第24話:生姜の効能だけじゃない (Pixiv Fanbox)
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眠っている間に、別の大きな惑星に来てしまったのではないか。そう思うほどに体が重い。
大体、平日の朝は会社に行きたくなくて、気が重いのだが、今日は精神だけでなく物理的に体が怠く、重い。
季節の変わり目で、最近は、暑かったり寒かったりしていた。そのせいで風邪をひいてしまったのかもしれない。
もぞもぞと四畳半のフローリングを這いつくばって、棚の中から体温計を取り出し脇の下に挟む。
ピピッという電子音とともに表示された体温はほとんど平熱だった。
ため息を吐き、身支度をしようと体を無理やり起こす。しかし、洗面所へ向かう途中で、視界がぐるりと一回転して、その場にうずくまってしまった。
「無理だこれ…」
我が社はなかなかのブラック企業っぷりを発揮しており、”働き方改悪”が円滑に推進されている。熱がなく体調が優れないというだけでは休暇の申請がとおらなかったりする。
コンマ2秒ほど、良心の呵責と葛藤した後で、スマホで会社へ連絡をする。
先ほど計った体温に、2℃ほど上乗せ計上した体温を伝え、ありったけの苦しそうな声を絞り出して三度「申し訳ございません」と陳謝し、終話ボタンをタップする。通話アプリが切断されていることを十分に確認してから、ホッと息をついた。
今日は会社を休もう。
※※※
再び目覚めた時、時計の針は10時半を指していた。
今朝よりは体調は良くなっているような気がしたが、まだ気怠さはある。食欲もなく、お腹も痛い。
「風邪ひいたなこれは」
ひとりごちて、掛け布団の上にドサっと倒れる。
今日も夏日のように暑く、背中にじんわりと汗をかいているのが不快だったが、シャワーを浴びるために浴室へ向かう気力がない。
冷蔵庫に常備してあったゼリー飲料を飲み、市販の風邪薬を服用する。もう一眠りしようかと思ったところで、ふと、スマホを手にした。
りうちゃんに連絡しておこう。
今日は平日だから、きっと今頃彼女は授業中だろう。
学校へもスマホは持っていっているはずなので、連絡だけはしておこうと思ったのだ。
『風邪をひいちゃったから、会社を休むことにしたよ。お腹の調子が悪くて、体が怠いー』
返事はなかったが、この時間なので当たり前だ。そうはいっても、なんだか少し寂しさを覚えた。
体調が悪い時は、気分まで落ち込んでしまう。何もする気が起きず、どうでも良いことをぐるぐると頭の中で反芻し、大抵それらは嫌なことだったりする。
会社では、どうせサボりだと思われているんだろうな、とか。りうちゃんに甘えたいな、とか。
今日、りうちゃんは部活があるんだっけ?バイトは?もしそうなら今夜は会えないかもしれない。正確に彼女の予定を把握しているわけではないので、逆に悶々としてしまう。
風邪をうつしてはいけないので、会わない方が良いのだが、こういう時ほど彼女に会いたい。
アニメでも観て気分を紛らせようと、タブレット端末を引っ張り出してみたが、ブルーライトが目にキツく感じて、5分も経たずに閉じてしまった。
「あー、寂しい」
何もすることがなく、ひとり部屋で過ごすのはとても寂しい。
こういう時は、そうだ。りうちゃんのことでも考えながら、もう一眠りしてしまおう。
※※※
「熱が結構あるみたいだね、大丈夫?」
りうちゃんが心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。自分の額と俺の額に手をあてて、熱を確かめてくれている。
あれ?寝過ぎてしまったのかな。もう夜になっているみたいだ。彼女が家に来ていることに気づかなかったようだ。
「うん、大丈夫…じゃないかも」
「え、それは大変。私が看病してあげるね」
「りうちゃんに看病してもらえたら、すぐに良くなっちゃうよ」
