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ジメッと湿り気のある暑い日には、アイスコーヒーがとても美味しい。

冷やし麦茶もなかなかイケるが、キリッと苦味の効いたアイスコーヒーには、格別の美味しさがある。

この季節になると、昼食後にはアイスコーヒーを飲む。ブラックよりも、牛乳を入れて少しまろやかにして飲むのが俺のスタイルだ。

りうちゃんはさらにガムシロップを加えて、甘さを足す。


しかし、問題は発生した。

冷蔵庫に牛乳がないのだ。


買いに行くのが面倒なのでブラックでも良いかと思ったが、りうちゃんはブラックでアイスコーヒーが飲めない。彼女を見ると、少ししょんぼりしながら、「牛乳買いに行こうよ」と目で訴えてくる。


休日の午後。会社も学校も休みなので、俺たちふたりは、俺の部屋でのんびり過ごしている。こんな贅沢な午後に、美味しいアイスコーヒーが飲めないのはなんだかもったいない気がする。


仕方ない。


ちょっと重い腰をあげて、りうちゃんとふたり、近所のスーパーへ牛乳を買いに行くことにした。



※※※




「あ、雨上がってるね」

「そうだね、結構早く止んでいたのかな、道路も乾いてる」


朝には雨が降っていた。窓を閉めていても雨音が聞こえてくるほど土砂降りだったのだが、今では青空が広がり、路面は乾いていた。


「やっぱりアイスコーヒーには牛乳がなきゃ!」

「ですよねー」


りうちゃんも俺も、牛乳を入れて飲む方が好きだ。一日家でゴロゴロするのも悪くはないが、こうして少しでも散歩がてら体を動かし、ちょっと買い物に行くのも悪くはない。

それに、家からスーパーは近いので、ものの20〜30分くらいで帰ってこられる。


500mlの牛乳を購入して、帰路をぶらぶらと歩く。


しかし、暑い。まだ6月だと言うのに、もう真夏日だ。ネットのニュースでは東京も梅雨入りをしたと報道されていたが、梅雨の合間にはしっかり夏が顔を出していた。


帰り道、いつもと違うルートを通ってみる。普段は住宅街の狭い一本道を歩いたほうが早いのでそちらを選ぶのだが、せっかく晴れたので、木々の多い緑道を通って帰ろうとりうちゃんが提案した。緑道は、都心にしてちょっとした森林浴気分を味わえるので悪くない。


「暑いけど、気持ちいいね、天気も良いし」

「汗かいたから、アイスコーヒーがよりうまそうだ」

「うんうん」

「俺は帰ったらまずシャワーかな」

「一緒に入っちゃう?」

「え、マジで?」

「うそ」


くそっ!!




緑道を歩き、住宅街へつながる別れ道へ出た。ここから裏道を通って、自分たちの家がある方向へ歩いていく。

さあ、帰って冷たいアイスコーヒーを飲みながら何をしようかと考えを巡らせている時に、ふと、りうちゃんが足を止めた。


「ねえ、今女の子の声、しなかった?」

「女の子?」


近所の子だろうか。俺の耳には聞こえてこなかったが、近くに住んでいる子の声が聞こえたところで何も問題はないはずだ。


「ほら、やっぱり聞こえるよ。よく聞いてみて」

「うん?…ああ、確かに」


よく耳を澄ますと、少女と思しき声が聞こえた。誰かと話しているみたいだが、何を話しているのかまでは分からない。盗み聞きをしているみたいなので、あまり耳を立てるのも良くないだろう。


「さ、りうちゃん、早く帰…あれ?」


りうちゃんを促そうとしたが、隣にいたはずの彼女がいない。

と、思ったら、彼女はトットット、と、声のする方へ駆け出していた。


「ちょっとりうちゃん?」


慌てて後を追う。


「ねえ、この家からじゃないかな?」

「うーん、そうっぽいね。でもあまり聞き耳立てちゃ悪いんじゃないかな」

「そうかもしれないけど…でも、ここって空き家だよね?」

「あ」


そうだった。この家は、ご近所でたまに噂になっている空き家だ。

あまりご近所付き合いの無い俺でも、耳に入ってくることがある。


なんでも、何年もの間、家主不在で、空き家となっているとのことだった。

木造家屋は半分朽ち果てて、敷地内の樹木は好き勝手に繁茂し放題だ。鬱蒼と茂っているので、昼間でもこの家の周りだけ妙に暗い。

夜はできるだけここを通ることを避けている。近所の人たちも不気味がって近づこうとはしないらしい。


樹木は高く、道路を跨いで隣家に侵入しようという勢いで生長してしまっていた。

これが原因で、近隣の住民が役所に問い合わせたが、所有者不明であっても民有の樹木を行政が伐採するというのは、手続き的に困難らしく、切られることなく現在に至っている。


外側で昼間にこれだけ薄暗いのなら、夜の敷地内は、お化け屋敷のような雰囲気なんじゃなかろうか。


「この空き家に女の子が住んでるって話、聞いたことある?」

「いや、無いなぁ。っていうか誰かが住んでいたら空き家って呼ばれてないだろうし」

「だよね。じゃあ、あの声は…」


誰だろう。ここまで近くに来ると、さすがに明らかに女の子の声が聞こえてくる。

誰もいないと思って侵入したのだろうか。

でも、ひとつ疑問が浮かぶ。空き家の万年塀越しに聞こえてくる声は、女の子ひとりの声だけだ。誰かと会話をしている雰囲気だが、返す声が聞こえない。余計に不気味だ。


「ちょっと、様子見てくる」

「え、あ、ちょっと!」


りうちゃんが敷地内に入って行ってしまった。放っておけば良いものを。


これだから好奇心の権化は!!




