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 神聖でない眠りなどない。特に、誰しもに軽視され得べからざる時間があるという意味において。個人的には、「半分死んでる時間」だと思っている。もう半分はなんだろうと考えたときに、まあ「生きてる」となるんだろうけれども、ある夜「生き返ろうとしてるのかも」と考えてみたら、しっくりくる夢見を得た。結局ほとんど死んでいて、でも死にきっていなくて、生き汚い部分が覚醒を促す、というような具合に。実際、睡眠には、眠ろうとする働きに対して目覚めようとする働きがあることが知られている。「眠るのにも体力が要る」という表現は、それを示しているんだと思う。私たちは、日々で傷ついた肉体を、走らせた記憶や処理を、夜な夜な、どうにかこうにか魂がもう一度乗っかれるように修復して、毎日生き返っているのかもしれない。

 「寝言に応答するな」とは昔から云うけれども、これはいわゆるお育ちが出る領域の話だと考えていて、まったく小賢しいことこの上ないが、私はときどき、この手の話題で相手の程度を察ることがある。余談だが、「朝蜘蛛」とか「狐の嫁入り」あたりの縁起にまつわる話題は、嫌味なく相手の倫理観や自然への畏怖の度合いをおおまかにではあるが掴めるので、会話のあしらいに困ったとき手札として持っておくと便利だ。

 さて寝言であるが、私はほんとうに、絶望的なくらい、寝言がひどい。私の睡眠に居合わせてしまった不運な人たちの報告によると、本心と真逆のことを言っていたり、別人格なのではないかと思えるような内容ではないにしろ、はっきりと明確に、発話しているそうだ。みな口を揃えて「起きているのかと思った」と言う。たいていは見ていた夢に関連している内容なのだが、ときたま、まったく身に覚えのない内容があったりすると、とても怖い。自らの空白に怯えている姿を寝起きに見られるなんて、恥の上にまた恥を塗り重ねるようなものではないか。私はやっぱり、朝はひとりがいい。

 ゆめうつつ、心ばかり。つづく

Comments

kkkko

死を考えると特に眠れない傾向にあります。「毎日生き返る」が、すんなりと確実にブッ刺さりました…。加賀さんの考えと文章力が尊いです👏😭