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「ねえ、次の官営奴隷オークションに、ご一緒してくださらない?」  高等部で同じクラスだった貴族令嬢、澤弥《さわみ》さまが声をかけてきたのは、私たちが大学部に進んでひと月ほどが過ぎた頃だった。  この国には、厳然たる身分制度が存在している。  その制度が消滅していた時代もあるそうだが、少なくともその頃私は生まれていなかった。  ともあれ、身分制度の最上層は、澤弥さまのような貴族。その下に、私の家のような一定額以上の税金を納める上級市民。続いて人口の大半を占める下級市民がいて、最下層が奴隷階級。  上級下級の市民のあいだは、常に納税額によって身分は変わりうる。  また、さまざまな事情で、市民から奴隷の身分に落ちることもある。逆に奴隷から市民に、這い上がることも不可能ではない。  そして、貴族と上級市民のあいだにも、まったく流動性がないわけではない。複数の貴族に推薦されたうえで特別に認められれば、上級市民から華族に昇格することはできる。しかし身分制度復活以来、それはほんの数例しかない。  制度上、もっとも厳然たる境界があるのは上級市民と貴族のあいだだが、お互いの人口が少ないことも相まって、現実にはふたつの階級は近しい関係にある。上級市民の子は貴族と同じ名門校に通い、18歳の誕生日を迎え成人すれば、奴隷を所有できる。  そんな身分制度の下、私の家が下級市民から上級市民に昇格したのは、小学5年生の頃であった。  卒業まで1年と少しだったため、小学校はそのまま下級市民向けの公立校に通ったが、中学は全寮制の名門女子校に進んだ。  そこで出逢い、友だちになったのが、澤弥さまというわけだ。  はじめ、貴族ならではの伝統にとまどいを覚えた。今でも完全に慣れはしないが、それでも表面上は合わせて付き合えるようになった。 「わたくしたちの階級にとって、奴隷を持つことは成人の証ですわ」  そう言う澤弥さまが18歳の誕生日を過ぎても奴隷を所有していなかったのは、女子校の校則で、高等部までは奴隷の所有が禁止されていたからだ。  それが大学部に進み、晴れて奴隷を持てるようになった。 「わかりましたわ。父がの許可が出れば、ぜひご一緒させてください」  身につけたスキルでもって、私がにっこりほほ笑んで答えると、澤弥さまは表情を綻ばせた。 「よかった、美典さんと一緒なら、落ち着いて奴隷を選べそうですわ」  そして私の手を取り、夢見るように告げた。 「きっと美典さんのお父さまも許してくださいますわ。そうだ、わたくしの父から、お父さまに頼んでもらいましょう」  奴隷を持つことを許可すると父から連絡があったのは、その夜のことだった。  父はいつか、貴族階級に昇格することを夢見ている。娘を介してとはいえ、澤弥さまの家と親しい関係を持てることは重要だ。  その大事の前には、私が奴隷を持つか持たないかなど些事だったのだろう。  ともあれ、それからは特になにも問題は起きず、官営奴隷オークションの日を迎えた。  官営奴隷オークションは、貴族と上級市民の社交場でもある。当然参加者は正装でなければならない。  とはいえ、私たちが通う名門校は、大学部にも制服がある。学校の制服は、第一級の正装と認められる。  そして澤弥さまと同じ制服を着ていられることは、初めて社交場を訪れる私には、大いに助けになった。  澤弥さまは、貴族のなかでも上位の家柄。その令嬢と同じ制服を着、親しく接する私もまた、見る人には貴族と映るのだろう。  うやうやしく出迎えた支配人に案内され、私たちは一般席とは仕切られた特別席に着いた。  しかし、わたされた出品される奴隷の図録を、落ち着いて見る暇《いとま》はなかった。  澤弥さまの元には、居合わせた貴族や上級市民が次々と挨拶に訪れる。同じ制服を着て隣にいる私も友人として紹介されるから、逐一作法にのっとり挨拶しなければならない。  そんなことが十数回も繰り返されたとき、ようやくオークションが始まった。  まずは、奴隷番号1番から。  奴隷は『1』と大きく番号が書かれた全頭マスクを被され、首輪につながれたリードを引かれて現われた。  身につけているのは、全頭マスクと首輪、それにハイヒールのパンプスのみ。本来隠すべき場所は、いっさい覆われていない。  女奴隷がステージ中央に引き出されたところで、首輪の鎖が外される。