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「あのーここって……」

「………。儂の家だ」


質問には簡潔な答えが返ってきた。そしてそれだけだった。目の前の老人はムッと口を引き結び、俺に黙って湯呑を差し出した。揺れる水面を見て、自分がカラカラに乾いていることに気がついた。全身が重い。記憶が曖昧だ。

とりあえず俺は布団からなんとか半身を起こし、湯呑のお茶を一口で飲み干した。


「家って……」

少し落ち着いた俺は改めて窓の外を見た。いかにも山奥ですといったような景色が広がっている。もうすぐ日が沈みそうだ。

「………」

俺の呟きに返事はなかった。質問と思われてなかったのか、答えたくなかったのか、どちらかはわからない。ただ目の前の老人は俺の湯呑になみなみと水を注いだ。

白髪に白髭、深いシワが刻み込まれた顔をしているが、眉は凛々しく黒々としている。意志の強そうな目が、俺に「いいから飲め」と言っていた。


「どうも……」

俺は二杯目をいただくと、小さく礼を言った。

あなたは誰ですか。なんで俺はあなたの家に。なにがあったんですか。

聞きたいことは随分あったが、疲労と眠気でうまく声がでなかった。


「………飲め」

さらに三杯目。俺はそれも飲み干した。

今まではただの水だと思ったが、なんとなく草っぽい臭いがする。お茶……というには澄んでいるが、どうやら真水ではなさそうだ。


あの、俺いま何飲まされているんですか?

質問がさらに増えてたが、それもうまく口にできなかった。

男がいかにも寡黙な老人といった佇まいで、あまり会話は弾まなさそうだ……という理由だけではない。

もしこれが毒だったとして、自分にはもうどうすることもできないとわかっていたからだ。


目の前の老人。そう、老人だ。

だが、その言葉でイメージするような体格とは、まったく比べ物にならない筋骨隆々とした肉体をしているのだ。




筋肉の塊が連なってできているような太い二の腕。

矢でも鉄砲でも跳ね返してしまいそうな分厚い胸板。

どんな山道でも踏破してしまいそうな大腿筋。

全身が筋肉の塊だ。

それが全部わかるのは、男が六尺ふんどし姿で何故か全身汗だくだったからだ。熱気がこちらにまで伝わってくる。畑作業でもしてきたのだろうか。それにしては汚れ一つない。風呂上がりと言うには……汗臭い。


「その辺で……」

「え、ハ、ハイ」

「行き倒れとった。死なせるわけにもいかん。だから連れてきた」


それで説明は終わったらしい。

男は四杯目を注ぎ終えると、ゆっくりと立ち上がった。


「もう夜になる。寝ておけ。明日の朝、村から車を借りてくる」

そう言って、男は去っていった。

最後に見たのは、堂々たる大殿筋に食い込む白い六尺ふんどしだった。


頭がぼんやりする。

体力がカラカラに尽きているのがわかる。

考えるための糖分が足りていない。

そんなことを考えているうち、また眠ってしまった。




目覚めたとき、なんとなく深夜であることはわかった。

虫の声もどこか控えめで、外は暗闇で覆われていた。


二度寝たからだろうか、さすがに思考力が戻ってきた。………。だからこそ焦り始めていた。


俺はずっと都会住みで山登りの趣味はない。もちろん、趣味でもなく山に向かう理由はない。

そんな自分が何故こんなところでマッチョな老人に介抱されているのだ。

自分のなかで整合性が全く取れない。軽い記憶喪失のようだ。

飲んでいた水だかお茶もよくよく考えれば怖くなってきた。


俺は震える足でなんとか立ち上がった。

家の中は広く整っているが、物は少なく寂しげだった。独居老人の家といえばそれだけだが、不安のせいかなにもかもが怪しく見える。


――逃げたほうがいいかもしれない。

「………」

そう思って玄関に向かった俺は、しかし再び迷うことになった。

自分の履き慣れてた靴が、意外なほどきちんと整理されて置かれていた。

悪人がこんなことをするだろうか。

そんな事を考えていると、玄関の向こう側で轟くような音がした。


ズン……!

