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「えへへ~、こんばんは~」 男共は色めき立ち、我先に花咲さんに近づいていく。いい年して全身どピンクの女の何がいいんだか、私には皆目わからない。言わないけど。 彼女が近づいてきたので、挨拶を交わした。相も変わらずキンキンのアニメボイスで、無理して出してる感がすごい。 男の一人が椅子を引くと、花咲さんはさも当然かのような顔でそこに座った。彼女が入って以降、うちのサークルの男性陣はとにかく彼女の世話を焼きたがる。一つ一つの言動が鼻につくぶりっ子で、演技してるのは一目瞭然……だと思うのだけれど、わからないもんかなあ。 「せんぱぁい、それなんですかぁ?」 「これ? これはね……」 このサークルに入るような人なら当然知っているはずのことも、彼女は知らないし、覚えない。あれ、先週も説明されてなかったっけ? でも彼は鼻の下を伸ばしながら、また同じ説明を始めた。誰も言わない。 (鬱陶しい) この漫研にいる女子は私と彼女の二名、後は全員男だ。今時漫画でもお目にかかれないようなぶりっ子を演じられる度胸と勇気には敬服するものの、漫画に興味ないなら正直出てってほしい。私みたいに真面目に漫画書くわけでもなく、読むわけでもない。彼女は明らかに、ただチヤホヤされるためだけに来ている。 その狙いは珍しくイケメンの部長であろう。よく色目を使っている。使われていない野郎どもも、何故か全員自分に気があると思ってる空気があるけど。 彼女がいると真面目な漫画の話があまりできないので、私はずっと彼女が嫌いだった。特に部長とネームの相談とかするとほぼ百パーセント割り込んでくる。「それなんですか~」とか「見せてくださ~い」だの「私にはよくわかんないですけど、いいと思いますぅ」とか。あっ、最後のは部長のネームにだけだった。 とはいえ、ハッキリと出てってくれとは言ったことないし、言えない。今のところ劇的な問題は起こしてないし……。今は。それに、女である私からそういうことを言い出すと、絶対に男共が女の嫉妬扱いしてくるのが目に見えている。想像しただけでイラつく。そういうんじゃないっての。っていくら言ってもそういうことにされて、こっちが悪者になるに違いない。なので言わない。 はぁ。大学卒業するまでこの調子なのかな。サークル辞めよっか。でもそれはそれで、花咲さんに屈したみたいで気にいらない。部長の漫画も参考にしたいし。来年いい人が入ってくれれば多少は空気が変わるかな。 しかし来年を待たずして、私は入院することになった。とんでもなく恐ろしい病気に罹ってしまったのだ。縮小病。女性だけが発症する、体が縮む恐ろしい病気だ。現在有効な治療法はなく、ただ縮小が止まるのを祈るしかない。私は約60センチまで縮んだところで寛解した。日常生活を送れるギリギリの大きさだと思う。それでも、ほとんどの所に手が届かないし、体力は続かないし、本すら持ち運ぶのに難儀する。一人で生きるのは相当に辛い。絶望したいところだが、他の入院患者たちを見てしまうとそれすら許されない。人によってはもっと小さく、30センチや15センチまでいく人もいるのだ。そこまでくると、もう本能が同じ種族の生命体だと認識してくれなかった。小人か妖精か、或いは人形か。そうなってくると家族に引き取られて、一生要介護ということになる。引き取り手がいない人などは悲惨だ。うっかり虫のように踏まれて死ぬ、なんて事例もゼロではないらしい。ゾッとする。60センチの私はまだ恵まれた方なのだ。それでも買い物は無理だし、漫画も碌にかけないし、症状がおさまったからといって何一つ嬉しいとは思えない。 休学明け、大学に行くだけで一苦労。何しろ小型犬みたいに小さいので、体感距離が数倍になってただでさえ減った体力が削られるし、子供にからかわれるし、大人たちもギョッとした表情で私を見てくるし、酷くなると「なにあれー」と言いながら撮ってくる。私には文句を言うことはおろか、睨みつける勇気さえでず、帽子を深く被って俯きながら歩くことしかできなかった。怖いから。道行く人全てが私の二倍三倍の巨人なのだ。逆らえっこない。小さな子供にさえ、私はあっけなく捻られてしまうのだから。スケールこそが生物の本能的な上下を決定するということを、私は心で理解できてしまった。普通の人がヒグマを見た時に抱く感情を、私は人間から得てしまう。でも彼らの内誰一人として、自分たちが圧倒的な体格差で私を常に威圧しているということには思い至らない。発症前の私がそんなことを考えたことないのと同じように。 「えー、なにあれ」「やだかわいー」 大学構内に入ると、やや周囲の反応が和らいだ。それでも、見世物であることに変わりはない。 「ねえねえちょっと」 懐かしい声がしたので顔を上げると、見知った顔が並んでいた。 「うわーホント」「うっそ可愛いー」「退院おめー!」 友人たちが膝を抱えて私を取り囲み、しばらくの間可愛がられることになった。子供みたいに抱っこされたり、頭を撫でられたり、お菓子差し出してきたり、やっぱり撮ってきたり……。すっかり幼児扱いではあったものの、変わらず好意的に接してくれる友人たちが嬉しくて、私は少し涙ぐんでしまった。 サークルにも顔を出すと、大体同じような反応だったが、男が多いせいで少し怖かったし、恥ずかしかった。身長60センチに合わせて作られた服なんかないので、やむなく私は赤ちゃん用の服を着ていたのだが、それがますます幼さを加速させている。大学生にもなってベビーウェアってだけでも恥ずかしいのに、ダボダボで動き辛く、服を着ているというよりは埋もれているといった方が正しい惨状だ。私は若返ったわけじゃない。大人のプロポーションそのままで縮んだから、手足やウェストは人形のように細く、ベビーウェアでもそのままでは纏えない。