全頭マスクが脱がされ、素顔が露わになる。  同じ女性としてそのあられもない姿を直視できず、かといって不自然に目を逸らすこともはばかられ、図録のページを開く。  するとそこには、奴隷1番のプロフィールが記されていた。  姓名、生年月日、本籍地、奴隷になるまでの経歴、そして奴隷としての特徴。  それを見て、私は驚愕した。  出品された奴隷は、その身だけではなく、個人情報まで丸裸にされているのだ。 (こ、これが……)  奴隷の身分に落ちるということ。  そのことを思い知らされたところで、オークションが開始された。 「2千万」 「2千5百万」  次々と手が上がり、値段が上がっていく。  下級市民だった頃は、とうてい手が出なかった金額。しかし今なら払えない金額ではない。  とはいえ、どうしてもその金額で買いたいとは思わない。  そもそも私は誘われてついてきただけで、積極的に奴隷を持ちたいと思っているわけではない。  そんななか、1番の落札者が決まって2番。続いて3番。  4番めに出てきたのは、サラサラの長い黒髪の、いっけん清楚な女の子だった。 「メイド奴隷としての教育がきちんと施されているようですね……この子、よさそうですわ」  引き出された4番の子と図録を交互に見、澤弥さまがつぶやく。  そして優雅なしぐさで、軽く手を挙げた彼女が告げた金額は、それまでの入札価格の倍の金額だった。  一瞬どよめく会場。声の主が澤弥さまだと知り、ため息とも感嘆とも取れる声が聞こえる。  結局それ以上の声はかからず、4番は澤弥さまに落札された。  続いて5番、6番。10番を過ぎる頃には、私もオークションの雰囲気に慣れてきた。  16番めで澤弥さまがふたりめの奴隷を落札し、次は17番。  登場に先立って図録のページをめくり、私は目を剥いた。 「……!?」  そこに記された奴隷のプロフィールを見て、息を呑んだ。  伊東依織《いとう いおり》。その名を、私は知っていた。 (ま、まさか……!?)  鼓動が速くなる。 (い、依織……なの?)  それは小学校の頃、手をつないで登下校していた、一番仲のよかった女の子の名前だった。  記された生年月日は、彼女の誕生日だった。  小学校は、一緒に通った地元校。中学校は、その小学校の卒業生の大半が通う、地域の学校だった。  間違いない。偶然の一致などであるはずがない。  そう考えて顔を上げると、17番の奴隷が引き出されてきた。  これまでの奴隷と同じ、番号が記された全頭マスクと鎖つきの首輪。だが、それ以外の装具が違った。  両の乳房の頂には、ぷっくり膨れて屹立した乳首を、残酷に貫ぬくピアス。  ウエストを、きつく締めあげるコルセット。  そのコルセットからベルトで吊られた、タンガと呼ばれる極小パンティ。  ガーターで吊られたストッキング。  両腕は背中でひとつにまとめ、1本の棒のように縛《いまし》める革の装具――そのときはまだ、アームバインダーという名は知らなかった――で拘束され。  足元はふつうのハイヒールパンプスではなく、バレエのポワントを強制するようなブーツ――それがバレエヒールという名だということは、のちに知った――を履かされて。  そのブーツのせいで、まともに歩けないのだろう。  狭い歩幅でヨチヨチと、よろめきながら17番の子が引き出される。 「あれは……」 「ああ、調教済みの中古奴隷だ」  どこかで誰かが言い合うなか、ほかの奴隷の倍以上の時間をかけ、17番がステージ中央にたどり着いた。  そして鎖を引く係員に促され、17番が背中を見せたとき、私はもう一度目を剥いた。  コルセットに吊られたタンガの後ろ部分は、金属製の肛門栓《アナルプラグ》になっていたのだ。 「おい、見ろよ」 「ああ、おそらく肛門を拡張されすぎて、閉じなくなっているんだ」  ひそひそと交わされる会話に、あらためて図録を見ると、その点も明記されていた。  奴隷17番――依織が奴隷として売られたのは、18歳の誕生日のことだった。  奴隷の所有を認められる年齢が18歳であるように、奴隷として売られることが認可されるのも18歳以上。  つまり、売買できるようになってすぐ、待ってましたとばかりに彼女は売られたのだ。  依織のご両親はもともと、私の父と同じように上昇思考が強かった。娘どうしの仲がよかったことも相まって、はじめは私の父とお互い高め合うような間柄だった。  それが変わったのは、うちの家が先に上級市民に昇格してから。  