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 高校を卒業し、フリーターという職業の社会人になってから、才川真波は行き場のない毎日を送り続けていた。  アルバイトという拘束時間の中で浅く培った知識と技術の経験を活かし、毎日の生計を立てる何気ない日々を過ごす。その途中で契約期間を終えたアルバイトを手放し、次のアルバイトへ手を付けた際には、答案用紙の空白に答えを当てはめていく問答を繰り返し、一つずつ知識と技術の穴埋めをしていく。  大きい企業に就職することも考えた。だが、書類審査。一次面接。二次面接を繰り返しても、才川真波を雇い入れる企業はどこにもなかった。親に迷惑をかけたくない為に、アルバイトを掛け持ちで続けているうちにフリーターでも生活できることを知ってしまった結果が今の才川真波の生活基準になっている。  何のために生きて、何のために働いているのか。  学生の頃はたしかにやりたいことがあった。  なのに、それが一体なんだったのか。今は思い出せないでいる。  仕事の内容はすぐに把握し、理解しづらい部分の答えはすぐに見つけられるのに。  自分の将来についての答えは未だに見つけられないでいる。    これから先、どこへ向かうべきなのか。  どこへ向かっていきたいのか。自分が本当に求めていることはなんなのか。  考えれば考えるほどわからなくなっていくから、何も考えずに答えの埋まらない空白の日々を繰り返す。  学生のころの友人はみんな彼氏ができていた。結婚したという噂もSNSで流れてくる。  いつも遊びに出かけるほど仲の良かった友人も、大学関係の付き合いが深くなり、最近はほとんど顔も合わせなくなってしまった。  年齢を重ねるにつれ、孤独になっていくこの社会で視野が狭まっていく恐怖から逃げることはいけないことなのだろうか。  自分と向き合うこともせず、日々の暮らしだけに注意を向けてアルバイトで命を繋ぐだけの生活に慣れてしまっている自分にはとても悪いことだとは思えない。その問答に別の答えを投げかけてくれる友人は才川真波の傍にはいない。  現在も。未来の在り方も。何もかも考えなければ楽になれる。それが今の才川真波にとっての最良の選択であることは知っているし、わかっているつもりでもある。だけれど、今の自分ではない過去の自分が今の自分を見た時に、現実がとてつもない重みになって、どこからともなく現れた抱えきれないほどの重圧を才川真波に押し付けてくるのだ。  それが嫌で苦しくて、何も見たくなくて、現実から逃げ出したくなる瞬間が時折やってくる。  そういうときは決まって、仕事を休んでしまう。 「……はぁ」  日差しが入らないように締め切ったカーテンの一室は夏の湿気でじめじめしていた。エアコンのスイッチを入れているはずのに、外の気温が高いせいで室内の温度が下がり切っていないみたいだった。寝起きでお風呂にも入っていないから身体からは汗のにおいが漂っているし、結っていないセミロングの黒髪は寝ぐせも相まってボサボサだ。  いつもなら寝起きのシャワーを浴びるけれど、今日はそんな気分ではない。サイズが合わなくなってきたブラジャーに窮屈さを感じながらリビングのソファに腰かけ、ヘッドフォンを身に着ける。それからテレビの電源を入れた。  地上デジタルなどという放送枠には興味などない。画面表示されるのはHDMと繋がる入力チャンネルだ。    そこで見れるものはただ一つの動画だけ。俗にいうAV――アダルトビデオ――だ。 『あっ、あ、んッ、んぁッ、ああッ!』 適当なジャンルから選んだAVから、これでもかというくらい騒がしく女優の喘ぎ声がヘッドフォンの中で響く。その音を。動画のシーンを見ながら、下着の中に手を忍び込ませて、自分の身体を好きなようにいじくり回す。 「……ん」  自分でもおかしいことをしているのはわかっている。AVを見ながらオナニーをする女性を才川真波は見たことがないし、聞いたこともない。ましてや、女性のオナニーというものは男性よりも全体数が少ないらしい。それでも、このような嗜好に興じているのは才川真波が世間とは違う感性を宿しているせいかもしれない。  妄想するのだ。もしも自分が、AVの中の世界にいたとしたらどんな反応をしているのだろうか。声を出して喘ぐのか。声を我慢して堪えるのか。それとも、高らかに声を響かせてもっともっとと叫ぶのか。  実際に男ありきで性体験をしたことがないから、現実はこうはいかないかもしれない。けれど、どうせ相手はいないし、自分一人で妄想にふけるだけなのだから、自分の好きなように想像を巡らせて現実ではありえないような夢の中へと自分の意識を入り込ませたいと強く思ってしまう。 「やっぱり、普通にセックスしてるだけだと、あんまり感じない……かも」  だが、このAVでは満足できないらしい。身体がいまいち熱を発してくれない。そう思って他のAVに切り替える。 「拘束……って、どうせゆるゆるのやつでしょ?」  今日は何を思ったのか、拘束というジャンルにあるAVを試しに再生していた。このジャンルにはかなりの偏見を持っている。そのため今まで再生したことはなかった。SM物と違って、このジャンルのものはAV女優の子を単純に縄や拘束具で縛ったり、手足の自由を奪ったりするだけのものであり、性的な描写は一切ないのだ。それのどこに興奮するのかいまいち理解できないでいた。