Home Artists Posts Import Register

Content





リクエスト出されて すぐ書ける文章と そうじゃない文章があったりします。

没にしたtxtファイルが既にあるやつと無いやつ ってだけでも 差がありますね。


で、そもそも書いてない奴にしても、すぐ書けるようなやつと、一日くらい集中しないと書けないやつもあります。(労力的にも、精神的にも)

「好奇心教」「記憶力教」はまだ書けていません。 であれはやはりブログに書きます。



で、その前に、

食生活についての奴と、(これも前に貰ってた)「地球に時給を用意する」の奴について、

書いておきます。



まぁこれも本当 いつにもまして雑な文章なのですが。


今、すべてのことに対して焦っているのです。

あらゆることをさっさと済ませたい、と思っているのに、色々来る。

来たこと全部対応したいと思ってるから、どんどん焦る。 そんな感じ。

─────────────────────────────────


◆「地球に時給を設定する」、みたいな発想について。



まぁこれは、こういう題をみた時点で、なんとなく言いたいことは分かるのじゃないかと思う。

検討つくよね。


「エコな話」なので、嫌いな人は避けてください。




なんだろうか?



どういうときにこういうことを考えてしまうのかというと、

例えば、


「アマゾンのFireHDの新型がクソ安いです!」 みたいなのを見て、


「ああ本当に安いなぁ、前の奴を修理に出すより、 新しい奴買ったほうが安いくらいだ。」

みたいなことを考えてしまった時、です。





モノを修理するのより、より高性能な新型を買うほうが安いってのは、 

なんかもう どっかがおかしい「筈」なのです。

これは 本当に。



モノを大切にするより 古いモノをどんどん捨てていったほうが安くなるなんてのは、どっかで何かがおかしい。


資源を再利用するより、0から掘り出すほうが安いと思ってるくらい、どこかでおかしい。


アルミニウムをリサイクルするより、ボーキサイトを還元するほうがエネルギーが少なく済むと思ってるくらい、

どっかでおかしい。



おかしいはずなのに、実態は「こう」である。

じゃあ例えばこの場合 何で最終的にこんなことになっているのか?




それは一つは大量生産によるコストダウンだとか、確実に売れるの分かってるから、これくらい価格・儲けを下げても成立するとか、


大量生産は「機械がやる」けど 修理は人間の手間暇がかかるから人件費でコストがかかって割に合わないとか、

・・・

・・・ そういう、 「そういうふうになってる理由」は見えてくるでしょう。




でもやっぱり自分は

これはどっかで何かがおかしいと思ってるんです。



修理に出すと1万円。

新作は5000円。


前のやつ捨てて 新しいの買ったほうが安い。


モノは大切にせずどんどん捨てたほうがいい。

壊したモノはどんどん捨てたほうがコスパがいい。





人件費と大量生産だけの理屈で


金だけの都合で 計算すると、


合理的には、「モノを大切にしないほうが安くつく」というのが当たり前の世界になってしまっているわけです。



絶対どっかがおかしい。



全人類がこの調子でこんなことしてたら、マジで いつかどっかで終わると。


(エラソーなこと、聞きたくないこと、偽善的?なこと、

 言ってるように聞こえるかもだけど、当たり前の事実ではあるよね)

(全ては有限なんだから)

(どっかで詰む)


─────────────────────────────────

他にも、なんだろうね。



ウナギとかの密猟みたいなことを聞いても、なんか考えてしまうことがあります。




魚の資源が減ってくる。


資源を守るために 「もうこれ以上獲らないようにしよう」とルールを作る。


レアな魚になるから 値段が高騰する。


すると密猟したり、闇ルートでさばいたりする奴が現れる。 闇ウナギ。


結局どんどん狩られていく。


最後は絶滅する。


・・・

こういうのをどうやったら止められるか?