「ふふっ…」
そう言ってりうちゃんは、スルスル、と制服を脱ぎ始める。
下着姿になって、プリッとした形の良いお尻をこちらに向けた。
「りう…ちゃん!?」
「今日は特別」
「特別…」
「いいよ、おいで」
彼女は、面積の小さい自分のパンツの紐に手を掛ける。その紐は今にも解けそうだ。
この紐が解けた時、そのヴェールの内側をこの目で見た時、俺はどうなってしまうのだろうか。
『今日は特別』
彼女の声が脳内で反響する。
そうか。今日は特別なんだ。いつもとは違う。だから、きっと今日だけはそのままーーー
「ただいまー!ねえ、風邪ひいちゃったの?大丈夫?」
「あ、あれ?パンツは…」
「…は?」
「今紐を解いてパンツが脱げて…って、あれ?りうちゃん?」
「じー…」
時計を見る。時刻はまだ16時を回ったところだ。カーテンの隙間からはまだ日光が差している。
どうやら、夢を見ていたらしい。
「あのー、キミ、風邪ひいてたんじゃないの?」
「え、あ、いやそうなんだけど、夢を見ていたみたい」
「夢?」
「うん」
「誰かさんの紐パンツを脱がす夢を?」
「え、ちょっ、いや」
「じー…」
「うっ…」
スーパーの袋を手に、俺の家に直行してくれたであろう彼女は、布団の上で横たわる俺の顔を半顔で見下ろしている。
「まったく。どんな夢見てたの」
「いや、だってりうちゃんが看病してくれるっていう素敵な夢だったから…」
「紐パンツ脱がす看病なんて聞いたことないんだけど」
「違うって。正確にはりうちゃんが自分で紐パンツを脱いでくれるっていう…」
「はあ?どんな夢みてんの!」
「す、すみません」
「まったくもー。ま、元気になったなら良いんだけど」
「うぅ、あんまり元気じゃない」
「そこだけは元気なのにね!」
そう言って彼女はプイッと台所の方へ去っていってしまった。
そこ?
「あっ///」
完全に油断していた。パジャマの上からでも分かるくらいに、下半身の一部がテントのように膨らんでいたのだ。
熱が2℃くらい上昇するのを感じ、再び布団に潜り込むしかなかった。
※※※
気怠い体を起こして、シャワーを浴び、コップで2杯、立て続けに水を飲む。
そういえば、薬を飲んだ時から水分を摂取していなかった。
「りうちゃん、今日は部活なかったの?」
「あったけど、キミが風邪ひいたってメッセージくれたから、心配で帰ってきちゃった」
「え、そうだったの?それは申し訳ないことしちゃったな…」
「いいよいいよ、大丈夫。っていうかメッセ見てない?」
「え?」
慌ててスマホの画面を表示させると、ちょうど正午辺りにりうちゃんからのメッセージが届いていた。
『大丈夫?ちゃんと水分とって横になっていてね。今日学校終わったらすぐキミん家に行くね』
「ごめん…寝ていて気づかなかった」
「そうだよね、仕方ないよ。えっちな夢の真っ最中だったもんね」
「いや、それ、ちがっ!」
違わないだろう。
「『夢の中で女の子とイチャイチャしていてメッセージなんて気づきませんでした。by俺氏』みたいな?」
「そ、そうじゃないって!いやまあそうだけど!でも相手はりうちゃんだし!」
「それ本人に言う!?///」
「あっ、す、すみません///」
何を言っているんだ俺は。
でも、そう伝えてしまうほど寂しかったのは本当だ。
お腹の調子が悪い、というメッセージを見て、りうちゃんは学校帰りに“おじや”の材料を買ってきてくれた。その優しさに涙が出そうだ。
「お腹がゆるい時は、無理して食べなくても良いんだけど、栄養つけないと体力なくなっちゃうからね。私特製のおじやを作ってあげよう!出汁が効いていて美味しいんだよ!」
「おぉー!ありがとう!」
「一家に一台、有栖川りう!」
家電かよ。
※※※
「お、お、美味しそうだ!」
ふんわりと卵とじされたおじやからは、カツオやトビウオの出汁の香りが漂ってくる。中には生姜と鶏胸肉が入っている。
