カノジョツクール (Pixiv Fanbox)
Published:
2020-01-08 10:10:58
Imported:
2023-05
Content
「うわおっかけボール早!」
「やっとまともになったよなー、マジ超加速ゲーだったし」
「いや今も超加速ゲーだろ」
「それなー」
「は? いや今のおかしくね?」
「あーそれ正面向いてねーと横いくから」
「いやいやおかしいだろ、今すぐ目の前にお前いたのに壁ツッコんでったじゃん」
「あーそれ多分コース形状無視でさ、直線距離で一番近い敵判定してる気ぃするわ」
「は~! マジ直せよホンマにさぁ。……っべしくった」
「はい勝ちー」
ゴール後、俺はコントローラーを床に置き、理不尽なレース展開に苛立った。最後のミサイル当たってれば勝てたのに。なんなんだよふざけんな。ちくしょー。
「次どれする?」
「横丁」
ロード中、俺は徐に立ち上がり、勢いよくテレビに頭からダイブした。硬い液晶は俺に触れた瞬間、生暖かいお湯のように形質を変え、波紋を広げながら俺の体を飲み込んだ。テレビ画面を通り抜けた先にあるのは、真っ黒とも真っ白とも言い難い、不思議な光にあふれる空間。俺はそこでいつも意識が一瞬途切れる。温まった布団の中にいるような心地よい世界で、体が溶けていくかのように感覚が曖昧になるのだ。気がつけば俺はカートに座り、ハンドルを握っていた。俺のキャラと成り代わったのだ。
ポールポジションに位置する1Pカートの後方に、長方形の画面が浮かんでいる。そこに映っているのはさっきまで隣にいたユウ。そして俺の部屋。
「ミサイルあてるぞ」
ユウはニヤニヤしながらそう言った。
「当たんねーよあんなゴミアイテム」
俺はハンドルを握りしめ、レース開始の合図を待った。
開始早々爆弾を当てられたうえ電車に引かれた俺はユウに追いつけず、またレースに負けてしまった。
「だー! ちくしょー!」
「運転しにくいだろ、実際乗ってちゃ」
「まあな。でもメッチャ楽しいぞ」
俺はカートから降りて、後ろに浮かぶ画面をくぐった。また妙な光の空間を経由したのち、テレビ画面から現実世界に這いだした。
「あれマジで痛くねーの?」
「どれが?」
「電車」
「痛くはねーな。平面の体気持ち悪かったけど」
俺には昔から不思議な能力があった。ゲームの中に入ることができるのだ。テレビゲームでも携帯機でも、PCでもスマホでも。そしてプレイヤーキャラクターに成り代わって実際にその世界の中で遊ぶことができる。憧れの世界の中に入り込めるのはマジで最高だ。しかも、ゲーム世界の中で俺は死ぬことがない。少なくとも死ぬような目に遭っても死んだことはまだない。ゲームオーバーになっても、ゲームオーバー画面の中に移るだけだ。ダメージくらっても衝撃は感じるが、痛みはほとんど感じない。剣で斬られて出血エフェクトがあっても、斬られた感覚があるだけで痛みはない。それはそれで慣れるまで気持ち悪かったが。それに止めたくなったらすぐに出られるので、今んとこ何も懸念することはなかった。電源落とされても俺は現実に弾き飛ばされるだけで、取り残されたり消えたりなんてこともない。夢のような能力なのだ。
これを知っているのは家族と、腐れ縁のユウだけだ。何となく秘密にしたかったので、他の連中に見せたことはなかった。コイツと一緒にゲームをする時だけ、俺はこの能力を人前で使う。そうすると大抵嫌がらせが始まるのだが、実際に中にいる俺の方が細かい悪戯が可能だ。本来ならありえない事態もおこせる。モンスターと戦っている真っ最中にユウのキャラの装備外したり、アイテム盗んだり、通常では入れない位置から攻撃をしかけたり……。そんな感じに遊んでいた。
とはいえ中に入っても、3Dのマップがないゲームだとどうしようもない。「ゲームを再現した世界」ではないので、作ってないところは作られてない。例えばノベルゲーだと、中に入っても横長の絵を眺めるだけになる。つまらない。
だから必然的に俺はアクションゲームばかりやるようになった。それに対してユウの奴はスマホゲーの方に時間を割いている。俺はそれが気に入らなかった。昔は一緒にアクションゲーの攻略を競っていたのに。何が面白いんだか。ターン制のゲームは入ってもつまんねーんだよな。
「んなことねーって。最近はスマホでも3Dのおもしれーヤツ一杯あるんだぜ」
「んーでもスマホじゃな」
「お前偏見持ちすぎ。お前もやってみろって。これとか」
「いやそれはPCでやるだろ普通」
「だから今は違うんだって、んーじゃあこれとか……あっ」
ユウのスマホに、初めて見るゲーム画面が広がった。ポップなフォントとパステルカラーな色合いでデザインされた「カノジョツクール」というタイトルが映し出された瞬間、ユウは慌ててスマホを引っ込めた。
「あっ、いや、これは……違う。間違えた」
「お? おお? おいおいおい、見せろよ、なんだよ今の、おい」
俺はユウの腕を掴み、強引にスマホを奪った。あの硬派気取ってるユウがこんな感じのゲームをやっていたとは……。当分面白く弄れそうだ。
「おい、ちょ、やめろって、返せ!」
「まーまーまー」
