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第3話「きっかけ」


 リリィ様のことを好きか――そんなの決まっています。


「好きじゃありませんわ」

「……え?」

「え、えええ?」

「あれ?」


 わたくしの返答に、メイもリリィ様もシモーヌも驚いたような、あるいは拍子抜けしたような表情を浮かべました。


「あら? ちょっと寂しい顔なさいまして? わたくし知っていますわ。こういうのをデレ期というんですのよね?」

「ち、違います……!」

「……また始まった」

「ちょっとどういうことよ! 説明なさいよ!」


 メイは何か察したようですが、シモーヌは納得いかない様子です。

 そのタイミングでちょうど料理を受け取る順番が来たので、ひとまず皆でそれを受け取ります。

 話し込んでいる間に混んでいた食堂にも空きが出来てきたので、四人で座ることが出来ました。

 わたくしはビーフシチュー、リリィ様とメイはカレー、シモーヌはトンカツの定食をそれぞれ頼みました。

 メイの食事についてはひとこと言いたいことがあるのですが、今回は割愛してまた後日に。


 席に着いていただきますをしてから、わたくしは先ほどのシモーヌの問いに答えることにしました。


「ですからつまり、わたくしはリリィ様を好きなんじゃなくて、大好き……いえ、愛しているのですわ」

「そ、そう……」

「……レイママの二番煎じ」


 メイのツッコミは図星以外の何物でもなかったので、わたくしは口笛を吹いて誤魔化しました。

 なに恥じることなく言ってのけたわたくしに、シモーヌは動揺したような顔をしました。

 ふむ、さてはこれは……?

