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プロローグ、あるいは最初の閑話


 ※???視点のお話です。


 私には好きな人がいる。

 交流があったのはずっとずっと昔のことだけど、私の胸からその面影が消えたことは一度もない。

 私の中に残り続けたあの笑顔。

 同じ学び舎に通うこれからは、それをずっと見ることが叶うのだ。


 ――そう信じていた。


「リリィ様。はい、あーんしてくださいな」

「あ、アレアちゃん……。こ、ここは学校なので、そういうのはよしてくれませんか……?」

「……メイの方が美味しく食べる自信がある。あーん」


 皆が学食に行き、人影もまばらな昼休みの教室。

 真新しく見える室内で、ひときわ耳目を集めている一角がある。

 私の思い人――アレア=フランソワは、長い金髪を揺らしながら満面の笑みで、もう一人の銀髪赤目の小柄な女性に迫っていた。

 今は昼休み。

 お昼は皆学食で済ませるが、アレアちゃんは隣の女性にプリンを食べさせようとし、女性の方は困り果てているように見える。


「おや、恥ずかしいんですの? よくってよ。わたくし慎みある女性は好きですわ。でも、わたくしの愛を受け取らないという選択肢はありませんわよ?」

「は、恥ずかしいとかそういう次元の問題ではなくて、ですね!」

「……気が付いてもらえない。どうせメイはプリンよりサンドイッチが似合う女……」


 女性――リリィ様はおどおどとした様子で、しかしきっぱりと拒絶の意を示しているが、アレアちゃんはそんなことはお構いなしに押せ押せでイケイケだった。

 そんな二人の様子を尻目に、すぐそばにいるアレアちゃんにそっくりな双子の妹、メイちゃんが無表情にしょぼくれている。


「レイお母様が仰っていましたわ。いやよいやよも好きのうちって」

「レイさんが言いそうなことですね!?」

「……問題発言。セクハラ」


 三人は仲睦まじげに言葉を交わしているので気づいていないようだが、先ほどから周りの子たちがちらちら彼女たちを盗み見している。

 そうして声を潜めて言うのだ。


「あれがクレア様とレイ様の……?」

「ええ、多分。もうお一方はリリィ様でしょ……?」

「素敵……お近づきになりたいわ……」


 彼女たちの目に浮かんでいる感情は羨望や憧れ。

 それもそのはず。

 彼女たちはただの一般人ではない。

 かつてこの世界を危機から救った「救世の十傑」と呼ばれる十人の英雄のメンバーなのだ。


 彼女たちも私も多感な時期の女性だ。

 そんな英雄譚に歌われるような女性たちを間近にすれば、胸がときめいてしまっても仕方のないことではある。


 そんな会話がされているとはつゆ知らず……なのか、それとも気づいていて無視しているのか。


「え? でも、リリィ様もわたくしのこと好きですわよね? ええ、知っていますわ」

「え、えっと……って、答える前から返事をねつ造するのはやめていただきたいです……!」

「……メイの方が甘い言葉を囁けると思う」


 どう考えても私に割って入る余地のない三人の距離感に、期待に胸を弾ませていた私の恋は入学初日にしてもろくも崩れ去ることになった。


「孤児院のみんな……ごめん。初日でくじけそう」


 ◆◇◆◇◆


 私立バウアー女子学園高等部。

 「救世の十傑」と呼ばれる英雄たちの筆頭であるクレア=フランソワ様が中心となって設立した、女性のための高等教育施設である。

 クレア様はアレアちゃんとメイちゃんの養母でもあり、伴侶のレイ様とともに女性の地位向上に尽力してきた、この国に住まう女性にとっては憧れの人物だ。


 「理想」を表しているという白を基調とした独特の制服でも有名で、女性教育では最高峰とも言われている。

 この国――バウアー王国のエリート校であるバウアー王立学院がやや保守的な教育を行っているのに対し、バウアー女学園――通称「学園」は先進的な教育を施すことでも知られる。

 次世代を担う女性にふさわしい教育を――とは、今は理事長も務めているクレア様の言葉だ。

 私はそれに共感し、故郷であるナー帝国からはるばる留学しに来たのだ。


 ……多少の下心があったことは認めるが。


 下心の対象であるアレアちゃんとは、もう十年近く前にナー帝国で出会った。

 私は戦災孤児だったため孤児院で育ったのだが、アレアちゃんはレイ様とクレア様に連れられて、メイちゃんと一緒によく慰問に来てくれていたのだ。

 当時の私は――今でも若干そうかもしれないが――非常に内気な性格だった。

 同じ孤児院の子たちとも上手く話せずに難儀していたのに、アレアちゃんはそれを軽々と飛び越えてきた。


『すてきなかみいろですわね。おかあさまがあさいれてくださるおいしいコーヒーにそっくりですわ』


 そう言って笑いかけてくれたアレアちゃんの笑顔を、私は今でも鮮明に覚えている。

 アレアちゃんは屈託のない子で、人見知りする私をずっと構ってくれた。

 それまでやや疎外感を覚えずにはいられなかった他の孤児院の子たちとも、アレアちゃんが架け橋になってくれた。

 精霊教の聖典にある天使様っていうのは、きっとアレアちゃんみたいな人のことを言うのだと思った。


「アレアちゃんは変わらないな。メイちゃんは……ちょっと変わったかも」


 メイちゃんともよく遊んだけれど、彼女のことは最後までよく分からなかった。

 アレアちゃんにそっくりな顔立ちで、どこか不思議な空気をまとう子だったのを覚えている。

 その目が、いつもアレアちゃんを追っていることも。

 彼女に対しては、少しだけ苦手意識もあったかもしれない。


 二人はかつて起きた世界の存亡をかけた戦いの途中で、バウアーに帰国してしまった。

 別れの日はわんわん泣いたのを覚えている。

 私にとってアレアちゃんは特別な子だった。

 それこそ、十年経っても忘れられないくらいに。


 そうして今日、ようやく同じ学び舎に通う日を迎えたというのに、私は何を見せられているのだろう。


「リリィ様、ここ! ここですわ! 隣同士で講義を受けますわよ」

「え、えーと……リリィは遠慮したいかなあって……」

「……だってさ、アレア。それよりメイと一緒に――」

「あら、そうですの? 膝の上の方がいいなんて、リリィ様もレイお母様に負けず劣らず上級者ですわね?」

「い、言ってません!」

「……メイ、切ない」


 アレアちゃんの目は銀髪赤目の楚々とした小柄の女性……リリィ様しか見ていなかった。

 リリィ様も救世の十傑が一人で、アレアちゃんたちや私とはかなり歳が離れている。

 外見は非常に幼く見えるのだが、元々は精霊教の枢機卿を務めていた立派な方で、何でも十年前からほとんど見かけが変わっていないとか。


 そんな彼女がなぜこの学園にいるかというと、これには理由がある。

 バウアー女子学園は広く門戸を開いており、学ぶ意欲さえあればその入学資格には年齢を問わない。

 リリィ様は社会人学生という枠で、学院に入学してきたのだった。


「リリィ様、ここがよく分かりませんわ」

「え? ああ、そこはですね……」

「……二人とも、距離が近い」

「そうかしら? お母様たちも学院時代はゼロ距離で講義を受けたって聞きましたわよ?」

「り、リリィは適度に距離を置きたいのですが……」

「……じゃあ、アレア。メイとマイナス距離でっていうのはどう?」


 三人は仲がいい。

 三人もまたクレア様と同じく「救世の十傑」のメンバーである。

 つきあいももう十年以上だろう。

 私が間に入る余地は……ないのかもしれない。


 学園寮への帰り道。

 私の心はこの青空とは対照的に曇天だった。

 十年近くも抱え続けてきたこの思いが、それこそ一方的な片思いだったという事実に心が張り裂けそうだった。

 曇天どころかひと雨来そうだ。


 少し、故郷であるナー帝国が――というより、孤児院が恋しくなった。

 転移門という遠隔移動装置が試験的に運用され始め、帝国とバウアーは行き来が楽になったが、それでも遠方には違いない。

 こんなに早くホームシックになるなんて、これから本当にここでやっていけるのだろうか。


 ――。


「……?」


 左の方の茂みの方から音がした。

 なんだろう、と気になって視線をそちらに向ける。


 何やら地面が盛り上がって、こちらへともこもこ近づいてくる。

 もぐらかな、などと私はのんきに観察していたのだが、地面の盛り上がりはどんどん大きくなっていく。

 そして、とうとう姿を現したそれを見て、私は凍り付いてしまった。


「シュルル……!」

「きゃあ!」


 近くを歩いていた他の生徒たちからも悲鳴が上がる。

 地面から顔を出したのは、蛇に似た魔物だった。

 普通の蛇と違うのはまずその大きさで、とぐろを巻いていると大人のイノシシほどもある。

 表皮もゴツゴツとしていて、鱗も鋭いトゲのように見える。

 魔物は既にこちらに気づいていて、力を貯めるように体を折り畳んでいた。


 良くない予感が首をもたげる。

 私は逃げようとも思ったのだが、恐怖で体がすくんでしまった。

 蛇型の魔物は土を掘って移動するので、駆除や事前察知が難しいんだっけ、なんて今はどうでもいいことが頭をよぎる。


(……なんで、私がこんな目に――!)


 アレアちゃんに会いたくて、ずっと頑張って来た。

 孤児院に迷惑をかけないよう、勉強をたくさんして国費留学の枠を獲得した。

 努力して他人とも比較的話せるようになった。

 昨日の夜は眠れないくらいドキドキして、朝は今日一日が素敵なものになることを疑わなかった。

 それが、この有様。


(不純な目的で入学したから、バチが当たったのかな)


 後から振り返ると、完全に変な思考に入っていた。

 私は何も悪くないはずだった。

 でも、恐怖で混乱する頭は、なぜか私自身を責めていた。


 魔物が弾けたバネのように襲いかかってくる。

 勢いのまま私を噛み殺そうとし――そのまま真横にずれて吹き飛んで行った。


「……え?」


 事態の把握が出来ない私の目の前で、全ては私を置いてけぼりに進んだ。


「ここは人の縄張りですわよ。命を取られたくなければ、自分の縄張りにお帰りなさいな」


 私を守るように立っていたのは、アレアちゃんだった。

 魔物の体側に傷があるところを見ると、どうやらアレアちゃんが蹴り飛ばしたらしい。


「もう大丈夫ですよ」

「……リリィ様」


 いつの間にかすぐ側にリリィ様もいて、私のことを抱きしめてくれた。

 包み込まれるような安心感に、思わず涙がこぼれる。


「シャアーーーー!」


 魔物が咆哮を上げながらアレアちゃんに飛びかかった。

 アレアちゃんが強いことは知っているが、見たところ今は丸腰だ。

 それに加えて、蛇の方は全長が数メートルもあり体格差は歴然――いくらアレアちゃんが強くたって……!


「アレアちゃん!」

「大丈夫ですよ、見ていてください」


 私を抱き留めてくれるリリィ様が優しく言った。

 私は一度リリィ様の顔を眺めてから、もう一度アレアちゃんに視線を移す。


「……アレア、忘れもの」

「ありがとうございますわ、メイ」


 アレアちゃんはメイちゃんから短剣のようなものを受け取った。

 刀身がひどく短く、まるで子ども用のような剣だった。

 そんなものであの大蛇に挑もうというのだろうか。


「無謀すぎるよ、アレアちゃん……!」

「いいえ、アレアちゃんなら大丈夫です」

「え?」


 そういうリリィ様の顔に浮かんでいるのは、無条件の信頼だった。

 傍らにいるメイちゃんも同じ表情をしている。


「シャアーーーッ!」


 大蛇の魔物は巨体をくねらせて、何度もアレアちゃんに襲いかかった。

 しかし、アレアちゃんは踊るような身軽な足さばきで、それら全てを避けきった。

 そうして、


「シッ……!」


 呼吸を一つ残して、アレアちゃんの姿がかき消えた。

 次の瞬間。


「グガッ!?」


 魔物の巨体がピタリと動きを止めたかと思うと、痙攣しながらその場に崩れ落ちた。

 呆然としていた私には、何が起きたのかすら分からなかった。

 でも多分、私は助かったのだろう。


「……お疲れ、アレア」

「お粗末様ですわ。警備の者を呼んでちょうだい、メイ」

「……うん」


 アレアちゃんに促され、メイちゃんが瞳を閉じる。

 恐らく、念話と呼ばれる遠隔会話の魔法を使っているのだろう。


 ふと、アレアちゃんが近くの茂みに険しい視線を送った。

 なんだろう、と思っていると、アレアちゃんが短剣を鋭く振った……のだろう、多分。

 私には見えなかったから。

 直後に茂みの方で大きな音がし、何かが逃げていくような気配があった。


「やっぱり、もう少し距離を伸ばしたいですわね……」

「アレアちゃん……?」

「いえ、なんでもありませんわ」

「……アレア、呼んだ」


 ほどなく、警備員が三人駆けつけてくれた。


「さすがアレアさん……」

「救世の十傑は伊達じゃありませんわね……!」

「カッコよかったぁ……」


 その場にいた他の子たちが口々に歓声を上げる。

 確かに、アレアちゃんはカッコよかった。

 でも、この時の私は危機を脱したばかりでそれどころではなかった。


 やって来た警備の責任者さんは女性の方で、事情を聞くのは後日でいいから、まずカウンセラーのケアを受けなさいと言われた。

 正直、何も分からなかったし、恐怖でいっぱいだったからありがたいと思った。


「怖い思いをさせてごめんなさい。警備の手抜かりだわ。アレアさんもありがとう」

「仕方ありませんわよ。最近の魔物は頭が良くなっている印象ですわ」

「そうね。先日も帝国行きの転移門の付近で――」


 アレアちゃんは顔色一つ変えずに警備の人と魔物について話している。

 私にはとてもついていけそうもないし、お役に立てるとも思えない。

 ここは素直にカウンセラーさんに会いに行こう。

 でも、この場を離れる前に、せめて一言アレアちゃんにお礼を言いたかった。


「あの……!」

「? なんですの、ユリア?」

「!? どうして私の名前を……?」


 この学校で再会して以降、私はまだ彼女に名乗っていなかったはずだ。

 背格好も十年前とは随分違っている。

 髪型だって、当時はミディアムくらいだったけれど、今はロングだ。

 なのに、どうして……?


