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有償依頼で描かせて頂いた、切腹した女武者のイラストです。

まに様が書いた、35KBにも及ぶSSもつきます。是非とも一見ください。

【零ノ章】

https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=59359734

【壱ノ章】

https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=60306543

【弐ノ章】

https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=61656359

【参ノ章】

https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=63708543

https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=66474870

https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=66552578

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~~以下はSSです~~

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作者:まに

 昼時、数多の騎馬が今正に闊歩を始めようとしている、その先頭に彼女はいた。清爽な顔立ちの美女でありながら甲冑を身につけ手綱を引く彼女は男に負けぬ凛々しさがあり、静かなる覚悟を感じさせる蒼の瞳が確かな実力を感じさせる。

 凛とした無表情の内にある感情は、本人以外の誰にも読み取れまい。

(……この派遣は明らかに匂う。気を引き締めなければな)

 彼女は――雨音は目を潜め、己の警鐘を改めて鳴らす。


 群雄割拠する戦国時代の只中に生きている彼女が、自分の仕える主達に忍び寄る陰謀の匂いを感じ取らないわけもなかった。

 歪な匂いの起こりは紛れも無く、国の当主である政長が急死したことに他ならない。

 政長の一人息子、つまりは若君である『千寿』ということになっている『千姫』の護衛隊の副長を務める雨音は政長の急死を知った時、何か嫌な胸騒ぎを感じた。

 動物的というべきか、はたまた本能と呼ぶべきか、女に産まれ落ちながらに戦場を駆け回った優秀な武人たる彼女だからこそ感じたそのざわつきこそが、正しく今日に繋がる違和感の発端であるのは間違いなかった。

 最初は杞憂だと感じていたのだ。

 何故なら、雨音の嫌な予感をよそに、主である千姫は滞りなく『当主代行』の地位を得た。

 戦時などの緊急時以外は、前当主の喪に服すという理由で『代行』の二文字がつく。

 つまりは殆ど当主のようなものである。そのまま行けば『千寿』は順当に国主である大名、三月家の当主となろう。雨音は、武芸学問に秀でるばかりか若くして人間としての器の大きさを感じさせる千姫が世継ぎとなることにその時ばかりは気を緩めたものだった。

 しかし、千姫が当主代行の地位を得てから、千寿派の国人領主の領地に盗賊の類が湧き始めた。

 世代交代の混乱時には、よくこういった火事場泥棒は現れるもので、千寿派の国人領主達は当然各々で討伐隊を派遣した。

 しかし、次第にどうにも様子がおかしいということになった。

 単なる無頼共である筈の彼らは、妙に戦闘に長け、そればかりか複数の盗賊団が連携して、討伐に向かった部隊と交戦したというのである。

 結果として、練兵された各領主の討伐隊が、今なお盗賊に苦戦しているという異常事態に陥っている。

 そして、彼等への援軍として、雨音の率いる千姫直属の護衛隊が三月家の居城である薄月城から援軍に出向いてきたのだ。

 護衛隊だけでなく、薄月城の城下町に軍役のため駐在していた千寿派の国人領主達の部隊も護衛隊同様に各地に派遣されている。

 青々とした空とは裏腹に、雨音の心中には曇天がかかっていた。

(訊いた所によると、盗賊共は近隣の国の送り込んだ刺客らしいが……)

『前当主の急死による混乱を突こうと、近隣の大名が軍を侵攻させようとしている。』

『盗賊と思しき者共は、国境への注意をそらす為の囮。』

 いつからか、城下町にはそんな噂で持ちきりになっていたらしい。人の口に戸は立てられない、三月領周辺国の動きが市民に漏洩することもありえない事態ではなく、現状とも一致する。もし本当であるのならば由々しき事態に他ならないだろう。

(盗賊達は討伐しなければならない……だが噂が本当であるのなら、敵の侵攻に備えて主力である三月家の直轄軍の戦力を回すのは確かに得策とは言い難い。千姫様はあくまで当主代行の身の上だ。慎重を求める家臣達の声も無視出来ないだろうし、動かせる戦力も限られている。確かに、ここは私達護衛隊や千寿派の兵を派遣して対処することが千姫様にとって得策だろう)

 本来護衛隊は千姫の身を護る為の存在である。このような事態に駆り出されることはありえないのだが、緊急事態の対策としては間違っているわけではない。

 ……間違っているわけではない、のだが。

 だからこそ、雨音は違和感をぬぐえない。

(……これではまるで、千姫様から我々を引き剥がすようではないか……)

