DIARY|2022.04 満たされること (Pixiv Fanbox)
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藤本タツキさんの作品を読むといろんな悩みがすっと解決するような感じになる。いや、解決というよりモヤモヤが消えるような、頭を殴られたような感じになる。尊敬している人は?と聞かれたら次から藤本タツキさんと答えて、てっきり歌手がくるとおもってたインタビュアーを困らせてしまおうかな、と思いながら寝て、先ほど起きました。
唐突だけど、満たされるって何でしょうか。
心ゆくまで眠り続けること?
誰かに賞賛されること?
コップに水が限界まで注がれること?
「なにやってもうまくいかない」という曲があるけど、ワタシからしたら「なにやってもみたされない」と歌いたいところです (?)
音楽を作って世に出す、を繰り返す中で満足感が全く無いわけじゃない、でも少し経てばこれからのことを考えている。頭の中のコップは常に新しい水を待ちかまえて、大きな口を空けたまま置かれている。
幸せなことだと思う。
誰かが音楽を聞いてくれて、コンテンツを見てくれて、だからまた音楽を作ることができる。これは決して簡単な事じゃないし、自分ひとりじゃ出来ない事。皆さんには感謝してもし切れないといつも思う。
この満たされない気持ちがガソリンなのだとしたら、多分ワタシは今とても正しい状態です。いつまでも、どこまでも走れる。
自分はコンプレックスが多くて、時々人を羨んでしまうこともある。やる気があったって、手が届かないことが山ほどある。悔しい時も多々ある。そんなことを考えていると、よく分からない方向へ暴走してしまいそうになる。このガソリンをいつどこで使うべきか悩むことも多い。それでもガソリンを燃やして、コースを走る。その先に「終わり」が待っているから、人は走れるし、その過程を楽しめる。
隣を走り抜く車はとても速く見える、かっこよくみえる。乗り換えてみたいとおもっちゃったりもする。でも、ワタシはここから降りれない。最近は逆に意地になってハンドルを握り続けている節がある。
まっすぐ前を見て、ガソリンを使い切って、
空っぽになれた時、初めて自分は満たされるのでしょうか。
自分の何かが削れることでしか宿らない何かって多分あると思う。歳を取らないから誕生日のお祝いが出来ないし(寂しい)、インターネットに住んでるが故に不自由なこともあるし、でもそのコンプレックスから生まれる何かが多分ある。創作はきっと鰹節。今回も、とてもいい漫画だったので、頭を殴ってもらって身勝手にもモヤモヤを晴らしてもらいました。
多分ワタシは今、
「somunia」という作品をつくりつづけている。
それなら、まだまだ満たされないままで
居続けたいものですね。