「何言ってるんですの、大切な友だちのことですわよ? 分からないはずありませんわ」

「アレアちゃん……」

「登校初日から災難でしたわね、ユリア。でも、安心なさいな。この学園での三年間は必ず素晴らしいものになりますわよ。わたくしが保証しますわ」


 そう言って自信満々に笑うアレアちゃんを見て、私は悟った。

 あぁ……アレアちゃんは、この恋を諦めることすら許してくれないんだ。


「……ずるいよ、アレアちゃん」

「? 何か仰って?」

「ううん、助けてくれてありがとうって」

「お安いご用ですわ。 ……ちょっとリリィ様。いつまでユリアにくっついてるんですの。わたくしにねぎらいのキスの一つくらい寄こしなさいな」

「えええ……」


 アレアちゃんたちと私は、そこで一旦別れた。

 大変な目に遭ったけど、悪いことばかりじゃなかった。

 アレアちゃんは、ちゃんと私のことを覚えていてくれた。

 最後に会ったのは十年近く前のことなのに。


「私……諦めなくてもいいのかな……」


 きっと、この恋は上手くいかない。

 アレアちゃんはリリィ様しか見ていない。

 メイちゃんだって、きっとアレアちゃんを思っている。


 それでも。


「それでも、私は思い続けてみたい」


 私はきっと、物語の主役にはなれない。

 でも、端役だって恋をしていいじゃないか。


「待っててね、アレアちゃん」


 私の恋は、まだ始まったばかりだ。

第1章「少女たちの園」

第1話「バウアー女子学園」


「……アレア、起きて。朝」

「う……ん……?」


 わたくしのそれと似ているようで違う声に、深い眠りから引き上げられました。

 目の前にボブカットの幼い少女が見えました。


「……うーん……メイ……? なんでそんなちっちゃくなっていますの……? わたくしたち今日から高校生ですわよ……?」

「……寝ぼけないで」


 枕を投げつけられ、反射的にそれをキャッチします。

 眠い目をこすって辺りを見渡すと、わたくしがいるのは自室のベッドのようです。

 改めて声の主を見ると、幼かった少女の面影は、レイお母様に似たミディアムボブの、そしてレイお母様とは似ていない表情の薄い美貌の少女へと変わっていました。


「ふわ~……。おはようございますわ、メイ」

「……おはよう。ご飯だから呼んできてってレイママが」

「すぐに着替えて行きますわ」

「……うん」


 わたくしがドレッサーを前に着替え始めると、メイは部屋を出て行きました。

 白を基調とした可愛らしくも気品の漂う制服に、わたくしは袖を通します。

 バウアーの名店ブルーメが手がけたセーラー服という制服で、カラーの部分がそのままリボンタイになっているお洒落な服です。


 着替えを終えると鏡を見ながら髪にブラシを通します。

 一時期はクレアお母様の真似をして縦ロールにしていましたが、あれはあまりにも朝の時間を取られすぎます。

 あの髪型は使用人がいた頃のお母様だから維持できたものであって、いち市民に過ぎないわたくしには過ぎたものです。

 自分で髪を整えるようになった今では、普通にロングヘアを維持するにとどめています。


「それにしても……久しぶりですわね。メイがこの部屋に来るなんて」


 もっと小さかった頃、メイとわたくしは同じ部屋で暮らしていました。

 中等部に上がる時にメイが自分の部屋を欲しがったため、物置代わりにしていた部屋を片付けて彼女の部屋にしました。

 同時に誕生したわたくしの部屋は、元は二人で過ごしていたこの子ども部屋です。

 わたくしが元物置の方でも良かったのですが、メイは自分が言い出したことだからと頑として譲りませんでした。


 そんな経緯で自分の部屋を手に入れたわたくしたち姉妹ですが、部屋が分かれてからは以前ほどには濃密に時間を共有しなくなりました。

 メイは初等部の高学年になった辺りから、なんとなく家族と距離を置くようになったのです。

 家にいる時間よりも、友人と外で過ごす時間の方がずっと多くなりました。

 そのことをわたくしはなんとなく寂しく感じています。


『メイもお年頃ってことだよ』


 レイお母様はそんな風に笑っていましたが、だとするなら相変わらず家族との時間を大切にしているわたくしは、まだまだお子様ということなのでしょうか。


 そんなことを考えながら着替えを済ませて髪を整えると、わたくしはダイニングに移動しました。


「アレア、おはよう」

「おはようございますわ、アレア」

「……」

「おはようございますわ、お母様方。メイも改めておはようございますわ」

「……おはよう」


 お母様方は二人で手分けして配膳をしていました。

 メイは既に席に着いていて、静かにこちらを見ています。


 わたくしには二人のお母様がいます。

 一人は金色に光を弾くロングヘアを後ろで結い上げている、凜とした佇まいの美しい女性――クレアお母様。

 もう一人はミディアムロングほどの黒髪をバレットでまとめている、愛嬌のある顔立ちの女性――レイお母様。

 二人は女性同士で結婚し、メイやわたくしを養女として迎え育て上げてくれた、世界一の両親です。


 クレアお母様は相変わらず料理が苦手のようですが、料理以外の家事はむしろクレアお母様の方が上手です。

 二人はお互いの長所を活かし合いながら、家事を分担しているのでした。


「みんな、席に着いた?」

「うん」

「……うん」

「よろしくて? では、いただきます」

「「「「いただきます」」」」


 手を合わせてから朝食が始まりました。

 今日の献立は――。


 パン。

 ミルク。

 ごまドレッシングのサラダ。

 ベーコンエッグ。

 イチゴ。


 といったものでした。

 ずいぶん昔にサッサル火山の噴火で悪化した王国の食糧事情も、今は完全に元通りになっています。

 王道と呼べる朝食メニューは、レイお母様の愛情がたっぷりと感じられます。

 例えばベーコンエッグ。

 根気よく火を通したのでしょう、カリカリに焼かれたベーコンの上に、半熟の目玉焼きが綺麗に真ん中に載っています。

 わたくしも料理は苦手ではありませんが、まだまだレイお母様には及びません。


「二人もいよいよ高等学校ですのね。感慨深いですわ」

「だねぇ。ちょっと前までこんなにちっちゃかったのに」


 クレアお母様の言葉にレイお母様も乗っかり、手で随分低いところを示して見せました。

 メイもわたくしももう十五歳になりますのに、二人の中ではまだまだ子どものようです。


「……子ども扱いしないで」

「そうですわよ。わたくしたち、もう立派なレディですわ」


 メイと二人で抗議しますが、そのことが一層お母様方の笑みを深くします。

 逆効果だったようですわね。


「二人がしっかりしているのは認めますが、あまり早く大人にならないで欲しいですわ」

「そうですねぇ。ゆっくり成長して欲しいよ」

「……ママたちがメイたちの年齢の頃には、もう救世の十傑とか呼ばれてたはず」


 ――救世の十傑。


 わたくしたちにとっては普通の成人女性にしか見えないお母様たちですが、実は凄い人たちなのです。

 もうわたくしはおぼろげにしか覚えていませんが、かつて世界の存亡をかけた戦いがありました。

 その戦いの中で、世界を救うというまるでおとぎ話のようなことを実際に成し遂げたのが、お母様たちなのでした。

 ……実はその十人の中には、メイやわたくしの名前もあるのですが。


「そんなこともありましたわね」

「今は目先のことで手一杯な一般人ですよね」


 そう言って目を合わせてくすりと笑う二人は、やはり普通の人にしか見えません。

 いえ、娘として誇らしくなるくらいに素敵な女性ではあるのですが。


「まあ、それは置いておくとして。二人とも、本当に学園で良かったんですの? 二人の成績なら学院にも十分通えましたのに」

「私たちは嬉しいけどさ」


 もう何度も繰り返された話題を、お母様たちが蒸し返しました。


「確かに王立学院への進学は誉れでしょうけれど、わたくしは最も尊敬する女性が経営する学校で学びたかったんですの」

「……メイは……アレアがいる場所で学びたかったから……」


 そうなのです。

 わたくしたちが今日から入学する学び舎は、かつてお母様たちが学んだバウアー王立学院ではないのです。


 ――私立バウアー女子学園高等部。


 それがわたくしたちの進む先でした。


 通称「学園」と呼ばれるその学校は、数年前にクレアお母様が開いた私立学校です。

 その名の通り女子校であり、やや保守的な傾向の強い学院に比べて、先進的な学問を学ぶことが出来る学校でした。

 わたくしにとってこれ以上ない進学先です。

 理事長をしているクレアお母様だけでなく、レイお母様も同じ学校で教員として働いています。

 

「まあ、今さらですわね。でも、くれぐれも言っておきますが、学園では公私の区別はきちんとするんですのよ?」

「……百万回聞いた」

「ですわね」

「あはは」


 クレアお母様の危惧も分かりますが、いい加減それくらい理解していることも分かって欲しいと思います。

 わたくしたちは学問をしに行くのです。

 お母様たちと馴れ合ったり遊んだりしに行くわけではありませんわ。


「……ごちそうさま。先に行く」


 メイが席を立ちました。

 わたくしは慌てて最後のイチゴを口に放り込みます。


「待ってちょうだいメイ。一緒に行きますわ」

「わたくしたちもそろそろ出ましょう、レイ」

「うん。また後でね、メイ、アレア。はい、クレア? 行ってきますのチュウを下さい」

「どうせ勤務先は同じですのに」


 苦笑しながらもキスを交わすお母様たち――結婚からもう十年以上たつはずですが、二人に倦怠期という言葉は無縁のようです。

 そんな様子を微笑ましく眺めていると、メイが何かもの言いたげな視線を寄こしてきました。


「どうしましたの、メイ?」

「……なんでもない。いこ」


 そうして、メイとわたくしは家を出ました。

 玄関を出て数歩のところで、わたくしは我が家を振り返りました。

 学園生活が始まったら寮で暮らすことになるので、この家ともしばらくの間お別れです。

 わたくしは玄関に向かって小さく、行ってきますと声をかけました。


「いい天気ですわね。絶好の入学式日和ですわ」

「……そうだね」


 柔らかい太陽の光を堪能しながら身体を伸ばしてわたくしが言いますが、対するメイはどこか上の空です。


「何か気がかりなことでもありますの、メイ?」

「……強いて言えば、これからの学園生活」


 メイはため息交じりにそんなことを言いました。


「例えばどんなことが? メイの学力なら、そうそう不安なことなどないと思いますのに」

「……勉強はね」


 どちらかというと身体を動かす方が好きなわたくしとは違い、メイは非常に頭脳明晰で学問が出来ます。

 わたくしの予想通り、彼女の悩みは別のところにあるようでした。


「なら、何を気にしていますの?」

「……ルームメイト」

「ああ、それですの」


 学園も学院と同じく全寮制を採用しています。

 学院ほど資金が潤沢にあるわけではないので、二人部屋ではなく四人部屋ですが、ルームメイトが誰か気になるのは人数とは関係ありません。


「メイは誤解されやすいですものね」

「……アレアが分かりやすすぎるんだと思う」


 メイは物静かで大人しい子です。

 その上、超絶と言っていいほどの美少女なので、同性からは色々とやっかまれやすいのでした。

 クレアお母様は「メイはレイ似ですわね」と言っていましたが、どう考えても髪型以外の容姿はクレアお母様似だとわたくしは思います。


「まあ、なんとかなりますわよ」

「……アレアのそういうとこ、いいなって思う」

「皮肉ですの?」

「……ふふ、本心だよ」


 そう言うと、メイはくすりと笑いました。


「メイが笑ったところ、久しぶりに見ましたわ」

「……気のせいじゃない?」

「メイはもっと笑うべきですわ。美人さんなのですから」

「……アレアが言うと嫌みにしか聞こえない」


 学園への道を歩きながら、わたくしは久方ぶりにメイと弾んだ会話をしました。

 幸先がいいと感じます。


 これから始まる学園生活も、きっと楽しいことが待っているに違いありませんわ。



第2話「もう一人のクラスメイト」


「リリィ様……来て下さいましたのね」

「ど、どうしたんですか、アレアちゃん。こんなところに呼び出して」


 放課後の中庭。

 わたくしはリリィ様をとある場所に呼び出していました。

 そこは学園の生徒たちにとって特別な場所で、通称「伝説の木」と呼ばれる桜の木の下でした。


 わたくしの呼び出しに応じてやってきたリリィ様は、いつものように愛らしく、少し落ち着かなさそうにキョロキョロしていました。

 この木のことを、リリィ様とて知らないはずはありません。

 この木が伝説の木と呼ばれるのには訳があるのです。


 それは学園の生徒たちの間でまことしやかに受け継がれてきた、ある言い伝えです。

 この木の下で告白をして結ばれた者たちには、永遠の幸せが約束されると言われているのです。

 そんな場所、しかも相手が長年彼女に言い寄ってきたわたくしであるともなれば、呼び出された意図は明確であろうというもの。

 リリィ様の顔には緊張の色が見えました。


「……リリィ様!」

「は、はい!」


 わたくしはリリィ様の目をひたと見つめながら、そのほっそりとした両手を取って言いました。

 彼女の驚いたような顔が、すぐ間近に見えます。

 わたくしは続けました。


「ずっとお慕いしておりました。わたくしと結婚を前提にしたお付き合いをしてくださいませ……!」

「あ、アレアちゃん……!」


 わたくしの告白に、リリィ様は最初驚いたような顔をしていましたが、その意味が脳に浸透すると頬を赤らめました。

 俯いて恥じらうような様子が堪らなくいとおしく、わたくしは返事を待たずに抱きしめたくなる気持ちをぐっとこらえます。


 それは永遠にも似た数分のこと。

 やがてリリィ様はゆっくりと口を開きました。


「り、リリィでよければ、ぜひアレアちゃんのお側にいさせてください」


 リリィ様はそう言って、道端にひっそりと咲くタンポポのように笑うのでした。

 その返事に、わたくしはこみ上げるような喜びを覚えました。


 ずっと思って来た女性が、わたくしの思いに応えてくれた――その事実がゆっくりとわたくしの胸を温かく満たしていきます。


「本当に……? 本当に受け入れて下さいますの……?」

「は、はい……!」

「嗚呼……なんてこと。まるで夢のようですわ……!」


 わたくしは堪らなくなって、リリィ様の身体をかき抱きました。

 ところが――。


「リリィ様……?」


 わたくしの腕にすっぽりと収まっているはずの小柄な身体がどこにもありません。

 まるで幻のように、リリィ様の姿は消えてしまったのです。


「どこ……!? どこですの……!?」


 わたくしは必死になってリリィ様を呼びました。

 ようやく念願叶って両思いになれたというのに、こんなことって……!


