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最初に異変に気がついたのはママだった。朝、ジロジロと私を見て訝しんでいたので、気になって尋ねたのを覚えている。 「何? なんか変?」 「ああ、いや、ちょっと……ううん、なんでもないわ」 その日の朝はそれだけだった。夜、私はパジャマの袖が少し長いことに気づいた。いや気づきかけた。その時は洗濯で伸び縮みしたのだろうと思って、それ以上気にかけなかった。 一日置いて翌々日。朝起きてベッドの手すりに手をかけた時、いよいよ異変を見過ごすことはできなくなった。袖が伸びている。私の手のひら、下半分くらいを覆っているのだ。本来このパジャマは私にピッタリのサイズで、こんなことになるはずなかった。改めてパジャマのタグをチェックしようとする過程で、袖だけじゃないことにも気づいた。全体的に大きい。ブカブカってほどでもないけど、私に合っていなかった。パジャマのサイズは間違っていなのに。 ママもいよいよ口に出して言うようになった。 「陽子、あんた……なんか小さくなってない?」 言われてみると、そんな気がする。椅子に座るとき、物を取るとき、違和感があった。椅子やテーブル、食器類を妙に大きく感じる。メジャーでテキトーに身長を測ってもらうと、私が知っている私の身長より四センチほど下がっていた。 それでも、病院に行きましょうというママの申し出を固辞して、私は朝練に行った。四センチなんて言ったって、グニャグニャのメジャーじゃ、ホントか嘘かわかりゃしないし。大会が近いのに、休んでなんかいられないでしょ。 でも、現実は私を逃がしてくれなかった。クラスメイトにも一目でバレてしまった上、運動着がブカブカだったのだ。さっさと保健室に連れていかれ、キチンと身長を測ると、三センチ縮んでいるのが確定してしまった。 早退させられて病院に行くと、たっぷり一日かけて調べた結果、信じられない答えを聞かされた。私は縮小病にかかっている、と。 たまにニュースで名前を聞くから、私でも知っている。巷では人形病とも呼ばれているこの病気は、文字通り、体が相似形に縮小していく、原因不明の恐ろしい病気だってことを。 即日入院して、治療……いや経過観察が始まった。治療法は勿論、進行を遅らせる方法すら発見されていないから、打つ手はないんだって、先生がママに言っているのを聞いてしまった。まあ、それがなくても、スマホで調べればすぐわかるんだけど。 先生が言うには、大体の人は半分で寛解……つまり、縮むのが終わるらしい。九十から八十センチ。それが一番多いらしい。「だから安心していい」というニュアンスを言外に漂わせていたけど、全くそうは思えなかった。もうテニスできなくなっちゃうんだな、と思うとやり場のない悔しさと悲しさが募ってきて、その日は涙で寝付けなかった。 もっと手前で縮小が治まる人もそこそこいるから、まだ決まったわけじゃない……という先生の言葉を希望に、私は無味乾燥な入院生活を耐えた。当初は友達が連日見舞いに来てくれたけど、徐々にその足は遠のいていった。 そのうち、朝起きるのが段々怖くなってきた。明日はどれぐらい縮んでいるんだろう。まだ止まらないのかな。これ以上は縮まないで。寝る前はずっとそればかり考えてしまって、寝ても気分がスッキリしなくなった。病衣が段々大きくなっていくのが恐ろしかった。枕が明確にデカく見えてしまった時は、我慢できなくなって大泣きしてしまい、結構迷惑をかけた。テニスの予選の日を病院で迎えると、また声を上げて泣いてしまった。日中、起きている時も、体はゆっくりと縮んでいる。なのに、なんの痛みも怠さも感じないのが不気味だった。ジッと手のひらを数分間見つめてみたりする。でも、縮んでいるのを目視はできない。 (馬鹿。私の体の馬鹿) 百三十センチを下回ると、覚悟した方がいいでしょう、と告げられた。