 何も矛盾した話はない。

 それでも雨音は、今から向かう盗賊への討伐以上に、己の背にまとわりつくような危機感にこそ意識を向けていた。

 それでも、あくまで雨音は一介の武人に他ならない。

「……よし、行くぞ」

 雨音は号令を出し、目先の敵に意識を向ける。

 ――心の隅に今しがた交わした想い人との別れを思い浮かべながら、生粋の武人は感情を表情に出さず、ただ凛と手綱を引く。

   *   *   *

 数時間前。

 早朝の静けさに隠れるようにして、小さな納屋に女性の姿があった。

 まだ甲冑を纏っていない、小袖姿の雨音である。戦時には敵を圧倒する鋭い雰囲気が、一度甲冑を脱ぎ捨てればそのまま麗人の魅力となっていた。

 雨音は一人の女性を抱いている。自分より一回り小さな少女。

 あろうことか、雨音は少女の額に慎ましくも口付けを交わして。

「……竹様、再三再四申し訳ありませんが、どうかくれぐれもお気をつけ下さい」

 雨音は顔を上げる少女に、堅苦しく念を押した。

 可愛らしい少女である。

 短めの髪に太めの眉、つぶらな瞳は無垢な色が宿っている。雨音と同じ質素な小袖姿でありながら真逆に可愛らしく、それでいてどことなく漂う気品を感じさせる。

 竹と呼ばれたその少女は、ぱちくり瞬きをして――ぷくーっ、と、悪戯に頬を膨らませた。

「……だから、私は何度も言っている筈です。雨音殿、気をつけるのは今から戦場に出向く貴女自身であると」

「竹様……」

 気を緩めてはいけない。

 そうと分かっていても、雨音は思わずくすりとしてしまう。

「む……何がおかしいのかしら」

「いえ、つい……その、膨れるさまがお可愛らしくて」

「~~っ」

「んっ……!」

 今度は竹から雨音へ、背伸びの口付けが交わされた。

 慎ましくも長いキスは、納屋を暫しの暖かさで満たす。

 やがて先に唇を離したのは竹であった。その表情は怒っているような気の強さを表しながら、確かな好意の紅潮を頬に浮かせていた。

 そんな竹の手が雨音の小袖の裾を甲斐甲斐しく握り締めているものだから、雨音は益々幸せな気持ちになった。

「いいかしら、雨音殿、貴女は誰!?」

「はい……」

 雨音の冷淡な口元が、一筋の悪戯心がちらつかせるように僅かばかり口角をあげた。普段の何事にも四角四面に接する彼女からは考えられない表情だった。

「私は、千寿様を……千姫様をお守りする護衛隊の副隊長です」

「それは……それは、分かっているの!そうじゃなくて!」

「……はい」

 予想通りの歯痒そうな反応に、また、くすりとしてしまう雨音。

 裾を握る竹の手に、包むように手を重ねる。

「同時に、私は……竹様の教育係、ですね」

「それ、も、間違ってないけどっ……」

「そうですね……はい……

 そして私は……竹様の恋人です」

「……んっ」

 満足したように、竹は爪先立ちして唇を差し出してくる。

 雨音は竹を抱き締めて、また長い接吻に耽る。

 今度は互いに舌を絡めて。

 納屋に満ち渡る淫靡な水音に混じる確かな背徳感が、彼女達が禁忌の存在を築きあげていることを何より色濃く表している。

 ――竹は、日置家という武家の娘である。

 千姫の実母であり、政長の側室である瑠璃という女性がいる。瑠璃はあの才覚溢れる千姫を育て、側室でありながら政長の寵愛を一身に受けただけあり素晴らしい女性であるのだが、元々は日影家という没落傾向にあった国人領主一族の出であった。

 日置家は、そんな日影家の分家だった。

 現在、千姫が千寿として元服する前に亡くなった日影家の主である瑠璃の父親から瑠璃へ、そして瑠璃から千姫へと家督は受け継がれており、千寿が日影家の主となっているのだが、千寿や瑠璃は若君や側室としての多忙を極め、政長が急死し千寿が当主代行となる前から、日影家の領地を直接に統治することが困難な状況にあった。

 そこで、千寿と瑠璃は日置家に領内の統治を任せているのだ。

 日置家には、翡翠という大層美しい妙齢の女当主がいる。

 この翡翠は瑠璃の従妹であり、女性ながらにとても優秀で、領地の警備隊長である夫や跡取りである息子、娘の助けを借りながら日影家の当主である千姫の代官として日影家の領地を運営しているのである。

 そして何を隠そう、竹は翡翠の一人娘なのだ。


「っぷぁ……雨音殿、貴女に死んでもらっては困るのよ」

「この上なく在り難いお言葉です。私も、竹様への指導半ばにして逝くわけには参りません」

 竹は警備隊長である父親の影響を受け、活発で勇敢な少女に育った。千姫や護衛隊隊長の夏目などを慕い、護衛隊への入隊を夢として日々鍛錬に勤しんでいる。

 雨音は、そんな竹がより優秀な指導役を求めて翡翠や瑠璃、千姫に頼み込んで寄越させた指導係なのだ。

 最初は憧れの夏目をと望んだのだが、夏目は常に千姫の傍におり忙しい。正直妥協の気持ちを持ちつつ、副隊長であり夏目と親友でもある雨音に師事したのだが――

「……確かに、貴女はとっても優秀な先生よ」

 竹が思う以上に雨音は理想的な師匠であった。

 強く、正しく、折れず、優しく、かっこいい。

 自分の理想像とさえ言っていい雨音に、竹は誰より懐き、慕った。

 ――そして。

「……でもそれ以上に……貴女がいなくなったら、私は耐えられない……」

「竹様……私もです……」

 竹は、恋慕を雨音に抱いた。

 雨音もまた、上の身分である竹に恋をした。

 日影家は今でこそ三月家に臣従しているが、元は三月家と幾度も刃を交え、滅んだ北の有力な大名家だった日野宮家の直系の血筋。そして日影家の分家である日置家も当然その血を色濃く引いている。

 それに対して雨音の家は日野宮家の家臣の家系……つまり、世が世なら竹は雨音にとって主筋にあたる。おまけに、雨音の実家の家格も低かった。

 今では共に三月家の家臣という立場だったが、日野宮家領だった三月領北部において日野宮家の血筋は尊ばれ、暗黙の了解として、日影家を北部の頂点とする事実上の日野宮家当時の序列が続いている。