ユウをあしらいながら、俺はカノジョツクールを開始させた。画面にデカデカと映る女の子。いかにもって感じの萌えデザ。高い声で「あはっ、勇一くん、また会えて嬉しいっ」とくねくねしながら喋った。
「返せよおぉ!」
真っ赤になったユウが俺の手からスマホを取り返した。が、もう遅い。見てしまった。
「……っぷぷぷ」
「なんだよ! いいだろ俺が何やっても!」
「いやまあ、そうだな、最近のスマホゲーは……ぷぷぷっ、おもしれーんだもんな、勇一くん?」
「うっせえ!」
ユウの慌てふためく姿が余りに滑稽で、俺はその日ずっとこのネタでこいつを弄り倒してやった。勿論二人だけの時だけだが。俺もそこまで鬼じゃない。
家に帰ってから調べてみると、最近リリースされたばかりのゲームで、要するに疑似恋愛ゲームだった。プレイヤーが各々好きに容姿設定して作った「彼女」とイベントをこなし、好感度を稼いでいくらしい。稼いだところでどうしようもないと思うがな。この手のゲームはわからん。聖職者の獣を素手で狩ってた方がマシだ。
何度もネタにしていると、ユウの奴も諦めたのか恥を捨てたのか、堂々と俺の前でカノジョツクールをやるようになった。家に呼んでも行っても、テレビゲームの方はやらず、音量を上げて「彼女」のキンキン声を垂れ流す始末。嫌味かよ。耳が痛い。てゆーか友達同士とはいえ恥ずかしくないのかマジで。聞いてるだけで無関係の俺もいたたまれなくなってくるようなセリフばっかなんだが。
(……そうだ)
いいこと考えた。ユウの野郎を驚かせてやろう。
ベッドに転がっているあいつが寝返りを打った瞬間。俺はユウのスマホに飛び込んだ。
「うおっ!?」
ユウの叫びと共に、俺の体はスマホに吸い込まれていく。パネルはテレビ画面と同じように液体のように柔らかくうねる。小さいものに入る時の体がぐにょんぐにょんになるこの感覚。妙に癖になる。
また謎空間で一瞬意識が途切れ、次の瞬間、俺は縦長の画面の前に浮かんでいた。巨大なユウの顔が映っている。振り返ると、同じくらいの大きさの一枚絵が設置されている。背景画像だ。あとは真っ暗で、どうにも恐い世界だった。だからこういうゲームは嫌なんだ。まあいいや、それより……。
「おいおいお~い、勇一くーん、この彼女俺が……って、ん?」
彼女にユウの目の前でボディタッチしてあいつをからかってやろうと思ったのだが、見渡してもどこにもいなかった。変だな。ユウが消したのか?
「おーい、お前の彼女どこだ? 遊んでやろうと思ったのに」
「……」
ユウは大きく目を見開いたまま、瞬きもせずにジッと押し黙っていた。デカい。顔がデカい。気持ち悪いなおい。まあスマホの中だからしょうがねーか。
「おーい、聞こえてるかー?」
俺が試しに手を振ってみたところ、ようやくユウが反応した。
「……翼だよな?」
「見りゃわかんだろ」
「……それ、自分じゃわかんねー感じ?」
「それ? それってなん……」
俺は自分の声がおかしいことに気づいた。……高い。
「あ……あー?」
よく注意してみると、俺の口から出た間抜けな声は、キンキンのアニメ声だった。……女の!
(おいっ、おいおいおい、これって……)
視線を下に。俺の胸が膨らんでいる。おっぱいだ。俺におっぱいがある。そして服は明らかに高校の制服ではなかった。ブラウスだ。女物の。
血の気がひいた俺はすぐに股間に手を伸ばした。あるはずのものがない。寂しい股間が空しく手に答えた。
「ない!? ない!」
「あっはははははは! マジ! マジかよ!」
ユウが大声で笑った。現実世界を映す画面が大きく動き、天井に切り替わった。あいつ、スマホ投げやがった。ユウの馬鹿にしたような笑い声だけが聞こえる。
「嘘だろー!? なんでだよぉー!?」
俺の体は、あいつの「彼女」になってしまっていたのだ。え? え? なんで? 今までこんなことなかったのに。ゲーム入ったらプレイヤーキャラになるけど、体はあくまで俺のもので……この間レースゲー入った時も、キャラはマッチョなコアラだったが、俺はコアラなんかにならず、俺のままカートに乗れたのに。何故!? 一体何が……こんなこと初めてだぞ!
「ひーっ、ひひひ……」
「笑うな! ちくしょー!」
なんてこった。あいつの彼女を目の前でおちょくってやろうと思ったのに……俺が笑われる羽目になるとは……。
「あーくそ。やってらんねー」
俺はスマホ画面に入り、外へ出た。一瞬の暗転を挟んで、勢いよくスマホから現実のベッドの上に。
「ぉぐえ」
「おっと」
ちょうどユウの上に着地してしまった。まあいいか。人の災難を笑いやがった罰だ。
「はーマジないわ。なんでこのゲームだけキャラモデル反映されんだよ。ていうかプレイヤーキャラじゃねえはずなのに……」
うーん、唯一存在するキャラである彼女がプレイヤーキャラ判定されたのか? でもノベルゲーはいつも第三者目線で入れたはずなんだが……。いやノベルゲーではないか。
などと考え事をしていると、またユウが微動だにせず俺を見ていることに気づいた。ずっと上に乗っかったままだった。
「おっ、わりい」
床に降りると、いいようのない違和感に襲われた。なんか部屋が広いような。いや気のせいか?