レアなものは、 値段がレア度に応じて上がっていくのだから、

庶民には買えなくなるだろう。 すると消費が減る。

どっかでちょうどよく均衡して、貴重になった動物は、自然にまた回復するだろう。


希少になった魚は、漁師さんも獲れないんだから、

儲けにならなくなって、廃業していくだろう。

だからまたいつか、回復するはずだ。


・・・

なんてことはないのですよ。




これも結局、

密猟業者が 自分が儲かる限り、取り尽くすことになる。


最後はレアな美食ということになってくるので、

どんな値段でも払うやつはいるし、

どんな手間でも捕まえてくる密猟者はいる。


世界には金に糸目をつけない ものすごい金持ちもいるし、

金さえ貰えればなんでもやる ものすごい貧乏人もいます。


・・・

だからそうやって人間は 色んな生き物を食いつくして絶滅させてきたわけです。


そういう実績がある。 リョコウバトにせよドードーにせよ。



ニホンオオカミだって、「絶滅しそうだから狩るのやめよう」なんて理屈は通用しなくなるのです。



「自分がニホンオオカミの最後の一頭を狩ったハンターになりたい!」とかいい出して、

結局やめないわけです。 



希少性に対する欲。



・・・

とにかく、人間は、 

自らの欲望のために、 「やれることをやれるまで続けまくる生き物」 だということが、

なんとなく 見えてきます。



─────────────────────────────────

・・・

これはなんでこういうことになるのか?

やはり「金」とか「欲」というのがキーワードになってくると思います。




何度も言ってきましたが、

自分は、人間のやってる経済活動なんて 「花見酒」だと思っています。



地球に おでんが 10しかないとする。

AさんとBさんがおでんを5づつ持っているとする。


AさんがBさんからおでんを100円で買う 

Aさんがおでんを食べる

Bさんに100円が渡る


BさんがAさんからおでんを100円で買う 

Bさんがおでんを食べる

Aさんに100円が渡る



こうやって、100円玉が二人の間で言ったり来たりしているだけで、

勝手におでんは減っていくわけです。


気がついたらおでんは無くなっています。


お金は別にそのまま。



おでんが高騰しようが、きっと、AさんBさんはおでんを食い尽くすでしょう。)

(なぜならお互いにやりとりする100円が200円になってもそれが相手に渡るのだから、またそれを使って買い続けられるから)



─────────────────────────────────

・・・

そういうことです。


そういう理屈で、 ウナギは無くなっていくし、

FireHDが安いってんで、資源は不可逆的に固められ、ゴミになっていく。



おでんは資源です。




これが人間の経済活動です。


─────────────────────────────────

なんでこういうことにしかならないのか?

じゃあ この破滅をどうやったら止められるのか?



まぁ

この構造は

人間が、「人間同士で勝手に定めた金という尺度」で、

「やれることをやってるだけ」 だからですね。



だから人間は、物言わぬ地球から、 

勝手にモノをいくらでも吸い上げつづけられると思っているわけです。



貴重な資源は高騰する?


石油が高騰したら、結局石油を掘る人はどっかで喜んでいるでしょう。

どっか別の所で掘り当てればまた儲かるということだから。



物言わぬおでんを前にして、二人の人間が勝手に金を右から左に移動させて、 勝手に消費しているのが、今の地球の現状といえます。


そしてその人間が増え続け、自分たちの飯の種のためならなんでもやるって人間が溢れています。



─────────────────────────────────

でも

もしここでおでん自体に人格があったり、

おでんを作ってる人にも意見があったなら、こういうことにはならんでしょう。




ではそれは、どうしたらいいのか?




・・・ということで 自分が考えたのが、

地球側に時給のようなものを設定する、ということなのですね。


─────────────────────────────────

具体的にどういう計算かというと、

地球側の 「一年間に再生可能な資源の量」というのを全部計算する。



その全ての量を、全人類が一年間に使っていい量と、定める。 (当然だけど)

全人類が金を払って消費出来る量は、それだけと定める。


地球は、一年間にそんだけ儲けているということでもあります。


でそれを、全人類の人口で割る。

それを時間で割る。


そういう発想ですね。



言い方を変えると

人間一人ごとに、 「地球側のもうひとりの生産者」が割り振られているような感覚です。

これをイメージしやすくなります。



その、自分に割り振られたもうひとりの自分

「そいつ」が生産している量以上の資源を、人間は、消費するべきでは無いのです。




(当たり前だけど)