「……はあ、アレアったらしょうがない」

「……メイ?」


 辺りを見回していたわたくしの目前に、突如姿を現したのはメイでした。


「メイ、リリィ様をご存じなくて? わたくし、リリィ様と――」

「……うん、分かってる」

「……え?」


 メイは温度ゼロの表情のまま静かに続けました。


「……いい加減、アレアは気づくべき」

「メイ、あなた何を言っているんですの……?」

「……よく思い出して。今はいつか、そしてメイたち三人の関係を」


 そうしてメイはうっすらと妖艶な笑みを浮かべると、まるでわたくしを哀れむかのようにこう言ったのです。


「……これ、夢だよ」

「……!?」


 その言葉に、世界の姿がぐにゃりと歪みました。


「……アちゃん」

「ん……」


 何やら声が聞こえます。

 鈴を転がしたような、大変に心地のいい声です。


「あ、アレアちゃん、起きてください」

「……ダメだよ、リリィ様。本気で起こすならこれくらいしないと」


 もう一つ、耳に馴染んだ少し低めの声が聞こえてくると――次の瞬間。


「きゃあっ!?」


 背中にひやりとしたものを感じて、わたくしの意識は急激に覚醒しました。

 すっかり覚めた目で辺りを見渡すと、いつの間にか窓からは夕日が差し込んできており、クラスメイトたちが次々に鞄を持って教室を出て行きます。

 バウアー女子学園は比較的新しい学校です。

 クレアお母様とレイお母様が中心になって設立して、まだ十年とたっていません。

 バウアーに存在する平均的な学校と比べても設備が整っていますし、作りも頑丈で真新しく見えます。


 そんな風景の中には、呆れたような視線を寄こすメイと、苦り切った表情のリリィ様もいました。


「背中が冷たいですわ!? ちょっと、メイ!」

「……おはよう、アレア」

「あ、あははは、荒療治ですね……」


 制服の背中側を緩めると、小石ほどの氷が三つも落ちてきました。

 メイが魔法で作った氷弾のようです。


「何をするんですのよ!?」

「……それはこっちのセリフ。ホームルームを居眠りして全ぶっちするなんて」

「ま、まあ、あまり褒められたことではありませんね」

「う……」


 メイの言い分は全面的に正しく、わたくしは言葉に詰まりました。

 そうでした。

 今は帰りのホームルームだったのです。

 わたくしはそのあまりの退屈さに、居眠りをしていたようでした。

 何やらとても都合のいい夢を見ていた気がするのですが、今となっては思い出すこともできません。

 ただ、とても幸せな気持ちだったことだけを、この胸が覚えています。


 とはいえ、そんなことを口に出したら、メイはおろかリリィ様にも呆れられてしまうでしょう。

 わたくしは気を取り直して口を開きました。


「だって、ホームルームって退屈なんですもの。内容だって、必要なことは後でメイに聞けばいいのですし」

「……メイの手間を増やさないで。甘えるならもっと恋人らしいのでよろしく」

「そ、そうですよ、アレアちゃん。だ、第一、入学最初のホームルームなんて、重要な連絡の目白押しです」

「そうかしら?」


 最初の方こそ真面目に聞こうと思っていたのですけれど、聞いている内に睡魔に勝てなくなってしまったんですのよね。


「まあ、いいですわ。それで? 寮のルームメイトは発表になりまして?」

「……それすら聞いてなかったの?」

「あ、あはは……」


 メイは無表情のまま温度ゼロの視線を寄こし、リリィ様には呆れられてしまいました。

 ……さすがにちょっとバツが悪いですわね。


 通称「学園」と呼称されるこの学校には様々な特色がありますが、その一つに全寮制であることが挙げられます。

 全ての生徒は四人部屋に割り当てられ、その中で集団生活を営むことになっています。

 誰とルームメイトになるかということは、生徒たちにとって割と大きな関心事なのでした。


「は、発表されましたよ。り、リリィたちは同じ部屋だそうです」

「!? ホントですの!?」

「……アレア、喜びすぎ」

「だって、こんな朗報ありませんわ! これから三年間をともにするルームメイトの一人がリリィ様だなんて!」

「きょ、恐縮です……」

「……メイもいるんだけどなあ……」


 先ほどから苦笑いの止まらないリリィ様と、やや不満げなメイを眺めつつも、わたくしはこみ上げる喜びを抑えられませんでした。

 これまで私服姿しか見たことがなかったメイが新鮮に映るのはもちろんのこと、わたくしの目にはリリィ様の姿も眩しく映りました。

 リリィ様といえば、精霊教の修道服を着た姿が常でした。

 それがわたくしと同じ、しかもこんな愛らしい制服に身を包んでいるなんて。


 おまけに寮の部屋まで同室となれば、これはもう――。


「リリィ様、結婚しましょう」

「と、突然、なんですか!?」

「……多分、いつもの病気。気にしない方がいい」


 律儀に反応してくれるリリィ様に対して、メイの方はぞんざいです。


「メイがいることももちろん嬉しいですわ。でも、こんな風に一緒のクラスになった上に寮の部屋まで同じだなんて、やっぱりリリィ様とわたくしは結ばれる運命なんですのよ」

「そ、その運命は多分間違っていると思うのですが……」

「……メイを添え物みたいにしないで。添えるなら一生添い遂げる」


 夢の中のリリィ様と違って、現実のリリィ様とはまだまだ距離があるようでした。

 とは言え、そんなことが言えるのも今のうちだけ。

 これからは同じ部屋で暮らしていくのです。

 わたくしはこの三年間の内に、なんとしても彼女の心を振り向かせてみせると決めているのでした。


 三人で話をしていると、誰かが教室をのぞきに来ました。


「あれ? まだ残ってたの? さっさと寮に移動して荷ほどきしなよ」

「れ、レイさん!」


 困ったような表情をしていたリリィ様の表情がぱあっと明るくなりました。

 ……まったくもう。


「ごめんね、リリィ。きっとまたアレアが迷惑かけてるんでしょ?」

「そ、そんなことありません! そんなことより、今日、時間ありますか?」

「あー、ごめん。さすがに入学式当日は忙しくて。もう少し落ち着いたら、話せる機会はあると思う」

「そ、そうですか……」


 リリィ様は露骨に落ち込んだ様子です。

 まあ、そうなるでしょうとも。


「リリィ様、行きますわよ」

「え? あ、ちょっと、アレアちゃん!」

「……レイ先生、さようなら」

「うん、さようなら」


 わたくしはリリィ様の手を引くと、さっさとその場を離れました。

 当惑しつつも後ろ髪を引かれているような様子のリリィ様が、とても気に入りません。

 公私の区別をきっちりつけて挨拶するメイとレイお母様の言葉を背中に聞きながら、わたくしはまんじりともしない気持ちで寮への道を急ぎました。


 ◆◇◆◇◆


「し、シモーヌ=オルソーよ! 好きに呼びなさい!」


 帰路でちょっとした魔物騒ぎを片付けてから、わたくしたちは寮に入りました。

 学園の校内に魔物が出るなんて、最近は物騒ですわ。

 旧知の間柄であるユリアとの再会は随分と刺激的なものになりましたが、ひとまず彼女に怪我はなさそうでした。

 彼女のことは心配でしたが、カウンセラーさんもよく見てくれることでしょうし、それ以上わたくしに出来ることはなさそうなので、わたくしたちは予定通り部屋にやって来たのでした。


 わたくしたちに割り当てられた部屋に着くと、既に先客がいました。

 紫色のツインテールに、やはり紫色の瞳をした小柄な女生徒でした。

 学園の寮は四人部屋なので、リリィ様、メイ、わたくしに加えてもう一人いるルームメイトが彼女ということになります。


 シモーヌさんは腕組みをして顎をくいっと上げた姿勢で、わたくしたちに簡潔な自己紹介をしました。

 なんだか威嚇している子猫みたいで可愛らしいな、などとわたくしはやや失礼な感想を抱きます。


「ご丁寧にありがとうございますわ。わたくしはアレア=フラ――」

「知ってるわ!」

「そ、そうですの」

「そっちの二人も知ってるわよ! メイ=フランソワにリリィ=リリウムよね!」

「……よろしく」

「は、はい。よ、よろしくお願いします」


 シモーヌさんの態度に、わたくしだけでなくリリィ様も当惑しているようでした。

 メイはいつもの通りのようでしたが。


「先に着いたから、アタシが使うベッドと机は勝手に決めさせて貰ったわ! 構わないわよね!」

「え、ええ……。構いませんわ。わたくしはリリィ様と同じベッドにしますわ」

「好きにすれば!」

「……じゃあ、シモーヌはメイと同じベッドね」

「構わないわ!」

「え、えーと。り、リリィに選択権とかそういうのは……?」

「「「ない(ですわ)」」」

「い、いいですけれどね……」


 そんなこんなで、机とベッドの配分も完了しました。

 寮の部屋は一つの部屋としてはそこそこ大きな部屋ですが、二段ベッド二つと机を四つ並べるとかなり手狭です。

 収納スペースも限られており、私物は最低限にと入学案内で注意されていました。

 学園の部屋は王立学院の二人部屋よりは広いはずですが、個々人が使えるスペースはずっと狭そうです。


「シモーヌさん」

「シモーヌでいいわ!」

「では、シモーヌ。姓がオルソーということは、あなたはレーネさんとランバートさんの……?」

「ええ、娘よ! 養女だけど!」


 レーネさんとランバートさんというのは、お母様たちが昔からお世話になっている方たちで、フラーテルという大きな商会を経営しています。

 フラーテルは学園の大口出資者の一人でもあり、公私にわたってお母様たちを支えてくれているのです。


「そうでしたの、ならわたくしたちのことをご存じでも不思議ではありませんわね」

「そうよ!」

「はるばるアパラチアからバウアーへようこそ。歓迎致しますわ」

「アパラチアとバウアーの間も転移門があるから、そう遠くは感じなかったわ!」

「ああ……。ナー帝国が世界各地で試験運用を開始したというあれですわね」


 わたくしはまだ利用したことがありませんが、遠隔地へ一瞬で移動できる装置なのだそうです。

 帝国の遺跡から発掘された遺物だとかで、解析や設置、運用にはシモーヌの養父であるランバートさんが深く関わっているといいます。


「ところで、一つよろしいかしら?」

「なによ!」


 わたくしはシモーヌについて、ずっと気になっていたことを聞いてみることにした。


「その話し方は疲れませんこと?」

「なによ、文句ある!?」

「ありませんけれど、もう少し肩の力を抜いた方がよろしいのではなくて?」

「いいのよ、これで!」

「そ、そう……」


 なんというか、シモーヌからは敵意ではないのですけれど、何かしら強い感情を向けられているように感じます。


「わたくし、シモーヌに何かしたかしら?」

「してないわ!」

「なら、もう少し親しみある交流を望みたいのですけれど」

「難しいわね!」

「そ、そうですの……?」


 どうしてシモーヌはこんな感じになっているのでしょう。


「し、シモーヌさん」

「さんはいらないわ!」

「あ、えっと、そうでした。シモーヌちゃんはひょっとして、凄く緊張なさっていますか?」

「!?」


 リリィ様の一言で、シモーヌの顔色が変わりました。


「ど、どうして……!」

「あ、当たりでしたか。い、いえ、なんとなくそんな感じがしたものですから」

「く、屈辱だわ……!」

「……どうして緊張してるの? 初対面だから?」


 メイの問いに、シモーヌは体をぷるぷる震わせながら、


「だ、だって……あなたたち、クレア様の娘さんなのよね?」


 そんなことを言いました。


「そうですわ。わたくしたちはクレア=フランソワとレイ=テイラーの娘ですわ」

「……救世の十傑の娘だから緊張してるの?」

「違うわ!」


 お母様たちは有名人なので、こういう反応をされることもしばしばあるのですが、シモーヌはどうやら違うようです。


「アタシ、クレア様に憧れてるのよ!」

「クレアお母様に?」

「そう!」


 それまでやや強ばっていたシモーヌの表情が、ぱっと明るくなりました。


「貴族に生まれながら、その身分にあぐらをかくことをせず、今のバウアーにおける市民制度の礎を気づいたのは有名な話よね!」

「そ、そうですね。く、クレア様の有名な逸話です」

「その上、魔族との戦いにも身を投じて、最後には魔王すら倒しちゃったし!」

「それも有名な話ですわね」


 シモーヌが語った内容は、クレアお母様にまつわる数々の「伝説」の一部でした。

 しかし、


「……でも、それならレイママだって尊敬の対象じゃないの?」


 メイの指摘はもっともです。

 クレアお母様の残した功績は、ほとんど全てレイお母様にも当てはまる内容なのです。

 もっとも、レイお母様は元平民ですが。


「レイ様は……ちょっと……」


 シモーヌは複雑な表情で言葉を濁しました。


「話したくない内容なら、無理に話さなくてもよくってよ?」

「ううん、いいの! どうせすぐバレることだし」


 そう言うと、シモーヌは後ろを向いて、セーラー服の背中側の裾をまくり上げました。


「シモーヌ……それは……」

「うん、羽が見えるでしょ?」


 シモーヌの背中からは、コウモリのような黒い羽が小さく生えていました。

 つまり、彼女は――。


「アタシ、人間と魔族のミックスなんだ」


 服を戻してこちらに向き直った彼女は、沈鬱な表情でそう告白しました。


「魔族の血が混じってるってことで、結構ヤな目に遭ってきたからさ。魔族っていう存在を生み出したレイ様は、ちょっと素直に尊敬できない」

「れ、レイさんが生み出したわけでは――!」

「分かってる!」


 シモーヌはリリィ様の言葉を遮って続けました。


「頭では理解出来てるんだ。魔族を生み出したのは魔王であって、レイ様本人じゃない……分かってる。でも――」


 シモーヌの顔には葛藤がありました。


「魔王はもういない。魔王を憎んだって、もういないんじゃあ感情の持って行きようがない。だから……レイ様なの」

「し、シモーヌちゃん……」


 リリィ様が何かいたわしげな表情を浮かべました。

 その顔には強い同情の色が見て取れます。

 でも、わたくしは少しひっかることがありました。


「それって、八つ当たりじゃありませんの?」

「アレアちゃん!」


 わたくしの口からこぼれた一言に、リリィ様が咎めるような声を上げました。

 でも、だってねえ?


「……アレアはデリカシーがなさすぎる」

「そ、そうですよ!」

「いいの。……ホントはアレアの言うとおりだから」


 メイとリリィ様がフォローめいたことを言いましたが、どうやらシモーヌ自身にも自分の捉え方が歪んでいる自覚はあるようです。


「実際、レイ様には八つ当たりしてるんだと思う。でも、感情の部分はどうにもならない」

「そういうものなんですのね」


 シモーヌは辛そうな表情を浮かべています。

 こういうとき、わたくしは昔から自分の異質さを感じるのでした。


 弱さへの共感力。

 わたくしにはこれがあまりありません。

 リリィ様やメイが自然に彼女に対して抱いているような同情の感情が、わたくしには今ひとつ理解しきれないのです。


 確かにシモーヌの境遇は痛ましいものかもしれません。

 でも、だからといってレイお母様を恨んだって何も解決しないではありませんの。

 戦うべき相手は、彼女を迫害してきた者たちですわよね。

 ――わたくしの思考パターンはどうしてもこうなってしまうのです。


 わたくしはこのことを、重大な欠点だと感じています。

 お母様たちからも何度も指摘されたことです。


 ――わたくしは、人の弱さが分からない。


「まあ、アタシのことはもういいわ。暗い話して悪かったわね!」

「そ、そんなこと……!」

「……話してくれて嬉しかった」

「ありがと。あんたら、いいヤツね!」


 ここでわたくしが口を挟むとまた場が混迷しそうなので、わたくしは言葉を飲み込みました。


 ひとまず顔合わせは済んだことと、そろそろ夕飯の時刻だということで、わたくしたちは食堂に移動しました。

 入学初日だということもあってか、食堂は非常に混んでいます。

 注文した料理が届くのを列に並んで待ちながら、会話をしつつ交流を深めます。


「そう言えばさ、さっきの魔物騒ぎ見てたけど、凄いわね」


 シモーヌがそんなことを口にしました。

 恐らく、ユリアを助けた魔物騒ぎのことを言っているのでしょう。


「お恥ずかしいですわ」

「……アレアにとっては、あんなの朝飯前」

「あ、アレアちゃんは強いですから」


 口々に褒めそやされてち少し面はゆいですが、わたくしはそのことを誇らしく思えました。

 しかし、シモーヌが凄いと感じたのは、そこではなかったのです。


「あ、そうじゃなくて。確かにアレアの戦闘力も凄かったけど、公然とあんなにいちゃつけるもんなの?」

「そ、そこですか……」


 リリィ様が凹んでいます。

 ちょっと、リリィ様。

 わたくしにいちゃつかれて不服だとでも?