その頃まだ子どもだった私にはわからなかったが、依織の家族には、嫉妬に似た感情が生まれていたのだろう。  依織の家に遊びに行っても、ご両親の態度はどこかよそよそしいものになっていった。それが娘どうしにも影響をもたらし、依織との関係も、少しずつギスギスしていった。  私が名門女子校進学をためらわなかったのは、そのせいでもある。  ともあれその後も、依織のご両親は上級市民昇格への思いを強くしていったのだろう。  その結果事業面で無理をして、かえって失敗してしまったこと。失敗の損失を補填しようと、あまりよくない金融業者に手を出してしまったことは、容易に想像できた。  それで、依織は売られてしまった。しかも官営オークションではなく、個人売買で、性奴隷として。あるいはそれは、いわゆる借金のカタというものだったのかもしれない。  ともあれ、売られた先の過酷な調教で、依織は取り返しのつかない身体にされた。  結果、わずか半年あまりで、依織は再び売りに出された。  今日、この官営オークションに、奴隷17番として。 (な、なんて……)  ひどい仕打ちなのだろう。  しかし、続いて聴こえてきた会話は、さらに残酷なものだった。 「これはたぶん、不要奴隷を処分するつもりで出品されたクチだな」 「ああ、官営オークションで売れ残った奴隷は、地下収容者送りと決まっているからな。待っているのは、死ぬまで性奉仕強制労働の地獄の暮らしだ」  愕然としながら顔を上げると、係員が首輪の鎖を外し、全頭マスクを脱がせる。  しかしそれで、17番の顔が露わになるわけではなかった。彼女の顔の下半分は、全頭マスクや拘束具と同色同素材の、口枷に覆われていた。 (おそらく……)  依織は、自分が処分のつもりで出品されたことに気づいていた。  それで抵抗したため、厳しく拘束された。泣き喚いたため、口枷を嵌められた。鎖を外しても逃げられないよう、バレエヒールのブーツを履かされた。顔を上気させ、瞳が蕩けたように潤んでいるのは、肌に傷をつけない形で痛めつけられたせいかもしれない。  勝手に想像して胸を締めつけられるような思いに囚われるなか、17番のオークションが始まった。  しかし、誰も手を上げない。入札の声はかからない。  それはある意味、当然だったのだろう。ここに集まっているのは、全員貴族と上級市民。自動車に例えるなら超高級車を新車で買える人たちが、好き好んで中古車を買うわけがない。  買い手がつかないまま、時間だけが過ぎる。 (このままだと……)  17番は、依織は、地下収容所送りになる。そこで、性奉仕の強制労働をさせられ――。  そう考えたところで、私は手を上げていた。  意を決してそうしたわけではない。気づくと、私は手を上げて入札の意思を示していた。  私のことを知らないオークションの参加者は、貴族娘の酔狂だと思ったのかもしれない。  私のことをよく知る澤弥さまは、売れなければ処分される奴隷に同情しての行動と思ったのだろう。  ともあれ私の入札に大きな反響もなく、ほかの入札者も現われず、17番のオークションは終了した。  奴隷17番――依織が送られてきたのは、その日の夜。夕食が終わって寮の個室で寛いでいたときだった。  貴族と上級市民の子女が通う名門女子校は、基本小学部から大学部まで一貫。私のように中途から入学する者もいるが、それは少数派だ。  ともあれ、妙齢の令嬢ばかりが集う寮を訪れる配慮なのだろう。依織を運んできた職員は、全員女性だった。  そう、連れてきたではなく、運んできた。  依織は大型スーツケースのような金属製の箱に詰められ、運搬されてきたのである。 「受け取りを」  差し出された書類にサインするあいだも、依織の箱が気になって仕方ない。 「ありがとうございます。またのご利用をお待ちしております」  その言葉にぎこちない笑顔で応え、配達係を送りだす。  カチャリ、と扉に鍵をかけ。 「ふう……」  とひとつ息を吐いて気分を落ち着かせる。  横に倒された金属の箱は、静かに動かない。 (ほんとうに……)  この中に依織がいるのか、わからなくなる。  とはいえ、箱を開けたら空ということはないだろう。奴隷オークションは官営だ。違法な闇オークションなら客を騙したりもするだろうが、公の機関がそんなことをするはずがない。 「ふう……」  もう一度息を吐き、箱の横にしゃがみ込む。  パチン、パチンと留め具を外し、スーツケースと同じように箱の蓋を開ける。  