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10.級長


「文化祭、ですか?」

「はい」


 おぼろげなわたくしの意識から遠いところで聞こえていた会話に、興味を引かれる単語が混ざったのに気づいて、わたくしの意識は急激に覚醒しました。

 ああ、そういえば今は朝のホームルーム中でしたわ、などと思いつつ、わたくしは眠気を覚まします。


「学園では毎年この時期に文化祭を行います」

「……まだ入学したばかりなのに」


 トリッド先生の言葉に対するメイの発言は、そのままクラス全員が感じていたことでした。

 文化祭のような大きなイベントは、もっと皆が学園に馴染んでから行うものというイメージがありますのに。


「学園には、収穫記念祭の時期に別に学園祭もあります。今回の文化祭は、どちらかというと新入生歓迎のイベントとご理解いただければいいでしょう」

「ど、どういう意味でしょうか?」


 リリィ様の質問に、トリッド先生はつまりですね、と一つ咳払いをしてから続けました。


「文化祭は各新入生クラスの結束を高めよう狙いがあるのです。文化祭というひとつの目的に向かって協力して取り組むことで、学園に慣れて貰おうというわけですね」

「なるほど、そういうことね」


 シモーヌは納得したように頷きました。


「文化祭と言いますけれど、具体的には一体何をするんですの?」

「クラスごとに出し物をするのが一般的です。初期の学園では研究発表などが行われていましたが、今では模擬店などをすることがほとんどのようですね」


 研究発表をするのも悪くはないのですけれどね、とトリッド先生は少し昔を懐かしむような目をしてから続けます。


「喫茶店やお化け屋敷、教室内迷路など、内容は皆さんにお任せします。食料品を扱う場合は許可が必要ですから、予め申請をしてください……と、その前に」


 トリッド先生は一度言葉を切ってから、教室にいる生徒たちを改めて眺めました。


「クラスを代表する級長を決めておきましょう。文化祭でも学園との折衝役になる人です」


 教室が少しざわめきました。

 中等学校までにもクラス委員のようなものはありましたが、それはどちらかというとお飾りの雑用係という側面が強かったのです。

 ですが、この学園の級長とやらは、クラスの実質的な顔役のようなもののようです。


「あなたやりなさいよ」

「え、無理だよ。自信ない」

「だよねー」


 お互いに探り合うような視線が行き来します。

 興味はあれども、自分から立候補するほどではない――そんなところでしょうか。


 しかし――。


「はい、トリッド先生。わたくし、級長に立候補しますわ」


 わたくしは空気を読まずにそう言ったのです。

 教室中の視線がわたくしに突き刺さります。


「アレアさんですか。確かにあなたなら級長として申し分ないでしょう。他に立候補者はおられますか?」


 トリッド先生は軽く頷くと、他に誰かいないか教室の一人一人を見やりました。


「何も遠慮することはなくってよ。他にもやりたい方がいらっしゃるのであれば、堂々と決着をつけましょう?」

「……アレア、それは逆効果」

「アレアと差しで勝負しようなんていう物好き、そうそういないわよ」


 わたくしは偽らざる本音を述べたまでなのですが、メイとシモーヌに呆れられてしまいました。

 リリィ様はいつものように困ったように笑っています。


「いらっしゃらないようですね。では、アレアさんが級長になることを承認する者は拍手を」


 まばらな拍手が起きました。

 積極的に肯定したいわけでもないけれど、わざわざ否定するまでもない、といった感じでしょうか。

 まあ、今はこんなものでしょう。


「では、ここからは級長と代わります。級長、文化祭でのクラスの出し物を決めてください」

「かしこまりましたわ」


 わたくしが教室前に設えられた壇上にあがると、クラス全体が一望出来ました。

 寄せられる視線には、興味、当惑、疑念、反感……色々なものがあります。

 いいですわ、わたくしが級長として認められるのはこれからですわね。


「では、クラスの出し物を決めたいと思いますわ。何か提案のある方、挙手を」


 わたくしがそう切り出しましたが、皆遠慮しているのかそれとも単に目立ちたくないだけなのか、誰も挙手する様子がありません。


「なら、わたくしからいくつか提案をさせていただきますわ。列挙していきますから、途中で何かご意見があれば遠慮なく」


 そう言うと、わたくしは黒板にチョークで出し物の候補を書いていきました。


「剣術ブートキャンプ……?」

「剣術の基礎を鍛え上げる教室的なものですわ」

「プロテインカフェ……?」

「筋肉の元となるタンパク質飲料を色々試せるカフェですわ」

「筋トレゲームセンター……?」

「各種の筋トレを楽しめる、それはそれは楽しい場所ですの」


 わたくしが列挙していくと、何故だか教室の皆から当惑の声が強まっていきます。


「ねぇ、アレアちゃんやばくない?」

「放っておくととんでもないことやらされるよ」

「真面目に考えよう。このままだと文化祭が筋トレになりかねない」


 ぽつぽつと、挙手が始まりました。

 いいですわね。

 自主性があるのは素晴らしいですわ。


「アレアって……凄くアレなのね……」

「で、でも、アレアちゃんが教官なら、多少色物でもお客さんは来てくれると思うんですが……」

「……来るとは思う。でも楽しいのはアレアだけ」

「そ、そうですね。ぶ、文化祭はクラスみんなで楽しむものですよね……」


 何やらごちゃごちゃうるさいですわね。


「ねえ、メイ。アレアのあれって素なの?」

「……素だよ」

「あ、あははは……。アレアちゃん、ちょっぴり脳筋なんですよ」

「誰が脳筋ですのよ。そこ、文句があるなら対案を出しなさいな」

「ひう! す、すみません……」


 わたくしが聞きとがめると、リリィ様は小さくなってしまいました。


 最終的に候補は十ほど挙がりました。

 わたくしが挙げたものの他には、喫茶店やお化け屋敷、ヨーヨー釣りにミニゲームコーナーなどがあります。


「それでは決を採ります。皆、やりたいものに三つまで挙手してください。では、剣術ブートキャンプから」


 わたくしは迷うことなく挙手しました。

 きっとこれは人気があるだろうと確信しています。


 しかし、


「わたくしだけですの? 残念ですわね」


 わたくし手ずから剣術の素晴らしさを説く絶好の機会だと思ったのですが。


「では次、プロテインカフェはいかがでして?」


 またもわたくしだけ。

 あら……?


「次、筋トレゲームセンター」


 これもわたくしだけでした。

 あ、あら……?

 ひょ、ひょっとして、わたくしってあまりセンスがないんでして……?


 結局、クラスの出し物は無難な喫茶店に決まりました。


「……ふぅ、危ない危ない」

「アレアちゃん、しっかりしてるようで危なっかしいね」

「私たちで支えて上げないと」


 なんだか不本意な評価を受けているような気がしますわ。


「それでは、わたくしたちのクラスの出し物は喫茶店と決まりました。続けて、取り扱う食品について話し合います。意見がある方は挙手を。わたくし、やっぱりプロテインドリンクが――」

「紅茶の飲み比べとかどうかな?」

「お茶菓子も欲しいよね」

「文化祭には外部からの来校者もいるから、男性客用に甘くないものもあるといいかも」


 理由はよく分かりませんが、活発に意見が出るようになりました。

 いいことですわ。


「そういえば、喫茶店で思い出したのですけれど、学院では伝統的に男女逆転喫茶なるものがあるそうですわ」

「……アレア、ステイ、ハウス」

「色物企画から離れよっか、アレア」

「り、リリィ、男装はちょっと……」


 あるぇー?


 結局、最終的な出し物の内容は、紅茶の飲み比べと簡単な焼き菓子を提供する喫茶店に決まりました。


「もっと独自性を出すべきじゃありませんこと? やっぱりプロテインバーくらいは――」

「「「アレア(ちゃん)は黙ってて(ください)」」」

「えええ……」


 解せませんわ。


11.孤立を超えて


 文化祭の告知から四日がたちました。

 既に通常の講義が始まっていますが、文化祭が控えていることもあり、学園はどこか浮き立つような雰囲気に包まれていました。

 休み時間や放課後に出し物の準備をすることで、確かにクラスメイトたちの仲は深まっているようです。


 ――若干一名を除いて。


「……」


 シモーヌは一人でポスターを描いていました。

 他の子たちはグループで作業に当たっているのに、シモーヌと一緒に作業しようという子はいないようです。

 リリィ様、メイ、わたくしの三人は、その様子を忸怩たる思いで見ていました。

 シモーヌの顔に特段落ち込んだ様子はありませんが、だからといって級長としてそのままにしておくことは出来ません。

 小さな翼が隠された背中は、どこか寂しそうに見えたのです。


「シモーヌ、隣、よろしくて?」

「アレア……。別にいいわよ」

「ありがとう」


 わたくしが隣に座っても、シモーヌはポスターを描く手を止めませんでした。

 見れば、可愛らしい猫のイラストとポップな字体で構成された、なかなかに素敵なポスターが出来上がりつつありました。


「シモーヌは絵を描くのが得意なんですのね」

「別に……普通よ。こんなの誰でも描けるんじゃない?」

「そんなことありませんわ。少なくともわたくしには無理ですわ」

「……そ」


 シモーヌは一瞬だけこちらをちらりと見ましたが、すぐに手元に視線を戻すと作業に戻ってしまいました。


「手伝いは必要でして? 人手がもっと必要なら、他の子たちに声をかけて手配しますわよ?」

「大丈夫よ。アタシから言い出した仕事だし、最後までやるわ」

「一人でですの?」

「他の子たちだって、各々の仕事で忙しいでしょ」


 それは建前だとシモーヌも分かっているはずです。

 各人に割り当てられた仕事にはやはり軽重があり、簡単な仕事を割り振られた子は既に遊んでいたり、別の子を手伝ったりしています。

 ポスター作成は枚数が必要なので、どちらかと言えば大変な仕事の方に入るはずです。

 一人で描ききるのは少々骨というものでしょう。


「やっぱり、応援の者を――」

「同情? ならやめてよね。そういうの一番ムカツク」


 言いかけたわたくしの言葉を遮るように、シモーヌは強い言葉を口にしました。


「他の子たちがアタシに近づこうとしないのは、ある意味仕方ない。別に前みたいに罵声を浴びせかけられてるわけでもないし。積極的に仲良くなりたくない相手なんて、誰だって一人や二人いるでしょ? アタシはたまたま全員からそう見られてるっていうだけの話よ」

「それを排斥というのではなくて?」

「アタシに魔族の血が流れているのは事実。魔族が人間を害していた過去も事実。それを考えれば、今アタシがこうなのはある意味必然なのよ」


 それはまるで、シモーヌ自身に言い聞かせているように聞こえました。


「そ、それはおかしいです、シモーヌちゃん」

「リリィ様……」


 シモーヌの言葉を聞いていたのか、いつの間にか側に来ていたリリィ様が、珍しく相手の説に異を唱えました。


「なにがおかしいのよ、リリィ」

「だ、だってそうでしょう。過ちを犯したのは過去の魔族や魔物であって、シモーヌちゃんではありません。し、シモーヌちゃんを爪弾きにしていい理由などどこにもないはずです」


 リリィ様は懸命に言葉を紡ぎます。

 魔族や魔物と長く戦ってきた彼女だからこそ、その対立によってシモーヌが孤立してしまっている現状に強い嘆きを覚えているのかも知れません


「リリィは優しいわね。ありがと。でも、こういうのって結構どうにもならないのよ。時間が解決してくれるのを待つしかないと思う」

「し、シモーヌちゃんは……それでいいんですか……?」

「良くはないけど、しょうがないとは思うわね」


 そう言うと、シモーヌは無理矢理作ったと分かる笑顔で笑いました。


「……気に入りませんわ」

「え?」

「……アレア?」

「な、何をするんですか、アレアちゃん?」


 わたくしは低い声でぼそりと呟くと教壇に向かい、一つ深呼吸をして皆の方を向きました。

 パンパンと手を叩いて皆の注意を引きます。


「誰か、シモーヌのポスター作成を手伝ってくださいませんこと?」


 皆を睥睨しながら、わたくしはクラスメイトたち一人一人に視線を送りました。

 誰もが、気まずそうに目をそらします。


「誰もいらっしゃいませんの? これから一緒に学園で暮らすクラスメイトが困っているというのに?」

「あ、アレア! アタシなら平気だから!」

「シモーヌは黙ってらして」


 慌てて取り繕おうとするシモーヌにぴしゃりと言ってから、わたくしは改めて口を開きました。


「確かに、シモーヌには魔族の血が流れています。でも、だからなんだっていうんですの? それは友人としての関係を築くのに、それほどの障害になりうる事実でして?」


 どんな出自であろうと、シモーヌはこうして同じ学び舎に通うことになった仲間です。

 それがこんな扱いを受けていることに、わたくしは断固として異を唱えます。


「なら、アレアちゃんが仲良くなればいいじゃん」


 誰かがそんなことを言いました。

 自分たちを巻き込むな、そう言いたいのかも知れません。


「わたくしは既にシモーヌの友人です。でも、それだけでは不十分ですわ。このクラスにシモーヌを腫れ物扱いする空気がある限り、シモーヌはいつまでたっても疎外感から解放されませんもの」


