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(お?) ゲームを買いに訪れた中古ショップ。軽く立ち読みもしようと漫画コーナーへ向かった時、俺は棚の一点に視線を釘付けされ、足を止めた。通り過ぎるだけのはずだった中古フィギュアの棚に、見るからに出来のいい逸品が紛れ込んでいたからだ。箱もないむき出しの中古品なのに、新品よりも美しく、遥かに精緻な表現で造形されている。こんなフィギュアは見たことがない。近寄ってよく観察すると、瞳が本当に瞳のように見えた。プリントではない。目の形に造形したのでもない。眼球がある。とても細くて、触れれば壊してしまいそうな眉毛も。勿論、生きた生物の眼球ではない……はず。漫画のような表現でキラキラしているし、顔の肌は一点の曇りもない肌色一色で樹脂のよう。眼球も同じ素材に見える。ただ、全体がツルツルテカテカしていてコーティングされているように見えるのが気になった。何だろう、このフィギュアは……。流れるような金髪の髪、やや等身が低く肉付きの良いリアルな体型。真顔というのか無表情というのか、何も期待をしていなさそうな顔。知らないキャラだ。名前がわからない。服装もいたって平凡なセーラー服なので、登場作品どころかジャンル名すらわからない。 ただ、このフィギュアはおかしい。それだけはわかった。俺はフィギュアに詳しくない。買ったこともない。でも、見るからに周りのフィギュアたちから浮いて異彩を放っている。神経を集中し髪を凝視すると、驚くことに髪がちゃんと髪になっていることにも気づいた。信じられないぐらい細い線の束だ。こういう形に造形した樹脂を黄色く塗ったものじゃない。でも、本当にこんな細長い樹脂の線なら、ちょっと揺れるだけでバキボキ折れて禿げ上がってしまいそうだが……。普通のフィギュアと同様に、現実ではありえないくらい長い彼女の髪の毛は、ふんわり広がったままその形状を維持して動かない。 直後、俺はまた衝撃を受けた。値札シールが貼ってある。本体に、直接! しかも……安い! 周りの中古フィギュアたちの半額以下だ! (嘘だろ!?) こんな雑に扱っていいのか!? 素人でもこのフィギュアが異常な高級品だということだけはわかりそうなものだが……本当は安物なのか? いや……ありえないだろう。この子の倍以上する他の中古たちは、どう見てもこの子よりクオリティが高いとは思えなかった。相当のボンクラ店員が適当な仕事をしたのだろうか。だとしたらこれは……掘り出し物ってやつかもしれない。 欲しい。いや……違う。救いたい。この世の過ちを正したい。俺は自分でも理解しがたい感情を抱いた。この子はこんな所でこんな雑に扱われていい存在じゃない。この仕打ちはあんまりだ。頭の中が理不尽への憤りでいっぱいになり、気づけば俺はこの中古フィギュアを手に取り、レジへ向かっていた。当初買う予定だったゲームのことなど、頭から消え失せていた。 「あっ……これですか……」 レジに現れた俺を見るなり、店員は顔をしかめた。なんだその態度。奥にいた別の店員も振り返るなり眉をひそめやがる。 「お客様、えっと……これ、何のフィギュアがご存知ですか?」 しかも不躾な質問が始まった。知ってるキャラのフィギュアしか買っちゃダメなのか? 意味わかんねえよお前ら。 「いえ……何のキャラなんですか?」 「あぁ、やっぱり」 店員はため息をついた後、ちょっと小さい声で話しだした。このフィギュアは……呪いのフィギュアと噂でたらい回しなんですよ、と。 「はぃ……?」 俺は困惑した。間違って高級品を安売りしてたのに気づいて売りたくなくなったのかと思ったが、店員からは慌てるような態度はまるで感じられず、それどころか「バカやろうとしているこのアホを止めるにはどうしたらいいかなあ」とでも言いたげに悩む素振りを見せて、俺の神経を逆なでた。 曰く、このフィギュアは何回売ってもまた戻ってくる。買った客が売りにくることもあれば、いつの間にかフィギュアが店に戻ってくることすらあると。買った人間は皆同じ事を言う。このフィギュアは生きている、或いは呪われていると。