こんな動画で興奮できる男の人ってどうかしてると思う。 「……うぁ、やば」  しかし、目の前で再生される動画を見て、心臓が誰かに握られているような動悸が走ってきた。それは今までにないほどに才川真波の胸を鷲掴みにしてくる。  ビデオのストーリーとしては治療のために病院へ入院することになった女性患者へ医療用の拘束衣を着用させるというものだ。実際は女性患者にその治療は必要ないのだが、医師からの一方的な診断で身体への拘束を余儀なくされ、強制的に入院させられるという理不尽な内容だった。  医師の診断に納得せずに反抗的な態度をとる女性患者だったが、スタンガンのように電圧が流れる警棒で脅され、強制的に裸に剥かれてしまう。そこへ看護師の手によって拘束衣を着用させられていく。  袖が長いジャケット状のキャンバス生地――太い糸で織られた厚手の平織り布――の拘束衣が頭の先から女性患者の身体を包み込む。背中に付属された革製の帯を、同じく拘束衣に付属されているバックルへ繋ぎ止める。そうすることで、ただでさえ女性患者の身体にフィットしている拘束衣が、ますます肌に密着していくようだった。    拘束衣の着付けが終えると、胸の前に腕を組むように交差させた女性患者の両腕の先――ジャケット状の袖の先――から伸びる革製の帯を背中へ回し、バックルへ繋ぎ止めていく。すると、女性患者の両腕は胸の下で腹部に密着し、胸を抱き上げるようにコの字に固定されてしまった。 『こんなことして、許されるとおもってるの?』  拘束衣を着用されても、強気な姿勢を崩さない女性患者を電圧が流れる警棒で脅しながら、看護師は強制的にベッドへ仰向けに寝かせる。次はベッドにあらかじめ用意してあった拘束帯へ女性患者を拘束していくようだ。両足は肩幅に開いたまま、革の帯で固定され、腰も、首さえも同じように革の帯でベッドに固定してしまう。それでもまだ足りず、胸を絞り出すように脇に密着している二の腕の部位にも拘束帯を巻き付けてベッドに固定してしまった。 「これ……まじ?」  どこからどうみても、女性患者は手も足も出ない状況になってしまっている。  こんな状態にされてしまったら、誰かに拘束を外してもらわない限り、二度とその場から動けない。だというのに、女性患者は未だに反抗的な態度で看護師たちを罵り続けていた。 『な、なによそれッ、や、やめ……ッ』  それを看護師たちが許すはずもなく。騒がしいままの女性患者の口へ歪な形をした鉄製の器具が押し当てられる。その鉄の輪が大きく開き、歯をむき出したまま顎を固定してしまうと、女性患者の意志では口を閉じることができなくなってしまった。器具の名前を調べてみると、アングルワイダーという口を開けっ放しにするための開口器らしい。 『ァガッ……ンガっ!? アアア”っ!!?』  女性の口の中が周囲の目に晒される。いつもは他人に見せることのない口の中を、強制的に開け放たれて見られるなんて屈辱でしかないだろう。それも、両腕は拘束衣によって自由を奪われ、首も腰も両足もベッドに磔にされて起き上がることすらできない。  器具によって開け放たれた口からは人間としての言葉というものはすでに奪われて、獣のように吠えることしかできない。一体誰が、女性患者に救いの手を差し伸べてくれるのだろうか。この場には誰一人として彼女を助けるものなどいないじゃないか。  それなのに女性患者は抵抗をやめずに拘束から抜け出そうと抗い続けている。 「……ッ」  身体が疼いてしまった。こんな風に拘束されたら、どんな気持ちになるんだろう。動画の女性のように強気な態度のままで抵抗し続けるだろうか。それとも、すぐに救いを求めて逃げ出そうとするだろうか。もしかしたら、自分から喜んで受け入れたりするかもしれない。そのどれかに当てはまらなくても構わない。  完全拘束をされてしまった自分がどれだけ声を出して抵抗しようが、どれだけ拘束から抜け出そうと足掻いたところで、絶望的なほどに動きを制限された拘束の中では何もできずにすべてを受け入れることしかできないのだ。ましてや、そこに言葉を発するほどの猶予さえも与えられていないのならばなおさらだ。  ただひたすらに言葉にならない声を上げて、誰一人として助けてくれない現状を認識する。  才川真波の意識が、AVの女性患者と一体になったかのような幻想が全身を包み込み、女である証に熱がこもっていく。 「ッ……んっ、ぁ……んん、っ!」  自分の妄想をはかどらせて、指先に力を込めて自慰にふける。  こんな、動画をみて興奮している自分が気持ち悪いと思った。  だけれど、その気持ち悪い自分が想像している現実離れした空想を、想像すればするほど倒錯に堕ちて、ますます興奮した。  指にこもる力が次第に強くなっていく。  あと少しでイケるッ。  ――ドンッ。 「――ひぇ⁉」  何かがぶつかる音。それも、ベランダの窓から。鳥だろうか。それともゴミでも飛んできたのか。そんなのどうだっていい。高ぶっていた感情が一瞬で冷めていく。頂点にまで届きそうだった熱は霧散し、現実へ無理やり引き戻されていく。 「なんなのよ、もう……っ」  気分を害されて物凄くイライラした。右手は自分のアソコから出てきた愛液で濡れてベトベトだ。ここまで汚したのに、届かなかった。音の原因がなんなのか突き止めなければ気が済まない。再生途中の動画はそのままにテレビの電源だけを落として、除菌シートで指をきれいにしてから、カーテンをあけた。 