カシャ、と写真を撮る音が鳴った。
「何してんだお前……」
ユウは無言でスマホを俺に差し出した。そこに映っていたのはウェーブのかかった茶髪、あどけない童顔をたずさえた少女の姿だった。
「え……?」
俺の声は同じだった。ゲームの中と同じだった。女の……アニメ声。そして、俺の体は……。
「なっ……なにいぃーっ!?」
絹を裂いたような叫び声が、家中に響き渡ることとなった。俺は彼女のキャラモデルを現実に再現したかのような女に変身していたのだ!
「どうしてくれるんだよおい! どうすんだよこれ!」
「知らねーよ! お前が勝手に入ったんだろ!」
侃侃諤諤の言い争いをしたのち、俺はもう一度スマホに入ってみることにした。キャラエディットで何とか元に近い容姿に戻せるかどうか試してみるのだ。
(うーん、でも今までキャラエディットは全部無効だったんだがな……)
多分駄目だろうと思いつつ、俺は再びユウのスマホの中に入り込んだ。
「あれ?」
カノジョツクールの世界に降り立った瞬間、不思議なことに、俺の体は元に戻っていた。視線を落とすと、遮蔽物がなく足元がよく見える。股間に手を伸ばすと……。
「あった! ある! おっしゃあーっ!」
俺はガッツポーズして喜んだ。はあ……マジ良かった。一時はどうなることかと。
「えっ!? なんでだ? まだ何も……」
「特にいじってないのか?」
「ああ」
「ふーん……」
まあいい、とにかく出よう。……出たら女のまま、とかないよな……。
俺の不安は杞憂だった。無事、元通りの姿で現実世界に帰ることに成功。チンコもあるし、声も元通り。顔も俺の顔だ。
「なんだったんだ結局。バグか?」
「知らねーよもう。ったくもー」
「……ふふっ」
「なんだよ」
「いやー、お前が泣きそうな顔でパニックしてるの、中々可愛かったぜー、翼ちゃん」
「やめろよ、きめーな!」
人の身にもなってみろっての。クソが。
ユウのスマホには元通り「彼女」が映っていた。体を揺らしながらアニメ声で媚びたセリフを繰り返している。さっきまで俺があの姿でスマホにあんな風に映っていたのかと思うと……。俺はあいつの「彼女」になって、ユウに対して媚びたセリフを発している自分の姿を想像してしまった。うわー! キモ! こわ!
「もうそれ当分起動すんなよ、キモイから」
「は? それは俺の勝手だろ」
「嫌な事思い出すだろ」
「いやー、俺はよかったけどなー、いいもん見れて」
「ざけんな」
俺はユウにつっかかり、スマホを奪い取ろうとした。ユウが抵抗したので奪い合いになり、俺は思わず手に力が入った。
「いーから消せよ! ……あ」
熱くなるうちに、無意識に能力を発動させてしまった。気づいた時にはもう遅く、俺は再びカノジョツクールの世界に吸い込まれてしまった。
気づくと俺は白いブラウスを着て、女の姿で背景絵の前に浮かんでいた。
「ま……またかよ~」
俺の情けない叫び声は、まさしく女子の泣き声だった……。
その後の検証で、一回出入りするたびに姿が変わることがわかった。往復一回でモデル通りの女子に。次の往復で元に戻る。この繰り返しだ。
「すげーじゃん、これ。やべー」
「何がすげーんだよ、まったく」
「好きな時に女に変身できるってことだろ? マジすげーじゃん」
「よかねーよ。お前の『彼女』じゃ」
「お前も自分で始めりゃいいだろ。好きな姿になれるんだから、やりたい放題じゃねーか。あんなことやこんなことだって……」
「しねえよ馬鹿!」
と否定はしてみたものの、俺の頭にも一瞬よからぬ考えが浮かんだのは事実。しかしいくら悪魔が手をこまねいても、実行する気にはなれそうにない。俺が女になってユウに媚びたセリフを発している姿がどうしても脳裏をよぎってしまう。オエッ……。
俺は結局、自分のスマホにカノジョツクールをインストールすることはなかった。ユウもしばらくは仕返しの如く俺を弄ってきたが、そのうちどっちも話題に出さなくなった。そりゃまあ、向こうも自分の「彼女」に男の親友の影がよぎったらやりづらかろう。プレイ日数が増すにつれ、自キャラへの思い入れが強くなったに違いない。
この事件はそういう流れで風化した。いやするはずだったのだが……。
ある日ユウと映画を観に来た時、ヤバい事態に陥った。金がない。小銭全部合わせても1200円……。変だな。500円玉があったような気がしていたんだが……。どこいったんだ。気のせいだったのか? それともどっかで使っちまったのか……。
「わりい。立て替えてくれ」
「すまん。俺もない……」
ユウの所持金は一人分。足りない。
「おい、どうすんだよ」
「下ろして来いよ」
「あほ、間に合わねーだろ!?」
俺たちの後ろには長蛇の列が並んでいた。話題作の公開日ともあって、相当の人だかり。しかも上映開始まで五分もない。並びなおしたのでは間に合わないし、俺がおろしてくるまで後ろに譲らず頑張るのも気がひける。
「くそっ……いいや、でなおそーぜ」
「……いくら足りねーの?」
「300円」
「これ、いけるんじゃね?」
ユウが指さしたのはレディースデー1100円の表示だった。一瞬戸惑ったが、何を意味しているのかすぐに理解した。
「はあ!? お前馬鹿じゃねーの!? ぜってーやらねーよ!」
「でもさー、間に合わねえよなー」
「うっ……」
「ネタバレ、ネットに一杯出るだろうなぁ……」
ユウはニヤニヤしながら俺を嘲り笑った。この野郎……。
「ま、お前に関係なく俺は観るけどな」
「は? おい、卑怯だぞ」
「知らねーよ、確かめてないのがわりーんだろ」
「ぐっ……」
「心配すんなって、安心して観られるように予め全部話してやるか……さ」
「てっめーっ!」
やる。こいつはやる男だ。ネタバレしてくるぞ。それだけは……それだけは……。あと一分。後ろも待たせているし……これ以上は……クソッ!
