『振り向きなさい、わたくしに!』プロローグ (Pixiv Fanbox)
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プロローグ、あるいは最初の閑話
※???視点のお話です。
私には好きな人がいる。
交流があったのはずっとずっと昔のことだけど、私の胸からその面影が消えたことは一度もない。
私の中に残り続けたあの笑顔。
同じ学び舎に通うこれからは、それをずっと見ることが叶うのだ。
――そう信じていた。
「リリィ様。はい、あーんしてくださいな」
「あ、アレアちゃん……。こ、ここは学校なので、そういうのはよしてくれませんか……?」
「……メイの方が美味しく食べる自信がある。あーん」
皆が学食に行き、人影もまばらな昼休みの教室。
真新しく見える室内で、ひときわ耳目を集めている一角がある。
私の思い人――アレア=フランソワは、長い金髪を揺らしながら満面の笑みで、もう一人の銀髪赤目の小柄な女性に迫っていた。
今は昼休み。
お昼は皆学食で済ませるが、アレアちゃんは隣の女性にプリンを食べさせようとし、女性の方は困り果てているように見える。
「おや、恥ずかしいんですの? よくってよ。わたくし慎みある女性は好きですわ。でも、わたくしの愛を受け取らないという選択肢はありませんわよ?」
「は、恥ずかしいとかそういう次元の問題ではなくて、ですね!」
「……気が付いてもらえない。どうせメイはプリンよりサンドイッチが似合う女……」
女性――リリィ様はおどおどとした様子で、しかしきっぱりと拒絶の意を示しているが、アレアちゃんはそんなことはお構いなしに押せ押せでイケイケだった。
そんな二人の様子を尻目に、すぐそばにいるアレアちゃんにそっくりな双子の妹、メイちゃんが無表情にしょぼくれている。
「レイお母様が仰っていましたわ。いやよいやよも好きのうちって」
「レイさんが言いそうなことですね!?」
「……問題発言。セクハラ」
三人は仲睦まじげに言葉を交わしているので気づいていないようだが、先ほどから周りの子たちがちらちら彼女たちを盗み見している。
そうして声を潜めて言うのだ。
「あれがクレア様とレイ様の……?」
「ええ、多分。もうお一方はリリィ様でしょ……?」
「素敵……お近づきになりたいわ……」
彼女たちの目に浮かんでいる感情は羨望や憧れ。
それもそのはず。
彼女たちはただの一般人ではない。
かつてこの世界を危機から救った「救世の十傑」と呼ばれる十人の英雄のメンバーなのだ。
彼女たちも私も多感な時期の女性だ。
そんな英雄譚に歌われるような女性たちを間近にすれば、胸がときめいてしまっても仕方のないことではある。
そんな会話がされているとはつゆ知らず……なのか、それとも気づいていて無視しているのか。
「え? でも、リリィ様もわたくしのこと好きですわよね? ええ、知っていますわ」
「え、えっと……って、答える前から返事をねつ造するのはやめていただきたいです……!」
「……メイの方が甘い言葉を囁けると思う」
どう考えても私に割って入る余地のない三人の距離感に、期待に胸を弾ませていた私の恋は入学初日にしてもろくも崩れ去ることになった。
「孤児院のみんな……ごめん。初日でくじけそう」
◆◇◆◇◆
私立バウアー女子学園高等部。
「救世の十傑」と呼ばれる英雄たちの筆頭であるクレア=フランソワ様が中心となって設立した、女性のための高等教育施設である。
