれ、焦燥感が増していく。いつになったら解放してくれるのか。最初の数日ぐらいは、奥様は子供部屋に入ると私たちに会釈していのだが、もう一切私たちに対して特別な反応は示さなくなった。私達の存在は、子供部屋の日常風景の中に溶けてしまったらしい。動かない人形相手に会釈するのも馬鹿馬鹿しいだろう。
(いい加減にして。監禁ですよっ)
(私達、もうフィギュアのフリなんてしたくありません! 元に戻してください!)
こうしている間にも、私達のフィギュアっぷりが増していく。棚の中で固まっていればいる分だけ、元に戻りにくくなっていくような気がしてならなかった。
奥様は多分、コーティングして五分の、自由に動けたあの状態のままだと思っているのだろう。つまり、私達が動かないのは私達の意志であり、フィギュアでいることを気に入っていると。その勘違いを何とか訂正したいが、その機会はどれほど経っても訪れなかった。嫌なら自分から止めると言い出すだろう、奥様はきっとそういう認識だ……。
このままじゃ、私達は自ら子供のフィギュアになってあげた退魔師として、永遠に誤解されたままだ。何とかしないと。でもどうやって……。
一ミリも動けない地獄の日々の中、唯一の救いは里奈となら会話できること。それがなかったら狂っていたかもしれない。
(ふえ~ん、もっと普通の格好にしとけばよかったぁ)
(や、やめてよ、思い出させないで)
自分が一生脱げないかもしれない服。それが全身ドピンクのチアガール衣装だとは……。里奈なんてまっきっきにツインテだし、全体的に媚びた表情とポージングだし、尚更恥ずかしいだろうな。私は可愛くていいと思うけど。
(あ~、じゃあ格好取り換えてよぉ!)
(絶対やだ)
(やっぱり恥ずい格好だって思ってるんじゃん!)
(当たり前でしょ!)
私達が一番焦ったのは、新しいフィギュアがやってきた時だった。テストでいい点をとったらしい。娘はその記念に買ってもらったウェディング姿のフィギュアを愛おしそうに眺め、愛でて、私達の中に加えた。奥様も、自身のプレゼントを娘に喜んでもらえて満足げだった。これで焦ったのが私たちだ。これが焦らずにいられるだろうか。良くも悪くも私たちに向けられていた関心が、今後は全てあの花嫁フィギュアに行くことになるのだ。私達はもはや「一番新しいフィギュア」ですらなく、「一つ前に買ってもらったフィギュア」、「一つ前に買ってあげたフィギュア」となった。このままどんどんフィギュアが増えていったらどうなるのだろう。私たちは「ずっと前に買ってあげたフィギュア」となり、「昔買ってあげたフィギュア」となり、たくさんのフィギュアの軍団の中に埋もれていく……。昔から見慣れた風景として……。フィギュアとしてすら、ワンオブゼムに成り下がっていくのが心底恐ろしかった。奥様は私達が人間だってことを覚えているだろうか? ひょっとしてひょっとすると、忘れてしまったんじゃないだろうか? こんなに長い間、ずっと大して話もしていない子供のためにフィギュアでい続けるなんておかしいと思わないんだろうか?
奥様は嬉しそうな我が子と、真新しい花嫁フィギュアの方ばかり見ていて、私達に一切の興味を示していなかった。もしかしたら、常識が記憶を改竄してしまったのかもしれない。たまにふっと、私達が人間であることを思い出す。その時彼女はこう思う。「あら? あの子たち、もう元に戻ったんだったかしら」そして、こうも思う。「こんなに長い間、自分の意志で身動きもせずにフィギュアのフリをし続けるなんてありえない」と。これが組み合わさった結果が……。
(うふっ、あの退魔師さんたち元気かしら)
多分もう、とっくに終わったのだろう、よく覚えてないだけで。という思い込みだ……。私達は奥様がそうやって記憶の改竄をしていないことを切に願った。もしもそんなことが起きていたら……。私たちは永遠に、ここでチアガールのフィギュアとして飾られ続ける運命だ。