見ていない間に勝手に動いたりメッセージを残したりするらしい。それで誰もが気味悪がって手放すのだ。この辺のフィギュアオタクの間では有名な話であり、今ではすっかり買い手がつかなくなった。 「クオリティはすごいんですけどねえ……」 店員は再度ため息をついて話を締めくくった。俄かには信じがたい話だが……。こんな高級で手の込んだフィギュアがこの値段で雑に扱われていることの説明は、なるほど確かに「いわくつき」でしか説明できないかもしれない。 俺は製造元と、そもそも何の作品のなんというキャラのフィギュアなのかを尋ねてみたが、それもわからない、と。ただ、異常によくできた金髪の女の子のフィギュアだということしかわかっていないらしい。おいおいそんな無茶な。製造元もよくわからない。おそらくは個人製作なのではないか、と店員は述べた。 「うーん……」 呪いのフィギュア……ねえ。まさかそんなけったいな代物だったとは。しかし面白い。俺はこのフィギュアが本当に動いたりするのか確かめてみたくなった。動いたらすごくね? そもそも、生きてるフィギュアとかってどっちかというと嬉しい類のものじゃないか? なんで歴代の持ち主たちは怖がったんだ。日本人形とかなら怖いのもわかるが。 呪われているらしいフィギュアを眺めていると、目が合った。俺は一瞬固まった。その硬い眼球に俺は視線を……意志を垣間見たような気がして。皺も体毛もなければ血管も見えない樹脂の塊のはずなのに、何だか人間みたいな生気を感じる。さっきの話を聞いてしまったからだろうか……。アニメ調の美少女フィギュアとはいえ、勝手に動いたりしていたら確かに怖いのかもしれない……。むむ。 (よし) 俺は決心した。 「買います」 どうせ大した出費じゃないしな。ダメなら売ればいいし、万が一動いたら……色々考えられるな。配信デビューでもするか。いや……お寺にでも持ち込むかな。 店員は淡々としたもので、それ以上止めようとはしなかった。きっと毎回のことなのだろう。自分は大丈夫と言ってこの子が買われていくのは。 狭い1LDKの自宅に、俺は生まれて初めてのフィギュアをお迎えした。それがまさか呪いのフィギュアになるとは思ってもみなかったが。値札シールを剥がして棚の上に。体長二十五センチぐらいのフィギュアは中々の存在感を放っている。どこに置いても視線を吸い寄せる。何だか落ち着かなかった。家の中に女の子がいるような気がして。たかがフィギュアにそんな気持ちになる自分がキモかったが、仕方がない。だってこのフィギュアは本当に気配というかオーラがあるのだ。棚の上に設置した金髪セーラー服のフィギュアは、真顔で虚空を見つめたままうんともすんとも言わないが。ジッと見ていると、動くわけないと思う自分、これほどのフィギュアなら動いてもおかしくないかもなと感じる自分がせめぎ合いだす。 (見ていない時に動く、だったな) あの店員の話を全部信じるわけでもないが……動くとしたら今日の深夜になるのだろうか。1LDKだから別の部屋にいって様子をみるってわけにもいかない。一応、俺がトイレから戻った時には動いた気配はなかった。変わらぬ真顔で突っ立ったままだ。フィギュアはフィギュアか。 その日の夜はちょっと興奮して寝付けなかった。動いたらどうする? いや……流石にこの歳になって「夜にお人形が動くかも!」とか考えるのもどうかな。まあ店員のふかしだったとしても、安い値段でハイクオリティなフィギュアを手に入れられたと思えば損はナシか。どう転んでもな。……呪い殺されたりとかしなければ。 翌朝。俺が朝食を準備して床に座った時、昨日寝る前に期待していたことを思い出した。例のフィギュアは。見ると、棚の上に飾っていたはずのフィギュアが忽然と姿を消していた。 (!?) 記憶違い……のはずはない。確かにそこに……まさか夜に泥棒でも入ったのか。立ち上がった瞬間、見つけた。ベッドの上に転がる金髪の小さな女の子を。布団の上に横たわり、目を閉じて寝ている……ポーズの金髪セーラー服フィギュア。恐る恐る触ってみると、硬い樹脂だった。このフィギュアは単なるフィギュアであり、アクションフィギュアじゃない。従ってポーズを変えられるはずがない。