「……な、なにこれ」  一畳ほどのスペースにあったのは真っ白い塊。才川真波の身体とさほど変わらない真っ白い塊が芋虫のようにグネグネと動いて、ベランダを占領している。どこからどう見ても異質なそれに背筋に冷たい空気が流れ込んでくる。今さらエアコンが正常に動き出したと思ったが、違った。鳥肌を立てた肌が冷や汗を出して悪寒に身震いしているだけだった。 ――ドン、ドン。  どうやら、窓に押し付けられていたのは頭だ。首がぐるりと回り、ショートに整えられた黒い髪の毛の下から蒼い眼差しが才川真波を見る。  両眉をひそめながら開いた瞳孔が、ただならぬ雰囲気を伝えてくる。 「……ヒト、なの?」 ――ドン。  顔の下半分からすべてが真っ白いそれが人間だということに気づいたのは奇跡だったかもしれない。何故なら、このような恰好をしている人間を才川真波は見たことがなかったし、そもそもここはマンションの五階だ。そのような場所に突然現れた真っ白い物体が人間だと認識できる人がこの世にどれくらいいるだろうか。妖怪か、もしくは化け物だと思われてすぐにその場から立ち去るのが普通の人の反応だろう。  では、なぜ才川真波はそうしなかったのか。単純な話だ。  目の前の白い物体に見覚えがある。それもついさきほどまで見ていたAVに出ていたモノとそっくりなのだ。 「拘束衣……だよね、これ」 ――ドンドン。  窓を隔てた先にいる真っ白い物体の正体は、全身を真っ白い拘束衣に拘束された人間。  それもAVよりも厳重な拘束衣によって、全身に細かいベルトが無数に食い込み、身体の輪郭を極限にまで締めつけて、女性特有の曲線を浮き彫りにしてしまっている。視覚から伝わってくる情報だけでも絶望的なほどに厳しい拘束を見て、あそこが疼いてしまった。 「なんで、こんな……」 ――ドンドンドン。 「あーもう、うるさいなっ!」 「んんっーーーーー!!」   耳障りな音に反射してベランダを開けると、目まぐるしい熱気に混じって、必死に叫ぶかすかなうめき声が聞こえてきた。窓越しでは聞こえなかったその声の苦しさが鼓膜に響く。 「あなた、なんでそんな恰好してるの? 撮影か何か? それともドッキリ? ていうか、ここ、五階なんだけど、どうやって上がってきたの? そもそも私になんのようなの?」 「……んっ、んん!」  怒りに任せていくつも問いを投げかけて気づく。喉を鳴らすように返事をする彼女の顔の下半分を覆っているマスクは、口にフィットしながら奥に何かを押し込めているらしい。そのせいで彼女はしゃべれないのだ。さらには首にも不格好なほど分厚い枷が取り付けられていて、首を動かすだけでも辛そうな見た目をしていた。明らかにかかわらないほうが身のためだ。 「……ッ」  でも、このままベランダに残り続けられても、この暑さだ。いずれ脱水症状が起こり、完全拘束された姿のまま、何もできず死んでしまう。そして、夏の熱気で遺体は腐り、その死臭が周囲に立ち込めて近隣住民により通報されてしまったら、この部屋に警察が入ってくるのは時間の問題だ。そうなれば現行犯で逮捕されるのは才川真波ではないか。そんなの困る。 「……それ、外してあげるから、中に入って」 「んん!?」  水を失った魚のように体をしならせてビクビクと彼女は動くが、ほとんどその場から動けず、結局才川真波が強引に拘束された彼女の身体を引っ張って、室内に引き込んだ。予想以上に重たい。それもそうだ。才川真波とさほど変わらない体系の彼女なら50キロ以上あってもおかしくないだろう。  だが、それ以上に彼女を拘束している拘束衣その物の重圧感が触れた指先から才川真波の重心にまで伝わってくるようだった。もし、才川真波が彼女の拘束を外さなければ、このまま誰にも気づかれることなくマンションに監禁することも可能なのではないだろうか。それだけ彼女に施されている拘束は厳重であり、完璧といってもいいレベルだ。 「……あー、なんだろ、この状況」  夢でも見ているのではないか。そう思って頬をつねってみるが、痛いだけだ。  緊張か、それとも高揚か、どちらかわからないが、ずっと心臓がドクドクと脈打つ音が全身に響いて回っている。  完全に拘束された彼女の身体は先ほどのAVで見ていた女性患者よりもリアルで、身近で、手に触れられる。  才川真波が何をしようと、目の前の彼女は抵抗することなどできない。いっそのことこのまま放置をして、警察に連絡をするべきか迷う。  だからといって、彼女をこのままにしておくわけにもいかないし、正直なところ彼女を拘束している拘束衣に興味が沸いてしまっていた。 「……ッ」 「ごめん、外していくね」    兎に角、手当たり次第にベルトを外しにかかる。外せるものは外す。そうすればいつかは解けるだろう。拘束衣から解放された彼女からは労いの言葉と感謝の誉め言葉をいただいて、自分は拘束衣について彼女から話も聞ける。一石二鳥じゃ済まないほどの優待設計ではないか。そのためにも、目の前で無数に絡まる細いベルトの一本一本に指を掛けていく。 「なんなのこれ、すごいな……」 ――ギギッ。  ベルトの感触は本革のように硬かった。だけれど、指に触れた感じはなめらかで、すごく高級感溢れる質感をしている。今までの経験では見たことも触れたこともない未知の素材だ。  なのに細いベルトの一つ一つは重量感があって、伸縮性もある。それは拘束衣の生地にも同じことがいえた。先ほどのAVで使われていた拘束衣とは明らかに物が違いすぎる。