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ダークネットから得られた情報によると、マイライフカードは既に割られているらしい。これが本当だとしたらスクープだ。私は早速、この件を探ってみることに決めた。 二十年前から導入されたマイライフカードは、全ての個人情報が集積された身分証だ。生年月日に学歴、勤務先、賞罰、各種手続き用の個人番号がこれ一枚に記載されている。親世代ではこのおかげで、昔は面倒だったらしい役所の手続きも随分簡略化されたともっぱらの噂だ。何か変更点があれば、申請すれば即反映されるし、今やほとんどのことは申請しなくても自動でやってくれる。昔は引っ越す度に役所へ行ったり、ライフラインの契約解約なんかをしたりしなくてはならなかったらしい。年金を受給開始するにも一々申請に行き、しかも何か月も待たなければ支給されなかったとか……。体験談を聞くたび、そんな時代に生まれなくてよかったと思う。まあカードと言っても実際には端末で、情報は全て専用施設の中にある。カードはそこの情報を表示してくれているだけだ。とはいえやはり、失くしたり盗まれたりすると大変だ。だから最近は物理的なカードは返却しちゃって、電脳化の際に組み込んでしまう人も増えている。私もその一人。手の平をかざすと浮かび上がる。見たい自分の情報は声に出せばいい。電脳化している場合は考えるだけでも見られる。 いまや社会インフラとなったこのシステム。政府によると、マイライフカードのセキュリティは万全で、この二十年間情報流出やハッキングなどの例は一度も起きていないという。だが、私がさる情報筋から掴んだところによれば、このカードのサーバーは、一部地域ではとっくに外部からの侵入を許しており、何軒も書き換え被害が起こっているという。政府はそれを隠蔽し、なかったことにしているのだ。これが事実であったならば、そしてそれを記事にできれば、世間は天地をひっくり返したような大騒ぎになるだろう。私も一躍スター記者の仲間入りだ。 が、しかし、上司や同僚は「ありえない」と一笑に付す。いつもはほとんど陰謀論みたいな主張を振りかざす人でも、カードの書き換えに関しては「そりゃねーよ」の一点張りだ。二十年ミスなく運用されてきた実績は重い。多くの人がカードの便利さに慣れ切って、それのない生活というのは想像できないのだろう。したくないのかもしれない。だからこそ調べてみる価値がある。 私一人なので中々大変だったが、どうにかこうにか、事情通の一人と接触できた。彼は学歴の書き換えという商売をやっているそうだ。親世代では大学で発行した紙を使っていたらしいが、いまは全部カードで確認するから、まずバレないらしい。それどころか、今やどの機関でもカードの方を確認して、自分のところのデータがおかしくなっていないかチェックするのが普通になっているので、カードさえ書き換えれば、そのうち大学側にも本物の在籍記録が誕生するのだとか。全く信じがたい話だ。本当なら一大スキャンダルになる。経歴詐称で美味しい思いをしているヤツも大勢いるに違いない。この話が真実であるかどうか、確かめる手段は一つ。私は彼に、経歴の書き換えを依頼してみることに決めた。出来ればこっちの個人情報を明かすのは避けたかったけど、今時は偽名一つ使えない世の中だから、しようがない。話は意外にもスムーズに進み、東大卒にしてくれることに決まったが、何故かリアルで会うのが条件となった。そんな必要ある? しかし、こんなところで諦めても仕方がない。私はその条件を承諾した。一対一という条件だけど、律儀に守る必要もあるまい。こっそり何人かついてきてもらおう。成功すればスクープだ。 日付が変わる少し前。人気のない波止場で、私はハッカーを待った。倉庫の影には同僚が二人待機しているので、万一何かあっても大丈夫……なはず。録音もしてるし。 約束の時間から十五分ほど過ぎた後、人影が近づいてきた。特に周囲を警戒するような素振りもなく、堂々と歩いてくる。 「調子は?」 「固めです」 どうやら、この人がハッカーらしい。彼は大きなコートに体を埋めており、暗いのも手伝って体格がよくわからない。サングラスに深く被った帽子で、顔の印象もよくわからない。 「本人確認を」 私は右手を開き、マイライフカードのAR映像を投影してみせた。 「認証を」 男はコートの内側からタブレットを取り出した。スキャン用のカメラが既に起動している。私は人差し指をカメラに向けた。 「では、東大に」 彼はその場に座り込み、タブレットで作業を開始した。え? ここでやるの? そんな簡単に? まさか……。 私は自分のカード像を再度呼び出した。英弘六年三月、龍谷大学卒……。まさかこの学歴が、本当にハッキングされて書き換えられてしまうのだろうか。それもこんな波止場で、お手軽に。騙されているんじゃないだろうか。みんなの言う通り、やっぱりマイラのハッキングなんて不可能……。 「完了」 男がそう呟いた瞬間、私はドキッとした。