表情だって。だって動かすための関節なんてないのだ。瞼の開閉ギミックも。しかし……このフィギュア、いやこの子は……気持ちよさそうに寝ている。布団の上に長い金髪を水たまりのように広げながら。 手に取って持ち上げた。軽く手足を動かそうとしてみたが、一切動かせない。やはり……アクションフィギュアではない。最初からこのポーズで造形された樹脂の塊にしか……。髪も布団の上で広がった形のまま維持されている。まごうことなき「寝ている女の子のフィギュア」だった。でも……昨日買った時は直立していて、目も開いていたはずなのに。 常識で考えてみれば、寝ている間に別のフィギュアとすり替わったか、俺の記憶違いしかありえない。しかし……せっかく夜に侵入を果たしてやることがフィギュアの交換だなんてふざけている。学生同士の悪ふざけならともかく……。一応貴重品を軽く確認してみたが、盗られた気配はなかった。 このフィギュアは……生きているのだろうか。本当に。 まさかたった一夜でこのような結果が出るとは思わなかった。ど……どうすればいいんだ。しかし会社に行かなくてはならない。でも……意志を持ったフィギュアを自宅に放置したまま出かけていいものなのだろうか。いやまだそうと決まったわけでは……。 混乱している間に時間が切迫したので、俺はやむなく家を出た。後ろ髪を引かれる思いだったが仕方がない。しかしまさか……呪いのフィギュアか。俺呪われたのかな……大丈夫かな……。 その日一日、俺はもう恐ろしいフィギュアのことで頭がいっぱいで、仕事が手につかなかった。なるほど、怖いな。生物でない存在が生きて動く、それも見えない間に……となれば。歴代の持ち主が手放したのも頷ける。美少女フィギュアが動くなんて人類の夢だろなんて軽く考えていた昨日の自分が酷く愚かに思えた。 家に飛んで帰ると、フィギュアはまたもポーズと位置を変えていた。棚の上に戻っていたが、両足を前に伸ばして座り込んでいる。手に取ると、その姿勢のまま宙に揺らすことができた。足が重力に従い下がったりしない。やはり最初から座った姿勢で造形されているとしか……。いや、ありえない。もしも誰かが侵入してフィギュアを取り換える悪戯をしているんだと仮定しても……このクオリティのフィギュアを一体何体用意せねばならんのだ、何故そんな悪戯をする必要があるという問題がある。この子が見た目通りの値を持つ高級品であれば脅かして安く買い戻すというビジネスもあり得るのかもしれないが……残念ながら、こいつは小学生でも買えるお値段で雑に中古として売りに出されていた安物だ。他に考えられる説明は……ロボット? しかし触った感じでは関節がないはず。動くはずがないんだ……。第一そんなクオリティのロボットか何かなら、やはり安値で場末の中古ショップに売られていることは考えにくい……。 であればやはり……物理的に、常識的にありえないことではあるが……これしか可能性は残らない。 (この子……「生きてる」のか) それからは、奇妙な同居生活……というのか何なのか、意志を持っているらしい美少女フィギュアが家にいる暮らしが始まった。冷蔵庫の中身を毎日チェックしてみたが、この子が食事をしている様子はない。フィギュアに似た小人、ではないらしい。しっかしどうやって生きているのか……。本当に美少女フィギュアが魂か何か宿した存在だというのだろうか。飲み食いせずに生きる非生物存在。底知れぬ恐怖と常に隣り合わせだった。しかし……また店に売りに行くのは絶対に嫌だった。あの店員が「やっぱこうなりましたか」と言いたげにニヤッとするところを想像するとムカムカする。 そして、俺は時たま声に出してフィギュアに話しかけてみた。君は誰なのか、何がしたいのか。しかしフィギュアは俺の前で動き出すことは絶対になく、いつも静かに固まったままだった。美少女フィギュアに話しかけているところを誰かに見られたら狂人認定されそうだ。俺は一人で頭を抱えた。くそ……。どうする。カメラを設置して動いているところを撮影しようと何度も考えたが、流石に出費が馬鹿にならないので踏み切れない。こいつが夜な夜な金を盗むとか、俺に危害を加えるとかならそうすべきだったろうが……。