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「歌夜姉……ッ!?」  叫び声を上げて飛び起きた蓮太郎の目に飛び込んできたものは、いつもと変わらぬ自室の風景だった。 「……え?」  額から汗を流しながら、荒い呼吸を繰り返す。その心臓は今にも破裂しそうなほど激しく脈打っており、全身が寝汗で濡れて気持ち悪い。  布団の上で身を起こした体勢のまま、蓮太郎は呆然と部屋の中を見つめていたが、やがてゆっくりと現状を理解していった。 「夢……?」  歌夜が優吾に犯されるという、悪夢としか言えない光景。実際にそれが自分の脳が睡眠時に作り出した空想だったと分かるまで、少しの時間が必要だった。 (なんで、あんな夢を……)  あの光景が現実では無いとしても、とても安心した気分にはなれなかった。  せっかく歌夜と恋仲になれたというのに、それをぶち壊しにするような夢を見てしまうなど、最低の気分だ。  歌夜への劣情が、あんな風に歪んだ形で出てきてしまったのだろうか。どちらにせよ気分は最悪だが、どういう訳か蓮太郎の下半身は起きて早々に固く漲ってしまっていた。  まるで、歌夜が嫌いな男に穢されることに興奮してしまっているかのようで。 (違う……あんなの、ただの悪い夢だ。すぐに忘れるに決まってる……)  悪夢の余韻を振り払うように頭を振り、蓮太郎はベッドから起き上がった。  そしていつものように朝の支度を始めようとして、机の上に置かれたあるものに気付いた。  いつもなら寝る時は枕元の棚に置いているスマートフォンが、乱雑に机の上に放られている。  確か昨夜、急いでいて机に放り投げたままにしていたのだったか。 「いや、でもそれって……」  だが、そうしたのは歌夜からの電話に出たはずが代わりに出た優吾に挑発されて、慌てて駆け出したからだったような覚えが。  しかし、それは夢の中の行動のはずで……。 「…………ホントに、夢だよね?」  あのあまりにも最悪で淫靡な光景は、ある意味では現実感の無いものだったが、同時にどうしようもなくリアルで実感の湧くモノだった。  男女が交わる音や匂いすら思い出せそうなあの時の事が現実だったのか、それともただの妄想なのか……自信を持って答えることが出来ない。  それを確かめるだけの勇気は、蓮太郎には無かった。  ◆  翌日も、蓮太郎は歌夜に会いに朝から神社に来ていた。  嫌な夢を見て不安感を覚えてしまったが、所詮それは現実では無い。  いつも通り――いや、これまでよりも進んだ関係となった歌夜と合えば、気分もまた晴れるだろう。  そう思って神社を訪れたのだったが、蓮太郎を出迎えたのは境内の中心に佇む沙夜の姿だった。  まるで蓮太郎が来るのを待っていたように、こちらの姿にすぐに気づき、手を振ってきた。 「おはよう、沙夜姉」 「えぇ、おはよう蓮くん」  笑顔で挨拶を返す沙夜は相変わらず美しい所作で、優雅な雰囲気を醸し出していた。  変わらぬ穏やかな雰囲気と人目を惹きつける美貌。  だがその笑顔には、どこか陰りのようなものがあることに蓮太郎は気づく。何かあったのだろうか。  とはいえ会って早々にそんなことを尋ねるのもどうかと思い迷っていると、沙夜の方から話題を出してきた。 「蓮くん、今日も修行に来たの?」 「うん、まぁそれもあるけど……歌夜姉に会いにね。今日は歌夜姉いる?」  退魔師の任務で忙しい歌夜には会えない日もある。居ないならば仕方ないと思い尋ねたのだが、歌夜の名を出した途端沙夜の表情が明確に曇り、視線を逸して俯いてしまった。 「…………」 「どうしたの?」 「歌夜ちゃんは、居ないわ……」  沙夜は言い出しづらそうに答えた。 