 二人の思いはそうした北部の状況ではまさに禁断の恋だった。

 だが、今では二人は、こうして度々逢瀬を重ねる関係にある。肉体関係もあり、年齢もかなり離れているが互いを思い合う立派な恋人になっている。

「……耐えられないから。私は竹様が余計に心配なのですよ」

「雨音殿……」

 だからこそ、雨音は改めて真摯に竹を見つめた。

 自分を見上げる、純粋で可愛らしい面。

 雨音は心配で胸を締め付けられるような思いで吐露する。

「今回の一連の件……私はなにやら陰謀めいたものを感じずにはいられないのです」

「陰謀、って……盗賊達が実は隣国の侵攻から目を反らさせる囮だっていう、あの?」

「……いえ、確かにその話ではあるのですが、私にはどうにもそれが真実とは思えなくて」

「どういうこと?」

「……全て、思い過ごしであればいいのですが……

 もしや、敵は懐に潜んでおるやもしれません」

「え?」

「……とにかく、竹様はまだ十三の子供。命をかけることはいけません。もし万が一何かがあったら、迷い無くご自分の命を優先なさってくださいね」

 雨音が言うと同時に、時刻を告げる鐘が鳴る。

「……もう、行かなければ」

「あ、雨音殿!」

 踵を返した雨音は、竹の呼びかけに今一度だけ振り向いた。

 心配そうな乙女の表情が、雨音を見つめている。

「……大丈夫です竹様、私は何があろうと死にません。竹様がご自分の身を案じてさえいれば、必ずまた会えましょう」

 雨音は微笑み、納屋を出る。

 その表情にはそれまでの甘さなど微塵もなく、強い武人のそれとなっていた。

 主と恋人を守り抜くと決めた、力強い表情に。

   *   *   *


 盗賊達との本格的な交戦は雨音の予想以上に長引いていた。

 戦いが始まり、数日が経った今も雨音は戦場にて指揮を続けていた。

 盗賊の住処と思しき山岳の傍に、剣戟の音と怒号と悲鳴とが鳴り響いている。

 自身も返り血を浴びている雨音は、激突する両軍の只中で刃を振るいながら、いよいよ怪訝そうに唇を噛んでいる。

(やはりおかしいっ……これではまるで互いに練兵された軍どうしでの合戦ではないか……)

 盗賊達は噂通り、いや、噂以上に腕が立つ。どう見ようとも武芸を修めた技術、連携……到底有象無象の輩達ではない。

 雨音は日置家への救援に駆けつけていたのだが、精鋭である護衛隊の力が加わって尚、討伐は容易ではなく、それどころか膠着状態に入ろうとさえしている。

 ただ互いが全力で正面から潰し合ったのであれば、数で勝る雨音たちが既に勝利しているだろう。

 だが、盗賊達は積極的な交戦の布陣を敷いているわけではなく、まるで時間稼ぎの消耗戦を挑んできているようだった。

 盗賊達が撤退するように見せかけ、追撃した部隊が待ち伏せにあい、大きな損害を出すという事態さえ起きている。

「っく!」

 思慮していた雨音の鎧を刃が掠める。入り乱れる軍勢の中で命をとろうとしてきたのは屈強な大男であった。身体には無数の傷があり、ただならぬ場数を踏んだことを感じさせる。――防具や装束こそ盗賊を思わせる粗末なものだったがその立ち振る舞いは、到底盗賊風情には見えない。

 戦場では僅かな油断が命取りになる。

 雨音は一切の雑念を捨て、大男に刃を向けた。

 数分の剣戟の後に、飛んだ首は大男のものであった。

 副隊長とはいえ、雨音の強さは隊長である夏目になんら遜色ない。二人は互いを磨きあった紛れもない天才なのである、いかに性別の差があり、大男が強かろうと、本気の雨音には勝てようはずもなかった。

 しかし、既に雨音も鎧に幾筋の傷を残している満身創痍の状態。

「っ、一旦引いて戦況を把握する!後を任せた!」

 忠実な部下達に告げ、雨音は軍勢の網目をかいくぐり退避した。

 本陣へ戻った雨音は、肩で息をしながら馬を翻らせて、改めて戦場を見やる。

(くそ、一体どういうことだ……伝令によれば各地で討伐に出向いた他の部隊も苦戦を強いられているという……)

 胸に残るざわめきの原因を、雨音は薄々分かり始めていた。

 近隣の大名がこれだけ屈強な兵士達を盗賊に成りすませているとして、その数がおかしい。今自分たちが相手をしている盗賊達だけでも3百近い。規模の差はあるが他の複数の場所でも戦いが起こっている。

 そもそも、他の大名家との国境は三月領の西部と南部にある。

 国境沿いの城など要所には三月家の直轄軍の中でも精鋭部隊が駐留し守備に当たっているし、三月家の直轄地にも部隊が駐留している。

 現地の国人領主達も国境近くに領地があるだけに精強な兵を擁している。

 南部や小夜派の勢力の強い東部には海もあるがそちらも三月家と現地の国人領主の水軍が目を光らせている。

 そして、盗賊の襲撃を受けているのはその多くが北部だ。少数の兵ならともかく、これだけの兵が国境からも海からも遠い三月領の奥深くに潜り込ませられるとはとうてい思えない。

 雨音がひどく嫌な予感に苦い顔をした、そのときのことだった。

「はぁ、はぁっ……雨音様!」

「失礼、致しますっ――」

 本陣の警護に当たっている分隊の隊長と戦場で聞こえるはずのないか弱い声々に、雨音はぞくりとして振り返った。

 そこには、分隊長に付き添われた肌着姿の女性が複数人立っている。いずれも土埃にまみれ疲弊しきった様子であった。履物もボロけており、ここまで必死の思いで来ことを感じさせた。

 雨音にとっては見覚えのある人物らであっただけに、返答は大きな声となった。

「なっ……どうした、何故お前達がここにっ――!」

 侍女、なのである。

 彼女達は皆、千姫と瑠璃に仕える侍女達なのだ。

「申し訳ありません!どうしてもお伝えしなければならないことがあり――

 千寿様達が身柄を拘束されましたっ……!」

「なっ、なんだとっ!一体どういうことだ!」

 正しく、雨音は不安が的中したような気がした。

「詳しく話せ!何が起こった!千寿様が!?どういうことだ!」

「はい、千寿様を始め、瑠璃様、春香様、夏目様、そして亜矢様も急襲により捕らえられてしまったのです!仕える者達の殆どは、抗戦により命を落とすか、同じく捕えられてしまい……私達は雨音様にこの事実をお伝えする為、這う這うの体で脱出してきたのです――」