鼓動が早まっていく。 「んッ……」  予想以上に複雑に絡み合うベルトを外し続けて幾ばくかしたころ。彼女の両腕が腹部から離れ、動かせるようになった。とはいっても未だに腕はぴっちりと密着する白い生地に包まれており、そこから虹の架け橋のように無数にうなだれるベルトが、彼女を拘束していた残像となって視覚に映り込んでくる。 「次は、こっち……」  細くて華奢なのに、適切な筋肉量のその腕が、やけに美しく見えたことに若干の悔しさを抱きながら、今度は両足を拘束しているベルトへ指を掛けていく。   人魚の美しい下半身のように、鱗を作り上げるほどの無数の細いベルトが両足をコンクリートのように固めてしまっている。これだけの量のベルトが巻き付けられてしまったら、関節なんて曲がらないし、足その物の機能は完全に失われてしまう。まるで棺の中に入れられたミイラを想像してしまう。  外していてわかったが、この拘束衣は彼女専用に作られた拘束衣なのかもしれない。身体の局部や関節に合わせて肌に密着するほどの精巧な作りのところを見る限り、ありえなくもない話だ。だとすると、この拘束衣を身に着けているこの女性はいったい何者なのだろうか。こんな拘束衣を身に着けられるような凶悪な人物にはとても見えないし、何か特別な素養を秘めているようにも見えなかった。  まさかとは思うが、世間では公表されていない世界を騒がす犯罪者なのだろうか。  それとも、世界を敵に回しながらも陰で活躍するヒーローなのだろうか。  もしかすると、才川真波のような普遍的な生活を送る一般人なのかもしれない。  そのどれかだとしても、超能力や魔法といった現実ではありえないような超常現象を引き起こせる人物なら、こんな拘束衣などすぐに脱げてしまえる気もする。  そんな馬鹿らしい妄想が脳内に浮かび上がっては消える。  ホント、ありえるはずがない。 「……っ」  ベルトを外していくにつれ見えてきた白い生地は、彼女の太もものラインから指先の爪の形さえもぴっちりと輪郭を浮き立たせ、美しい脚のスタイルを真っ白い生地で表現していた。羨ましいスタイルをしている。  少しずつ見えてくる彼女の魅力的な身体に若干の嫉妬を交えながら、全てのベルトを外し終える。そこには蛹の繭を無理やりこじ開けたかのようなベルトが彼女を中心にして、四方八方へ広がっていた。  しかし、ここにきてとんでもないことに気づいてしまった。 「これ、どうやって外すの?」  どうみても、彼女を包み込んでいる拘束衣には繋ぎ目がない。そう、随所のベルトは外すことができたけれど、彼女を包み込む生地につなぎ目は見当たらなかった。得体のしれない真っ白い全体スーツが顔の下半分から足先までを包み込み、無数に広がるベルトと、今も変わらず首を縛める分厚い首枷だけが彼女の身体につかず離れず存在している。  つまり、これだけのベルトを外し終えたにも関わらず、この拘束衣を脱ぐための手段は存在していない可能性が高い。  これほどまでに厳重な気密性を持つ服なんて現実で見たことがないし、聞いたこともない。着脱方法がわからない。本当に現実なのか疑いたくなってくる。 「ん、んん」  そう思い始めた私に彼女は真っ白い生地に包まれた右手でシグナルを送ってきた。今まで気づきもしなかったが、彼女の汗ばんだ黒髪と首枷の間に隠れたうなじ――白いマスクの裏側――に紅いスイッチのようなものが左右に二つある。拘束衣に包まれた手で彼女自身がスイッチを同時に何度か押しこむが特に反応はしていないみたいだった。 「これを一緒に押せばいいの?」 「んッ」  喉を鳴らして返事をする彼女のシグナル通りに、代わりに私がスイッチを押してみた。 「――んっ」  その瞬間、彼女を包み込んでいた白い生地が一気に弛緩する。  首に嵌まり込んでいた枷は二つに割れて外れてしまい。  ぶかぶかになった真っ白い生地の中から、彼女の汗のにおいが溢れでる。  繋ぎ目がなかった真っ白い生地は、上衣、下衣、マスク、と三つの部位に分かれてしまっていた。 「ぷはッ……ん、げほッ、げほ」  口から飛び出した白い突起物から透明の液体が滴り落ちると、彼女は咳込みながら、すぐに拘束衣から身体を外へと出していく。 「……あ、ありがと。助かったよ」 「い、いえ、どういたしまして? って、は、裸っ!?」  拘束衣という蛹の中から出てきた彼女は全裸だった。思っていた通り、くびれや胸のサイズやヒップなど、どれを見ても才川真美よりも優れている。広告やファッション雑誌の見出しにいてもおかしくない彼女の美しさを目の当たりにして、別の意味でドキドキしてしまっている自分がいる。 「あ、うん。悪いけど、洋服とか貸してもらえないかな?」  汗で湿った身体を隠す様子もなく、酷く冷静な態度からも彼女の美貌と魅力が伝ってくるのが不思議だった。 「えっと、あれでいいかな……って、こんなのしかないんだけど……」  仕事抜きで誰かと言葉を交わすのは久しぶりだったために、動揺していたのだろう。彼女の言葉に乗せられて手渡したのは才川真波の普段着だった。その辺のファッションセンターで購入した千円もしないジーパンと適当なノースリーブのシャツに半そでのパーカー。下着ももちろん渡した。デリケートな仕様のため、サイズ的に合わないのではないかと思ったけど、意外とぴったりとフィットしていた。 「ここまでしてもらって、申し訳ないけど、急いでるの。この借りはどこかで」 「え、いや……いやいや、そこベランダだし、危なッ――!?」  