 進んでいく列の間隔を詰めつつ内心の不満を覚えたわたくしをよそに、シモーヌはわたくしの目をまっすぐ見つめて、こう聞いてきました。


「アレアって、リリィのことが好きなの?」



第3話「きっかけ」


 リリィ様のことを好きか――そんなの決まっています。


「好きじゃありませんわ」

「……え?」

「え、えええ?」

「あれ?」


 わたくしの返答に、メイもリリィ様もシモーヌも驚いたような、あるいは拍子抜けしたような表情を浮かべました。


「あら? ちょっと寂しい顔なさいまして? わたくし知っていますわ。こういうのをデレ期というんですのよね?」

「ち、違います……!」

「……また始まった」

「ちょっとどういうことよ! 説明なさいよ!」


 メイは何か察したようですが、シモーヌは納得いかない様子です。

 そのタイミングでちょうど料理を受け取る順番が来たので、ひとまず皆でそれを受け取ります。

 話し込んでいる間に混んでいた食堂にも空きが出来てきたので、四人で座ることが出来ました。

 わたくしはビーフシチュー、リリィ様とメイはカレー、シモーヌはトンカツの定食をそれぞれ頼みました。

 メイの食事についてはひとこと言いたいことがあるのですが、今回は割愛してまた後日に。


 席に着いていただきますをしてから、わたくしは先ほどのシモーヌの問いに答えることにしました。


「ですからつまり、わたくしはリリィ様を好きなんじゃなくて、大好き……いえ、愛しているのですわ」

「そ、そう……」

「……レイママの二番煎じ」


 メイのツッコミは図星以外の何物でもなかったので、わたくしは口笛を吹いて誤魔化しました。

 なに恥じることなく言ってのけたわたくしに、シモーヌは動揺したような顔をしました。

 ふむ、さてはこれは……?

 ブラウンソースの意外な完成度の高さに舌鼓を打ちつつ、わたくしはシモーヌの心情に当たりをつけました。


「そんなに堂々と女同士で、なんて思ってますの、シモーヌ?」

「そこまでは思ってないわよ。大体、バウアーって数年前から同性婚が法律で認められてるでしょう?」

「……ママたちのおかげ」

「ゆ、ユー様やミシャさんのお力も大きかったですね」


 そうなのです。

 バウアー王国ではつい数年前に同性婚が法整備されたのです。

 中心となったのはお母様たちです。

 ユー様というのは元王位継承権第三位だった方で、今は精霊教会の枢機卿をなさっています。

 ミシャさんはお母様たちの幼なじみで、ユー様の伴侶となった切れ者の修道女さんですわ。


 閑話休題。


 とにかく、まだそれほど多数派というわけでなくとも、バウアーにおいて同性婚は法的な裏付けを得ているのです。


「ええ、そうですわ。でも、まだまだ奇異の目にさらされることが少なくないのも事実。シモーヌはどうなのかな、と思ったんですのよ」

「……アタシは――!」


 シモーヌは反射的に答えそうになってから、不意に口をつぐんで少し考え込みました。

 そうして付け合わせの漬物をしばしぽりぽりしてから、おもむろに口を開きます。


「偏見がない、とは言えないかしらね。偏見がないって言いながら、アタシのことを差別しまくってきた人をたくさん見てきたし」

「非常に健全な考え方かと存じますわ、シモーヌ。誰だって、多かれ少なかれ偏見を持っているもの。それに自覚的であるというのは、非常に希有な才能ですわよ?」

「そんな大層なものかしら……じゃなくて!」


 シモーヌは話を元に戻すわよ、と続けました。


「とにかく、アレアはリリィのことが好きなのね?」

「ええ、好きという程度の言葉では足りないくらいに」

「……ふーん。どんなとこが?」

「全部ですわ」

「大きく出たわね……」

「……まともに相手しない方がいい、シモーヌ。疲れるから、アレアの相手はメイに任せて欲しい」

「あ、あははは……」


 何やら呆れられていますが、これは偽らざるわたくしの本音です。


 その後は食事を普通に終え、歯磨きやお風呂などの身支度を済ませ、後は寝るだけという形になりました。

 部屋の照明が落とされ、ふと沈黙が訪れます。

 そのまま寝静まるかとも思ったのですが、それを破ったのはシモーヌでした。


「アレアがリリィを好きになったのって、何かきっかけとかあったの?」

「あら、コイバナ続行ですの? いいですわよ、リリィ様のことならわたくし、いくらでも話せましてよ」

「……メイは寝る。夢の中のアレアを抱きしめながら」

「あ、あははは……」


 メイはああ言いましたが本当になるつもりはないようで、気配でこちらの雰囲気を探っているのが分かりました。

 それを感じつつ、わたくしは続けます。


「そうですわね、リリィ様にコテンパンにやられたのがきっかけといえばきっかけかもしれませんわね?」

「え、アレアって見かけによらずドMだったりするの……?」

「違いますわよ。話すと長くなりますけれど、よろしくて?」

「構わないわ」


 それなら、とわたくしは全員に途中で寝てもいいように言ってから口を開きました。


「あれはわたくしが中等部に上がったばかりのことでしたわ」


 ◆◇◆◇◆


「ただいまですわ」

「……おかえりなさい」

「おかえり」

「お、おかえりなさい」


 家に帰ると、そこにはやや固い表情をしたクレアお母様とレイお母様が待っていました。

 そしてもう一人、リリィ様もいらしているようです。


「こんにちは、リリィ様。ご機嫌はいかが?」

「あ、えっと……その、ちょっと緊張はしているでしょうか」

「緊張? どうしてですの?」

「アレア、ちょっとそこに座りなさいな」

「え?」

「いいから」


 クレアお母様の声には、少し険があるように感じられました。

 続くレイお母様も、何やら思い悩んでいるような気配があります。

 ひとまず、大人しく言われたとおりに座ります。


「どうしたんですの、お母様方?」

「アレア、今日、学校の先生から相談がありました」

「学校でガキ大将みたいなことやってるんだって?」


 お母様たちは頭痛でもしているかのような表情で、そんなことを言ってきました。


「ガキ大将だなんて人聞きの悪い」

「話を聞く限り、そうとしか思えませんけれど?」

「……まあ、クレアだって学院にいた頃は――」

「レイ、話がややこしくなるから黙っていてちょうだい」

「はーい」


 レイお母様をやり込めるクレアお母様は相変わらずだなあと思いつつ、わたくしは何のことを言われているのか、大体の見当がつきました。


「確かにわたくしは有志の生徒を集めて、ちょっとした何でも屋のようなことをしていますわ」

「それのことですわ」

「何か問題がありまして?」

「大ありですわよ」


 クレアお母様は目元を揉むようにして渋い顔をしたあと、こう続けました。


「アレア。あなたは自分に力があると思って、少しやり過ぎていませんこと?」

「そんなことはありませんわ」

「なら、先週男子生徒たちを数人、大けがさせた件もやり過ぎではないと言うんですのね?」

「もちろんですわ」


 これは誤解されていると感じたので、わたくしは弁明を始めました。


「先週の件は、ある女生徒が一部の男子生徒たちに嫌がらせをされたのが原因ですわ。決して弱い者いじめなどではありませんのよ?」

「原因はこの際問題ではないのです。結果として、あなたは男子生徒たちを治療院送りにしましたわね?」


 治療院というのは、この世界の主要な宗教である精霊教が運営する医療施設のことです。

 市民が病気や怪我をした際に、最初に選択肢として挙がるのがそこでした。


「それはそうですが……弱き者が虐げられているのを黙って見過ごせませんわ」

「その心意気はいいでしょう。でも、用いる手段が過剰であっては、いじめていた子たちとさして変わりのない害悪ですわ」


 わたくしはカチンときました。

 よかれと思ってやったことをこんなあしざまに言われるのは、たとえ相手が敬愛するお母様であっても、許せるものではありません。


「お母様はよくわたくしに仰っていたではありませんか。理想から現実に逃げてはいけない。理想を掲げる者は常にその実践者であれ、と」

「あなたはそれを実行したに過ぎない、と?」

「そうですわ」


 大体、いじめを放置していた学校にも問題があったはずです。

 教師たちが何か対策を講じていたなら、わたくしが出張る必要などなかったのですし。


「確かにわたくしは彼らに多少の怪我を負わせました。でもそれだって、治療院で治療を受ければ治る範囲ですわ」

「怪我は治ればそれでなかったことになるとでも? 彼らが負った怪我の度合いについても報告を受けています。重度の骨折に深い裂傷、小さな傷に至っては数え切れないほど……。彼らが感じた恐怖までは、魔法でも治せませんのよ?」

「自業自得ですわ。それを言うなら、嫌がらせを受けた女生徒が受けた心の傷だって同じ事でしょう?」


 その後もしばらく、わたくしはクレアお母様と口論しましたが、お互い自分の正当性を疑わず譲りませんでした。


「はぁ……。アレア、あなた少し調子に乗りすぎですわね」

「聞き捨てなりませんわ。わたくしのどこが一体、調子に乗っているといいますの」

「あなた、自分が何一つ間違ったことはしていないと思い込んでいるでしょう?」

「思い込みではありません。事実ですわ」


 わたくしは救世の十傑が一人、クレア=フランソワの娘として、誰はばかることなく生きているつもりです。

 過ちを犯したりしないよう、常日頃から心がけているのですから、たとえお母様であってもそれを否定はさせません。


「……こういうわけですのよ。頼まれていただけるかしら、リリィ枢機卿」

「も、もう少し話し合われた方が……」

「いいえ、言っても聞かない馬鹿娘は、一度くらい痛い目に遭った方がいいんですのよ」

「で、でも……」

「ちょっと待ってくださいな。一体、何の話ですの?」


 急に話の行方が分からなくなって、わたくしはクレアお母様に問いました。


「アレア。あなた、リリィ枢機卿と立ち合いなさい」

「は?」

「ほ、本当にやるんですか!?」


 話が見えません。

 リリィ枢機卿と……立ち合うですって?


「お母様、要領を得ないのですが」

「簡単なことですわ。リリィ枢機卿にあなたの慢心を戒めていただくんですのよ」

「そのために、立ち会いですの?」

「ええ」

「り、リリィはまだ承服したわけでは……!」


 あたふたしているリリィ様を置き去りに、話は進みます。


「クレアお母様、慢心していらっしゃるのはお母様たちの方ではなくって?」

「……なんですって?」


 空気がピリリと張り詰めたのが分かります。

 当然です。

 わたくしは今、明確にクレアお母様にケンカを売ったのですから。


「お母様たちが救世の十傑と呼ばれたのはもう何年も前のことですわ。一線を退いて久しいでしょう?」

「わたくしたちがあなたに劣るとでも?」

「知恵や教養、その他の総合力を考えれば、わたくしなどまだまだお母様たちには遠く及ばないことは弁えておりますわ。でも、戦闘力は別でしてよ?」


 師であったナー帝国前皇帝ドロテーアから、剣士の最高の栄誉である剣神の位を受け継いだのは伊達や酔狂ではないのですから。

 毎日の鍛錬をかかしていないわたくしと、すでに戦いから縁遠い生活を送っているお母様たちとでは、恐らくわたくしの方に分があります。


「そうですわね、確かにレイやわたくしはそうかもしれません」

「でしたら……」

「でも、リリィ枢機卿は違いますわ」


 クレアお母様がリリィ様を見ました。

 その視線は頼もしげでしたが、当のリリィ様はといえば自信なさげに視線を右往左往させるばかりです。


「リリィ枢機卿は今でも教会の実戦部隊を指揮し、自身も魔物と戦い続けている現役ですわ。そう簡単に倒せると思わないことですわね」

「ちょ、ちょっとクレア様!? な、なにを勝手に啖呵切ってるんですか!?」

「頑張れー、リリィ」

「れ、レイさんも止めてくださいよ!」

「やー、でも、私もここいらで一度、アレアは痛い目に遭っておいた方が後々のためかなって」

「そ、そんな勝手な……」


 わたくしは非常に不満でした。

 お母様たちの会話の前提が、わたくしの敗北であることが。


「いいですわ。それなら受けて立ちましょう」

「あ、アレアちゃんまで!?」

「その代わり、リリィ様が多少怪我を負っても文句は受け付けませんわよ?」

「ええ、構いませんわ」

「か、構いますよ!?」

「頑張れー、リリィ」

「だ、だから止めて下さいって、レイさん!」


 こうして、わたくしはリリィ様と立ち合うことになったのです。


「勝負は魔法あり剣術ありの一本勝負。メイが威力減衰の結界を張りますから、全力を出して構いませんわよ」

「……なんでメイがこんなこと手伝わないといけないの」

「ご、ごめんね、メイちゃん」


 リリィ様とわたくしは家の裏手にある広い草原で対峙していました。

 この立ち合いのために呼び出されたメイは、不服そうにふくれっ面をしています。


「覚悟はいいですわね、リリィ様」

「あううう……。お、お手柔らかにお願いしますね……」


 リリィ様はこの期に及んでまだ乗り気ではないようです。

 そんなことでこの剣神を倒せるとは到底思えませんけれど。


「それでは構えて!」


 クレアお母様の合図で、わたくしは木剣を構えました。

 リリィ様も得物の双短剣に見立てた二本の木の棒を構えます。


「――始め!」


 剣術に余計な小細工は不要。

 師であるドロテーア様からの教えはシンプルでした。

 最速で踏み込み、最短距離を最速で振り抜く――これが彼女の教えの極意です。

 単純だからこそ極めるのが難しく、しかし極めてしまえば防ぐことは難しい。

 わたくしはそれを実践できるよう、常に心身を鍛え上げてきました。


(手早く終わらせましょう)