巨岩でも落ちてきたかのような音だ。石だか砂だかが木に当たるような音が続く。

土砂崩れか。猪か。いや、それともなんだ、爆発か。


硬直していると、横開きの玄関がガラガラと音を立てて開いた。



――そこにいたのは、黒光りする全身タイツを身にまとった筋骨隆々の男だった。






黒く磨き上げられた筋肉と、見事な白髪と白髭。白黒映画のように静かな色味だが、そのなかでえんじ色のマントや股間と胸のシンボルが赤く輝いている。

夜の闇だというのに不思議なほど輝いている生地は、どう見ても簡素なコスプレ衣装ではなかった。覆い尽くすスーツの光沢や生地は、完全にヒーローのものだ。

老人の顔に、全身タイツ。

脳が情報量の多さに硬直している。


「ええと」

「……起きたのか」

男はそんな俺に一言だけそう伝えて、横を通り過ぎて家に入ってきた。


ヒーローだ。

たしか最近になって現れた……クロオニだとか呼ばれている……新進気鋭の……それにしては年老いたヒーロー。


……。

思い出した。

確かそう、あのとき。俺は巻き込まれて……、死にかけた。誰かに助け起こされるのを覚えている。それがこの男……このヒーローだったのだ。


「あの、ありがとうございます……!」

まだ頭が混乱していたのだろう、話の流れもなにもなく、俺は目の前の老人……いや、ヒーローに礼を言った。


「む……」

目の前の老人は顔を背け、マントで身を隠すように隣の台所へと向かっていった。


「ここは……電波も届かん。明日……街に出たら会社なり家族なんなりに、連絡しろ」

背中越しに掛けられた言葉はたどたどしく、しかし温かいものを感じた。


「念のため……もう二~三口……飲んどけ」

そうして、台所から出てきた彼の手には、やはり湯呑が握られていた。


………。

おそらく薬草かなにかなのだろう。これがヒーローの力の源なのか、それとも単なる山暮らしの男の知恵なのか。言葉数があまりにも少なくて伺うことはできない。

正体を隠している以前に、この男はとにかく口下手であるようだ。


「ありがとう……ございま――」

「それとな」

初めてまともに彼の方から声をかけられ、俺は目線を上げた。

見上げるとその日焼けした顔は、じんわりと赤くなっていた。


「この格好は……儂の趣味……ってわけじゃ、ねえ」


男はそれだけ言って再び翻って帰っていった。

無愛想……というわけではない。

本気で照れているのだ。


日本男児としてあの年齢まで生きてきた男にとって、全身をぴっちり覆うヒーロースーツ姿は……やはり恥ずかしいものなのだろうか。……よく見れば、股間やねじり鉢巻の布地が違う。スーツの上に、褌を締めているのだ。それは却って恥ずかしいのではないだろうかと思ったが、そんなことを言えるはずもなく、俺はただ黙ってうなずいた。


「……寝ろ」

男は最後にそう言って翻った。

天井の低い日本家屋のなかで、ばさり……とマントがヒロイックにはためいた。

彼がどう思っているかは別にして、彼のスーツ姿は紛れもなくヒーローの雄々しさと頼もしさを備えていた。


……マントがはためいた瞬間、鍛え抜かれた大殿筋に食い込んだ六尺ふんどしが見えた。

黒くピッチリと覆われたヒーロースーツに食い込む、赤くねじれた布。

一歩歩くごとに尻の逞しさが強調される。そんな姿を晒しながら、男は廊下の奥へと消えていった。



後日、俺は男の言う通り街へ送り届けてもらった。

だがその夜は、全く眠ることはできなかった。



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Comments

win wu

Wow, it seems like it would be nice to see how this old hero looks after being controlled.