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 ここのところは、日々のあれこれをこなしながら、時代劇を流し見している。ある1作品を観たいがために加入したつもりの東映オンデマンドだったのに、1983年版大奥を発見してしまった。大奥ファン悲願の配信であろうと、思わず観始めてしまったが最後、私は、終わりが分かっているものは最後までやり遂げないと気が済まない。現在1日中再生している有様である。

 眠る前には映像も、音も、あらゆる感覚でさえ、少なくしたい。なぜかそういうこだわりはどうしようもなく、ずっとずっと、昔から捨てられない。昔の顧客に一緒に朝を迎える男がいたが、私は誰かと一緒に眠ることができない。寝つきの悪い私を諭すその男がうっとおしく思えて、誰かから聞いた話をそのまま声帯に乗せる。

 「一緒に眠ると呼吸とか心臓の鼓動とか、シンクロしちゃうんだって。心中みたいなもんだねえ。」

 嘘か真かはどうでもいい。そのときの私は、ポロッとつぶやいただけなんだろう。たいてい、変に考えて喋っているときより、ふっと漏らす一言のほうが面白がられる。男はスンと黙りこくって、私は静寂を勝ち取った。とはいえ20代だから許されたものの、いま考えてみればけっこうな暴言である。私がずっと起きているということは、「あなたと心中する気はありません」と告げているのと同じなのだから。けれどもどのみち、私はどんな人間が横にいても、共に眠りを得ることはないだろうから、失礼もへったくれもあるものか。眠りに苦しむ人間を横に飾り置いて、平気な顔をして寝入る人間に差し向ける心など、持ち合わせていない。

 こんな強気を言えるのも、私がそういう場に居合わせぬよう細心の注意を払っているからなのだが、そうも言っていられない事態がやってくるかもしれない。というのも、いま世話になっている事務所から3日間にわたる貸切指名(!)の打診があり、これを受けたからだ。まだ先の話ではあるが、先方からのキャンセルがない限り、この話は確定である。貸切といえば、指名制をとるエスコート業においていわば「独り占め」、24時間共に過ごす権利を顧客は得るわけだ。私がヘマをしない限り事務所も万々歳。そして私も、在籍スタッフとして箔がつく。悲しいかな、この三十路の十年選手、心の片隅ではもうひと花咲かせたいと願っているのだろう、長い夜を越える苦しみより、「まだまだ私いけますよ」という見栄を選んだのだった。

 とはいえこれは、お馴染みさんと築いた関係性の結果ではなく、突如やってきたラッキーパンチのようなもので、いわば「エンジェルに試されている」というやつだろう。1日貸切だけでもすごいというのに、3日とは恐れ入った。5つ星ホテルにドレスコードのディナー。これまで培った接客・教養・立ち居振る舞い、すべてが試されることだろう。途中まで観てしまい引っ込みがつかなくなった大奥では「苦しゅうない」と繰り返される。そう、私は、終わりが分かっているものは最後までやり遂げないと気が済まない。来たる72時間をさまざまなシチュエーションで想定しながら、私のベッドは軋むのだった。

 ゆめうつつ、心ばかり。つづく

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