「馬鹿な!隣国の手がこんなに早くに届く筈がない!」

 確かに、千姫の周りは護衛隊の殆どがいなくなり手薄になってはいるが――

「他の部隊はどうした!薄月城には直轄軍の部隊が守備に当たっていたはずだろう!?西部や南部の国人領主達はどうした!?小夜様の一派からの救援は!?何故そんなことが起こり得る!」

「……その、小夜様です」

「なに!?」

「――小夜様の一派が、千寿様と瑠璃様を亡くなられた当主様を欺いた謀反人として捕えたのです!」

「そんなっ……」

 ――刹那。

 雨音は違和感の絡まりが紐解かれた気がした。

「なるほど――全て、そういうことだったのか!」

 ――小夜、とは、前当主政長の『正妻』である。

 非常に美しく家柄も良いのだが、一方でその狡猾な性格から政長に心よりの寵愛を受けること叶わず、子を授かることもなかった。

 そして、千姫の母である瑠璃は、側室だ。

「小夜様は――我々を千姫様から離す為にこのようなことをしたのか!」

 近隣の大名の謀略等ではなかった。

 この盗賊達も、小夜派の兵士達に違いない。

 どおりで盗賊達が屈強で数が多いはずである。国内の勢力である小夜の派閥の兵なら、近隣の大名などよりも遙かに兵を動かしやすい。

「ということは、噂も小夜様の――いや、小夜の流した真っ赤な嘘か!」

 小夜は、側室が国を預かる今の状況が我慢ならなかったに違いない。

 入念に牙を研ぎ、機がくるのを伺っていたのだろう。そして、彼女は若君『千寿』の秘密という大義名分を得て一気に動いた。

「――だが待て!謀反人とはどういうことだ!幾ら小夜が狼藉を図ろうとしたところで、まさか虚偽の罪でこれだけの戦力を動かせるはずもないだろう!」

 雨音は心底千姫を慕っている。あの千姫が黒い行いをしているとは微塵も思わず、雨音は主が図られたという前提で侍女らに問いかけた。

 侍女らの返答は、歯切れの悪い表情。

「……おい、まさかお前達、千寿様が姑息な行いをしたと信じて――」

「い、いえ、違うのです」

「雨音殿、実はその――」

「なんだ、早く言え!」

「それが……」

 侍女達は互いに目配せをすると、周りを警戒するかのように雨音の馬の傍へと歩み寄った。

 雨音は苛立ちを覚えながら屈んで耳を寄せる。

「……千寿様が……いいえ、千姫様が性を偽っていたところを突かれたのです」

「なに!?」

 雨音の驚愕が自陣に木霊した。

「まさか、そんな――くそ、なんてことだ!」

 それは唯一、完璧な千姫が持つ弱みであった。

 千姫は、女として産まれたことを隠し、男として育てられていたのだ。

 このことは千姫に近しい存在である瑠璃や侍女長の亜矢の他、家臣の一部、護衛隊の幹部、一握りの侍女達しか知らない。

 小夜はこの千載一遇の機会にその弱みを突いてきたというわけだ。

「薄月城や周辺の直轄軍はどうした?」

 三月家の居城・薄月城は三月領の中央部にあり、薄月城は当然のこと、周辺の城や町に駐留する直轄軍の指揮官達は千寿派の指揮官もいたはずだった。だが……

「直轄軍は小夜様の派閥の国人領主の兵と共に行動していました。千寿派の指揮官の方々はおそらく……」

 侍女たちは悔しげなあるいは悲しげな表情だった。

 小夜派と直轄軍の兵が行動を共にしていたとなれば、おそらくは捕らえられるか殺されたかだろうことは想像できる。

 そしてそれは、自分たちも極めて危険な状況にあることを意味していた。

「っ――今から翡翠様と合流する!日影家を始めとする千寿派の部隊を集結させ、必ずや千寿様をお救いするぞ!」

 指揮を出す、雨音は焦っていた。

 彼女の脳裏には千姫とそして、竹の可愛らしい顔が浮かんでは消えていた。

   *   *   *

 翌日には、正式に情報が入ってきた。……小夜派が各地に出した命令という形で。

 『性別を偽り、亡き当主政長を欺いて御家乗っ取りを目論んだ反逆の大罪人、千寿・瑠璃親子の捕縛』と、『千寿の当主代行の地位剥奪』、『非常時のため、亡き当主・政長の弟である成佐の当主就任』

 ――そして、『反逆の共謀者達の討伐』。

 つまり、雨音達千寿派のことである。

 一夜の内に、雨音達は国から追われる立場となった。

 一度事情が変われば、崖から転げ落ちるかのように苦境に追いやられていくのが戦国の世の常である。

 翡翠と雨音は合流出来こそしたものの、小夜派の大軍に包囲され孤立無援に近しい状況へと追いやられていった。

 集結させようとした千寿派の部隊は、その殆どが各個撃破されていったのだ。頼るものを失った部隊は、如何な実力を持とうと烏合の衆に成り果てる。指揮系統が麻痺したり、独自の判断で自領に撤退したり――その殆どが合流すること叶わず果てるかそれぞれの領地へ敗走した。

 翡翠と雨音の率いる軍も小夜派の大軍を相手に善戦したがついには敗走し、翡翠の夫が殿を務めながら、半数以上の犠牲を出しつつ何とか包囲を脱出して自領に撤退することとなった。

 小夜の謀略により、すべては壊滅状態となった。

 雨音はそれでも千姫達を救いたいと考え、薄月城の城下町へと向かっていく。

 数多の悲劇の只中で、雨音は命を賭して駆けていく――。

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 切腹~翡翠と雫~

「……覚悟を決める刻が来たようですね」

 日影領の代官所を兼ねた屋敷の一部屋。

 凛々しい正座姿で言う、翡翠は絶望的に状況にありながらも尚美しい女性だった。

 女性的な艶めかしい黒髪と、引き締まった肉体の対比が映える美女である。成熟した年齢以上に若く見える彼女は日置家の主でありながら、現役の女武者でもある。死線をかいくぐってきたからこそ宿る信念の美貌と、胸元にばかりたっぷり実った柔肉が人間的な魅力と女性的な魅力の双方を見る者に抱かせる。