 事は個人と個人の問題に矮小化していい問題ではないとわたくしは思います。


「でもさー、みんな仲良く、なんて綺麗ごと過ぎない? もうちょっと現実見ようよ」

「それですわ」


 わたくしはクレアお母様の言葉を思い出していました。


「それをわたくしのお母様、クレア=フランソワはかつて、理想から現実に逃げ込んでいる、と表現しました。確かに世の中には理不尽なことが多く、時には妥協を迫られることだってあるでしょう。ですが――」


 ですが、今は違うはずです。


「今、このクラスで、シモーヌと友人関係を築くことは、そんな妥協に甘んじざるをえないような難題でして? ただ友人になる――それだけのことが? わたくしたちはそんなに非力で頑迷な子どもでしょうか」


 わたくしたちは確かにまだ子どもです。

 ですが、シモーヌを諦めなければならないほどには子どもではないとわたくしは信じています。


「でも、シモーヌだって問題あるよ。自分から壁作ってるし」

「それは……うん、ごめん」


 クラスメイトの一人が何気なく漏らした一言に、シモーヌは素直に謝罪を口にしました。

 しばらくそのまま俯いていましたが、キッと顔上げると、何かを決意したかのような顔でわたくしの横に並びました。


「アタシが間違ってた。そもそもこれ、アレアに代弁させるようなことじゃなかったわ。これはアタシの問題。あたし自身が解決すべきことだわ」


 そう言うと、シモーヌは深々と頭を下げた。


「皆が戸惑ってるのは分かってた。当然だよね。アタシ、半分魔族だもん。でもアタシ、それで勝手に諦めて、皆を悪者扱いしてたかも。ホントごめん。この通り」

「……ちょっと、そんなこと……!」

「頭を上げなよ、シモーヌ」

「ううん、ホントごめん!」


 シモーヌはそのままの体勢で続けました。


「アタシの方から皆を遠ざけるのは、今限りで止めにする。半ば諦めちゃってたけど、せっかくこうして同じクラスになったんだし、できれば皆と友だちになりたい。全員じゃなくていいからさ、なってやってもいいかなって子は、アタシと友だちになって欲しい!」