いいとこバスローブって感じ。みんなはしきりに可愛い可愛いと言うけど、その度に私はいたたまれなくて俯かざるをえなかった。メイクもあんまだし、体の手入れも中々難しいので、実際には見た目は発症前より汚くなっている。自分が一番よく知っている。鏡を見る度に思い知らされるんだから。 「あーっ、先輩、退院したんだーっ」 わざとらしい舌ったらずな声が頭上から鳴り響いた。いつの間にか花咲さんが後ろに立っていた。デカい。私の二倍はある……。身長なんてたいして気にしたことなかったけど、妙に悔しい。 彼女は私に訊きもせず、いきなり私を持ち上げ、赤ちゃんのように抱いた。 「ちょっと、花咲さん、いきなり……」 「人形みたーい、可愛いー」 彼女は私の小さな声など存在していないかのように、頬っぺたを私の顔にこすりつけた。 (やだ、気持ち悪い……) 数倍はある巨大な顔に頬ずりされるのがどれほど恐ろしいか、わかってないんだ。ましてや、信頼できない赤の他人に。ていうか、下ろして……。 暴れたり強く抗議したりするとうっかり床に落とされる危険性がある。ガッツリ体をホールドされててどうしようもないし。そしてサークル内の誰もやめさせようとはしない。それどころか、何やら嬉しそうだった。和むなそこ! 危ないんだって! 化粧品の匂いもきつ……くないな。ていうかこの感じ、ひょっとして、もしかして……。 私は頬ずりを終えて満足げな花咲さんの顔を眺めた。こんな至近距離からズームして見るのは初めてかも。……んー、え? 嘘でしょまさか……あんたノーメイクなの!? すっぴんでそれ!? 彼女はニッコリ微笑んで、ようやく私を床に下ろしてくれた。私は間の抜けた顔でずっと彼女の顔を見上げていた。信じられない。すごい綺麗に仕上げているのに。ノーメイクの肌じゃない。ありえない。子供の肌でもそこまでじゃ……。 「なにー、もう一回抱っこしてほしいのー?」 「いやっ、別に……」 私は慌てて顔を逸らした。一部男が何故か盛り上がる。黙れ。 (はー。私なんて肌は荒れっぱなしなのに……) なんのメイクもしないでそこまで綺麗なんて。花咲さんとはまともに交流したことないから今の今まで気がつかなかった。なんでこんなとこでぶりっ子してんだろこの子。もっといい相手探せるんじゃない? 「お祝いしましょうよー、ねー」 (何よその言い方は……) 彼女の「ねー」は完全に幼児相手の喋りだった。私、あなたの一つ上なんですけど!? 「おっ、いいねいいね」 サークルでは私の退院祝いをしようということになり、花咲さんの提案で温泉に行くことに決まった。 (温泉かー……。大丈夫かな……) 浅いところなら足がつくかな? 溺れないように気をつけないと。あ、あとうっかり蹴られたり踏まれたりしないように。まあ皆がいるからそこんとこは平気かな……。 不安はいろいろあったが、久しぶりの温泉ということで、私も二つ返事でオーケーした。いいよね温泉。ずっと落ち込むばかりだったし、たまにはリラックスして羽伸ばさないとね。 道中の車内はまあまあ楽しめた。部長の車に乗れたし。正確には部長の親戚の車だけど。何故かというとベビーシートだ。私は花咲さんの手によってベビーシートに座らされたのだ。ベビーウェアにベビーシート、すっかり赤ちゃん扱いだ。私成人してるのに。恥ずかしすぎて死ぬかと思った。でもまあ、部長たちが私のために借りてきてくれたことを考えれば……仕方がない。我慢がまん。久しぶりに漫画談義が出来たのは嬉しかった。落ち着いたら、私もまた再開しよう。大変だろうけど不可能じゃない。小さいペンが見つかれば。 脱衣所はなかなか居心地が悪かった。最初は他のお客さんたちが私を子供だと思って「あら可愛いわねえ」などと言いながら寄ってくるのだが、事情を話すと急に腫れ物に触るような扱いに変わる。申し訳なさそうな、バツの悪そうな顔を見ていると、こっちも勘違いさせてすみません、と謝りたくなってしまう。 服を脱ぐと、私の小さな裸体が露わになった。身長は赤ちゃん並みなのに、プロポーションは大人そのもの。股間の毛も生え揃っている。ああ……やだなあ。周りの人たちも、露骨なぐらい私に視線を向けないようになった。ギョッとするよね。おかしいもん。 「さー、行きましょー、里奈せんぱーい」 重々しい空気など意に介さず、花咲さんはご機嫌だった。私の細い腕を引っ張り、浴場へ引きずっていく。 「ちょ、ちょっと、危ないから! 離して!」 「あっ、早すぎた? ごめんねー」 段々敬語も抜けてきて、彼女は私を子ども扱いし始めた。こんな頭空っぽの人にそんな扱いを受けることがどれほど屈辱的か。それに、私は彼女と並んでいるのが恥ずかしかった。彼女は顔だけじゃなく、全身の肌があまりにも美しかったからだ。私の肌の荒れっぷりが一層引き立ってしまう。一体どうなってるんだろう。メイクもなんもなくてコレ? きめ細やかで、白くて、染みもないし……。まだ十代だからといっても信じられない。私も、私の友人たちだって、女子高生時代ですらここまでじゃなかった。まるで補正かけた写真みたいな肌。 「やっぱり、何度来てもいいなー」 浴場に入ると、花咲さんが呟いた。ここ人形温泉を提案したのは彼女だ。なんでも常連らしく、紹介割引ができるという理由で決まった。人形温泉の名前の由来は、肌が人形のように美しくなることからきているらしい。何度も入り浸っている彼女の肌の綺麗さを見ると、あながち嘘ではなく、本当に効果があるのかもしれない、そんな気がしてきた。 淡い肌色の湯は心地よく、病気のことも忘れ、久々に頭を空っぽにしてリラックスすることができた。少し粘り気があるのか、湯が肌に貼りついてくるかのような不思議な感覚があり、なるほどこれは効きそうだった。 夢見心地で浸かっていると、隣で花咲さんが体を折り曲げ、髪まで全身を湯に浸け始めた。 