 その脚を、今、彼女は負傷しているというのに。

 最早まともに歩くことも出来ない状況に陥っていながら、翡翠の表情は肝が据わっている。

 そればかりか部屋の外からは、今まさに室内へ飛び込んできそうな怒号が聞こえてくる。翡翠がいるのはそう容易く見つかることはない隠し部屋であったが、それでも時間の問題であろう。そんな状況で平静を保つ彼女は流石に千姫や瑠璃から統治を任された女性である。

 翡翠は黒曜石に見紛う美しい瞳に、対象を映して、言う。

「いいですか……貴女はここにいる残った家臣達と共に、秘密の抜け道から脱出するのです」

「そんなっ……母上はどうなさるのです!」

「……私はもう動けません。貴女達だけでも生き残りなさい……竹」

 ――翡翠の眼前にいる納得いかなさそうな表情をした少女は、あの竹であった。

 複数人の家臣を従える、竹に怯えた様子はない。

 無論、本当は恐ろしい。

 竹はまだ齢十三の少女であるし、何より恋人である雨音と再会することも出来てはいないのだ。生き残れることなら生き残りたい、竹は当然そう考えていた。

 だがそれ以上に、日置の…武家の血が闘争心を掻きたてる。

「……ならば、私もここで自害します!生を受けてより、この命は日影家と日置家の為に捧げると誓っておりました!母上が残るのいうのであれば、私は――」

「いけません、貴女は生きなければならないのです」

「母上!」

「……責任を取るのは、私の役目です」

 そこで初めて、翡翠は感情的な表情を浮かべる。

 悔しさと、無念に俯く翡翠。

 竹は見たことの無い実母の表情に気圧される。

「まさか、このようなことになろうとは……」

 小夜の謀略によって敗走し、自領へ戻った翡翠達は、当然小夜の軍による追撃を受けた。

 雨音こそ千姫達の下に向かうことが出来たものの、翡翠は日置の主として篭城を選ぶほかになかった。しかし、殿を務めた夫は生死不明の状態で、篭城に至るまでに多大な犠牲も払った。篭城の為の物資も足りてはおらず、当然援軍の当てもない。

 翡翠は悩んだ末に、降伏を選んだ。

 苦渋の決断ではあったが、最早勝機もなく、一人でも多くの命を救う為に手段など選んではいられない状況であった。

 翡翠は周囲の反対を押し切り、『己の自害と一族の助命及び領内からの追放』を条件に降伏を受け入れてもらうよう動いた。

 それを伝える為に、日置家の跡取りである竹の兄を使者として小夜派の軍の陣に派遣した――のだが。

「……降伏は受け入れられず、何もかもを失って……本当に、全て私の責任です」

 翡翠は、負傷した脚から血が吹き出ることもお構いなしに怒りに力む。

 竹の兄は、見せしめとして処刑されてしまった。

 それどころかその首は小夜派によって晒され、辱めを受けたのだ。

 ――生死不明であった、夫の首と並べられて。

「……竹。貴女は生きなさい。そして必ずこの怨みを晴らすのです」

「でも――」

「竹様……どう、か……ご理解下さい……」

「雫、貴女まで――」

 竹はその心をどうしようもなく揺らしながら、傍の女性を見やる。

 酷く負傷した美少女がそこにはいた。

 竹とそう年齢の変わらない彼女は身体に巻いた布切れに生々しく血を滲ませ、どう見ても長くはない様相であった。武人であると一目で分かる身体の引き締まりかたが魅力的であるが、今ばかりはどうにも痛々しい。

 幼さ残る顔立ち、彼女の名は雫という。

 昔からの、竹の付き人で親友だった。

「……私が翡翠様と共に自害します……竹様が私達二人の首を持っていけば……今しばらくの時間は稼げましょう……」

「何を言っているの!雫、貴女、私の影武者になるつもり!?嫌よ、ずっと一緒だったんだから、貴女も一緒に!」

「……どうせ……私はもう……助かりません……」

 普段ははきはきと喋る堅物な雫の、か弱い掠れ声に竹は泣きそうになった。

 確かに彼女の言うとおりにすれば、竹が逃げ易くはなるだろう。この時代、武将が自分の首を敵に渡すことを嫌い、自害した後で家臣に隠させることはそう不自然な行いではない。雫と竹は年齢も同じだけあって、背格好も似ている。翡翠と雫、両者の首を隠すことで、竹の生存は誤魔化すことが出来るかもしれない。

 だが、そんなの、嫌だ。

 竹は家臣達に見守られるなか、翡翠と雫に泣きついてしまいたくさえなった。竹は活発な性格でありながらも責任感がある少女だが、そんな彼女でも、今際の際には世話になった二人に甘えたくなっても仕方が無いだろう。

 それでも、いや、だからこそ。最後であるからこそ、竹は涙を飲み込んだ。

「……分かったわ」

「……ありがとう、ございます……」

 竹の表情に、もう迷いは微塵もなかった。

 必ず、この苦境から無事に脱出する。

 それこそが、翡翠と雫に報いる一番の方法であるのだから。

「……最後に、ひとつだけ……お願いを聞いては下さいませんでしょうか……」

「ええ。何でも言って」

 雫の絞りだすような声に、竹は頷く。

 雫は生気の無くなり始めた青ざめた顔に、僅かばかりの笑みを浮かべて、言った。

「……最後は……竹様に介錯をお願いしたいのです……」

   *   *   *


 他の家臣達には、先に秘密の抜け道へと行かせた。

 部屋に残るのは、翡翠、竹、そして雫の三人のみとなっていた。既に屋敷には火が放たれたようで、なんとか火の手は回ってきていないものの、肌には火の熱が感じられるような気さえする状況であった。