特に何もしてこない。ただ、夜や出勤中に動いているらしい、ただそれだけの存在なのだ。こいつは一体何がしたいのやら……。 フィギュアが見ていないところで動いているかもしれないんです、なんて誰にも相談できない。一方的に俺が神経をすり減らすだけの日々だった。フィギュアが生きて動いたらいいのに、なんて漫画アニメだけの話だな。現実にやられると恐怖しかない。せめてアクションフィギュアであってくれればいくらか恐怖は軽減されたかもしれないが……。なんでカッチリ固まったポーズ固定式のフィギュアなのに動くんだよ。生物じゃないのに生きてるんだよ。知能があるなら筆談でコミュニケーションとってきてもよさそうなもんだ。何故しない。 恐怖とはすなわち未知への畏れであると、どこかで聞いたような気がする。理解の埒外にいる存在が身近にい続けるというのは、まさしく根源的な恐怖体験なのかもしれない。毎晩家に幽霊が出る、みたいな。 ある日、半ば観念して中古ショップを訪れた時、俺はずっと基本的なところを見落としていることに気づいた。そういえばあいつ、セーラー服を「着ている」な、という点に。店に並ぶ中古のフィギュアたちは、服も体と同じ樹脂製だ。硬くて脱がせられない。キャストオフできるところはあるが、要するにパーツが取り外せるというだけで服を着ているとは言えないだろう。 家に帰ってみると、うちのフィギュアが着ているセーラー服は、服だった。てっきり樹脂の塊だとばかり思っていたものの、触ってみると柔軟で、非常に薄い代物だった。樹脂の質感を持った布……そんなもんがあるのだろうか。俺は服を脱がそうと試みた。が、本体の手足が動かせないので着せ替え人形のように脱がすことができない。 (仕方がない……) 最終手段だ。俺はハサミで彼女の服を……切ってしまった。樹脂がハサミでサクっと切れた瞬間は、視覚情報と実際の出来事がかみ合わず頭が困惑した。 (おお……) セーラー服の残骸を全て取っ払うと、一糸まとわぬ全裸となった金髪の美少女フィギュアが姿を現した。下着はなかったようだ。そりゃそうだと言いたい気持ち、なんで着ていないのか疑問に思う気持ちが両方湧く。 彼女の裸体はやはり、肌色一色の樹脂製で、乳首もあそこも存在しないマネキンのようなボディだったが、妙な背徳感を覚えた。そして……何故だか彼女が怒っているかのように感じて申し訳なくなってしまった。表情も手足も一ミリも動いてはいないのに。 翌朝になると、彼女はこれまでにない強い反応を示した。両腕で胸と股間を隠しながら、ちょっと涙目で怒りを滲ませた表情に変わっていたのだ。やっぱりそうだ。彼女は生きている。感情があるのだ。人間のような……。 裸のままでいさせるのは流石に可哀相なので、俺はちょっとフィギュアの服について調べてみた。すると、樹脂っぽい質感の服を生成できる機械を発見。専用の繊維を人形に吹き付けることで、ジャストフィットの衣装を好きに作れるという代物だ。写真を見る限り、彼女が着ていたセーラー服もこの繊維に違いない。かなり値が張るが……。俺は彼女にやったセクハラの埋め合わせとして、その「プリンター」を購入してしまった。これで許してくれよ、頼むから。 数日後、届いた人形用の衣装プリンターの中に彼女を突っ込み、スイッチを入れた。まずはデフォルトで用意されていたメイド服。しばらく待つと電子レンジのようなチーンという音と共に、蓋のロックが解除された。開けて中身を見てみると、そこにはリボンとレースをふんだんに取り入れた可愛らしいメイド服に身を包んだ金髪の美少女フィギュアが鎮座していた。彼女のポーズと表情は全く変動していないが、服はしっかりと着こまれている。膝まである白いニーハイソックスも、肘まで覆う長い白手袋も、頭に乗っかったヘッドドレスも。こりゃすごいな。 中から取り出し棚に置く。最初からこのデザインで作られたフィギュアだと聞けば、誰もがそう思うに違いない。生成されたメイド服はぱっと見体と同じ樹脂製に見えるので、違和感が全くない。しかし指先で触れてみると布だった。最初に着ていたセーラー服と同じ。前の持ち主もこの装置でセーラー服を生成してあげたのだろうか。 