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 雀荘が入っているビルには屋上がある。雀荘の奥に別の階段があり、そこから出ることができた。普段は何もないが、今はグリルをはじめテーブルと椅子が設置してある。

 夕日に照らされながら鷹丸とユキは多人数を受け入れる準備を進める。三人分以上の酒と使い捨て食器が用意されていた。

「そろそろ着火をお願いしていいですか?」

 ユキは鷹丸にグリルを任せて、二階に降りる。彼はグリルにゲル着火剤を置き、その上に木炭を転がしてライターで点火した。燃料に火が着き、徐々に木炭に移る。うちわで扇いで火の拡散を促進する。

 その間にユキはバーから二酸化炭素のボンベとビールが満載のケグ、様々なチューブ類を抱えて現れる。よく鍛えた成人男性でも難しい重量を彼女は軽々と運ぶ。

 ユキの服装は鷹丸が見慣れたフォーマルではなく、Tシャツにデニムパンツというラフな格好だった。上半身の抑えが緩和されて揺れるところが揺れるようになっている。

 その間もミサは折りたたみ椅子に身を投げてチューハイを呷り続ける。生ビールの設備が整うとユキにねだってビールを受け取った。

 屋上からは駅に行き交う人々も見える。徐々に甚平や浴衣を来た男女の割合が増えてきた。

 今日は近くの河川敷で花火大会が開かれる。バーと雀荘それぞれの顔見知りが七月の最終土曜日に見物に集まるのが定例だった。

 例年、台風接近など天気が恵まれないが今日は晴れ渡って爽やかな風も吹く。六時を過ぎると人が集まってくる。

 肉屋の店主は肉を持ち込み、魚屋の店主は魚介類を持ち込み、八百屋の店主は野菜を持ち込む。酒やその他は三人、正確には二人が受け持った範囲で、食材は持ち込み頼りだ。

 花火を見に来た客を受けて喜ぶのはその場で飲食される飲食店だけだ。八百屋や肉屋のように素材を売っても買う客はいない。公道にせり出て店を開くほうがお互い迷惑なくらいだ。だからここにいる。

 スナックやガールズバーのように夜の営業を主とする業種の人間もここにいた。彼らは帰りがけの客を狙う。

 自然と給仕する側とされる側に分かれる。ユキと鷹丸は前者で、ミサはもちろん後者になる。

 花火はまだ打ち上がってないが、加熱した網の上に食材が乗る。赤色にうっすらと白色が差す肉だった。脂が落ちてアミドとフェノール系化合物の香りが広がる。

 いくらバーベキューグリルに油を塗っても焦げ付きに悩まされる。食材の方に塗って焼くと楽ができる。

 焼き上がった肉から取り分けられる。

「鷹丸、一から十六で好きな数字を好きな順番で三つ教えて」

 ミサの周りには自然と人間が集まった。だから話す相手には困らないのに、鷹丸を呼ぶ。

「えーっと……三、十、九、で」

「だってさ。どうよ?」

 彼女はタブレット端末を持つ男に伝える。そこでは馬番号三連勝単式勝馬投票法を実施していた。その番号は一番人気を外した大穴だ。当たれば200倍になる。

 大井で開催されるナイター競馬で、現地でなくともインターネットから投票できる。出走はちょうど花火が打ち上がる頃だ。

 競馬に勤しむ者は夏競馬の中頃、七月の回収率を百以上にしようと息巻く。対してミサは余興程度としつつ、鷹丸が言った馬番号に十万を積む。彼女は自身のスマートフォンに表示された投票実行ボタンを鷹丸に押させた。