俺は意を決し、1100円を投入してしまった。
予告編が流れている間に、俺たちは多目的トイレに踏み込んだ。幸い人はいないようだ。
「やるのかよマジで……」
「しょうがねーだろ、もう買っちゃったんだから」
「くそ……」
アレで……あの姿で人前にでるのか……。
「それとも、そのまま女だと言い張って入場チャレンジしてみるか?」
「アホか! いけるわけねーだろ!」
ぐだぐだしてたら人が来るし、本編も始まっちまう。俺はユウのスマホに飛び込んだ。
ゲーム世界で目を覚ますと、以前とは違う感覚に襲われた。下半身がスースーする。っておい!? 何も履いてないじゃねえか!?
と思ったが、目で見てみるとスカートをはかされていた。マジかよ。こんなに頼りないのかスカートって……。
現実に出ると、俺は完全な女装……いや女子そのものの姿だった。胸が大きい。股間にアレは……ない。
「行くぞ。始まっちまう」
「お……おう……」
ユウはすぐに顔を逸らして歩き出した。なんだその無反応っぷり。なんか言っても……いや何考えてんだ俺。いらんだろ。
トイレを出ると、人だかりだった。俺は突然恥ずかしくなって、歩みを止めてしまった。やばい。キツイ。女装して歩いてんのと同じだし、下半身が……スカートのせいでどうにも……丸だしで歩いているんじゃないか、見えてんじゃないかという不安が大きく膨らんでいく。
「ん? どした?」
ユウが戻ってきた。
「いや……キツイわコレ……」
俺は真っ赤になって俯きながら、小声で弱音を吐いた。周囲の人すべてが俺を見ているんじゃないかという疑心暗鬼にかられてしまう。女装してるヤバい男だと……。
「平気だって。ほらいくぞ」
ユウは俺の右腕を掴み、そのまま歩き出した。
「おいっ、ちょっ……」
余りの力強さに、俺はまるで抵抗できず、引っ張られるようにして歩かされた。なんだコイツ、こんなに力あったっけ? ……ああ、俺が女になってるからか……。でもこんなに固かったかな、ユウの手は。不思議と背も高く見え……それは俺が縮んでるからか。
入場ゲートを通る際、俺は罪悪感でスタッフの方を向けなかった。すんません……本当は男なんですけど……。よく考えたら詐欺なんじゃ……。
葛藤の間もなく、ユウは俺の腕を強く握ったままズンズン歩いていくので、俺もすぐ歩き出さなければならなかった。ていうか足早。ちょっと待ってくれよ。しかし人が多いので、俺は声を上げる勇気がなかった。今この姿で注目を集めるのは絶対嫌だ……。変態だし……。
劇場に入ると、まだ予告編をやっていた。セーフ。てか最近予告長過ぎね?
席に座ると、下着が直にシートと接した。
(んあっ!?)
スカートが周囲に広がり、隣の男性が怪訝そうに俺を横目で見ているのがわかった。そうか、スカートがこう……アレか。下に敷くようにして……ええと……。
何とか格好がついた時、既に映画泥棒が始まっていた。くそ……。変な女だと思われたな。いや女じぇねーけど!
(ていうか……下着……下着か……)
意識していなかったが、俺は今女物の下着を身につけているのかと思うと、心拍数が上昇を始めた。うぉ……しかもそれで……人前……映画観てんのか、俺は……。とんだ変態じゃねーか。
隣のユウを見てみると、顔も視線もスクリーンに釘付けだった。なんだよもう。人にありえんよーな大恥かかせておいて……。歩くの早すぎだし……。
そんな俺のモヤモヤは映画が始まると同時に雲散霧消し、そのうち綺麗さっぱり忘れてしまった。
「まー、中々良かったな」
「そうだな」
「どっか寄ってく?」
「なんか食ってこーぜ、腹減ったし」
「じゃ下いくか」
俺たちはフードコートで軽食をとった後ゲーセンに寄った。いつになく楽しそうなユウの態度に無性にイラっときたが、何故そんなにニヤニヤしているのかはその時はわからなかった。訊いてもはぐらかすばかり。俺がずっと女のままでいたことに気づいたのは、駅についてからだった。
「いやー、今日は楽しかったなー。デートみたいでさ」
「は? お前何……あっ、あーっ!」
「あはははは! お前鈍すぎだろ!」
なんてこった。映画観てる間に完全に忘れてしまっていた。
「いやっ、……ええと、いいから元に戻せ! おらスマホ貸せ!」
「やだって言ったら?」
「ふざけんな!」
この日の出来事はさらなる波紋を巻き起こした。ユウと女になっていた俺が一緒に遊んでいたのを同クラの連中に見られていたらしく、ユウは月曜日質問攻めにあっていた。
「おーい、誰だよ一緒にいた子」
「は? なんの話?」
「いやー、ついに谷崎も彼女作っちゃったか~」
「えーマジ? ショック……」
女子陣はユウが彼女を作ったという怪情報に落ち込んでいた。まあわからんでもない。人気だからな。俺と違って。
「だから違うって、彼女とかじゃなくって」
ユウはしどろもどろだった。チラチラとこっちを見ている。ざまーみろ。助け船は出さねえ。困れ困れ。言えないよなー、あんな萌えゲーやってて、そこで作ったキャラです、なんて。しかも中身は俺だなんてさ。
「おい安藤。お前知りたくねーの? 谷崎の彼女」
一人が突然俺に振ってきた。
「俺? 俺はまあ……別に」
「なんだよー、つよがんなよー」
「あっ、先越されて妬んでんな?」
ちっ、めんどくせー。
「越されたならな。どうなんだその辺?」
俺はユウにパスした。ユウは変わらず困っている。そしてこれ以上この話題で絡まれたくなかったので、俺は答えを聞く前に教室から退散した。
もう終わったころかと教室に戻ってくると、まだユウの前に人だかりが……多くなってないか?
