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・今日はインターネットが機能停止する日

 十代二十代の時分にはエイプリルフールを楽しむ度量があったのですが,最近は「普段使ってるニュースサイトが機能不全に陥ること」とか「日常的にみているサイトがトラフィック増大で落ちること」みたいなふだんの維持ができないことばっかり気になるようになってしまって,もうここ数年はすっかり「インターネットが世界的に使えなくなる日」として認識してしまっています。

 1日限定でしか見れないものを追って1日を使うっていうのもしんどい話ですし,なかったものとして扱って,目に入ってきたものだけを見て「そうかあ,みんないろいろ考えてるんだなあ」と思うくらいがちょうどいいバランスなのかなーと思います。あと「普段見てるサイトとデザインが違うけど本物のサイトじゃないかも!」みたいな認識をブラウザからされて,テクノロジー落ち着けって思いました



・死に場所と死に方は選べない人の方が多い

 著名な人の訃報が流れてくると「こんな形で死ぬ人ではなかった」みたいな言説が必ず流れてくるんですけど,どんな形で死ねば人は納得するんだろうかと常々考えています。自分自身も死ぬときに死に場所は選べないのかもなとも。先日の訃報の乗っかり話ではありますが,「その事象によって想起された話題」くらいの距離間で付き合ってもらえればと思います。


 たとえば後年をほぼ植物状態で過ごし,そのまま消えるように亡くなられた赤塚先生とか,いきなり寝タバコで火事になって亡くなられてしまった横山先生とか,当然「望まれた死」ではありませんでした。まだいけたんちゃうかと誰もが思っていた。偉大なるエンターティナーの死は,少なからずの動揺がどうしてもあると思っています。

 病死や事故死はあまりにもありふれすぎていて,しかしどうしようもなく突然に訪れるため,そうなる直前までは誰もが「死ぬまで現役で,きっと最後まで作品を出し続けながら,ベッドで眠るように死ぬに違いない」みたいなことを考えてしまうのかなと思います。


 「死んだ事実はめちゃくちゃ悲しいけど,こういう死に方はあまりにも想像通りで,なんだか受け入れてしまう」という例もありました。先の吾妻ひでお先生の訃報がそうでした。なんだかいつも死にそうな感じの人で,その通りに,まるで消えるようにいなくなってしまった。その直前までずっと漫画を描き続けてこられた方でした。ふつうに生きている限り望まれて死ぬ人間なんていないとは思いますが,死んだときに死んだ事実をすぐに受け入れられるどうかが,生き方のひとつの分け目なのかなと考えたりしています。


 生命の完成,人生の終着点を感じた瞬間に往生できれば言う事はないと思うのですが,それ自体がとても幸福で幸運なことで,容易ではないよなと思います。死ぬ瞬間と,死ぬ場所を自分で選ぶ唯一の方法って自死なのかな,とも。でも自死が善いことではないのはわれわれは当然のように自覚していますし,自らの望む死に方と他者から望まれる生命の完結の仕方って地続きじゃないのかなーとか。


 南君の恋人っていう昔の漫画(ちょくちょくドラマでリバイバルしてますが)が凄く好きで。異常な恋愛をはぐくんできた二人が日常に戻るためにはこうするしかなかった,という思想を踏まえつつも,あまりにも急に,何の前触れもなく,幸せな瞬間からものすごいスピードと力で引きはがされ,劇的に日常に戻っていく,あの感じがゆるやかに呪いのように体にまとわりついて離れないんです。受け入れられるはずもない,他にどうにかならなかったのかよと思っちゃうような終わり方なんですが。だれだって納得してないと思うんですけど,でもなんだか,死ぬってそういうことなのかなーとか考えたりします。