縮み具合が八十パーセントを下回ると、そのまま半分までいくケースがほとんどらしい。私は無理を言って、テニス部の友達に来てもらった。もうすぐテニスが完全に出来なくなってしまう。このままお終いは嫌だった。せめて最後に、一試合だけでもテニスがやりたかった。 病院のコートと、子供用のラケットを借りて、一番仲が良かった田辺さんに相手をしてもらった。最初は体が思うように動かせず、試合にならなかったけど、次第に勘を取り戻して動けるようになった。それでも、一六八センチと一二八センチでは、互角の試合というわけにもいかず、途中から田辺さんは手を抜いてきた。小さい子供相手にラリーの練習相手でも務めているぐらいに。彼女は口には出さなかった。本気でやってるよって雰囲気を出していたけど、私にはわかったし、他の部員にもわかったはずだった。田辺さんとは中学の時から実力はぅっと同じぐらいだったのに。それが今や、文字通り大人と子供の差になっていることがたまらなく悔しくって、泣き出したくなるのを必死で堪えながら、最後まで試合を続けてもらった。練習をサボったわけでも、才能に差があったわけでもないのに、ある日突然、病気だからと言って理不尽に力を奪われ、この世界から追い出されてしまうことが憎かった。何で私がこんな目に遭わなくちゃいけないの? 神様がいるというのなら、余りにも惨すぎる。毎日練習サボって実力もないのに、先輩には気に入られてる土田さんとか、ことあるごとに物にあたって、ラケットやボールを大事にしない落葉さんとかじゃダメだったの? 何で、どうして私なの? 一一〇センチを割り込むと、子供用のラケットも握れなくなった。もう、本当にテニスはできない。こうなるってずっと前からわかっていて、覚悟もできていて、最後のお別れも済ませたはずなのに、涙が溢れてとまらなくなった。田辺さんが大会で好成績を残せたことを、素直に祝福できなくなってしまった自分が惨めで、情けなくって、彼女に申し訳なかった。「羽鳥さんの分まで頑張ったよ」という屈託のない言葉に、私は苛立ちを覚えずにはいられなかった。妬ましかった。私だって、出場できたら、同じかもっと上まで……。本当にそうかな。ベッドの側に座って、大会の報告をする彼女の姿は、まるで二メートル超の巨漢に見える。それだけ私が小さくなったということだけど。何をやっても彼女に勝てる気がしない。みんな遠くに行ってしまう。嫌い。私の恐怖と喪失感をまるで知らないくせに、私の分まで云々かんぬん言う無神経さが嫌い。そして、そんなことを考えるようになってしまった私が嫌い。 メートルでは私の身長を記述できなくなると、いよいよ困難が増した。一人でトイレに行って戻ってくること、体を洗うこと、いろんな生活動作が物理的に難しくなってきたのだ。小さな子供用の設備や道具でさえ、今の私には巨漢専用設備に見える。病衣ももはや「衣」とは呼べない。ただ体にまとっているだけの布のように感じてきた。子供サイズでも、もう合わないのだ。原因は一つ。私は別に、若返っているわけではないから。十七歳のプロポーションを保ったまま、相似形に縮小しているから、子供用のアレやコレらは、体型にまるでフィットしない。私は文字通り「小人」になりつつあった。最後にテニスの試合をしたころは、「子供みたい」「かわいい」などとからかってもらえたけれど、今はもうそれすら聞けないだろうな、と思った。タブレットのようなスマホで自撮りするたび、「人形病」という俗称の的確さを痛感せずにはいられない。大人(より)の体型、等身のまま幼児サイズになっている今の私は、パッと見人形みたいに見えるのだ。そして、それは明らかに不自然で、普通じゃない光景。病院内で他人とすれ違ったり、稀に見舞いが来たりするたびに、誰もがギョッとして大きく目を見開くのだ。 八十五センチ。もうすぐ二分の一に到達する。でも、縮小の進行は一向に収まる気配を見せない。