窓からベランダへ出ていくと、彼女は裸足のまま柵を飛び越えて、視界から消えてしまった。 「――――」  あまりの出来事に思考が飽和して真っ白になる。  果たしてこれは現実なのか。夢なのか。  ベランダの柵まで近づいて地面をみた。  すると、素足のままコンクリートで舗装された道を駆けていく彼女の後ろ姿が遠目に見えた。 「あはは……」  マンションの室内に戻って、リビングを見る。  そこには、抜け殻のように散乱した真っ白い拘束衣が残っていた。 「……夢じゃ、ないんだ」  等身大の鏡に目を移すと下着姿で髪の毛がボサボサの自分の姿がうつりこむ。  彼女にいろいろと聞いてみたいこともあったのだが、疾風のごとき速さで目の前から離脱されてしまってはどうすることもできなかった。 「……シャワーでも浴びよう」  今更になって、自分が如何におかしな状況に陥っていたのか少しずつ理解していく。冷静になることから逃げていたのは確かにある。好奇心が邪魔をして、自分が架空の世界へ飛び込んでいるような気分にさえなっていたのは事実だ。そのことも踏まえ、気持ちを切り替える為にも、乱れているこの身体をリフレッシュするのにもシャワーはちょうどいい。  そう思って、お風呂場へ向かおうとする。 ――グシャ。  不意に、足もとに落ちていた拘束衣を踏んづけてしまう。  指先から伝わってきた、異質ななめらかさを思い出す。  今思えば、あのAVを見てから、ずっと生殺しのままエクスタシーを感じていないではないか。 「……濡れてるし」  ショーツにはべっとりとオナニーの後の愛液がついて濡れていた。彼女は才川真波のことをどういう目で見ていたのだろう。今頃になって、ずっと痴態を晒し続けていたことに気づいた。顔がみるみる熱くなっていく。何も言わずに去っていった彼女にお礼を言いたい気持ちになる。 「拘束衣、かぁ……」  AVを見て発情していた。それも拘束衣を扱った特殊な性癖のジャンルにである。拘束衣を身に着けた女性がどんな気持ちになるのか想像を重ねに重ねて興奮したのだ。AVのものとは全くの別物だが、その拘束衣がここにあるではないか。  それならばいっそのこと――。 「いやいや、それはいくらなんでも……」  良からぬ想像が――脳内にあふれてくる。  もし、それをしてしまったら本物の変態だ。 「……ッ」  でも、現実ではありえないような現実がすぐそこにある。手を伸ばせば届いてしまう。足元に転がっている。 「ちょっとだけ……ちょっとだけなら……ッ、いいよね……?」  誰に確認しているわけでもなく。周囲を見回してから床に転がる”それ“を手に取った。 「結構、重たいし」  まるで鎖の束を持ち上げたような重さに驚く。これほどの重量感があるものを彼女は身に着けていたのか。  たしかに、これだけのベルトとバックルが付属しているのなら、これだけ重いのは当たり前かもしれない。  本革のような伸縮性を持ち備えた未知の材質ということもある。先ほどスイッチを押したときのサイズの伸縮からみても、質量が明らかにおかしいことはわかっているじゃないか。 「これ、着たら脱げなくなるんじゃ……?」  AVで見ていた医療用の拘束衣とは質も機能も掛け離れすぎている。  超常現象とまでは言わなくとも、科学的に考えても才川真波の知識を凌駕する代物だ。  身に着けた途端に自動で拘束されてしまうのではないだろうか。  もしも『本当にそうなってしまったら』と思えば思うほど胸の動悸が激しくなっていく。 「まぁ、それはないか……」  彼女が完全拘束されていたときはピチピチだった拘束衣も今はぶかぶかで、先ほどまでの締めつけるような外見はしていない。  袖口のない長い袖から背中にかけてベルトはいくつも垂れ下がり、ベルトを繋ぎとめるためのバックルが拘束衣のあちこちに点在しているが、それらを抜かせば、袖が長い――袖口もない――3Lほどのトレーナーみたいな感じだ。    どこを見ても自動で動くような作りには見えないし、そもそもスイッチが取り付けられていたのは顔を拘束していたマスクだ。  そのマスクは内側に備え付けてあった白色の蕾型の突起物を露出しながら、今も床に転がっている。  これが単体で機能するとは思えないし、もしも自動で拘束されてしまったら、それはそれで面白そうである。 「下着は外しとこ……」  どこか期待してしまっている。  彼女のように、完全に拘束されて、自分ではどうすることもできないような破滅的な終わりを求めている自分がいる。  底知れない不安と期待が入り混じって、アソコがぐちゃぐちゃだ。 「……んッ、しょ……っと」  頭から真っ白い拘束衣を被り、袖口のない袖に両腕を通して一気に着用する。内側は外側よりもさらに肌ざわりはなめらかで、物凄く着心地がいい。ただ、重量感だけはヤバイ。上半身を包み込む重りをそのまま身に着けているような感覚だ。  だけれど、予想以上にスペースに余裕がある。ぶかぶかなだけあって、前屈運動で姿勢を前に倒したら簡単に脱げてしまえるほどだ。これでは拘束衣というよりも重たい合羽を着ている感覚に近い。 「んーっ、と……こう?」  等身大の鏡の前に立ち、拘束衣が本来の姿になるように両腕を胸を持ち上げるようにお腹の前で組んでみた。  袖に付属した無数のベルトが乱雑に垂れる。 「やっぱ、重い……っ」  胸を持ち上げるように組んだ両腕を維持するのが、思っていたより困難だ。