 ブラウンソースの意外な完成度の高さに舌鼓を打ちつつ、わたくしはシモーヌの心情に当たりをつけました。


「そんなに堂々と女同士で、なんて思ってますの、シモーヌ?」

「そこまでは思ってないわよ。大体、バウアーって数年前から同性婚が法律で認められてるでしょう?」

「……ママたちのおかげ」

「ゆ、ユー様やミシャさんのお力も大きかったですね」


 そうなのです。

 バウアー王国ではつい数年前に同性婚が法整備されたのです。

 中心となったのはお母様たちです。

 ユー様というのは元王位継承権第三位だった方で、今は精霊教会の枢機卿をなさっています。

 ミシャさんはお母様たちの幼なじみで、ユー様の伴侶となった切れ者の修道女さんですわ。


 閑話休題。


 とにかく、まだそれほど多数派というわけでなくとも、バウアーにおいて同性婚は法的な裏付けを得ているのです。


「ええ、そうですわ。でも、まだまだ奇異の目にさらされることが少なくないのも事実。シモーヌはどうなのかな、と思ったんですのよ」

「……アタシは――!」


 シモーヌは反射的に答えそうになってから、不意に口をつぐんで少し考え込みました。

 そうして付け合わせの漬物をしばしぽりぽりしてから、おもむろに口を開きます。


「偏見がない、とは言えないかしらね。偏見がないって言いながら、アタシのことを差別しまくってきた人をたくさん見てきたし」

「非常に健全な考え方かと存じますわ、シモーヌ。誰だって、多かれ少なかれ偏見を持っているもの。それに自覚的であるというのは、非常に希有な才能ですわよ?」

「そんな大層なものかしら……じゃなくて!」


 シモーヌは話を元に戻すわよ、と続けました。


「とにかく、アレアはリリィのことが好きなのね?」

「ええ、好きという程度の言葉では足りないくらいに」

「……ふーん。どんなとこが?」

「全部ですわ」

「大きく出たわね……」

「……まともに相手しない方がいい、シモーヌ。疲れるから、アレアの相手はメイに任せて欲しい」

「あ、あははは……」


 何やら呆れられていますが、これは偽らざるわたくしの本音です。


 その後は食事を普通に終え、歯磨きやお風呂などの身支度を済ませ、後は寝るだけという形になりました。

 部屋の照明が落とされ、ふと沈黙が訪れます。

 そのまま寝静まるかとも思ったのですが、それを破ったのはシモーヌでした。


「アレアがリリィを好きになったのって、何かきっかけとかあったの?」

「あら、コイバナ続行ですの? いいですわよ、リリィ様のことならわたくし、いくらでも話せましてよ」

「……メイは寝る。夢の中のアレアを抱きしめながら」

「あ、あははは……」


 メイはああ言いましたが本当になるつもりはないようで、気配でこちらの雰囲気を探っているのが分かりました。

 それを感じつつ、わたくしは続けます。


「そうですわね、リリィ様にコテンパンにやられたのがきっかけといえばきっかけかもしれませんわね?」

「え、アレアって見かけによらずドMだったりするの……?」

「違いますわよ。話すと長くなりますけれど、よろしくて?」

「構わないわ」


 それなら、とわたくしは全員に途中で寝てもいいように言ってから口を開きました。


「あれはわたくしが中等部に上がったばかりのことでしたわ」


 ◆◇◆◇◆


「ただいまですわ」

「……おかえりなさい」

「おかえり」

「お、おかえりなさい」


 家に帰ると、そこにはやや固い表情をしたクレアお母様とレイお母様が待っていました。

 そしてもう一人、リリィ様もいらしているようです。


「こんにちは、リリィ様。ご機嫌はいかが?」

「あ、えっと……その、ちょっと緊張はしているでしょうか」

「緊張? どうしてですの?」

「アレア、ちょっとそこに座りなさいな」

「え?」

「いいから」


 クレアお母様の声には、少し険があるように感じられました。

 続くレイお母様も、何やら思い悩んでいるような気配があります。

 ひとまず、大人しく言われたとおりに座ります。


「どうしたんですの、お母様方?」

「アレア、今日、学校の先生から相談がありました」

「学校でガキ大将みたいなことやってるんだって?」


 お母様たちは頭痛でもしているかのような表情で、そんなことを言ってきました。


「ガキ大将だなんて人聞きの悪い」

「話を聞く限り、そうとしか思えませんけれど?」

「……まあ、クレアだって学院にいた頃は――」

「レイ、話がややこしくなるから黙っていてちょうだい」

「はーい」


 レイお母様をやり込めるクレアお母様は相変わらずだなあと思いつつ、わたくしは何のことを言われているのか、大体の見当がつきました。


「確かにわたくしは有志の生徒を集めて、ちょっとした何でも屋のようなことをしていますわ」

「それのことですわ」

「何か問題がありまして?」

「大ありですわよ」


 クレアお母様は目元を揉むようにして渋い顔をしたあと、こう続けました。


「アレア。あなたは自分に力があると思って、少しやり過ぎていませんこと?」

「そんなことはありませんわ」

「なら、先週男子生徒たちを数人、大けがさせた件もやり過ぎではないと言うんですのね?」

「もちろんですわ」


 これは誤解されていると感じたので、わたくしは弁明を始めました。


「先週の件は、ある女生徒が一部の男子生徒たちに嫌がらせをされたのが原因ですわ。決して弱い者いじめなどではありませんのよ?」

「原因はこの際問題ではないのです。結果として、あなたは男子生徒たちを治療院送りにしましたわね?」


 治療院というのは、この世界の主要な宗教である精霊教が運営する医療施設のことです。

 市民が病気や怪我をした際に、最初に選択肢として挙がるのがそこでした。


「それはそうですが……弱き者が虐げられているのを黙って見過ごせませんわ」

「その心意気はいいでしょう。でも、用いる手段が過剰であっては、いじめていた子たちとさして変わりのない害悪ですわ」


 わたくしはカチンときました。

 よかれと思ってやったことをこんなあしざまに言われるのは、たとえ相手が敬愛するお母様であっても、許せるものではありません。


「お母様はよくわたくしに仰っていたではありませんか。理想から現実に逃げてはいけない。理想を掲げる者は常にその実践者であれ、と」

「あなたはそれを実行したに過ぎない、と?」

「そうですわ」


 大体、いじめを放置していた学校にも問題があったはずです。

 教師たちが何か対策を講じていたなら、わたくしが出張る必要などなかったのですし。


「確かにわたくしは彼らに多少の怪我を負わせました。でもそれだって、治療院で治療を受ければ治る範囲ですわ」

「怪我は治ればそれでなかったことになるとでも? 彼らが負った怪我の度合いについても報告を受けています。重度の骨折に深い裂傷、小さな傷に至っては数え切れないほど……。彼らが感じた恐怖までは、魔法でも治せませんのよ?」