「えっ、ちょっと、それは……」 うえー。駄目でしょそれは。やっぱりこの子、常識ないというか、周囲の目を気にしないというか、あんまり一緒にいたくないなぁ……。ていうか髪が痛むでしょ。 彼女は顔を上げると、火照った顔を輝かせながら言った。 「ほら、先輩も顔つけよ!」 「えっ? いや、でも」 「ここのお湯はねー、髪にも効くんだよ。艶々になるんだぁ~」 花咲さんは顔を半分沈めて、私に自分の髪を突き付けてきた。しっとり……というよりベチャベチャだ。汚いなぁもう。後が大変そう。……でも確かに、不思議と髪全体がまるで一つのパーツみたいに締まり、光を反射しているんじゃないかというほど艶がある。普段気にしてなかったけど。 「ほらほら~、先輩もー」 「あっ、ちょっと、やめてって、首は」 花咲さんは私の後頭部に手を当て、強引に沈めようとしてきた。一旦は断ったけど、他の人たちを観察すると、本当に髪までドップリ湯に沈めている人が散見された。 「ほら、みんなやってるんですから。先輩だけですよ」 「えっ、でも」 「あっ、ひょっとして里奈ちゃん、お水が怖いんですかぁ~?」 「……いや、お湯だし」 花咲さんのウザ絡みがイラついたので、私は彼女を黙らせようと顔をお湯につけた。ほのかに弾性のある肌色の湯が私の顔をタオルケットのように優しく包み込んだ。――もっと浸かりたい。抵抗はあったけど、私は両手で軽く毛先をつまみ、一旦頭を全部沈めた。すると湯に浸かった髪全体が重量を増して、ゆっくりと沈み込み、頭に貼りつくようにズッシリと覆いかぶさってきた。……変な感じ。 「プハッ」 顔を上げると、花咲さんが私の頭を撫でた。 「先輩、えら~い」 払いのける力もないのが悔しい。はー、やっちゃった。ただでさえ手入れするのが億劫なのに、痛んだらどうしよう。後が怖いよ……。 夜。ひとしきり遊んだ後、サークルのみんなで土産物売り場をうろついた。人形温泉というだけあって、人形や人形モチーフのお土産が充実している。別に人形作りが盛んだったりするわけではないらしいけど、最近は名前にあやかって拡充しているんだそうだ。 「あっ、なあ、これ」 部長が一際大きな、目立つ箱を指した。私は一目見て驚いた。一瞬、人が入っているのかと思ったからだ。それは60センチもある、特大サイズの着せ替え人形だった。可愛らしいアリスの衣装に身を包み、大きな箱の中で立ちつくしている。手足の太さや等身は私とほぼ同じスケール。しかも、同梱されている衣装はとてもつくりがいい。普通、着せ替え人形の服なんてペラペラの安っぽい衣装で、マジックテープでとめるものだったりするけど、この人形が着ているアリスの服は、本物の人間の服のように見えた。ちゃんとした布地で、しっかりと縫製されている。 男性陣は私と見比べるような仕草をとりながら、人形のクオリティに感嘆した。花咲さんは 「あはっ、お友達ですね~」 などと言いながら私を抱き上げ、箱の前に突き出した。 「やめてよ、もー!」 いい加減にしてよ。私はあなたを可愛くみせるためのお人形じゃないの! 「あっ、でもこの服サイズピッタリなんじゃね?」「あー、ほんと」「確かに」 男たちが私を見てニヤニヤと気味の悪い笑顔を浮かべた。……なに? 「そうだよ。黄木さん、合う服なくて困ってるって言ってたよね」 部長が爽やかに微笑みながらそう言うと、全員がのっかり、私にこの服を使えばいいんじゃないかと提案しだした。 「え、ええっ。いやでも、これ人形の服ですよ?」 「でも、サイズピッタリじゃん。それより似合うんじゃない?」 ……確かに、だぶだぶのベビーウェアよりは私の体にフィットするかもしれない。でもこの服は絶対使えない。何故なら、 「いやっ、でもこれ、どれも普段着には使えないじゃないですか」 人形の服だけあり、どれもヒラヒラで派手な衣装ばかり。アリス衣装が一番地味という有様だ。コスプレにしかならない。こんな服着て大学行ったり買い物したりは絶対無理だ。小さいからって私は二十歳だし、イベントでもないのにこんな格好で外出するのはキツイ。 「え~、絶対可愛いと思うんですけど~」 花咲さんが甘ったるい声で食い下がる。だからあんた、自分で想像……ああそうか。この人、普段からフリフリの痛い服で出歩いてるから、感覚麻痺してるのか。 「あっ、ほら、でも、値段! 流石にこれはちょっと……。気がひけちゃいます……」 私は逆転の一手を見つけた。特大サイズだけあり、お値段が馬鹿高い。気軽にプレゼントというわけにはいかない価格だ。これを指摘すると、流石にみんな諦めてくれた。 「残念だなぁ」 部長のその声を聞くと、一瞬気持ちが揺らいだ。可愛らしい衣装に身を包んで称賛を浴びる私。……いや、コスプレイヤーって柄じゃないし。あんなフリフリのアリス衣装が私に合うわけない。無理無理無理っ! 翌朝目覚めると、ちょっと体の調子がよかった。温泉でリラックスできたみたい。でも変化はそれだけじゃなかった。花咲さんが待ち構えていたかのように、私の前に鏡をかざしたのだ。 「……!?」 私はしばらく茫然自失となって、鏡に映る自分の姿を見つめた。寝起きでなにもやっていないのに、私の肌は驚くほどに綺麗だった。しっかりとケアが行き届いた状態……。発症前の自分、いや気合入れて整えた時の自分だ。寝ている間に誰かが私をメイクしたのかと思ったけど、そうでもなかった。花咲さんが私の頭や頬っぺたを撫でても、私が顔を洗ってタオルで拭いても、私の顔は綺麗に整ったままだった。 「ほらー、効くって言ったでしょー」 どうやら、人形温泉の効能らしい。けど、まさかたった一晩でこんな効果でる!? 信じらんない。もっと話題になってもいいのに。 サークルのみんなもしきりに私を可愛いと褒めてくれたので、久々に前を向いて歩く気になれた。いや、別におだてに乗ったわけじゃないけど。