クレア様はアレアちゃんとメイちゃんの養母でもあり、伴侶のレイ様とともに女性の地位向上に尽力してきた、この国に住まう女性にとっては憧れの人物だ。
「理想」を表しているという白を基調とした独特の制服でも有名で、女性教育では最高峰とも言われている。
この国――バウアー王国のエリート校であるバウアー王立学院がやや保守的な教育を行っているのに対し、バウアー女学園――通称「学園」は先進的な教育を施すことでも知られる。
次世代を担う女性にふさわしい教育を――とは、今は理事長も務めているクレア様の言葉だ。
私はそれに共感し、故郷であるナー帝国からはるばる留学しに来たのだ。
……多少の下心があったことは認めるが。
下心の対象であるアレアちゃんとは、もう十年近く前にナー帝国で出会った。
私は戦災孤児だったため孤児院で育ったのだが、アレアちゃんはレイ様とクレア様に連れられて、メイちゃんと一緒によく慰問に来てくれていたのだ。
当時の私は――今でも若干そうかもしれないが――非常に内気な性格だった。
同じ孤児院の子たちとも上手く話せずに難儀していたのに、アレアちゃんはそれを軽々と飛び越えてきた。
『すてきなかみいろですわね。おかあさまがあさいれてくださるおいしいコーヒーにそっくりですわ』
そう言って笑いかけてくれたアレアちゃんの笑顔を、私は今でも鮮明に覚えている。
アレアちゃんは屈託のない子で、人見知りする私をずっと構ってくれた。
それまでやや疎外感を覚えずにはいられなかった他の孤児院の子たちとも、アレアちゃんが架け橋になってくれた。
精霊教の聖典にある天使様っていうのは、きっとアレアちゃんみたいな人のことを言うのだと思った。
「アレアちゃんは変わらないな。メイちゃんは……ちょっと変わったかも」
メイちゃんともよく遊んだけれど、彼女のことは最後までよく分からなかった。
アレアちゃんにそっくりな顔立ちで、どこか不思議な空気をまとう子だったのを覚えている。
その目が、いつもアレアちゃんを追っていることも。
彼女に対しては、少しだけ苦手意識もあったかもしれない。
二人はかつて起きた世界の存亡をかけた戦いの途中で、バウアーに帰国してしまった。
別れの日はわんわん泣いたのを覚えている。
私にとってアレアちゃんは特別な子だった。
それこそ、十年経っても忘れられないくらいに。
そうして今日、ようやく同じ学び舎に通う日を迎えたというのに、私は何を見せられているのだろう。
「リリィ様、ここ! ここですわ! 隣同士で講義を受けますわよ」
「え、えーと……リリィは遠慮したいかなあって……」
「……だってさ、アレア。それよりメイと一緒に――」
「あら、そうですの? 膝の上の方がいいなんて、リリィ様もレイお母様に負けず劣らず上級者ですわね?」
「い、言ってません!」
「……メイ、切ない」
アレアちゃんの目は銀髪赤目の楚々とした小柄の女性……リリィ様しか見ていなかった。
リリィ様も救世の十傑が一人で、アレアちゃんたちや私とはかなり歳が離れている。
外見は非常に幼く見えるのだが、元々は精霊教の枢機卿を務めていた立派な方で、何でも十年前からほとんど見かけが変わっていないとか。
そんな彼女がなぜこの学園にいるかというと、これには理由がある。
バウアー女子学園は広く門戸を開いており、学ぶ意欲さえあればその入学資格には年齢を問わない。
リリィ様は社会人学生という枠で、学院に入学してきたのだった。
「リリィ様、ここがよく分かりませんわ」
「え? ああ、そこはですね……」
「……二人とも、距離が近い」