 リリィ様とてこんな騒ぎに巻き込まれて迷惑をしているはず。

 少し痛い思いはするかもしれませんが、早めに決着をつけた方がリリィ様のためにもなります。


 ――などと考えられたのは、最初の数合いの内だけでした。


「くっ……!」

「どうしまして、アレア。太刀筋が乱れていますわよ?」

「お母様は黙っててくださいまし!」


 クレアお母様に指摘されるまでもなく、その事実はわたくしが一番痛感していることでした。

 何もかもが、自分の思うとおりになりません。

 最速で振られるはずの剣は、最高速に達する前に止められていなされます。

 神速と言われたはずの踏み込みも、間合いで殺されます。

 最短距離など叶うはずもありません。

 代わりに、それら全てを満たした剣撃が二つの閃きで襲ってくるという、悪夢のような事態でした。


 後で教えられたことですが、この時リリィ様は時間を操る魔法と剣技を組み合わせた、非常に高度な戦闘を行っていて、初見だったわたくしはそれに完全に翻弄されていたのでした。


「リリィ様、とどめを」

「……アレアちゃん、ごめんね?」


 その言葉を最後に、わたくしの意識はブラックアウトするのでした。


 ◆◇◆◇◆


「へー。そんなことがあったんだ?」

「そうですわ。あんな完敗を喫したのは生まれて初めてのことでしたの」

「そ、その節は大人げないことを……」

「……でも、あれでアレアはリリィ様にぞっこんになった」

「そうなの?」

「ええ」


 実際の所、クレアお母様の指摘は当たっていたのです。

 わたくしは自分が完璧な人間だと思い込んでいたのです。

 魔法や学問こそメイに劣りますが、それ以外のことでは自分に並ぶ者などいない、などと自惚れていました。


 そんなわたくしに、圧倒的なNoを突きつけたのが他ならぬリリィ様でした。


「リリィ様は剣術だけでなく、魔法も超一流でした。戦闘だけではありませんわ。お料理や家事や学問だってできます。苦手なのはお裁縫くらいではなくて?」

「ほ、褒めすぎです!」

「それでいてこの謙虚さ。しかもこうしてさらに学園にまで通おうとするのですから、もう降参する他ありませんわよ」


 わたくしよりも優れた人間がいるという事実は、不思議とわたくしを打ちのめしませんでした。

 むしろ、そのことを喜ばしく思い、その対象であるリリィ様にわたくしはどんどん惹かれていったのです。


「……やっぱりアレアってドMなんじゃない?」

「人聞きが悪いですわ。でも、確かにその可能性もありますわね。レイお母様の娘でもあるわけですし」

「……問題発言」

「れ、レイさんが聞いたら泣きますよ!」

「そうかもしれませんわね。なら、お母さまを泣かせるわたくしには、きついお仕置きが必要だと思いませんこと、リリィ様!?」

「お、お仕置きはそんなに嬉々として要求するものじゃありませんよねえ!?」


 まあ、レイお母様のことはさておくとして。


「そんな経緯で、わたくしはリリィ様にぞっこんですの。リリィ様はまだレイお母様のことが忘れられないみたいですけれど」

「その話はアタシも知ってるわ。レイ様の一体どこがそんなにいいのか、アタシには分からないけど」

「何言ってるんですか! レイさんは素敵な人ですよ!」

「……救いがない。けど、アレアはいずれメイが救ってみせる」


 などという話をしながら、その夜は更けていきました。

 とりあえずその日はお開きになり、わたくしたちも目をつぶろうとし――ふと思いついたことがありました。


「ねぇ、リリィ様」

「……な、なんですか、アレアちゃん」


 二段ベッドの上段へ声をかけると、ためらいがちないらえがありました。


「あの時、わたくしを負かしてくださってありがとうございますわ」

「り、リリィは少し後悔していますけれどね。あ、あれがなければ、アレアちゃんの思いがこんなに歪むこともなかったでしょうし」

「歪んでなんかいませんわ。わたくし、本当にリリィ様のことが好きですのよ?」

「……」


 リリィ様からの返答はありませんでした。

 本当に罪な方ですわ。


「そろそろ遅いですわね。おやすみなさい」

「お、おやすみなさい」


 明日から、いよいよ学園生活本番です。

 わたくしは弾む胸を必死に押さえつけながら、呼吸を整えて睡魔を招き入れました。



第4話「実力テスト」


 入学式の翌日、学園でまず行われたのは実力テストでした。

 入学試験でもテストは受けていますが、入学後のこのテストではより内容の細分化された内容が問われます。

 テスト科目は魔法力、剣術、教養、そして……なんと礼法です。

 保守的な教育傾向で知られる学院ですら廃止されたこの科目を、学園が採用しているのには訳がありました。


「世界の第一線で活躍する女性には、礼法は必須科目ですわ」


 それが学園創立者であるクレアお母様の言葉でした。

 学園で教わる礼法は、バウアー国内に限って通じるような、古式ゆかしいそれではないのです。

 国際的に活躍する女性が身につけておくべき諸処のプロトコル――それを教わるのが礼法の講義なのでした。

 もっとも、この時点ではまだ誰も講義を受けていないので、せいぜいがどんぐりの背比べになるでしょうけれど。


 第一科目の魔法力試験直前。

 隣に座っているメイはさすがに落ち着いています。

 メイは世界で彼女とスース王国の女王マナリア様の二人しか確認されていない、希有な四重属性――クアッドキャスターなのです。

 魔法の試験で苦戦するいわれはないでしょう。


 リリィ様はといえば、こちらも少々の緊張だけで、自然体でいるように見えました。

 彼女は水と風の二重属性――デュアルキャスターです。

 適性も高いので、リリィ様も慌てることはないでしょう。


 問題はシモーヌでした。


「……シモーヌ、落ち着きなさいな」

「落ち着いてなんていられないわよ! せっかくクレア様の学校に入学出来たのに、結果が惨憺たるものだったら……!」

「今ダメでも、これから頑張ればいいじゃないですのよ。そのための学園ですわ」

「それはそうだけど!」


 あれこれと言葉をかけてみますが、どうやらシモーヌは極度の緊張しいのようで、テストが始まるまでガチガチの状態でした。


「……他人のことよりも自分のことですわね。結果は分かりきっていても、やはり気が重いですわ」


 シモーヌがどれほど魔法に秀でているか、あるいは劣っているかは分かりませんが、わたくしよりは絶対にマシです。

 なにしろ、わたくしは五段階ある魔法適性のうち一番下――無適性だからです。

 双子の姉妹であるアレアが途方もない魔法の才能に恵まれているのに対し、わたくしは魔法がてんでダメなのです。


「わたくしには剣術がありますから、別にいいのですけれどね」


 程なく、魔法力の試験が始まりました。

 測定器で各々の魔法適性を計測します。

 バウアーでは六歳になると最初の測定が義務づけられていますが、学園にはユリアやシモーヌのように海外からの留学生も多くいます。

 測定結果に一喜一憂する様は、割と見ていて飽きないものでした。


「……そして、わたくしは案の定ですのね」


 計測の結果は変わらずの全属性が無適性でした。

 魔法適性は成長によって微妙に変化することもあるようですが、基本的に属性が増えたりすることはないので、この結果は予想通りです。

 それほど大きな落胆もありません。


「わ、凄い!」

「四属性だって!」

「しかも全部中適性以上なんて……」

「さすが救世の十傑の一人だね」


 計測場の一角が湧きました。

 確かめるまでもなく、メイのことです。


 この世界の魔法には大きく分けて地水火風という四つの属性があります。

 ほとんどの人は一人一つの系統に適性を持ち、それ自体も下から無、低、中、高、超という五段階で評価されます。

 メイはその例外であり、一人で四つの属性に適性を持っているのです。


 周りの子たちがはやし立てている割に、当のメイはいつもの無表情です。

 嬉しくはあるのでしょうけれど、今さら騒ぎ立てるほどのこともない、という感じでしょうか。

 それもそうでしょう。

 彼女本来の適性は、中どころではないのですから。


「……いいわね、才能のある子は」

「あら、シモーヌ。計測は終わったんですの?」

「ええ」

「結果は?」

「……中適性だったわ」

「あら、悪くないじゃありませんのよ」


 計測前の緊張具合からして、よほど自信がないのかと思いましたのに。


「問題は適性の高さじゃないのよ」

「じゃあ、何が?」

「……種類よ」

「種類? 別にどの属性が一番評価が高いとかありませんでしょう?」

「これを見ても?」


 そう言ってシモーヌが渡してきたのは、彼女の計測結果を記した紙でした。


「魔法適性種別……闇?」

「そうよ」


 わたくしは彼女が何を悩んでいたのか、ようやく腑に落ちました。

 先ほど述べたように、人間が扱う魔法は基本的に地水火風の四つのどれかです。

 しかし、過去に闇という属性が使用された記録が残っています。


「……やっぱり、アタシには魔族の血が流れているのね」

「シモーヌ……」


 そう。

 闇属性魔法を使ったとされるのは、三大魔公と呼ばれる高位の魔族、そしてその頂点に君臨していた魔王でした。

 魔に連なる者であること――その事実はシモーヌにとって決して喜ばしいことではない様子でした。


 しかし――。


「羨ましいですわ」


 その事実はわたくしにとって、また違う感慨を抱かせるものでした。


「どこがよ!? 魔族の血が流れてるってだけで、アタシがどれだけ苦労してきたか――」

「シモーヌは特別な魔法使いなんですのね」

「!?」


 わたくしの素朴な感想に、シモーヌは驚いたように目を見開きました。


「!?!?!? ……。~~~~~~! ……はあ」


 そうしてしばらく百面相をした後、最後に諦めたような顔をしました。


「どうかしまして?」

「アレアを相手にしてると、なんだか毒気を抜かれるわ。大したヤツよ、アンタは」

「ありがとうございますわ。今後ともよろしくお願いしますわね」

「……アタシといると、きっと嫌な思いするわよ?」

「ルームメイトを無視する方が、わたくしの美学に反しますの」

「……そ」


 シモーヌはまだ複雑そうな顔をしています。


「血のことですけれど、気にすることなんてありませんわ。別にあなたは人間に害をなそうとはしていないのでしょう?」

「……どっちかっていうと、アタシの方が人間からちょっかい出されてるわね」

「そんなこと、このわたくしがさせませんわよ。少なくともわたくしの目の届く範囲では」

「……アンタ、お人好しって言われるでしょ?」

「お褒めの言葉と受け取っておきますわ」


 わたくしが少しおどけ混じりにそう言うと、シモーヌは苦笑しました。


「あ、アレアちゃん、シモーヌちゃん。どうでしたか?」

「いつもの通り、適性ゼロでしたわ」

「え。アレアって無適性なの?」

「そうでしてよ?」

「なんでそんなに超然としていられるのよ……」

「わたくしは剣の方が得意なんですのよ」

「ふ、普通はそこまで割り木ラマ戦よねえ……」


 わたくしのあっけらかんとした様子に、シモーヌが呆れた顔をし、リリィ様はそれをなだめるような感じでした。

 はて?


 続いては剣術の試験です。

 試験内容はランダムな組み合わせによる乱取りでした。


「け、剣神……」

「よろしくお願いしますわね」


 わたくしの対戦相手は、どうやらわたくしのことをご存じのようでした。

 剣を交える前から、青ざめています。


「戦う前から負ける気ですの?」

「! コイツ……!」


 わたくしの挑発に、相手の子が乗ってきました。

 少しは気を取り直した様子です。

 ええ、そうでなくては。


「構えて……始め!」


 その後も教養、礼法とテストは進み、ほぼ一日かけたテストが終わりました。


 ◆◇◆◇◆


 三日後。


「あれ?」

「え」

「嘘ぉ……」


 学校の掲示板に張り出された結果には、驚きと戸惑いの声が混じっていました。


「クアッドキャスターが一位じゃないの……?」

「剣術も剣神が一位じゃないよ」

「両科目の一位はリリィ様だ。さすが……」


 そう。

 メイもわたくしも、魔法や剣術のテスト結果は上位十位には入っているものの、一位ではなかったのです。


「ちょっと、どういうことよ、アンタたち!」


 それに納得いかないのがシモーヌのようでした。


「アンタたち姉妹は救世の十傑でしょ! それがなんであんな成績なのよ!?」

「リリィ様も救世の十傑ですわよ?」

「……むしろ順当」

「そ、そういえば……。いや、誤魔化されないわよ!? リリィはともかく、アンタらならベストスリーくらいには入れたでしょう!?」


 どうやらシモーヌは、メイやわたくしが手を抜いたと思い込んでいるようでした。


「シモーヌ、わたくしは全力でテストに臨みましたわよ?」

「……メイも」

「バレバレの嘘つくんじゃないわよ! クアッドキャスターと剣神がどうして十位とかそこらになるのよ!」


 出会った時から思っていたことですが、シモーヌは怒りの沸点が割と低いようです。


「ちなみにシモーヌはどうでしたの?」

「う゛……今はいいでしょ、そんなことどうでも!」

「し、シモーヌちゃんは、魔法が十九位、剣術が十五位、教養が二百八十五位、礼法が三十八位ですね」

「リリィ、言わなくていいから!」

「ひう!? ご、ごめんなさい……」


 あら、シモーヌってば結構頑張ったじゃありませんのよ。


「教養だけ際だって低いですわね? まあ、わたくしは最下位でしたけれど」

「……回答欄、一個ずつずれて書いちゃったのよ……。って、最下位?」

「……お気の毒様。アレアもシモーヌも」

「あーもう! アタシのことはいいのよ! それよりア・ン・タ・た・ち!」


 シモーヌは黙っていれば結構な妖艶美少女だと思うのですが、口を開くとなんだか親しみのある感じなんですわよね。


「し、シモーヌちゃん。アレアちゃんたちは別に、手を抜いていたわけじゃありませんよ。ちゃんと理由があるんです」

「理由?」

「そうですよね、アレアちゃん、メイちゃん?」

「ええ、まあ」

「……うん」


 そう、これには理由があるのです。


 話は学園への入学が決まった数ヶ月前に遡ります。



第5話「制約」


「制約……ですの?」

「そうですわ」


 学園への入学が正式に決まって数日後、クレアお母様とレイお母様はメイとわたくしにそんなことを言いました。


「学園に入学するに当たって、あなたたちに力を抑える魔法を使います」


 わたくしの方は剣術について、メイの方は魔法についてそれぞれ力を減じる魔法をかける、とクレアお母様は言いました。


「どうしてそんなことをしなければならないんですの?」

「……不便」


 わたくしもメイも、お母様の真意を測りかねました。

 クレアお母様はいいですこと、と続けました。


「あなたたち二人の力は、同年代の子たちに比べて突出しすぎています。素のままで入学しては、いらぬ混乱を招くでしょう」

「そうですかしら?」

「……加減すればよくない?」


 わたくしもメイもその当たりの力加減は慣れています。

 今さらその塩梅を間違えるとも思えません。


「確かに、アレアとメイはそうかもしれない。でも、他の子たちにとって、二人の力はやっぱり強すぎるよ」


 レイお母様がクレアお母様の言葉を引き継いで続けました。


「正直、アレアの剣術とメイの魔法は、世界基準で極まってると思う。それは凄いことだけど、他の子のやる気を削ぎかねない」


 強い力は良くも悪くも影響力が大きい、とレイお母様は言います。


「制約と仰いましたけれど、具体的にはどんな手段を用いますの?」

「……いざという時に使えないと、臨機応変に対応できない」

「そこはレイが上手いことやってくれますわ」

「二人の能力を完全に縛っちゃうわけじゃないんだよ。ある一定の条件下で制約したり解放したり出来るようにするよ」


 レイお母様はこれを魔力減衰結界の魔法から着想を得たそうです。


「というと?」

「自分のために力を使う時は、実力の六十パーセントの力しか出せないように制約をかけさせて貰うよ」

「……他の人のためになら、制約はなし?」

「うん。あと、自分の命に関わるような時にも、制約は解除されるから安心して」


 レイお母様は色々な魔法を身につけている方ですが、今回のこれもお母様のオリジナルのようです。


「ご理解いただけて?」

「ええ、分かりましたわ」

「……メイも構わない」

「ありがとう、二人とも。じゃあ、かけるね」


 ◆◇◆◇◆


「というわけなんですの」

「……だから、手を抜いたわけじゃない」

「え、円滑な学院生活のための、予防措置とご理解ください」


 さらにメイが続けます。


「……これが制約の印」


 メイが右手の甲に刻まれた百合の模様を見せました。


「ちょっとメイ!」

「へぇ、百合の刻印なのね。……って、どうしてアレアはそんなに慌ててんのよ?」

「な、なんでもありませんわ!」

「……印が出る場所は人によって違う」

「へぇ? アレアはどこ?」

「……聞きたい?」

「え? ええ、まあ」

「……アレアはね――」

「メイ!」


 堪らず、わたくしはメイの口を塞ぎました。

 だって知られたくないでしょう?

