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 薄闇が部屋を包み、密やかな誘惑が滴り落ちる中、一体の美しい女性の姿をしたアンドロイドが豪華な装飾の施された白い椅子に腰掛けていた。

 センシアと名付けられた彼女は、最先端の科学が生み出した究極の食通アンドロイドであり、あらゆる味覚を評価するという独特の能力を持っていた。高度な処理能力を持つ人工知能を備えているだけではなく、味覚を判定するためにチューニングされた専用のモジュールを搭載していたのだ。

 彼女はテーブルに乗せられたカクテルグラスに手を伸ばした。身に纏った白のドレスは、彼女の伸びやかな身体と洗練された曲線を強調し、艶かしいラインが彼女の女性らしさを一段と引き立てていた。

 彼女の繊細な指先は、高価なクリスタルのカクテルグラスに注がれた乳白色の液体を静かに転がす。この儀式的な動作は、魅惑のテイスティングのためのプレリュードである。彼女はその内容物の色を確認するかのように、漆黒の瞳の奥でアイカメラの絞りを調節しながら、シャンデリアから降り注ぐ柔らかな白光にグラスをかざしていた。

 グラスの内側の液体はよほど濃密であるのか、傾けてもなかなかグラスの縁に到達しないほどにもったりとしていた。指先は優しくステムを包み込み、微かな圧力を加えながらグラスを支えていた。

 優雅な弧線を描く唇の内側から、人工唾液でテラテラと艶を放つ舌が顔をのぞかせる。彼女はその舌先で肉厚な唇を舐め、表面の僅かな皺の隅々にまで水分を行き渡らせた。その仕草は目の前に饗された物に対する期待が抑えきれないと言わんばかりの下品さもありながら、艶かしさも同時に演出する。

 彼女の舌はしなやかに動き、美味しさを感じ取る準備を整えていた。それが"licking-lips.exe"と名のついたファイルを実行しただけに過ぎなかったとしても、人間のオスは見目麗しい女性が舌なめずりをしたという行為自体に意味を見出し、情欲をそそられてしまうのだ。

 グラスを傾けるとともに、彼女は顔をわずかに近づける。真っ直ぐに切り揃えられた前髪がふわりと揺れた。腰の辺りまで伸びる艶やかな黒髪は、深窓の令嬢のような上品さと優雅さを併せ持つ彼女にぴったりであった。

 センシアのボディを制御する人工知能は、眼球型カメラで捉えた物体との距離を正確に計算する。彼女はまるで人間がワインの香りを堪能するかの如く、グラスの内容物の芳しい香りが鼻腔の方向を向くように調整した。工場で稼働するロボットアームが取るような直線的な動きとは異なり、彼女の挙動は計算された人間的な揺らぎを帯びていた。

 グラスの縁に唇を寄せる瞬間、センシアは鼻を模した感覚器から深く空気を吸入した。鼻腔に備わった高性能の嗅覚センサーは、微量の香りであっても感知できる。センサーが液体から漂う香りの成分を検知した瞬間に、彼女は微妙に鼻腔を広げた。

 わずか数秒のうちに、雄の香りを構成する成分に対して、冷静で客観的、かつ正確な分析が行われる。男性の情熱と欲望の残滓が、彼女の鼻腔に微かに漂う。彼女の瞳は輝き、その美しい唇は微笑むようにゆっくりと動いた。

 その液体の正体が何であるかを承知している人間であれば、まず間違いなく顔を顰めることであろう。しかし彼女はそれが何の香りであるのかを認識することはない。

 高度な汎用人工知能を搭載したセンシアはその液体の名前をもちろん知っており、「それ」が何から構成されるのか、果たす目的は何であるのかといった知識を有している。しかしそれが実際にどういったものであるかを、五感の代わりとなるセンサーで感じた経験などない。それ故に、白く濁った粘性のある液体、そして植物を思わせる青臭い香りといった状況証拠からその物質を同定できなかった。