見た目だけは確かにそれっぽいが、あまりいい気分ではない。  想像していたよりも負担が大きくて、物凄く残念な気持ちになってくる。  期待していた分。裏切られた反動は大きいのかもしれない。  これなら、最初から着ないほうがよかった気がする。 「……いい加減、シャワー入ろう」  所詮は淡い夢を見ていただけだ。名残惜しいが、現実からは逃げられないらしい。  拘束衣を脱ぐために、いつもの服を脱ぐ感覚で、袖に手を掛けた。  だが、袖の先は丈が長く、袖口もない。あるのは白い生地に包まれた手だ。無意味に繊維を掴むだけに思えた。 「……あれ?」  そこで、指先に違和感がやってくる。  何かクッションのような物に圧迫されて、五指を開いたまま指先が動かせない。  違う。指の先からジワジワと拘束衣の繊維が肌に密着してきている。 「な、なッ……!?」  重みでだれるベルトが乱れるのを気にせずに両腕をバタバタと振り回して袖から腕を抜こうとする。 「ちょ……ッ!?」  しかし、腕を振れば振るほど、肌に伝わってくるのは、密着する生地のなめらかさと、歪な硬さだ。  混乱して同じ動きを繰り返す。意味がないとわかっているのに、慌てふためいているうちに、肩。胸。腹部へと拘束衣のなめらかな繊維が密着して肌に吸着してくる。 「うそ、うそでしょ……っ?」  等身大の鏡には細い肉質の才川真波の上半身の輪郭を真っ白い拘束衣の下に浮き出したまま、二つの豊満な乳房が両腕の動きに合わせて揺れ動いていた。 「――ひッ」  突如、両腕が誰かに無理やり引っ張られたみたいに胸の前で交差する。  ――ギギッ。  周囲には誰もいないが、才川真波は目撃した。  拘束衣のベルトだけが、誰に触れられるわけでもなく、無人で動いていたのだ。 ――ギギギッ  抵抗しようと動かしたはずの両腕は、組んだまま動かない。  それもそのはずだ。  胸の前で組んだ両腕の先端――袖の先――から伸びるベルトは、すでに才川真波の背中でバックルと繋ぎ合わせられていた。 「い、いやッ……!」  肩や胸、両腕全てに力を込めて、拘束に抗うも、聞きなれない歪な音を響かせながら、袖にある無数のベルトが一斉に動き出して、腕を拘束衣の一部にするように瞬く間に締め上げていく。 「や、やめ……ッ!」  目の前で行われている光景を理解できない。  拘束衣に身を通したのは才川真波自身だ。  このような瞬間が訪れることも期待した。  でも、まさか本当に拘束されてしまうなんて――ありえるはずがない。  妄想が、空想が、現実に起こりえるはずがないのだ。 「……うぁッ」  両腕だけじゃない。肩や鎖骨、肋骨から背骨にかけての体内の骨格さえも、この拘束衣は全て拘束するつもりだ。  ――ギギギッ。  浮彫になった二つの乳房をさらに強調するように、拘束衣は自らベルトの強度を変えて、才川真波の身体を締めつけ、拘束の力を強めていく。 「……締まるぅッ」  身体が無理やり押しつぶされる感覚が四方から伝わる。その圧迫感に拘束衣の重量が加わって、身動きが取れなくなる。  やばい物に手を出してしまった。先ほどまでの好奇心が嘘のように消えて、本心から抜け出したいとそう思った。  でも、こんなの自力じゃ絶対に脱げれない。 「――うぅッ」  上半身を拘束する拘束衣の戒めが完全に完了したらしい。等身大に映っている才川真波の上半身はベランダで見た彼女とほぼ同じ見た目をしている。どうにかしてこの拘束から抜け出す方法を考えなくちゃいけない。  そう考えようとした才川真波の前に異質な光景が現れる。 「ま、まって……ッ、それは――ッ!?」  白色の蕾を剥き出しにするマスクが宙に浮かび上がり、才川真波をじっと見つめているのだ。 「――ッ」  声を出すよりも先に、ソレは才川真波に襲い掛かってきた。  寸でのところでそれを避けたのはいい。  映画のアクション並みの美しいジャンプだったに違いない。  でも、飛んだ方向が悪かった。 「ひッ」  着地した地面で待ち構えていたのは下半身を一瞬で呑み込む真っ白い生地の塊。 「ぅあッ――んぐぅッ!!?」  素足を包み込む繊維のなめらかさに足を滑らせ、才川真波はバランスを崩してしまう。咄嗟に助けを求めようと大きく開いた口に、マスクの突起が容赦なく飛び込んできた。 「んんんんんんんんんーーーーー!!」  マスクは一瞬で才川真波の顔に密着し、顔の半分を覆い尽くす。どれだけ首を振っても、舌で突起を押し返しても、顔から離れることはなかった。 ――ギギッ。  マスクに抵抗している間も、床に転がりながら声を荒げて首を振る才川真波の両足を、白い生地が瞬く間に締めつけ、密着し、肌に吸着していく。そこへ無数のベルトが乱雑に絡まり、人魚のように、両足を一本に整えていく。 「――ッんごッ!? ンンッ……!」  鼻で呼吸をしようとした瞬間に、口の中の突起物が舌を強引に押し潰して、突如喉の奥へグイグイ突き進んでくる。 「おごっ!?」  あまりの刺激に全身が暴れだすが、両腕は胴体の一部になったかのように微動だにせず、両足はベルトの質量に覆いつくされて、コンクリートに固められたようにぴくりともしない。 「ンーーッ……ッご、っ!!」  ベランダで見た彼女の声がかすかにしか聞こえなかった理由を完全に理解する。  白いマスクの内側で、吐き気を催すほど、深く蹂躙された喉が、悲鳴を上げているはずなのに、声は外に漏れることはなく、いつ終わるのかわからない永久的な苦しさを完全な拘束の中で、淡々と受け入れさせられていたのだ。  