「うわすっげー可愛い!」
「!?」
「あっ安藤! お前も見てみろよ!」
「は?」
俺の眼前に突き付けられたのは、見慣れたユウのスマホ。そこに映っていたのは、いつだったか撮られた俺の写真。女になっていた時の。
「なっ……なに見せてんだよ!」
俺は怒った。ユウは気まずそうに顔を逸らすだけ。
「なに怒ってんだよ」「知ってたのかよ」「知り合い?」「おっ、まさか安藤から奪ったのか?」
しまった。つい大声を。
「なんでもねーよ」
俺は矢継ぎ早に浴びせられる質問や冷やかしに背を向け、席に着いた。くっそー、冗談じゃねえぞ。女装姿をクラス中に見られるなんて……。いや女装ではないからセー……フじゃない。そういう話じゃない。あああ。
「何年? どこの子?」
「可愛いー」
「うお、美少女じゃん」
やめろ、頼むやめてくれ。俺は恥ずかしさと惨めさで顔が紅潮するのを止められなかった。それを悟られないよう眠い振りをして、腕に顔を埋めて机に突っ伏さなければならなかった。こそばゆさと生理的嫌悪感が同居し、居心地最悪だった。可愛い可愛いいうなよ……俺は男なんだぞ、キメーだろ……。いや、あれはそもそも俺じゃないし。そうだ、容姿はあいつが作ったゲームキャラじゃねーか。だから俺の話じゃない……。俺がかわいいと男共に言われてるわけじゃない……。ていうかそんなに可愛かったか? 思い起こせば、じっくり自分の顔……いや自分じゃねえ! あいつの「彼女」の顔を観察したことなかった気がする。鏡も見てねーしな……。あいつの写真をチラッとみただけ……。
(もう一度キチンと見てみてーかも……)
いや。いや……何考えてんだ俺。
その日の晩。下校中にユウが俺に頭を下げた。
「頼む。今度の週末、彼女のフリしてくれ!」
「はぁ!?」
俺のあずかり知らぬところでユウはとんでもない約束をしてしまっていた。周りに押し切られ、クラスの連中に「彼女」を紹介することになってしまったのだという。だからその時、また女になって誤魔化してほしいと……。
「ふざけんな! 何で俺が!? お前の自業自得だろ! 見栄張りやがって!」
「すまん! 本当にすまん!」
「ぜってーやらねー! 第一俺に何の得があるんだよ!」
「次飯を……いや、そーだ、次映画一本奢るから」
「なに……?」
「ほら今度やるあれ! お前見たいって言ってたろ! 俺が出すよ! パンフ代もつける!」
おお。それはいい。いや、いいけど、それだけで彼女役なんて……男の。ユウの。うーん……。釣り合っていない気がする。
「二本!」
「……」
「映画二本と飯二回!」
「んん……?」
「よしわかった! 今月好きなだけゲーム付き合ってやる! 宿題もやってやる! な! 頼むって、マジで!」
「うーん……」
ユウが俺にこうまで必死に頭を下げるとは……。しゃーない、つきあってやるか。なに、ちょっと顔みせてやるだけだ。クッソはずいが……まあ、よくよく考えてみれば「安藤翼」の名誉は傷つかないわけだし……映画二本無料、宿題肩代わりなら……まあいいか。よし。
「しょうがねえな。わーったよ」
「おぉ! サンキュー!」
「その代わり、さっき言ったことは」
「おう! 任せとけ!」
ユウの顔が得意気に輝いた。やれやれ……。
甘かった。ファミレスの中でデカい声で騒ぐクラスメイトたちは、否応なしに店中の人たちの注意を惹きつけた。その中心にあるのは……俺。
「うぉ~……」「さすが谷崎」「美少女じゃん!」
デレデレと鼻の下を伸ばしながら俺に邪な視線をぶつけてくる。想像以上の不快感だった。女からは男ってこんな風に見えるのか……。いや俺も男なんだが。そのおかげで余計に悪寒が増幅される。あいつらは俺だ。俺もあんな風に下心丸だしなんだろうか……。信じらんねえ。もうちょっとマシ……だったと思いたい。
今日、家を出る前に鏡で初めて自分を観察してきた。本当に美少女としかいいようがなかった。当然だ。なんせゲームのキャラクターを現実に再現したものなんだからな。その辺のアイドルも顔負けの美しさ。まだどこかあどけなさの残る童顔に、均整のとれたスタイル。ウェーブのかかった、ふわっふわなセミロングの茶髪。肌はきめ細やかで、全身のどこにも無駄な体毛や黒子は一切存在しない。元がゲームのモデルなのだから必然だが……。正直、ビビった。自分がこれほど可愛いとは。いや俺じゃない勘違いするな俺。ユウの作った彼女のキャラクリがハマってただけだ。
そして隣のユウを横目で見ると安心できた。目の前のデレデレの男子とは違い、落ち着いている。俺に邪な興味を抱いている節などそぶりも見せない。まあ中身が俺だと知ってるんだから当然か……。いやでもさ、自分が作った理想のキャラが現実に飛び出てきたんだぜ。もうちょっとこう、照れてくれたりしてもよくない?