「本当はキノコも入れるともっと美味しいんだけど、消化に良くないから今日はこれで我慢してね」
「いやいや、十分過ぎるくらいだよ!ありがとうりうちゃん!」
「良かった。熱いからふーふーしながら食べてね」
「うん、いただきます」
レンゲでおじやをすくい、息を吹きかけて冷ましながら口に運ぶ。
柔らかいお米の感触と、出汁の効いたスープがベストマッチ。風邪をひいていなくても食べたいくらいだ。鶏肉と生姜を入れてくれたのは、俺の体力回復や体を冷やさないようにするための配慮だろう。彼女の優しさが胸に沁みる。
こんなに手厚い看病を受けたことが人生であっただろうか。
「りうちゃんさ、絶対良い奥さんになるよね」
「え?なんで?」
「だって可愛いし、料理上手だし、優しいし。相手に困らないでしょ」
「私まだ学生なんだけど」
「将来の話」
「そうかなぁ」
「間違いない。絶対良い奥さんになる」
りうちゃんは、口に手を当ててちょっと困ったような表情を浮かべている。
「誰の?」
「え?」
「誰の良い奥さんになれるの?」
「いや、誰って言われても…」
自分で言っておきながら、自分以外の男性と幸せな家庭を築く彼女を想像すると、途端に寂しさが込み上げてきた。
「あーあ。どこかに良い旦那さまは転がっていないかなー」
「転がってって」
「きっとお金持ちで、イケメンで、仕事も家事もバリバリこなせる超優秀な男性で…」
「…」
実際、彼女にはそれくらい高スペックな男性がお似合いだろう。
才色兼備とは、彼女のためにあるような言葉で、その伴侶となる男性だって、きっとそうあるべきだ。
「なんてことはなくて」
彼女の瞳が自分の顔を覗き込んでくる。
「ちょっと頼りないくらいで、甘えん坊で、すぐえっちなことを考える、年上だけど年下みたいな人、かもね」
え?
「それって…つまり?」
「…キミ。って言ったらどうする?」
ええ!?
「熱爆上がりする」
「じゃあダメ」
「うそ!うそです!熱爆下がりする!」
「それもどうなの!?」
「だだ、だって!りうちゃんの旦那さんとか…!」
まだ恋人ですらないのに!嬉しいに決まっているじゃないか。
「なーんてね、冗談」
「えええー!そんなあ…」
冗談だったのか…。もはや落胆の色を隠せない。
「ほら、ちゃんと食べて」
「はい…」
上げて落とされて、落ち込んでしまう。自分でし始めたこの会話を、ひどく後悔していた。
「じゃあ逆に聞くけど。キミはどんな奥さんと結婚したいの?」
「俺?」
そんなの、どんなもこんなも、りうちゃんに決まってるじゃないか。…そんなことを言う勇気はないけど。
だって、「は?私まだ学生なんだけど」とか言われたら、悪気はなくても絶対に凹む。
そもそも体調不良で情緒不安定だし。
だから俺は、言葉を探す。当たり障りがなく、それでいて的を外さないような言葉を。
「辛い時にそばにいてくれて、優しく甘やかしてくれる人…かな」
我ながら、月並みだと思う。もっと良いフレーズは幾らでも転がっているだろうに。
それとなく彼女を示唆したかったのだが。こういう会話には慣れていないのだ。
それでも彼女は、ふっ、と微笑んだ。
俺の言葉には特に何も返さず、レンゲでおじやを混ぜている。
ふう。
そろそろ食後のお茶でも準備しようかと席を立ったところで、彼女がそっとレンゲを差し出してくる。
「はい、あーん」
一瞬、俺の頭はフリーズした。
そして急激に体が火照ってくる。
これは、発熱したからではない。おじやの生姜の効能だけでもない。
辛い時にそばにいてくれて、優しく甘やかしてくれる彼女ーーーりうちゃんの行動が、俺の胸にじんわりと温かい灯籠を灯した。
俺はぽりぽりと頭を掻きながら、差し出されたレンゲを口に運ぶ。
「あ、あーん///」
和風出汁の効いたおじやを咀嚼しながら、俺はたまらず彼女から目を逸らした。
何も言葉を発しないが、彼女は、いつものようにイタズラっぽく、含みのある表情を浮かべていた。
Fin.