半分で終わりだと思っていた私は驚いた。それ以上もあり得るかもしれません、という先生の言葉に。今の時点でも要介護なのに、これ以上縮んだら一体どうなっちゃうの!? 私は据え置きパソコンみたいなスマホで頑張って検索した。先生が言うには、半分を過ぎると次は三分の一。その次は五分の一。そして、最悪なのが十分の一……。そこまで行ってしまった人形……縮小病患者の人の手記を探した。いくつかSNSアカウントやブログを見つけたので読んでみると、ひどい有様だった。トイレが使えないのでティッシュを重ねて敷き、その上でウンチして家族に捨ててもらってる、とかご飯はご飯粒一粒だけ、とか怪我が怖いから水槽の中で暮らしてる、もう一年以上水槽から出ていない、トイレはハムスター用の……等々。 十分の一サイズになると、いつの間にか行方不明になっている人も多いらしい。ゾッとする。私は全身が凍り付くような悪寒を覚えた。嫌だ。こんな生活絶対嫌だ。半分ならまだ、ギリギリ「人間」として生きられる。この人たちみたいになるのはイヤ。絶対無理。こんなの、ペットじゃん。死んだ方がマシじゃない!? 私は人として生きていたいよ。 そんな失礼なことを思った罰なのか、私の体は八十センチを下回り、ついに症状の進行が止まらなかった。ほぼ間違いなく、三分の一まではいってしまう。パパとママは大丈夫だ、心配するなと励ましてくれたけど、私が独り立ちできなくなってしまったことが確定した今、それがかえって心苦しかった。 一番ショックだったのは、人形用の服を買ってきてくれたことだった。きっと気を利かせたつもりなんだろう。表面上は喜んで見せた。案の定、体型とうまく合う。でも、人間の子供用の服よりも、人形のために作られた服の方がピッタリ、という事実は、まるで人間から人形にクラスチェンジしてしまったかのような気がして、私の自尊心を著しく傷つけた。それに、着心地はすこぶる悪い。当たり前だ。人が着るなんて想定してないんだもん。肌触りが悪く、硬くゴツゴツしていて動きづらい。まあ、教室みたいに大きなベッドで横になっているだけだから、可動性なんて必要ないかもだけど。 五十センチ。結局三分の一でも止まらず、私の体はさらなる縮小を見せていた。どこまでいくんだろう。小学生の時に算数の授業で使った、三十センチ定規。今の私はアレと大差ない身長しかないのだということが信じられない。次の目安は五分の一だから、私は本当に三十センチ定規になってしまう。もう一人では絶対に生きられない。自分が酷く無力で矮小な存在に思えてきて、なんのために生きているのかもよくわからなくなってきた。いや、何のために生きるのか、なーんて、病気になる前は考えたこともなかったけど。 何よりも私の無力感を増強させたのは環境の変化だ。もう、普通のベッドではサイズが合わず危険だという先生の勧めに従い、ベビーベッドに移されたのだ。周囲は柵で囲われている。なるほど、これなら落っこちて怪我することも、自力では戻れなくなることもないわけ。はぁ……。ベビーベッドのお世話になるというのもそれだけで死ぬほど恥ずかしいし、何よりも先生が言った 「間違えて踏まれたりしたら大変ですからね」という言葉が大変な衝撃だった。踏まれる! 私は人に踏まれて死ぬかもしれない存在なんだ! 言われてみればその通りで、気をつけなくちゃいけないのは理解できる。でも知りたくなかった、そんなこと。完全に人間社会から隔離された、別枠の生き物になってしまったみたいじゃん。私は変わってないのに。ただ、小さいってだけなのに。 無論、ベビーベッドを使うからといって、新生児と一緒にされるはずはなく、他の縮小病患者の人たちと同じ部屋に移った。規則正しく並べられた清潔なベビーベッドのうちの一つが、私の新しい病室だった。医者や看護師が通れるよう、間にはある程度のスペースが設けられているため、会話は大声で叫ばないと無理だ。