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見えないものに怯みきって鬱々とした気分を変えたかったのか先日、身につけている指輪をすべてリペアにだしたのですが、そこで出会った彫金師さんのお話がとても面白く、3つの指輪の調整が仕上がるまで(サイズと歪み直しで3時間くらい?)延々と語り合ってしまいました。彼は話術が巧みであることはもちろん、このご時世ですから生身の人間との交流が少なかったのでしょう。そして同じように私も。軽妙で心地いいレスポンスの中で、彫金一筋50年、博士号を取得した息子さんのこと、家庭では奥さまと口喧嘩ばかりだけども寝るときには仲直り、などなど彼という輪郭がぼんやりと見えてきたころ、会話の流れの中で薬物の使用経験についての話題になりました。ただの通過点、体験のひとつ、そういう時代だった。とサッパリ言い切り、ほんとうにただの通過点のようにその話題は過ぎ去っていったのですが、彼の軽躁のごときべらんめえ口調は徐々にカフが下がってBGMとなっていく気がして、私はすーっと、昔のことに思いを馳せるのでした。

21歳になるかならないかの時期。高揚とも酩酊ともつかない意識、不自然に敏感になった皮膚感覚、薄ぼんやりとした視界。痛いはずなのに痛くない。もうどうでもいい。私は麻薬に溺れていました。きっかけはよく覚えていませんが、覚えていないということは大して重要ではないということでしょう。進学した美大では伸び悩み、思うように描けないフラストレーションをセックスで発散させ、そんなセックスがまともな営みであるわけはなく、ルッキズムが充満した世界に辟易し、堕落した男と付き合い、金を貢ぎ、学費の捻出にも支障をきたし、その空しさや焦りを埋めるために身体を売り、泡銭はまた泡沫のごとく消え、希望を見出すための手段だったはずの絵はどんどん描けなくなっていく。その虚しい連鎖の日々で、どのタイミングで麻薬の使用を開始したのか、と訊かれたとしたらおそらくいつでもいいよと思うでしょう。そんなのどうでもいいよと。とにかくこの当時の私は完全に破綻していて、身心共にボロボロだったということだけは断言できます。義務教育で習う「ダメ。ゼッタイ。」では、薬物の効力や危険性を並べるだけで、「なぜダメなのか」ということにはあまり言及されていません。真実を嘘で塗り潰し、近しい人たちの信頼を裏切り孤独を深め、その孤独を共有できる者同士でまた嘘の絵の具を混ぜ合う。どす黒くなり薄まるのを待つだけの悲しい関係のなかで、察しは猜疑心に、思いやりは恩着せがましさへと変質し、まともでいようとするために狂うという矛盾に、ゆっくりとそして確実に、自覚がなくなっていく。もし若い世代の人からなぜ薬物乱用はダメなのかと質問されたら、私はこう答えるでしょう。自分を自分たらしめるものを見失ってしまうからだと。

はじめは上手く事が進んでいました。脳を勘違いさせて得た自信には根拠なんて微塵もありませんが、若さゆえの蛮勇がそれを補っていたのでしょう。「大丈夫、キレイ、なんでもできる」は無敵でいられる呪文でした。敬意を払わず他人に馴れ馴れしく接し、利用価値があると判断した人を優遇し、価値がないと値踏みした人を蔑み、用済みだと思えば切り捨てる。もしこれが動物であるならとても合理的な生き方なのかもしれませんが、外側は人間。まともな人から見たら、たちの悪い存在だったと思います。しかしまともでない世界とまともでない人間を相手にする場合、この悪質な生き方は大いに役に立つのです。このころの私の主な収入源は風俗と、麻薬常習者と密売人の仲介役でした。フィクサーを気取り、人の弱みにつけ込むことを必要悪だと正当化すらしていました。誰かを麻薬に溺れさせるたびに報酬も上がっていき、ゼロの数に目が眩み、そのお金が大きな代償のうえにもたらされていたと気づくまで、私は活き活きと死んでいたのです。

ほどなくして契約していた密売人が捕まりました。足切りを仕損なって勘付かれたのか、同業者によって組織的に追い込まれたのか、もともと泳がされていたのか、詳しいところは分からないままですが、私はとにかく距離を置き、彼とは無関係だという設定を作ることに集中しました。携帯が鳴るたび、インターホンが鳴るたび、私は震えと脂汗で生きた心地がしませんでしたが、同時に、これが生きているということなのだと頭の中で声が聞こえてもいました。この段階でもうすでに、精神的な歯車が狂っていたのだと思います。統合失調症を発症したのです。