表示を更新。さてどうなる……? 信じられないことがおこった。カードに表示された私の学歴は、同じ時期に東京大学を卒業したことに書き換わっていたのだ! 「えっ……えっ!?」 私が固まっている間に、男は素早く機器をしまい込み、背中を向けた。 「あっ!? あの、お代……」 「結構です」 「えっ!?」 私は指定された額の現金を用意してきていたのだが、何故か彼は受け取ろうともせず、足早に走り去ってしまった。呆気に取られていると、同僚二人が姿を現した。 「ほらな、嘘だったろ?」 「マイラのハックなんてできっこねーのよ」 私が金を渡さなかったので、嘘だったと判断したらしい。私は自分のカードを二人につきつけた。 「いいえ。噂は本当でした。マイラのセキュリティはとっくに破られてる」 二人は私の学歴を見て目を見張った。ざまあみろ。私が正しかった。これはぜひとももっと調べて、大きな記事に……。 「すげー! お前東大卒だったのかよ!?」 「は?」 彼らは口々に賞賛や軽い憎まれ口を叩いた。冗談……かと思ったものの、違うっぽい。二人とも、本気で言っている。信じられない。 「え? いや、私、龍谷ですけど。事前に言ってましたよね? 見せましたよね?」 「ん? あー、そういえばそうだっけ?」 ほっ。よかった。早とちりか。 「なんで隠すんだよー、最初から東大だって言えよ。別に俺たち……」 「えっ!? いや、ちょ!?」 私は改めて説明し直さなければならなかった。私は龍谷卒で、東大卒ではないこと。そしてこれは、学歴を書き換える実験であること……。それは最初から周知していたのに、二人とも覚えて……はいるようだが、何故か最初から私が東大卒だったと考えているらしい。なんじゃそりゃ。ありえん。 「疲れてるんじゃないですか? 大丈夫です?」 「いや、だってカードに東大って書いてあるんだから、東大卒なんだろ?」 「だーかーらぁー、それを今目の前で書き換えたんじゃないですかー!」 「あのなー、マイラのハッキングは理論上不可能なんだぞ。常識だろ?」 暖簾に腕押し、糠に釘だった。録音を聞かせても、二人とも怪訝な表情を浮かべて、ピンとこない、って風だ。見ていた筈なのに。説明もしたのに。どうして理解できないんだろう。この人たち、私よりいいとこでてて、頭いいはずなのになぁ……。仕事だって……。 埒が明かないので、その日は解散して帰宅した。しかし怒りと激しい苛立ちはおさまらない。「マイライフカードはハッキングできない」という思い込み、先入観は、そんなに強固なものなんだろうか? 二人とも、他の事件では政府や大企業相手にグイグイ突っ込んでいくタイプで、尊敬していたのに。明らかに異常だ。……関係者からお金でも貰ってるんだろうか? だとしたらもっと前に止めてるか……。わからない。私だけよく似た異世界に転移したんじゃないかと思うほど。まあいいや、会社の書類や大学の記録ではまだ龍谷卒のはずだ。明日会社で改めて真実を突き付けてやろう。 翌日。いつもと変わらない朝だった。家を出るまでは。駐車場の車に向かっていたはずの足は、いつの間にかバス停に向かっていた。 (あれ?) なんでバス停なんかに……。寝ぼけているのだろうか。駐車場に戻らなくちゃ。私は体の向きを変えようとした。しかし、何故かできなかった。 (あ……あれ?) 体が……体がいうことをきかない!? いやまさか、ありえない。疲れているんだろう。昨日いろいろあったから。でも、何度試しても同じだった。体の向きを変えられない。家に戻れない。それどころか、歩みを止めることもできない。疲労や寝ぼけじゃない。異常が生じている。私の体に。 (ど……どうしよう。誰か……) 助けを求めようかとも思ったけど、あまりにも状況が突飛すぎて、勇気がでなかった。体が勝手に動くだなんて……いきなり往来でそんなことを言われても、誰も信じない。というか私だって信じられない。混乱しっぱなしだ。こんなことってあるんだろうか。いや、やっぱりノイローゼ……? バス停についた私は、その場から動けなくなった。やはり、足が思うようにならない。持ち上がりはするが、ストンとその場に下ろすことしか許されなかった。一歩も移動できない。 (なに? なに? 一体どうなってるの?) 私は……私の体は、誰かに操られてるんだろうか? いや、ありえない。そんなの、映画の中だけだ。他人の体を意のままに操る技術なんてあるわけない。ロボットじゃあるまいし……。 (ん? ロボット……) 私は首筋をさわった。電脳化した際できたポートが指に触れる。ま、まさか……。電脳化したから……? ここから私を操って……? いや。嘘嘘。いくら電脳化したからって、そんなこと不可能に決まってる。ニュースでも病院でも理論上不可能だと言っていたし、ちょっと脳にナノマシンを入れるだけで、ロボットに改造したわけでもないんだ。いや待って。昨日もそんな話をしたような……? カード。そうだ、カードの書き換えも不可能……。 背筋が冷えた。ま、まさかあの男が……。