するとそこには、オークションのときと同じ装具を身につけた依織が、両脚を折り畳んだ体育館座りのような姿勢で詰められていた。  箱の内側には、発泡ウレタンの緩衝材。それを人型にくり抜いた溝の中に押し込まれ、拘束されていなくても、依織は動けなかっただろう。 「生きてる……の?」  唾を飲み込んで口枷を嵌められた依織の顔に自らの顔を近づけると、まず体温を感じた。続いて、口枷の開口部からの吐息も感じた。  それで胸を撫で下ろしてよく見ると、顔部分のウレタンの切り欠きが、箱側面の通気口に続いているのが確認できた。  おそらく、それで呼吸できていたのだ。通気口にメッシュのフィルターが取りつけられていて、外からは通気口が見えなかったのだ。  運搬中に怪我をしたり、窒息したりすることがないよう――いやそれは、依織に対する人としての配慮ではないのだろう。  高額の対価を支払って奴隷を買った顧客に対する、商品が傷つかないようにとの配慮なのだ。 「依織……」  いたたまれない気持ちで、ウレタンの切り欠きに嵌め込まれたまま寝息をたてる彼女に声をかけてみるが、すぐには目を醒まさなかった。  おそらく、睡眠薬かなにかで眠らされているのだ。  そう判断して、依織の顔のすぐ横の四角い切り欠きに詰め込まれた装備品を取りだす。  一番上には、黒いワンピースと白いエプロン。澤弥さまには勧められて指定した、メイド用の衣装だ。  それを取りだすと、下に黒い袋が現われた。  奴隷17番専用付属品。  そう書かれた袋を取り出し。 「なんだろう、これ……落札後の説明では聞かされなかったけど……」  つぶやきながら、メイド服の横に袋を置く。  それから、一番下にあったのは、A5サイズの冊子。  奴隷17番取扱説明書と書かれた表紙をめくり、中身を読んで、驚愕の内容に目を剥いたときである。 「ぅ、ん……」  低くうめいて、依織が目を開けた。  顔だけ上げて、あたりを見わたして、それから私と目が合う。その目が、カッと見開かれた直後、怖れの色に染まり――。 「い、依織……」 「うむんんんッ!」  私が名を呼んだのと、彼女がくぐもって叫んだのは、ほぼ同時だった。 「んむぅううッ!」  声をあげて手足に力を込める依織。  しかし、アームバインダーで厳しく拘束された腕は、ピクリとも動かせないようだった。ウレタンの切り欠きに嵌め込まれた身体は、ピョコピョコと震えるように動いただけだった。 「ぅんむむむッ!」  それでも依織は声をあげ、手足に力を込める。  なにが言いたいのかはわからない。彼女の声は口枷に阻まれて、言葉にならない。 「依織、落ち着いて」  静かにさせようと声をかけたのは、彼女の悲鳴を誰かに聞かれないか心配したからではなかった。  そもそも寮の個室は、ピアノを持ち込んだ寮生が演奏しても、ほかの部屋には聞こえないほどの防音が施されている。  それでも私が依織を落ち着かせようとしたのは、かつての親友には怯えた視線を向けられ、悲鳴をあげられることがつらかったからだ。  とはいえ、きっとほんとうにつらいのは、依織のほうだ。  どれほど落ち着かせようとしても、彼女の態度は変わらない。 「私よ、美典よ。わかるでしょう?」  それは、そう告げても同じこと。  そこで、気づいた。  もし逆の立場だったらと考えてみて、すぐわかった。 (依織は……)  私だと気づいたから、かえって暴れているのだ。 (自分を買ったのが私だから……)  それでいっそうつらく感じ、過酷な運命に抗おうとしているのだ。  もし彼女を買ったのが澤弥さまなら、いや澤弥さまじゃなくても赤の他人だったら、依織はこれほど暴れなかったかもしれない。 (もしかしたら……)  依織を買ってしまったのは、間違いだったのか。  彼女にとって、かつて親友だった私に飼われることは、地下収容所送りよりつらい仕打ちなのか。 (でも……!)  と、私は思い直した。 (だとしても……!)  私が依織を買った事実は、もはや変えようがない。 (だから、私は……!)  依織を飼う。  上級市民と奴隷という身分の隔たりがある以上、すぐさま昔と同じ親友には戻れなくても、彼女のことを大切にする。 (そのことを伝えるためにも……)  やはり、いったん落ち着いてもらわなければならない。  そこで、取扱説明書に書かれていた一説を思い出した。 『情緒が不安定になったとき、付属の電気式抑制装置を使えば、奴隷をおとなしくさせることが……』  電気式抑制装置、それがいかなるものかはわからない。  