 その場の勢い、というのもあるのでしょう。

 シモーヌは立て板に水とばかりにまくし立てたあと、顔を上げると最後にこう言った。


「改めて、自己紹介。アタシはシモーヌ=オルソー。今は文化祭のポスター作ってる。手伝ってくれる人、いるかな?」


 シモーヌの今度の笑顔は、無理矢理っぽさもありましたが、決して嘘ではないとわたくしは思いました。


「……私、ユリア。色を塗るのは苦手だけど、下描きとかなら手伝えると思う」


 おずおずと手を上げてくれたのは、入学式の日に大蛇に襲われていたユリアでした。


「なんだよなんだよ! この辛気くさい空気は! 文化祭だよ!? 盛り上がっていこうよ! あ、わたしドロレスね!」

「なーんかこだわってたの馬鹿らしくなった。あたしも手伝うかー。どこから塗る?」

「あ、えっと、ここから……」

「うわー、甘ずっぺー。青春じゃん、ウチら」


 一人、また一人と、シモーヌを受け入れてくれる子が現れました。

 もちろん、全員ではありません。

 ですが、教室の風通しは格段によくなっていました。


「……わたくしが言い出すまでもありませんでしたわね」


 シモーヌなら、遅かれ早かれなんとかしたでしょう。

 わたくしのしたことは、大きなお世話だったかもしれません。


「……それは違う」

「あら、メイ」

「……アレアはちゃんときっかけを作った。あれがなかったら、そのままずるずる三年間ってこともあり得た。誇ったらいい」

「……ふふ、ありがとうございますわ」


 メイからの素直な賞賛に、わたくしは少し照れくさくなりました。


「おーい、言い出しっぺ。お前も手伝えよ!」

「ええ、今行きますわ!」


 返事をしながら、わたくしは確信します。

 このクラスはきっと、とても素敵なクラスになる、と。



12.採寸


「はい、次の人来てー。……ほら、さっさと来る。恥ずかしいのは分かるけど、こっちも仕事なんだから!」


 放課後の教室。

 わたくしたちが何をしているかというと、文化祭で着るウェイトレス服の採寸です。

 教室の片隅に衝立とカーテンで採寸場所が作られており、クラスメイトたちはそこで採寸を受けています。


「はい、次。お、アレア=フランソワかあ。こりゃあ運がいい。採寸しがいがあるってもんだね」

「よろしくお願いしますわ」

「あいあい。上着とスカートを脱いでそっちのカゴに入れて。そしたらここで両手を上げて立ってね」

「かしこまりましたわ」


 テキパキと指示を送るのは被服部の部長さんです。

 わたくしたちのクラスはウェイトレスの制服を、彼女たち被服部にお願いすることにしたのでした。

 辺りを見回すと、クラスメイトの何人かが部長さんと同じように採寸をする側に回っていました。

 彼女たちも被服部なのです。

 被服部への衣装依頼について、話を通してくれたのも彼女たちです。

 持つべきものは友だちですわね。

 忙しさからか仕事への情熱からか、はたまた採寸対象への興味からか、とにかく目がぎらついているのは少し怖いですが。


「へぇ、さっすが剣神って呼ばれるだけのことはあるね。肉付きに無駄がない。美しい身体だ」


 上着とスカートを脱いだわたくしを見て、部長さんが口笛を吹きました。


「お褒めの言葉、恐縮ですわ」

「しかし、少しの恥じらいもないのはちょっといただけない。仮にもレディでしょ、キミ」

「見られて恥ずかしいような身体はしておりませんもの」

「それ、意中の人の前でも言えるのかい?」

「言えますけれど?」

「……そうかい」


 はあ、と何やら肩を落とした部長さんに、わたくしは大きなクエスチョンマークを浮かべることしか出来ませんでした。


「まあいいや、ちゃっちゃと計っちゃおう。ほい、こっち来て」

「ええ」


 わたくしは部長さんの前まで行くと、両手を肩の高さまで上げて、足を揃えて立ちました。


「ホント、惚れ惚れするくらい均整の取れた体つきだね。すらっとした身長、理想的な曲線を描くライン、スリーサイズもメリハリがあって大変よろしい」

「ありがとうございますわ」

「ねえ、収穫祭の時にウチの部がやるファッションショー、モデルで出るつもりはない?」

「それはご辞退申し上げたいですわ」

「どうして?」

「人に見られて恥ずかしい身体をしているとは思いませんけれど、別に進んで見られたいとも思いませんので」

「もったいない」


 などという会話をしている間にも、部長さんは手早く採寸をしていきます。


「事前の自己申告の数値と比べると、身長とヒップが増えてるね。バストは変わらず。ウェストはむしろ減ってるかな」

「そうですの。ちょっと残念ですわ」

「なにが?」

「個人的にはもう少しお胸が欲しいと思っておりましたので」


 別に豊かであればあるほどいいとは思いませんけれど、同世代の子たちに比べて、わたくしのお胸はやや小ぶりであると言わざるを得ません。


「そーお? 今くらいがベストだと思うよ? あんまり大きいと肩こったり、合う下着がなかったりで良いことないって」

「……」


 そういう部長さんのお胸は非常に豊かなのでした。

 こういうのを隣の芝生は青いと言うのでしょうか。

 ちなみに部長さんはショートカットで背の高い、カッコイイ系女子です。


「はい、これでおしまい。次の子呼んできて」

「かしこまりました。ありがとうございましたわ」

「あいあい」


 わたくしは手早く着替えを済ませると、ひらひらと手を振る部長さんに見送られて、採寸場所を後にしたのでした。


「ねえねえ、どうだった?」

「私、少し太ったかも」

「私も~」

「あんたらどっちも大して太ってないでしょ」


 教室では採寸を終えた子たちが互いに身体のサイズについて語り合っていました。

 学園に通うような才女であっても、やはり年頃の女性です。

 こういうことに関心がないわけがありません。


「あ。アレアも終わったんだ?」

「お、お疲れ様です」

「ええ。シモーヌもリリィ様も終わりまして?」

「うん」

「は、はい」


 席に戻ると、そこにはシモーヌとリリィ様がいました。

 わたくしの席はなぜかルームメイト四人のたまり場のようになっているのでした。


「メイは採寸中みたい。あんまり計りがいはなさそうね」

「し、シモーヌちゃん、そういう言い方は……」

「えー? だって、あのスタイルよ? スー、ストンじゃないの」


 シモーヌが手振りと効果音をつけて、虚空にシンプルなシルエットを描きました。

 確かにメイはスタイルがいいとは言えません。

 凹凸があまりなく、本人も少し気にしている節があるので、あまり言わないで欲しいとわたくしは思いました。

 話の矛先を変えることにします。


「シモーヌは素敵な体つきをしていますわよね」

「それをアレアがいうの? アンタなんてそれこそファッションモデル並みじゃないのよ」

「ありがとう。嬉しいですわ」

「……謙遜すらしないのね」

「? 褒められているのですわよね?」

「そうだけども!」


 はて、シモーヌは何を憤慨しているのでしょう。


「しくしくしく……。み、皆さんはいいですよねえ……。そ、育ち盛りで……」


 わたくしが首をかしげていると、リリィ様がめそめそしながらそう言いました。


「リリィ様?」

「り、リリィなんてこんなちんちくりんで、体型もずんどうですし……」


 リリィ様はシモーヌとわたくしをまじまじと見てから自分の身体に目を落とすと、大きな大きなため息を吐きました。


「どうしてよ。リリィは可愛いじゃないのよ」

「そうですわ。リリィ様は今が一番お可愛らしいですわ」


 シモーヌもわたくしと同じ意見のようです。


「り、リリィはもっと背が高くなりたかったですし、スタイルにもメリハリが欲しかったです!」


 さめざめと泣くリリィ様ですが、わたくしは首を捻るほかありませんでした。

 確かにリリィ様はかなり身長が低いですし、スタイルも直線的というか、メイと同じくあまり凹凸のハッキリしたタイプではありません。

 ですが、まだまだ若々しい珠のお肌や、色艶を失わない見事な銀糸の髪、そして年齢不詳のそのルックスは望んでもそうそう手に入らないものに違いないのです。


「レイお母様が言ってましたわよ。リリィ様はいつまでも若々しくていいなあって」

「れ、レイさんは素敵なお年の重ね方をなさっていますよね。く、クレア様もそうですけれど……」


 まあ、それは間違いありません。

 レイお母様もクレアお母様も、年齢相応ではあるものの間違いなく美人と言って差し支えない女性たちなのですから。

 わたくしもああいう年齢の重ね方をしたいと切に思います。


「あ、お帰り、メイ。どうだった?」

「……何も変わらなかった」

「いいじゃありませんの。別に太ったわけでもなし」

「……お胸とかお尻周りとか、もっとお肉ついてもいいのに」

「わ、分かります!」


 不機嫌そうに言うメイを見ながら、リリィ様が激しく頷きました。

 リリィ様も他人事ではないということでしょうか。


「あんたらはいいわよね、間違いなく美人だもの」


 シモーヌがちょっと不満そうな表情で続けます。


「アレアはモデル系美人、メイはとリリィはロリ系美人――パンピーはアタシだけだわ」

「……嬉しくない」

「ろ、ロリ……」


 あんまりにもあんまりな言われように、リリィ様が涙目になっています。


「シモーヌだって可愛いですわよ。目の覚めるような美人だとはわたくしも思いませんけれど、不思議と親しみを感じる愛らしさがありますわ」

「……シモーヌは友だち系美人。新ジャンル」

「あ、なんとなく分かります。一緒にいるとホッとする系の容姿ですよね」

「な、なによ……やめなさいよ、照れるじゃないの」


 わたくしたちが寄ってたかってシモーヌのことを褒めると、彼女は居心地悪そうな顔をしました。


「とにかく、シモーヌはコンプレックスを感じるようなこと何一つありませんわよ?」

「うー……なんか上手いこと言いくるめられたような気がする」

「……そんなことはない。隣の芝生は青いという話」

「じ、自分にないものほど、憧れたい羨ましくなったりしますよねぇ」


 年頃の女性ということで、やはり容姿のことはどうしても気になってしまうもの。

 その日はあーでもない、こーでもないと言いながら、お互いの容姿について語り合いつつ、わたくしたちはまた一つ親交を深めたのでした。



13.初めての依頼


「……暇ですわね」

「……そうだね」

「あ、あはは……」


 放課後の奉仕活動部の部室。

 わたくしたちは手持ち無沙汰な時間を過ごしていました。

 今日はクラスの仕事がなく、各々の所属する部活のために時間を使うように言われたのですが、奉仕活動部は今のところ仕事がありません。


 わたくしは手持ち無沙汰を紛らわすように、部費で購入したおやつをレレに与えていました。

 レレはヒールスライムではありますが、何も薬草しか食べないわけではありません。

 甘い物も好きなようで、先ほどからビスケットを美味しそうに食べています。


「何かゲームでもしましょうか?」

「イヤよ。ボードゲームやカードゲーム系は、メイが強すぎるわ」


 メイの方を見ると、彼女もまたレアにおやつを与えていました。

 わたくしの視線に気づいたのか、レアはビスケットをかじるのをやめ、メイの陰に隠れてしまいました。

 ホント、臆病な子だこと。


「……シモーヌが分かりやすすぎるんだとおもうけど」

「そ、それにしたってメイちゃんは強いですよねぇ」


 入学からそろそろ一ヶ月がたとうとしています。

 奉仕活動部にはまだ依頼がなく、部活の時間はもっぱら暇つぶしをしているのです。

 ポーカーやブラックジャック等のカードゲーム、チェスやオセロなどのボードゲームは、メイが飛び抜けて強いのでした。

 ちなみに次点で強いのは意外にも――と言ったら失礼かもしれませんがリリィ様で、シモーヌとわたくしはいつも最下位争いをしています。


「大体、アタシは暇じゃないから」

「何してるんですの?」

「ポスター描いてるわ」

「……文化祭の?」

「い、いえ、シモーヌちゃんには部のポスターをお願いしてるんです」


 そういうこと、とシモーヌは一度頷いてから続けました。


「この忙しい文化祭の時期に何も仕事が来ないなんて、宣伝不足なだけでしょ。今朝、学生掲示板の展示許可取ったついでに、簡単なのは張っておいたんだけど、どうせなら凝りたいじゃない」

「「「シモーヌ(ちゃん)えらい!!」」」

「べ、別に普通よ。部員なんだし。それより、仕上がり遅くてごめん、リリィ。急ぐわね」

「「「謙虚!!」」」

「な、なによ……」


 ホント、シモーヌはいい子ですわね。

 とはいえ、


「やはり、ある程度はこちらから困っている人を探しに行く姿勢も必要なのではなくて?」

「……ちょっとそんな気もしてきた」

「そうかもねぇ」

「う、ううう……」


 困難を成長の機会と捉え、主体的に助けを求める姿勢を尊ぶリリィ様の考え方は尊重しますが、このままでは奉仕活動部が暇つぶし部になりかねません。


 ――などと思っていると、部室の扉を叩く控えめなノックの音が響きました。


「は、はい!」

「こんにちは。ここって奉仕活動部の部室であってる?」


 そう言って顔を覗かせたのは、二人の女生徒でした。


 ◆◇◆◇◆


「私はリディ=グラック、こっちはルイーズ=モデルヌ」

「初めまして」

「は、初めまして。ぶ、部長のリリィ=リリウムです」


 簡単に挨拶を交わす三人をわたくしはこっそり観察していました。

 リディは背がすらりと高く、目鼻立ちがはっきりしていて、どこか中性的な雰囲気を身にまとう女性でした。

 ルイーズの方は女性らしさに恵まれた容姿をしていて、どこかの国の貴族や王族であると言われても納得しそうな空気を身にまとっていました。

 応対に当たるリリィ様も美人ではあるのですが、雰囲気が小市民的というか小動物的というかとにかく親しみを感じさせるので、リディたちと一緒にいると少し浮いて見えるのでした。


「私たちは演劇部なんだ。文化祭で劇を上演することになっているんだけど、それに当たって奉仕活動部の力を借りたくて」

「演劇……なるほど、どうりで」


 リディにしてもルイーズにしても、一般人にしては姿勢が良すぎますし体の使い方に迷いがなさ過ぎました。

 わたくしは最初、二人が武術を修めているのかとも思ったのですが、それにしては立ち居振る舞いに含まれる意味が多すぎます。

 演劇者と聞けば納得です。


「え、演劇部でいらっしゃったのですか……。そ、それで、リリィたちはどんなお手伝いをすればいいですか?」

「文化祭本番までもう一週間もないって時に、部員が二人一緒に流行病になってしまってね。端役ではあるんだけど欠員には出来ない役なんだ。そこでその穴埋めをお願いしたい」


 つまり、舞台に立って演技をして欲しいという依頼のようです。


「や、役者としてのヘルプのお願いですか……。お、大道具や小道具のお手伝いならなんとかと思っていましたが、出演となると……」

「無理かい?」

「え、えっと、ちょっと待ってて下さいね。……み、皆さんの中に演劇の経験者はいらっしゃいますか?」


 縋るような視線をリディに向けられ、リリィ様はわたくしたちに困ったような問いを発しました。


「わたくしは経験ありませんわね」

「……メイも」

「アタシもないわ」

「で、ですよね……」


 演劇というのはどちらかというと王族や、かつていた貴族たちの文化です。

 もちろん役者は一般市民がほとんどではあるのでしょうが、観劇の経験ですらまれ、実際に演じた経験がある人はもっと限られているでしょう。


「そこまで難しい役じゃないんだ。一週間みっちり練習すれば素人さんでもそれなりに形になると思う」

「台本もやりやすいように書き換えるわ。どうにかお願いできないかしら?」

「う、うーん……。ちょっと相談させてください」

「……分かった」


 そう言って、リディは奉仕活動部の部室を辞しようとしましたが、途中でふと思い出したように口を開きます。


「ちなみにお願いしたい役の二人は、ちょっといわくつきの恋人同士っていう設定だよ」


 最後にパチンと茶目っ気たっぷりのウィンクを残し、いい返事を期待しているからね、と二人は今度こそ去って行きました。


「え、えーと、それではご相談ですが、今回の依頼を――」

「受けるに決まってますわ」

「そ、即答ですか!?」


 話を切り出そうとしたリリィ様を遮って、わたくしは言いました。

 リリィ様が狼狽したような声を出します。


「こんな面白そうなこと、逃す手はありませんわよ。記念すべき奉仕活動部の依頼第一号にふさわしいですわ」

「そ、そうでしょうか……? 結構、難しそうな依頼ですよ……?」

「……リリィ様、分かってない」

「え?」

「アレアのそれは建前よ、リリィ。本音はもっと下心アリアリだわ。アタシでも分かる」

「えええ!?」


 メイは肩をすくめ、シモーヌも呆れ気味です。

 あら、そんなに分かりやすかったかしら。

 リリィ様だけが一人取り残されているようです。


「ど、どういうことですか?」

「……依頼された役の関係性は?」

「え、えーと、恋人同士でしたね」

「それをアレアが二つ返事で受けたということは?」

「???」

「リリィ様、恋人同士の役ですわよ!」

「あ……あああ、そういうことですか!?」


 わたくしの勢い勇んだ声色に、リリィ様もようやく悟ったようです。


「主役でないのは少し残念ですが、大義名分を得て恋人同士を演じられるのはいいですわね!」

「む、むむむ、無理ですよ! り、リリィに演技なんて!」


 やる気満々のわたくしとは正反対に、リリィ様は二の足を踏んでいるようです。


「大丈夫ですわよ。リディも言っていたじゃありませんの。そこまで難しい役ではないと」

「そ、そういう問題じゃありません! り、リリィはこういうの向いていないんです! 第一、ただ人前に立つだけでも苦手なのに……!」

「こういうのは慣れですわ、リリィ様。いずれ精霊教会に戻ったとき、人前で話せないのは困るでしょう? つまり――」

「つ、つまり……?」

「ショック療法ですわ」

「むーりーでーすー!」


 リリィ様は涙目になってしまいました。


「わたくしと恋人同士をやるのがそんなにイヤなんですの? さすがにちょっと傷つきますわ」

「そ、そうじゃありません! む、向き不向きの問題です!」

「……リリィ様、困難は人を成長させるんじゃなかったの?」

「メイ、やめたげなさいよ」

「ふえええ……」


 メイの冷静な突っ込みに、リリィ様は完全に撃沈してしまいました。


「とまあ、リリィ様をいじるのはこれくらいにしましょうか」

「……そうだね」

「え、ホンキなのかと思った」

「ちょ、ちょっとどういうことですか!?」


 方向転換の意向を示したわたくしに、メイはあっさり頷き、シモーヌは意外そうな顔をし、リリィ様はもう何が何やら分からないといった顔です。


「リリィ様と恋人役をやりたいのは本当ですけれど、無理強いするつもりはありませんわ。お仕事ですし」

「……アレアは意外とそういうところは弁えている」

「七割くらい本音だったでしょ」

「九割ですわ」

「あ、そう……」


 わたくしだって、出来るものならやりたかったですわよ。


「シモーヌはやりたくて?」

「アタシはパス。台本覚えらんないもん」

「リリィ様も辞退……ということは、メイとわたくしの組み合わせが無難かしらね?」

「……メイは構わない。アレアはメイの嫁。ふふふ……」


 こくりと頷いたメイは、心なしか嬉しそうにも見えました。

 はて?