学歴を書き換えるだけじゃなく、私自身にも何かしたのだろうか。で、でもありえない。第一重犯罪だし。いやハッカー相手にそれは通じないか。でも、思い当たる可能性はそれしかない。不可能だと言われたマイラハックが可能な男なら、電脳化した人の体を操ることも……。いや、それとこれとは話が別だし……。ていうか、私どうなっちゃうの……? 彼が犯人だとして、どうしてこんなことを……? バスが来た。私は抗うこともできず、バスに乗り込んでしまった。ああ……。恐ろしい。段々心臓の動悸が早くなってくるし、嫌な汗もでてくる。ひょっとして、私は消されてしまうのだろうか……。嫌だ。何とかして逃れないと……。しかし、私は座席に座り込んだまま身動きがとれなかった。腰が上がらない。やはり、足だけじゃなかった。謎の力は、私の体全体をコントロールしている。 周囲は通勤通学ラッシュで満員だ。誰かに助けを求めてみようか。いや、犯人の仲間が私を監視しているかも……。第一、信じてくれないだろうし……。いやそもそも、私が敵対的な人物に操られているのなら、助けを求めることもできないのでは……? 頭の中が混乱する。次から次へと色んな思いが渦を巻く。どうすればいいか、何がいけなかったのか、これからどうなるのか。腰まで支配されてなお、ただの思い過ごし、精神がパニックになっているだけ、という可能性も私は捨てきれないでいる。色んなことが頭の中を駆け巡り、一向に考えがまとまらなかった。 しばらく席に張り付けられたのち、私の腕が勝手に伸びた。今のは絶対に私じゃない。やっぱり、そうだ……! 誰かが私の体を操ってるんだ! 私の指が独りでに降車ボタンを押した。次で降りなければならないらしい。えっと……どこだろう。この路線のはあんまり使った記憶ないから、わかんないや……。手は再び自由になったので、私はスマホで次の停留所を検索してみた。そこは……。 「なにこれ……?」 気がつくと、私は幼稚園の前に立っていた。足が勝手に動き続け、私をここに運んできた。登園してくる園児と親子連れたちが周囲を通り抜けていく。親は皆一様に私を怪しむような雰囲気を醸す。 (すっ、すいません……) 私は心の中で謝った。だって足が動かないんだもん……。スマホで時刻を確認した。会社遅刻だな……。あっ、そうだ、これで同僚に助けを求めればいいじゃん。なんで今まで気がつかなかったんだろう。スマホも持ってない幼児じゃないんだから。 しかし、その瞬間、私の手が止まった。 (えっ!? ちょちょ、ちょっと待って……!) 止まっていた足が再び歩みだし、私は幼稚園の敷地に足を踏み入れさせられた。 (あああ、まずい) 部外者なのに……面倒なことになっちゃう。私を操っている人間は、一体何がやりたいの? 案の定、周囲はもう不審者対応モードに入り始めている。子供たちはジロジロ見てくるし、親子連れは静かに距離をとったり、ヒソヒソと何か話したり……。 (ち、違うんです、体を勝手に動かされて……) しかし、そんなことをいきなり叫んだところで理解など得られようはずもない。私は俯きながら歩き続けるほかなかった。 「あ、おはようございます……」 堂々と玄関に上がった私に、幼稚園の先生は少し腰がひいていた。(誰の保護者だったっけ?)という心の声が聞こえてきそうだ。 「え……ええっと……」 私は返事に窮した。何といえばよいのやら……。そうだ、とりあえず普通に名乗って、不審者じゃないことだけわかってもらおう。 「……初めまして、私アスファーニュースの明庭小百合と申しまして……」 右手の平を前に出し、カードのAR映像を見せた。 「えっ? 今日、何か取材とか……あら?」 先生は私のカードをみて固まった。アポなしでいきなり来たら驚くだろう。まだ足は自由にならないし、けどなんとかして信じてもらうしかないかな……。 「あ~! あら~! ごめんねー、小百合ちゃん、先生、ちょっとねぼけてたみたい」 「?」 突然、目の前の先生は態度も口調も柔らかくなり、かなり馴れ馴れしくなった。ちょっと予想しなかった反応に今度は私が戸惑った。なになに? まさか昔の同級生……とか……? 「今日は随分と大人っぽいお洋服だったから、先生勘違いしちゃった」 「は?」 え……なに……なにこの……違和感。 「せんせー、おはよー!」 園児たちが次々と玄関に入ってきた。 「だぁれー?」 彼らはみんな、私を不思議そうに見上げている。 「ええっと……」 「もー、みんな忘れちゃったのー? お友達の小百合ちゃんでしょ?」 「えっ? いやあの、私は保護者では……」 「さあさあ、早く早く」 私の体がまた動き出した。靴を脱ぎ、下駄箱に入れ、来客用スリッパに履き替え、子供たちと一緒に歩き出したのだ。 (あっ……ちょ、ちょっと……勝手に……!) 弁明しようにも、声が出なかった。私はパクパクと口を開閉することしかできない。 (そんな……声まで……) 教室に入ると、ますます居心地が悪くなった。場違いとかいう問題じゃない。不審者だ。許可もアポもとらず勝手に幼稚園に上がり込む記者……。