「自業自得ですわ。それを言うなら、嫌がらせを受けた女生徒が受けた心の傷だって同じ事でしょう?」


 その後もしばらく、わたくしはクレアお母様と口論しましたが、お互い自分の正当性を疑わず譲りませんでした。


「はぁ……。アレア、あなた少し調子に乗りすぎですわね」

「聞き捨てなりませんわ。わたくしのどこが一体、調子に乗っているといいますの」

「あなた、自分が何一つ間違ったことはしていないと思い込んでいるでしょう?」

「思い込みではありません。事実ですわ」


 わたくしは救世の十傑が一人、クレア=フランソワの娘として、誰はばかることなく生きているつもりです。

 過ちを犯したりしないよう、常日頃から心がけているのですから、たとえお母様であってもそれを否定はさせません。


「……こういうわけですのよ。頼まれていただけるかしら、リリィ枢機卿」

「も、もう少し話し合われた方が……」

「いいえ、言っても聞かない馬鹿娘は、一度くらい痛い目に遭った方がいいんですのよ」

「で、でも……」

「ちょっと待ってくださいな。一体、何の話ですの?」


 急に話の行方が分からなくなって、わたくしはクレアお母様に問いました。


「アレア。あなた、リリィ枢機卿と立ち合いなさい」

「は?」

「ほ、本当にやるんですか!?」


 話が見えません。

 リリィ枢機卿と……立ち合うですって?


「お母様、要領を得ないのですが」

「簡単なことですわ。リリィ枢機卿にあなたの慢心を戒めていただくんですのよ」

「そのために、立ち会いですの?」

「ええ」

「り、リリィはまだ承服したわけでは……!」


 あたふたしているリリィ様を置き去りに、話は進みます。


「クレアお母様、慢心していらっしゃるのはお母様たちの方ではなくって?」

「……なんですって?」


 空気がピリリと張り詰めたのが分かります。

 当然です。

 わたくしは今、明確にクレアお母様にケンカを売ったのですから。


「お母様たちが救世の十傑と呼ばれたのはもう何年も前のことですわ。一線を退いて久しいでしょう?」

「わたくしたちがあなたに劣るとでも?」

「知恵や教養、その他の総合力を考えれば、わたくしなどまだまだお母様たちには遠く及ばないことは弁えておりますわ。でも、戦闘力は別でしてよ?」


 師であったナー帝国前皇帝ドロテーアから、剣士の最高の栄誉である剣神の位を受け継いだのは伊達や酔狂ではないのですから。

 毎日の鍛錬をかかしていないわたくしと、すでに戦いから縁遠い生活を送っているお母様たちとでは、恐らくわたくしの方に分があります。


「そうですわね、確かにレイやわたくしはそうかもしれません」

「でしたら……」

「でも、リリィ枢機卿は違いますわ」


 クレアお母様がリリィ様を見ました。

 その視線は頼もしげでしたが、当のリリィ様はといえば自信なさげに視線を右往左往させるばかりです。


「リリィ枢機卿は今でも教会の実戦部隊を指揮し、自身も魔物と戦い続けている現役ですわ。そう簡単に倒せると思わないことですわね」

「ちょ、ちょっとクレア様!? な、なにを勝手に啖呵切ってるんですか!?」

「頑張れー、リリィ」

「れ、レイさんも止めてくださいよ!」

「やー、でも、私もここいらで一度、アレアは痛い目に遭っておいた方が後々のためかなって」

「そ、そんな勝手な……」


 わたくしは非常に不満でした。

 お母様たちの会話の前提が、わたくしの敗北であることが。


「いいですわ。それなら受けて立ちましょう」

「あ、アレアちゃんまで!?」

「その代わり、リリィ様が多少怪我を負っても文句は受け付けませんわよ?」

「ええ、構いませんわ」

「か、構いますよ!?」

「頑張れー、リリィ」

「だ、だから止めて下さいって、レイさん!」


 こうして、わたくしはリリィ様と立ち合うことになったのです。


「勝負は魔法あり剣術ありの一本勝負。メイが威力減衰の結界を張りますから、全力を出して構いませんわよ」

「……なんでメイがこんなこと手伝わないといけないの」

「ご、ごめんね、メイちゃん」


 リリィ様とわたくしは家の裏手にある広い草原で対峙していました。

 この立ち合いのために呼び出されたメイは、不服そうにふくれっ面をしています。


「覚悟はいいですわね、リリィ様」

「あううう……。お、お手柔らかにお願いしますね……」


 リリィ様はこの期に及んでまだ乗り気ではないようです。

 そんなことでこの剣神を倒せるとは到底思えませんけれど。


「それでは構えて!」


 クレアお母様の合図で、わたくしは木剣を構えました。

 リリィ様も得物の双短剣に見立てた二本の木の棒を構えます。


「――始め!」


 剣術に余計な小細工は不要。

 師であるドロテーア様からの教えはシンプルでした。

 最速で踏み込み、最短距離を最速で振り抜く――これが彼女の教えの極意です。

 単純だからこそ極めるのが難しく、しかし極めてしまえば防ぐことは難しい。

 わたくしはそれを実践できるよう、常に心身を鍛え上げてきました。


(手早く終わらせましょう)