人一人二人通れるだけの空間が、私たちには数メートルにも感じる。私は他の患者の人たちとほとんど会話はしなかったが、それは他の人たちも同様だった。罹患以前からの知り合い、というケースを除けば、誰も積極的にコミュニケーションをとろうとはしない。態々大きな声を出して会話するのは疲れる、というだけでなく、互いが互いに「あなたと一緒にしないで」というオーラを醸しあっている雰囲気があった。きっと、みんな「自分は人間だ」と思っていたいんだろうな。ベビーベッドの中に収監されている小人を視界に入れる度、どうしても直観で「人間」だと思いづらいところがあるんだと思う。そしてそれはノータイムで自分に跳ね返ってくる。 みんな自分を見るのが怖い。私もだ。 最後の脱出地点、三十センチを通過した。巨大なママが泣き崩れたのを見た時、私は恐怖を感じた。一振りで私は死んでしまう。踏まれても死ぬ。そういう「巨人」が感情を制御しきれずにいるのが心底恐ろしかった。同時に、ママに対して生理的な恐怖を覚えてしまったことが後ろめたくて、ますます私は落ち込んだ。 最悪のパターンである十分の一コースであることが確定し、私は世界を呪った。悪いこと一つもしてないのに、何で? スマホでクラスメイトや部活友達が楽しくやっている様子を報告されるたび、心の中にどす黒いものが渦巻いてしまう。もう、私があの楽しかった世界に戻ることはできないんだという絶望。 そして、日々を共にする同じ病気の患者たちも、私を見下すようなオーラを隠さない人が増えてきた。この病室では、「体が大きい人ほど偉い」という風潮があることに気づいたのは、私がある程度小さくなってから。私がこの部屋に入ってすぐは、私が一番大きかったから、私がナンバーワンだったのだ。そんなヒエラルキーが存在していたこと、全く気づかなかったけど。 勿論、そのルールだと一番偉いのはお医者さんと看護師の人たちということになる。実際そうだろうけど。中でも一番人気だったのが、最近姿を見せるようになった、若い男性医師だった。人形病は今のところ女性しか罹らない。世の中に絶望した女性たちの空間に突如現れたイケメンの先生は、少なくない患者の癒しになっているらしかった。最も、私はその人が来ると不安だった。新人らしく、ビクビクオドオドして、いつも叱られてるし……。どうにも頼りない感じで、ああいう人には診てもらいたくないな、というのが率直な気持ち。 切実な問題として、私はイケメンなんかよりも、自分の尊厳を維持するのに大半の関心を注がなければならなかった。三十センチを下回ると、ついに私は一人で用を足せなくなってしまった。子供向けのトイレで粘りに粘っていたものの、こうなると流石に物理的な限界を迎え、看護師の人がいる側で小さなプラスチック容器に跨り、後始末をお願いしなければならなくなった。これがどれだけ人としての尊厳を奪っていくか、実際に体験してみないとわからないと思う。人に見られている中で用を足すのが辛いことは言うまでもないけど、おまるですらない玩具のトイレで用を足すというのが、ペットか何かにでもなってしまったかのように感じて、例えようもない疎外感に襲われる。看護師の人も、幼児言葉など交えつつ「よくできました~」とか「ほら、ちゃんと拭いて」とか声をかけてくるのが不愉快でたまらない。私は高校生なのに。まるで幼児扱いだ。幼児扱いならまだいい方で、猫かハムスターみたいにあやしてくる人もいる。年相応の人として扱ってほしい。もうイヤ。 十六センチ。ついに私は筆箱の定規と同じサイズになってしまった。唯一の救いがあるとすれば、これで終わりってこと。人形病の一番重い症状が十分の一だって言っていたもん。これでもう終わりのはず。もう縮まなくていいんだ。だとしたらもう少し開き直って気分が晴れてもいいと思うけど、私はずっと憂鬱な気分が抜けなかった。 「あの……もう縮まないんですよね?」 「ん。