(説教臭いけど、当たり前の話)



でも、現状の人類は、この「当たり前」のことが出来ていません。


人類は、 「毎年」、 地球を 「2年分」くらい 消費していってるようです。



だから取り返しの付かないことにしかならない。

「自分たち間だけ」で回している 「現状の金の理屈」では、これを制御できない。


人間はやれることをやれるスピードでやり続けるだけ。

人間は欲しいモノを欲しいスピードで貪るだけ。


─────────────────────────────────

で、

このように 地球側のもう一人の生産者、 (つまりそれが地球側の時給)


というのをイメージすると、


地球側が 個人一人あたりに換算して、どんくらいの量 どれくらいのスピードで、

売っていい、利用していい資源を作っているかが、なんか 見えてくると思うのです。



言ってみれば今までは、これがものすごく安く見られていたってことかと思います。

地球の時給がめちゃくちゃ安かった。


安いんだから、人間は買っていいと思ってしまう。 消費してしまう。



でも、これからは、

地球側の時給は、 人間一人ひとりと全く同じようにすれば、 均衡するということですね。




地球が一年間に生産できる再生可能な資源の値段 = 

それは、人間が一年間に稼げる年収で買える量を基準にする。



勿論「金持ち」は常人の数倍の浪費が出来るというのは今まで通りでしょうが、

平均、全人類、 という点で考えるのだから、何も問題ありません。



全人類が一年間に稼げる金の量というのがどのように変化しても、

「それと同じ」というふうに、常に設定するのです。



この設定によって、 一年内で人類は、 地球から、

地球が一年で再生可能な量以上のモノを買えないようになる、という感じですね。

ちょうど、それ以上買えなくなるのです。


─────────────────────────────────

・・・まぁ実態としては、いろんなモノの値段がガラっと変わってしまう って感じですかね。



再生が困難な資源を組み込んだ製品なんかは、相当値段があがるでしょう。

でも本来はそれが正しかったとも考えられます。 当たり前のことです。



人間は自然と 「再生可能なモノで構成された商品」を買うようになるし、

人間間のお互いのサービスなんかに金を使うようになるでしょう。


(つまり地球の資源より、人間の人件費のほうが安く感じられるのが当たり前になってくる)

 (今まではこれが反転してたから、修理するより新品を買うほうが安い なんて異常事態になっていたと)



これも本来、こっちのほうが理にかなっています。

安すぎて、誰でも買えて、 古いモノをバンバン捨ててた時代のほうがおかしかった、というのがハッキリ分かるということです。


こうすりゃ皆、モノを修理して大切に長く使うようになります。

当たり前のことです。



AさんBさんで100円を左右に移動してたら勝手におでんがなくなってた なんてことがなくなります。


─────────────────────────────────

つまりこれは


「地球というCさん」を新たに用意して、


そのCさんは、 (ここには人間が二人いますから)


AさんBさんの二倍の稼ぎでないと、もうおでんを売らない、そういうふうに設定する、という感じですね。

(だからおでんの値段もあがる)


そして、Cさんが、まずは「金を受け取ってしまう」わけです。



AさんBさんの前から一旦金が消えますから、Cさんが無理なく生産できる以上のスピードでおでんを頼み続けることなど、不可能になるのです。


AさんBさんの二人が、自分の時給以上のスピードで金を払い続けて、Cさんからおでんを買いつづけることも、当然出来ません。 


一年に、自分の年収以上の金を払える人は、いません。 (貯金とかの話じゃないですよ)

(全人類で考えるんだから辻褄があうのです。)




で、これはちょうどCさん一人が生産できるおでんの量と一致してるので、

「存続可能なおでんの世界」、ということになっているわけですね。



─────────────────────────────────

じゃあその部分をどうやって現実に落とし込むかというと、

結局これは「税」みたいな発想にはなります。



今までより、モノの値段はあがります。 数倍になります。

じゃあ生産者が喜ぶかというと、そうではありません。



その値段の分は、地球の稼ぎとして、回収されます。

(だからこそ、人間二人が100円を左右させておでんを食い尽くすのとは違ってくる)