こっちがスクープになっちゃう。本当にどうしよう。私を操っている人は何をさせたいの? 「おねえさんだれー?」「しらなーい」「なにー?」 子供たちの情け容赦ない視線と質問が辛い。いたたまれない……。声は出ないし、足は動かないし、もうやだ。 「はーい、みんなおはよーう!」 別の先生が入ってきた。幼稚園の始業時間らしい。 「このひとだーれー?」 男の子が一人、私を指さした。 「もー! 小百合ちゃんでしょー。たんぽぽ組のお友達じゃない」 「えー?」 「はぁっ!?」 あ、声が出た。いや今なんて!? 何言ってんのこの人!? 冗談……じゃない。あの顔はマジだ。嘘でしょ。どうみても大人でしょ。二十五だし。幼児体型でも、飛びぬけた童顔ってわけでもないのに。どうしてそんな勘違いが可能なの!? ボケてんの!? 「あ、あの、違います、私は記者です。アスファーニュースの……」 私はカードを開示し、先生につきつけた。 「はいはい」 彼女はニコニコと微笑むだけで、何の訂正もしない。 「あらっ、小百合ちゃん記者ごっこ?」 「いや、あの、だから、ここに書いてあるじゃないですか! ここに! アスファー……」 自分のカードを見た瞬間、怖気が走った。私の所属は、固目幼稚園の園児になっていたのだ! 「……!?」 見間違いかと思った。違う。何度見ても、更新しても、再起動しても、幼稚園だ。 「え……なに、バグ……?」 不具合で他人と入れ替わっているのだろうか。私は他の情報も表示した。……私だ。生年月日、年齢、顔写真、経歴、全て間違いなく私だった。ただ、何故か今年度の四月、この幼稚園に入ったことになっていることを除けば……。 (あ、待って) もう一つ違う所がある。学歴。私は東大を出たことになっている。まさか……。やっぱり、あのハッカーが変な細工をしたんだ! 同僚に連絡しようとしたものの、連絡先が全て削除されてしまっていた。ど……どうしよう。警察に……。しかし、電話番号を入力しようと頭の中で指示しても、何故か画面が動かない。 (手動で……) だが、指先はAR映像に届かなかった。数センチ手前でそれ以上動かせなくなってしまう。どんなに力を込めても、プルプルと震えるだけで、画面に触れない。 (そ……そんな……) 「ほら、小百合ちゃん、みんなと遊びましょ」 いつの間にか、子供たちはめいめいグループに分かれて遊びに興じていた。もう私のことはどうでもよさそうだ。 「いや、待ってください。ほら! 私大人ですよ! 二十五です! 幼稚園児なわけないじゃないですか!」 私は改めてカードをつきつけ叫んだ。 「んー?」 先生は少し考え込んだ。 「確かにそうねー」 「ほら! カードがおかしいんですよ! ハッキングされて書き換えられてるんです!」 よかった。やっとわかってくれた。 「でも、カードではうちの園児だから、やっぱりそうなのよねー」 「いや、大学出て幼稚園に入るわけないでしょう!」 「ふふふっ、不思議なこともあるものねー。ほらほら、入れてもらいなさい」 先生は人形で遊んでいる三人組の方を指さした。冗談じゃない。なんで誰もわかってくれないの? 常識で考えて、カードの表示がおかしいんだってわかるでしょ!? だが、私の足はそっちへ向かって歩き出した。 (と、止めて! ストップ!) 私は三人の子に近づいた。しかしそれだけだった。三人は嫌そうな目で私を見ている。当然だ。 「……なーにー?」 「いや……えっと……その……」 いたたまれない。余りにもいたたまれない。私は惨めな屈辱に耐えつつ、 「いや……気にしないで、続けて……邪魔してごめんね……」 としか言えなかった。……操るなら、いっそ完全に……いや、何考えてんだ私は。 とにかく、立ち去ろうにも足は動かないし、外部と連絡はとれないし、先生は思考停止でカードの情報を疑う発想すら持ち合わせていないしで、八方塞がりだった。 とにかく、チャンスを待つしかない。今は我慢の時だ。ガマン……。 私など視界に入っていないかのように元気に遊びまわる男子、汚物でも見るかのような視線を向けてくる女子、気さくに話しかけてくれる子、子供たちの対応は様々だったが、全てが私にとっては拷問だった。しかも先生はことあるごとに私を輪の中に混ぜようとしてくるし……。 歌の時間になれば、子供たちの列に加わるよう促してくるし、断ってもしつこく食い下がり、とうとう 「小百合ちゃん! 我儘いわないの!」 などと説教してきた。この先生、本気の本気で私を園児として扱ってる。昨日までいなかった成人女性を。ただマイラカードに「ここの子ですよ」と書かれていたという、ただそれだけの理由で。なんでそこまで盲目になれるんだろう。自分の記憶よりカードの文字なの!? しかし、拒否し続けていると、ずっと待たされている子供たちも段々私を非難するようになってきたため、仕方なく列の端に立った。私の腰くらいまでしかない子供たちと同じ列に。 (ああ~。なんで私はこんなことを……。何やってんだろ私……) 「かえるのうた」の合唱が始まったが、私は歌わずボーっと時が過ぎるのを待っていた。