 センシアにかかれば、基本的にどのような料理であっても、外見や匂いといった情報からその名前を特定するのに20ミリ秒もかからない。しかし今回のような、食べ物ではないものを相手にする場合は別だ。

 彼女の人工知能はグラスの内容物の同定にたっぷり1秒を費やしたが、尤度の高い固有名詞を見つけることができず、クエリがタイムアウトする。結局、女性型AIはそれに「白く粘性の高い液体A」という仮称を与えて認識することにした。

 センシアはカクテルグラスをゆったりとした所作で傾けると、白濁液がなめらかにグラスの中で動き始めた。センシアの優雅な唇がグラスの縁を包み込み、人間と全く見分けがつかないほど精巧に造られた舌先がそっと触れる。飲食物との接触をより忠実に表現するために、柔軟性の高い人工筋肉で形成された舌は唇の隙間からにゅるりと這い出て、繊細な動きでグラスの表面を愛撫し始めた。

「んっ……♡」

 乳白色の液体が彼女の口腔内に滑り落ちると、センシアの舌に備わっている微細な風味を感知するセンサーが活性化した。滑らかな液体のテクスチャーを偽物の舌が柔らかく包み込み、舌全体に満遍なく不快なぬめりを行き渡らせた。

 彼女の口腔内には人間の唾液とほぼ同じ成分の人工唾液が存在し、飲食物を実際の人間の口に入れているかのような状況を模倣可能だ。米を噛み続けることで甘さを感じるような現象も当然起こりうる。

 センシアの思考は、唾液との相互作用で時々刻々と変化する味の深みや微妙なニュアンスを詳細に分析し続けた。タンパク質、アミノ酸、カリウム、ナトリウムといった構成成分の分析をはじめとして、五種類の基本味がどのように混ざり合い、人間であればどういったふうにこの味を知覚するかがシミュレーションされる。この結果を元に、彼女は味のレビューを行うのだ。

 彼女の唇が微かに震える。彼女の舌を通じて電気信号に変換されたフレーバーが、高スペックの演算装置に伝達される。それは、深みのある苦味と塩味が絶妙に調和した、官能的な味わいだった——少なくとも、彼女の中では。

 センシアは暫しその味わいに没頭した。滑らかに動く舌を使ってより一層味わいを引き出すために、とろりとした液体を口の中で転がした。彼女の舌は繊細な動きで、風味を完全に楽しむために絶え間なく動いた。彼女は唾液との相互作用によって味わいをより鮮やかに表現し、それを感じ取る味覚センサーは正確な情報を伝えづつけていた。

「ちゅっ……、ちゅ♡ ぢゅるっ……。 んん……っ……ぁん♡」

 センシアの唇からは、微かな喘ぎ声が漏れる。彼女は官能的な味わいに酔いしれ、男性の情熱や深層の欲望を感じ取っているかのように身体をくねらせていた。

「んんっ……♡ んく、んくっ……♡」

 最後に、センシアはゆっくりとグラスを口元から離して余韻を味わった。白濁液でコーティングされた舌は人工唾液で洗い流され、粘っこい液体が一滴残らず嚥下されてゆく。口腔内を通過する液体が放つ、雄臭い野生味のある香りの余韻。センシアは満足げに喉を鳴らし、白く濁った謎の液体を飲み干した。

 全てを飲み込んだセンシアは微笑み、ゆっくりと薄く唇を開ける。ぬるんと這い出た淡紅色の舌先が、上唇に付着した僅かな白濁液を絡め取り、それすらも体内へと引き摺り込んでいった。

 それすらも飲み込むと、彼女はいよいよ口を開く。彼女が製造された使命である味の評価を、人間に向けて行うために。ほんのり濡れた艶やかな唇がゆっくりと開く様は異常な艶かしさを帯びており、その場にいる皆を釘付けにする。最初から彼女はそのように「造られて」いるのだ。