言動の乖離、ひどい拒食、止まらない妄想。それを抑えるために増えていく使用量。このまま電源を落とすみたいに終わってしまえばいいのにと堕落の沼にどっぷり浸かっていたある日、ひとつの携帯に着信が入りました。知っている番号。応答すると「最近調子悪いみたいだけど大丈夫?ちゃんと食べてる?もしなにか悩んでるなら話聞くよ」と。端から、どうせ薬を売ってくれとか、あるいは金の無心だろうと高をくくっていたので、なにも答えることができませんでした。発話ができなかった。なによりこの番号は、先に書いた「価値がないと値踏みした人」だけに教えていたものだったのです。言葉の代わりに嗚咽が止め処なく溢れました。守るべきものを失った獣のように。彼には恐らく他意などなく、純粋に私を心配しただけだったのでしょう。だけども私は、彼を敬うどころか自分の人生には関係のない存在だと見下していたのです。彼にあって私に無いもの、それは心でした。それに気づいた瞬間、自分を塗り固め封印していた嘘のメッキがバリバリと剥げていく音が頭の中で響き渡りました。悲しみと怒りが混ざったような、激しい旋律。終わらせるなら今しかない、という衝動がよぎりました。いま終わらせれば完璧になれる。完璧なまま死のう。キレイなまま終われる。いま、すぐ。私はもはや自分自身の制御を失って死に取り憑かれた傀儡となり次の瞬間には、ちびちび使っていた麻薬をすべて摂取し、梁にぶら下がっていました。視界がプツンと暗転して、心と思われるものはとうの昔に死んでいたのでしょうが、肉体もそれにやっと、追いつくことになったのです。

こういう仕事をしていると「人は死ぬとどうなるのか」というような話題を嫌でも耳にします。亡骸の処理や煩雑な手続きなどは残された者に委ねられますが、だいたい論点になるのは霊魂や残留思念という概念や、死後の世界、天国や地獄といった存在です。私はそれを否定も肯定もしない立場ですが、ただ、生と死を隔てる「境界線」というものはあるのだなと思う体験はしました。暗転した視界がぼんやりし展開されてくると、私は狭い線の上に立っていて、さながら平均台のように、くらくらと揺れながら、明滅の狭間をただ彷徨っていました。一方は膜を張ったような光が漏れすこしまばゆく、誰かの愉快な笑い声や愛の語らい、どこかで聴いたような美しい旋律が聴こえてきます。対してもう一方は真っ暗闇でよく見るとなにやら蠢いているようで、複数の怒鳴り声と悲鳴、ガラスの割れる音やメキメキとなにかが潰れるような音がしていました。その対比を線として認識したのかもしれません。なんか変だなとかすかに感じつつも、なぜだかとても懐かしい気持ちになっていたのを覚えています。「私」というはっきりとした意識のようなものはなくただ感覚だけが機能しているようで、私はなにも考えず、というより考えるという段階を経ることもなくそれこそ魂のままに、ふわーっとまばゆいほうへ傾き、そちら側へ行こうと足を踏み出そうとしました。その刹那、反対側から強く手を引かれ、耳元で「まだまだ終われないね。」と聴こえました。不思議だったのは、誰かに囁かれたはずなのにその声が私自身のものだったことなのですが、そこではじめて自分が自殺を図ったことやそれに至る絶望や後悔を思い出し、いよいよ観念したというか、こんな自分が楽になろうとしちゃダメだよねと、おとなしく手を引かれたほうに身を任せました。ひゅーっとなんの抵抗もなく落ちていく、だけどもしっかりと手は掴まれている。あの重力は錯覚だったのだろうか。錯覚でないのなら、あの世は宇宙には存在しないと思います。また暗転していく。体感としては「まだまだ終われないね。」の直後なのですが、カッと瞼が開き呼吸の流れや動かせない首を感じ目だけをぐりぐりと動かして、ようやく、ここが病院で自分が管だらけになっていて、生きているのだと、死のうとしたけれども死ねなかったのだと自覚しました。あくまで個人の体験ですが死後の世界の存在については、死にきったことがないので分からないと答えるでしょう。ただ生きても死んでもいないとき境界線の上に立っていた、ということだけはいまも頭の中で再現できるほどに覚えています。この体験はのちにBEAUTIFUL MISTAKEという言葉として私の胸のタトゥーとなりました。体力が回復してきたタイミングで聞かされましたが、一度心臓が止まったそうです。あのときまばゆいほうへ行っていたら、ともすれば心臓が再び拍動することはなかったかもしれません。