「ミサさんって公営競技してないですよね」

 それなりの時間をミサと鷹丸は過ごしたが、レースに投票している瞬間はこれが初めてだった。

「今日だけだよ。自分で勝ち取る感じがないもの。応援ってのも分からないし、控除率も大きいし勝てない」

「最後が全てでは」

 レースはミサが不得意とする賭博だった。

「当てたことないか、そういえば」

「一着から三着を順に当てるんですよね?」

 十六頭立てのレースであれば3360通りある。ランダムに選んで的中させるのは難しい。

 やがて残光の中に火薬が撃ち込まれる。破裂音が乾杯の合図だ。ユキが挨拶をした。

 しかし空を見上げない。飲んで食いながら画面に注目する。二分前に投票受付が終了して後は見守るだけになる。競馬場を映すライブ映像が流れた。

 鷹丸が一着に予想した馬はゲートに収まるのに難渋していた。この時点でかなりの不穏な空気が流れる。十万は相当な金額だ。しかも軸で流すようなこともせず一点買いである。

 数分遅れてゲートが開く。各馬一斉に飛び出した。どの馬も理想的なスタートダッシュだ。先詰まりの展開になり、どの馬にもチャンスが訪れる。

「いけ!」

「あああああ!?」

「差せ! 差せええ!」

「ボケが何してん!! どけ!!」

 画面に向けて罵詈雑言が飛ばされる。ミサはそんな人間たちを悦に浸って眺めていたが、百秒後に馬がゴールすると顔色が変わった。

 ほとんどの人間が一番人気を絡めた選択をしたから苦い顔をする。馬番号三番が一着なのは分かっても、九と十のどちらが先かは写真判定が必要だった。

「おい、オッズは?」

 一人が聞く。ページを更新して情報を取得する。

「120倍だって。それで千口だろ?」

 ミサがした大口投票でオッズが変動したが、それでも百倍以上になる可能性がある。競馬を主としない人々も固唾を飲んだ。

 そして歓声が上がる。確定した結果は三、十、九だった。十万が1200万になって帰ってくる。

「的中した!」

 買った本人が驚いていた。麻雀だったら絶対に見せない喜びだった。

「才能あるんじゃない? 競馬」

「ビギナーズラックだと思います」

 彼は馬の情報を見ていないからランダムな数字だ。だから当てた実感がなかった。

「どうしよう、流石に当たるとは考えてなかった」

「これ税金考えないとな。ざっと四分の一か」

「三百万? やべ~考えてみてえわ」

「げ、面倒くさ……まあいいや。祝杯~」

 ビールが上げられる。瞬く間にケグが空になってユキが交換に走った。

「あ、手伝います」

「大丈夫です。楽しんでください」

 数字を出した鷹丸が話題に上がる。この場に学生は彼だけで物珍しかった。

「インテリさんっちゅーことか」

「よくここらに住もうと思ったな」

「ここら家賃が安いので、まあ」

 治安も相応だ。人外種の割合も低くない。隣の区なら再開発が進んで浄化が済んでいる。

「インテリって、ああいうのも炎色反応~って感じか?」

 冴えるような青色の花火が開く。鷹丸は息を漏らした。

「ああいう青色って難しいんですよ」

 使われている金属は銅だ。スペクトルのバンドは幅があり、およそ500ナノメートルに集まっている。

「分子発光なんですけど、その分子は火薬の燃焼温度で壊れてしまうので」

 暗くとも空は青い。だから映えるように色味を調整する必要がある。

「青色って難しいんだ」

 ミサが呟く。バラも発光ダイオードも澄んだ青色を作るのは難しかった。分野が違うはずなのに妙な共通点があった。

「きれいだ」

 空を見上げてミサは言う。

「そうですね、本当に」

 鷹丸も答えた。

「ねえユキ、青い酒ってあるよね」

「そこからその話になる? あるけどさ」

 ウォッカ・コニャックベースのフルーツリキュール、ホワイトキュラソーに着色したブルーキュラソー、青と呼べるか疑わしいがミントリキュールも青い。

「まだカクテルには早いよ」

 肉も魚も野菜も残っていて、ビールとチューハイが主戦力だ。

 DJが入ってきて自前の機材から音楽を流す。年齢層の幅は大きかったが、花火をバックに人々がアップテンポなビートに体を揺らす。もちろん花火大会という主旨を思い出して見物する者もいた。