(……って何考えてんだ俺は! なんかちょっとおかしいぞ!)
「んでんで? 名前は?」
「え? えっと……」
いけね。考えてなかった。
「サクラだよ、サクラ。な?」
ユウが朗らかに確認してきた。なんだその名前。さてはゲームの名前だな……。
「ああ、そう。さく……サクラだ……です」
俺はいつものノリで話そうとしてしまった……が、何故だか女っぽく言い直してしまった。別に男っぽい女でもいーはずなのに。心臓が鳴り、血管が熱くなる。なんだろう。男っぽく振舞うのがためらわれた。恥ずかしかった。いや、ネカマじゃんか、これだと。見知ったクラスメイトの前でそんな風に振舞うのだって十二分に恥ずかしいことのはずだが……。男っぽく振舞うのも同じくらい恥ずべき行為のように感じられてならなかった。
「おっ、声かわいー」
(声……声か……?)
今の俺はゲーム設定と瓜二つのアニメ声。それが男口調とミスマッチなもんで、言いづらいんだろうか……?
俺は隣のユウに顔を向けた。助けてくれ。どういうキャラでいったらいいのかわかんねえ。
「はいはい、そこまで」
ユウが手で振り払うような仕草をみせて、男子を静止した。
「なんだよー」
不満たらたらだったが、ユウが結構マジなトーンで遮ってくれたため、以後男子陣は大人しくなった。俺はホッとした。ユウの彼女でよかった。……いや違う。彼女「役」だ!
次は女子のターンだった。
「どこで会ったの?」
俺はもう無言を貫き通すことに決めた。横目でユウを見る。
「えーと……ゲーム。そうゲームで……」
「何? 何のゲーム?」
「……」
考えとけよ。俺も言えた立場じゃないが。今度はユウが情けない顔で助けを求めてきた。振るなよこっちに!
女子の目がこっちに向いた。ど……どうする。適当なゲームを挙げて……うーん、墓穴を掘りそうな気がする。ここでくだらん質問を終わらせてしまいたい。ど……どうする……どうすれば……。
考えあぐねた末、俺は消え入りそうな小さい声で、
「それは……その、秘密。うん。二人だけの……」
と答えた。女子がキャーっと言うと同時に、ユウが盛大に噴き出した。殺すぞ。あああもう帰りたい。死ぬほど恥ずかしい。なんなんだこの乙女回答は。なんで俺がこんなネカマ演技しなくちゃいけないんだ。引き受けるんじゃなかった。
「じゃあじゃあ、どこを好きになったの?」
「えっ……!?」
なんなんだよもう。知らねーよ馬鹿。これだから女子は……。好きじゃねーし。男同士だぞ。
「おっ、聞きたい聞きたい」
ユウが乗っかってきた。笑ってやがる。畜生、楽しんでんじゃねえぞ。あーくそ、考えろ。ユウのいいところ……。
「め、面倒見がいいところ……?」
おーっ、と歓声が上がった。駄目だ。顔を上げられない。俺は真っ赤になって俯くほかなかった。可愛いとか初々しいとか聞こえてきて、ますます恥ずかしくなった。
「じゃあじゃあ谷崎くんは? どこ好きになったの?」
おっ、そっちにも飛んだか。聞かせてもらおうじゃねえか。
「優しくて他人思いな所かな。なんだかんだいって無茶なお願いもきいてくれるしな」
ユウがノータイムで即答したことに俺は驚き、思わず顔を上げてユウの方を見た。ユウも俺を見ていた。な……なんかこそばゆいな。そんな風に思ってたのか。いや、回答用意してただけか。……してねーか、今までの感じだと……。じゃあ本心で? 意外だな……。
「ヒューヒュー!」
男子陣の囃し立てる仕草で俺は我に返った。
「よっ。熱いね~お二人さん!」
(やめろ馬鹿! ちげーよ! ……ちげーんだよ!)
