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 石塀に囲まれた城塞都市に続く橋の上には、入国手続きを待つ馬車の行列が出来ていた。  かく言う俺たちの馬車もその一つだ。麗らかな春、過ごしやすい気候とくれば行商のシーズンというわけで、俺たち商人は人口の多い城塞都市へと物を売り出しにいくのがいつものことだった。 「しかし、今日は一段と行列が長いっすねえ。ねえアニキ」  馬車の前方、御者台に座って前方の列を眺める俺の背に、垂れ耳の子犬獣人のククルがよじ登ってきた。先程まで、馬車後方に積まれた荷物の上で寝そべりながら、干芋を噛んで遊んでいた筈なのだが、どうやらそれも飽きてしまったらしい。 「……人の背によじ登るんじゃねえ」  俺は竜人特有の長い尻尾を巧みに操り、背中にしがみ付くククルを払い除けた。  溜息を吐く。入国手続きの列に並び始めたのは昼前のことだというのに、今では空に茜色の夕焼けが射している始末だ。  どうやら前の方で荷物トラブルがあったらしい。街道を抜け、都市に続く橋の半ばほどまで馬車が差し掛かったころから、順調だった足取りが次第に鈍重になり、いまではうんともすんとも動かない。 「アニキ、機嫌悪いっすねー。そうカリカリしてても意味ないっすよ。愛想は行商人の第一って言ってたじゃないっすか」 「うるせえなあ……」  もともと短気なほうである俺の顔が次第に険しくなっていくことに危機感を覚えたのか、ククルは精一杯にこの状況を取り繕おうとする。俺がこの行列の進まなさにブチ切れて大惨事でも起こすのでは、と懸念を抱いているのだろうか。  まあ正直、いつもならばそろそろ門兵に怒鳴りに行っても可笑しくはない。正直それぐらいには苛立っている。  だが、そんなことが出来る余裕など、今の俺にはない。何故なら。 (……めちゃくちゃションベンしてえ)  そう。尿意だった。  実のところ、行列に並び始める前からほんのりとした尿意を感じ始めてはいた。とはいえ、わざわざ列に並ぶのが遅れてまで用を足しに行くのは面倒だったし、街道という人目に溢れた場所で立ちションに興じるなどというはしたないことは出来ない。商人というのはいつでも人目を気にする生き物だからだ。  いつもの経験からして、多少並ぶとはいえ入国手続きに何時間も待たされるなどということはなく、都市の中に入ってからどうとでもなるだろうと、まあ正直高を括っていたのだ。 (クソ、やばい……全然進まねえよ……!)  で、それがこの始末である。  冷や汗を垂らし、両足を擦り合わせ、腹に力を込めてどうにか尿意を押し留める。いつもより暑い日だからと薄い布のシャツ一枚でいるせいで、汗びっしょりの全身にシャツが張り付いて気持ちが悪い。 「ねーねー、アニキー。どうせしばらく進まないしー、うしろで遊びましょうよー」  そんな俺の奮闘などつゆしらず、ククルは俺の背に再度飛びつき、無邪気にがくがくと俺の身体を揺すった。 「やめろ、飛びつくんじゃねえ!(ぼ、膀胱が……漏れる……っ)」  体を揺さぶられ、限界寸前までションベンを溜めた膀胱の水面がたぷんたぷんと揺れ、身の毛がよだつほどの強烈な尿意に襲われる。  今すぐにでも股間をぎゅっと抑えてションベンを堪えたい。が、そんなポーズを取れば自分がションベンを堪えていることなど丸わかりだ。自分をアニキと慕うククルにそんな様子を見られたら、俺の兄貴分としての面目がない。 「どうしたんすかアニキ。汗びっしょりじゃないですか。もしかして、酔っぱらって気分悪いとか? 横になってます?」 「そ、そんなんじゃねえよ……」  シャツがべとついてることに違和感を覚えたらしいククルが、柄にもなく俺を気遣う素振りを見せる。子分の精神的成長にちょっと感激したが、それはそれとして今横になったら間違いなく荷台にションベンの海が広がってしまう。  ああ、こんな事なら行列で暇だからとエールの瓶を開けるんじゃなかった。アレさえ飲んでいなかったら、今ほど強烈な尿意に襲われることもなかっただろう。  いや、百歩譲って飲んでしまったとして、その瓶を橋の下に投げ捨てさえしなければ、俺の腹の中でうねるションベンの濁流を受け止める為の受け皿になってくれた筈だ。チクショウ、勿体ないことをしちまった……。 「ふうん。ま、アニキがあれっぽっちで酔っぱらうなんてあり得ないっすもんね。アニキはいつだってクールっすから!」  しし、と子供っぽく笑うククルの顔が眩しすぎて、今の俺には直視できない。お前がクールと呼んで慕うアニキが、いま猛烈にションベンを我慢しまくっているなんてことを知ったら、さぞかし幻滅してしまうだろう。  そういう理由で、橋の途中で立ちションなんてのも出来ない訳だ。  