ただの気休めや社交辞令じゃなく、今回は極めて客観的に、まあ、綺麗になったことだけは間違いないから……。部長が「綺麗になったね」って言ったのは関係ないし。 しかし、近くの観光地を巡っていると、当初の晴れやかな気分も次第に陰る。ブカブカのダサいベビーウェアが、前にもまして恥ずかしく感じるようになってきたのだ。なぜかっていうと、中身、私自身が綺麗になれたから……だと思う。病気だから仕方ないんだ、これしかないんだと無意識のうちに抱いていた言い訳が、自分に通じなくなっていく。だってミスマッチすぎて、かえって惨めじゃない。私は久々に全身戦闘態勢に入れたのに、服がこんなじゃ……。もっと普通の服、自分にあった服、大学生にふさわしい服が着たい。急にお洒落がしたくなった。 人間っていうのは、なんて我儘な生き物なんだろう。我ながら呆れてしまう。 二日目の夜。明日で快気祝いの遠征も三連休も終わる。サークルのみんながお金を出し合い、昨晩見つけた特大サイズのフィギュアを購入してしまった。 「そ、そんな悪いですよ。そんな高価なもの受け取れません」 「まあまあ。気持ち気持ち」 「そうそう。それに、せっかくだからさ、着てみてよ」 箱の中から取り出されるアリス人形。こうして同じ床に立つと、本当になんか……気持ち悪いかも。だってサイズが、等身が私と同じだし。精巧なマネキンみたいに感じてしまう。みんなからは小さくて(大きいけど)可愛い着せ替え人形かもしれないけどさ。 セットで入っている他の衣装が目の前に並べられると、途端に抵抗感がなくなった。二度と見られなくなったはずの、懐かしい光景だった。「服」だ。発症前、普通の大きさだった時に私が着ていた、普通の服。スケールがそれと同じなのだ。「服」が目の前に並んでる。巨人の服でも、ベビーウェアでもない……。 「着てみなよ。合うんじゃない? 絶対可愛いって」 部長がそう言うと、私も渋々ながら、試着してみることに決めた。 「ちょっとですよ、試してみるだけですからね!」 女部屋に移動したのち、私は複数ある衣装の内、一番地味というか、常識的なやつでお茶を濁すことに決めた。メイド服。シックなロングスカートの衣装で、装飾もほとんどない。頭につけるアレぐらいか。これなら、まあ……うん。 脳裏に部長の姿がよぎった。もっと可愛い服着た方がいいかな……アイドル衣装とか。っていやいや、まさか! 変なことになる前に、さっさと済ましてしまおう。ベビーウェアを脱ぎ、アンダーウェアだけになった時だった。 「終わりましたか~?」 花咲さんがノックもせずに入り込んできた。私は慌てて叫んだ。 「ちょ、ちょっとまだ! まだだから! 出てってよ!」 「いーじゃないですかぁ、女の子同士なんだしぃ」 女の子って。もう大学生でしょうが。 「あれ? メイド服にするんですか?」 「え、あ、うん」 「駄目ですよーそれじゃ。もっと可愛い服あったじゃないですかぁ」 彼女はメイド服を取り上げ、さらにほかの服も次々と奪い去った。 「ちょっと! 返して!」 「ほらー、それ可愛いですよぉ」 あとに残されたのは派手なアイドル衣装ただ一着。私は抗議したが服は返してもらえない。どうやら彼女は、どうしても私にこれを着せたいらしい。なんなの……私に恥をかかせようって気!? 部長の前で痛々しい女として印象づけたいの!? 「さー、お着替えしましょうね~」 花咲さんはベッドに腰を下ろし、私を掴んで引き寄せた。私は両腕を掴まれ、無理やり万歳させられた。このままではこの子に着せ替えられてしまう。私はベッドに転がる60センチの着せ替え人形の方を見た。……冗談じゃない。私は着せ替え人形じゃない! 「ちょ、ちょっと! 一人で着られるから!」 花咲さんは私から手を離し、目を輝かせて言った。 「よかったぁ! 着てくれるんですねぇ」 「えっ、あっ、いや、そういう意味じゃ」 「じゃあ私、お外で待ってますね~。みんなずっと待ってますからぁ、早くしてくださいね~」 彼女は止めるのもきかず、他の服を全部持って部屋から出ていってしまった。……脱いだベビーウェアまで。それは正真正銘私の服なのに。 部屋の外からはサークルのみんなの楽しそうな会話がちょっと聞こえた。マジで楽しみにしてる……。どうしよう。こんな派手な服、大学生にもなって……。コスプレイヤーじゃあるまいし。私ああいうの嫌いなのに……。しかしこのままじゃ、下着姿のままだし……。仕方がない。サークルのみんなへのお礼と思って、割り切るしかない。 私は観念して、甘ったるいアイドル衣装に袖を通した。 「おおー!」 歓声が上がった。私は真っ赤になって視線を落とした。どことなくショートケーキを連想させるような白とピンクの衣装。手袋とブーツに、髪飾りまで装着させられ、私は針の筵だった。これやっぱり小さい子の……小学校でも低学年ぐらいが着る服でしょ。いや人形の服か。そもそも人間が着るようなデザインじゃない。 みんなはしきりに可愛い可愛い、まるでアニメのキャラみたい、と褒めまくってくれるが、あまり嬉しいとは思わない。恥ずかしい……。 「なんか可愛いポーズとってくださいよぉ~」 花咲さんが言った。他の男共も続く。絶対やだ。 「いやっ……ちょっと、それは……」 漫画のキャラとは似ても似つかないのにキャラ気取りで年甲斐もなくはじけるコスプレイヤーたちが、私はずっと嫌いだった。なのに、今自分がまさにそんな感じの格好で人前に立たされている。見知った顔ばかりとはいえ……。これ以上、同じ穴の狢になりたくない。 「すっごい似合ってるよ。顔上げなよ」 部長の声が響いた。え~っ、そんなわけないでしょ……。すっぴんでこんな格好してるのに……。あーでも、温泉で今結構綺麗にはなってるけど……。まあ実際メイク済みみたいな感じではあるけど……でもこれ本当に小さい子向けの可愛さ全振りって感じのデザインだし……二十歳の大学生が着るにはどうも……。 