と叫びたかったが、俺は耳まで赤く染めて突っ伏すほかなかった。こんな生き恥をかかされたのは生まれて初めてだ……。
その後の会話はずっと俺の頭上を飛び交うだけで、俺は終始ジッとしていることしかできなかった。
「ああ……やっと終わったか……」
家の近くまで来た時、ようやく俺は解放された。想像の何倍もメンタル削られたぞ。もう二度とやんねー。
「ははは、まあ楽しかったじゃん」
「お前がよくても、俺はよかねえよ!」
「……」
「な、なんだよ」
「やっぱこっちの方が翼らしいな」
「ばっ……キモイこと言ってんなよ!」
俺はユウの背中を一発叩いた。とても固く、大きい背中だった。あーもう、調子狂うな……。
「悪い悪い。来週から宿題やってやるからさ」
「おう。忘れんなよ」
ユウの家には誰もいない。今日は両親ともに留守なのだ。なので行くときもここで変身してきた。もう一回スマホに入って元に戻れば、それで今日はお開きだ。勢いよくソファに腰を下ろし、俺は言った。
「あー疲れた。おい、はよカノジョツクール出してくれ」
何故かユウは石のように固まったまま微動だにしない。なんだよ、早くしろよ。
ユウは機械のようにゆっくりと振り向き、物々しい雰囲気を出しながら近づいてきた。その威圧感に俺は気圧された。
「な、なんだよ……?」
「いや……その……不味い事になった」
「?」
差し出されたスマホには、カノジョツクール運営からの「緊急メンテのお知らせ」が表示されていた。
「どーすんだよ! 元に戻れねーじゃねーか!」
「まあまあ落ち着けって、そのうち再開するって。サービス終わったわけじゃねーんだから」
「お前のせいだろ! 何とかしろ!」
「だから落ち着けって! 今どうにもできねーんだから!」
しばらくすると、翌朝に復旧するというアナウンスが出たため、俺はラインで親に「今日はユウの家に泊まる」と連絡を入れた。ゲーム世界に入れることは知られてるけど、女になれた……いやなってしまうことは伝えてない。絶対に知られたくねえ。
「ホント悪かったって。機嫌直せよ」
「別にもう怒ってねーよ」
「怒ってんじゃん」
「だから……」
言い争っている間に風呂が沸いたので、俺が先に入らせてもらうことにした。しかしユウ両親が出かけてて本当に助かったな。全く。
脱衣所で上着を脱いだ後、スカートを脱ごうとしてつっかかった。結構きついなコレ。あっそうか、スカートって確かファスナーとかあるんだっけ……。ん? ない?
しばらくスカートをまさぐってみたものの、やっぱりない。ゲームの衣装だからか? わからん。仕方なしに強引にずりおろすと、嫌な音が響いた。大丈夫かコレ。そーいや、ゲーム世界にもう一度出入りした時、服はどうなるんだ? そういや女の姿で服の着脱するの、これが初か。……ズボンに戻ったら破けてたりしたら困るな。そしたらあいつに弁償させるか。
下着姿になった俺は、鏡に映る自分の姿に恐れおののいた。おおぅ……。女だ。女の半裸だ……。いつもずっと夢見ていたような光景が目の前に、いや俺自身に覆いかぶさっているというのに、不思議と興奮はしなかった。ただ、綺麗だなという素朴な感情だけがあった。
(まあ、自分の裸なんてそんなもんかね……)
下を脱ぎ、ブラジャーを外そうとしたが、困った。外し方がわからん。どういう構造になってんだコレ……?
前には特に何もない感じか? 後ろに外すとこあんのか? 両手を背中に回してしばらく色々と触ってみた結果、それっぽい部品があった。
(多分これだよな。外れるの)
が、どうにもやり方がわからなかったため、俺は観念してリビングに戻った。
「おいユウ! これ外してくれ!」
ソファに座ってテレビを眺めていたユウはこっちを向くなり固まった。見る間に熟したリンゴのように赤くなり、凄い勢いでソファに顔面を埋めながら叫んだ。
「ばっ……なんて格好してんだ馬鹿!」
「は?」
俺は視線を落とし、自分がパンツも脱いでほぼ全裸だったことに今更気がついた。一本の毛もないツルツルの股間も開けっ広げにして。慌てふためくユウの姿に、マッハで羞恥心を刺激され、俺も赤くなって両手で股間を隠しつつしゃがんだ。
「やっ……やめろよ!そういう反応すんなよ! こっちも恥ずかしくなるだろうが!」
「お前は恥ずかしがれよ! 最初から!」
「知らねーよ! 男同士だろうがー!」
「いいから風呂入れよ!」
「外れねーんだよコレが! ブラジャーが!」
「やめろ! 解説すんな!」
ユウが俺に尻を向けながら絶叫する度に、俺の羞恥心が刺激され、俺は顔どころか全身真っ赤になってんじゃないかってぐらいに血が激しく巡った。俺もユウの方を向けなくなり、背を向けざるを得なかった。
ようやく風呂に入れた後も、気苦労は絶えない。ブラジャーのとれた胸はすさまじい解放感につつまれ、ピンク色の乳首が俺の視線を釘付けにした。よくいままであんなもん着けて平気でいられたな俺。しかしこの胸。おっぱいだ! 女の!
軽く揉んでみた。おおぅっ、やわらけー……。すげえ……。心地いい指先の感触。なんだか落ち着くなー……。でも別に気持ちよくなったりはしないな。なんだ? 揉み方が悪いのか? 自分の胸だからか?