すると先生が 「ほら! 小百合ちゃんも歌って歌って! 恥ずかしくないから!」 などと言って注目を集めてくるので、心底消えてしまいたかった。恥ずかしくないわけないでしょ……。 昼食。何度も断ったのに、先生は私にも配膳した。いいっていったのに……。流石にただ飯くらうほど厚かましくはなれない。しかも、本来は幼い子供たちが食べるはずだったものを。しかも、量は他の園児たちと同じで、めちゃ少ない。仮に食べた所で、腹の足しにはならないだろう。 「いただきますっ」 先生が合図すると、園児たちが手を合わせて唱和し、食べ始めた。私は謎の力で席につかされたが、食べる気になれなかった。 「あの……ですから、私は……」 「ほらっ、小百合ちゃん、大丈夫よ、アーンして」 「は?」 先生はスプーンですくって、私に無理に食べさせようとしてきた。いやいやいや無理無理無理。ぱっと見同世代なのに。しかも子供たちの前で。この人、恥とかないの? 「や、やめてください!」 「ほんと? 一人で食べれる?」 「だからっ……」 その時、私のお腹の虫が鳴った。 「あっ……」 子供たちも一斉に私の方を見た。恥ずかしい。穴があったら入りたい……。 「ちゃんと食べないと大きくなれないよ~?」 「これ以上大きくならないです! いやそうじゃなくて! いいですっ、結構ですっ」 丁度良く、子供が一人ご飯をこぼしたので、先生から解放された。あーきつかった……。マジで勘弁して……。けどどうしよう。お腹……減ったなぁ。足が動けばコンビニにでもいけるのに……。 「こら俊樹くん。好き嫌いしちゃだめでしょ」 「だってー、あのお姉ちゃんもたべてないよー」 私はビクッとした。二人して私を見てる。 「これから食べるの。ねっ、小百合ちゃん?」 先生は笑顔で圧をかけてきた。ど……どうしよう。流石に幼稚園に上がり込んでただ飯というわけには……でも私、悪い見本になってる……? このまま食べなかったらあの子に悪い影響あるかも……。いやでもだからって……。 「ほらー」 「大人はね、好き嫌いしないの。好き嫌いしてたら大人になれないよー」 再び先生が圧をかけてきた。あいつ……都合のいい時だけ私を大人扱いして……。やっぱりわかってるんじゃん、大人だって! なのにどうして……。あ、いや、カード上でも年齢はそのままだっけ。じゃああの人最初から大人相手にあの態度とってたの? ますます意味わかんない……。 「小百合ちゃん」 ややトゲのある呼び方に、少し体が縮こまった。 「食べるよね?」 「……」 私はちらっと俊樹君のほうを見た。野菜を残している。たべないと駄目だよ野菜は。……あの子が私のせいで野菜を残しているのかと思うと、自分の情けなさが不甲斐なく思えてきた。手本……見せてあげた方がいいのかな……そうかな……そうかも……。 悪い大人の手本になるよりは……別に、先生が食べろって言ったんだから、いいよね……? 私は震える手でフォークをつかみ、野菜を食べた。とても小さい子供用のフォークは握りづらく、指先で持たなければならない。 (あぁ……食べちゃった。幼稚園の給食を……ただ食いで……) 「ほら! 小百合ちゃん食べたよ! 俊樹くんも食べないと!」 顔から火が出そうだ。これ以上私に注目を集めないで……。 お昼寝やお絵描き、外遊びの時間を終えて、ようやく保護者たちが迎えに来る時間になった。私はどうなるんだろう。解放されるのかな? 子供たちの数が半減したころ、足が動くことに気づいた。 (あっ……立てる! 立って歩ける! 良かった……良かったぁ……) いや、感動なんてしてる暇はない。私はすぐに先生に深々と頭を下げ、迷惑をかけたことを詫び、謝罪して、碌に返事も聞かないうちに、足早に幼稚園を後にした。 外は既に夕暮れで、一日が終わろうとしている。私は一日中、あの幼稚園にこもっていたわけだ。 「はぁ……通報されるかな……?」 あの先生たちが冷静になったら騒ぎになるかもしれない。とにかく、変な噂が広まる前に、誰かに連絡を……。駄目だ。連絡先は全て削除されたままだし、電話をかけようとすると体が動かなくなる。まだ完全に解放されたわけじゃないらしい。 (そうだ……あのハッカー) 私は急いで家に帰り、例のハッカーと連絡をとろうと試みたが、既に連絡手段は使えなくなっていた。逃げられた……くそ。どうしよう。パソコンからなら誰かと連絡とれるかな? しかし、それも徒労に終わった。体が動かなくなってしまう。 (どうなってんの……家の中なのに……。監視されてんの?) 犯人はどうやって私をコントロールしているんだろう。ずっと見張っていて、都度操作しているのか、私の頭のナノマシンに変なプログラムがインストールされているんだろうか。そんなことありえない。医療従事者以外が弄るのは重大な犯罪だし、そもそもそんなこと理論上不可能なはず……。いや、カードの書き換えも理論上不可能って言われてるけどできたんだし、できちゃうのかな……? だとしたら、ますますヤバい。