「じゃ、じゃあ、この依頼受けてもいいんですか?」

「ええ、受けましょうよ。ようやく奉仕活動部の本格始動というわけですわね」

「あ、ありがとうございます、アレアちゃん、メイちゃん!」

「ちょっと、アタシだって手伝いはするわよ?」

「もちろん、シモーヌちゃんも!」


 さっき泣いてた鴉がなんとやら。

 リリィ様はたんぽぽのように破顔しました。


「そうと決まれば、早速リディさんたちにお返事してきますね!」

「待ってちょうだい、リリィ様。どうせなら四人で行きましょう」

「……台本やその他に手伝うことも聞きたい」

「そうね、手間が省けるわ」

「そ、そうですね、そうしましょう!」


 こうして、奉仕活動部は最初の依頼――演劇部の欠員補充に挑むことになったのです。



14.演目


 演劇部が上演する演目は、この国に伝わるとある恋物語を題材にした劇でした。


「アモルの詩ですのね」

「アレアは知ってるんだね。まあ、それはそっか。クレア様とレイ様にとっても大切な話だものね」

「ええ」


 バウアーには毎年、晩春から初夏の時期にアモルの祭式というものがあります。

 この祭式の元となっている伝承が、まさにそのアモルの詩なのです。

 アモルの詩はある種の花嫁争いを伴った祭りです。

 神から与えられたと言われる天秤が伝わっており、参加者たちは思い人を賭けて捧げ物を競い合うのです。


 わたくしたちのお母様であるレイお母様も、かつてスースの女王マナリア=スース様とクレアお母様を巡って熾烈な争いを繰り広げたといいます。

 最終的にはレイお母様が勝ちめでたしめでたし――となりそうだったところで、マナリア様の真の目的はクレアお母様ではなくレイお母様だったことが発覚。

 レイお母様を抱き寄せて口づけしようとしたマナリア様に向かって、クレアお母様が初めてレイお母様に対して独占欲を見せた――というのは、関係者の間では非常に有名な話でした。

 ちなみにクレアお母様にこの話題を振ると問答無用でしめられるので、フランソワ家ではこの話題は御法度です。


 閑話休題。


「じゃあ、リディとルイーズが主役の二人をやるんですのね?」

「うん。ルイーズが巫女、私が巫女と結ばれることになる背の低い男の役を演じるよ」


 アモルの詩の伝承はこうです。

 ある背の高い男と背の低い男が一人の巫女に恋をしました。

 男たちはいずれも国の有力者で、互いに自分の方が女を想っていると競い合いました。

 男たちが恋にうつつを抜かしている内に、国の政治は乱れに乱れました。

 男たちが争いをやめるように巫女が神に祈ると、神は一つの天秤を授けこう告げたのです。


 ――天秤に供物を捧げよ。天秤が指し示す者が、お前の夫となる者である。


 神が示した天秤の采配により、背の低い男が巫女の夫となり、恋に破れた背の高い男は優れた王になったといいます。


「背の高い男はどうするんですの?」

「その役は別の部員が演じることになってるよ。背は私より低いから、シークレットブーツを履いて貰うことになるけどね」

「ちゃんと役作りするんですのね。それで、メイとわたくしはどの役を?」

「まずはこの台本を見て欲しい」


 そう言うと、リディはメイとわたくしに一冊ずつ台本を渡してきました。

 きちんと製本された台本で、厚さこそ薄いものの作りはしっかりとしています。

 開いてみると、わたくしたちが担当するとおぼしき役のセリフに傍線が引かれていました。


「アレアたちに演じて欲しいのは前半の見せ場、国が乱れるシーンを象徴する恋人たちだよ」

「ほうほう……って、まさか」

「うん。まさか演じて貰う二人とこんな偶然が重なるとは思ってなかったから、本当に申し訳ないんだけど……でも、そういうこと」

「……」


 背の高い男と背の低い男の争いで国が乱れた際、バウアーでは性秩序が乱れたという話が伝わっている。

 つまり、ここでわたくしたちが演じる役柄は――。


「愛し合うことになってしまった、実の姉妹を演じて欲しい」


 ◆◇◆◇◆


「なんだか妙なことになりましたわね」

「……そうだね」


 演劇部の練習に加わることになって二日目。

 今日もメイとわたくしは放課後、演劇部の部室を訪れて部員に交じってお芝居の練習に励んでいます。

 リリィ様とシモーヌも時々手伝いに来てくれますが、二人はクラスの出し物の準備もあるので、その頻度はあまり高くありません。

 本来わたくしが級長としてやらなければならない仕事のいくつかを、二人で分け合ってこなしてくれているのです。


 参加してみて分かったことですが、学園の演劇部はそれほど大きな部ではないようです。

 大道具や小道具などの裏方を含めても、二十人に満たないくらいでしょうか。

 なるほど、これでは欠員を補充する余裕がないのも頷けるというものです。


「メイは平気でして? その……ちょっと特殊な役柄になってしまいましたけれど」

「……メイは気にしない。アレアは?」

「わたくしも特には。お芝居はお芝居ですもの」

「……そ」


 メイは水差しからコップに水をくむと、それを一息にあおりました。

 あら?

 心なしか機嫌が悪いような。


「ねぇ、メイ。あなた――」

「お疲れ様、アレアちゃん、メイちゃん」

「……お疲れ、ルイーズ」

「お疲れ様ですわ」


 メイに言葉をかけようとしたタイミングで、ルイーズがやって来ました。

 ちょうど出番が終わったところなのか、タオルで汗を拭っています。


「少しは慣れたかしら?」

「ええ、お陰様で。他の部員の方もよくしてくださいますし」

「……みんな、親切」

「そうでしょう? あわや上演中止になるかもというところで来てくれた助っ人ですもの。みんな歓迎してるのよ」


 言いながら、ルイーズは朗らかな笑みを浮かべました。

 これは別に作った顔ではないのでしょうが、役者をしている人は一般人よりも表情が大きいので、非常に魅力的に映ります。


「実際にやってみると、演劇は剣術に通じるものがありますわね」

「まあ、そうなの?」

「ええ。歩き方や重心の移し方、手足の運びなど、剣術でも重んじているポイントがいくつもあって興味深かったですわ」

「そうなのね。私は剣術のことは素人だけれど、アレアちゃんは素人さんとは思えないほど、身のこなしが洗練されているわ。きっとダンスも得意でしょう?」

「ええ、まあ」

「やっぱり! 今回の演目ではダンスのシーンはないけれど、良かったら他の演目の時にもゲスト出演を考えて欲しいくらい」

「か、考えておきますわ」


 思いのほか熱心に勧誘されてしまい、わたくしは少し気後れしてしまいました。


「……メイは苦戦してる。元々、体を動かすのは苦手」

「あら、そうかしら? メイちゃんは身のこなしはまだちょっと固いところがあるけれど、表情の演技は驚くほど上手よ? 普段あまり見せないのが不思議なくらい」


 ルイーズはそう言ってメイのことも褒めちぎりました。

 そうなのです。

 わたくしも今回初めて知ったことですが、メイは演技中になると驚くほど豊かな表情を見せるのでした。

 いつもの仏頂面はどこへやら、ひまわりのように笑い、雨のように泣き、日向のように喜ぶのです。

 普段は見せないメイの意外な一面に、わたくしは何度も目を奪われました。


「あんなに表情を上手に変えられますのに、いつもはどうして無表情ですの?」

「……必要ないから」

「まあ、もったいない」

「……それより、当日までに間に合いそう?」

「それは……リディと私次第ね」


 話題をそらすように問うたメイの言葉に、ルイーズは困ったように苦笑しました。


「二人は完璧じゃありませんのよ」

「……メイもそう思う」

「そう言って貰えるのは嬉しいわ。でも、まだダメ。主役として、リディも私もちゃんと役をつかみ切れていないのよ」


 素朴な感想を述べたメイとわたくしの言葉に対して、ルイーズは思い悩むように眉を寄せました。


「それは一体、どういう――」

「おーい、ルイーズ! そろそろ出番だよ!」

「今、行くわ! ごめんなさい、もう行かなきゃ」

「え、ええ」

「そうそう、忘れてたわ。学園周辺の魔物の出現頻度が上がってるらしいから、練習で遅くなったときはグループで寮に帰ってね」

「……分かった」

「それじゃあ、二人とも。引き続きよろしくね」


 ルイーズはまた舞台に戻っていきました。


「魔物……いやですわね、こんな時期に」

「……文化祭の開催前には、周辺を一斉駆除するとも聞いた」

「最近の魔物は狡猾ですからね……大丈夫かしら」

「……メイにも駆除への参加依頼が来てる」

「え? わたくしには来ておりませんわ」

「……アレアは級長で忙しいし、今回は魔法適性の高い人を中心に選ばれてるって」


 少し判然としませんが、まあ、メイが参加しているのであれば安心です。

 それにしても――。


「ねぇ、メイ」

「……なに?」

「役を掴むって、どういうことかしら?」

「……さあ? 演劇のことはよく分からないから。でも――」

「でも?」


 メイは空になったグラスを机に戻すと、タオルを畳みながら何かを言おうとして、


「……なんでもない。きっと、アレアには分からない」

「なんで決めつけますのよ」

「……だって」


 続くメイの言葉はわたくしの胸に突き刺さりました。


 ――だってアレアは弱さに悩んだことなんてないでしょう?



15.シモーヌ=オルソー曰く


「……っていうことがあったんですのよ」

「ふーん」


 翌日のお昼。

 中庭のベンチに座って、わたくしはメイから言われたことをシモーヌに話しました。

 対するシモーヌは学食のサンドイッチを食べながら、あまり関心がなさそうに頷きます。

 普段なら学食内で取る昼食ですが、今日はやたら混んでいたので中庭に移動してきたのでした。


 リリィ様とメイの姿はありません。

 二人は文化祭前の魔物駆除の打ち合わせに参加していて不在なのです。


「どう思いまして?」

「特には何にも、かしらね。アタシ、難しいことはよく分からないもの」


 そう言うと、シモーヌはもう一つサンドイッチを手に取って、パクリとかみつきました。


「わたくしだってそれはよく分かりませんけれど……なんだか気になるんですのよ」

「どうして?」

「……事が弱さに関するものだから、でしょうか」

「よく分かんないこと言うわね」


 もぐもぐと咀嚼しながら、それでもシモーヌは聞くだけ聞いてくれるようでした。


「わたくし、自分には欠点があると思いますの」

「へえ? 完璧超人に見えるアレアにも、そんなのあるんだ?」

「茶化さないでちょうだい」

「茶化してないわ。単純に意外だっただけ。それで? その欠点っていうのは?」

「……わたくし、人の弱さとか痛みに鈍感だと思いますの」


 自分の欠点を話すのは少し恥ずかしくもありましたが、話を持ち出したのはわたくしの方です。

 わたくしは包み隠さず話すことに決めました。


「たとえばシモーヌはレイお母様に複雑な感情を持っていると言っていたでしょう?」

「言ったわね」

「わたくしからするとそれって、ただの八つ当たりにしか見えないんですのよ」

「ぶっちゃけたわね」

「気に障ったのなら、謝りますわ」

「いや、いいけど」


 シモーヌは三つ目のサンドイッチに手を伸ばしながら続けました。


「アタシはアレアの言ってること、間違ってないと思うわよ? アタシにとってのリアリティがどうあれ、アタシのしてることを客観視したら、確かに八つ当たり以外の何ものでもないもの」

「でしょう?」

「そこで本人にそう言えちゃうのが、ホントアレアよねぇ……」

「あ、ごめんなさい」

「いいけどさ」


 つい、条件反射的に相づちを打ってしまったわたくしに、シモーヌは苦笑しました。


「つまり、そこがアレアにとっての弱さっていうこと?」

「ええ。相手の弱さや痛みのリアリティへの共感が弱くて、それを理屈でぶつ切りにしてしまうような鈍感さというか……」

「なるほどね。でもまあ、それも仕方ないのかも」

「……? どういうことですの?」


 わたくしはシモーヌに説明を求めました。

 シモーヌは口の中のサンドイッチを咀嚼してから、四つ目のサンドイッチに手を伸ばしつつ言いました。


「アレアはさ、生まれついての強者なんだよ」

「そんなことは……」

「だって考えてみてよ。ご両親はあのクレア様とレイ様、姉妹にはクアッドキャスターのメイ、自分自身も剣技の頂点である剣神――こんなに恵まれてることってある?」

「それは……」


 わたくしは血の呪いで苦労したことを言おうと思ったのですが、思いとどまりました。

 それをシモーヌが知らないはずもありません。

 救世の十傑の逸話として、わたくしたちの出自は有名な話だからです。

 

 ちなみに血の呪いというのはメイとわたくしがかつて持っていたある種の特異体質で、わたくしたちの血に触れた対象が魔法石になってしまうというものです。

 これを巡っては色々と紆余曲折あったのですが……まあ、今は置いておきます。


 彼女が言いたいのは、それを差し引いてもということでしょう。


「大体、アレアは何かが出来ないことで悩んだことないでしょ?」

「それはさすがに言い過ぎというものですわ。わたくしにだって出来ないことは沢山ありましてよ? 例えば学問や魔法はメイには敵いませんわ」

「そうね、ちょっと言い方が悪かったわね。でも、アレアはそれでもいいと思ってるでしょう?」

「? どういうことですの?」

「アレアは自分には何もない、自分は何者にもなれない、なんて悩んだことはないんじゃないの?」


 言われてはっとしました。

 確かにわたくしはそんなことは思ったことがありません。


「図星のようね」

「ええ、どうやら」

「学問や魔法は出来なくても、自分には剣術がある――そんな風に思っているんじゃないかしら。恐らくだけど、仮に剣が振れなくなったとしても、アレアは何かしら自分だけの何かを見つけると思うのよね」