そのはずだよ」 噂のイケメン医師、谷崎先生が回診についてきたので、訊いてみた。長期入院になったのと、年が近いので、割と話すようになったのだ。 しばらく様子をみて、症状の進行が止まるのが確認できたら、詳しい検査をして、寛解したかを判断する。谷崎先生はそう教えてくれた。退院はそれからだ。 退院とか寛解とか言っても、私の縮んだ体は元に戻らない。一生このサイズで生きていかなくちゃならない。それに、家も学校も十倍の大きさがあることを前提に設計されている。大丈夫かな。私、ちゃんとやっていけるかな。まーやってくもなにも、親に介護されるだけなんだけどさ。学校とか通えるかな。無理かな。無理だよね。すぐ潰れて死んじゃうよ、きっと。 それでも、私の心の中にはまだ日常生活への執着が残っていたらしく、必死こいて掛け布団ほどになったスマホで調べてみた。十分の一になった同世代の子でも、復学した子が何人かいるらしい。いいなぁ。きっと、周りみんな優しい人ばっかりなんだろうな。私も……友達はみんな優しいと思うけど、他はどうだろう。この復学した子たちは、すごく勇気があると思う。たった一回のミスや不注意でグチャグチャになるかもしれないのに。もし、私の学校から許可が降りても、私は怖くていけないかもしれない。 あ、でも学校いかなかったら中卒でフィニッシュすることになっちゃうのか。……いや、この体じゃ学歴なんて無意味でしょ。どうでもいいや。どの道、今後の私の人生を決めるのは私じゃないんだし。もう私には決定権がない。あっても行使しようがない。 中々検査の話が出てこないので、ある日の回診で再度尋ねた。 「あの、いつ頃退院できるんでしょうか」 「……」 先生は押し黙り、挙動が怪しくなった。よくない何かが起きているんだ。それってもしかして……。でも、ないって言ってたじゃん。十分の一が一番重い症状だって。ねえ。そう言ったでしょ? 何で……何でなの……。 その場で全て察してしまった私は、久々に泣いた。それでようやく、私にも説明してくれた。パパとママはもう知っていたって。酷い。なんで私に教えてくれないの。当事者なのに! 十分の一より縮んでるのは私なのに! 世界でも珍しい例だと、先生は語った。人形病で十分の一より縮小が進行するのは。どこまで縮むのか尋ねても、答えは「わからない」だった。そんな、そんな無責任な。今でさえ人間の範疇から外れかけているのに、これ以上縮んだらどうなるの。もう介護も満足にできなくなるんじゃないの!? どうして生きていけばいいの!? 「あの……いい? 落ち着いて聞いてほしいんだけど……」 後ろに立っていた谷崎先生が、何かの合図を受け、緊張した口調で話しかけてきた。 「……ごめん」 「……?」 なんで先生が謝るの? 先生は別に何も……。言葉で聞くよりも先に、両親の表情でわかってしまった。や、やだ。何で。ここまでずーっと我慢してきたのに。何で? 神様、ねえ何で!? どうして私が……このまま死ななきゃいけないの!? 私はこの病院での記録を一人で更新し続けた。両親の「どこか行きたいところはない?」「食べたいものは」「見たい映画は、ライブは、読みたい本は」という申し出が全て空虚に聞こえた。どこにも行けっこないし、このサイズじゃあ、もう料理と呼べるものを満足に食べるのも無理だし、映画も興味ない。私がやりたかったのはテニス。テニスだよ……。 十三センチに到達すると、呼吸が苦しくなった。何度も息を吸わないと、必要な量の空気が肺に入っていかない。口を大きく開けて、何度も息を吸って、それでようやく、ギリギリだった。実際に苦痛を伴った症状が現れると、概念でしかなかった死が迫ってきているのを改めてリアルに実感させられる。怖い。死にたくない。生きたいよぉ……。親も先生も、ただ私を慰め、励ますばかり。私は小さすぎて、呼吸を助ける器具がなーんにも使えないのだ。自分一人で死神と戦うしかなかった。