これほどまでに喉の奥に異物を差し込まれた経験は才川真波は知らないし、知りたくもない。  いつもは食べ物が通るだけの食道が異物に直接侵されているなんて、想像したくない。  なのに、何一つ拒否することができない。 「ンゴッ――!?」  身体は受け入れられる拘束の限界を告げているのに、全身を締めつけ、圧迫するベルトたちと拘束衣の繊維が肌に直接密着し、神経が麻痺をしない適切な強さで吸着し、収縮し、才川真波の自由を極限まで拘束する。 ――動けない。  一瞬で自身の身に起きた現実が、あまりにも想像を度外視している。  全身を締めつける拘束力を身をもって知った。その許容外の圧力からどうやって抜け出せるのか。それだけを必死に考える。 ――苦しい。  両腕を圧迫するベルト。  両足をコンクリートのように固める繊維。  喉の奥を埋め尽くす、野太い異物。  拘束に抗おうとしても、床に転がったまま動くことさえできない。 「――ッ!?」  悶えることもできず、ただ茫然と横たわる。  そこへ左右から接近する分厚い枷が、才川真波の首を挟み込み、ガッチリと嵌まり込んだ。 「ぐ……ッ!?」  刹那、喉が締めつけられる。適度な強さで締めつけてくるのは他でもない首枷だ。  喉から常に吐き気が催して、ただでさえ苦しいのに、外からも喉が刺激される。  苦痛から逃れようとしても、拘束されている身体はビクビクと動くだけで、真っ白い窮屈な檻の中に閉じ込められた才川真波に、逃げ場などない。  自分の身体を包み込んでいる全ての感覚を受け入れることしかできない。  才川真波が空想の中で望んでいた夢を――今、実体験している。  拘束衣に袖を通したときから、どこかで期待していた。  現実ではありえない。夢でしかない。空想でしか起こりえない妄想の果て。  その期待していた現実が――これだ。  何もできず、拘束の厳重さに涙を流すことしかできない。  助けを求めても、マンションの部屋にいるのは、拘束衣に完全拘束された自分自身だけ。  誰も助けてくれる人はいない。このまま死ぬまでこの拘束の中に閉じ込められ続けるのだ。  AVを見ていた時に興奮した瞬間と変わりない状況。  理想的と言ってもいい。 ――もう、逃げられない。  そう思えば思うほど、興奮した。  破滅的なこの終わり方を望んでいたのだ。  だから、興奮して、高揚して、動悸の激しさに物言えぬ快楽を見出して、刺激を求めて疼き続ける下腹部に意識を集中して高みの先の頂上へ昇りつめられるように集中した。  けれど、ダメだった。 「――――ッッ!!」 ――助けて。  後悔ばかり溢れてくる。  何で着ちゃったんだろう。  早く脱いでれば。  そもそも着なきゃよかった。  わかってたくせに。  知ってたくせに。  どうして、こんなことになっちゃったの。 「ン”ーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」  声を上げても部屋には響かない。  喉の奥で鳴るだけだ。  ――どうやったら、脱げる?  ――どうすれば抜け出せる?    涙越しの等身大の鏡から見える拘束衣には、すでにつなぎ目はない。  首の後ろにある二つのスイッチを押せば抜け出せるだろう。  彼女の拘束を外した時もそうだった。  不自由な体をくねらせて、もがいて、あがいて、くるしさに悶えて、首の後ろにあるスイッチを押し込もうと努力する。 「……ッ、……ん……ッ、……ッ!」  けど、ピクリとも動かない。完全な拘束の前に自分の無力感だけが際限なくあふれてくる。  今思えば、拘束衣を着ている彼女自身がスイッチを押しても反応はしていなかった。  つまり、拘束衣を脱ぐためには自分ではない誰かにスイッチを押してもらうしかないのだろう。  この場にスイッチを押してくれるような誰かはいない。 「――ッ」  苦しい。喉が締めつけられる。全身の拘束がギチギチと鳴きわめく。  先ほどよりも拘束が強くなっていってる気がする。  錯覚なのか。事実なのか。明らかではないけれど、慣れないままの感覚がずっと身体を刺激していることは紛れもない事実だ。  このまま死ぬかもしれない。  現実がそう告げているように思えた。  夢なら覚めて欲しいと何度も願う。  涙で霞むマンションの自室の景色から、現実味しかわいてこない。 「……んごッ」  あまりの苦しさに意識がもうろうとしてきた。  夢見心地のような感覚へ陥っていく。  本当に、このまま死んでしまうのだろうか。  ――ガラララ。  ベランダの窓が開く音が聞こえた。  視線を向けると、誰かが立っている。  でも、瞼が開かなくて、顔が見えない。 「これを回収すればいいのね」  ――回収。  まるで、物を扱うような言葉が聞こえた。 「じゃ、収容しますか」  棺桶のような大きな箱が横に並べられる。  ドンッ。と身体に衝撃が加わると、周囲に黒い壁が現れた。 「……ンっ」  ——助けて。  瞼が重たい。目の前で覗き込んでくる誰かに必死に瞳で助けを訴えかける。  でも、明らかに助けてくれる雰囲気ではない。  身の毛がよだつほど不敵な笑みを浮かべている彼女は、縦長の黒い板を抱えていた。  それが棺の蓋だと理解した瞬間。  才川真波の視界が暗闇に染まった。  意識が朦朧としていく中で、あやふやな感覚のまま硬直したまま動かない自分の身体の感覚だけが全身に残り続ける。  