恐る恐る顔を上げた。部長と目が合うと、ますます羞恥が募り、私は顔を逸らしてしまった。 部長はまるで猫を撫でるかのように、私の頭を撫でた。その手は固いけど、とても優しい触れ合いだった。 (……まあ、ちょっとぐらいは……サービスしても、いいかな……) でもポーズったって……。まさか花咲さんみたいにぶりっ子するわけにもいかないし……。 私は耳まで赤く染めながら、スカートを軽く両手でつかんでみた。メイド服の方があってたかなコレは。そのまま視線を上げると、みんなが騒いだ。 「かぁーっ!」「可愛い!」「いい!」 「あーっ、もう、やめてよー!」 耐えきれない。私は両手で顔を覆った。しかし、部長が囁く。 「ふふっ、可愛い」 裏を感じさせない、ポロっと零れ落ちたような呟き。……ほんと? 可愛い? 変じゃない? 痛くない? みんなの顔を見上げると、誰もが朗らかに笑っていた。嘲るような笑みではなかった。本当に可愛くみえてるのかな。小さい頃からこんなドピンクな格好、自分には合わないと思ってしたことなかったけど……。小さい? あ、私が小さいから? 人形ぐらいしかないから? まあ小動物って可愛く見えがちだし、ひょっとしたらそのおかげで三割増しぐらい可愛く見えちゃったりするんだろうか……? 「これ! 次、これ!」 一人がスマホにアニメキャラの画像を表示し、私に見せた。え、私にそのポーズしろって!? みんなが私に注目していた。部長も楽しそうに私を見下ろしている。 「こ、これ一回だけですよ」 私は消え入りそうな小声で呟き、画像通りの可愛らしい仕草を真似してみた。するとまた歓声があがり、みんなが口々に「かわいい!」と叫ぶ。一人が約束を破って写真を撮りだしたので、私は抗議した。 「あーちょっと! 撮影はなしって言ったじゃないですか!」 冗談じゃない。こんな姿を写真に残され、ひょっと外部に漏れたりしたら……。二度と構内歩けないよ! 「まあまあ、いいじゃない。誰にも見せないってことで」 「そんな、部長まで」 部長がスマホを構えた。それが皮切りになり、みんなが構えた。 「さっきの、もう一回! ダメかな? せっかく買ったんだしさ」 「……」 部長が人差し指を立て、爽やかに笑いかけた。……えー、ズルい。値段のこと言われると……。私が頼んで買ってもらったわけではないとはいえ。……まあでも部長にはお世話になってきたし、今回もわざわざベビーシート付の車出してもらったわけだしね……。でも外に出たら……。 「こんな可愛いんだから、やっぱ残したくなっちゃうよ」 もー、しょうがないな。 「……一回だけですよ」 歓声の中、私は媚びた仕草を再度とってみせた。スマホが私を円形に取り囲み、シャッター音が鳴り響く。 (せっかくだから、さっきのもいいかな) スカートの裾を持ってみた。するとまた皆が沸き、何回も撮られた。 (何やってんの私) そう思った瞬間、部長がスマホを裏返し、撮った写真を見せてくれた。痛々しい勘違い女を想像して一瞬身構えたものの、実際の衝撃は緩やかだった。甘いピンクのステージ衣装を着てはにかんでいる私が映っている。まあ、確かに、往来を歩ける姿ではないけど、そういうものとしてみれば……可愛いかはさておき……まあ……悪くない……かも? 「ほら、可愛いでしょ」 そうかな……。まあそうかも……。少なくとも、一目見て「うわっ」と思わないくらいには似合ってるかな? 自分にこんな系の服が合うとは。私は部長に頼んで、他の写真もみせてもらった。アニメキャラのポーズは流石にちょっとぶりっ子とまでは言わないけど調子乗ってる感あるかな。……あっ、わかった。人形温泉で綺麗になった肌が、うまく調和してくれてる。なんか若く見えるんだ。ぱっと見だと高校生ぐらいかも。 「じゃあ、次はこれで」 また違う人が次のポーズを指定してきた。もー、一回だけって言ったのに。あーでも、もっと他の写真見てみたいかも。正直思ったほど酷くはなかったし。だよね? おずおずと指定ポーズをとると、また撮影会となった。轟音みたいなシャッター音が連続する。私がポージングをとくと、間髪入れずに次の指定がきた。 「えーっ、でも……」 握り拳を顔の下にあてるぶりっ子ポーズだった。衣装もどことなくこのショートケーキ風ドレスに似てる。なんのキャラクターだろ。知らないや。 「可愛いよ、絶対」 迷ったけど、部長が見たそうだったので、私は顔を赤く染めつつ、ぶりっ子ポーズを再現してみせた。 そんな感じの撮影会が続いた後、誰かが言った。 「じゃ、そろそろ次の服します?」 「おお、いいね」 (えっ、まだやるの?) 「花咲さん、他の服出して」 「えっ、はい」 あ、いたんだ花咲さん。忘れてた。 「じゃあ、俺ら外出てるから」 男性陣が退場していく。私はボーっとそれを眺めていた。 (……あっ、やる流れになっちゃった) 男が全員出ていった後、花咲さんがボソッと呟いた。 「メイド服でしたよね」 「……あっ、うん、そうだね」 花咲さんは地味目のメイド服だけおいて、さっさと部屋を出ていった。内心ちょっとガッカリした自分に驚く。他の可愛いい服試してもいいかなと思ってしまった自分に。 (我ながらちょろいな……) メイド服に着替えると、また撮影会が始まった。次はアリス。そしてチア。そして……。 帰りの車内、私は恥ずかしくて死んでしまいそうだった。なんであんなノリノリで撮らせちゃったんだろ……。馬鹿。昨日の私馬鹿。とにかく、絶対に人に見せないでくれって厳命したけど、正直……広まっちゃうかなぁ……。どうしよう。今から全部消せってわけにもいかないし、言っても絶対誰かこっそり残すよね。 信号待ちの間、私は部長に謝罪した。 「昨日はすいません……。なんか、はしゃいじゃって……」 「? いやいや、謝ることじゃないでしょ。