勝てない戦いだとわかっているのがただひたすらに空しくて、辛かった。もう終わってもいいんじゃない? 何でこんな苦しみながら、真綿で首を絞めつけられるような思いをしながら生を引き延ばさなくちゃならないんだろう。 十分の一を下回ると、相似縮小に失敗する確率がグーンと上がる、そう谷崎先生が言ってた。とりわけ臓器。うまく全体の形を保ったまま縮むことができず、歪になるんだって。一つの臓器の右側は二十パーセント縮んだけど、左側は十パーセントだけ、なんてことになると臓器がねじれ、壊れて、機能しなくなっていく。一つ形がおかしくなれば、周囲の臓器も連鎖的に歪み、壊れていく。 十センチを下回るころ、手足が動かせなくなった。筋肉が縮む際に歪んだらしい。プルプル痙攣するのが精一杯。食事も自力ではとれなくなったので、液体だか固体だかわからないものを飲まされるようになった。それも私が小さすぎるせいで、口から飲ませるしかないんだけど、それも毎回こぼれた。 意識も朦朧として途切れがちになったころ、谷崎先生がやってきた。何か言った。内容はよくわからなかった。耳がおかしいのかもしれないし、脳がおかしいのかもしれない。わかんない。でも何か本人の同意が欲しいらしいことは何となく伝わったので、瞬きで「イエス」の合図を送った。何だろう。安楽死だといいな……。 ここから先はよく覚えていない。意識が不連続になって、自分が生きているのか死んでいるのかもよくわかんなくなっていたころだ。ただ、気がついたら、私は宙に浮いていた。ずっと横になっていたはずなのに、なぜか縦になっている。体の軽さを感じながら、また意識がハッキリとしてくるまでしばらくかかった。 再び意識が連続的になるまで回復? すると、自分が何かの容器に入っていることがわかった。そして、私が溺れていることも、胃の中……いや、口からお尻の穴まで、全身に液体が満ち満ちていた。私、死んだのかな? 目が見えるようになったので、段々ここが三途の川じゃないことを理解できるようになった。私はどうやら、ドーム状の透明な容器に閉じ込められているらしい。その中は隙間なく液体が満ちている。いや液体といったけど、どうも粘性が低くて、ともすれば気体のようでもあった。体はあまり動かせないので、やれることもなく、ふよふよと容器の中心で漂っているだけの時間が過ぎた。さらに時がたつと、ガラスの向こう側の景色も把握できるようになった。病院のどこかだ。棚かな。私はどこかの棚に乗っているらしい。あ、私じゃなくて容器か。 液体の中にいるのに苦しくもないし、溺死する気配がないのは奇妙な感覚だった。 五感がさらに回復すると、今まで目に見えていなかったものが見えてきた。容器の中……透明な液体の中を、白い小さな粉が舞っている。いや、よく観察したら規則がある。上から下へ落ちている。さながら雪のようで、綺麗だなと思った。 ガラスの向こうの景色。ただ景色だと思っていたのだけど、段々分解能が上がってきた。人だ。多分、医者。誰かが容器の前を行ったり、来たり、また行ったり……。ほかに見るものもないので、私はその人と、「雪」を目で追うようになった。 やがて、私の意識が戻ったことに気づいたらしく、その人は巨大な顔を容器の前にあらわし、コンタクトをとろうとしてきた。幸い首が動いたので、それで意思表示ができた。 人は谷崎先生だった。かいつまんで状況を教えてくれた。私は今現在、身長七センチで進行は止まっている。私が入っている容器とこの液体は、最先端の人形病の医療法を試しているんだって。栄養補給と排泄は全部この液体とも空気ともつかないものがやってくれてるらしい。「雪」の正体も教えてくれた。抗縮剤と言って、この病気の治療に効果がある……かもしれない薬剤らしい。そんなものがあるんなら最初から使ってくれればよかったのに、と思ったけど、なんか色々あるらしい。よくわかんないけど。 