「問題ねえかー?」
外からユウの声が響いた瞬間、俺の心臓がドキッと一際大きく鼓動した。
「なっ……ななななんにも!?」
「そうか」
足音が遠ざかるまで、俺は彫刻のように固まっていた。……び、ビックリした……。驚かせんなよ……。ったくユウのやつ、少しはデリカシーってものを……。
「んっ」
揉んでる最中にユウの顔が浮かんだ瞬間、体に電撃が走った。こっ……れは……。
(……)
人知れずまた真っ赤になった俺は、洗面器で湯をすくい、頭からかぶった。
(な……なんだよ今の……なんで……)
一瞬、気持ちよくなれた……けど、よりにもよってあいつの顔が浮かんだ瞬間なんて……くそっ、最悪だ。ていうか、なんか変だぞ俺。あーもう。俺もあいつも男なのに。段々自分が信じられなくなってきた。
俺は煩悩を振り払うかのように大急ぎで体を洗った。股間のアレを弄る勇気は湧いてこなかった。第一人んちだしな……。あんま長風呂してるとユウに変な勘違いされそうだし……。
下着の替えはないので、俺はノーブラでユウのシャツ一枚だけ羽織ってリビングに戻った。パンツだけはまだあいつが履いてなかった奴をもらったが、いかんせんサイスが合わず、抑えてないとずり落ちる。
「出たぞー」
「おっ、わかっ……た……」
ユウはまた俺の顔をみるなり、赤くなって顔を背けた。それを見ると急に気恥ずかしくなって、俺も背を曲げて言った。
「だからやめろって、そういう反応!」
夜、ユウはベッドを俺に譲り、ソファで寝ることを選んだ。
「お休みー」「おー」
見慣れた部屋のベッドに転がり、明かりを消すと、今日一日の出来事が頭を駆け巡った。女になって、一緒に家でて、クラスの連中の前でネカマぶって、元に戻れなくなって、風呂はいって、ユウのベッドで寝る。あー……全部今日一日のことだったのか? どうにも信じられんな……。
(……)
ふと何気なく、俺は横を向き、枕の匂いを嗅いだ。おっ、あいつの匂いが……って何やってんだ俺は! ホモの変態か!
下でユウが動く音が聞こえた。あいつも寝るか。そうだそうだ、これ以上おかしなことを考えないうちに寝ちまおう……。第一あいつもあいつだよ、風呂入るところから完全に俺を女として見てんじゃねえか。そりゃまあいきなりほぼ全裸で出てった俺も悪いかもしれねえけどさ……。あ、そういえばこの体はあいつが設定した理想の彼女キャラなんだっけ。それじゃあ動揺ぐらいするか。うん、俺が悪……いのか……?
(……)
寝静まった静かな家の中で、動く者は俺一人だった。ユウはもう寝付いたかな……。その時、一階から人の動く気配がした。ん? これは……階段を……昇ってくる!?
(は? え? 何で?)
俺は赤面して顔を逸らすユウの姿を思い出した。まさかあいつ……俺を襲ったりは……。
(いやいやいやまさか。ない。ないって!)
俺は布団を頭から被ってドアに背を向けるように寝返りを打った。何変な妄想してんだ俺は……。でも心臓がいつになく強く脈打つのがハッキリとわかる。なんでそんなドキドキしてんだ俺……。何よりも驚くべきことは、この鼓動が恐怖に裏打ちされたものではないということ。その感情を俺は認めたくなかった。
ドアが開いた。
(は……入ってきた!?)
俺は息を殺して成り行きを伺った。もう心臓がはちきれそうだった。頬っぺたからも脈動がわかるぐらい。
ユウは明かりをつけずにベッドに近づいてきた。
(くっ……)
「わりい。一枚ちょっと」
あっけらかんとした調子でそう言うと、ユウは押入れから何かを……多分タオルケットかなんか……を取り出し、そのまま俺から離れていった。だ……だよな~! うん! ああよかった。いや、俺がおかしかったな。いやでもお前が変な反応するからだぞ。
「翼。今日はホント悪かったな。サンキュ」
「……」
「お休み」
それだけ言って、ユウは一階に降りていった。
(何だよ……)
俺はユウの掛布団を強く握りしめた。心臓が次第に落ち着くのと反比例するかのように、俺の心が温まっていく。馬鹿。なんでこんなに嬉しく感じるんだ……。
朝。幸いカノジョツクールのメンテが終わっていたので、俺は無事元に戻ることができた。服も問題なし。
「いやー、一時はどうなることかと思ったわ」
「いやー、ホントすごかったな昨日は。だってお前下丸出しで……」
「殺すぞ」
「おーこわ」
昨日までの感情は嘘のように消え去り、俺はいつものようにユウと接することができた。カノジョツクールか。体や声だけじゃなく、あいつの彼女って設定も、ひょっとしたら反映されていたのかもしれねえな……。
「俺の顔なんかついてるか?」
ユウが訊いてきた。いつの間にかずっと見ていたらしい。
「別に」
とりあえず今のところは、その日を最後に彼女役をやらされることはなくなった。頼まれてもやらねーが。
谷崎は彼女持ちということになってしまったので、彼女を作れなくなったとよく俺に愚痴るようになった。その度に俺は
「別れたってことにすりゃいーじゃん」
と言うのだが、何故だかそれは気に召さないらしい。まあすぐ別れたんじゃ女子の印象が悪くなるかもな。うん。それだけの理由だろう、きっと。
「ところでさ、同じ会社が新作リリースしたんだ」
「ふうん」
「アイドルツクールっていうんだけど……」
ユウが差し出したスマホには、どこかで見た顔の女がフリフリ衣装で踊っている様子が映し出されていた。
「3Dだから入っても面白……」
「ぜってーに! やらねえからな!」