そんなことをすれば嫌でも行列に並ぶ連中の目に入り、死ぬほど恥ずかしい思いをするだろう。あいつおしっこ我慢できなかったんだ、みたいな生暖かい目線を背中に受けていたら、出るものも出ないという話でもある。  でもなあ、そろそろ……マジで、ヤバいんだがなあ。俺は落ち着かなく、両足をそわそわとすり合わせ続ける。 「な、なあククル。お前こそ体調とか大丈夫か?」 「え? おいらは大丈夫っすよ!」 「そ、そうか……。その、ションベンしたいとかも、ないか?」  ふとあることを思いついて、俺はククルに声を掛けた。ここでもしククルがションベンに行きたいと言い出したなら、俺はその付き添いとして、あくまで「連れがしたいって言ってるから、独りじゃ恥ずかしいだろうから仕方なく」という名目を得て立ちションが出来る。  ククルはまだガキだから、おしっこが我慢できなくなったとしても何らおかしくはないだろう。その付き添いなら、独りよりは恥ずかしくないはずだ。  ――という、我ながらこすっからいにも程がある目論見なのだが。 「え? おいらはさっきその辺で済ませましたから! 平気っす!」  という満面の笑みのククルの言葉で、目論見はあえなく打ち砕かれる。 「済ませた? いつだよ」 「ほら、さっき橋のたもとで」  思い返してみれば、そういえばそうだ。  いまから大体二時間ぐらい前、橋のたもとに馬車が差し掛かった時に、あいつは一切の臆面とか恥じらいとかなく馬車を飛び降りて手ごろな草藪に駆け寄っていき、道行く馬車の連中に生暖かい目線で見られるのも気に留めず、溜めに溜めたものを気持ちよく放出していた。  今思えば、あそこで連れションにでも興じておけば良かったのに。思いっきり衆目に晒されることにはなるが、今より恥ずかしさは幾分かマシに済んだはずだ。多分我慢できるだろうだなんてタカを括っていた自分に、心の底から腹が立つ。 (ああクッソ、やべえやべえやべえって……!)  寄せては引く尿意の波が、また少しずつ高まってくる。さっきの最高潮の時でさえ正直死を覚悟しかけたほどなのに、もう間もなくさっきよりヤバイ波の最高潮がやってくる。もしそうなったら、俺は間違いなく……。 (も、漏れちまう……ッ!!!)  パンツの中にじわりと熱いものが染み出し、俺は身を固まらせた。……大丈夫、まだ少しチビッただけだ、致命傷じゃない。  もう膀胱の括約筋は限界を迎えている。一瞬でも力を抜けば間違いなく決壊する。都市の中に入るまで我慢とか絶対無理だし、なんだったらあと五分すらも我慢できないところまできている。  今の俺に出来ることは二つだ。  多くの馬車の行列が立ち並ぶ橋に降り立ち、多くの連中の奇特なものを見るような目に晒されながら、欄干から橋の外側の綺麗な川に向けて盛大にションベンをするか、それとも子分であるククル一人に見守られながら馬車の中で失禁するか、それしかない。  どっちにせよプライドとか尊厳とかそういうのは死んでしまうだろう。後はもう、パンツと親分の誇りを捨てるか、一般常識と竜人的な誇りを捨てるかの二択で―― 「アニキ、さっきからどうしたんすか? そわそわして落ち着きないし……あ、もしかしておしっこしたいとか?」 「ち、ちげえよ……」 「ふーん」  普段はぼんくらのぐず助のくせに、どうしてかこういうときだけやたらに感が冴えるガキだった。図星を突かれた俺が動揺したのを見逃さず、ククルは滅法悪い笑みを浮かべて両の指をわきわきさせた。 「じゃ、違うかどうか確かめても構わないっすね!」 「お、おい、お前――!」  ばっ、と弾かれたような勢いで飛びかかってきたククルが、俺の脇腹を思いッきりなぞり上げた。 「ひッ――!」  ククルは知っている。俺が脇腹を擽られることに滅法弱いと。  限界の限界まで張り詰め、一瞬でも気を抜けば緩んでしまうだろう膀胱の爆弾を抱え、かつてないほどに研ぎ澄まされた俺の神経。全身をがちがちに強張らせたところを、くすぐられなんかしたら。 「ッ、あっ……」  体が緩み、さんざんに水を湛えて爆発寸前のダムが――ついに、崩壊した。       ぶしゃっ。    瞬間、膀胱を流れて、股間になにか熱いものが迸る。 「ッ、どけえっ!!!」  それが何かを理解するより一瞬早く、俺はまとわりつくククルを跳ね飛ばして馬車を飛び降りた。  緩み切った股間を、祈るように強く抑え込む。掌に熱い液体の感触が迸る。股間からあふれるションベンにパンツはもうびしょ濡れで、少しずつズボンの股座に黒い染みを広げ始めていた。 (ああクソ、止まんねえ……!)  抑え込むことはもう無理だった。俺は堰を切って溢れ出すションベンがズボンを伝って下半身を濡らしていく感覚を感じながら、死に物狂いで欄干に向かって走る。  