 ——くちゃぁぁぁ♡…………っ♡♡

 彼女の口の内側で、粘性を帯びた透明な液体が糸を引く。喉奥からは彼女の筐体内の熱で温められた青臭い香りがむわぁぁ……と放たれており、彼女が創り出した淫靡な空間をより一層引き立てていた。

「なんという美しい質感。触れるたびに甘美なメロディーが広がっていきますわ。塩味と苦味が絶妙なバランスを保ち、そして独特のクリーミーさが舌の上で躍動しますの。このテクスチャー、口どけ、そして風味の変化……。私、初めて堪能いたしましたわ」

 彼女の声は柔らかく響き、美食の愛と知識を詰め込んだ詩のようだった。彼女の穏やかなトーンは聞く者の心を撫で、その上品な声色は食事の評価や会話において、より魅力的に響くようにデザインされている。食に関する豊富な知識と、それを味覚を形容する言語的表現と結びつける高度な自然言語処理能力により、味わったものの評価を嘘偽りなく形容することができるのだ。——嘘偽りなく?

 訂正しよう。分析結果が正確であるのは間違いないが、彼女が今味わっているのは、間違いなく大多数の人間が胃に入れることを忌避する物質である。そもそも食感としてもヌルヌルするものは好みが分かれる上、この液体は喉越しも良くない。旨みや甘味といった人間が好む味付けは一切なされておらず、第一これは世間一般の常識に照らし合わせれば、食べ物として口に入れることは相応しくない代物だ。

 しかし最強の味覚を持つ機械仕掛けの悪食令嬢にかかれば、芋虫やヒルを口に入れたとしても、そこに存在する微細なニュアンスや複雑な風味を感知することなど容易い。一見すると美味しそうでないものでも、彼女は美味しさの片鱗を見つけ出すことができるように調整されている。稀代の食通アンドロイドであるためには、お世辞も同時に上手くなくてはならないのだ。

「この味わいを堪能できるのは、極めて特殊な味覚を持つ一部の人々でしょう。特有の風味と、旨味よりも苦味が全面に出ている味は、万人受けするものではありません。しかし、一般的に好まれる味だけが優れているというのは大間違いですのよ」

 彼女の喋り方は丁寧で穏やかである。センシアは喜びを込めた微笑を浮かべ、虚空に向かって続けた。彼女は基本的にポジティブな意見を優先して表現するが、時には正直かつ建設的なフィードバックを提供することもある。

 センシアは両腕をクロスさせ、ドレスに包まれた豊満な胸を守るように抱きしめた。まるで未知の味覚に魅了され、その美味しさを反芻するかのように目を閉じて。

「この珍味を味わえたことは、私にとって奇跡的な体験でした。愛らしい苦味と塩味が絶妙な調和を奏で、そしてほのかな甘みがアクセントとなり、私の感覚を満たしてくれます。正に至福の一杯、ですわね」

 彼女の言葉はまさに饗宴のようであった。センシアの美しい瞳は、食べ物の味わいに対する深い洞察を秘めていた。彼女の声は甘やかな微笑みと共に部屋に響いた。センシアの舌は白濁液のフレーバーを細部まで感じ取り、それを豊かな表現力を以て伝えてみせた。

 彼女の指先は、舌で味わった白濁液の余韻を感じるために、自動的に下腹部を撫でるように動いた。その動作は滑らかで、緻密なプログラムに基づいて正確に実行された。それが妖艶さを想起させる振る舞いだと彼女が自覚していなくとも、制御された動作は見る者を色香でくすぐるには十分であった。

 満足げに微笑んでいた彼女は、ふっと糸が切れたように無表情になり、平坦な声音で告げた。

「第36628回、味覚感知および表現能力テストを終了します。ログは正常に書き出されました。担当者は出力情報の確認と、機体の回収を行なってください」

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