(追記)日記ダヨン (Pixiv Fanbox)
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3月だよ~! やりましょう! (追記)寝て起きたらちょっと書きたいことがいっぱいできたので書きました!
製作ダヨン
これはね・・・絶好調!!! めちゃくちゃ進めてます! 褒めて欲しい・・・内部的な改修がずっと続いてるので見せられる画面はほとんどないんだが・・・1個ある!(本当に!)
bandicam 2021-03-02 23-09-43-508
召喚弱い説に基づいて,試しに召喚の上限をなくして戦闘をまたぐようにしてみたら,戦闘開始と同時に召喚したペットが無限に敵を殴り続けてめちゃくちゃな勢いで殺すようになってクソウケてる様子です(バトルログ見ると死体蹴りすらしてる),この後修正されることでしょう,でも仕組みとしてペットの上限数をなくすことに成功はしたのでなんか面白いことできるかもしれない,そういうこまごまとしたことを無限にやっています,なるか・・・今月中のアップデート公開!!
リテラシーの話
以前リテラシーって知識じゃなくて知恵だよねみたいな話をしたんですけど↓
fanbox post: creator/9495/post/1002703
Quizknockさんがそれについて「リテラシー」という語を使わずに説明してるのが凄くよかったですね,っていうのを1か月前に思ったんですけどもう1か月たってからようやく思い出した……
みなさんも様々な知識に直面した時にどう処理するか日々がんばってやっていきましょう!
(こっから追記)
ていうか,目の前にある板なり箱なりを使って検索することで「答え」にはたどり着ける場合が多いですけど,本当に欲してるのは答えそのものなのかな~ってことも多くないですか? アカシックレコードとの接続,アンサートーカーになったらそりゃ気持ちいいでしょうけどでも我々は「答え」のあったりなかったりする問題に対して「議論」することを楽しむ風潮を元来持ってるはずなんですよね。
答えを求めることそのものに固執したりするようになっちゃうこともありますし,あんまり「正しさ」とか「解答」とかに強いこだわりを持つと,それってリテラシーから遠ざかるよなー,と思います。
極端なたとえですが,裸一貫で外に放り出された時,知識を得られない状態でどう生き延びる采配を出来るかとかが「リテラシー」なんじゃないかなと。そういう意味では知識に偏重すると洗脳されやすくなったりとかなんだか余裕がなくなったりとかいろいろ苦労はしますよね。もちろん情報を持っていることで有利に立ち回れることはいっぱいあるんですけど。
っていう話,前回もやりましたかね。そうかもね。こういう繰り返しをやってしまうのが人……
うまい人がへたな人を見下すってそりゃそうじゃね!?
twitter post: 1364801655699464193
価値観の違いで対立したりすることは対等だと思うんですけど,うまい奴はへたな奴を下に見ないことは絶対にありえなくないですか? 少なくとも技術の評点されている以上,「俺の100点は君の50点と同じ輝きだよ」みたいなことを言っても100%煽りだし,試合に負けて勝負に勝ったみたいな話も通じないと思うんですよね(もちろんねとらぼの編集長さんとして,そういう風にふるまわなければならないのかもしれないんですが)。
ゲーム以外のことに置き換えてみたら良いかもしれないですね,確実に上下が発生するものに関して「俺たち差はあるけど対等だよなw」とか言わんでしょって思います。得手不得手,好き嫌い,どう解釈したかみたいなのは優劣があるものではないですけど,評点は違うでしょう,そこを平たくしたら手を繋いでかけっこして順位つけないのと同じですよ。
福沢諭吉も「天は人の上に人を作らず,人の下に人を作らず,だが人は違った!!! 人は学歴やら何やらかんやらによって差を作った!! だから学び,競うのだ!!!!」って言いながら1万円札にその身を宿したじゃないですか。福沢諭吉は"競争"の象徴ですよ。日本における貨幣制度の最上位に君臨する存在がそう言ってるんだから間違いない。
というわけで,上手い人は下手な人を見下していいと思います。赤子笑うな来た道だ,老人笑うな行く道だ,っていうのは「自動的に起こる」ことに関してですしね。勝ってる人は勝ってる側なりのことをやっているんですから,しょうがないですよ。
オタクによるジャンルの狭窄・終焉は現実なのか
これ,長年の僕の課題で,ずっと考えてるんですけど,基本的には「NO」だと思ってるんですよ。前に書いたかもしれない(というか同じ話をずっとしているので基本的には書いたと思う)んですが,基本的にあらゆる消費が勃興するようになる裏にはブームがあり,ブームが過ぎ去ったら一般的な消費者は離れてしまうわけじゃないですか。そうなった時に支えてくれるのが熱心なファン,言ってしまえばオタクなんですよね。
だから,その消費も生き残るためにだんだんとオタク向けになっていくわけじゃないですか。ここまではおかしくないですよね。楽しんでくれる人のため,好きでいてくれている人のための感謝と存続の希望をもってwin-winであり続けることのはずなので。
その結果,たとえばゲームなら強烈な複雑化,極度のニッチ,難易度のインフレなどなど,一般的な消費者を遠ざけるような生き延び方をしてしまうわけなんですけど,でもそれって「オタクのせい」ではないよなと。それはブームの通過と共に離れた消費者が外野からウダウダ言うようなことじゃなくないですかっていう(たとえば,上級者の言うことばかり聞いて高難易度になるからユーザーが離れていくんだよ,とか)。
求められてるものと提供されるものの乖離によってユーザーが離れる例は少なからず見てきているのですが,それも別にオタクのせいではないよな,と思います。