「……」


 シモーヌの指摘は鋭いと思いました。

 今のところ、わたくしには剣があります。

 それだけは何者にも――今であればリリィ様にだって負けないと確信しています。

 例えば何か大きな怪我をして剣を手放すことになったとしても、一つの道を究めたという自信は生涯にわたってわたくしを支え続けてくれるでしょう。

 それがあれば、また新しい何かを探すことは決して難しいことではないように思います。


「答えにくかったら流して欲しいのですけれど――」

「なによ?」

「シモーヌにはありますの? 自分には何もない、自分は何者にもなれないのではないか、と思い悩むようなことが」

「これを本気で言ってるんだから怖いわよねえ……」

「というと?」


 シモーヌは次のサンドイッチを口に運び、しばらくもぐもぐした後で続けました。


「それってね、悩まない人の方が少ないわよ? アタシたちくらいの年齢の子は、みんなそういう弱さを抱えているものなの」

「……」


 シモーヌの言葉はわたくしを強く打ちのめしました。


「そういう意味では、確かにアレアのそれは欠点かもしれないわね」

「そのようですわ」

「でも、アタシは案外、それって長所でもあると思うのよね」

「どういうことですの?」


 フラーテル商会が最近売り出したパック詰めの牛乳を飲みつつ、シモーヌは笑います。


「その鈍感さがよ。例えばだけど、アレアの言う弱さに一番敏感なのって、ルームメイトの中だと多分リリィでしょう?」

「そう思いますわ」

「でも、リリィだとどこまでもどこまでも寄り添ってしまうと思うのよね」

「いいことじゃないですのよ」


 わたくしはシモーヌの発言意図を計りかねました。


「そうとも限らないわ。悩み事って、時には相手の立場とは関係なく、ばっさりやることも大切だと思うのよ」

「ばっさり……」

「そう。そういう意味では、アレアはそれが出来るでしょう? 相手の立場になりすぎることなく、かといって悪意によるものでもなく、相手のために大鉈を振るえるじゃない」


 それは……果たして長所なのでしょうか。


「難しいですわ」

「そうね、簡単じゃないわね。でも、いいじゃない。悩めるだけ幸せなことよ。アタシみたいな一般ピープルには、始めから選択の余地なんてないし」

「つまり?」

「弱さとはとか強さとはとか悩む以前に、目の前の問題を片付けるので精一杯ってこと。クラスの喫茶店でウェイトレス? アタシに接客なんて無理よ!」

「……ふふふ」


 最後に大げさに嘆いて見せたのは、恐らく彼女一流の優しさでしょう。

 シモーヌはわたくしを元気づけようと、おどけて見せてくれたのです。

 こういうところは、本人に言ったら嫌がられそうですけれど、シモーヌはレイお母様に似ているところがあると思いました。


「相談に乗ってくださってありがとう、シモーヌ。わたくしもひとまず悩みすぎることは止めにして、演劇部の助っ人に集中することにしますわ」

「それがいいと思うわ。でも、アレア。クラスの出し物のことも忘れないでよ? アタシたちもフォローはするけど、級長は飽くまでアナタなんだから」

「ええ、もちろん」


 メイの発言で動揺してしまっていた気持ちは、ある程度落ち着きました。

 分からないことは分からないままですが、今はそれでもいいとしましょう。

 ひとまず、わたくしに出来ることを精一杯やる、それしかありませんものね。


「シモーヌは素敵な女性ですわね」


 心からの言葉をシモーヌに贈ると同時、わたくしのお腹がぐうと鳴りました。

 そういえば悩み事のせいで食欲がなくて、お昼はジュースしか飲んでいなかったのでした。


「そんな褒めても何にも出ないわよ。全く……ほら、これ食べなさい」

「サンドイッチが出ましたわ!?」


 シモーヌから受け取ったサンドイッチは、レイお母様が作るそれと同じくらい美味しく感じたのでした。



16.演じるということ


「相談があるんだ」


 そう言って、リディたちが寮のわたくしたちの部屋を訪れたのは、もう就寝まであと少しという時間帯のことでした。

 わたくしたちは入浴や着替えも済ませ、就寝前の談笑に興じていたところに、リディがルイーズを連れだってやって来たのです。


「ごきげんよう、お二人とも。中へどうぞ」

「ありがとう」

「お邪魔しますね」

「い、今、お茶をいれますね!」


 部屋に招き入れると、リディたちは少し緊張した面持ちで勧められたクッションの上に座りました。

 リリィ様が手ずから紅茶を人数分いれてくれるようです。


「それで、相談というのは?」

「……劇の役作りのことなんだ」

「少し、行き詰まってしまって」


 わたくしが促すと、リディたちはおずおずといった調子で口を開きました。


「今度の劇で、私とルイーズが恋人役をやることは、シモーヌたちももう知っているよね?」

「ええ」

「だ、台本、拝見しました。す、すっごく素敵なお芝居になりそうだと思いました」

「ありがとう。台本を書いた子が聞いたら喜ぶよ。でも現状、その素晴らしい台本にルイーズと私が応えきれていないんだ」


 そう言って、リディは重いため息をつきました。

 そんなリディをルイーズも気遣わしげに見つめています。


「アレア、メイ。君たちの目から見て、ボクらの演技はどう見える?」

「どうって……素晴らしいと思いますわよ?」

「……素人目には完璧に見える」


 思ったことを素直に答えると、リディは苦笑して言い直しました。


「もう少し具体的に聞こうか。二人から見た背の低い男――オーギュストはどんな男性だい?」


 問いの解像度が上がった、とわたくしは思いました。


「そうですわね……。良くも悪くも迷いがないように思いますわ」

「……うん。よく言えば行動の人。悪く言えば直情的」


 わたくしたちの感想に、リディたちは辛そうに眉を寄せました。

 おや?


「私の巫女――アンリエットはどうかしら?」

「信仰に厚い素直な女性だと感じましたわね」

「……恋愛よりも信仰に重きを置いているように見える」


 今度の感想にも、リディたちは辛そうな表情をします。

 これは……?


「やっぱりそうか……」

「そうみたいね……」

「どうしましたの? 何か問題が?」

「大ありだよ。だって今のボクらの芝居は、演目の主題を全く反映出来ていないってことなんだから」

「えっ……?」


 リディの苦渋に満ちた言葉に、リリィ様が驚いたように声を上げました。


「ねぇ、素人にも分かるように言ってよ。アタシにはよく分からないわ」

「あ、ごめん。順序立てて説明するね。今回の劇『アモルの天秤』のテーマは迷いなんだよ」

「迷い?」

「そう。巫女を巡る男性たちの恋の迷走、信仰と恋愛に揺れる巫女の迷い――その二つが主題なんだ」


 でも、今の私たちの芝居は、良くも悪くも迷いが足りない、とリディは言います。


「私が演じるオーギュストは、自分の容姿にコンプレックスを抱えている。巫女を求める自分の気持ちに嘘偽りはないけれど、自分が巫女にふさわしい人間かどうかに自信が持てない役なんだ」


 言われてみると、そういう役である割には、リディが演じる背の低い男は自信に満ちあふれているように思いました。


「私が演じるアンリエットも、本来であればもっと信仰と恋心に揺れていなければならないの。でも、私は両親が熱心な精霊教徒だったから、どうしても信仰の方に傾いてしまうのよね」


 役としては、もっと恋情にも揺れなければいけない、ということのようでした。


「それで、もし何かアドバイスがあったら聞けないかと思って来たんだよ」

「でも、わたくしたちはお芝居に関してはずぶの素人ですわよ?」

「……他の劇団員に聞いた方がいい」

「それはもう聞いたんだよ。確かに彼女たちは演劇畑の人間だから、実践的なアドバイスをくれたさ。でも……」

「私たちが今必要としているのはもっと根本的な……そう、心の持ち方の問題なのよ」


 心の持ち方――その言葉は、何かわたくしの琴線に触れるものがあるのでした。


「心の持ち方ねぇ……。難しいわ」

「……メイにも」

「本番はもう三日後だわ。こう言っては失礼でしょうけれど、藁にも縋る思いなのよ。本当に些細なことでもいいの。何かないかしら?」

「私からもお願いするよ、この通り」


 そう言うと、二人は一度立ち上がって、わたくしたちに深々と頭を下げたのでした。


「頭をお上げになって」

「……メイたちは仲間、そうでしょ?」

「アタシが力になれるかどうかは分からないけど、やれるだけのことはしてみるわ」

「り、リリィもです……!」


 わたくしたちが口々にそう言うと、リディとルイーズはホッとしたように笑いました。


「とは言え、難しいですわね」

「要は役に迷いがあればいいんでしょ? もっと自信なさそうに演技するとかかしら?」

「……迷いを見せるのと、演技に迷いがあるのは別」

「そ、そうですね……」


 ああでもない、こうでもないと話し合いながら、わたくしはまた同じ問題に直面していると感じていました。


(この問題……きっとわたくしには解決出来ない)


 迷いもある種の弱さの一つである、とわたくしは思います。

 シモーヌとも話したとおり、わたくしにはそれが真の意味では理解出来ないのです。


(迷いなど……振り切ってしまえばよくなくて? そもそも、それを演劇の主題にするのが既に意味不明ですわ)