ノせちゃった俺らが悪いし。でもホント可愛かったからさ、つい」 「あっ、いやそんなことないです、お見苦しくって」 私は車から降りるまで部長の顔をまともにみられなかった。あの醜態が部長の手元に。でもどれも可愛く撮れてたから嬉しいかな。 (って、何考えてんの私は。花咲さんじゃあるまいし) そう。あーいう格好するのは彼女の仕事だし。私は無理。あーいう痛いのはちょっと……。楽しかったけど。うん。でももうやらない。絶対に。 とんでもない痴態を晒す羽目になってしまったものの、人形温泉で得られたものは多かった。まずは服。流石に普段着にはできないけど。私は家の中で改めて袖を通してみた。 「ふふっ」 自然と笑みがこぼれる。何がいいかって、サイズがちゃんと合っていること。袖が袖してる。ブカブカじゃない。小さい着せ替え人形のような、マジックテープでとめるタイプじゃない。本物の服と概ね作りが同じ。コートみたいなベビーウェアじゃなく、普通に着られる、私に合ったスケールの服。嬉しかった。可愛いし。……デザインが! 次は生活物資。人形温泉を名乗るだけあって、近くの観光地の土産屋でも、小物が結構充実していたのだ。ちょうど私に合うスケールの椅子やテーブル、お箸、茶碗……。本来ままごと用らしいけど、今の私にはピッタリだ。あそこを選んでくれた花咲さんに感謝しないと。もっとも、私のために人形温泉を選んだわけではなかったみたいだけど。彼女のお目当ては入浴剤。彼女が大量に買い込んでいたので、おそらく私の快気祝いにかこつけて、交通費を浮かせて補充する目的だったんだろう。 人形温泉の効能を自宅の風呂でも味わえるという触れ込みで、実は私もこっそり買ってしまった。すごい効果あったし。今も私の肌は綺麗なままだ。これから毎晩この入浴剤を使えば、もっと綺麗になるんだろうか? まあ、今の肌を維持できれば十分だけど。ただ入浴すればよくて、あとスキンケアしなくていいなんて天国みたい。 大学に行くときはまあ、ベビーウェアを着るわけだけど、なんだか無性に恥ずかしかった。そりゃ大学生がベビーウェアは恥ずかしいに決まってる。でもそれしかないんだからしょうがない。 嘘だ。私にはもう、私に合った「普通の服」がある。この言い訳は通じない。この事実が私に圧をかけてくる。まともな服があるのにベビーウェアで大学行くの? (いやっ、でも、作りとサイズはまともだけど、デザインが……) メイド服やアリス衣装、ましてやショートケーキをモチーフにしたドレスを着て大学になんて行けるかっての。……でも、それを言い出したらベビーウェアだって大抵TPOを満たしているとは言い難い。 (いやっでも、まさか……) しばらく逡巡したのち、結局いつも通りベビーウェアで出かけた。もう、みんな事情はわかってるんだし、誰もおかしいなんて思わない。メイド服で行った方が絶対おかしいって。たとえ、サイズがピッタリでも。似合ってて可愛くっても。 それからしばらくすると、徐々にいろんな人が寄ってくるようになった。お菓子くれたり、撮っていい? と訊いてきたり、可愛い~と言いながら駆け寄ってきて頭をなでたり……。幼児みたいに接されるのは内心不満だったけど、可愛い可愛いとほめそやされるのは悪い気分じゃなかった。 しかし何故だろう。復学当初、事情を知る人以外だと、まるで見てはいけないものをみてしまったかのような態度で顔を背けたり、それとなく距離をとったり、ヒソヒソと嘲笑したりする人も多かったのに。私の病気のことが学内中に知れ渡ったのだろうか。いや、構外に出ても、道行く人の視線や態度が段々和らいできたような気がする。 一体、私の何が変わったんだろう。講義の合間、友人に訊いてみると、 「んー? そりゃ可愛いからっしょ~」 と返された。なにもう、それじゃ説明になってないし。 私は家に帰ってから、ボーっと鏡を見つめた。可愛い……そうかな? 60センチの成人って、実際見ちゃうと結構、生理的にアレな反応を示すものじゃない? これまでそういう人多かったし……。みんな慣れただけなのかな。或いは子供に見えるんだろうか。 答えは入浴中に出た。私はいつの間にか、股間がツルツルになっていることに気がついた。毛が一本も残っていない。 (え、え、なんで?) 脱毛なんかしてないし、普通に剃ってただけなのに。意識してなかったけど、最後に剃ったのは結構前だった。しかし、今私の股間には産毛一本生えていない。触ってもジョリジョリとした感覚はなく、滑らかだった。おかしいな……。 病気? 縮小病の後遺症とか。そんな話きいてないけど。しかし本当に子供みたいになっちゃった。私は自分の体をよく観察してみた。すると、異常は股間だけじゃなく、全身に波及していたのだ。毛がない。髪と眉毛を除いて、目に見える毛がほとんど見当たらない。産毛すら。場所によっては毛穴も見当たらない。子供を通り越して、これじゃまるで人形……あっ、わかった! (人形温泉!) 私は肌色に染まったバスの中を覗き込んだ。毎日あの温泉の入浴剤を使っていたわけだけど、あれの効果に違いない。まさか脱毛効果まであったなんて。しかも、どうやら髪や眉毛など、大事なところは抜けないっぽい。なんて都合のいい。 改めて鏡を見つめると、顔の印象もグッと変わっていた。肌がとても綺麗で瑞々しく、数段幼く見える。……なるほど、これなら可愛くみえるわ。この顔でベビーウェア着て、身長60センチだったら、お菓子あげたくなっちゃうね。 その日、私は久々に例の人形衣装を着てみた。……可愛い。うん。自分で言うのもなんだけど。また悪魔の誘惑が囁く。明日これ着て大学いっちゃえば? と。 (いや……でもやっぱ、流石にそれは痛いというか、ぶりっ子だよ) 毎日フリフリの衣装でサークルに顔を出す、花咲さんのことを思い浮かべた。そう、あれと同じになっちゃう。 (……でも、花咲さんよりはずっと自然っていうか……おかしくないよね?) 私は実際子供以上に小さいんだし、見た目も幼めになっちゃったし、違和感はそこまで……。ていうか、周りもすっかり子供みたいに接してくることが多くなったし、案外そこまで変に思われないかも……。 (いやいや、何考えてんの。身長60センチでも、私は二十歳の大学生でしょうが) メイド服やアリス衣装で大学にいくなんてありえない。周りが子ども扱いするからって私も子供になってどうするの。幼く見えるからこそシャンとしなくっちゃ。 結局今まで通りベビーウェアで大学に行った。何か変わったことがあるとしたら、周囲の幼児扱いを素直に受け入れてあげる度量が広がったこと。 しかし、すぐに状況はひっくり返り、道行く人は私を怪訝そうに見つめるようになったし、友人たちもあんまり可愛がってくれなくなった。……いや、別にいいけど。 サークルではしばらく静かになっていた花咲さんが活気づき、私に馴れ馴れしく接するようになった。 「先輩、温泉の入浴剤まだ使ってるんですねっ」 「う……うん? それがどうかしたの?」 「ふふふっ、お肌、とっても綺麗だなーって。羨ましいですぅー」 彼女は私の頬っぺたをつついた。これは明らかに上からの物言いだ。不安に駆られ、私は家で自分の体をよく観察してみた。 「うそっ……!」 日々、少しずつの変化だったせいか、気づくのが遅れた。私の顔はちょっと異常なことになっていた。肌が綺麗すぎる。まるで画像修正をかけたかのように、一点の曇りもない肌色一色。生気が欠けていて、まるでフィギュアみたいだった。 (えっ、えっ、ちょ、うそ) 服を脱いで全身を確かめた。顔と同様、どこもやり過ぎな修正をかけた感じになっている。テカテカと光沢を放つ部分すらあり、アニメのキャラみたいだった。毛穴も染みも皴も、黒子もいつの間にか消え去っている。 (どうなってるの……?) 理由は一つ、例の入浴剤。で、でも、毎日使っている花咲さんもこんな風にはなっていなかったはずだけど。嘘だったのかな? 毎日は駄目だったの? 用法を確認しても、特に注意書きはない。ネットで調べても、ここまで肌がツヤテカになった話なんて出てこない。 (だ……大丈夫かなこれ。体に悪影響とか……) 急に不安になってきた。病院……いやちょっと恥ずかしいな。一旦自分の現状を知ってしまうと、外に出るのが恥ずかしくなった。これじゃあ生きたフィギュアだ。 とりあえず温泉に問い合わせてみたが、要領を得ない。花咲さんに……いや。よそう。 私は大人しく病院に向かった。道中や待合室では人の視線が気になって仕方なかった。へ……変なメイクしてる痛い女だと思われていないだろうか。やだなあ。せっかく前を向いて歩けるようになったのに、元の木阿弥だ。 病院でもその日は結局よくわからなかったが、後日温泉側から連絡がきた。小さいから温泉の効能がききすぎたのではないか、という話だった。えー……そんな。 元に戻らないか訊いてみても、前例がないからわからない、という。はぁ……。とにかく今は、もうあの入浴剤を使わず、自然に戻るのを待つしかないか。 そういうわけで、私はフィギュアみたいな体のままで日常生活を送らざるを得なくなった。普通の人にはちょっと引かれるようになってしまったものの、漫研メンツには好評だった。フィギュアっぽいからか。花咲さんにもウケた。理由は……うん。 入浴剤の使用を止めてから一週間。私の肌は相変わらずフィギュアみたいなままで、一向に戻る気配がない。まさか永久にこのままってことはないよね……。 そんな中、部長が私にモデルを依頼してきた。新作は不思議の国のアリスをモチーフにした漫画にする予定で、私にアリス衣装を着て撮影、スケッチさせてほしい、と。 「えーっ、で、でも……」 私は躊躇したが、部長がどうしてもというのでオーケーしてしまった。あーもうどうしよう。肌こんななのに。大丈夫かな。気持ち悪いって思われたりしない? 土曜。私は部室でアリス衣装に着替え、外で待っていた部長を招き入れた。しばし互いに見つめ合った後、私は恥ずかしくなって視線を逸らした。変じゃないかな? 「うん。これこれ」 部長は満足そうに頷いた。私はちょっとガッカリしたが、すぐに予期せぬ訪問者が現れた。 「こんにちはー。あっ、よかったぁ」 キンキンの甘ったるい声。フリフリの衣装で登場した花咲さんが真っ直ぐ部長の方に歩み寄り、ビニール袋から何か取り出した。 「やっぱりぃ、アリスっていえばぁ、金髪ですよね~」 えっ、いや、ちょ、なんなのあんた。呼んでないんだけど。せっかく部長と二人だったのに。……部長が呼んだの? 聞いてないんだけど。彼の顔は困惑気味だ。勝手に来たっぽい。 「いや、そこまでやらなくっても別に」 「色合ってた方がぁ、絶対参考になりますよぉ。そうですよね?」 「……まあ、イメージは掴みやすくなるかもしれないけど……」 「決まりー」 花咲さんは机の上にスプレー缶のようなものを置いた。話が見えないんだけど。何しに来たの? 彼女はようやく私の方に向き直り、ニコニコ笑いながら告げた。今から私の髪を金髪に染める、と。 「な、なんで?」 「だってぇ、アリスって言ったらぁ、やっぱり金髪じゃぁないですかぁ。その方がぁ、部長もイメージ湧きますよねー?」 「まあ……黄木さんがいいなら……」 そんな無茶苦茶な。金髪なんて試したことないし、そんな派手なの私には……。ただでさえ肌がフィギュアみたいで変な注目集めてるのに。でもアリスは確かに金髪か。いや、そこまで合わせる必要なんて……。コスプレイヤーじゃあるまいし……。 悩んでいると、私の返事を待たずして、花咲さんは缶の蓋を開けた。私の髪を掴んでまとめ上げ、逆さにした缶に入れつつ、頭までスッポリと被せる。中身が下に零れてくるようなことはなかった。髪も特に何も感じない。 