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5 ただの隣人?  バスに乗ってからの岩崎は、俺の質問を封じるように映画の話題や大学での出来事を語っていた。 映画館に行く前に俺のバイト先である『三条巴屋』の前を通って紹介してやるつもりだったのに、 「やっぱり余裕をもって到着しておきたい」なんて言うのでバスを降りたら寄り道せずまっすぐ映画館に向かう事になった。 どんなお店か見に行ってみたい、と言っていたにもかかわらず。  『アルティメットファイターズ』は俺の予想通りとても見応えのある面白い映画だった。 人ならざる超人的な力、アルティメットパワーを偶然手に入れた主人公が敵を倒した後、その敵を強力な仲間とし、 真の悪を打倒すべく共闘していく、と言ったヒーロー系の物語としては王道だとも言える内容なのだが、 主人公にしても仲間にしても個性豊かで、セリフ一つ一つが練りに練られた言い回しだったので耳に楽しいし、 アクションシーンだってCGとの合成が凄まじくナチュラルに仕上がっていて、目でも満足できる楽しい作品だった。 惜しむべき点があるとしたら一つだけ。 それは、見ている俺が隣に座っている岩崎にアタマの何割かが持って行かれたまんまで、さほど映画に集中できていなかった、と言う点だろう。 「いやぁ~! 凄く良い映画だったね! んで、シュンちゃん、これからどうする? 軽く食事か、お茶でもしてから戻る?」 「いや、ちょっと悪いが、用事があったのを思い出した」 誘いを断って映画館の前で俺は岩崎と別れた。 一緒に居るとさらに色々と追及してしまいそうだったからだ。 ……そう。 バス停での意味深な「変じゃないよ、まだ」、の「まだ」ってのは何なのか?  さらには例のゲイサイトへの動画についてまで。 返す刀でどうして俺がそのサイトの動画を見ていたのか、と聞かれればどう答えるつもりだ?  「そっか、用事があるんなら仕方ないね。それじゃぁ……」 岩崎の寂しそうな目を振り切って移動する。5分も歩くとバイト先、三条巴屋の前に居た。 「あれ? 藤原くんじゃない。今日も仕事だったっけ?」 「いや~、映画を見た帰りにちょっと覗きに来ただけっすよ~」 「ああ、そう言う事かぁ。いいなぁ映画。私も行きたい!」 「先輩も行けばいいじゃないっすか! 彼氏と一緒に」 「へへへ。まぁ、アイツも忙しいみたいだから誘いにくいんだけど、今度言うだけ言ってみる!」 「おねだりする先輩、なんかキモい」 「おいっ! 何てこと言うんだねキミは!」 チベットスナギツネみたいな「じと目」を俺に向ける先輩。 「あ、先輩が面白い顔してる。写メしてインスタに載せておこう」 「きゃあ! 撮っちゃダメ! こんなの少しもインスタ映えしないよ!」 ふざけてバカな回答しても乗ってくれるのはマジで楽しくてついつい盛り上がってしまう。 しかし、さすがに日曜のお土産品店にのんびり居座っている訳にも行かず、 新たなお客さんが入ったのと入れ替わりで三条巴屋からは出て行った。 そして、気が付くと俺は、先日岩崎を尾行したもののほんの一瞬のスキで見失った地点に立っていた。 バイトの時刻と違って午後3時過ぎの通りは昼の明るさで、細かいところもつぶさに見ることが出来る。 見通しの良い6m幅の直線道路。車が同じ方向に向かって走るのは一方通行だからだ。 人通りは夜とは違ってそれなりにあるし車も割と多い。 「角を曲がった途端に岩崎の姿は見えなくなった。咄嗟に隠れるにしたってどこへ?」 通りのすぐ右にある建物は織物を扱う会社の事務所だった。しかし、岩崎がこんな会社に用などあるだろうか? ――いや、ある訳がない。 振り返って通りの左側を眺めてみる。 二階建ての古い棟続きの町屋が並んでいる。どこも不思議な点は無さそうだ…………、あれ? あのドアに貼ってある文字は何だろうか?  『Ignition』 「イグニッション? ただの家じゃないのか……?」 3軒棟続きの一番手前、つまり左端の家は、京都らしい間口の狭い町屋づくりの古民家なのだが、格子戸の取っ手の上に会社の名前を書いた張り紙が目立たぬサイズで貼りつけられていた。 格子戸の奥がどうなっているのかは暗くて何も見えない。 イグニッションと言うと車のエンジンをスタートさせるイグニッションキー、つまりは点火装置のイメージしか無いが、こんな民家で自動車の部品を扱っているだろうか?  特段の考えも無く俺は格子戸の取っ手に手を伸ばした。すると、格子戸は音も無く勝手にスーッと真横にスライドして開いた。 「おっと、……自動ドアなんだな」 古風な見た目に反して機械的な構造に少なからず驚く。開いたドアの中に入って見る。 いつもの俺だったら戸が開いた程度で勝手に中に入るなどはしない。 しかし、この時の俺は好奇心が常識を上回っていた。もし誰か居れば無断で入った事を詫びるついでに表札の社名について聞いてみよう。 「……またドアか。しかも今度はロックがかかってる」 格子戸の奥は広めの土間になっていた。土間の先にもう一つドアがある。頑丈そうな鉄製の扉だ。 押しても引いてもビクとも動かない。 扉の先に進むには暗証番号を入力するか、ICカードを読ませるか、いずれかの方法しか開扉する方法はないようだ。 しばらく扉の前で立っていたが奥から人が出てくる気配は無い。 通りに面した格子戸からの光だけが頼りの土間は、北側に位置しているので結構暗い。 本を読むには苦労しそうなレベルの明るさ、と言えば分かりやすいだろう。 どうしたものかとしばらく考えていると、どこからかパトカーのサイレンが聞こえてきた。 「……いや、待てよ。詫びる前に通報されたらヤバイよな」 今の俺は不審者そのものではないか? 不安になった俺はすぐに格子戸の外へ出た。 パトカーの音はどんどん小さくなって遠ざかってゆく。 もういちど振り向いて確かめて見る。 『Ignition』 ファッションブランドにもありそうな名だ。だとすると、ここは倉庫なのかも知れない。 ともかく、ここに居ても仕方がないと判断した俺は、『Ignition』の前から離れることにした。 (――シュンちゃん……) 「えっ?」 不意に岩崎の声が聞こえた。ハッと振り向いたが誰もいない。 空耳だったのだろうか?  それにしてはかなりハッキリと耳の奥に残っている。 どこか苦しい、と言うか寂しい声だった。 また岩崎の呼ぶ声が聞こえるか、と注意していたが何も聞こえない。 きっと、ここしばらく岩崎の事ばかり考えていたからだろう。少し冷静にならないと。 そう。まだ俺は岩崎の事を何も知らない。 友人とすら言えない関係なのだから、たとえ意味ありげな発言をしていようと、あれこれと詮索してどうすんだ。 「……もう、よそう。アイツは、岩崎は、ただ通う大学が同じで少しは会話もする程度の、ただの隣人だ」 オナニー動画の件で動揺したが、考えて見れば今までと関係に変わりはない、と自分に言い聞かせる。 ただ、そう言い聞かせる事が何だか苦しく無性に寂しいような気がして、俺は、そんな気持ちを持った「俺自身」に戸惑った。

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