とはいえ、それで依織がおとなしくなってくれるなら――。  そう考えて、黒い袋の中から手のひらに収まる程度のスイッチボックスを取り出す。 「……ッ!?」  それを見せただけで、依織が息を呑む気配。  よほど効果的な装置なのだろうと漠然と考え、スイッチを指で押し込む。 「んんむむむンむむッ!」  刹那、依織が目を剥いて叫んだ。 「なっ、なにごと!?」  突然の絶叫に驚き、スイッチから指を放す。 「ぅうぅ……」  すると涙を溜めた目で、依織が恨めしそうに私を見た。 (どうして……?)  そんな目で、私を見るのか。 (なぜ……?)  頬を朱に染めているのか。  その瞳が潤み、どこか蕩けたような感じなのか。  わからない。わからないが、ひとまず依織は落ち着いてくれた。 「とりあえず、そこから出してあげるね」  そう言って、ウレタンの切り欠きに収められた、彼女の身体を抱き起こす。 「ン、ぅ……」  どこか甘みを感じさせる吐息を漏らし、身体をピクンと震わせた依織を箱から出す。  それから、バレエヒールのせいでまともに歩けない彼女を支えながら、ベッドの縁に腰かけさせる。 「拘束具も外してあげる……」  言いかけて、拘束具のバックルすべてが、南京錠で施錠されていることに気づいた。  ならばバレエヒールのブーツだけでも脱がそうとして、そのファスナーは下ろせなかった。見るとファスナーのスライダー部分に、小さな鍵穴があった。 「こんなものにまで……」  鍵がかけられているなんて。 「これ、どうやって外せば……」  困ってつぶやき、17番専用付属品の袋を思い出した。 「そうだ、あの袋の中に鍵が……」  そう思って見てみると、2種類の鍵があった。  比較的大きいほうが、拘束具の南京錠の鍵。小さいほうが、ブーツのファスナーの鍵だろう。  2種類の鍵を持ち、依織に向き直りかけて、想像で思いついた拘束の理由を思い出した。  処分のために出品されたことに気づいた依織は、激しく抵抗し、厳しく拘束された。泣き喚いたため、口枷を嵌められた。鎖を外しても逃げられないよう、バレエヒールのブーツを履かされた。  そして、肌に傷をつけない形で痛めつけられたせいで、顔を上気させ、瞳を潤ませ――。  そこで、ハッとした。  あのときの依織の表情は、今の彼女のものと同じだ。 (つ、つまり……)  コクリと喉を鳴らし、小さなスイッチボックス、電気式抑制装置を見る。 (こ、これは……)  なにかしらの懲罰を依織に与え、おとなしくさせるための抑制装置だったのではないか。 (だとしたら……)  暴れる依織に動転していたとはいえ、知らず知らず懲罰を与えてしまったのではないのか。 「ご、ごめん、依織……」  いたたまれない気持ちで彼女に歩み寄り、肩を抱く。 「んぅん……」  再び甘い吐息を漏らした依織が、ピクンと痙攣した。 「んむぅん……」  蕩けた瞳で、私を見た。  なにか言いたいのだろうか。なにか言おうとして、口枷に発声を阻まれたのか。  だとしたら、まずは口枷を外してあげないといけない。  そう考えて、南京錠の鍵を手に取る。  まずは、側頭部の南京錠。  カチリ。と小さい金属音とともに解錠し、続いて後頭部。  ふたつの南京錠を外して、ベルトを解く。  それから口中にねじ込まれた金属製の筒を、ゆっくりと引き抜く。  筒の根本に近い位置に、透明な樹脂のマウスピース。ベルトを解いても抜け落ちなかったのは、それが歯をがっちり捕らえていたせいか。  それは、長時間装着させ続けても、歯と歯茎を傷めないための配慮。同時に、それは口枷が長期間の連続装着を可能にする造りでもある。  いやおそらく、後者のほうに主眼が置かれているのだろう。  そう考えて、なぜかゾクッとした。  奴隷という身分に落ちることの恐ろしさに寒気を――いや、違う。  これは恐怖を覚えたがゆえの、寒気ではない。むしろ私は、身体の芯に火照りを感じている。  まるで、風邪をひいて微熱が出ているように。 (どうして……?)  そうなるのか、自分でもわからない。  ともあれ、今は依織の口枷を外すのが先決だ。 「ぁうぅ……あッ!?」  口枷の筒をゆっくり抜いていくと、依織が唇の端からゴポリと涎をこぼした。  こぼれた涎が顎を濡らし、露わになっていた胸に垂れた。 「あぁうぅ……」  そのことが恥ずかしかったのか、依織がくるおしくうめいた。  