「ちょっと、やめてよ、勝手に……何してんの!? これ何なの!?」 まさか人形用の塗料なんかじゃないよね。健康に悪影響あるとか、髪がボロボロになるとかあったら洒落になんないんだけど!? 数分すると、ピッという音が鳴った。花咲さんが缶を持ち上げ、私の髪はようやく下に広がった。 「おお」 部長が声を漏らした。花咲さんがスマホのカメラで私の姿を映し出す。そこには金髪を広げる、アリスのフィギュアが映っていた。 「えっ……ちょっ……ええーっ!?」 染めちゃったの!? 本当に!? 困るんだけど! ていうかその缶なんなの!? 人に使っていいやつなの!? 「黄木さん」 「?」 「撮って、いい……かな?」 部長がほのかに顔を赤らめながら私を見下ろしていた。 「っはい」 私は反射的に気をつけし、部長を見上げた。ドキドキする。変じゃないよね? さっき見た感じだと結構綺麗に染まってたはずだけど……。私は髪をさわってみた。感触はなにも変わっていない。ただ、色だけが変わっている。 「すごい、可愛い」 私は逃げ出したくなった。どうしよ……部長の顔見れないよ……。 「ですよねー。完全にアリスですもんねー」 花咲さんも撮りだした。あぁもう。うざったいなぁ。 その後、色んなポーズを指示され、私はぎこちなくそれに応えた。次第に緊張がほぐれたのと、本当に可愛いアリスの写真になっているのとで、後半は自分でも意外なほどノッたポージングと表情を繰り出せた。部長もすっごい喜んでくれたし、可愛いって何度も言ってくれたし、悪くない時間だった。……家に送ってもらった後、花咲さんが部長と一緒にどっか行ってしまったことを除けば。 そしてその日の夜、私は布団の上で悶える羽目になった。あーやっちゃった。アリスのコスプレして部長と撮影会なんて。でもっ、でもでも、結構似合ってた……ていうか、客観的に見て、私も結構こういう格好いけるんじゃないの……? 鏡の前でまたアリス衣装を着てみた。うん。今までネットやイベントで遭遇見たコスプレイヤーたちとは次元が違ってる。フィギュアみたいな肌と艶やかな金髪が、コスプレに付き纏う痛々しさを打ち消している。本当に絵本か何かから飛び出してきたみたいだ。自分で言うのもなんだけど! 最も、休み明けに私は死ぬほど後悔する羽目になった。家にヘアカラー剤がなかったので、金髪のまま大学に行かなければならなかった。すっかり忘れてた。案の定、周囲からからかわれるし、弄られるし、また幼児扱いが始まるし。明らかに引いてる人もいる。ああああ……。 サークルではいよいよ子猫か何かかって感じの扱いを受けるようになった。チヤホヤされるのは嫌いではないけど、全員上から目線なのが癪に障る。精神的にも、物理的にも。 その上さらに、私に使ったヘアカラー剤のことを花咲さんから聞き出すと、とんでもない真実が明らかになった。私に使ったのは人間用のヘアカラー剤ではない。人形用の塗料でもない。小動物、ペット用の「遺伝子染色剤」だというのだ! 「だってぇ、そしたらいちいち染め直す必要なくってぇ、ラクチンじゃないですかぁ」 「ふ、ふざけないでよ! そんなものを……勝手に……」 怒り狂って抗議しても、片手であっさりと静止されてしまい、彼女にとりあってもらえなかった。他の部員たちもそうだ。「可愛いからいいじゃん」「似合ってる」「後で染め直せば?」そんな意見ばっかり。誰も真剣にとりあってくれない。遺伝子染色は最近ブームになっている技術で、ハムスターとかをカラフルな色に染めたり、行動パターンを改造したりする際に使われるやつだ。重要なのは、遺伝子そのものに働きかけて書き換えるという点。つまり、私は後天的に髪を金髪に染めたわけではなく、生まれつきの金髪状態にされてしまったのだ。いくら待っても、根本から黒髪に戻っていくことはない。 「訴える! 訴えてやる!」 わめいても叫んでも、みんなが頭を撫でようとしたり、お菓子で宥めようとしたり、対等な同世代の大学生だと看做していないのは明らかだった。親戚の子供か、ペットの猫か。いつの間にそんなことになっちゃったんだろう。60センチってだけで、違う世界の住人になってしまうの? 部長は新人賞に向けて原稿を仕上げるべく、漫研には出てこない。部長ならきっと真面目に対応してくれるはずだけど……。でもそれで手間とらせて応募間に合わなくなっちゃったらどうしよう。せっかく私がこんな目にあってまで協力した作品なのに。そしたら本当に全部無駄だったことになるし、部長の足も引っ張りたくない……。 「まあまあ、イメチェンってことでぇ、安定期まで楽しめばいいじゃないですかぁ」 「……っ!」 私は家のベッドに突っ伏して泣いた。悔しい。あんな馬鹿女に体を改造されるなんて。遺伝子染色について調べると、安易に連続使用した場合、遺伝子がおかしくなることがあるから、ある程度の間を置かないといけないらしいのだ。つまり、私は黒髪に戻るまで大分待たないといけない。普通に染め直してもいいけど、髪が痛むし、60センチのこの体じゃ、いちいち染め直すのは結構な手間だ。根本からまた金髪に戻っていくだろうし。 (大体、なんで私に有効なのよ。おかしいよ……) 小動物限定で、人間には効果なしのはずなのに。どこ見てもそう書いてる。問い合わせてもそういう。縮んだから? 私が身長60センチしかないのが悪いの? 私は人間よりハムスターに近いっていうの? 結局のところ、心底腹立たしいけれど、花咲さんの言う通り、私には待つしかなかった。フィギュアみたいな肌と金髪の地毛を持つ60センチの人間として日々を過ごすほかないのだ。 (はぁ……) 肌もツルツルのままだし、もうホント最悪。肌も髪も元通りになる日はいつ来るんだろう。……体の大きさも。

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