私は相当闇が濃い案件に首を突っ込んでしまったのかもしれない。 ん……だとしたら、今日のはひょっとしてあれ……脅し? これ以上カードのことに首を突っ込むなってこと? だろうな……きっと。でも記者として退くわけにはいかない。なんとしてもこのことをスクープしてやる。負けるもんか。 その時、玄関のチャイムが鳴った。 「宅配便でーす」 段ボール箱から出てきたのは、幼稚園の制服だった。今日行った固目幼稚園の。水色のスモック、黄色い帽子と鞄。その全てがデカい。大人サイズだった。間違いなく、私の……。 「え……いや、嘘でしょ? まさか……」 翌朝。 (えっ、ちょっと待って嘘でしょ待って無理無理無理やめて、ホントにやめてお願いぃーっ!) 私の体は独りでに動き、昨日届いた差出人不明の園児服に手を伸ばした。全身全霊で抗ってみたものの、手足に指令を出すことができなかった。私の体は完全に支配されてしまっている。結局一秒遅くすることさえ叶わぬままに、私は水色のスモックと黄色い帽子に身にまとい、幼稚園児のコスプレを完成させてしまった。 (そっ……そんな、っああぁっ……) 鞄を肩にかけ、私はふらふらと玄関に向かった。全力で抵抗しても、体が歩みを止めることはない。 (うそっ、うそうそうそ、やめてお願い、ほんとにダメだから、だめっ、そんな、あああ) 私の体は静々と靴を履き、そして……とうとう、幼稚園児のコスプレをしたまま、外界に飛びだしてしまった。 (あああああっ! あああああーっ!) 泣き叫びたくなる衝動を必死に抑えながら、家の中に戻ろうとあがいた。しかし昨日とは違って上半身もうまく動かせず、私は鍵をかけてすぐバス停に向かって歩を進めた。 (だっ……だめっ、ああっ……) 人通りの激しい、平日の朝。ほとんど全ての人たちが、私に注目していた。大の大人が幼稚園児の服を着て、堂々と表を歩いているのだから当たり前だ。 (見ないで、見ないで、だめええぇっ……) 歩みは止められないものの、体はだいぶ私の意志を反映するようになってきた。それがまた悔しかった。真っ赤になって俯き、黄色い帽子を深く被りなおす動作、内股のモジモジとした歩き方、ボロボロと零れ落ちる涙、これらは全て私がやっていることだった。操られてじゃない。馬鹿にする声、黄色い声援、無言のドン引き、笑い声、説教……。全てがぼんやりと聞こえてくる。脳が現実を受け入れるのを拒否している。 (これは……違くて……陰謀……政府の……) 必死に頭の中で言い訳を探した。でも自分すら誤魔化せない。なんて非常識で、破廉恥で、恥知らずなことをしているんだろう。写真とか動画とか一杯撮られているんだろうか。もう表を歩けない。どんな顔して生きていけばいいの……。両手で顔を覆い、嗚咽しながら悪夢が終わるのを待ち続けたが、ますます地獄の責め苦は激しさを増した。 バス停に立つ私は、この世の何よりも滑稽な見世物だった。私の周りには少し空間があり、誰も近づいてこない。私はずっと顔を両手で覆っていたが、それでもみんなが私を見ているのが嫌というほど伝わってくる。 「えっ、なにあれ、ヤバくない?」「うわっ、きっも」「きっつ」「何? なんか撮影?」 真っ赤に熟した耳は、周囲の嫌な声ばかり拾い上げてしまう。同じ服を着た幼児が近づいて、スカートを引っ張られたり、話しかけられたりすると、ますます羞恥心が刺激された。親が即座に子供たちを私から引き離すと、申し訳なさと情けなさで心が壊れそうになった。 バスに乗ると、無数の視線からは解放されたものの、より針の筵となった。満員のバスの中、否応なく距離を詰めてくる周りの人たちが、信じられないといった顔、ドン引きした表情、ニタニタと気持ち悪く笑う顔、それらをゼロ距離でつきつけてくるし、周囲の嘲笑もよりハッキリと聞き取れてしまう。 「ううっ……あぁ……ひっく」 私はとうとうこらえきれずに、声を上げて泣いてしまった。誰も助けてくれる人はいなかった。 幼稚園に着くと、何故だか私は安堵した。元凶であり、絶対に行きたくなかったはずの場所なのに。もうどうでもいい、人目のないところならどこでも。 しかし、門から玄関にかけては、保護者と子供たちの姿が多い。あの小さな可愛らしい幼児たちと同じ服を着ている、という事実を改めて突き付けられ、ますます恥ずかしくなった。 「あの、ちょっといいですか」 とうとう、保護者の一人が私に話しかけてきた。その声と表情は冷たく、侮蔑と嫌悪の感情が詰まっていた。 「どちら様……なんでしょうか。何のご用件で?」 私には返す言葉がない。彼女が正しい。いきなり大人が幼稚園児のコスプレをして幼稚園に乗り込んで来たら即通報モノだ。でも……でも、黙っていたらますます心証を悪くしちゃう。 「えと……えと……」 顔が真っ青になって、嫌な汗が迸る。何て言えばいいの? 危険な案件を取材していたら体を操られて幼稚園に送り込まれた……。駄目だ。通じるわけない。でも警察沙汰は絶対嫌だ。こんな醜態がニュースになっちゃったら、私もう……もう……。