Home Artists Posts Import Register

Content

どの時代どんな芸術家も才能の限界に悩み苦しみ、時には筆を折ったり時には必死の努力で壁を乗り越えてきたものです。

今日は小野道風の小話を紹介します。

【日本史を代表する書道家:小野道風】

小野道風は平安時代の書道家、能書家です。日本史上三蹟の1人に数えられる天才的な筆使いを持った文化人でした。

三蹟とは、書における和様を大成した3人の書道家:小野道風、藤原佐理、藤原行成の3人のこと。

三蹟が出る以前、つまり平安時代中頃以前の書というものは、中国語の影響が強く、当時の人でも相当な勉強をしないと読み書きは不可能でした。三蹟はそんな書(文字)を日本風にアレンジして完成まで持っていった3人です。

つまり今の日本語を作り上げた3人と言っても過言ではないわけです。

小野道風はそんな三蹟の1人であり、没後に作られた源氏物語の中でも紫式部が道風の書いた書を大絶賛しています。

また同じ三蹟である藤原行成も小野道風のことを神様と崇めており、その書の上手さは「王羲之の再来」とまで言われました。

※王羲之とは古代中国の書道家で書聖と言われた人物。文字の中に喜怒哀楽を初めて表現し、今の漢字や文字、書道の基礎を作りました。

【小野道風とカエル】

さてそんな小野道風ですが、最初から日本語を大成しよう!と思って頂点まで登り詰めたわけではありません。

また、最初から字が上手かったわけでも天才でもありませんでした。

幼い頃の彼は、勉強嫌いで、字も下手、和歌も下手。それは生まれつき出来が悪いのだから仕方がないと自分で諦めていました。

ある雨の日、一匹のカエルが地面から垂れ下がった柳の枝に飛びつこうとして何度もなんども跳ねていました。彼はそんな光景を傘をさして眺めていました。

その時、ふと強い風が吹いて柳がしなり、見事にカエルが柳に飛び移ったのです。

これを見た彼は、ハッと気がつきます。

「カエルは一生懸命努力をして、偶然のチャンスをものにした。しかし自分は何の努力もしていない。」

道風はその日から人が変わったように勉強を重ね、日本一の書道家と言われるまで登り詰めるのです。

という逸話があります。

この話は戦前の国定教科書にも載っていた有名なエピソードなので興味があれば、お爺ちゃん、お婆ちゃんに聞いてみましょう。

この話からは天才は最初から天才では無い、チャンスは努力している者のみに訪れる等の教訓を得られます。

自分は何故下手なのだろうと悩み苦しみながら、精進を少しずつ積み重ねていく内にその道の名人になっているものなのです。

今すごく絵や漫画で悩んでる人も、私と一緒に悩んで、ちょっとずつでいい。小野道風のように、前に進んでみませんか?

Comments

No comments found for this post.