「そうかしら? お母様たちも学院時代はゼロ距離で講義を受けたって聞きましたわよ?」
「り、リリィは適度に距離を置きたいのですが……」
「……じゃあ、アレア。メイとマイナス距離でっていうのはどう?」
三人は仲がいい。
三人もまたクレア様と同じく「救世の十傑」のメンバーである。
つきあいももう十年以上だろう。
私が間に入る余地は……ないのかもしれない。
学園寮への帰り道。
私の心はこの青空とは対照的に曇天だった。
十年近くも抱え続けてきたこの思いが、それこそ一方的な片思いだったという事実に心が張り裂けそうだった。
曇天どころかひと雨来そうだ。
少し、故郷であるナー帝国が――というより、孤児院が恋しくなった。
転移門という遠隔移動装置が試験的に運用され始め、帝国とバウアーは行き来が楽になったが、それでも遠方には違いない。
こんなに早くホームシックになるなんて、これから本当にここでやっていけるのだろうか。
――。
「……?」
左の方の茂みの方から音がした。
なんだろう、と気になって視線をそちらに向ける。
何やら地面が盛り上がって、こちらへともこもこ近づいてくる。
もぐらかな、などと私はのんきに観察していたのだが、地面の盛り上がりはどんどん大きくなっていく。
そして、とうとう姿を現したそれを見て、私は凍り付いてしまった。
「シュルル……!」
「きゃあ!」
近くを歩いていた他の生徒たちからも悲鳴が上がる。
地面から顔を出したのは、蛇に似た魔物だった。
普通の蛇と違うのはまずその大きさで、とぐろを巻いていると大人のイノシシほどもある。
表皮もゴツゴツとしていて、鱗も鋭いトゲのように見える。
魔物は既にこちらに気づいていて、力を貯めるように体を折り畳んでいた。
良くない予感が首をもたげる。
私は逃げようとも思ったのだが、恐怖で体がすくんでしまった。
蛇型の魔物は土を掘って移動するので、駆除や事前察知が難しいんだっけ、なんて今はどうでもいいことが頭をよぎる。
(……なんで、私がこんな目に――!)
アレアちゃんに会いたくて、ずっと頑張って来た。
孤児院に迷惑をかけないよう、勉強をたくさんして国費留学の枠を獲得した。
努力して他人とも比較的話せるようになった。
昨日の夜は眠れないくらいドキドキして、朝は今日一日が素敵なものになることを疑わなかった。
それが、この有様。
(不純な目的で入学したから、バチが当たったのかな)
後から振り返ると、完全に変な思考に入っていた。
私は何も悪くないはずだった。
でも、恐怖で混乱する頭は、なぜか私自身を責めていた。
魔物が弾けたバネのように襲いかかってくる。
勢いのまま私を噛み殺そうとし――そのまま真横にずれて吹き飛んで行った。
「……え?」
事態の把握が出来ない私の目の前で、全ては私を置いてけぼりに進んだ。
「ここは人の縄張りですわよ。命を取られたくなければ、自分の縄張りにお帰りなさいな」
私を守るように立っていたのは、アレアちゃんだった。
魔物の体側に傷があるところを見ると、どうやらアレアちゃんが蹴り飛ばしたらしい。
「もう大丈夫ですよ」
「……リリィ様」
いつの間にかすぐ側にリリィ様もいて、私のことを抱きしめてくれた。
包み込まれるような安心感に、思わず涙がこぼれる。
「シャアーーーー!」
魔物が咆哮を上げながらアレアちゃんに飛びかかった。
アレアちゃんが強いことは知っているが、見たところ今は丸腰だ。
それに加えて、蛇の方は全長が数メートルもあり体格差は歴然――いくらアレアちゃんが強くたって……!