で、 やはり地球の資源を回復させるような活動をしている人に、還元されるような税なのですね、

これは。


木を植えたりしてる人。

または、野菜を作ってる人なんかにもこれは入ってきます。


自分で作っている人には入ってくる金ですが、資源を掘ってたり、魚を捕まえたり、そういうところには入らない。

養殖してるとこには入ります。



魚の希少性が、そのまま漁師に入ってたのが、どっかおかしかったのですね。

魚が二倍高くなったら、その増えた分は、まず地球の時給として増えている分なのだから、

それが回収されるってことになる。


それが還元されるような仕事(農業)なら成立するけど、

取ってるだけの仕事(漁業)だと成立しづらくなる。 

だから、本当に歯止めが効く、と。




この設定なら、

密猟するのより、ウナギの養殖のほうが何倍も儲けられる仕事になるはずです。


仕事に関しても、

そういう給料になってくるのは、 ある意味当然なところですよね。




まぁ基本そんな感じ。 そういう発想。



─────────────────────────────────

・・・

まぁ色んな細かいとこの設定も難しいところだけど、


「今の地球の現状」から比べたら、


今の地球を 当たり前のように支配している 資本主義やら、経済活動やらなどよりは

何倍も 「正しい」 仕組みだと思うのですよ。


このように考えることで、 今までおかしかった理屈がすべて正されていくように感じます。




なんか、分かるでしょうかね?



エコ税とかで モノの値段だけ 片側だけを釣り上げても、これは解決しないのですよ。

だって、そういう発想では また車を高く売れるとか、資源を高く売れるとかになってくるから。



「人間側だけの都合の金」 ・・・そういう発想では、これはもう解決できない。



「別の」を用意するしかない。




だから

本当に 地球1年から、「地球が再生できる1年分の資源」しか回収出来ないようにしようとしたら、


それはただ資源の値段を釣り上げるだけではなくて、


人類が1年で使える金の量と照らし合わせて定めないといけない ってことですね。



それをバシっとわかりやすく示してしまえるのが 「地球にも時給を用意する」 ってことかと思ったのです。



地球にも年収を用意する。


地球の年収を 人類の年収と等しくすれば、

人類は、地球から一年以上の資源を取れなくなるのです。


─────────────────────────────────

・・・

だいたいこれが、「地球側の時給」というアイディアでした。

こういうことを ただただ思った、ということです。




fireHDやっすいなぁ~。

修理に出すより新品買ったほうが安いってどういうことやねん。

・・・本当に、これは、どういうことやねん。



・・・

と思ってて、考えたのが、こういう発想でした。


─────────────────────────────────

◆ でもう一個、



この辺のことについて。


結論からいうと 今の自分はそんなに体調悪くないのですよ。多分。

自分のことをそんなに不健康な人間だとも思っていません。



でもまぁ、

自分の食事や健康、運動に対する認識が歪んでるのは、事実でしょうね。



(で全然違う話が始まる)


─────────────────────────────────

しかし本当に疑問に思ってることがあります。



よく、「一日に摂取していい食塩の量は5g」 とか言われてるじゃないですか。



で、例えばインスタントラーメンを食べるともう5g超える、みたいなことを言われたとします。


これがもう自分には分からないのです。




そもそも、「インスタントラーメン食べると5g」ってのが、正確じゃなさすぎると思うのです。


その「5g」ってのは、スープを飲み干した場合なのか? 

それともスープ飲まなかった場合でも、5gいってるのかを、ちゃんと説明してくれてない場合がある。



自分はスープは流石に飲み干さないので、これじゃあ実際の所、ラーメン1食が何gなのか、

よく分からないことになります。。


ラーメンの塩分なんてほとんどスープにあるでしょうから、スープを全部残せば、1、2gくらいしか摂取しないのかもしれない?