 翡翠と雫は、互いに向き合い正座をしていた。

 共に衣装は同じ、白い鎧下着に膝丈位の袴を着ており、下半身だけはその上から鎧を纏っている。

 こんな状況でありながら、二人の姿はどこか艶かしく光景を彩っていた。

 翡翠の豊満な胸の膨らみが汗ばみ、鎧下着が貼りついてしまっているばかりか、その純白に火照った肌色を透かしてしまってさえいる。布が関係ないほどに肌の色艶が浮き出ており、はっきり言って艶やかに過ぎる。

 雫のほうも汗をかき、鎧下着から覗くなだらかな胸元を、白磁のようなうなじを、若人らしいハリ艶に輝かせているのだ。

 二人が乱れた呼吸をする度に、陰気であるはずの隠し部屋に湿った色香が充満していく。

 死に際にありながらどこか官能的な二人の姿は、或いは生死の岐路に立たされた女性の最後の煌きなのかもしれない――ともかく二人は負傷した状態でありながら、興奮を誘う雌としてそこに在った。

 竹は、そんな二人のうち、雫の後ろに刀を持って立っている。

 こんな状況であるのに、二人を見て生唾が湧き出るのが奇妙な心地だった。

「では……参りましょう」

「はい……翡翠様」

 雫が頷くと同時に、竹はとうとう湧いた生唾を飲む。


 二人は迷いなく上半身をはだけさせた。

 翡翠の乳肉から貼りついていた鎧下着が剥がれ、ツユだくの濃い肌色が空気に晒され甘く震える。汗ばんだ豊満乳肉は谷間をしっとり吸い合わせてフェロモンを振り撒く。一方雫の身体は対照的に慎ましくあるが、その分芸術的な少女の肢体が微かに震えており興奮をそそり立てる。

 老若男女が揉みし抱きたくなる豊乳と、慎ましく形の良い貧乳。

 二人は共に袴を臍下にまで下げ、乳とくびれの対比に、竹の網膜を甘く焦がす。

「さぁ、雫……覚悟はいいですね?」

「はい……翡翠様」

「貴女は若い。私を良く見て、私に倣い共に腹を切るのですよ。心配ありません、例え身体が想いに従わなくとも、竹が介錯をしてくれます。大丈夫ですね、竹」

「母上……はい」

 竹は、母の信頼に満ちた視線を向けられ刀をぎゅっと握りなおす。

 隠し部屋の静寂を、喧騒と火の粉の弾ける音が強調する。

 翡翠が覚悟を決め、息を吸ったその時のことだった。

「……翡翠様、私の我侭をお許し下さい」

「……どうしたのです?」

 こともあろうに、雫が翡翠の自害を遮った。竹は随分と驚いた。自害を邪魔するなどという礼節を欠いた行動を、いかに追い詰められた状況とは言えあの雫がすることが意外であった。

 しかし、竹は雫を責めはしない。

 追い詰められた状況である、戸惑うことがあっても仕方ないだろう――

「私は……ずっと竹様を、愛しておりました……」

「えっ」

 雫の想いを汲もうとしていた竹は、異次元からの告白に驚いた。

 雫が自分のことを、愛している?

 あまりに唐突な告白に晒され、竹は無意識のうちに、逃げるように母へと視線を泳がせた。

 そしてまた、驚く。

 翡翠は竹とは真逆に、表情を柔和にほぐしている。

 人の感情を表情から読み取るにはまだ若い竹も、この時ばかりは即座に察した。

 翡翠は竹と違い、きっと前々から雫の感情を知っていたに違いない。

 だって翡翠は、まるで娘を見守る母のようだ。

 竹とずっと共にいた雫を、翡翠は少なからず母性的に見ていたのだろう。日置家の当主という立場上、雫の竹への思いを認めることは出来なかったのだろうが、最後の最後で役目から離れて想いを吐露する雫に対し、翡翠は日置家当主ではなく一人の母として雫を見ているように竹は思った。

「雫、私は――」

 こんな状況である、驚いているばかりではどうしようもない。

 何か、言わなければ。

 思った竹は――しかし口をつぐみ、苦しそうに眼を細めた。

 ――雨音の顔が、脳裏に浮かぶ。

 時間にしてほんの数秒の静寂であったが、その後に雫は自嘲気味に言った。

「分かって、おります……竹様は、雨音殿を慕っている……私はつい先程まで……この恋慕を、冥土にまでもっていくつもりでした……」

「雫……」

 雫が雨音と竹の関係を知っていたことも、翡翠の前でそれがばれることも、今ばかりはどうでもいい。

「……本当は……介錯をお願いしたのも……どうせ死ぬのなら、せめて最後は竹様の手でと……そんな私欲が理由です……本当に私は……卑怯な女ですね……」

 雫は、息も絶え絶えにくすりとする。

 そして、翡翠と同じように、脇差を腹部へとあてがった。

「……これでもう、悔いはありません……竹様、どうか生き延びてください……そして、雨音殿と……幸せに……」

「……」

 竹は、否定をしない。

 だが、肯定もしなかった。

 確かに竹は雨音を愛している。そして竹は雫に対して、親友、姉分という感情を抱いていたものの、恋を感じたことはなかった。

 だが、竹にとって雫は何物にも変えがたい大切な存在だった。

「……雫」

「はい――あの、たけさ――」

 ――雫の言葉を、竹の唇が塞いだ。

「んっ!?んっ、んんっ――♡♡」

 竹は、雫に激しい接吻を交わした。

 雫の乾いた唇に己の潤いを甘くねぶらせ、唾液を絡めた舌を蕩け合わせて、誰にも、あの雨音にさえ、したことがないような濃厚な口付けを雫へと与えた。

 本当に愛しているという、錯覚を与えるほどの接吻であった。

(……雫、愛している……)