 迷いとは……弱さとは克服するべき欠点ではないのでしょうか。

 それを演劇の主題に据え、あまつさえそれを見に来る人が大勢いるという事実を、わたくしはどう受け止めたらいいのでしょう。


「そ、素朴な質問をいいですか、お二人とも」


 わたくしが逡巡していると、リリィ様が手を上げてリディたちの視線を集めました。


「うん、何でも聞いて」

「あ、ありがとうございます。役を抜きにして、お二人は何かに迷ったことはありますか? よ、容姿や信仰とは別の事柄でもいいので」

「うーん……」

「どうかしら……」


 リリィ様の言葉に、二人はしばらく考え込みました。


「ああ、そういえば、現在進行形で迷ってることがあるね」

「あ……確かにそうね」

「そ、それは……?」


 リリィ様が水を向けると、リディとルイーズは顔を見合わせて苦笑します。


「お芝居そのものだね」

「ええ、これはいくら経験を重ねても、迷ってばかりね」


 わたくしは不思議に思いました。

 二人がそのことを恥じているようではなく、むしろ楽しんですらいるように見えたからです。

 弱さを正すべき欠点としか思えないわたくしには、その感情の動きは理解出来ないものでした。


「な、なるほど。それなら、その迷う心の動きや持ちようを、お芝居に活かすことは出来ませんか?」


 おずおずと言ったリリィ様の言葉に、ディリアたちは一瞬虚を突かれたような顔をしてから、俯いて深く考え込みました。

 しばらく沈黙していた二人ですが、やがて顔を上げると、


「……分からない。分からないけど……」

「ええ、試す価値はあるように思います」


 考えた末にそう言って、リディもルイーズはずっと昔になくした忘れ物を、ようやく見つけたといったような顔で笑ったのです。


「ありがとう、リリィ様。なんだか、行けそうな気がする」

「ええ、一つ壁を乗り越えた感じがします」

「やるわね、リリィ」

「……お手柄」

「お、お役に立てたなら良かったです」


 わたくしが何一つ力になれない内に、事は終わろうとしています。

 そんなわたくしの当惑に気がついたのか、リディはわたくしの手を取ると、


「アレアもありがとう。相談に乗ってくれて」


 そう言って明るく笑いかけてきました。

 その顔からは先ほどまでかかっていた陰が消えています。


「いえ、わたくしは何も……」

「そんなことはないですよ。話を聞いてくれただけでも助かりました。ありがとう」


 ルイーズまでそんなことを言います。

 わたくしはなんだか悪いことでもしたような、据わりが悪い気持ちになりました。


「明日からの稽古は、晴れ晴れとした気持ちで臨めそうだよ。アレアもメイも、最後までよろしくね」

「それじゃあ、私たちはこれで」


 おやすみなさい、と言い残して、リディとルイーズは去って行きました。


「あ、もう結構遅い時間ですね。皆さん、そろそろ休みましょう」

「洗い物は……明日の朝でいいわね」

「……眠い」


 歯磨きだけをやり直し、部屋の明かりを落とすと、わたくしたちはベッドに入りました。

 程なく、小さな寝息が三つ聞こえてきます。

 でも、わたくしはちっとも寝付かれませんでした。


 ◆◇◆◇◆


「やっぱり、ここにいたんですね」


 学園の中庭で木剣の素振りをしていたわたくしに、ふとかけられる声がありました。


「……リリィ様」

「お手洗いに起きたら、姿が見えなかったものですから」


 ここだと思いました、とリリィ様は水の入った水筒を手渡してくれました。

 彼女の魔法で冷やしてくれたのでしょう。

 水はひんやりとしていて、飲み干すと身体の内側から熱を冷ましてくれるようでした。


「眠れなかったんですか?」

「ええ、少し」

「何か悩み事でも?」

「……別に」


 そう言うと、わたくしは水筒をリリィ様に返して、また木剣を振り始めました。


「劇のことですか?」

「……そうだとも、違うとも、言えますわ、ね!」


 わたくしは頭にまとわりついてくる雑念を払うように木剣を繰り返しふりましたが、それらは一向に消えてはくれません。


「アレアちゃんは、そのままでいいとリリィも思いますよ」


 その一言は、わたくしの手を止めるのに充分でした。


「……シモーヌですわね?」

「彼女を責めないでやってください。シモーヌちゃんも心配なんですよ」

「まったく……」


 恐らく、先日のお悩み相談のことを、シモーヌがリリィ様に話したのでしょう。

 お節介焼きというべきなのか、いい友人を持ったというべきなのか。


「もしもこの劇のテーマが迷いであるなら、わたくしはこの劇にふさわしくありませんわ」

「そうでしょうか? リリィはそうは思いません」

「なぜですの?」

「今のアレアちゃんのその苦悩だって、迷いであるとは言えませんか?」


 それはわたくしには持ち得なかった視点でした。

 弱さを他人と同じように捉えることができず、その欠点をどう克服したらいいか分からない――確かに今のわたくしの状況も、一つの迷いではあるかもしれません。


「でも、わたくしはこれを克服すべき欠点としか思えませんのよ」

「それならそれでいいのではないでしょうか。恐らくですが、実際に克服するまで、とても時間のかかる悩みだと思いますし」


 その間は、存分に迷ったらいいですよ、とリリィ様はいいます。


「……わたくしに、出来るでしょうか」


 芝居をこなすことだけでなく、弱さを理解することをも指して、わたくしは問いました。


「試してみますか?」


 そう言うと、リリィ様は水筒を地面に置いて、わたくしから少し離れた場所まで行って振り返りました。


「愛しい人、でもお姉様とは結ばれてはいけないの」


 そのセリフはメイが演じるはずの妹役――ソフィアのものでした。


「リリィ様、台本を?」

「ええ。記憶力にはちょっとだけ自信があるんです。さあ、アレアちゃん、続きをどうぞ?」


 深夜だからでしょうか、リリィ様は普段よりも茶目っ気たっぷりに続きを促してきました。

 わたくしは最初ためらいましたが、いい機会だからと心を決めて、自分の役――ジョゼフィーヌのセリフを言います。


「どうして? 私とあなたは恋人よりも深い絆で結ばれているのに」

「深すぎるのよ。この深淵は、きっとお姉様を地獄に落としてしまう」

「それでもいい! あなたとならどこまでだって落ちていける!」


 だんだんと、興が乗ってきました。

 わたくしは知らないうちに、芝居に没頭していました。

 リリィ様とわたくしは、そのまま明け方まで練習を続けました。


 あまりにも楽しい時間でした。

 思い人と恋人関係を演じるのですから、楽しくないわけがありません。


 でも、だから、わたくしは気がつかなかったのです。


 わたくしたちを見つめる一対の視線が、ずっとその様子を見守っていたことに。



17.トラブル


 いよいよ文化祭当日になりました。

 一時期心配された魔物の姿もなく天候にも恵まれ、今日は絶好の文化祭日和と言えそうです。


 学園の文化祭は盛況で、国内外から多くの訪問者が訪れています。

 転移門が運用されているお陰か、ナー帝国やアパラチアから来たとおぼしき客の姿もぽつぽつと見られます。

 かの技術のことをクレアお母様は「世界を縮める技術」と評していましたが、わたくしも全く同感です。

 レイお母様はなんだか警戒感を露わにしていましたが、便利なものはどんどん使っていけばいいとわたくしは楽観的に考えているのでした。


 さて、盛況なのは文化祭一般に限った話ではありませんでした。

 わたくしたちのクラスにも多くの客が足を運んでくれていました。


「ローストビーフサンドあがったよー!」

「八番テーブルオーダー待ちです!」

「お客様お帰りでーす!」

「ありがとうございました!」


 キッチンもフロアも大忙しで、さして広くもない店内は常に人が忙しく行き来しています。

 忙しいのには訳がありました。


「あっちにはマシュマロ、こっちにはキャンディね。あのテーブルにはドライフルーツ適当に盛って出しておいて」

「おっけー!」


 シモーヌの指示でクラスメイトたちがお菓子を配っています。

 実はこれ、シモーヌたちが作り上げたポスターの効果なのです。

 ポスターを見たという合い言葉を言うと、お菓子を一個サービスするというシモーヌのアイデアなのでした。


 ポスターを一緒に描いたクラスメイトの一人が、シモーヌの肩を気安く叩きました。


「シモーヌのアイデア、大当たりじゃん。さっすが商会の娘!」

「お菓子の内容は明記しない方がいいって言ってくれたのはアンタでしょ。クッキーとかなにか一個に固定にしてたら絶対に在庫なくなってたわ。あんがと」

「いいっていいって」


 一時はクラスメイトたちとギクシャクしていたシモーヌも、今ではほとんど打ち解けたようです。


「シモーヌ、これを五番テーブルへ。帰りに二番テーブルと一番テーブルの食器下げてきてちょうだい」

「分かったわ」

「メイは八番のオーダーをお願い。今入店したお客様もそのままオーダー待ちになるから、可能であればそれも」

「……了解」

「り、リリィは何をしましょう!?」

「リリィ様はキッチンのヘルプをお願いできますかしら? どうも手が足りていないようですの」

「りょ、了解です!」


 わたくしはと言えば、自らもフロアでウェイトレスをしながら、全体を見渡しつつクラスメイトたちに指示を出す司令塔の役割を担っているのでした。

 仕事に集中するのは楽です。

 身体を動かし頭をフル回転させていれば、余計なことは考えずに済むからです。


(などと考える余裕があるのは、まだまだ余計なことを考えている証拠ですわね)


 わたくしは更に作業に集中すべく、一度ぴしゃりと頬を叩くと、口角を両方の人差し指でくいっと上げてからフロアに戻りました。


「いらっしゃいませ、お客様!」


 ◆◇◆◇◆


「アレア、メイ~。こっちはあとやっとくから、演劇部のヘルプ行ってきなよ~。そろそろでしょ~?」

「あ、そうですわね。ありがとうございますわ」

「……ありがと」


 クラスメイトの一人が声をかけてくれて、わたくしは思っていたよりも時間が差し迫っていることに気がつきました。

 メイと一緒にスタッフルームに引っ込むと、手早く着替えを済ませます。


「それじゃあ、リリィ様、シモーヌ、行ってきますわ」

「……行ってくる」

「が、頑張ってください……!」

「アタシたちも後で駆けつけるからね!」


 二人に見送られ、教室を後にします。

 準備の時間も加味すると開演までそれほど余裕がなく、メイもわたくしも小走りで劇場に急ぎました。

 劇場は屋内体育場として普段使われている建物を利用したものです。


「……?」

「どうしましたの、メイ? 急がないと遅刻しますわよ?」


 劇場までもう少しというところで、メイがふと足を止めました。


「……ちょっとお手洗い。すぐ追いつくから」

「分かりましたわ」


 わたくしはメイとそこで別れると、一足先に劇場に向かいました。


「アレアおそーい!」

「ごめんあそばせ、ちょっとクラスの出し物が長引いてしまって」

「言い訳はあとあと! ほら、さっさと着替えて!」

「ええ」


 演劇部の面々とももうかなり打ち解けました。

 ともに一つのお芝居を作り上げる仲間です。

 わたくしはまた一つ、かけがえのないえにしを得たことを実感しました。


「あれ、メイは?」

「お手洗いに寄っていますわ。すぐに駆けつけます」

「そ、ならいいや」


 その時、パンパンと手を叩く音が響きました。


「みんな、ちょっとの間だけ手を止めて聞いて」


 皆の注意を引いたのは、リディでした。


「今日に至るまでの準備、お疲れ様。私たちは出来る限りのことをしてきたと思う。私たちは最高のチームだ。まずそのことにお礼を言わせて欲しい」

「くさいぞー、リディ」

「こんな時まで芝居がかってんなー」


 部員たちが口々に冷やかしますが、それは親愛の裏返しです。

 部の先頭に立って皆を引っ張っていくリディを、誰もが信頼しています。


「部としても……そして個人的にも、この劇はどうしても成功させたい。後はやり遂げるだけ――そうだろう?」


 そう言うと、リディはルイーズに熱のこもった視線を向けました。

 ルイーズはそれを受けて深くなずいて見せましたが、わたくしは見つめ合う二人の視線に何やら別の色を見た気がしました。

 それは単に劇の成功を願う以上の何か。

 具体的にそれがなんなのかまでは分かりませんでしたが、わたくしはなんとなくそれを記憶の隅に置いておくことにしました。


「急遽代役を引き受けてくれたアレアと……まだ来てないようだが、メイにもお礼を言わせて欲しい。本当にありがとう」


 リディはわたくしたち奉仕活動部にもお礼を言ってくれました。

 しかし――。


「そのお礼は受け取れませんわ」

「?」


 わたくしの言葉に、リディが少し驚いたように言葉を止めました。

 わたくしは不敵に笑うと、


「全ては劇が成功してから、そうでしょう、部長?」

「そうだぞー」

「リディは気が早いんだから」

「……ふふ、そうだね。確かにそうだ」


 苦笑して、リディは続けます。


「じゃあ、それは後のお楽しみってことにしよう。みんな、後は全力を尽くすだけだ。悔いのない上演にしよう!」

「ええ!」

「おおー!」

「やるぞー!」


 士気は充分。

 緊張しすぎている部員もいないようですし、これなら劇も上手くいきそうです。


「それにしても……メイはいささか遅いですわね?」


 ◆◇◆◇◆


「お、遅れました……!」

「アタシとリリィも駆けつけたわよ……って、どうしたの?」


 やって来たリリィ様とシモーヌは、控え室のただならぬ雰囲気に勘づいたようです。


「メイが来てないんですの」

「え、えええ!?」


 上演まであと五分を切りました。

 そんな今になっても、メイは劇場に姿を現さなかったのです。

 直前でのトラブルに、部長であるリディは血相を変えています。


「一体どうして……」

「分かりませんわ。何かトラブルなら、メイは連絡してくると思うのですけれど……」


 メイは念話が使えます。

 出力も強いので、学園内にいる限りわたくしと連絡を取ることはたやすいはずなのでした。


「部長!」

「! メイはいた!?」

「ダメです! どこにも見当たりません!」

「そんな……」


 リディは呆然と立ち尽くしてしまいました。

 依頼の際に彼女自身が言っていたとおり、メイの役は端役とはいえ劇に欠かせない重要なものです。

 メイの不在はすなわち、劇の上演の成否を直接左右することになるのでした。


(……アレア、ごめん)

「メイ!? 皆様、ちょっとお静かに! メイからの念話ですわ! メイ、チャンネルを拡張して皆にも聞かせてちょうだい」


 わたくしの言葉に、みながシンと静まりかえりました。


「メイ、あなた今、どこに!?」

(……学園の裏門から少し離れたところ。魔物の相手をしてる)

「魔物ですって!?」


 きっと、この時のわたくしの驚きは、悲鳴じみていたと思います。


(……前に、ユリアを襲った蛇型の魔物がいたでしょ? 多分、あれの仲間がまだ地中に潜んでいたんだと思う。同種の魔物が……二十弱)

「そんな……」


 そんな魔物が学園内に侵入したら、文化祭どころではなくなります。


(……魔物はメイがどうにかする。でも、劇には間に合いそうもない)

「わたくしも行きますわ!」

(ダメ!)