「アレアちゃん!」
「大丈夫ですよ、見ていてください」
私を抱き留めてくれるリリィ様が優しく言った。
私は一度リリィ様の顔を眺めてから、もう一度アレアちゃんに視線を移す。
「……アレア、忘れもの」
「ありがとうございますわ、メイ」
アレアちゃんはメイちゃんから短剣のようなものを受け取った。
刀身がひどく短く、まるで子ども用のような剣だった。
そんなものであの大蛇に挑もうというのだろうか。
「無謀すぎるよ、アレアちゃん……!」
「いいえ、アレアちゃんなら大丈夫です」
「え?」
そういうリリィ様の顔に浮かんでいるのは、無条件の信頼だった。
傍らにいるメイちゃんも同じ表情をしている。
「シャアーーーッ!」
大蛇の魔物は巨体をくねらせて、何度もアレアちゃんに襲いかかった。
しかし、アレアちゃんは踊るような身軽な足さばきで、それら全てを避けきった。
そうして、
「シッ……!」
呼吸を一つ残して、アレアちゃんの姿がかき消えた。
次の瞬間。
「グガッ!?」
魔物の巨体がピタリと動きを止めたかと思うと、痙攣しながらその場に崩れ落ちた。
呆然としていた私には、何が起きたのかすら分からなかった。
でも多分、私は助かったのだろう。
「……お疲れ、アレア」
「お粗末様ですわ。警備の者を呼んでちょうだい、メイ」
「……うん」
アレアちゃんに促され、メイちゃんが瞳を閉じる。
恐らく、念話と呼ばれる遠隔会話の魔法を使っているのだろう。
ふと、アレアちゃんが近くの茂みに険しい視線を送った。
なんだろう、と思っていると、アレアちゃんが短剣を鋭く振った……のだろう、多分。
私には見えなかったから。
直後に茂みの方で大きな音がし、何かが逃げていくような気配があった。
「やっぱり、もう少し距離を伸ばしたいですわね……」
「アレアちゃん……?」
「いえ、なんでもありませんわ」
「……アレア、呼んだ」
ほどなく、警備員が三人駆けつけてくれた。
「さすがアレアさん……」
「救世の十傑は伊達じゃありませんわね……!」
「カッコよかったぁ……」
その場にいた他の子たちが口々に歓声を上げる。
確かに、アレアちゃんはカッコよかった。
でも、この時の私は危機を脱したばかりでそれどころではなかった。
やって来た警備の責任者さんは女性の方で、事情を聞くのは後日でいいから、まずカウンセラーのケアを受けなさいと言われた。
正直、何も分からなかったし、恐怖でいっぱいだったからありがたいと思った。
「怖い思いをさせてごめんなさい。警備の手抜かりだわ。アレアさんもありがとう」
「仕方ありませんわよ。最近の魔物は頭が良くなっている印象ですわ」
「そうね。先日も帝国行きの転移門の付近で――」
アレアちゃんは顔色一つ変えずに警備の人と魔物について話している。
私にはとてもついていけそうもないし、お役に立てるとも思えない。
ここは素直にカウンセラーさんに会いに行こう。
でも、この場を離れる前に、せめて一言アレアちゃんにお礼を言いたかった。
「あの……!」
「? なんですの、ユリア?」
「!? どうして私の名前を……?」
この学校で再会して以降、私はまだ彼女に名乗っていなかったはずだ。
背格好も十年前とは随分違っている。
髪型だって、当時はミディアムくらいだったけれど、今はロングだ。
なのに、どうして……?
「何言ってるんですの、大切な友だちのことですわよ? 分からないはずありませんわ」
「アレアちゃん……」
「登校初日から災難でしたわね、ユリア。でも、安心なさいな。この学園での三年間は必ず素晴らしいものになりますわよ。わたくしが保証しますわ」
そう言って自信満々に笑うアレアちゃんを見て、私は悟った。
あぁ……アレアちゃんは、この恋を諦めることすら許してくれないんだ。
「……ずるいよ、アレアちゃん」
「? 何か仰って?」
「ううん、助けてくれてありがとうって」
「お安いご用ですわ。 ……ちょっとリリィ様。いつまでユリアにくっついてるんですの。わたくしにねぎらいのキスの一つくらい寄こしなさいな」
「えええ……」
アレアちゃんたちと私は、そこで一旦別れた。
大変な目に遭ったけど、悪いことばかりじゃなかった。
アレアちゃんは、ちゃんと私のことを覚えていてくれた。
最後に会ったのは十年近く前のことなのに。
「私……諦めなくてもいいのかな……」
きっと、この恋は上手くいかない。
アレアちゃんはリリィ様しか見ていない。
メイちゃんだって、きっとアレアちゃんを思っている。
それでも。
「それでも、私は思い続けてみたい」
私はきっと、物語の主役にはなれない。
でも、端役だって恋をしていいじゃないか。
「待っててね、アレアちゃん」
私の恋は、まだ始まったばかりだ。