何か、何かないの。切り抜ける手段は……。納得させられる答え……。 (あっ……そ、そうだ!) 一か八か、私は自分のマイライフカードを提示した。 「わた……し、ここ……の、園児……なの……で……ぇ」 「えっ……あっ……あらぁ……?」 保護者の人は虚を突かれたかのように戸惑っていた。駄目か……。おかしいよね、こんな……大人が……幼稚園なんて……。 「あ……あら~、そうだったの~。ごめんね~、大人びてるから私てっきり~」 驚くべきことに、彼女はコロッと態度を変えた。子供相手に接するかのような柔和な声で、私の頭を撫でて、謝罪して去っていった。 (えっ……えっ、信じた……の……?) 先生も保護者も、一体どうなってんの。カードに書かれてさえいれば全て真実になるの? いつの間にか、誰もかれも自分の頭で考えないようになってしまっているの? 窮地を脱した私は、無事……かどうかはわからないが、玄関に辿り着いた。 「はぁ……」 昨日と同じ教室に入り、部屋の隅っこにうずくまり、私は道中の屈辱を反芻しながら、子供みたいに大泣きした。もうまともな人生に戻れない。やだ。死にたい。なんで……なんでこんな酷い事するの……。口封じっていうなら、いっそ殺してくれれば……。 そして、緊急事態で頭も真っ白だったとはいえ、自らここの園児なのだと認めてしまった自分にも、激しい嫌悪を感じた。情けない……。なんなの、私……。 「みんな、おはよー。あら? 小百合ちゃんどうしたの? ポンポン痛いの?」 「うっ……うっ、うえぇ~ん」 先生に抱きしめられた瞬間、また感情が決壊し、私は声を上げて泣いてしまった。そしてそれが、家に帰ってからまた私を辱めたのだった。 それからの日々、私は毎日体を操られて、幼稚園に登園させられた。私がカード上園児であることを知ると、誰もが急に冷静になり、私を嘲ったりすることも、変な目で見てくることもなくなり、注目しなくなった。何の変哲もない、当たり前のことであるかのように。 色々と言いたいことがあるし、苛立ちは隠せないけど、今の私にはカード第一主義のその姿勢が、かえってありがたかった。 幼稚園では、同じ服を着ていることもあってか、徐々に子供たちも慣れてきた。どうせやることもないので、私は絵本を読んであげたり、遊びにつきあってあげたり、絵や工作を教えてあげたりして過ごした。まるで先生だ。といっても、その先生は私を園児扱いするので、私はなんだかよくわからない立ち位置だった。 日を追うごとに、家にはキャラ物のパンツや下着、イチゴ柄の靴下、ピンクの靴などが届き、ますます私の装いを幼児っぽく仕立て上げた。どんなに嫌でも、体が勝手に着てしまうので、どうにもならない。大して周囲から注目されなくなりつつあるとは言っても、私がおかしいことは私が誰よりもよく知っている。その羞恥心は一向に消えることはない。 幼稚園のトイレ事情も、日々私を悩ませた。最初は教職員用のトイレが使えたのに、キャラ物下着をつけて以降、園児用のとても小さなトイレしか使えなくなってしまったのだ。無論、周囲からは丸見えで、男性の教職員が隣でおもらしの処理などしていると、私は余りの痴態に泣き叫びたいのを必死で堪えなければならなかった。 こんな狂った生活がいつまで続くんだろう。成す術もなくこの園児ごっこに二か月ほど付き合わされたあと、春を迎えた。 私の「同級生」たちは年長組となり、違う教室へ移った。……のだが、何故か私は先月と同じく年中組の教室に足を運ばされた。 「あっ……あれっ……?」 カードを確認すると、所属が一切変わっていない。私は進級していなかった。先生に口で伝えてみると「あれー? ごめんね、きっと何か手違いがあったみたい……確認してくるね」カードを見せると、「あら~、今年も年中組なんだ。一緒に頑張ろうねっ」 ……という反応だった。私は置いてけぼりにされ、新しい子供たちとお遊戯に興じなければならなかった。 (ああ……最悪……) 別に進級などしたかったわけでもないけど、「卒園」したら解放されるんじゃないかという淡い期待は夢と消えた。強引に書き換えられた情報だからか、普通なら自動的に済まされる処理が適用されないようだ。 (私……どうなるんだろ。まさか……一生、この幼稚園に……) 三十、四十になっても園児服を着てここに丸まっている自分を想像すると、血の気がひいて、吐き気を催した。 (うっ……うそ……。でも……このままじゃ、本当に……) しかし、誰にも連絡できない、体は勝手に動く、という状況は数か月経っても変わらない。私はここから脱出する手段がない。 保護者会の日、私は先生に「保護者の方がいらっしゃったわよ」と告げられ、個別に呼び出された。 (えっ……誰? まさか、お父さんたちが助けに来てくれたとか……) 違った。夕日の差す教室で待っていたのは、あの日のハッカーだった。相変わらず顔は隠しているけど、すぐにわかった。 「あっ……あっ……」 突然の状況に私は混乱した。ど……どうしよう。抗議……無駄か。襲い掛かって……向こうは男だし、無理か……。 