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いまこれを入力している2023年12月、私は32歳も折り返し、日に日に水を弾かなる膚や重力に負け下垂してくる肉、そして物覚えの悪くなっていく頭を疎ましく思いながら、そして同じように、自らの境遇を解像度を下げぬまま(いや、あれでもあまりにfatalな話はだいぶ省いたはずだ。にも関わらず)、こんなにも飄々と列挙できてしまう自分の恥知らずさに、どこか不気味なものすら感じています。厚顔無恥。やはり、全世界に裸体を晒したり、顔にメスを入れていると、そこらへんの羞恥心が麻痺してしまって、文字通り面の皮が厚くなってくるのでしょうね。


正直、このエッセイに発禁がかかった際は内心ちょっと、いや大いにホッとしたというか、「ああ、もうこれで過去に立ち返らなくて済む」と安堵がよぎってしまった自分がいます。「加賀優作10周年だからなんか書いときたあい」なんて志願しておきながら、いざやってみると、本当に、本当に、疲れるし、苦しい。しかしこの「苦しさ」というのは、過去のどこかのなにかしらの出来事を受けての反応というより、どちらかというと、自身の体験を綴っているはずなのに、どこか他人事というか、そこはかとない離人感が文体からも滲み出てしまっている、グロテスクな症例報告集のように見えてしまうところにあるのだと思いました。ややもすると私は、忘れられないからと思い出さないようにして、なんともありません風を装っていただけで、いまだに過去を受け容れられていないのではないか?要するに昔の自分をナメていて、何ならその地続きで、現在の自分すらも真の意味で丁寧に扱えていないのではないか?


それを考え始めたら、呼吸すらできなくなりそうな気がしたのです。


そういうとき、見えざる意志は差し込むように私に人やイベントを寄越す。お決まりのパターンです。一度出題した設問を使い回すのはあまり合理的ではありませんから、彼らは少し変化をつけて、いや、難易度を高くして問うてきます。去年の今頃などは、エスコートのお仕事で薬物事件に巻き込まれかけてしまい、危うく冤罪を被るところでした。ハメられたってやつですね。「NOが言えるか?適切な対応が取れるか?自分の身を守れるか?」合格ラインぎりぎりでパスしたものの、残ったのは「けっきょく自分を守れるのは自分しかいないんだ」という、基本のキの諦観でした。まあ、それが心許ないからこうしてまた試されたのでしょうけれど。キックボクシング、カポエイラ、ピラティスなど身体性を高めるワークアウトに身を投じたのもこの頃です(ヨガは私の場合、関節が柔らかすぎて怪我をしやすいとのことでいまは控えています)。いざという時、男にとって大事なのは腕っぷしじゃない。足腰ですよ。


「やってそうでやってない、昔やりまくってた人」というイメージはどうも、薬物嫌い、愛好家、断薬中、治療中、どの立場の人から見てもあまり愉快なものではないらしく、それこそあの手この手で、あらゆる場面で、私は誘惑を自覚しました。「まあこんなチャランポランでもなんとか持ち直せるよ」くらいのメッセージしか込めていないはずの私の言動が、どうやら一部の界隈で、「この私ですら既に飽きたというのに、お前ら、まだそんなくだらないことで消費してるの?」的な、謙遜自慢マウントとして伝わってしまっていたようなのです。これは、完全なる誤解で、この頃の私は、小規模な自助グループのメンターとして、同じ問題を抱える人と交流する場を設けていました。同時期にはカップルセラピーも顧客の要望に応じて鑑定に採り入れていたので、占い師のプロボノ的な活動として、細々とですが、数名の断薬の過程を見届けることができました。現在も個人的に連絡を取り合ってもいるので、互助作用は多少機能してはいる、のかな?と信じたいので、信じ続けることにしています。残念ながら1名に関しては、あまり詳細も記したくない、というか、私がこの人物に関するエピソードから学んだことはひとつもなく、そしてこれを読んでくださる方にとっても同様であると判断したのでスパっと割愛しますが、強いて教訓を捻り出すとするならば、「立ち直る気がない人をいくら支えても無駄である」ということですね。


対話を進めるなかで非常に興味深かったのは、彼らの抱えている問題は、ぽつんとひとつだけそこにあるわけではなく、複合的な要因の現れであったり、さらに奥で眠っている問題のサインであったりする場合が多かったことです。得も言われぬ居心地の悪さや違和感が霧散するとき、私はそれを「魂の孤独が癒える」と表現するのですが、それを多少なりともセッションを通して感じてもらえたことは私にとって、あの活動の中における唯一にして最大の救済であったと捉えています。孤独と手を繋いで心中してしまうことを依存と呼ぶのなら、脱却の切り札は繋がりです。適切で適度でそして、どこか適当なコミュニケーション。心の通っていないメソッドを実践するだけではだめ。ニーバーの祈りを諳んじられるようになったところで、何にもならない。暗記が得意であることと、賢明であることは、別軸の評価なのです。