 それは、雨音に抱く感情とはどこまでいっても異なるだろう。

 竹はそれでも、せめて最後は雫が喜ぶような愛情を与えてあげたかった。愛の種類など些細な問題である、竹は雫とずっと共にいたのだから。好いているし離れたくも無い、それだけは確かな想いだったから。

 接吻は、優しく、長く、情熱的に続けられた。

 互いの唾液がすっかり入り混じるほど絡み合った結果、口を離した二人の間には唾液の橋が伝っていた。

 雫は、頬に一筋の涙を伝わせた。

「……なんという、幸福でしょう……」

 その表情はこの上なく幸せそうだ。

「これで、迷いなく旅立てます……竹様……」

「……任せてちょうだい。しっかり私の手で介錯をするし……何が何でも、敵は討ってみせるから」

「……はいっ……」

 今にも泣き出しそうな雫を、竹は後ろから優しく抱き締めた。

 傷だらけの身体は既に力も入っておらず、微かに震えている。

 あの雫がなんて弱弱しい。

 この細身にずっと想いを溜め込んでいたのかと竹は身体で実感して、益々雫を労いたくなり、今度は頬に口付けをした。

「……さぁ、今度こそ逝きましょうか、雫」

 翡翠の言葉に、離れる二人はどこか満たされた想いで従った。

 翡翠は二人を見守る母の表情をしていたが、脇差を握りなおすその表情はまた日置家の主のそれへと戻っていた。

「さぁ、雫……刃を」

「……はい」

 雫も迷いが切れたようで、震える手で脇差を握る。

 翡翠と雫は息を合わせ、美しい下腹へと刃を当てる。

 竹は俯瞰的に二人を見下ろしながら、自分の息が上がっていることに気がついた。

 色情でもあり、羨望でもある。

 戦う女というものは、そういうものなのである。

 小さい頃から『美しく潔い死に方が出来る人間こそ最も立派な人間』という教養の中を生きてきた彼女達だからこそ、綺麗な死に様に対して憧れを抱かずにはいられない。

 彼女達は本能的にそう言った死に惹かれてさえいる節があり、その時は紛れもなく至上の快感を覚えることが出来るだろうと確信さえしていた。

 竹の見守る中で、まず動いたのは翡翠であった。

 翡翠は真っ先に、手に持った脇差に力を込めた。刃先を残して刀身を紙で硬く巻いたもので、それを両手で持ち、左脇腹へと突き立てる。

 翡翠に躊躇の色は見られない。

 自分の行動が二人への規範になるのだ。翡翠はもう殆ど体力が残っていない雫の為に、自分が自害の手本となるよう、雫と向き合っている。それは同時に、二人が自害を終えた際に、身を寄せ合った状態にさせる為で、ひいては雫を竹と誤認させる為の行為でもあった。

 翡翠は二人に向けて、最後ににこりと微笑む。

 そして――滑らかな下腹部に、刃先を刺し込んだ。


「――っ」

 名状しがたい呻き声が一つ。

 母性の権化であるような翡翠の女体が痛みに捩れると同時に、下腹部から鮮血を滲ませる。

 二人は思わず見惚れてしまう。

 翡翠の悶え、乳房を揺らす姿は夜伽で乱れる姿さえ連想させるほどに淫靡なのだ。いかにも抱き心地の良さそうな熟した身体の、しかしやはりそこばかりは締まった腹筋が刃を深く受け止めるほどに、汗ばみながら震える様子は誘惑の踊りにさえ見えてくる。

 何より翡翠の表情が苦痛の最中に虚ろに蕩け、強い快感を覚えていることを伝えてくるのがいやらしい。

(ああっこんなにもっ――凄いのっ――!?)

 現に、翡翠本人は天国に上りそうな心地を抱いていた。

 腹部を貫く痛みは尋常ではないのだが、同時に全身を強烈な快感が満たしていくのだ。頭が痺れ、心地良さが四肢の爪先にまで満ちていく。ずきずきと神経を貫く疼きが、そのまま剥き出しの快楽中枢を刺激するかのような。

 智に長けた頭脳が快楽物質を噴出し、脳味噌を恍惚の一色に染め上げる。

 何もせずとも谷間がくっつきあう乳肉を、翡翠は大きく揺らして悶えた。

 引き締まった下腹部が、刃の侵入を受けて何度もきゅっきゅと引き締まる。その先にある子宮の存在を思わせるくらい挑発的に波打つ腹筋は、動くそばから色香を振り撒いているかのよう。

 万人を魅了する、熟した女性の切腹姿である。

 まだ刃を突き刺しただけだというのに、とにかく艶やかで、肢体に光る汗が滴る色気に満ちていて――

「――はっ」

 ――見惚れていた雫は、慌てて我に帰り、翡翠に倣った。


 強制ではなく己から求め、未成熟ながらも鍛えられた下腹部を貫く。

 如何に艶めかしく強靭な腹筋であろうとも、白刃の前には肉に過ぎない。

 母性的な肉付きであった翡翠とはまた違う少女的な魅力を持った腹部が、血を噴出しながら淫らに波打つ。引き締まったり緩まったり、腹筋のせわしなく乱れながらに艶を強調している様子はまた淫らであった。

