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ポニー学園物語 序章 (どうして……?)  こんなことになってしまったのだろうか。  コンクリート壁に頑丈なアンカーで固定された鋼鉄製のリングに手綱をつながれて、私は考える。  手綱で壁につながれた私は、もう人ではない。  生物学、でいいのか、そのあたりはよくわからない。ともあれ学問上の分類では『ヒト』になるのだろうが、今の私は『人』として扱われていない。  足に履かされているのは、蹄をかたどった、踵のない超ハイヒールブーツ。  人の足を馬の足に変えるこのブーツを履かされてしばらくは、まともに歩くこともできなかった。  それが今は、美しい姿勢を保ったまま、正しい走法で走ることさえできる。  腕を背中で拘束する、三角形の革袋のような形の拘束具は、アームバインダー。  腕をまとめて1本の棒の変えてしまうこの拘束具を嵌められてすぐ、上半身の不自由さに愕然とした。しばらくのあいだは、肩の痛みに辟易した。  それが今は、腕は存在感を失い、生まれたときから背中にくっついた棒だったように思えるほど、私の肉体に馴染んでいる。  顔と頭をベルトで締めあげる革の装具は、フェイスハーネス。  それには私から言葉を奪う轡と、側方視界を制限する遮眼帯(ブリンカー)、手綱をつなぐ金具が取り付けられている。  轡を噛まされてすぐ、口の不自由さがつらく、隙間から漏れる涎が恥ずかしかった。遮眼帯を付けられてしばらく、視界が制限されることにとまどった。手綱をつながれ、引かれることが恥ずかしく、屈辱的だった。  それらにも今は、すっかり馴らされてしまった。  お尻のすぐ上から乳房の下側までを覆う装具は、コルセット。  ウエストを蜂の胴のように締めあげるこの装具を着けられてすぐ、通常より5センチ締められるだけで、苦しくて仕方なかった。それが今は、コルセット背面の編み上げはフルクローズし、私のウエストは18インチ(約45センチ)まで絞られている。  そのコルセットに取り付けられた股間ベルトで、お尻の穴にねじ込まれた、頭のポーニテールに似せた尻尾付きアナルプラグを固定されている。  その残酷で淫らな処置にも馴らされた私は、もはやプラグに肛門を穿たれていないと、生きていけないかもしれない。  そして、コルセットを着けられているのは、胴だけではない。  首にもネックコルセットを着けられ、呼吸や血流を阻害する寸前まで締め込まれ、縦にも横にも動きを極端に制限されている。  そして胴と首のコルセットには、私を馬車につなぐための頑丈な金属リングが設えられている。  そう、今の私は、ポニーだ。  厳重に拘束され、馬車を引かされて使役される馬だ。  女性を馬に見たて、ポニーガールと称して馬車を引かせるポニープレイという遊びがある。  もともとは、ごく少数の欧米の好事家たちが密かに行ってきた、フェティッシュプレイ。それがわが国でも紹介され、資産家のなかである種のステータスをもって、行われるようになった。  ポニー学園とも呼ばれる馬飼野(まかいの)女子学園に連れて来られてから、私はポニープレイのためのポニーガールに堕とされてしまった。  そして一生、ポニーガールの身分から抜け出すことはできない。  両肩にポニーガールの身分を示す消せない刻印を施され、乳首に接続部を接着された巨大なピアスを嵌められた私は、二度と人の身分に戻れない。  同房の――馬飼野女子学園では、寮のことを馬房と呼んでいる――同僚が引かれてくるのを待つあいだ、私ことポニー0039番、あるいはミワ号は、まだ人だった頃の顔写真と『端澤美羽(たんざわ みわ)』という人だった頃の名前、経歴が書かれたプレートを見ながら考える。 (どうして、こんなことに……?)  その答えはわかっている。悪いのは、私だ。  一時の気の迷い。私の弱さと無知が招いた、逢魔が刻(とき)。  そのできごとを思い出し、私は遮眼帯で目元を隠しながら、溢れ続ける涎に紛らせ、ひとすじ涙をこぼした。  端澤美羽と呼ばれていた頃、私は前の学校で陸上部に所属していた。種目は短距離。トレードマークは、お気に入りのピンクのゴムで束ねたポニーテール。県の記録を更新し、地元紙の取材を受け『ポニーテールの美少女ランナー』などという恥ずかしい見出しで紹介されたこともある、全国レベルの有望選手だった。  しかし、勢い込んで参加した全国大会で、私は惨敗した。  その結果、周囲の私を見る目は変わった。勝手に期待しておいて、その期待を裏切られたと、冷たい目で私を見た。  もし私の精神がもう少し強ければ、反骨心で見返してやろうとしただろう。いやそもそも全国大会のプレッシャーに押しつぶされることもなかったかもしれない。  しかし弱い心が折れてしまった私は、逃げてしまった。  陸上部も、学校そのものもサボり、制服のまま行くあてもなく街をさまよっていたとき、ふたり組みの女性に声をかけられた。 「あなた、学校はどうしたの? まだ学校の時間よね?」  とぼければよかった。あるいは私の脚力なら、振り切って逃げられたかもしれない。  しかし、初めてのサボりに後ろめたさを感じていた私は、すくみあがってしまった。 「一緒に来てもらっていいかしら?」  両腕を抱えられ、裏通りの建物に連れ込まれ、見せられた名刺にはふたりの所属、全国女子矯正教育連盟。 「私たちは、女矯連の指導員です」  そう名乗ったふたりに写真を撮られてから詰問され、制服のまま街を徘徊していた理由を問い詰められた私は、最後に選択を迫られた。  警察に通報され、身柄を引き渡されるか。女矯連が指定する学校に転校し、矯正教育を受けるか。  この時点では、私はまったく犯罪を犯していなかった。もし私に知識があれば、彼女たちの嘘に気づけていただろう。全国女子矯正教育連盟という組織が、公的なものではないとわかっていただろう。  しかし無知な私は、気づけなかった。わからなかった。 「警察に引き渡されれば、裁判を経て収監されるでしょう。そうなれば、出所してからも前科者の烙印を押され、あなたの人生はおしまいです。ですが女矯連指定校で矯正教育を受ければ、卒業後はふつうに社会人になれますし、進学もできます」  気づけず、わからないまま選択を迫られ、私は選んでしまった。  馬飼野女子学園で、矯正教育を受けることを。

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