 ――お尻に現れた、なんて。


 わたくしたちが説明を終えると、シモーヌは首をかしげつつ言いました。


「事情は理解したけど……それって結局は手加減とか手抜きじゃないの? いくら二人が優秀だからって、ハンデを負わせるのはなんか違う気がするわ」


 どうもシモーヌはわたくしたちが力を抑えられていることが気に入らないようです。

 それは彼女のプライドというよりも、わたくしたちへの同情という方向のようでした。


「勘違いしないでちょうだいね、シモーヌ。わたくしたちはこれでいいと思っていますわ」

「……うん」

「というと?」

「わたくしたちにとっても、これはいい挑戦になるんですのよ」

「挑戦?」


 シモーヌの顔にクエスチョンマークが見えます。


「手前味噌になりますが、わたくしと剣術で互角に戦える生徒なんて限られていますわ」

「そりゃそうでしょうよ。なにせ剣神だもんね」

「ええ。でも、この制約があれば、普段とは違う方向性で勝ち方を探る必要が出てくるでしょう?」

「……確かにそうね」

「……メイにとっても、それは同じ」

「つまり、わたくしたちにとって、この制約というのはまたとない学びの機会なんですのよ」


 そう言ったわたくしの顔を、シモーヌは注意深く観察しているようでした。

 それはまるで、わたくしたちが負けん気や強がりで言っていないかどうかを吟味しているようにも見えました。

 そして、彼女の懸念が杞憂に過ぎないことを見て取ったのでしょう、シモーヌは大きく息を吐きました。


「……分かったわ。アンタらがそれでいいならいいと思う。突っかかっちゃって悪かったわね」

「ご理解頂けて幸いですわ」

「でも!」

「?」

「……?」


 突然、強い語調になったシモーヌに、メイとわたくしは何事かと視線をやります。


「でも、納得してるなら容赦はしないわ! 全力で勝ちに行くから、覚悟しておくことね!」


 勝ち気な表情で鼻息も荒く宣言してきたシモーヌを見て、わたくしはきっといい友人になれると確信しました。


「ええ、もちろんですわ!」

「……メイも負けない」

「り、リリィも頑張ります」


 と、話が一段落しそうになった時、


「あっ……っと。レレ、まだおやつの時間ではありませんわよ?」

「!? 魔物!?」


 わたくしの鞄からまろびでたその不定形の生き物に、周りの生徒たちが色めき立ちました。


「待った! この子は魔物じゃないわ! 従魔よ! そうでしょう、アレア?」


 今にも攻撃を加えられようとしていたレレ――ウォータースライムの幼体です――をかばったのは、シモーヌでした。


「……シモーヌが正しい。レレはアレアの従魔。害はない」

「従魔ですって!? 初めて見た!」

「確かに核が金色だわ」


 メイの説明にようやく落ち着きを取り戻した生徒たちは、今度は珍しげにレレをしげしげと見つめています。

 レレは集まる視線を気にするようでもなく、マイペースに辺りを見回しています。


「確か、クレア様も従魔を従えていたわよね?」

「正確にはレイお母様ですけれど、そうですわ。わたくしのレレとメイのレアはお母様の連れていたウォータースライムの子どもですの」

「メイも従魔がいるの?」

「……ちょっと気弱な子だけどね。レア、出ておいで」


 メイが魔法杖で円を描くと、そこからぽてりと銀色の丸い体が現れました。


「わ、珍しい! この子、はぐれスライムね!」

「……シモーヌ、詳しい」

「ま、まぁね」


 レアはスライム族の突然変異で、非常に丈夫な銀色の体を持つはぐれスライムという種族なのです。

 とても臆病な性格なので、滅多に人前に現れないことでも有名なスライムです。

 その証拠に、レアは周りに人がたくさんいることを察知すると、すぐにメイの後ろに隠れてしまいました。


「ふーん……なんだか分かってきたわ。レレの方は治癒の力を感じるわね?」

「あら、よくお分かりですわね? そうですの、レレは薬草好きな子なんですのよ。いわゆるヒールスライムですわ」


 ウォータースライムは色々なもの食べて対象の能力を吸収する性質があるのですが、レレは薬草の力を得て治癒の魔法が使えるようになっているのです。


「レアの方は……悪食系?」

「……ご明察。好物は金属。刃物なんかもバリバリ食べる」


 頑丈な身体をしている上に刃物を食べるので、物理攻撃にはとことん強い子なのです。


「やっぱり、そういうことね」

「な、何がですか、シモーヌちゃん?」

「二人がどうしてこの従魔を連れているかってことよ」


 シモーヌはそう言うと、腕を組んで自らの考察を述べ始めました。


「アレアの従魔は治癒魔法に優れたヒールスライム。剣術に秀でていて、魔法が使えないアレアにはぴったりの組み合わせよね」

「ご名答ですわ」

「メイの従魔は前衛として防御力に優れたはぐれスライム。後方から魔法で勝負したいメイには、これまたぴったり」

「……正解」


 わたくしはシモーヌの観察眼に舌を巻きました。

 教養のテストの件といい、彼女はどこかおっちょこちょいな一面もありますが、このように鋭い部分も持っているようです。

 私が素直に感嘆をあらわそうとすると、


「へ~、さっすが魔族。同族のことはよく分かるのね」

「!?」


 嘲りを隠そうともしない侮蔑の声が、シモーヌに投げかけられました。


「今のはどなた!? わたくしの友人に何たる暴言!」


 わたくしは声にはっきりと怒気をまとわせて、辺りを睥睨しました。

 声の主は分かりませんでしたが、罵声を重ねるつもりはないようでした。


「いいの、アレア」

「よくありませんわ! わたくしの目の届く範囲で、あのような無礼は許しませんわ!」

「本当に……いいから。ほら、チャイム鳴るから、そろそろ机に着こう」

「シモーヌ……」

「あんたたちみたいに、分かってくれる人だけ分かってくれたらそれでいいのよ」


 彼女らしくもなく儚い笑みを浮かべると、シモーヌは自分の席について何事もなかったかのように講義の支度を始めました。


「あ、アレアちゃん、今は抑えて」

「リリィ様まで……。どうしてですの?」

「ま、魔族への偏見は、そう簡単に解決できるものではありませんから」

「そんなこと……! 大体、シモーヌはミックスであって、魔族では――」

「魔族に家族を殺された人に同じ事を言えますか、アレア=フランソワさん?」


 ふいにかけられた声は、咎めるのではなく、蒙を啓くような色を帯びていました。

 声の主は魔法使いの格好をした、年老いた男性でした。


「失礼ですが、あなたは……?」

「この学級を担当させていただきます、トリッド=マジクと申します」

「あなたが……。いえ、それは今どうでもいいですわ。先ほどのは一体どういう意味ですの?」

「お分かりになりませんか」

「ええ」

「では、これはあなたへの宿題と致しましょう。提出はいつでも構いませんよ。さて日直の方、号令を」

「き、起立!」


 その後は、普通に学園の講義が始まりました。

 トリッドと名乗ったその先生の講義は非常に分かりやすく、かつ具体的な魔法学の講義でした。


 しかし、わたくしの記憶にはその半分も残っていません。


(魔族に殺された人に……? ええ、言えますわよ?)


 でも――。


 でも、リリィ様だったら、きっと何かためらいを感じるのではないか、とも思えます。

 それはリリィ様にはあって、わたくしには欠けている重要な何かであるような気がします。


 しかし、その欠けている何かが何であるのか、わたくしにはまだきちんと理解することが難しかったのです。



第6話「人と世界と頭痛の種」


 ※レイ=テイラー視点のお話です。


 私は理事長室の扉をノックした。

 部屋の主らしい優美さと実直さを兼ね備えた木の扉は、心地よく手を跳ね返してくれる。


「どうぞ……あら、レイ先生。どうしましたの?」

「いえ、ひとまず、初日お疲れ様でした、と言いに来ました」

「ええ、ありがとう。今年も一筋縄ではいかない生徒が集まりましたわね」


 そう言うと、クレアは机に座ったまま、苦笑しつつ肩をすくめた。


「学院と比べても、学園に来るのは野心的な生徒が多いですからね。加えて、今年はアレアやメイもいますし」

「それが一番の頭痛の種ですわ……」


 クレアは机に突っ伏してしまった。

 無理もない。


「なんとかなりますよ。娘たちを信じましょう」

「あなたは楽観的ですわね、レイ先生」

「クレア理事長が悲観的過ぎるんですよ」

「そうかしら」

「そうですよ」


 そう声をかけると、クレアはそうかもしれませんわね、と言って表情を柔らかくした。

 彼女とはもう十年以上の付き合いになるが、今なお何度見ても美しい人だと思う。

 容姿だけではない。

 クレアはそのあり方が美しい。


「それにしても、思い切った部屋割りにしましたね。アレアやメイたちとシモーヌを一緒にするなんて。まあ、リリィは納得ですが」

「やむを得ない措置ですわ」


 クレアは一つ大きく息を吐いてから続けた。


「アレアとメイは遅かれ早かれ何かトラブルを呼び寄せるでしょうし、シモーヌはシモーヌで出自から来るトラブルを抱え込みます。バラバラにするよりも一カ所にまとめて、リリィに面倒を見て貰うのが一番ですわ」

「事実上、リリィは保護者役って訳ですね」

「それだけじゃありませんけれどね」


 どういうことだろう、と視線でクレアに先を促すと、クレアは席を立って窓の外に視線を投げた。


「リリィはリリィで問題を抱えているでしょう?」

「クレア理事長からはそう見えますか? 私はもうとっくに時効だと思いますが」

「彼女の性格からして、そんなものは有名無実ですわ。彼女が犯した罪は、未だ彼女を苛んでいるようにわたくしには見えます」

「……難儀な性格ですね」

「わたくしたちだって大概ですわよ?」

「まあ、私たちにはお互いがいるじゃないですか」

「……まだ学校ですわよ、レイ先生?」

「もう放課後です」


 そう告げて、窓の外を見続けるクレアを後ろから抱きしめた。

 クレアは少し身じろぎしたが、私によこしまな気持ちがないと分かったのか、案外素直に受け入れてくれた。


「アレアたちのこと、どう見まして?」

「見事な三角関係って感じですかね」

「やはりそう見えますのね」

「思いをよせて貰った身で言うのもおこがましいですが、リリィには新しい恋が必要だと思います」


 もう十年以上前の話になるが、リリィは自分の性的指向と信仰の板挟みになっていた時期があった。

 今でこそ精霊教は同性愛を「容認」しているが、当時は異性愛しか認めないような風潮が強かった。

 リリィのことを陰口を叩いていたとある修道女に、同性愛は悪ではないと説明する機会があったのだが、ちょうどリリィがその場に居合わせて、それをきっかけに私は彼女に惚れられてしまったのである。


 当時から私はクレアしか眼中になかったのだが、まあリリィの諦めの悪いこと悪いこと。

 その後数年にわたって――それこそクレアと結婚してからも、リリィは私のことを諦めなかった。

 思いを寄せて貰えるのは光栄ではあるが、愛人枠でどうですかと言われると、さすがにそれはどうなんだ元枢機卿と突っ込まざるを得ない。


「アレアの恋も実って欲しいですわね。今のところ、なかなか難しいようですが」

「リリィから見ると、アレアはほとんど娘か妹みたいな感じのようですね」

「むしろ彼女、メイの方を気にかけているようにわたくしには見えますわ」

「メイを?」

「ええ。理由はちょっと分かりかねますけれど」


 こういう時、クレアは鋭い。

 野生の直感――というのとは少し違う。

 彼女の場合は論理的な推論なのだが、その深度と確度が深すぎて言語化出来ないのだ。

 そして往々にして、その推論は的を射ている。


「じゃあ、メイは?」

「それこそ、言わずもがなでしょう」

「……頭の痛いことですね」

「違いありませんわ。必要とあらば、レーネに相談に乗って貰いましょう」


 レーネというのはかつて貴族だったクレアに幼い頃から仕えた元使用人で、実の兄と恋に落ちてしまった過去を持つ。

 今はシモーヌの保護者をしているらしい。


「シモーヌはシモーヌで難しい子ですわね……」

「幸い、本人は境遇を鑑みれば驚くほどまっすぐな子のようですから、アレアののんきさを彼女が学んでくれるといいのですが……」

「同時に、学園内だけでもシモーヌが居心地よく過ごせる場所に出来れば、それが一番いいのでしょう。でも――」

「はい、難しいでしょうね」


 魔王との決戦から十年以上がたつが、魔物の被害は一向に収まる気配はない。

 そしてその構図はこれからもずっと変わらないということを、クレアも私も知っている。

 それはこの世界の仕組みに由来するからだ。


「ループシステムの管理者権限の問題も、結局、結論が出ないままですね」

「……政治というものが厄介な性格をしていることは十二分に知っていたつもりでしたけれど……事がことだけに、うかつに結論が出せませんわね」


 魔法世界と科学世界を繰り返し、お互いの世界を相互に癒やし合う――それがこの世界の基本的なシステムなのだが、そのシステムの管理者権限は現在クレアのものとなっている。

 こんな重要な権限を個人に委ねておくべきではない、というのはクレアも私も分かっているのだが、ではどうすればいいかとなると、なかなか次善の策が思いつかないのが現状だ。