馬鹿は死ななきゃ治らないと云いますが、あながち間違いでもないなと思うのは実体験として身に付いているからで、自殺未遂後の私は憑き物が落ちたように違う考え方をするようになりました。当時を知る人がいまだに「ほんと変わったよね、見た目はもちろんだけど」と皮肉ってくるくらいです。麻薬から遠ざかる生き方をするようになり、悪い交友関係はすべて断ち切り、ヒモ同然だった恋人とも別れ、学業に専念するため節制もしていました。しかしここでまた不思議な体験をすることになります。肝心の絵がまったく描けないのです。以前のような思った通りに描けないというもどかしさとは明らかに違う感覚です。なにも考えずに削っていた鉛筆、溶いていた絵の具、引いていた線、置いていた色、なにもかもが自分のそれではなく、スッパリと抜け落ちたように描き方が分からないのです。嘘でしょ?どうやってやってたんだっけ?分からない。自分の一部がなくなったような気分でした。でもそれは一瞬のこと(とはいえ数ヶ月は落ち込みました)で、もしかしたら自分の一部がなくなった、この感覚は気のせいなのではないかと思い始めました。近しい人たちを裏切ってしまった事実よりも決定的な喪失感がなかったからです。いや、描けなくなったということ自体はものすごくショックでしたが、例えば、欠けたロケット鉛筆に次なる芯が補填されるような、腹を凹ませるために吸引した脂肪をしぼんだ胸に注入するかのような、そんな予感のほうが強かったのです。そこで私は「描けなくなった代わりに別のなにかができるようになっている」という仮説を立て、セラピーや通院を続けながら、それを探るようになりました。青い鳥の話ではないですが答えは案外近くにあって、探すことを諦めたようなころにふと、分かりました。自分自身の五感が鋭くなっていたのです。特に嗅覚、味覚、触覚に関してはそのままビジョンや言葉として置き換えられるほど鋭敏になっており、これが共感覚というものだと理解するのにそう時間はかかりませんでした。この感覚には思わぬ副作用もあり、それが占いでした。そういった類に関しては幼い頃から親しみはあれど、ただ教養や遊びとして楽しんでいただけのものでした。しかしタロットカード1枚から浮かぶイメージや湧いてくる言葉、数字や文字ひとつひとつから伝わってくる意思、すべてが以前とは劇的に異なり、入ってくる情報が豊かになっているのです。いまでもずっと変わらずに持ち続けている信念のひとつである「意志を持って占う」という意味を肌で理解したのもこのときでした。

カフが上がり、軽快に響くバリトンのべらんめえ口調がすーっと聴覚に戻ると、彫金師さんは最後の指輪のひとつをほらよ、と渡してきました。コンマ数ミリの調整。だけど装着感が全然違う。「気にしすぎなんじゃないの?」といくら周りに言われても、こうしてプロの技によって自分の感じた違和感が間違っていなかったと確認するとき、そして同じように、これはあのころのような妄想や勘繰りではないんだという安心も覚えます。「似合ってるよ。モデルも占いも頑張んなよ。」と言われまたホッとする。私も彼のような人間みたいに、言葉によって誰かに一瞬でも安らぎを与えられる大人になれているだろうか、なれていないのならいかにしてなっていこうか、ときどき内省します。思考の渦に飲まれてそのまま朝を迎えることもしばしばです。答えはひとりでは分からないですが、いまはもうひとりぼっちになってしまう生き方はしていないので、さみしさを感じることはありません。私には、ごめんねと言いたくても言えなくなってしまった人もいるし、もう一度会いたいと願っても決して叶わない人もいます。それでも「まだまだ終われないね。」のほんとうの意味が分かるまでは、どんなに葛藤しても生きていくしかないのだと思っています。自分の声で聴こえた言葉だもん、いつか自分で見つけるはずですよね。これを書くことで私の過去も彼のように、ちゃんと通過点だと言い切れるものになりますように。

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