鬱蒼と樹木の茂る怪しげな敷地に、りうちゃんひとりで行かせるわけにもいかないので、仕方なく後を追う。昼間とはいえ、変なオカルト的なことと遭遇しませんように。


敷地内に入ると、外から見る以上に雑多な樹木が張り巡らされていた。雨が上がってしばらく経っているはずだが、敷地内からは、土が雨を吸収した時の独特の匂いがする。

蚊や虻のような羽虫がいくらか飛んでいた。真夏になればこういった羽虫が大量に飛び回ることだろう。手で払い除けながら、りうちゃんの後を追う。


敷地の奥には縁側らしきものが見えた。その手前には、ふた株ほどのあじさいが咲いている。なんていうことのない、普通のあじさいだが、ここに咲いていると、闇を照らす灯火のように美しく映えて見えた。


枝葉を掻き分けて進んでいくと、そのあじさいの前で、りうちゃんは立ち止まっていた。


「りうちゃん、勝手に入っちゃダメだって。ほら、牛乳腐っちゃうから早く帰るよ」


話しかけてもこちらを見向きもしないりうちゃん。彼女は俺の声が届かないほど、強く一点を見つめていた。

彼女の視線の先を追っていくと、確かに、そこには異様な光景があった。




少女がひとり、縁側に腰掛けていた。

周りには、5、6匹の猫もいる。


猫たちは、とてもくつろいだ様子だ。まるでこの少女がお母さんであるかのように、こちらの存在など気にも留めず、まったりと昼寝をしたり甘えたり、エサを食べたりと、のびのび過ごしている。

少女も、その子たちの頭を撫でたり、エサを食べる猫に「おいしい?」などと話しかけている。


この少女が、先ほどから聞こえていた声の主だろうか。


少女の髪は金髪で、リボンで結われていた。更に目を引くのは、浴衣を着ているということ。

藍色の矢羽模様の浴衣。

しかし、着慣れていないのだろうか、両手で前を止めようとしているが、肩や胸元がはだけてしまっている。透き通った白い胸元が半分見えている。


少女は、やっとこちら、俺とりうちゃんの存在に気づいたようだ。

一瞬、目を瞠って驚いたような表情を見せ、固まってしまった。


それもそうだろう。いきなり謎の男女ふたりが敷地に侵入してきたのだから。とはいえ、ここがこの子のご家族の家でなければ、彼女もまた不法侵入の疑いがあるのだが。

もしくは、着崩れた浴衣姿を見られてしまったからだろうか。


いずれにしても、金髪の少女はフリーズしてしまっている。


「あ、あの、すみません。勝手にお邪魔してしまって…」


りうちゃんが申し訳なさそうに、もじもじと謝罪している。

俺もつられて頭を下げた。少女の格好が格好なだけに、あまりまじまじと見てはいけない気がするので、そのままなんとなくチラッとだけ姿を拝んで目を逸らす。


歳は、10代半ばくらい。きっとりうちゃんと同じくらいの年齢だろう。

言ってはなんだが、このボロ屋敷に住んでいる子には見えない。汚れたところはなく、小綺麗にしていると言ってもいいくらいだ。

肌は白く、何より、金髪の髪と浴衣姿が印象的な子だ。こんなところで一体何をしているのだろうか。猫と戯れるためにお忍びでこの空き家に通っている…とか?


「あっ…あっ…!」


女の子はか細い声を上げるのが精一杯という感じだ。

不思議な雰囲気の女の子で、りうちゃんも俺も、彼女に吸い寄せられてしまいそうだが、あまり長居はしない方が良さそうだ。


空き家で独り、浴衣を着崩して猫たちと戯れながら会話をしている謎の少女。

きっと、推し量れぬ事情があるのだろう。


そういうことは、無理に推し量るべきではない。深入りせず、さりげなく無かったことのように立ち去ってしまうのがーーー


「りうちゃん!」

「…え?」

「は?」


りうちゃんだけでなく、俺も声を出してしまった。


少女は、突然ガバッと縁側から裸足のままりうちゃんへ駆け寄った。

りうちゃんは呆気に取られて身動きできずに固まってしまっている。


「りうちゃん…りうちゃん…!」


少女の瞳は、今にも涙が溢れそうに煌めいている。

それでいて、とても嬉しそうに微笑んでいた。まるで、旧友にバッタリ遭遇した瞬間かのように。


「りうちゃんの…お知り合い?」


一応、尋ねてみる。


「え、いや、えっと、その…」


りうちゃんは、至極困った表情を浮かべ、俺を見ると、首を横に振って否定した。


金髪の少女は、そんなりうちゃんや俺にお構いなしに、りうちゃんの両手を掴んだ。そして、自分の頬をりうちゃんの頬に擦り付けた。


「りうちゃんー!」

「えっ、ちょ、うわっ!」


まるで猫のように頬擦りする少女。

何が起こっているのか全く分からず、ただ困惑を極めるりうちゃん。

どうして良いか分からず、そして金髪少女の浴衣が今にも完全にはだけてしまいそうな状態に、目のやり場のない俺氏。


「え、えっと…どこかで、お会いしました…か?」


おそるおそる、といった感じで、りうちゃんは少女に尋ねる。

少女は目をキラキラさせながら、じーっとりうちゃんの顔を覗き込み、













「半年ぶりくらい、だよね。ただいま、りうちゃん!」


そう、告げたのだった。





To be continued…

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