「レイの言う、国際連合的な組織を作れたら、と思ったのですが……」

「帝国が力を減じたことによって、逆に各国の主張が強くなってまとまるのが難しくなった感は否めませんね」


 かつて、ナー帝国前皇帝ドロテーアは侵略主義的な外交を推し進めており、結果、その他の国々が結束しつつあった。

 だが、ドロテーアが崩御し、今の皇帝フィリーネが融和外交に舵を切ったため、かえって国際秩序は難しくなってしまっている。


「戦乱の時代よりも、平和な時代の方が難しいというのは、なんとも皮肉ですわね」

「いざとなったら、フィリーネに相談して悪役になって貰います?」

「バカおっしゃい」

「デスヨネー」


 ぽかりと頭を叩かれた。

 戯れの範疇なので痛くはない。

 私もおどけて見せるだけだ。


「フィリーネが試験運用を始めた、転移門のこともありますね」

「あれはいいものだと思いますわよ? 今はまだ試験段階ですが、あの技術はきっと世界の距離を縮めます」


 それは確かにそうなのだが、私はどうも心配だ。

 転移門はナー帝国の遺跡から発掘された科学文明の技術を利用していて、その内実が明らかになっていない。

 内容のよく分からないものを、よく分からないまま使っているという事実に、私は不安を覚えずにはいられない。

 まあ、それを言いだしたら魔法という技術そのものがブラックボックスだらけなのだが。


「ミクロにもマクロにも、問題が山積みですわね」

「まぁ、出来るところから少しずつ手をつけていくしかありませんよ」

「そうですわね」


 後ろ抱っこをほどいて、クレアを解放する。

 クレアは帰る支度に取りかかるようだ。

 私も支度をするため、職員室へと足を向け――ようとして、一つ思い出す。


「そういえば、何か一つ忘れてませんか、クレア?」

「なんですの?」


 クレアがはて、という顔をした。

 可愛いなあ。


「最愛の妻にねぎらいの言葉は?」

「……夜、かわいがってあげますから、いい子にしてなさいな」

「はーい」


 まあ、黙ってやられっぱなしでいるつもりはないが、「約束」を取り付けたことに気分を良くする。

 我ながらちょろいと思う。


「それじゃ、玄関で待ち合わせということで」

「ええ」

「クレア」

「はい?」

「愛していますよ」

「ええ、わたくしも……ってバカ仰い! 職場ではやめなさいな!」


 赤面するクレアを今度こそ残して、私は職員室への道を急ぐのだった。



第7話「部活動」


 バウアー女子学園がバウアー王立学院と異なる点はいくつもありますが、その中でも特徴的なのが部活動です。


「ねえキミ、アレア=フランソワだろ? 剣術部においでよ!」

「いいや、その体術は格闘部にこそふさわしいって」

「メイ=フランソワさんよね? あなた、魔法研究部に来ない? なんなら籍を置くだけでもいいから!」

「クイズ研究会はどう? メイさんって凄く頭いいんでしょ? いけるいける!」


 今は新入生歓迎期間というものだそうで、教室への道すがら、わたくしは主に体を動かす系の部から、メイは魔法や頭脳労働系の部から、それぞれ熱烈な勧誘を受けています。

 わたくしは上級生たちの熱心な勧誘をひとまず全て保留にさせて貰い、自分の教室へとどうにかたどり着きました。


「ふぅ。やっと落ち着きましたわ」

「……疲れた」

「お、お疲れ様です。アレアちゃん、メイちゃん」

「二人とも有名人だから大変ね!」


 自分の席に着いてひと心地ついていると、リリィ様とシモーヌがやって来ました。

 四人で寮を出たのですが、メイとわたくしは途中で勧誘に捕まってしまったので、二人は先に着いていたようです。


「有名というだけなら、リリィ様だってそのはずなんですけれどね」

「……リリィ様、気配消してた。ずるい」

「え、そうなの?」

「あ、あははは……。ええ、まあ……」


 メイとわたくしが白い目を向けると、リリィ様は気まずそうに目をそらしました。

 全くもう。


「それで? 三人は何部に入るか目星はつけた?」


 シモーヌが興味半分といった様子で聞いてきました。


「そういうシモーヌはどうなんですのよ?」

「アタシは帰宅部でもいいかなって。別に部活動は自由参加で義務じゃないし」


 実はそうなのです。

 学園は生徒の自主性を重んじる校風なので、部活動は盛んではあるものの義務ではありません。

 かく言うわたくしも、学生の部活動レベルの剣術や体術にはあまり魅力を感じておらず、それならリリィ様が入る部活に一緒に入ろうかという不純な考えを持っているのでした。


「リリィ様はどうでして?」

「り、リリィは自分で新しい部活を立ち上げるつもりです」

「へぇ、どんな部活なの?」

「……興味深い」


 それはわたくしも興味があります。

 三対の視線に先を促され、言いにくそうにしていたリリィ様がおずおずと続けました。


「……わ、笑いませんか?」

「笑いませんわよ」

「……笑わない」

「誓うわ」

「……ほ、奉仕活動部です」

「奉仕活動部?」


 どんな字を書くかはリリィ様の人となりを知っていればなんとなく想像がつきますが、肝心の活動内容が思い浮かびませんでした。


「それはどんな活動をする部活なんですの?」

「わ、分かりやすい言い方をすれば、困っている人を助ける何でも屋さんのようなものです。が、学園が公に動くまでもないような小規模のトラブルや悩みに対応して解決に当たるのが活動になります」

「へぇ、ちょっと面白そうね」

「……リリィ様らしい」


 どうやら修道院の奉仕活動に似たことを、学園の中でやろうということのようでした。


「それですわ!」

「ひう!? な、なにがですか、アレアちゃん……?」

「その奉仕活動部、わたくしも入れてくださいな」

「え、えええ……? あ、アレアちゃんはもったいないですよ。け、剣術部にでも入れば、全国競技大会でも相当な成績が見込めるでしょう?」


 わたくしの希望を聞いたリリィ様は難色を示しました。

 しかし、


「学生レベルの競技大会なんて、わたくし興味引かれませんわ。第一、それを言ったらリリィ様だって同じじゃありませんのよ」

「り、リリィは年齢制限で出場出来ませんから……」

「それならなおさらですわ。リリィ様と剣を競えない大会に出たってつまらないですもの」

「え、えええ……。ちょ、ちょっとメイちゃん、シモーヌちゃん。あ、アレアちゃんを説得して――」

「面白そうね!」

「……うん」

「えええ!?」


 リリィ様はメイやシモーヌに助けを求めましたが、メイもシモーヌも奉仕活動部に興味があるようでした。


「弱きを助け、強きをくじく……まるでクレア様のようだわ!」

「え、えーと。シモーヌちゃん、なんだか奉仕活動部のあり方を曲解してませんか?」

「……概ね間違ってないと思う」

「め、メイちゃんは絶対、分かってて言ってますよねぇ!?」


 話が思わぬ方向に転がり、リリィ様はあたふたしていますが、これは後の祭りというものでしょう。


「そうと決まれば早速行動ですわ。部活動申請はもう出しましたの?」

「は、はい。にゅ、入学式の日にはもう申請書を提出しておきました。か、活動認可は頂いています」

「なら話は早いわね!」

「……活動場所は?」

「ぶ、部室棟の一室を使うようにとうかがっていますけれど……え、お三方とも、本当に奉仕活動部に?」

「ええ」

「……うん」

「そうよ!」


 大きく頷いた三人の顔を見て、リリィ様はしばらく途方に暮れた顔をしていました。


「……こ、これも主が与えたもうた試練でしょうか」

「ちょっと、リリィ様? わたくしたちが参加することがまるで悪いことのように仰らないでくださる?」

「……でも、気持ちは分かる」

「まあ、アレアとかメイはトラブルを招きやすそうなタイプよね」

「し、シモーヌちゃんもですぅ……」

「え」


 そんな風に話していると、始業の鐘が鳴り響きました。


「とりあえず、話の続きは放課後ですわね。全員、部室に集合ということで」

「……うん」

「分かったわ!」

「……人生って諦めが肝心ですよねぇ」


 若干一名涙目になっていた気がしますが、わたくしは強引に話をまとめると、授業の支度を始めました。

 ――放課後が楽しみですわ。


 ◆◇◆◇◆


 奉仕活動部の部室は部室棟の一階隅にありました。

 それほど大きな部屋ではなく、荷物をしまうロッカーが後ろにあり、四人が座れる椅子と机を置くともうそれほど余裕がないほどの狭さでした。


「四人で活動するくらいでちょうど良さそうですわね」

「……少数精鋭」

「悪くない部屋だわ!」

「な、なし崩しに入部を認めてしまいました……」


 まだ煮え切らない様子のリリィ様はともかく、メイとシモーヌはやる気十分のようです。


「部長は誰がやるの?」


 シモーヌがふと思いついたようにリリィ様に水を向けました。

 リリィ様は少し考えてから、


「ひ、一人で活動する予定でしたから、リリィがする予定でしたけれど、このメンバーならアレアちゃんにお願いしたいです」

「……反対」

「アタシも止めておいた方がいいと思うわ」

「ちょっと。別に部長の座にこだわるつもりはありませんけれど、ずいぶんな言われようですわね?」


 まるでわたくしが不適格と言われているようで、あまりいい気はしません。


「……アレアが部長になったら、余計な仕事まで引き受けてくるに決まってる」

「メイの言うとおりだと思う。アレアの性格だと、自分からトラブルを探しに行くでしょ?」

「え? そういう部活ですわよね?」

「ちょ、ちょっと違いますね」


 リリィ様は飽くまで当初の予定はですが、と前置きをして奉仕部のコンセプトを説明してくださいました。


「ほ、奉仕活動部は飽くまで受け身で活動していく予定です。こ、困っている人が相談を持ちかけてきたらそれに対応していく、という形を取ります」

「まだるっこしいですわね。こちらから探しに行くのではダメなんですの?」


 わたくしが疑問をぶつけると、リリィ様はふいに目をつぶって、


「天は自ら助くる者を助く」


 何かを諳んじるように呟きました。


「それは?」

「……精霊教の聖典、第一章第四節」

「ああ、そんなのあったわね」

「め、メイちゃん正解です」


 どうやら、リリィ様は精霊教の教えの一節を引用したようです。

 彼女は元精霊教の枢機卿だった人なので、内容は全て頭に入っているのでしょう。

 リリィ様は続けます。


「べ、別にこの部活を精霊教の教えの下におこうとは考えていません。で、でも、人助けというのは一方通行だと歪むと思うのです」

「歪む?」


 わたくしはよく分かりませんでした。


「こ、困難に遭遇したとき、大切なのはまず自分でその困難と闘おうとする意志だと思いませんか?」

「……ああ」

「なるほどね」

「待ってくださいな、わたくしまだよく分かりませんわ」


 わたくしは地頭は悪くないと思うのですが、小難しい話はちょっと苦手です。


「つ、つまりこういうことです。た、助かろうとする意志なくして他人から一方的に救われると、そこには成長がないと思うのです」

「何が問題なんですの?」

「こ、困難とは、神が与えたもうた試練であり苦しいものではありますが、人間的に成長するきっかけにもなり得ます。そ、その機会を奪うことは当人のためにならないはずです」