結局、私は死ななくていいのかな? まだ生きられるの? 日にちの概念を取り戻すと、思ったよりかなり時間が経っていることがわかり、どうやら安心していいらしいと悟った。安心って言っても、この容器から出たら死んじゃうんだろうけどさ。容器の前を通る人が谷崎先生だけじゃないということもわかると、人としての感情も蘇ってきた。羞恥心。私って、もしかして今裸なんじゃないの……。透明なドーム状の容器の中で、全裸の私がプカプカ浮かんでいるところ、そしてそれが棚の上にオブジェとして置かれているところを想像すると、あまりいい気はしない。でも確かめてみると、私は白いワンピースを着ていた。液体の中で裾が風に揺れているようにはためいている。そして、背中によくわからないものが刺さっていることにも気づいた。薄いピンク色の透明な板が二枚。まるで蝶の翅のような形状をしている。触ってみると、ブニョブニョしていて、つかみどころのない物体だった。多分この医療器具の一部なんだろうから、あんまり弄らない方がいいだろうな。 案の定、その日のうちに叱られてしまった。 そんなわけで、私は雪が降る透明な容器の中で暮らすことになった。やることもやれることもないので暇だったけど、谷崎先生を始め、担当の先生方がたまに話しかけてくれるので、退屈はしなかった。私は喋れないから首と顔でリアクションをとるだけだけど、そのうちどの先生も気を許してきて、患者の笑い話とか、仕事の悩みとか、どうしようもないプライベートの愚痴とかを話してくれるようになった。中には「それ、話していいの?」という話もあったけど、ドームの中でニコニコしてるだけの小人に何を言っても漏れる心配はないから構わないんだろうな。私としては、娯楽のレパートリーが増えるのは大助かりなので、ニコニコ微笑みながらそれらの話を楽しく聞いて日々を過ごした。両親も頻繁に様子を見に来てくれるので、思ったよりも酷い境遇でもなかった。死を覚悟した時と比べたら天国みたい。 季節が変わり、クリスマスが近づいたらしい。棚の仲間に、同じようなサイズと形状のオブジェが加わった。その中心には雪の積もった木々と、煙突のついた家のミニチュアが設置してあって、Merry Christmasと書かれた看板も掲げられている。その中を雪みたいな白い粉が絶えず舞っていて、幻想的で綺麗な置物だった。まるでクリスマスイブの町をそのまま閉じ込めてしまったみたい。 私が気に入ったことを知ると、谷崎先生が「これはスノードームって言うんだよ」と教えてくれた。ミニチュアを透明な容器に閉じ込め、その中を透明な液体で満たし、揺らすと雪が舞う……。その説明を受けている間、段々どこかで聞いたような話に思えてならなかった。どこでだろう。結構最近、それも身近で体験したような……。あ。 (私も、スノードーム?)

Comments

sengen

縮小病の設定はこれまで出てきましたけどその過程って書かれないなと思ってましたので、ついに来たか!って感じです。 日々刻々と体が小さくなっていく不安や変化がいつまでも止まらない恐怖がよく伝わってきました。自分の体以外の全てが大きくなってしまったように感じたり、何をするにしても自分の小ささを常時認識させられるのが堪らないですね。 最終的には小さな容器の中でしか生きられなくなり、見ためは小さくて可愛らしいけど、本人にとってはインテリアの一部と化してしまったような惨めさのギャップが好きです。でも限られた空間だけど体は動かせるし景色や人の様子が感じられ、生きて過ごせるので受け入れられる状況に落ち着いた終わり方も好かったです。 純粋な縮小化が主題の作品でしたので嬉しいです。また機会がありましたら今後も是非取り扱って貰えたらいいなと思います。

opq

熱心な感想をありがとうございます。今まで飛ばした部分をメインに書いてみました。いいネタがあれば、また縮小化に挑戦したいですね。