次の服を作ろうと、俺はプリンターの設定をバニーガールにセットした。が、彼女を突っ込もうとした時、ある問題に気づいた。脱がせない。彼女の手足を動かせないので、服を破壊しなければどうにもならないのだ。 (一日一回、か……) 服を増やすには彼女に……自主的に脱いでもらわないといけないが、うーん……どうしよう。俺は口頭で伝えてみたが、彼女が理解したかはわからない。理解した上で、賛成して従ってくれるかも。 翌朝、丁寧に折りたたんだメイド服を脇に置き、胸と股間を隠しつつも直立して固まっている彼女の姿が棚にあった。羞恥と期待がない交ぜになった複雑そうな表情を浮かべている。 バニーガールにしてあげてから出社したが、帰ってくると脱がれていた。姿勢は朝とあまり違わないが、表情はちょっと怒りが増しているように見える。バニーガールはお気に召さなかったらしい。それじゃあと新たにアイドル衣装を生成した。反応が返ってくるまであと……翌朝だから十二時間近いな。まるで宇宙との交信だな。 次の日目覚めると、彼女はまたも自ら全裸になっていたが、表情はだいぶ穏やかだった。アイドル衣装はオーケーだったらしい。 それからしばらくは、家に帰ると彼女が全裸で待っているようになった。楽しくなってきた俺はネットから衣装データを探しながら、色々作ってやった。もとのセーラー服、魔法少女、マジシャン、振袖、ブラウス、ワンピース……。徐々に彼女の羞恥心も薄れてきたのか、子供みたいな期待の眼差しで全裸のまま固まっている彼女の姿を見ると可笑しくて笑いもこぼれる。 一か月したら、服の生成は一旦取りやめた。彼女は毎回いろんな服装とポーズで俺を出迎えてくれるようになり、俺は家に帰るのが楽しみになった。こうなるともはや恐怖など微塵も感じず、可愛いペットとしか思わなくなっていた。生きてるフィギュア、いいじゃないか。彼女が結局何者なのかはわからないが……些細なことじゃないか。 家に帰れば可愛い美少女フィギュアのペットが笑顔で可愛いコスプレして待っている。日々の暮らしが楽しくなった俺は、気づかないうちに余裕がにじみ出て印象が良くなったらしい。大学以来の彼女ができた。あのフィギュアは呪いどころか福の神だな。そう思っていたものの、二つの幸福はどうやら二者択一だったらしく、俺は選択を迫られた。彼女を家に招くようになってから、フィギュアの表情は少し固くなるし、俺が生きたフィギュアをペットにしていることを知った彼女は……それを捨てるよう強く主張した。呪いの人形に決まってる、気持ちが悪い、早く捨てて……。 何も悪さはしないし飼育の手間もかからないし、可愛いんだからインテリアとして置いとけばいいじゃないかと俺は言ったが、フィギュアに話しかけてるのが気持ち悪いとか人形が生きてるのがそもそも意味不明で不気味すぎると、彼女は退かなかった。確かに、そう言われればそうなんだが。でも女の子って着せ替え人形とか結構好きなんじゃないのか、ここまで嫌う理由がよくわからん。フィギュアもコスプレ染みた衣装は何故かあんまり着なくなり、現実にありそうな、落ち着いた服装を好むようになった。彼女が家に来ると不思議と空気が悪くなるため、俺の方が彼女の家に行くことが多くなった。帰ってくるとフィギュアはどことなく寂しそうな表情で固まっていて、俺の胸は痛んだ。 俺としては家に置いておきたかったのだが、彼女はどうしてもこの件に関してだけは折れてくれず、とうとう勝手にフィギュアをどこぞのお寺に持っていこうとする事件を起こした。それが決定打となって、俺は結局折れる他なくなった。フィギュアを……あの子を死なせたくはなかったからだ。そして、それ以外に関してはとても上手くいっていたので、俺はどうしても彼女と結婚もしたかった。結局二人は両立しないのだと悟り、フィギュアの方を手放すことに決めた。苦渋の決断だったが……。 できれば二人仲良くなってフィギュアの子とも一緒に暮らしたい。しかし……俺のいないうちに勝手に捨てられたりしたらお終いだ。あの子は……「死んで」しまうだろう。こっそり物置とかに隠しておいても……フィギュアに苦しい生活を強いることになるし、見つかればタダではすむまい。