とはいえ、口枷の筒は、いまだ抜けきらない。  なんて長いのだろう。これほど太く長い筒が、口中に収まっていたなんて。  おそらく筒の先端は、喉奥近くにまで到達していたに違いない。  だからこそ、依織は完全に言葉を奪われていた。装着中は筒の開口から、容易に涎がこぼれなかった。  そうと気づいたところで、ようやく筒の先端が口から出てきた。 「あっふぁ……」  久しぶりの、少なくとも数時間ぶりの開放感に、依織が声をあげる。  同時に落ちきっていなかった涎が、筒の先端から彼女の唇にツーッと糸を引き、やがてプツリと切れた。 「あっ、あぅう……」  それを吸い上げようとしてうまくいかず、再び涎が顎を濡らす。 「ぅあぁう……」  そのことを恥じて、依織がまたうめく。 「大丈夫だよ、気にしないで」  ほほ笑みかけてそう告げ、ハンカチで顎と口の周りを拭ってあげる。  すると依織は、私を見て口を開いた。 「あぃあぉう……」  ありがとう、そう言ったのか。  私にお礼を言ったつもりが、長時間の口枷装着のせいで口がうまく動かせなかったのか。 「いいよ、まだ喋らなくても。口が回復してからゆっくり……」  そこで、依織がプルプルと首を横に振った。 「ぉう、あぁんぇいあぃお……」  そして、潤んだ瞳でなにかを訴えるように私を見て、よく聞き取れない声で告げた。  きっと、よほど伝えたいことがあるのだ。 「いいよ、ゆっくりでいいから」  声をかけ、依織の隣に腰を下ろして肩を抱く。  うっすら汗をかいた肩をさすっていると、依織がなにごとかブツブツつぶやいた。 「なぁに、口は回復した?」  そして、声をよく聞き取ろうと顔を近づける。  そこで、依織が上半身をひねって、顔を私に向けた。 「い、依織……?」  超至近距離で見つめられ、ドキリとして口を開きかけたときである。  依織が、私の唇に自らの唇を重ねた。 「……ッ!?」  驚き、息を呑んだところで、唇を強く吸われた。  口づけ。いや、そんなロマンティックなものではない。  接吻。そう呼べるほど、風雅なものではない。  なにかを求めるような、求めてむさぼりつくすような、激しいキス。  反射的に逃れようとしたが、依織の唇は私の口を追いかけてきた。  重心が後ろに寄った身体に体重をかけられ、ベッドに押し倒されてしまう。  そのせいで、依織の唇から逃げられなくなってしまう。  いや、違う。  依織はいまだ、アームバインダーで拘束されている。だから、はねのけるのは簡単だ。足にはバレエヒールのブーツを履いたままなので、逃げたら追いかけてこられない。  にもかかわらず、私はそうすることができないのだ。  あまつさえ、のしかかってきた依織がずり落ちたりしないよう、両手を彼女の肩に添えて支えてしまっている。  どうしてそうしてしまうのか、自分でもわからない、  そもそも、理由を考えることも、考えようとすることもできない。  ただ、一方的に私の唇を求める依織に、なすがままにされてしまう。  そのうちに、ますます身体が熱くなってきた。  奥のほうに生まれていた火照りが、ますます強くなってきた。  その火照りが、熱の塊となって女の子の肉壺に溢れだす。  そこを通って熱い蜜となり、肉の割れめからジュンと染みだす。  それが下着を濡らしたところで、私は気づいた。  依織を落札したとき、なにも考えず手を上げたのは、ただの同情などではなかった。 (あれは……)  私自身が、依織が欲しかったからだ。  だからこそ、依織のキスを拒まず、受け入れた。  それでゾクッとした感覚が駆け抜け、身体の火照りを覚えたのは、風邪をひいたからなどではなかった。 (私は、きっと……)  依織が奴隷として扱われてることを知り、性的に昂ぶっていたのだ。 (つまり、私は……)  依織を奴隷として所有し飼いたいと、17番として引き出されたときから、無意識のうちに願っていた。  それゆえ、奴隷の処置を受けた依織を見て、性的な昂ぶりを覚えた。  私がはっきり自覚したところで、依織が唇を離す。  そして潤んだ瞳で私を見たまま、媚を帯びた声で告げた。 「お願い、です……もっと気持ちよくさせて……」  コルセットから吊られた、衣織の股間を覆うアナルプラグつきタンガ。  その下の女肉には、ディルドが挿入されていた。そのディルドと金属製アナルプラグ、さらに陰核《クリトリス》の上には、微弱な電流を流して刺激する装置が仕込まれていた。  