馬車から突然飛び出してきた巨漢の竜人に、馬車を下りて談笑していた他の獣人どもが何事かと視線を送る。  見世物じゃねえぞ――などと一喝する余裕はない。背中にいくつもの突き刺さるような視線を感じながら欄干へと辿り着いた俺は、ズボンの前留めボタンを無理やり引き千切ってパンツと一緒に足首まで下す。  ションベンがズボンの後ろまで伝ったせいか、丸出しで外気に晒された尻が死ぬほど冷たい。自分が今尻まで晒していることを嫌でも実感して、煮え滾るような羞恥を覚えてしまう。もう恥ずかしいなんてものじゃなく、真面目に消え入りたいぐらいだった。  股間のスリットから勢いよく流れ出続ける黄金色の濁流が、太腿を伝って地面に水溜りを広げていた。これではお漏らしと何一つ変わらない。俺はスリットに無理やり指を突っ込んで、中で縮こまったまま放出を続けているペニスを外へと引っ張り出す。 「っ、はあああああああああッ……」  ションベンがペニスの先から噴き出した。ようやく指向性を持ち始めた水流が、欄干の隙間を縫って川面へと注がれていく。  散々に溜め込まれていたものが、今までの我慢によるストレスが、一気に解放されていく心地よさときたら。俺は思わず祈ったこともない神への感謝を呟きそうになる。  気持ちよく放尿し続けるペニスを片手で持ち、欄干に寄りかかる。派手に響き渡るじょぼじょぼという水音さえ、最高に心地よくてたまらない。まさしく夢見心地、最高の楽園気分だった。 「ああ、たまんねえなァ……」  うっとりと大口を開け、安堵の籠った熱い吐息を吐く。  その時の俺はまだ気づいていなかった。びしょ濡れになったズボンとパンツを足首まで下げ、欄干に寄りかかって気持ちよさそうに放尿する竜人の男の姿が、いかに滑稽で恥ずかしいものであるかを。  俺が薄々とそれに気づき始めたのは、膀胱の中のションベンが大体半分ぐらいまで出し切った頃のことだった。  妙に周りがざわついている事を感じ、その理由がまさしく俺の姿にあることに思い至る。弾かれたように周りを見渡せば、周囲には放尿に興じる俺を立ち並ぶ馬車の中から、影から眺める野次馬の連中の姿があった。  一瞬の間を置いて、俺は己の所業の情けなさに気付く。俺が先程まで葛藤していた恐るべき光景が、今まさしく現実となって俺の前に広がっていた。  見られている。ションベンを堪え切れず、情けなく撒き散らしながら立ちションをするこの姿を。放尿の快感に浸るうっとりとした顔も、むき出しになった尻も、それから今も元気よくションベンを放出し続けるペニスも、全てが衆目に晒されている。 「……お、おいッ! 何見てやがんだ、見せもんじゃねえぞ!」  煮え滾る羞恥を怒りに変えて吠える。しかし、ションベンを情けなく垂れ流し続けながら怒られたとして、一体だれが恐ろしいと思うだろうか。俺の滑稽さを証明するように野次馬たちは微動だにしない。それどころか、顔を赤らめて吠える俺の情けなさに、ニヤニヤと笑みを浮かべる連中さえいる始末だった。 「ち、畜生……! ああクソ、早く止まってくれよ……!」  という俺の懇願虚しく、ションベンはだらだらと垂れ流され続ける。もう放尿の気持ちよさなど微塵もない。 「あ、アニキ! 急に飛び出してどうしたんすかー」  最悪に追い打ちを掛けるように、背中からククルの声が聞こえる。俺は顔だけ振り向いて、鬼のような形相を浮かべた。 「来るんじゃねえ! 馬車に戻ってろ!」 「え? もしかしてマジでおしっこ我慢してたんすか!? うっわ、びしょびしょじゃないですか!」  ばっちいなあ、というククルのビックリするほど空気の読めない明るい声音に、野次馬共の盛大な笑い声が誘われる。  最悪だ。今日はもう人生最悪の日だ。沢山の笑い声に囲まれながら、俺は身を縮めるしかない。 「く、ククル……てめえ……」 「へへ、大丈夫っすよアニキ! 誰だっておしっこが我慢できなくなる日ぐらいあるっすから!」  本人としては目いっぱいのフォローのつもりなのだろうが、逆効果もいいとこだった。少年の大声に何事かと野次馬が集ってきて、俺は老若男女問わずありとあらゆる人々に放尿の光景を眺められることになってしまった。 「頼む……もう戻っててくれ……」  俺はもう泣きそうだった。しかしククルはどこまでも空気が読めない。 「戻る? あ、了解っす! ちゃんと着替えのズボンとパンツ、用意しときますんで!」  ククルはどんと胸を打ち、大声でそう叫んだ。  その言葉を皮切りにして、野次馬共の笑い声は橋の半ばに絶え間なく響き始める。  それはもう、人生最悪の地獄だった。

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