じゃあいいじゃないか!と思うのですが、もしもスープ全部残しても5g超えるってんならお手上げです。



─────────────────────────────────

で、自分が気になってるのは、



ラーメンの塩分とかが健康に悪いとして、

じゃあ、 一日1食ラーメンだけ食べてたら、それは健康に悪いのか?ということがサッパリ分からないって

とこですね。



一日3食ラーメンだとヤバそうなのはわかります。(流石にそれは)


でも、一日1食ラーメンだと、それも 同じように不健康なのか???



この場合は、塩分や油分なんかは、さっきの理屈で言えば「むしろセーフ」なはずです。


─────────────────────────────────

・・・何がいいたいか分かるかなぁ。


つまり、


「塩分の濃い食事は健康に悪い!」

「脂っこい食事は健康に悪い!」

みたいなこと言われてますが、



じゃあ、 その塩分の濃い食事を一日に一回しかしない、 脂っこい食事を一日に一回しかしない


摂取する油や塩の量は、どう考えても一日の制限以下にしかなってないぞ!!と。

そんで、その塩分や油のエネルギーは全て使い尽くす!!!


ってやったら、それは別に 健康なんじゃないかなあ???



という疑問があるのです。


─────────────────────────────────

つまり濃度が問題なんじゃなくて総量なんじゃないか?と。


ラーメンが健康に悪いような気がしていても、一日一食それだったら、逆に健康なんじゃないか?と。

そんな気がしているのですが、だれもこういう話をしません。


(足りない栄養とかじゃなく、 超えてなきゃセーフなんじゃないの?みたいな話)

(例えばラーメンとサプリだけで、人間は健康に生きていけないのか????という疑問)




そもそも、食べないことによる健康法みたいな話を、誰もしていません。


一日3食が健康にいいとか言われています。自分は大嘘だと思っています。



ドカ食いすると糖尿病になるとか言われてますが、

じゃあそれは、断続的に食べてりゃいいってことではないですか?


じゃあそんなら、 コーンフレークを常に隣において、

ボリボリボリボリ、断続的にずっとスナック感覚で食べてるほうが 健康にいいってことですよね。


それでいいのならそういうふうにしますけど?みたいな感覚なのです。



─────────────────────────────────

で自分は、今の所、体の調子はそんなに悪くはない気がするのですけどね。


(いやわかんないですよ)

(正確には、色々変な所も でてきてるのですが、あんまそういう話はしたくない)






引きこもって、ほとんど運動せずに 

(関節の柔らかさとか、ラジオ体操的なことには多少気を遣っています)

昼夜も反転して、

一日1食or二食の生活をしていますが、


何故かこの一年は、自分は か な り 健康だった、ような気がするのです。

(今年大きい風邪とかもしなかった気がする)




それはなんでかっていうと、 多分結局の所、 現代人の病気の元なんて、 

ほっとんど「ストレス」なんじゃないかと思うのですよね。



で 今の自分は、あの 朝の清掃バイトの生活うぃしてたころより、 

どう考えてもストレスは10分の1以下にはなっていると思います。


つまり、そのおかげで、最近はもう健康になったと思ってるのです。


食生活よりストレスのほうがよっぽど重要だと 割と思ってます。


食べ物なんて、燃料補給でしかないですからね。




大体、塩分にしても油にしても、現代人は、「食べすぎ」なんだから

ジャンクフードが悪い事のように思ってるだけなのではないでしょうか?



一日に必要な量を、それ以下で 取ってりゃ、 

味が濃いようなジャンクフードを食べていても健康になれるのではないかと思っちゃうのですが

どうなのでしょうね?


やっぱ間違ってるのでしょうかね。



─────────────────────────────────

いや、自分の「このような姿勢」が間違ってるのは、分かってますよ。



自分の書いてるこの話、 自分の経験則だけで 

「自分がこうだからこう」 しか言ってない訳ですよ。



・・・そういう姿勢は、基本間違いです。




よく、「タバコの害の話」をしているときに


「でもウチのじーちゃんはものすごいヘビースモーカーだったのに、90までピンピンしてたぞ」

「だから関係ないよね」

「人の健康なんてわかんないよね」


・・・みたいな話をする人がいますよね。



そうやって、人それぞれ論に持っていく人が、あとを絶ちません。



個人の経験則に囚われて、

局所的な反例だけに注目して、  


大勢の人、医者、学者が 多くの時間をかけて研究してきたこと (統計・法則) に 

反論することほど、 馬鹿げたことはないのです。



─────────────────────────────────

だから自分が過去に言ってきたことなんて、どうでもいいとは思ってるんですよ。



人間は運動しなくていいとか、むしろ運動するなとか、

全人類が一日一食とかで 引きこもって ほそぼそと低消費で生きていけるようになったらいいとか、


(いや、今でも本気でそういうこと思ってますが)