 熟女と少女が、びくびくと痙攣しながら前のめりになる。

「んっ♡ふっ――」

「しず、くっ――頑張ってっ――♡」

 言葉も言えない雫の喘ぎも、激励する翡翠の声も、一様に悦びの湿度を孕んでいる。

 滑らかな腹部に、鮮やかな鮮血が滲む。

 翡翠はあまりの快感に、片乳を己の手で揉み始めていた。

 手に余る豊乳が鷲掴みにされて、揉みしだかれる度にもっちゅもっちゅと指の合間から溢れ出る。桜色の乳首が硬くはり、零れて存在を主張する。

 胸を揉むほど、背筋を快感が通り抜けていく。

 翡翠は気付けば仰け反って、腹部のラインを益々強調した。

 まるで見せ付けるように曝け出された腹部に、刃ははっきり刺さっている。反った腹部は艶々と張り詰め、刃を通らせるためだけにあるかのようだ。

 翡翠は喘ぎながら、その刃をゆっくり、確かに、横一文字に引いた。


「ああっ、あ、あああっ――」

 一閃。

 撫で回したくなるような滑らかな腹部の感触を味わうように、刃は翡翠の腹部に軌跡を刻み込む。

 刃が進むほど翡翠の喘ぎは大きくなり、乳肉を揉みしだく手にも力がこもっていく。

 雫もまた、翡翠に倣っていた。

 一瞬竹のほうを見やった雫はほんの僅かに微笑んで、頼りなく震える手で無垢な下腹に刃を引いた。

 瞬間、激痛と共に脳髄にまで行き渡る狂うほどの快感が極楽へと誘う。

 奥深く突き刺した刃を動かせば動かすほど、その分だけ絶頂に勝る恍惚が身体を走り抜けていく。全身の輪郭が須らく性感帯になってしまったような心地。切腹だからこそ成せる、極限の苦痛によって成る極限の快感は、思考回路を用意に焼き溶かしていく。

 翡翠の熟れた肉体も、雫の若々しい肉体も関係ない。

 許容を遥かに超えた愉悦は翡翠のむちむちと肉感的な部位を揺らさせ、雫の背徳的なあどけなさに痙攣を与えていく。


「ああっ♡♡」

「んっ♡あっ――♡♡」

 ――艶やかな光景であった。

 麗しい熟女の生乳が揺れ、尻肉がひしめき、踊りを踊っている。

 齢十三の少女が蹲りながら、陶酔の表情を浮かべている。

 竹は、釘付けになる。

 乳を噛み締める手に、腹を割く手の動きに、脂汗を滲ませる恍惚の表情に。

 まるで芸術のように感じられる二人に見惚れていた竹は、特に腹部から零れ始めた赤黒い内臓に視線を釘付けにさせられた。

 溢れる内臓のどろりと滑らかな動きは、艶やかな肌に酷く映える。

 二人の力んで震える手が、刃を引くほどそれは溢れて太腿にまで落ちていく。

「ああ、あっ――♡」

 ――先に大きく喘いだのは翡翠であった。

 翡翠は身体を痙攣させながら、うっとりと虚空を仰ぎ見ている。

 それでいて脂汗を浮かせており、むず痒そうに眉を潜めてもいた。

 快感に溺れながらも、翡翠は命を即座に絶つに至らない苦痛に歯痒さを感じたのだろう。

 それはまるで、虫刺されを思い切り掻き毟りたい感覚に似る。

 もし今、はっきり命を絶てたのならば――それはどれほど気持ちいいだろう。

「二人ともっ――さようならっ――♡」

 翡翠は髪を振り乱しながら、掠れる声で別れを絞りだした。

 その手が己の腹部から刃を引き抜くと同時に、揉んでいた片乳を持ち上げて。

「っ――♡」

 心臓を、強く、一突き。

 身体中に満ち溢れる受け止めようのない快感を発散するかのような、強烈な一突きが翡翠の生命の灯火を貫いた。要点を掻き毟るように、痛快な刺激を女体に与えた。

 翡翠の全身が、絶頂に包まれる。

 快感が臨界点に達すると同時に、糸の切れる音がした。


「あ、あ――」

 散々痙攣をしつくしてから、ついに翡翠は倒れこむ。

 床に付し、余韻を噛み締めるように痙攣を続け――そしてついには、動かなくなった。

「……母上」

 ――残された竹の吐息は、色情に荒いでいた。

 絶望的な状況でありながらも、翡翠の切腹を前にして興奮しないほど竹は不感ではない。それほどに翡翠の切腹は艶やかであった。横たわる遺体から未だに幸福の余韻がむんわり濃厚に立ち込めてきているほどに。

 見たことのない翡翠の姿に、竹は改めて覚悟を決めた。

 何が何でもあの快感を――雫へと与えたい。

 竹は翡翠であったものから視線を外し、改めて雫へと向き直る。

「……たけ、さま……」

 もう、雫は殆ど動けてはいなかった。

 その腹部こそ殆ど横一文字に切り裂かれているが、最後を決めるほどの余力は残っていないらしい。呼吸は浅く、か細い。事切れる寸前であることは確かだが、このまま逝けば確実に不満が残るだろう。

「大丈夫……いくよ、雫」

 竹は雫に、二言を言わせはしなかった。

 雫の表情は見えない。

 だが、表情など見なくても分かるほど、雫は感謝と愛情を込めて竹へと首筋を差し出した。

 若くハリ艶のあるしなやかな肢体が、いよいよ生命の終わりを感じさせる痙攣に見舞われる。雫はその都度ポンプのように快感が流れ込んでくるのを感じているらしく、その表情は弱りながらも幸せそうだった。

 雫は快感に見舞われながら、しっかりと竹との接吻を思い起こしていた。

 そうして想ってくれているというのをひしひし感じているからこそ、竹は刀を持つ手に力を込めて――鋭く、振り下ろした。


「っ――」

 雫の細い首筋を刃が通り抜けた。

 首が、空を舞う。

 断絶された雫の肉体は途端に理性の欠片も感じさせない痙攣に暴れ、首から血を噴出しながら倒れこんだ。

 ごろりと床に頭が転がるその横で、身体は小水と潮の入り混じったものを洩らしながら、永遠の絶頂を泳ぐようにびくびくと暴れ続けた。

   *   *   *

「母上、雫……後は任せてね……」

 翡翠の首も落とし、二人の首を用意した白い布で包んだ竹は、ひっそり言い残し、二人の首を持って覚悟と共に部屋を去る。

 抜け道を家臣達と進みながら、毅然とした顔つきをしていた。

 何が何でも、皆の無念をはらす。

 そんな竹の持つ、翡翠の首の表情は穏やかで。

 雫の顔には、どこか晴れやかな幸せそうな笑みがあった――。

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