この子を生かしてやるためには、辛いけど別れるしかない。俺はそう結論付けて、フィギュアにも口頭でハッキリ伝えた。次の日曜に売りに行くということと、これまで楽しませてもらえたことへのお礼を。 フィギュアがどんな気持ちで俺の言葉を聞いていたのかはわからない。この子は結局、何故か俺と筆談等でコミュニケーションをとってくることもなかった。もし筆談ができたら、彼女と直接交流できたら、違う未来もあったかもしれないのに……何故だろう。筆談できる知能があるのは絶対に間違いないのだが。何かできない理由でもあったのだろうか……。 運命の日曜日。朝起きると、フィギュアはまるで一晩中泣き明かしたみたいに目が腫れていた。そして、両脚を閉じて直立し、スカートの前で両手を重ねた姿勢で固まっていた。売りやすい、持ち運びしやすいポーズをわざわざ取ってくれたのだろうか……。着ている服は俺が初めて作ってあげたメイド服だった。心が痛くて直視できず、俺は目を逸らしながら何度も謝った。本当にごめん、と……。 中古ショップの店員は、俺がこのフィギュアを買った時のあの店員だった。一年ぶりだろうか……。フィギュアを売りたいと言って例のフィギュアをカウンターに置くと、店員は忘れかけていた化け物と遭遇したかのように目を見開いて驚き、慄いた。それからハァーっとこれ見よがしな大きな息を吐いて、一歩も動かず何も見ずに「五百円です」と言い放った。 (ごひゃく……えん……) この一年のこの子との暮らしを思い出した。五百円かぁ……そうかあ。この子は……生きて、感情をもって、可愛い服が大好きな、この子は……俺との一年は……ワンコインか。ああそうかい。 買い取りを終えても、俺はしばらくカウンターの前から動けなかった。この子を売って手に入れた五百円玉は、財布に入れられず握りしめたままポケットの中に手を突っ込んだ。腫れた目でジッと前を見つめ続けるメイドフィギュアを見下ろしながら、俺はこの子の価値は五百円なんかじゃないとずっと心の中で叫び続けた。でも、この子と引き換えに俺の手中に収まったのは、何故か一枚の五百円玉しかない。 「まだ何か?」 「あ、いえ……」 俺はフラフラとカウンターから離れた。お別れだ。もうあの子は俺の物じゃない。でも俺は未練がましく店を出ることができなかった。店員が無造作に彼女のスカートに値札シールを直接貼り付けて、中古フィギュアの棚に赴き、箱にも入れず無造作に空いたスペースに突っ込むのを少し遠くから見届けた。なんて雑な扱いだ。本来の中古フィギュアならもっと……。生きていないフィギュアの方が、どうして丁寧に扱われるのだろう。世の中間違っている。何もかもが……。でも俺には何も言う資格がない。俺は彼女を売ったのだから。 店員が離れていくのを見計らい、俺は棚に近づいた。誰にも聞こえないよう彼女に顔を近づけ小声で最後の別れを囁いた。これまでありがとう、さようなら。 フィギュアは一切表情を変えず、身動きもしなかった。最初からこの姿で成形された樹脂の塊であるかのように。 店を出ると、急に全てが夢だったかのように思えてきた。フィギュアが生きていた……なんて、ありえない話じゃないか。何でそんなことが……起きて、そして俺は……手放したんだろう。もう確認することはできない。いや、思い返してみれば、彼女が動くところはついぞ目撃できなかった。ひょっとしたら全部俺の妄想だったんじゃないか。出来のいいフィギュアを安く手に入れたもんでテンションが上がっちゃって……。 いや……それはない。彼女は確かに生きていて、この一年、俺に夢を見せてくれていた。楽しい夢を、それは、それだけは間違いない。でも……フィギュアとは結婚できないんだ。仕方がなかったんだ。そう自分に言い聞かせながら俺は帰路についた。きっと二度とこの中古ショップに俺は足を運べないだろう……。彼女がまた心優しい誰かに買われて、幸せになってくれることを祈るばかりだ。 冬の寒さにかじかむ手の中に、いつまでも五百円玉の硬い感触が食い込み続けた。

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