食べ物なんか、

ポップコーンが蛇口からダラダラ出てきて、それをボリボリやってりゃいいような そんな世界でもよかった筈だと思っているわけですよ。



だいたいそんな感じ。



なんでこんな書いてしまったのでしょう。



次はボツ文章のリクエスト話です。





Files

Comments

Anonymous

精密な電子機器はガラスの器のようなものだと捉えたらいかがですかね。 壊れたときに元に戻そうなどおこがましいぞと。

byneet

いや、だからこそですよ。 人間は、修理もリサイクルも困難なモノを、大量に作って、「不可逆的に固めてしまっている」ということですよ。 「現代人」にとっては今のFireHDは便利で良いモノに見えるかもしれませんが、「10年後の未来の人間」からすれば、ただのゴミでしかないでしょう。 でもそういう物を、皆が持ちたいと思い、本当に皆が持ってしまう。 そうやってガラスの器を固めてしまう。 そして、10年後20年後、ゴミを作りすぎ売りすぎたことに、気づくのです。 これはつまり、人類の持つ欲のスピードのままに作りすぎたということかと思います。本当は我慢出来た。 一部の人間が持つくらいで、あとは徐々に、持つデバイスを進歩させていけばよかったのではないか。 それなのに、「壊れたモノを直すより新品買うほうが安い」ってんで皆が買いまくるというのは、やはりそういうことです。 この調子じゃ20年後に作れたものも作れなくなっているかもしれない。 ではその人類の欲とか、作るべきスピードというのはどう設定スべきなのかというと、それは人間の金基準、生活水準基準ではなくて、 当然、地球の再生能力基準にするのが当たり前ですね、という話です。

Anonymous

食生活のお話について。 塩分を取りすぎると腎臓に負担がかかり機能が低下してしまうため、たくさん塩分摂取してすべて消費する、というのは難しいかと思います。 では一日にラーメン一食ではどうなるかというと塩分や脂質の摂取量は許容範囲内になるかと思いますが体に必要な栄養素、たんぱく質や糖質が不足することとなります。 たんぱく質は不足すると筋肉が衰えたり風邪をひきやすくなったりします。 糖質は脳を働かせるためのもの、不足すると頭がぼーっとする原因となります。足りなすぎる場合には自分の筋肉を分解して糖質(ブドウ糖)に変換してしまいます。 また、もちろん運動不足も筋肉が衰える原因になります。 短期的には筋肉が減っても問題は起こりませんが、後々の関節痛や基礎代謝の低下による肥満の原因にもなりえますので避けたいところ。 「健康のためにはバランスの良い食事と適度な運動」という至極古臭い考えは、しかしそう間違っていないのかなと思っています。 達成するのは難しいのですけど…

byneet

自分はそれでも人間は筋肉を落とすべきだと思ってるのですけどね。 この辺は、過去の記事で延々と語ってきたことです。 「反運動」みたいな記事とか、なぜ人間は筋肉を落とすべきなのか、みたいなことを延々と説明してきました。 人間がなぜ健康を目指さならなくていいかも書きました。 筋肉を落とすと肥満の原因になると言っていますが、 自分はそうは思いません。 筋肉を落とし、代謝を落とし、食べなければ、それで済むことです。 こんな生活していても自分は一切太ったことがありません。 BMIは常に15くらいです。 人間がなぜ代謝を落とさなければならないかも過去に書いています。 「筋トレして代謝を上げて痩せよう」、なんて完全に間違った考え方だと思っています。 全て説明済みのつもりなのです。