 そういうものなのでしょうか。

 わたくしが分からないでいると、


「でも、声を出したくても出せない子、出し方を知らない子もいると思うわ、正直」


 独り言のように言ったのはシモーヌです。

 それはあるいは彼女自身の経験談なのか、とても重い響きを伴っていました。


「た、確かにその心配はごもっともだと思います」

「そうよね?」

「た、ただ、最初からこちらが全部やってしまったら、そういう子はますます何もしない子になってしまう可能性もありますから……」

「……そういうことも、あるかもね」


 あるいは、これは正解のない問題なのかもしれません。

 結局、構わず手を差し伸べる状況なのか、その子がまず状況打破に動かなければ解決しないのかはケースバイケースなのでしょう。

 なにより――。


「……そもそも、生徒のいち部活にそんな重い悩みを持ち込む子はいないと思う。いじめとか犯罪への対処は教師の仕事」


 メイの一言は、あまりにももっともだとわたくしは思いました。


「まあ大丈夫なのではなくて?」

「ずいぶん軽く請け合うじゃない」


 わたくしの一言があまりに楽観的に聞こえたのか、シモーヌが少し険のある声で聞き返してきました。


「弱い立場の子たちのことは、それを親身になって考えられるシモーヌがいるじゃありませんの。そういった声なき声、力なき子たちの手を引っ張り上げるのは任せましたわ!」

「えええ!? ……ま、まあ、やってあげてもいいわ!」


 頼られるとは思ってはいなかったのか、シモーヌは随分驚いていましたが、ふてくされているのを装いつつも、まんざらでもない様子で頷いてくれました。

 シモーヌにはああ言いましたが、彼女に頼ったのには訳があります。


「わたくしには今ひとつピンと来ませんのよね」


 困ったら声を上げる――それはそんなに難しいことなのでしょうか。


「ふふ、アレアちゃんらしいですね」


 リリィ様はそう言って笑いましたが、その笑みはどこか陰りを帯びているようでした。

 わたくしはその意味するところを、理解出来ませんでした。


「まあ、いいですわ。でも、そういうことでしたらやはり部長はリリィ様がいいと思いますわ」

「り、リリィがですか!?」

「……賛成」

「アタシも賛成かな」


 動揺するリリィ様をよそに、外堀が埋められていきます。


「この部活の意味や意義はリリィ様が一番分かってそうですし、メイはそういうの面倒くさがるタイプですし」

「……そのとおり。アレアの理解が深くて嬉しい」

「シモーヌがやりたいというならまた話し合いが必要ですけれど……」

「アタシも一般部員の方がいいわ」

「という訳ですわ」

「に、逃げ場がもうない……」


 だってどう考えても一番向いていますもの。


「なら、部長はリリィ様に決定ということで、奉仕活動部の活動開始ですわね!」

「……おー」

「ワクワクするわね!」

「あ、あるぇー……?」


 そんな訳で、バウアー女子学園高等部奉仕活動部が結成されました。

 どんな依頼が舞い込んでくるのか、わたくしは期待に胸を弾ませるのでした。



第8話「半身」


 ※メイ=フランソワ視点のお話です。


 リリィ様と同じ部活に所属することになって浮かれるアレアを見て、メイはこっそりため息をつく。

 相変わらず、アレアはリリィ様しか見ていない。

 実にアレアらしいと思うと同時に、メイの胸の奥に鈍い痛みが走る。


 ――アレアはメイのものだったのに。


 アレアはもう忘れているようだけれど、メイには生まれたときからの記憶がある。

 彼女とメイは長い間お互いだけが拠り所だった。


 実のパパはメイたちが生まれたときにはもう亡くなっていたけれど、ママのことは覚えている。

 どこかは分からないけれど、メイたちは最初どこかの遺跡のような場所にいた。

 ママに連れられてバウアーにやって来たけれど、バウアーについてすぐママも亡くなった。

 その後のことは、今思い出しても辛い記憶だ。


 今は解決しているけれど、アレアとメイには血に呪いがあった。

 メイたちの血に触れると、人か物かを問わず魔法石になってしまう呪いだった。

 亡くなった実のママの親類たちは、メイたちを金の卵を産む鶏扱いした。

 敢えて傷をつけて血を流させ、そうして得た魔法石を売って生活の糧にしていた。

 傷をつけられる痛みはイヤだったけれど、アレアもメイもこれが普通なのだと思っていた。


 事態が動いたのはバウアー王国で起きた火山の噴火だった。

 王都に甚大な被害をもたらした噴火のせいで、親類たちも皆亡くなってしまった。

 アレアとメイは生き残ったけれど、その時メイたちはまだ五歳――生きていく方法は限られていた。

 スラム街は被災者であふれかえっていたが、その一角で二人身を寄せ合って暖を取ったのを覚えている。

 当座のお金は、血で作った魔法石を売って稼いだ。


 やがて、メイたちのことを聞きつけた教会の人間が保護にやって来た。

 でも、その頃のメイたちはすっかり人間不信になっていた。

 メイもアレアを守るために、手を差し伸べてくる教会の人たちは呪いを使って追い返した。


 何人か人が変わった後、やって来たのがリリィ様だった。

 リリィ様はそれまでの人たちとは明らかに違った。

 彼女がまずメイたちにしたことは、何も言わずに少し離れた場所に座ることだった。


『きょ、今日はいいお天気ですね』


 リリィ様は足繁くメイたちの元に通っては、そんなとりとめもない会話を繰り返した。

 最初の内、メイたち二人は彼女を無視していたけれど、段々と興味を引かれるようになった。

 彼女が話す修道院というところは、少なくともスラムよりは居心地が良さそうだった。


 しばらくたって、リリィ様はようやく修道院に来ないかと誘ってきた。

 アレアもメイも、スラムでの暮らしには限界を感じていた。

 魔法石を作る子どもの噂は随分広まってしまい、中には明らかに力尽くでメイたちに言うことを聞かせようとする者まで現れ始めていた。

 一か八かの賭けだったけれど、アレアとメイはリリィ様について行くことにした。


 リリィ様の言っていた通り、修道院での暮らしはスラムよりは遙かにマシだった。

 食事にはありつけるし、着るものも与えられる。

 雨露もしのげるし、暴漢に怯える必要もない。

 ただ、代わりに奇異と排斥の視線に晒されることになった。


 血の呪いを持つアレアとメイは修道院では腫れ物扱いだった。

 あからさまに迫害はされなかったものの、中にはメイたちを異端視する聖職者もいた。

 この頃のメイたちはまだ名前すら与えられず、アンとかドゥとか言われていたのを覚えている。

 信じられるのはお互いだけ――そんな時期がしばらく続いた。


(レイママとクレアママが来なかったら、きっとメイたちは長くもたなかった)


 二度目の転機が訪れたのは、レイママとクレアママがメイたちの保護者になった時だった。

 王国で起きた革命が一段落し、リリィ様は贖罪の巡礼に出掛けるということで、メイたちのことをレイママたちに託したのだった。

 レイママとクレアママは、これまで接してきたどんな大人たちとも違った。


 メイたちは人のぬくもりを与えて貰った。


 すっかり人間不信になっていてなかなか心を開かないメイたちに、レイママたちは辛抱強く接し続けてくれた。

 与えられたのは拒絶や冷遇ではなく、惜しみない愛情。

 凍り付いていたメイたちの心は、徐々に解けていった。


(お互い以外に初めて信じられる存在が出来た)


 レイママやクレアママには感謝してもしきれない。

 今では二人のことを本当の両親だと感じている。


 ――それでも。


 それでもやはり、メイにとってアレアは別格なのだ。


(メイたちは二人で一人……そうでしょう、アレア?)


 半身という言葉がある。

 メイにとってアレアはずっとずっとそういう存在だった。

 かけがえのない、もう一人の私。

 仮にレイママやクレアママとアレアのどちらを取るかと迫られたら、メイは迷うことなくアレアを選ぶ。


 それなのに。


(アレアは変わっちゃった)


 かつてメイたち二人の心には二人しかいなかった。

 レイママとクレアママという保護者を得たけれど、それでもお互いはやっぱり特別だった。

 なのに今、アレアの心にはもう一人、リリィ様という人が居座っている。


(メイを見て、アレア)


 リリィ様にだって感謝はしている。

 地獄のようなスラムから、人としての生活を与えてくれたのはリリィ様だ。

 でも、メイからアレアを奪うというのなら話は別だ。


(メイを見てよ、アレア)


 最初はこれまで以上に仲良くしようとあがいた。

 でも、アレアはもうそれではつなぎ止められなかった。

 メイは方針を転換する。

 アレアと距離を置くことにしたのだ。


 諦めたわけじゃない。

 きっとメイたち二人は、今まで距離が近すぎた。

 適度に距離を取ってお互いのことを見つめ直せば、きっと違う変化が起きると思ったのだ。


 でも――。


(アレアはリリィ様のことばかり)


 アレアはメイの付き合いが悪くなったと言うが、実際には逆だ。

 最初にメイから離れたのはアレアなのに。


 リリィ様やシモーヌといった奉仕活動部のメンバーたちと楽しそうに歓談するアレアを見ていると、良くない気持ちがこみ上げてくる。


(アレアはメイのものなのに)


 今はまだ、この気持ちは隠しておく。

 アレアとメイは血の繋がった姉妹だ。

 同性婚が合法化されたバウアーにおいても、近親婚は禁忌のまま。

 今、メイがアレアに思いを打ち明けても、きっとこの恋は実らない。


(レーネさんとランバートさんの気持ちが痛いほど分かる)


 レイママとクレアママの古い知り合いである二人は、実の兄妹でありながら素性を隠して異国に移り住み、夫婦として暮らしている。

 かつてはその禁断の思いにつけ込まれ、レイママやクレアママと対立したこともあったとか。

 血の繋がった相手を思ってしまうことは、とても重い意味を持つ。


(でも、だからって諦められない)


 実の姉妹?

 血のつながり?

 禁忌?

 違法?

 それがなんだというのだろう。


 誰が何を言おうとも、メイのこの思いは誰にも否定させない。

 その相手が仮に、アレアだったとしても。


 アレアはリリィ様に楽しげに話しかけている。

 リリィ様は困ったように笑っている。

 メイの中でどす黒い感情が嵐のように吹き荒れた。


 ――メイを見なさい、アレア。


 いつかそれを口に出来る日は来るのだろうか。



第9話「問い」


 ※リリィ=リリウム視点のお話です。


「それで、リリィ様――」


 目の前でアレアちゃんが楽しそうに笑っています。

 彼女から向けられる視線に含まれている色は、紛れもない好意。

 リリィはそれを光栄に思いつつも、それを受け取ることの出来ない苦しさに窒息しそうになっています。

 リリィのような者がこんなに思われることになるなんて、以前は想像も出来なかったことです。


 リリィは同性愛者です。

 最初にそのことに気づいたのは、修道院で年上の先輩を目で追っていることを自覚したときでした。


 修道院はある意味で閉鎖社会です。

 外部との交流は皆無ではありませんが、基本的に修道女たちは修道院の中で身を寄せ合って暮らしています。

 必然、密な人間関係が生まれやすいのです。

 リリィはその中で、リリィに修道女としての手ほどきをしてくれた先輩に、憧れに似た気持ちを抱きました。


 先輩は快活でおおらかな人でした。

 他の修道女からの人望も厚く、彼女を慕う修道女は少なくなかったと記憶しています。

 ですが、それは飽くまで人としての魅力の話です。

 リリィが先輩に抱いた感情は、もっと生々しい感情でした。


 今思い返せば、その時の感情は憧れに近かったと理解出来ます。

 リリィは初めて親しさを覚えた先輩に、錯覚に近い形で惹かれたのでしょう。

 でも、当時のリリィにそんなことは分かりません。

 日に日に募る思いを持て余し、我慢の限界を迎えて告白し――手ひどく振られました。


 その翌日から、修道院という閉鎖空間はリリィにとって針のむしろと化しました。

 誰が密告したのかは分かりません。

 先輩がバラしたとは信じたくありませんが、とにかくリリィが同性愛者であることは公然の秘密となってしまいました。


 リリィのお父様――サーラス=リリウムは当時宰相の地位にあり、リリィ自身もゆくゆくは枢機卿にと言われていましたから、表だって迫害を受けることは多くはありませんでした。

 それでも、当時の精霊教は同性愛に否定的でした。

 リリィは有形無形の様々な差別にさらされることになってしまったのです。


(だから、レイさんのことは本当に衝撃的でした)


 アレアちゃんとメイちゃんの養母であるレイ=テイラーさん――彼女もまた同性に恋する同性愛者でした。

 ですが、自分の性的指向を罪として恥じていたリリィと違い、レイさんは堂々とそれは罪ではないと主張しました。

 リリィをなじっていたとある修道女とレイさんの問答は、リリィに少なくないショックを与えました。

 レイさんは感情的にならず、極めて論理的に相手を説き伏せました。


 論破ではないのです。

 レイさんは言いました。


 ――あなたに偏見から自由になって欲しい、と。


 その大きすぎる器に、リリィは完全に参ってしまいました。

 ただの憧れではない、本当の初恋がこのとき始まったのです。


 ただ、レイさんには既に思い人がいました。

 それが彼女の今の伴侶であるクレア様です。

 レイさんとクレア様がともに辿った道のりは険しくも豊かで濃密なもので、およそ余人の入り込む隙などあり得ませんでした。


 それでも、簡単には諦められないのが恋というもの。

 リリィはあの手この手でレイさんにアプローチしました。

 恋は落ちるもの、とはレイさん自身の弁です。

 リリィ自身、頭で無理と分かっていても、レイさんを思う気持ちは止められなかったのです。


 とはいえ、レイさんはクレア様以外に思いを寄せるつもりはないようでした。

 数々の冒険をともにくぐり抜け、果ては世界の危機すらもともに救った二人の絆は、何者にも冒しがたい強固なものとなっていきました。

 今でもレイさんのことを諦めたつもりはありませんが、無理だろうなというのが今のリリィの正直なところです。


 だからと言って、アレアちゃんのアプローチを受け入れるかというと、話はそう簡単ではありません。

 レイさんとクレア様の娘さんらしく、真っ正面から迫ってくるアレアちゃんのことを眩しくは思いますが、リリィは彼女のことを恋愛の対象としては今のところ見られません。

 アレアちゃんのことは、彼女が五歳くらいの頃から知っているのです。

 リリィにとってアレアちゃんは、娘か妹的な存在です。

 恋愛的な意味では見られないでいるのでした。


 これはアレアちゃんには決して言いませんが、そういう意味ではリリィはメイちゃんの方が気になります。

 いえ、メイちゃんだって娘か妹的な存在であることに変わりはないのですが、彼女が時折見せる大人びた表情や、どこかかつてのレイさんを思わせるような危うさに、彼女を放っておいてはいけないという気持ちになるのです。

 あるいはそれは、メイちゃんがレイさんに似ているからゆえの錯覚かもしれません。

 ですが、猛烈にアプローチをかけてくるアレアちゃんを微笑ましく思う一方で、気がつくとリリィはメイちゃんを目で追ってしまいます。


 メイちゃんがアレアちゃんを慕っていることにはもちろん気づいています。

 アレアちゃんはそういう機微には疎いところがあるので気づいていないようですが、メイちゃんの思いはレイさんやクレア様も勘づいていると思います。

 娘同士がそういう関係になるかもしれないことを、二人がどう思っているかは分かりませんが、リリィは確かめるのが怖くてとても聞けないでいるのでした。


 リリィの気持ちはともかく、メイちゃんはリリィに対してあまりいい感情は持っていないようです。

 無理からぬ事でしょう。

 リリィは彼女にとって、思い人の思い人なのですから。

 仕方ないと割り切っているつもりではありますが、メイちゃんが時折見せる嫉妬の表情には、少々傷つくものがあります。


 結局、現状はアレアちゃん→リリィ→メイちゃん→アレアちゃんという三角関係が膠着状態にあります。

 これまでは物理的な距離が遠かったので、関係性の変化も少なかったですが、同じ学び舎に通うことになってそれがどう変わるかは未知数です。

 良きにつけ悪しきにつけ、アレアちゃんもメイちゃんも……そしてリリィも変わっていかざるを得ないのでしょう。


(でも、リリィは……)


 リリィには罪があります。

 許されざる罪です。

 かつてお父様――サーラス=リリウムに操られて、たくさんの命を殺めました。

 その後悔はずっと……贖罪の巡礼を終えてなお、いえ、むしろ時を経るごとにリリィの胸により重くのしかかってきます。


 ややもすると、リリィの弱い心は全てをお父様に押しつけてしまいたくなります。

 リリィは操られていただけで、リリィは何も悪くない、などと。

 そんなことが許されるわけはないのに。

 リリィはそういう自分の弱さとも向き合っていかなければなりません。


(そもそも、リリィに人を好きになる資格などあるのでしょうか)


 レイさんへの思いが激しさを失った理由の一つは、この罪の意識です。

 たとえ裁判で情状酌量の余地ありと罪に問われなくとも、信仰に生きてきたリリィは自分自身の罪から目を背けるわけにはいきません。

 かけがえのない命を奪ってしまったという大罪。

 それは何をしても贖うことの出来ないリリィの汚点です。


(リリィは生涯をかけてその贖罪に生きると決めています。だから――)


 そんな生き方に、誰かを巻き込んでいいとはとても思えません。

 この学園に入学したのも、罪の償い方に道しるべを得られたらという思いからでした。


「リリィ様、なにか難しいことを考えていまして?」

「え?」


 気がつくと、目の前のアレアちゃんが心配げな表情でこちらを見ていました。

 周りを見渡せば、シモーヌちゃんもそしてメイちゃんまでもが似たような顔をしています。

 いけない、物思いにふけりすぎました。


「す、すみません。ちょっとぼーっとしていました」

「そうですの? 体調が悪いのなら、仰ってくださいましね?」

「だ、大丈夫です」

「そう遠慮なさらず。はい、膝枕して差し上げますから、横になってくださいな?」

「えええ!?」

「……リリィ様が使わないならメイがしてもらう」

「アンタたちいつもこうなの?」


 アレアちゃんと話していると、ついつい罪のことを忘れてしまいそうになります。

 それは許されないことです。


(神様……リリィはどうすればいいのでしょうか)


 何度も繰り返した問い。

 でも、いと高き場所におわす方の啓示は、罪人になどもたらされるはずもないのでした。

Comments

おーらんどー

また、わた推しの物語が読めるとは、とても嬉しいです。 あと、第4話に誤字がありましたので、とりあえずご報告を(「ふ、普通はそこまで割り木ラマ戦よねえ……」)