 30余年も生きてくると,人生で接点があった人が亡くなられることも,少しずつ「ありふれたこと」になりつつなってきてしまいました。もちろん個別個別では,「ありふれたこと」だなんて流さない(流せない)で,毎度毎度めちゃくちゃになってしまうのですが。ひどい時は半月とか1か月くらい引きずって,元に戻れないこともありました。自分もいつしかありふれたことの一つに組み込まれていくという実感も,そういうことが起こるたびに考えてしまいます。

 ずっと死ぬことしか考えられない時期は人生のなかで何度も訪れて,死ぬことが怖くないといえばめちゃくちゃ嘘だからなんとか踏みとどまれるんですけど,でもぼく自身がほんとうにだれかの思い出として語られるようになるとき,できればそれはポジティブな語られ方であって欲しいなと,贅沢にも思ってしまいます。とはいえぼく自身がもう明日死んでもいいな~と思えるほどに生命が完成するのは,まだまだ先ですね~。努力不足を痛感するばかりです。


 ひとつだけ言えるのは,死んだことをちゃんと確認しないとあとで大変なことになる人というのは確実に存在して,私で言うと,憎ければ憎い人ほど,ちゃんと葬儀に参列し,死に顔を見て,燃やされていく姿を脳裏に焼きつけておかなければなりませんでした。一生の後悔の一つです。その手続きを怠ったため,今も「もしかしたらまだ生きているかもしれない」という恐怖から生まれる悪夢に苛まれています。


 出来る限り不謹慎な話は避けたつもりですが,こればっかりは不快になったら申し訳ありません,という気持ちはあります。茶化すつもりもないですし,自分自身にいずれ降りかかることでもありますので,何かの節目節目に自分はどれだけ生きているのかということを考えてしまいます。



・嗜好品をオモチャにしないで欲しいという話

youtube post: T6UctRjmQZc

 いきなり絶世の美少女貼ってすみません。みんなびっくりしちゃったかな? 嗜好品の多くって,好みのためにたしなむ物がほとんどだと思うっていうか,嗜む・好き・品ってそういう字か。今書いて自分でびっくりしちゃった。嗜好品の話に戻るのですが,僕は「辛くて旨いもの」と「酒」がめちゃくちゃ好きで。今回は辛さの話からします。

 めちゃくちゃ辛い物を積極的に追い求めるぞ!! ってほどではないんですが,それなりに辛い物が好きで。マジックスパイスとかも行ったことないし。ただ近所のスーパーとか,行った飲食店とかで辛いメニューがあったら自分と相談しつつ試してみるみたいな感じで味と辛さを見てみるという行為が気に入っています。だからこそ辛い食べ物をオモチャにされるのが悲しい。


 たとえばカラムーチョ,発売当初はあのくらいでも「激辛」扱いで,「こんな辛い食べ物売れるはずがない」みたいな認識のされ方だったのですが,今ではほのかに辛味がある程度みたいな認識じゃないですか。暴君ハバネロは味が変わったので細かく覚えてないんですが,そういう感じで,市販品として許容される「辛さのレベル」みたいなものって年々上がっていってるのが怖い。

 中本の北極カップ麺とか,ペヤングの激辛とか,辛辛魚とか,市販されているのがギリギリな辛さって結構あると思うんです(極激辛は,まじでこれがペヤングの名前でコンビニとかで売られてるのやばくないか?という辛さでした。本当にやめたほうがいい)。それと同様に,メニューにとくに基準とかもなく「結構辛いっす~」って書かれてる料理を頼んだらマジでひっくり返るくらい辛かったりとかもわりと焦る。


 辛味は痛覚みたいな話はむずかしくてよくわかってないので置いとくのですが,それを置いといても強烈な刺激物であるという前提は覆しようがなくて,慣れてる人ほど「辛いものを罰ゲームにするのは冗談にならないからやめとけ」って思います。辛いもの食った結果,反射的に嘔吐するぐらいなら優しい方で,救急車で運ばれて胃洗浄されて何とか一命をとりとめたとかそういう事案も少なからずあるわけですし。最悪ショックで死ぬかもしれない。いま市販されているものの辛さって本当に度が過ぎていて,行き過ぎた好事家によって求められた殺人兵器みたいなのが店頭に平気で並んでるんですよ。酒のストロング缶と同じ文法だと思っています。「あー辛ーい!」みたいな我慢比べのネタとして冗談で食べてよいものじゃない。