喉の奥で歪な感触がグニュリと蠢いで、激しい嗚咽が身体を支配していくと、目の前が真っ暗になった。 ――――――――――――――― 「……ぅ」  目が覚めたはずだった。  瞼を開いたはずなのに、暗闇しかない。  頭を動かそうとして、ピクリとも動かせないことに気づいた。  頭だけじゃない。足の先まで全てが金縛りみたいに動かない。 「ンゴッ!?」  喉の奥で野太い何かが蠢く。刹那に激しい吐き気に襲われて身悶えするけれど、両腕は胸の下でガチガチに固定されており、両足は一本に揃えたまま、石像にされてしまったみたいに動かない。  ――ありえない。  こんなのは現実じゃない。  夢だ。夢であってほしい。 「やぁ、目が覚めたかい?」 「――――」  ねっとりとした中性的な声が耳に直接響く。 「今、どんな気分かな? 動けなくて苦しい? 逃げられなくて悔しい? それとも……」  その声は才川真波に向かって語りかけているらしい。 「望んでいた通りの結末に心が躍っているかい?」 「……ッ」 「安心して。以前にソレを着用していた彼女と君は別人だということはわかっているんだ。君がここに連れてこられた時に君のことは調べさせてもらったからね」 「――――ッッ!!」  まるで、全てを悟っているような口ぶりに、おぞましさを感じた。  この声が言っていることを理解してはダメだ。 「彼女を逃したのは君だということはわかっている。あぁ、別にその事を咎めるつもりはないよ。元々はこちらの不手際が引き起こした惨事だ」 「――っぐ!?」  突如下腹部の中で何かがゆっくりと蠢く。経験したことがない感覚に、腰が、腹筋が、太ももが、お尻が、飛び跳ねて抗う。でも、微動だにしてない。刺激から逃げられない。  グニュグニュと蠢く刺激が、嫌悪という痛みから少しずつ快楽という悦びへと変わっていく。  ――イヤッ、やだッ、ダメッ。  さらに激しさを増していき、才川真波の下腹部で騒々しいほどの熱を発し続け。  呼吸が、心臓が、苦しくなっていく。 「ぅゔッ」  指先の一つ一つの神経がそびえたって、全身の筋肉が悲鳴をあげるように痙攣してしまう。  甘んじて受けるしかない刺激に頭の先で思考が途切れそうになる。 「ただ、君には少しの間だけ実験に付き合っていただきたいのだよ」  そこへ、息ができないほどの苦しさが襲い掛かってきた。 「――ッ!!」  急激に肺が締め付けられて、空気の軌道が止まる。  喉の中で蠢く刺激が激しくなり、首を締めつける圧迫が呼吸という原理その物を奪い去る。 「彼女のようにとはいかないだろう。だが、一般人の身体がどれほどの性的な刺激に。容赦のない責めに。痛みしかない快楽に。無力でしかない完全な拘束に。その軟弱な精神を保ち続けられるのか……。私は知りたいのだよ」  思考が弾けて、飛散する。 「――ンぁ“ッ!?」  真っ白に染まった思考が、全身の力を一瞬にして解き放ち、一気に弛緩した身体が拘束に圧迫される。  経験したことのないその感覚が、どういうものなのか。  薄れる意識の中で、無理やり教え込まされる。 「あ”あ”あ”ッ……ッ!?」 ――死ぬ”ッ……死んじゃうッ……!  止まることのない刺激が、再び全身を襲い。  喉の奥を。子宮の中を蠢く異物が掻き回してくる。  止まって、止まって欲しい。  止まらないと、ダメ。  これ以上は――ッ。 「安心してくれ、生命維持機能は取り付けてある。君の身体が耐えられなくなって、心臓が止まったとしても、必ず蘇生してくれる。エネルギーは君の身体からの老廃物で作り出し、永久的に細胞を活性化させる。そう、その拘束衣を身に着けている限り、君は好きなだけ快楽に浸ることができるのだよ。君が妄想していた夢のような現実がここにあるのだ。ぜひ、永遠の悦びを、理想郷を楽しんでくれたまえ」  違う。待って、コレ、外して。 「――ンゴッ」  声は出ない。代わりに熱を込めた身体が激しく痙攣する。でも、拘束された身体は僅かに揺れるだけ。  物々しい音が辺りに響くと、すぐに無音になった。  聞こえてくるのは自分の息遣いと、身体の中で蠢く振動のみ。 「――――ッッ」  必死に力を込めて暴れだしても、周囲からの圧迫により、才川真波の動きを完全に阻害してしまっている。 ――ウィンッ、ウィンッ。  子宮の中を掻き乱し、口の中を圧迫し続ける異物だけが、蠢き続ける。  過剰に与えられる刺激に、神経が悲鳴をあげて、摩耗していく意識を薄れさせていく。 「――――ン”ッ」  何度目の絶頂かわからない。  知りたくもない。だけれど、気を失う直前で意識が瞬く間に晴れ渡る。  それが数十回繰り返されたときに、初めて理解した。  生命維持機能がなんなのか理解した。  終わらない。終わってくれない。  才川真波が現在経験している事象全ては、永久に続くのだ。 「――――ッ”」  それを知った瞬間。底知れない快楽が電撃になって全身を駆け巡った。  そんなはずない。そう思いたかった。  でも、才川真波の身体は確実に悦んでいた。  言葉で意識できないほどの幸福感に襲われた。  どうしてなのかわからない。理解できない。  自分のことのはずなのに。意味が、理由が、何一つ不明だった。  一つだけわかるのは――幸せな気持ちに包まれていることだけだった。  END

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