 メイは珍しく強い語調でわたくしを押しとどめました。


(……アレアまで来たら、本当に劇が上演できなくなっちゃう)

「そんなのメイだって同じでしょう! あなたの役は替えが効かな――」

(……リリィ様に代役を頼んで)

「!?」


 メイが提案したのは意外なものでした。


「り、リリィがですか!?」

(……リリィ様は台本を全て覚えているはず)

「で、でも、それだけじゃあ演技は……」

(……アレアと練習もしてたでしょう? リリィ様なら大丈夫)


 どうやらメイは、リリィ様とわたくしが二人で役を演じた、あの夜のことを見ていたようです。


「で、でも……」

「私からもお願いするよ、リリィ様」

「リディさん……」

「もう、上演まで何分もない。他に手がないんだ……!」

「う、ううう……」


 リリィ様は強い葛藤状態にあるようです。

 元々引っ込み思案で人見知りしがちな人ですから、わたくしとの時のように人目がない時ならまだしも、劇本番で演技をする自信がないのでしょう。


(……リリィ様、お願い。文化祭はメイが守る。リリィ様はアレアと劇をやり遂げて。どちらも成功させなきゃ、悔やんでも悔やみきれない)

「め、メイちゃん……」


 メイの声には切実な色がにじんでいました。

 それが分からないリリィ様ではないはずです。


「リリィ様、やりましょう」

「あ、アレアちゃんまで……」

「リリィ様がやらなければ、劇そのものが中止になります。ダメで元々でいいじゃないですの。当たって砕けろですわ」


 わたくしはリリィ様の両肩に手を置いて、彼女の瞳を強く見つめました。

 信じていたのです、わたくしは。

 リリィ様は気弱な方ですが、誰かのためにならいくらでも強くなれる人だということを。


 そして、その信頼は盲信ではなかったようです。

 リリィ様の瞳は逡巡に揺れていましたが、やがて決意の光が宿り始めました。


「……わ、分かりました。やらせていただきます……!」

「衣装! 出番までにメイの衣装を仕立て直せ!」

「もうやってる!」

「アレアとリリィ様は出番直前までここで最後の確認を! 他は始めるぞ! 開演だ!」


 リディがてきぱきと指示を与え、部員たちが慌ただしく動き回ります。


「あ、アレアちゃん……」

「大丈夫ですわ。きっとなんとかなります」


 わたくしにも不安はありましたが、それをリリィ様には悟らせないように、わたくしは深く頷きました。


 ――いよいよ、開演です。



18.開演


 演劇部のお芝居は「アモルの天秤」という演目でした。

 バウアー王国に古くから伝わる伝承「アモルの詩」を題材にして、脚本担当の子が書き下ろしたオリジナルのお芝居です。

 巫女であるアンリエットを巡る男性たちの争いと、それによって乱れた国、そして天秤による花嫁争いの部分はアモルの詩の通りですが、より演劇らしく恋物語の要素が強調されています。


 物語は巫女であるアンリエットを巡って、国内の有力な政治家オーギュストとアランが争うところから始まります。


「アンリエットには私の方がふさわしい! 富も地位も容姿も何もかも、私の方が優れているではないか!」


 伝承で背の高い男とされている役――アランを演じる子が、よく通る声を張り上げました。

 対して、リディ演じるオーギュストは葛藤の混じった声で応じます。


「確かにボクはあなたほどには恵まれていないかもしれない……。でも、彼女を真に必要としているのはボクだ!」


 リディはかつて、オーギュストの演技には迷いが必要だと言っていました。

 以前のリディが演じたオーギュストは、この場面でも堂々と背の高い男と渡り合っていましたが、今の彼女の演技にはどこか陰があります。

 わたくしにはそれがいいことなのかどうか判別はつきませんでしたが、確かにオーギュストは何かに迷っているように見えました。


 場面が切り替わり、精霊教の大神殿の場面になります。


「神よ……。わたくしは告白します。わたくしは道を見失っています。このまま巫女であり続けることが許されるのでしょうか。恋などという俗事に身を焦がす、このわたくしに……」


 ルイーズ演じるアンリエットも、以前ほど恋を否定的に見ていないように思えました。

 彼女が以前演じたときは、セリフそのままに恋を低俗なものとして否定しているように見えましたが、今の彼女は信仰と恋の間で揺れ動いているように思えます。


「ああ、神よ。私に」

「ボクに」

「わたくしに」

「「「歩むべき道を示したまえ!!」」」


 序盤の導入が終わりました。


「さあ、わたくしたちの番ですわよ、リリィ様」

「は、はい……!」

「行き詰まったら、わたくしを頼ってくださいな。アドリブでなんとかしますわ」

「お、お願いします」


 最後にリリィ様の目を見ながら強く手を握った後、わたくしたちは舞台の上手と下手に別れました。

 舞台袖で大きく一つ深呼吸すると、わたくしはタイミングをはかってから舞台へと歩みを進めました。


「恋……恋か。あのアラン様とオーギュスト様ですら、恋に惑うあまり政に手がつかないでいる。恋とは、それほどに悩ましい者なのだろう。よく分かる。私も今、恋に焦がれる身なのだから」


 場面は教会。

 始めからやや長めの台詞でしたが、滑舌よくつかえることなく言えたように思います。

 わたくしは芝居にふさわしい大げさな身振り手振りを交えて、続く台詞を重ねていきます。


「お姉様!」


 舞台の下手からリリィ様が現れました。


「ソフィア……待っていたよ」

「どうしましたの、お姉様? 改めてこんなところに呼び出したりして。今日は礼拝の日ではありませんよね?」

「ああ、そうとも。私は礼拝に来たのではない。あなたに……求婚をしに来たんだ!」


 膝を突いてリリィ様の手を取ります。

 リリィ様は驚くそぶりをしてその手を払いのけました。


「冗談はおよしになって、お姉様! 神様の前でなんてことを仰るの!」

「冗談なんかじゃないよ、ソフィア。私は真剣さ」

「ああ……。お姉様がご乱心なさった……!」


 私が演じるジョゼフィーヌは、リリィ様演じるソフィアに恋をしてしまう役です。

 同性愛であり近親愛でもあるジョゼフィーヌの思いは、当時の価値観からすれば紛れもない堕落であり罪となります。

 わたくしたちの演技は、国の乱れを象徴する要素としての役割です。

 もっとも、脚本のストーリーラインは伝承に比べると救いのある形に改変されているのですが。


「乱心でもない。私は心からあなたを愛しているんだ、ソフィア。愛しい人」

「お姉様、もうおよしになって。神様が見ていらっしゃいますわ」

「構うものか! あなたの心が手に入るのなら、私は地獄に落ちても構わない!」

「お姉様、どうしてしまわれたというのです。私の心はもとよりあなたとともにあるというのに」


 悲しそうに顔をうつむけると、リリィ様はそのまま舞台袖へと走り去っていきました。


「待ってくれ、ソフィア!」


 わたくしもその後を追いかけ、舞台からはけます。


「お疲れ、二人とも。いい感じだったよ!」

「次の出番まで少し休んでちょうだいね」


 舞台袖でリディとルイーズが迎えてくれました。

 二人はこの後すぐにまた出番です。


「メイから連絡はありまして?」

「うん。つい先ほど魔物の群れを討伐したって連絡があった。警備の者に報告があるらしくて、こっちに来られるのはもう少し後になりそうだって」

「そうですの……」

「二人のお芝居を観たかったって残念がってたよ」

「め、メイちゃん……」


 メイはあまり内心を顔に出すタイプではありませんが、わたくしは知っています。

 彼女は彼女なりに、誠実に一生懸命にこの舞台に取り組んでいました。

 そうして頑張って来た練習の全てをなげうってでも、メイは学園の安全を守ることを優先したのです。

 リリィ様に役を譲ってまで。


「私たちは私たちに出来ることをしよう。それがメイの献身に一番報いることになるはずだよ」

「……そうですわね」

「め、メイちゃんの分も、頑張ります!」

「その意気よ、二人とも」


 暗くなりかけた空気を、リディが一掃してくれました。

 その通りです。

 舞台を成功に導くこと――それがメイに対する最大の恩返しになるに違いありません。


「さあ、中盤だ。最後まで気を抜かずにいこう」

「ええ」

「は、はい」


 ◆◇◆◇◆


 急遽代役となったリリィ様の頑張りもあり、舞台は滞りなく進みました。

 中盤を終え、物語はいよいよ終盤へと入ります。


「愛しい人、でもお姉様とは結ばれてはいけないの」


 以前、リリィ様と二人だけで練習した部分にさしかかりました。

 わたくしが演じるジョゼフィーヌの思いを、リリィ様が演じるソフィアが拒絶する場面です。


「どうして? 私とあなたは恋人よりも深い絆で結ばれているのに」

「深すぎるのよ。この深淵は、きっとお姉様を地獄に落としてしまう」

「それでもいい! あなたとならどこまでだって落ちていける!」


 わたくしは、奇妙な昂ぶりを感じていました。

 以前、二人で練習していたとき以上の高揚感です。

 それはまるで、わたくしのリリィ様に対する恋心と、役であるジョゼフィーヌのそれが絡み合って共鳴するような、不思議な感覚でした。


「ごめんなさい、お姉様。それでも私は……」

「ソフィア……」


 思いを拒絶され、演技の上のことだと分かっても、胸が張り裂けそうに痛みます。

 どうして……どうしてですの……!


「私は……私はあなたを絶対に諦めない!」


 思いのままに口走ってしまってから、わたくしははっと我に返りました。

 目の前のリリィ様も表情が凍り付いています。


(わ、わたくし、台本にないセリフを……!)


 本来であれば、ここでジョゼフィーヌは自らの恋を諦めるはずなのです。

 台本ではここから、ジョゼフィーヌは恋を親愛に昇華させ、二人は仲睦まじい姉妹に戻るという流れでした。


(それなのに……!)


 始まる前、自分を頼れなどとリリィ様に言っておいて、実際に大ポカをやらかしたのはわたくしの方です。

 予想もしなかった事態に、思考は混乱し、判断も停滞していきます。

 目の前のリリィ様も目に見えて狼狽していました。


 このままでは劇が破綻してしまう――それが聞こえてきたのは、そんな時でした。


(……これは……?)


 どこからか美しい旋律が流れて来ました。

 台本にはなかったものです。

 ですが、わたくしはそれに聞き覚えがあるような気がしました。


(……リリィ様。賛美歌十二番六小節から)

(メイちゃん!? ……分かりました!)


 音楽に合わせて、リリィ様が歌い始めました。

 流れてくる音は楽器のそれというよりは、まるで精霊が奏でているかのような不思議な音色をしていました。

 恐らく、メイが風魔法を使って演奏しているのでしょう。

 そこにリリィ様のどこまでも透明な歌声が重なって、この世のものとは思えぬ天上の調べが紡がれていきます。

 その歌は恋情も執着も、何もかもを洗い流していくようでした。


「お姉様、これが私の答えです。わたしは神様と共にあります。お姉様とは行けません」


 聖女――かつて彼女が呼ばれた二つ名そのものの微笑みを浮かべると、リリィ様は振り返ってゆっくりと退場していきました。

 立ち尽くすわたくしにスポットライトを残し照明が落とされ、やがてスポットらいとも時間差で落とされました。


(……アレアもはけて)

(え、ええ!)