「座ったら?」

 ミサは立ち上がって席を譲る。他の席は埋まっている。

「大丈夫です」

「いいから、いいから」

 腕を引っ張られて尻餅をつく。逃がさないよう、彼の膝の上にミサが座り直した。

「ミサさん?」

「フフフ、重い?」

「見かけよりは……そういう問題ではなく」

 特等席を主張するミサに鷹丸は諦めた。

「食べさせてー飲ませてー」

「二人羽織になりますよ」

「せめて雛鳥って言って欲しかったかも」

 光が糸を引いて、消えると花が開く。光が届いて、遅れて爆音が届く。

「いま、楽しい?」

「楽しいです」

 静かだった。二人だけの間で、しばらく花火の騒音だけが流れる。

「質問するけどいい?」

 普段の声色と違っていた。

「もうしてるじゃないですか」

 ミサは言い返さない。

「好きなタイプってどんな?」

 その手の質問は初めてだった。いくらか悩んで彼は答える。

「誠実な人、です」

 ミサは鼻で笑った。彼の肩に頭を当てる。

「当たり障りがないなあ」

 鷹丸はミサのお腹に腕を回した。指先で黒い線をなぞる。

「ひゃっ! ちょっと……」

「仕返しです」

 彼も自分でこんなことができるとは思わなかった。お酒と、その場の雰囲気が大きかった。

「こ、こういうことはするんだ」

「言ったじゃないですか。プラトニックだって」

 彼女は広げていた脚を閉じて行儀良くする。もぞもぞと彼の上で動いた。

「……トイレ行ってくる」

 切羽詰まった様子でミサは室内に消える。鷹丸は身軽になった。そこまでの一部始終をユキが見ていた。

「嫌がられましたかね」

 だが悪びれもしないで鷹丸は聞く。

「いや、いえ……」

 ユキは答えられなかった。彼女が何をしているか薄々勘づいていて、確かめろとも言えない。

「普通にトイレだと思います」

 それは間違いではなかった。実際、数十分後にミサは戻ってきた。いくらか色艶が良い。

 そしてやはり鷹丸の上に座った。出した分の水分を補うようにビールを要求し両翼で抱える。

「そういえば幸雄さんは」

 準備の段階から彼の姿はなかった。

「え? あっ、あんまり彼はこういう集まりが好きじゃないので……夜ですし」

「騒いでしまって申し訳ないですね」

 花火大会だから許されているのであって、平時であればもう近所迷惑だ。

「ううん。それは、いいのだけど」

 鷹丸から見えないのをいいことにミサはニヤついていた。

「幸雄とはご無沙汰だもんな」

 ユキがミサを睨んだ。

「他人の性生活をずけずけ聞くのよくないですよ」

 不穏を感じ取った鷹丸がフォローする。

「そう、そうでしょ、ミサ」

「え~じゃあやめようか」

 九時になると花火の打ち上げは終わる。その前からばらばらと人は帰っていて、片付けを含めた二次会は一転して慎ましい。

 そしてミサは相変わらずで、今度は鷹丸まで後始末に参加しなかった。彼の膝の上で彼女は多量飲酒で眠ってしまった。だけどユキは笑ってそれを許した。

 スヤスヤと穏やかな寝息を立てる。彼は彼女を起こさないようにベッドとして最大限の努力をしていた。いつまでもそうしている訳にもいかず、ユキが彼女を抱え上げる。

 彼女を雀荘のソファに寝かせブランケットを被せる。それが最後の仕事だった。

「良かったら飲み直しませんか?」

 ユキが誘う。彼には断る理由がなかった。

「と、ちょっとコンビニに行きましょう」

 徒歩一分に二十四時間営業のコンビニエンスストアがある。二人は肩を並べて外に出た。

「ミサがあんなふうに人に体を預けるのは初めてですよ」

「そんな、ですか?」

「彼女とは十何年の付き合いですけど、少なくともボクは見てないです」

 花火大会が終わっていくらか経ったが、人々は道端に集いを作り飲んでいた。コンビニのゴミ箱は詰め込まれすぎて爆発しそうで、溢れたゴミは路上に散乱する。それらの片付けは有志の近隣住民が担う。