「あ、そうなんだ……」  やはり今日は任務が入っていたのだろうかと蓮太郎は落胆したが、それにしては沙夜の反応はおかしなものだった。  以前に歌夜がおらず沙夜は予定が空いていた日は、「なら今日は私が付きっきりで蓮くんのお相手してあげましょうか?」などと言って一日中修行を見てもらったり、二人きりで食事をしたりと、むしろ蓮太郎を独占出来て嬉しそうにしていたのだが、今日はそんな様子は感じられなかった。 「沙夜姉?」  その様子を不思議がり蓮太郎が名を呼ぶと、沙夜は目を伏せ、消え入りそうな声で呟いた。 「ごめんね蓮くん……。私も歌夜ちゃんも、暫く任務でここを離れることになったから、その間蓮くんとは会えないの」 「え? なんか、随分急だね? 二人ともなんて」  昨日まで二人にそんな様子は無かったが、突然急を要する依頼が来たのだろうか。 「そんなに大変な任務なの? 相当強い妖魔が出たとか」  天才退魔師の二人が揃って、しかも両方が長期間に渡って不在にするとなると、余程の難敵が現れたのだろうか。  蓮太郎が尋ねると、沙夜は小さく頷いた。 「えぇ、大変な仕事になると思うけど、心配しないでね。一週間くらいで帰ってくるから」 「そう、なんだ……。いや、うん。沙夜姉と歌夜姉なら大丈夫だよね。僕も付いていきたいけど、信じて待ってるよ」 「ありがとう、そう言ってくれると私も頑張れるわ」  蓮太郎が笑って答えると、沙夜も小さく微笑んで答えた。 「歌夜ちゃんは先に目的地に向かったし、私もすぐに出るわ。その間神社も私の家も誰も居ないから、退魔師の修行はお休みでいいからね」 「それはいいけど……誰も居ないって、優吾くんは?」 「あ、そ、そうね……っ。あの子はまぁ、お留守番かしらね?」  あの憎たらしい少年を心配するわけでは無いが、沙夜達が居ない間大人しくしてるのだろうかと別に意味で不安になってくる。  もっとも、姉妹が二人とも居ないのでは、彼女達への悪さも出来ないだろうからその点では安心だが。 「じゃあ私ももう出なきゃいけないから、名残惜しいけどもう行くわね」 「うん。僕も沙夜姉たちが居ない間、一人でも修行頑張っておくからね」  沙夜と歌夜に暫く会えないのは残念だが、大切な退魔師の仕事がある以上我儘も言っていられない。蓮太郎自身も退魔師の一人なのだ。 「気をつけてね沙夜姉。あと、歌夜姉にも僕が待ってるからって伝えておいて」 「……えぇ、言っておくわ。きっと……私も歌夜ちゃんもすぐに帰ってくるからね」  沙夜はどこかぎこちない笑みを作り、手を振った。  沙夜ですら不安が拭えないような、強大な妖魔が現れたということか。  だが、敬愛する二人の退魔師ならば、どんな敵には負けはしないと蓮太郎は信じている。  蓮太郎は沙夜を見送り、一人神社を後にした。   「……歌夜姉にも、会いたかったな」  一人になってから、蓮太郎はぽつりと呟いた。  いくら仕方ないと自分に言い聞かせても、寂しい気持ちが無いわけではない。  歌夜に会い、共に過ごし、願わくば昨日の続きをしたいという期待が空振りに終わり、少なからず落胆してしまっている自分がいた。  せっかくならば、妖魔退治に赴く前に、一目顔を見せて欲しかった、というのは我儘だろうか。  とはいえ、落ち込んでばかりもいられない。  沙夜たちにも言った通り一人でも修行を頑張って、戻ってきた時に驚かせるような成長を見せよう。  きっと、歌夜の方も自分に会えなくて寂しいと思っているはずだ。  蓮太郎は気持ちを切り替えて、家までの道のりを歩きだした。

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