 リリィ様とてこんな騒ぎに巻き込まれて迷惑をしているはず。

 少し痛い思いはするかもしれませんが、早めに決着をつけた方がリリィ様のためにもなります。


 ――などと考えられたのは、最初の数合いの内だけでした。


「くっ……!」

「どうしまして、アレア。太刀筋が乱れていますわよ?」

「お母様は黙っててくださいまし!」


 クレアお母様に指摘されるまでもなく、その事実はわたくしが一番痛感していることでした。

 何もかもが、自分の思うとおりになりません。

 最速で振られるはずの剣は、最高速に達する前に止められていなされます。

 神速と言われたはずの踏み込みも、間合いで殺されます。

 最短距離など叶うはずもありません。

 代わりに、それら全てを満たした剣撃が二つの閃きで襲ってくるという、悪夢のような事態でした。


 後で教えられたことですが、この時リリィ様は時間を操る魔法と剣技を組み合わせた、非常に高度な戦闘を行っていて、初見だったわたくしはそれに完全に翻弄されていたのでした。


「リリィ様、とどめを」

「……アレアちゃん、ごめんね?」


 その言葉を最後に、わたくしの意識はブラックアウトするのでした。


 ◆◇◆◇◆


「へー。そんなことがあったんだ?」

「そうですわ。あんな完敗を喫したのは生まれて初めてのことでしたの」

「そ、その節は大人げないことを……」

「……でも、あれでアレアはリリィ様にぞっこんになった」

「そうなの?」

「ええ」


 実際の所、クレアお母様の指摘は当たっていたのです。

 わたくしは自分が完璧な人間だと思い込んでいたのです。

 魔法や学問こそメイに劣りますが、それ以外のことでは自分に並ぶ者などいない、などと自惚れていました。


 そんなわたくしに、圧倒的なNoを突きつけたのが他ならぬリリィ様でした。


「リリィ様は剣術だけでなく、魔法も超一流でした。戦闘だけではありませんわ。お料理や家事や学問だってできます。苦手なのはお裁縫くらいではなくて?」

「ほ、褒めすぎです!」

「それでいてこの謙虚さ。しかもこうしてさらに学園にまで通おうとするのですから、もう降参する他ありませんわよ」


 わたくしよりも優れた人間がいるという事実は、不思議とわたくしを打ちのめしませんでした。

 むしろ、そのことを喜ばしく思い、その対象であるリリィ様にわたくしはどんどん惹かれていったのです。


「……やっぱりアレアってドMなんじゃない?」

「人聞きが悪いですわ。でも、確かにその可能性もありますわね。レイお母様の娘でもあるわけですし」

「……問題発言」

「れ、レイさんが聞いたら泣きますよ!」

「そうかもしれませんわね。なら、お母さまを泣かせるわたくしには、きついお仕置きが必要だと思いませんこと、リリィ様!?」

「お、お仕置きはそんなに嬉々として要求するものじゃありませんよねえ!?」


 まあ、レイお母様のことはさておくとして。


「そんな経緯で、わたくしはリリィ様にぞっこんですの。リリィ様はまだレイお母様のことが忘れられないみたいですけれど」

「その話はアタシも知ってるわ。レイ様の一体どこがそんなにいいのか、アタシには分からないけど」

「何言ってるんですか! レイさんは素敵な人ですよ!」

「……救いがない。けど、アレアはいずれメイが救ってみせる」


 などという話をしながら、その夜は更けていきました。

 とりあえずその日はお開きになり、わたくしたちも目をつぶろうとし――ふと思いついたことがありました。


「ねぇ、リリィ様」

「……な、なんですか、アレアちゃん」


 二段ベッドの上段へ声をかけると、ためらいがちないらえがありました。


「あの時、わたくしを負かしてくださってありがとうございますわ」

「り、リリィは少し後悔していますけれどね。あ、あれがなければ、アレアちゃんの思いがこんなに歪むこともなかったでしょうし」

「歪んでなんかいませんわ。わたくし、本当にリリィ様のことが好きですのよ?」

「……」


 リリィ様からの返答はありませんでした。

 本当に罪な方ですわ。


「そろそろ遅いですわね。おやすみなさい」

「お、おやすみなさい」


 明日から、いよいよ学園生活本番です。

 わたくしは弾む胸を必死に押さえつけながら、呼吸を整えて睡魔を招き入れました。

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