電気式抑制装置とは、それらを起動させるスイッチボックスを含めた、装置全体の呼称だったのである。  その電源を入れた私は、依織があげた嬌声を悲鳴だと勘違いし、すぐにスイッチを切ってしまった。  つまり今の依織は、一瞬だけ性の快楽を与えられ、そのあとおあずけを喰らっているよう状態。  そのことを私に語るほど、依織は追い詰められていたのだ。  それは、依織が恥じらいを失っていたからできたことではない。  はしたないおねだりをしたときも、彼女はためらいがちだった。語るあいだ頬を朱に染めていたのは、性的な昂ぶりのせいだけではないだろう。  依織が恥をしのんでおねだりし、語ったのは、性奴隷調教を施され、そうなるよう肉体と精神を躾けられていたからだ。  とはいえ、私も自分の秘めていた願望を自覚してしまった。依織に触発されて、彼女を所有したいと、性奴隷として扱いたいと思ってしまった。 「み、美典……お、お願い……」  快楽が欲しくて、すがるように告げる依織の姿に、背すじがゾクゾクするような悦びを覚える。  依織が快楽を得たいと思うように、私も彼女を責める悦びが欲しくなる。  その本能の求めにつき動かされるように、私は唇の端を吊り上げた。 「ねぇ、私のこと、美典って呼んだ?」 「えっ……?」 「依織は、女主人《あるじ》のことを、呼び捨てにするの?」  そこで、依織がハッとしたような表情を見せた。 「ご、ごめんなさい……その……名前を呼んでくれたから、つい……」  彼女を買った最初の主人が、依織のことをなんと呼んでいたのかは知らない。だがそれが、奴隷としての立場を明確にするような呼称だったのは間違いないだろう。そして官営オークションでは、彼女は17番という番号が与えられていた。  つまり依織は、奴隷の身分に落ちてから、実の名前を呼ばれたことがないのだ。  それが旧知の仲である私に昔のように名を呼ばれ、ふたりの関係性まで昔に戻ったかのように受け答えしてしまった。  その心情は理解できる。  だが、理解できても赦すつもりはない。  私の秘められていた本性を覚醒させたのは、依織なのだから。依織自身にそのつもりはなくても、彼女は自らの行為の報いを受けなくてはならない。  我ながら理不尽な思いだとわかっていても、もう我慢できなかった。 「だったら、なんとお願いするか、わかるわね?」  冷たく言い放つと、依織は一瞬すがるような視線で私を見、すぐに諦めて顔を伏せた。  そして腰かけていたベッドを降り、よろめきながら足元にひざまずき、私を見上げて口を開く。 「お、お願いします……美典さま……この卑しい奴隷めに、快楽をくださいませ」  その言葉を聞いた直後、ズクンときた。  肉の火照りがますます強くなり、下着の染みが広がった。 「うふふ……」  心の奥底から湧き上がる笑みを浮かべ、スイッチボックスを取り出し、依織に見せつけるように――。  しかし私は指でスイッチのボタンを撫でるだけで、まだ押し込もうとしなかった。  どうして、スイッチを押してくれないのか。なぜ、はしたなくおねだりをしたのに、快楽をくれないのか。  その思いが、依織の表情に浮かぶ。  そこで私は、依織の乳首を穿ち貫ぬくピアスに触れた。 「うふふ……」  そして、指でつまんだピアスを軽く引く。 「んっ、くっ……」  直後、依織が眉間に皺を寄せてうめいた。  痛いのか。いや、痛いだけではないのだろう。 「くっ、んふぁ……」  うめいたあと依織が漏らした吐息には、甘みが混じっていた。  おそらく痛みのなかに、それをはるかに凌駕する快楽を得ているのだ。  そのことを確信し。 「いいこと、依織? どんなに気持ちよくても、けっして動いちゃダメよ。もし動いたらどうなるか……わかるわね?」 「は、はひ……私の乳首は、ちぎれてしまいますぅ……」  小さな痛みと大きな快楽、加えて乳首がちぎれる恐怖に苛まれながら、依織が答えたときである。  カチリ。  私の指が、スイッチを押し込んだ。  刹那、依織が目を剥く。 「かッ、ハッ……!?」  一瞬、口をパクパクさせ。 「ハッ、ふァああぁあッ!」  直後、艶めいて喘ぐ。 「はっひっ、ひぁああッ!」  ビクンと身体を跳ねさせて。 「ふひッ……ひぎ……ッ!?」  私につままれたままのピアスに乳首を引き伸ばされ、短く悲鳴をあげる。 「これ以上動いたら、乳首ちぎれちゃうよ?」  いやらしく告げたが、もちろんそれは私の本意ではない。  