 棚はほとんど空で、辛うじて滋養強壮ドリンクが残っていた。カゴを持ったユキは迷いなく小瓶を取った。

「どうです?」

「効くんですか?」

「気休めです」

 思わず鷹丸は笑ってユキと同じものを飲むことにした。ユキも鷹丸も、かなり酔いが覚めて通常時と変わらなかった。ただアルコール分解の疲労感はあった。

 余りの食材はあるが、今からなにか作ろうという気には誰もならない。その他に冷凍食品をいくつか取って会計を通す。彼女が全額持ち、鷹丸が荷物持ちになった。

 コンビニを出た途端に二人は喧嘩を目の当たりにした。お酒に酔った状態で訳も分からずお互いに絡み合っている。ユキは深い溜息を吐いた。

「ちょっと止めてきますね」

 ユキが間に割って入った。吠えて牽制しながら孤立している側を捕まえる。もう片方はドギマギして見ていた周囲の人間が引き剥がした。

 男はユキがただの女だと思って抵抗する。しかし相手は人外種で、実際のところ筋肉量に差があった。

 地面に引き倒して組み伏せた後も闘志は衰えず暴れようとしたから、面倒くさそうな顔でユキは耳元に顔を近付ける。

「そのまま、おやすみなさい」

 囁き声は鷹丸にも聞こえた。いつまでも頭の中に反響して残る声だった。

 間近で聞いた男の体から力が抜ける。そのまま意識が飛んでくずおれる。

「君たちも帰りなよ」

 ユキはコンビニ前の飲み会を解散させると警察を呼んで男を引き取らせた。警官は忙しいようで詳しくは聞かれなかった。

「お待たせしました」

「あれって」

「ボクもサキュバスなので」

 いたずらっぽく彼女は笑って見せた。

「魅了ってやつですか」

「ただの催眠ですよ」

「何でも言いなりに?」

「異性限定ですが。もしかして興味あります?」

 正直に彼は認めた。ユキは肩を竦める。

「やめておきます。ボク自身、あんまり好きではない能力なので。それに、ミサに怒られますから」

「ごめんなさい」

「いえ、気にしないでください」

 二人は外灯だけが差すバーに入った。室内照明を点けるといつもの雰囲気が戻ってくる。早速、ユキは鷹丸に褐色瓶を投げた。

「じゃあ乾杯。お疲れさまでした」

「ありがとうございます」

 ノンアルコールの乾杯だった。彼はそれを飲むのは初めてで、その渋い味に嘔吐いた。コーヒーともビールともつかない苦味もあった。

「すごい味だ」

「効きそうな味ですよね」

 電子レンジで温められた冷凍食品がカウンターに並ぶ。普段は目の敵にされがちな炭水化物も今だけ喜ばれた。

 今日はバーテンダーがいない。在庫を処分するように缶モノの酒をユキは飲む。鷹丸は体に残るアルコールを察知してジュースしか飲めなかった。

「鷹丸さん、ミサのことどう思ってます?」

 ふとユキが尋ねる。いつもはカウンターを挟んだ距離が今は間近だった。

「なんだか、好きなようで、好きになりきれないような」

「好きになりきれない?」

 ユキは髪をまとめるバンドを外す。真っ直ぐな黒髪が解かれた。

「僕の地元は人外種がいなくて、初めてで……あんなこと、人間の女性ならしなかったと思います」

「ボクはサキュバスですけど、どうですか?」

 ハッキリと言えず鷹丸は首を横に振る。

「アハハ。それは残念……動物見てる感覚でしょうか。喋るおっきな鳥みたいな」

 ユキの考察は鋭かった。彼が抱いたのはその感情に近い。

「人外種差別の筆頭ですね。これじゃあ」

「認知できるだけいいじゃないですか。大概の人間は無自覚ですから」

 サキュバスは角と尻尾が生えていて底恐ろしいことを除けば、人間と限りなく近い。

 ハーピーのミサは翼やかぎ爪など人間離れした部位が多い。社会に暮らす上で日常生活動作まで不得意がある。

 人間と変わらない知能を有しているとしても、彼には同格の生物として見なせない瞬間がある。

「ヤな話になっちゃいました」

 一転してユキは微笑みかけた。

「いえ、こちらこそ」

「ミサが変わってきてボクも楽しみなんです。もう日向の中で生きていいのに」

 鷹丸はいくらか前に訪れたマリーのことを思い出した。鷹丸はミサの過去を知りたいとは思えなかった。


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