たとえばMMOであるDQ10の「氷魔フィルグレア」というボスはストーリー中途のボスでありながら歴史的な数の引退者を出す強ボスとして君臨していました。DQ10はその性質上あまりに強い敵は上級者向けコンテンツとして隔離される傾向にあったのですが,何かの手違いで本編の経過地点に出てきてしまったせいで多くのユーザーが物語の先に進むことが出来ず阿鼻叫喚の地獄絵図となってしまったという事例があります。
これは長期的運営による,ユーザーの強さのインフレに応じた提案の一つとしては看過できないほど,ユーザーの求めるものと程遠いコンテンツをお出ししてしまったことでユーザーに見切りをつけられてしまったせいですが,別に口うるさい人がもっとバトルコンテンツを充実させろとか騒いだせいでこうなったわけではありませんので,何だったんだろうなぁとか思います(DQ10は,これに限らずたびたびストーリー上にゲームシステムの理解をそれなりの粒度で行っていないと勝つ事が困難な敵が出てくることで,賛否を巻き起こしています)。
で,そんなこんなで,結局「オタクによってジャンルがホロボシータになってる例」なんてなくね,と思って生活していた僕が1年ほど前,仕事上で「ダークソウル3」というゲームを遊んだのですが,これは僕にとってのパラダイムシフトでした。
ダークソウル3はおそらく世間一般の認識として「ハードコアなアクションと複雑な世界設定で繰り広げられるダークファンタジー」だと思うのですが,そんで僕も昔キングスフィールドとかアーマードコアとか遊んで「この会社のゲームは僕の趣味とはちょっと違うな」と思っていたのですが。
ダクソ3を僕が実際にプレーした所感としては全く異なっていて,プレイヤーの手でリスクをコントロール可能な丁寧に作り上げられた戦闘のバランス,ゲーム的な利便性に振られ過ぎてはいられるけれど魅入られてしまう風景,そして様々な形でプレイヤーの遊びを受け入れる懐の広さと,3Dアクションゲームとしてのお手本のようなゲームだったことに衝撃を受けました。それは「繰り返せば上達する」とか「殺され続けることも醍醐味」「死をもってダークソウルの世界に歓迎されている」といった言説を唾棄したくなるようなほどのショックでした。
とすると,「オタクによってコンテンツが殺される」という言葉の真の意味は,ジャンルやシリーズの意味がねじ曲がってしまい,どんどんと内輪に収斂することにより,コンテンツを提供する側にすら求められるハードルが再現なく上がることにあるのかな,とか考えるようになったんですよね。
そういう意味で言うと「アーマードコア」の続編がちっとも出ない理由は,4とかPSPの奴みたいに,「アーマードコア」として求められる作品を出せなかった時に受けるバッシングがバカバカしくてやってられないからなのかな~,とか考えちゃったりして。
自分語りになっちゃいますが,ぼくも似たようなことがあって,SCE2は本来未完成で,もう1回だけの更新をもって完成するつもりで,そのために大量の音声収録やら新たなデザインを構築したりしたのですが,そんなこんなをしている間にSCE2がカルト的な人気を博してしまい,変な人には目をつけられてしまうし,ですっかりやる気をなくしてしまった内にぼくの手には負えないほどにSCE2に求められているものが大きくなってしまって,「これはもう続きを作るのは無理だ」と思ってしまった,という事などがあったりします。Web向けの動画の短編は,SCE2というコンテンツにかろうじて続きを出せるぼくのギリギリの譲歩,あるいは感謝だったりとか,そういう感じです(上で書いた音声収録とは別に,新たに新録しています(≒つまり,未使用のまま塩漬けされている音声が大量にあります))。
何かの熱狂的ファンになるのはいいことだと思うんですけど,みんなが楽しめるようなファンの姿でありたいですね,という話でした。終わり。
僕の地雷の話
僕と話している人が,ざっくり言って「モスーさんはあらゆる事象(例えば,真実,事実,本音,嘘,冗談,狂言などなど)をすべて同じトーンで語るので,どこまで本当かわからないし,怒っているのもフリなのか本気なのかわかりづらく,地雷がどこにあるのかわからない会話する怖さがある」みたいなことを言っていたのですが(これは一人に言われたのではなく,言われたことを一意にまとめたものです),基本的には僕を「うっかり」怒らせることなんかについては気にしないで話しかけてくれると嬉しいな~,と思います。
というのも,何より人が生きていくうえで怒りや憎しみの感情を切り離すことってまず無理,とっても難しくて,ふとしたことで解釈違いやら地雷を踏みぬくことはあると思うんですけど,それって交通事故みたいなケースがほとんどだと思うんですよね。
なので,もし不快に思うようなことがあったとしたとして,とりあえず一回か二回は間違いかもしれないので素通りさせますし,度が過ぎるようであれば「不快である」とはっきり伝えるようにしているつもりです。
そして,その時も,可能な限り,「人」ではなく「行為」にキレるようにしているつもりです。ですんで,何か僕が苦手なことを言ったりして僕を怒らせたり,遠回しに僕の嫌いなものを見せつけることで僕を不快にさせてしまったな~,とかいうことがあったとしても,それは「そういうことがあった」というだけでしかなく,それを悪意をもって何回も繰り返さない限り,僕は人に対して特にナーバスな感情を持たないようにしています。
なのであんまり気兼ねなく,気楽に話を振ってもらえればな~と思います。なにとぞ! このご時世,みんなお話することには飢えてると思いますので。
あと女の子からのお便りだとなお嬉しいで~す。
そんな感じで,書きたいことが増えたら書く,そういう人生を行っています! みなさんも言いたいことがあったら言っていきましょう,それではまた!