依織の動きに合わせ、ピアスが乳首を引っ張りすぎないよう、私は細心の注意を払っている。不意の動きがあれば、ピアスを放す心の準備もしている。  だがそれは、依織にはわからないこと。 「はっひゃ……ち、乳首ちぎれるのやだァ……」  そのことを恐れながも、依織は押し寄せる快楽に翻弄されていく。 「はふぁ、あっあああッ!」  翻弄されながら、どんどん高まっていく。  そんな依織の状態を、私は的確に把握していた。  私に性奴隷を調教した経験はない。私自身の性体験が豊富というわけでもない。  にもかかわらず、彼女の状態が手に取るようにわかったのは、相手が依織だからか。それとも、私の本性が覚醒したからなのか。  わからない。わからないが、今はそんなことはどうでもいい。  乳首がちぎれる恐怖に苛まれながら、性的に高まる依織の姿に、私自身も昂ぶっていく。  ほんとうに乳首がちぎれたりしないよう。ちぎれないまでも、必要以上の痛みを与えないよう。  心のどこかに冷静さを保ちながら、その冷静な部分で、自身の昂ぶりを観察するのも愉しい。 (きっと私は……)  官営奴隷オークションで再会してから、いやそのずっと前から、依織をこうして責めたかったのだ。  そして伊織も、私に責められることを望んでいたのだ。  だからこそ、ふたりは女主人と奴隷として、再び相見えることができた。  そうと確信したとき、依織の高まりが急になった。 「はひゃ、あっ、あッ、ああッ!」  艶めく喘ぎ声も、切羽詰まったものに変わった。  絶頂は近い。  私自身にはその経験がないのに、誰かを絶頂させたこともないのに、そうだとわかる。 「あッ、ひ、ひぁあぁあッ!」  来た。依織の絶頂がやってきた。  そこで私は、声をかけた。 「依織、イキなさい。私を見て、イキなさい!」 「ふぁあ、は、はひ(はい)ぃ……」  命じられた依織が、私を見る。  だらしなく開いた口の端から、みっともなく涎を垂らしながら。眉をハの字に歪め、耳まで真っ赤にしながら。蕩けて焦点の合わない瞳で、私をじっと見て。 「あッはッ……い、イキますう」  ブルリ、と身を震わせた。 「あっ、あッ、あァあああッ!」  アームバインダーで両腕を拘束され、コルセットでウエストを締めあげられ、バレエヒールを履くかされた脚を折り畳んで正座したまま。  激しく振動するディルドに、アナルと陰核を刺激する電極に、追い上げられる。 「ひッ、あッ、ひィいッグ……!」  乳首のピアスを引っ張られているせいで、快楽に身悶えることすら許されず、依織がイク。  私の足元にひざまずき、私を見上げながら、依織が絶頂する。 「ィぎぃ、ふひィいッグ……ぅうううッ!」  そしてひときわ声高らかに宣言し、縛《いまし》めの身をガクンガクンと震わせたあと――。 「お……お情け、ありがとうございまし、た」  蕩けきった瞳で私を見たまま、依織は感謝の言葉を述べた。  それから、数ヶ月が経った。  美典は今、私の部屋でメイドとして働いている。  コルセットとしかけが施されたアナルプラグつきタンガ、それにストッキングは身につけたまま。そのうえにメイド服を着て、アームバインダーと口枷で拘束されて。  口枷の蓋に取りつけられた羽根はたきで、部屋の中を掃除して回っている。 「帰るまでにきちんと掃除できていたら、ご褒美をあげるわ」  そのご褒美とは、タンガに仕込まれた器具を使っての、快楽絶頂責めのことである。 「でも少しでも粗相があれば、厳しいお仕置きよ」  それは、ピアスを嵌められた乳首のみを弄っての、絶頂寸前寸止め責めである。  依織を性奴隷として責める悦びに目覚めた私には、そのどちらもが愉しい。いずれにせよ、依織は私に愉悦をもたらしてくれる。  そんな依織に、私はお手当てを支給していた。もちろん彼女本人にわたしているわけではないが、用意した彼女名義の口座に、毎月振り込んでいる。  私が大学部を卒業する頃、その額は依織が自身を買い戻すのに、充分な額になっているはずだ。  そのとき、私は彼女に選択させるつもりでいる。  このまま、私に性奴隷でい続けるか。それともわが身を買い取り、奴隷の身分を脱するか。 (とはいえ、きっと……)  私は、確信していた。  身分が奴隷のままであろうと、そうでなかろうと、依織は私に仕えて暮らすことを選ぶだろうと。 (了)

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