 ああいう度が過ぎた嗜好品はあれを楽しめる人のためにあるものなのが前提であるとか,食べ物を粗末にしない方がいいよ・・・とか色々思うところはありますけど,「俺は食えるけど君はやめといたほうがいいよw」みたいなイキリではなくて,自分自身が辛すぎる料理とか強い酒飲んでぶっ倒れた経験があるからこそ「こんなもん好きな奴(耐性があり,食える奴)だけ食ってりゃ良くねえ!?」って思う面があり,今趣味として楽しめてる人たちが一番ビビるのは「こんな強烈なもん平気で売ってて,なんか事故って規制されたりせんかな……」という感じではないかなと。フードファイター見て早食い真似して死ぬ,みたいな事故と同じで。


 なんか罰ゲームでキツイ食べ物使ったり酒を一気したり肉体攻撃したりみたいなのって無いとダメなのかな~。何かの目標に負けたり未達の時点で屈辱を味わわされ辛酸を舐めさせられててこれほどかというぐらいの罰は受けてると思うんですけど,それじゃダメなんですかね~。



・人の聖域に踏み込むな

 僕が好きな作品の中には「勧めるほどではないけど好き」「なんとなく好き」「ちょっと好き」「けっこう好き」「めちゃ好き」「死ぬほど好き」みたいな区分けとは別に「聖域と化している」ものがあります。そういう作品は数年に1回思い出したようにリフレインするのですが,そのときに面白半分でおれの領域に踏み込んでくる奴がマジで許せません。

 べつにおれの好きな作品が好きでも嫌いでも,それは好みなので「まあ・・・そういう意見もあるよね」って感じで済ますんですが(これは本当で,俺が死ぬほど好きな作品を誰かが嫌いでも,クソ~!わからん奴め~!と思いますけど,怒ったりはしないです),土足で踏み込んでくるタイプのやつがほんまに腹が立つ。たとえば「へえ~そんなに話題になってるならいっちょ(見に行って/遊んで)やりますか!笑」みたいな手合いがいるじゃないですか。褒めるにしてもなんか上から目線っぽかったり,事情通めいたり,異様に気取った言動で,作品の話をしてるんだか作品を見てる自分の話をしてるんだかわからん奴。

 普段だったら「なんか言ってるな笑」くらいのノリで流せるんですけど,聖域となってる作品でそれやられたらもう対話の余地はないですよね。即ブロ。さよなら。人間性磨いて出直してくれや。ってなります。


 繰り返しになるんですけど,向き合った上で好きになったり嫌いになったりするのは自由だと思うんですよ。ぼく自身人の好みを強制するつもりは毛頭ないし。でも作品を踏みにじりに来てるやつは,時と場合として,おれ,あるいはおれのようなれんじゅうがキッチンから包丁持ちだしてきても文句言えないということを覚悟しなくてはならない。そうじゃなくても,物知り自慢,裏方気分みたいな距離感で接してくるやつは,基本的に「敵か敵っぽい奴」みたいなフォルダに分類されてるということを自覚していただきたい。


 ようするに,興味ないなら黙ってろって話です。ぼくが普段好き好き愛してるって言ってるゲームとか漫画とかアニメとかでも,ぼくが好きだから(≒ぼくと話題を作るために)見る人とかいたりするんですけど,そういうのはマジで失礼だし作品にケンカ売ってるからやめてくれよな。ぼくがおすすめしてたり好いてることで作品に興味を持ってくれること自体はとても嬉しいので作品と向き合ってくださいね。

(YouTube)


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モスー

4月になりました,今月もみなさんにお世話になっております!