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当たり前だけど、マリオの映画でした!w


でも改めて感じたのはマリオにもルイージにも人生があったんだな、と。


映画にする以上ストーリーってめちゃくちゃ大事。それが今回の映画でどういうものになるんだろう?というのが個人的に最注目ポイントだったわけで。

物語はマリオの基本設定の踏襲。マリオが世界を救う話し。

でも最初からマリオが無敵のヒーローだったらエンタメとしてはイマイチでしょう。だからマリオとルイージの設定が


・どこにでもいる普通の兄弟

・何をしたら良いのかわからない悶々とした日々を過ごしている

・親から仕方のない奴らだと半分諦められている


という設定をすることによりマリオとルイージ2人の成長物語にもなっている。これには結構驚いた。というのも私はマリオのゲームはファミコン時代のものなら裏技を駆使出来るレベルまでやり込んだ人間だ。ゲームキューブ以降のマリオはやらなかったが、そんなマリオは私からしたらスーパーヒーローというイメージが強かった。


マリオのイメージは人それぞれだろう。というのもプレイヤーの腕次第でマリオはスーパーヒーローにもなれるし全然ダメなオッさんにもなり得る。私は前者だったわけだ。

しかしそんなスーパーヒーローのマリオもプレイヤーがクリアを重ねてきたからこそスーパーヒーローになり得たのであって、初見では足場から踏み外したりクリボーやノコノコとぶつかったりしてきたはずだ。

映画前作のマリオがまさにそれで、初めての世界やアイテム、敵に困惑しきりなのだ。初めてゲームをプレイした昔の私達のように。


中盤にドンキーコングを倒してゲームシステムを理解してからのマリオの活躍は爽快だった。

まるでゲームをそのまま映画にしたといった表現が本当に正確だと言えるでしょう。


ピーチ姫もクッパも、「そういやそうだったな」と思い返すような設定で絶妙な役周りだった。

まさにマリオ映画としては満点だろう。


ただし映画として見るなら、投げっぱなしの設定や意味深なセリフはやたら目につく。

そもそもなんでクッパはピーチ姫が好きななか?とか最初のペンギン村はなんだったのか?とかなんでマリオは配管工に命をかけてるんだ?とか、全部投げっぱなしなので、共感が出来ない部分も多い。


それでもこの映画が立派に映画として見れるものになってるかといえば、マリオ映画だからだろう。

スーパーマリオの世界観や魅力がこれでもか!ってくらい集約されている。マリオを知らない人はいないだろうという前提で製作しているのがわかる。

知名度の暴力といえようか、そういう作品に映画作りの基礎的な部分というのは野望というものだ。


頭を空にして、マリオの世界を楽しめる。

そんな一本だと、私は思いました。


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