 こうして、わたくしのやらかしはどうにか軌道修正され、劇を続行することができたのです。


 ◆◇◆◇◆


 その後はつつがなく進行し、とうとう劇はフィナーレを迎えました。


「我は今ここに汝を守り通すことを誓う……!」


 アモルの詩の中でも、最も有名な一節をリディがルイーズに捧げ、舞台は幕を下ろしました。

 緞帳が下りると、その向こうから割れんばかりの拍手が送られてきます。


「さあ、みんな。カーテンコールだ。一列に並んで」


 通常のカーテンコールとは違い、そこには大道具や小道具担当の生徒たちも並びました。

 再び緞帳が上げられ、皆で一斉に腰を折ります。

 一際大きな拍手が送られました。


「皆さん、今日は演劇部の芝居をご覧くださってありがとうございました!」


 部長のリディが代表して挨拶を行います。


「多少のトラブルはありましたが、無事、最後まで演目をやり通すことができました。頼もしい部員たち、本当にありがとう!」


 リディの言葉に部員たちが照れくさそうに笑います。

 再び拍手が送られました。


「そして、急きょ助っ人に来てくれた奉仕活動部の四人にも心より感謝を。キミたちがいなければ劇は成り立たなかった。ありがとう!」


 わたくしたち奉仕活動部の四人も、そろって礼をしました。

 またも大きな拍手が送られます。


「最後に……ルイーズ」

「えっ?」


 突然名前を呼ばれ、当惑するルイーズ。

 しかも、示しを合わせたように照明が落とされ、リディとルイーズだけにスポットライトが当てられます。


「劇中の告白はお芝居だったけど、私は本当にキミを愛している。求愛を受け入れてくれるだろうか」

「えっえっえっ……!?」


 どうやら、リディはこの場を借りてルイーズに告白しているようです。

 思いもかけない展開に、観客のボルテージも最高潮を迎えました。


「どうかな?」

「えっと、その……びっくりしたけど……」

「けど?」

「私でよければ……ぜひ」


 ルイーズは最後は消え入りそうに、でも確かな肯定を口にしました。

 今日、最大の拍手が響き渡りました。


「ありがとう。我は今ここに汝を守り通すことを誓うよ」

「もう……バカね」


 おどけるように言ったリディと拗ねたようなルイーズの様子に、観客から笑いが起こります。


「さて、ちょっとしたサプライズもあったけど、これで本当の本当に演劇部の演目は終わり。この後は管弦楽部の演奏なんかも続くから、観客の皆さんはぜひ引き続き楽しんで欲しい。本日は誠にありがとうございました!」


 リディが頭を下げるのと同時、わたくしたちも一斉に腰を折りました。

 大きな拍手が送られるなか緞帳が降ろされ、わたくしたちのお芝居は今度こそ幕を下ろしたのでした。



19.吐露


「お疲れー!」

「お疲れ様ー!」


 日もとっぷりと暮れ、普段であれば寮の門限になる時刻。

 学園の生徒たちは後夜祭に参加していました。


「やー、思ったより楽しかったね」

「私、めっちゃ働いたわ。ウェイトレスってすっごく大変なのね」

「思った思った。料理も大変でさあ。ママのことちょっと尊敬しちゃった」

「それはもっと前から気づくべき」


 文化祭で使った紙や木材をくべて燃やしたキャンプファイヤーを中心に、生徒たちは思い思いの時間を過ごしています。

 その多くは文化祭という非日常を振り返り、惜しんでいるように見えました。

 クラスメイト同士の距離を近づけるという学園側の意図もある程度達せられているようで、生徒たちは文化祭以前と比べると随分打ち解けているようです。


「……ここにいたの」

「メイ……」

「……クラスの打ち上げ良かったの?」

「……ええ」


 喫茶店も無事に終わり、クラスの子たちは教室で残った飲み物やお菓子を食べながら、打ち上げをしているようです。

 わたくしは最初の数分だけ参加しましたが、すぐにおいとましてここにやって来たのです。

 少し一人になりたい気分で、わたくしはキャンプファイヤーから少し離れたところの芝生に一人で座っていたのでした。


 メイは一緒にいた子たちに何事か告げて別れると、隣に腰を下ろします。


「それじゃあね、メイちゃん」

「メイがいてくれて助かった」

「……どういたしまして」


 どうやら彼女たちはメイと一緒に魔物を迎撃した仲間だったようです。

 彼女たちが行ってしまうと、メイとわたくしの間にしばし沈黙が訪れました。

 気心の知れた間柄ではありますが、ここ数年のメイとは少しばかり距離があったので、何を話せばいいのか少し考えてしまいました。

 そうしていると、メイが先んじて口を開きました。


「……悪かった」

「? 何のことですの?」

「……メイが参加できなくて、アレアやリリィ様、演劇部の皆に迷惑をかけた」


 そう言うメイは、どこか落ち込んでいるようです。


「そんなことありませんわ。メイは文化祭そのものを守ってくださったのでしてよ? 感謝こそすれ、誰もメイを責めませんわ」

「……でも、メイのせいで劇はドタバタした。アレアだって……」

「わたくしが気にしているのは、自分のふがいなさですわ。……まさかあんな失敗をするなんて」


 セリフを間違えるなんていう単純ミスを、まさかこのわたくしがするなんて。

 いえ、わたくしはレイお母様の娘でもありますから、うっかりとかやらかしは結構する方ですが、今回のはさすがに堪えました。


「……あんなの、失敗のうちに入らない」

「そうかしら」

「……そうだよ」

「クレアお母様ならこんな失敗しないのではなくて?」

「……クレアママなら、そもそも演劇自体に参加しないよ」

「……それはそうかもしれませんわね」


 メイが励まそうとしてくれるのが分かって、わたくしは少し笑うことができました。


「……それに……気持ち自体は嘘じゃないでしょ?」

「ええ、もちろん。わたくしはリリィ様が好きですわ。今回の失敗は……役に入り込みすぎて、少し制御を失ったというか……」

「……暴走癖はママたちの血だね」

「血は繋がっていないはずですのにね」


 そう言うと、メイとわたくしは顔を見合わせてくすくす笑いました。


 わたくしたちがひとしきり笑っていると、近づいてくる小さな人影に気がつきました。


「あ、アレアちゃん、メイちゃん、お疲れ様です」

「お疲れ様ですわ、リリィ様」

「……お疲れ」


 リリィ様はメイを挟んでわたくしの反対側に座りました。

 普段なら憎まれ口の一つも叩くところですが、今は先ほどやらかした失敗のせいで、あまりそういう気分にはなりませんでした。

 しばらく三人で炎を眺めていると、リリィ様が口を開きました。


「え、演劇に参加してみて、どうでしたか?」

「貴重な経験をさせていただいたと思いますわ。別の人間を演じる、というのはとても新鮮でしたもの」

「……最後の最後にやらかしたけどね」

「メイ!」

「くすくす……。そうですか」


 軽口を叩き合うわたくしとメイを、リリィ様は柔らかい視線で見守っています。


「メイちゃんは大活躍でしたね。魔物の襲撃を防いで、アレアちゃんのピンチも救って……」

「……それを言うならリリィ様だって。代役の代役とは思えない演技だったって評判」

「ええ。噂になってますわよ?」

「あ、あの時は夢中だったんですよぅ……」


 メイの助太刀によって生まれたあの賛美歌のワンシーンはとても好評だったようで、観劇した生徒の一部からその評判がどんどん広まっているのでした。


「いいじゃないですのよ。リリィ様が評価されるのは嬉しいことですわ」

「……恋人として鼻が高い?」

「ええ!」

「め、メイちゃん、変な既成事実を作ろうとしないで下さいね!?」

「……」


 メイがからかって、リリィ様が狼狽しました。

 わたくしはいつものやり取りかと思ったのですが、気のせいかもしれませんが、メイの様子がどこかおかしいです。


「メイ?」

「……喉が渇いた。アレア、飲み物取ってきてくれる?」

「それは構いませんけれど……」

「あ、それならリリィが――」

「……リリィ様はここにいて。ちょっと話がしたい」


 その声色には、有無を言わせない迫力がありました。


「なら、行ってきますわね。果実水でよくって?」

「うん」

「リリィ様は?」

「り、リリィはお構いなく」

「そうですの。じゃあ」


 そう言って、わたくしはその場を離れました。


 飲み物を配っている場所まで来ると、ちょうどシモーヌがいました。


「シモーヌ、お疲れ様でしたわね」

「お疲れ、アレア。劇、上手くいって良かったわね」

「上手くいったと表現するには、いささかばかり後ろめたいものがありますが」

「いいじゃないのよ。終わり良ければ全てよし! そういうものよ」

「そうかもしれませんわね」


 シモーヌは果実水を手渡してくれました。


「メイとリリィは?」

「あっちで話してますわ。なんでも、二人だけで話したいことがあるそうで、わたくし仲間はずれですの」

「ふーん? なら部屋に戻る?」

「いえ、これをメイに届けるよう言われていますの。多分、わたくしをあの場から遠ざける方便でしょうけれど」

「メイって分かりやすいんだか分かりにくいんだか、それこそ分かりにくいわよねえ」


 苦笑して、シモーヌは果実水を一口飲みました。


「あ、美味しい。……じゃなかった。そう言えば、お礼を忘れてたわね」

「お礼?」

「喫茶店の準備作業の時よ」


 皆とのわだかまりを解いてくれたでしょ、とシモーヌは言いました。


「わたくしは何もしてませんわ。あれはシモーヌ、あなた自身が頑張ったからですわ」

「アタシはアタシなりに頑張ったけど、だとしてもきっかけをくれたのはアレアよ。だから、ありがと」


 そう言えば、メイも似たようなことを言っていました。

 案外、この二人には似通ったところがあるのかもしれません。


「シモーヌは律儀ですわね」

「い・い・か・ら! 礼を受け取りなさいってば!」

「かしこまりましたわ。受け取ります。お代はこの果実水でいいですわね」

「なにそれ、やっす」


 シモーヌが明るく笑いました。


「そろそろ戻った方がいいんじゃない? 話があるにしても終わってるでしょ」

「そうしますわ。シモーヌもいらっしゃる?」

「アタシはパス。ウェイトレス超頑張ったら、もう眠くって。先に部屋に戻ってるわ。おやすみ」

「おやすみなさいませ」


 わたくしはシモーヌを見送ると、果実水を片手にメイたちの場所に引き返しました。

 歩いて行くと、二人の姿が見えてきました。


「ただい――」

「……ねぇ、ここまでして上げても、まだアレアとくっつかないの?」

「め、メイちゃん……」


 二人のただならぬ様子と会話の内容に、わたくしは思わず近くの木陰に隠れてしまいました。

 聞き耳を立てるなんてはしたないこと、クレアお母様に知られたら怒られるでしょうけれど、今はやむを得ないと判断しました。


「じゃ、じゃあ、今日の代役の代役は、メイちゃんが仕組んだことだと?」

「……そうだよ」


 思いも寄らないその内容に、わたくしは耳を疑いました。


「……最初からメイの役はリリィ様に譲るつもりだった。魔物の迎撃するって嘘ついてね」


 ホントに魔物が現れたのはびっくりしたけど、とメイは薄く笑いました。

 どうやらあの襲撃はメイにとっても予想外のことだったようですが、彼女は端から自分の役をリリィ様にやらせるつもりだったようです。。


「ど、どうしてそんなことを……!?」

「……アレアとリリィ様をくっつけるために決まってるじゃない」


 予想もしない会話が続きます。

 わたくしは出て行くタイミングを完全に見失いました。


「……劇の恋人役なんて刺激的でしょ? リリィ様にはいいショック療法かなって」

「り、リリィは……」

「……ねぇ、アレアはそんなに魅力ない? あんなに慕われてもまだ足りないの?」

「め、メイちゃん……」


 問い詰めるような強い語調で迫るメイに、リリィ様は困惑しきったような顔をしています。


「……アレアはいい子だよ。あんなに魅力的な女性、他にそういないはず」

「そ、それは認めます。でも、リリィは――」

「……レイママのことを持ち出すのはなし。リリィ様、もう随分前にそこは気持ちの整理ついてるはず」

「ど、どうして……!?」

「……見てれば分かる。何年の付き合いだと思ってるの」


 責めるように言うメイは、リリィ様の逃げ場を封じるようにさらに言葉を重ねます。


「……メイのことを目で追いかけてるのも分かってる。それがレイママの面影に過ぎないことも」

「……」

「……リリィ様にはアレアが一番だよ。二人がくっついてくれるなら、メイも諦める。でも――」

「で、でも?」


 問い返したリリィ様にメイは珍しく一瞬逡巡しました。

 でも結局、言葉にすることに決めたようです。


「……でも、もしリリィ様がいつまでもアレアのことを受け入れらないんなら、メイにだって考えがある」

「……それは?」

「……ねぇ、リリィ様」


 メイはリリィ様の方へ身を乗り出すと、吐息がかかりそうなくらいに顔を近づけて、こう言ったのです。


 ――アレアのこと、いらないならメイにちょうだい。

Comments

amamasuruyo

いのり先生、お疲れさまでした!