「出たいか?」 「えっ……」 た、助けてくれるの? 本当に? 私が頷くと、男が続けた。 「条件がある。わかるな」 「……は、はい」 マイライフカードが既に割られていることは誰にも話さない……。ということだよね。 「万一、話したら……」 男は教室の脇に置いてある玩具箱から、女の子の人形を取り出した。長いピンク色の髪を持った高級品で、みんなから人気があった。継ぎ目や関節がなく、まるで生きているみたいな造形をしていて、指や手足が本物の人間のように細かく動かせるのだ。夕日に照らされたその人形は妖しい光沢を放っていた。 男が人形の右手首をクイッと捻ると、そこから水色の映像が飛び出した。 「……?」 小さくてよく見えない。長方形のAR映像なのはわかる。そんな機能があったなんて知らなかった。子供たち、誰も使ってなかったよね? でもなんのために? 男は静かに私に近づき、その人形を目の前につきつけた。 「あ……」 人形の右手の平から浮かぶ映像。それはマイライフカードだった。 (え? 何で人形がマイラを? ……ん? あっ……。ま、まさかそんな……) 「あ……あっ、……あぁっ……!」 私の両脚はガクガクと震え、背筋が冷えて、顔中から汗が流れだした。 「わかったな」 翌日の朝。目が覚めると、私の部屋から園児服とキャラ物の下着などが消えていた。カードの個人情報も、龍谷卒の、アスファーニュース記者に戻っている。体も勝手に動かない。 四か月ぶりの出社。まるで何事もなかったかのように、全員が私を受け入れた。いつも通りの挨拶、いつもの態度。私の机も、埃がたまっている以外はそのままだった。誰も私の失踪について尋ねない。全部夢だったんじゃないかと思うほど、「いつも通り」だった。 昼休みに会社の記録を見てみると、私は離島出張していたことになっていた。でも誰もお土産の話さえ出さない。昨日も普通に私がいたかのような雰囲気だ。不気味だったけど、私にはそこに切り込む余裕はもうなかった。今はただ、悪夢から醒めたことに安堵するのが精一杯。 (ああ……終わった。ほんとに、終わったんだ……。良かった) ある日、後輩が熱っぽく話しかけてきた。 「先輩先輩、私すごいニュース掴んじゃいました」 「なあに? そんなに興奮して」 「マイライフカード、あるじゃないですか。この二十四年間、一度もハッキングされたことない、ってますよね。でも実は、とっくに破られてるらしいんです!」 「……あのねえ、それはありえないわ。マイラは理論上ハッキング不可能だって、知ってるでしょ? 常識よ」 「その常識が覆るんですよ! ほら見てください! 私の生年月日!」 「ん? あら~、石田さん、未成年だったの? もー、なんで言ってくれないのー。お酒飲ませちゃったじゃない」 「は? ……いやいや、知ってますよね、私が院卒なの」 「ええ」 「いやおかしいじゃないですか! 私の経歴欄見てくださいよコレ! 私の年齢より長いじゃないですか! おかしいですよね!?」 「なにが?」 「……いやあの先輩、冗談じゃなくって……。ハッキング成功したんですよ、だからこれ矛盾してるんです」 「? 別におかしくないでしょ?」 「いや! この前私の誕生日メッセ送ってきてくれたじゃないですか!?」 「もーほんと、年齢間違えちゃったじゃない。恥ずかしい。ちゃんとホントの年齢言ってくれなきゃ」 「だ・か・ら! 私が書き換えたからカードで未成年になってるんですって!」 「だからカードに書いてあるじゃない。あなた未成年だって」 「……あーもー! もういいです! 先輩ならわかってくれると思ったのに! 私一人で調べます!」 後輩は怒りながら編集部から飛び出していった。彼女は興奮していて気づいていなかったようだが、所属が美術館になっていた。職業は彫刻。 (あーあ。しばらく仕事増えるわね)

Comments

いちだ

楽しませていただきました。てっきり元に戻れないと思ってたら、戻れたのが意外でした。

opq

コメントありがとうございます。このところ戻れない話が続いていたので、今回はそうしました。

ガリタル

戻れないパターンが好きですが、戻れるパターンは終わった後に何だかホッとしますね

opq

それぞれ好きな方がいらっしゃるので、悩みどころです。

sengen

今回は身分の書き換えだけで体は変わらないのに生活が書き変わるという新鮮なシチュエーションでしたね。 明らかな異常があっても、カードを見るとありえないくらいにシステムの方を信頼するのは、疑ってはいけないアンタッチャブルな存在になっているようですね。 都市伝説的でもあり、某SF作品のような世界観でもありました。

opq

感想ありがとうございます。いつも同じような話だと食傷気味かもしれませんので、たまに変わり種を書きたくなります。

Anonymous

すごく良かったです! 彫刻になってしまった後輩編も読みたいです!!

opq

コメントありがとうございます。ネタが浮かべば書くかもしれません。