幼少期の虐待、性的倒錯、薬物依存、自殺未遂、精神世界への傾倒。もう、主題が大きすぎるし、ひとつひとつが重苦しくて、前述した恥ずかしいという感情をすっ飛ばして、いよいよ道化の様相を呈しておりますが、もうひとつだけ。それは摂食障害。こればっかりはしつこい、実にしつこい。引っ込んだと思えばまた顔を出し、そして次の瞬間(といっても2, 3ヶ月後)には、忽然と姿を消す。この幽霊のような症状と一生向き合っていかなければならないのか、などと想像すると気が遠くなるようです。私の場合は拒食という形で顕れます。そうなると、胃が受け付けなくなってしまうので、最低限の栄養を流し込む生活が続きます。「大好物なのに、美味しく食べられない」という感覚、当事者にしか分からない(ちなみに私はこの表現が反吐が出るほど大嫌いです)とはいえ、文字に起こしてもやはり変ですよね。私自身でもそう感じますから。いまでこそその精度は鈍りましたが、飲食物を見た瞬間に頭の中で弾き出される栄養価。「元来、私は数学が得意なのではないか」と勘違いしそうになるほど、42kgまで落ちきった当時の私(と、こうしてするりとパーソナルな数字を発表できてしまう、この慣れこそが病理なのですが)は、起点の分からない数字や誰が定めたかも及び知らぬ基準に、支配されていたのです。そしてそこへさらに、醜形恐怖がプラスされた日にはもう、それこそ目も当てられない。哀れな怪物のご登場です。数作、当時の出演作品が残っておりますが、禁忌的な魅力でも醸し出してしまっていたのか、根強いファンはこのあたりの時期から私を見つけ出し始めた印象が強いですね。いまは心も身体も、まあるくなっちゃった。ごめんね。


でも、自分で言うのも気が引けるけれど、良い奴になったでしょう?とはいえヒール界の良い奴ですから、たかが知れていますけれども。


私はこれまで、あまりにも、必要以上に、こうあるべきという理想型に合わせようと藻搔きすぎていたのかもしれません。高いプライドと低い自信。その隔たりを、好意的な他人の評価で充填しようとしていたのです。敵意に満ちた外界(それは時に無理解な親であり、かつて私を嘲笑した者たちであり、ガラスの天井であり、出来レースの人気であり、忖度だらけの組織であり、本音と建前の後出しジャンケンでもありました)への復讐心を原動力にしながら。コロナ禍と後に呼ばれることになる期間、私の復讐心はピークに達していました。ある意味、神懸かり的な時期でもあったと言えるかもしれません。「誰からも理解されないことを悲劇的に捉えるのは時間の無駄だからやめよう」と腹を括ったのもこの頃でした。皮肉なもので、この時期の遮二無二な様子を見ていた友人が、酒を飲んでいる際にポツリと「あんたずっと復讐してるんでしょう」と図星を突いてきたのです。口に含みかけていた水割りを噴き出すほど驚きました。私は不意打ちが大の苦手なのです。けれども不思議と、看破されてしまった!という焦りが湧いてこない、なぜだ。少し考えれば分かることでした。彼もまた私と同様に、復讐心を燃料にして行動できるタイプなのです。仲間は見分けられるってやつですね。私はその日から、彼を親友と認識し、そのように接することに決めました。こいつの期待だけは裏切りたくない。もしこいつを傷つける者が現れたら、どんな供物を捧げてでも呪ってやろう。そう、心の中で誓いました。良識ある読者のみなさまにはどうか、この時期での生き死にであったり、壊れた燃えた潰れただのを調べずに、そっとしておいていただきたいと、お願い申し上げたいです。


さて、2010年からちまちまと作り上げてきた加賀優作くんと、中の人のお話は、いかがでしたでしょうか。私はもうただただ、この未完成状態からようやく次へ行ける!と、連載を開始した2019年から止まっていた時が動き出すようで、希望で胸が躍っています。こんなグロテスクなヴィクティム・ポルノを、飽きもせずに最後まで読んでくださったみなさまならすでにお気づきのことと存じますが、私はあまり人付き合いが得意なほうではありませんし、言い方を選ばなくてもよいのであれば、自らが同じ種族である事実をいっとき呪いそうになったほど「人間が大嫌い」です。それなのになぜか、この世界を愛おしいと感じる。たかだか数十年だとしても、歴史の生き証人でいたいと思わされる。「とこしえ」という概念を信じてみたくなる。もう会えない人を思い出すとき、大好きな友人と語り合っているとき、私の技術で誰かが笑ったとき、必ず胸の奥で感じるこの、さみしさに似た喜び。人間であり続けなければ、きっとこれを失ってしまう。私はこの現象をただ、大切にしたい。



この世界は美しい

私が思うよりずっと

あなたの見ている景色を、すべて

私の地図に描き加えたい



2023年12月13日、水星逆行前の新月の明け方、加賀優作と呼ばれている男

Shine on you.

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